○仲原善一君 私は、農業の所得の格差と申しますか、いわゆる他産業と農業と比較して所得が非常に格差がある。この格差論について若干の疑問があるものでございますので、その点をただしたいと思います。これは農業基本法の第一条に農業の生産性ということがうたわれて以来、非常に農業政策の上で基本に流れる問題としてずいぶんあちらこちらで格差論が喧伝されております。農業のほうの所得が工業生産に比べて三分の一、四分の一だということがずいぶん言われて回っております。これは
一つのムードになっておりまして、農林省をはじめ、地方の県庁に行っても、町村に行っても、農業は非常に格差があってもうからぬものだということで、いろいろ指導者が指導している。これはある
意味におきまして、農業自身に対する警告であったり、あるいは激励であったり、あるいは農業構造改善を推進していくための
一つの反省材料であったり、そういうことに本来ならば使わるべき
一つの
議論であろうと思いますけれ
ども、これが逆に、農業はもうからぬものだということに立ちまして、各方面からいろいろな
影響が出てまいっております。たとえば農業を軽視する思想もそこから生まれております。
日本の財界関係のほうから見ましても、そういう生産性の低い、コストの高い農産物は
日本で生産しなくても、これは外国から買い入れて、安い食糧を入れたほうがいいんじゃないかと、いわゆる
日本の農業はそういう期待しなくてもいいというような思想にまで展開しまするし、それから農業の内部でもそういうもうからぬ農業に従事して回ってはつまらぬので、これからもうかる工業なり、都会に出ていったらいいんじゃないかということで、ますます都会への流出に拍車をかけているというようなことにもなります。
〔理事和田鶴一君退席、
委員長着席〕
それから、一例でございますけれ
ども、地方の中学を卒業して、これから高等学校に進学しようという場合に、学校の
先生に
相談にいくと、お前は非常に成績がいいからひとつ普通科にいけ、お前はなかなかうまくいっていないようだから農業方向にでもいけというような指導をしている向きもございます。こういうことがだんだん農業を衰微させる
一つの大きな
原因になっております。農民自身のほうから言いますと、また非常に劣等感も出てまいります。そして悪い
意味の依頼心も出てくる。ここ数年間農業の格差論というものの
影響は各方面にあらわれてきていると考えます。ところが、いわゆる工業と農業の生産性の比較ということについて、はたして農林省のあげておる数字が正しいかどうか、そんなに格差があるかどうかということを反省してみる必要があると思います。ことしの白書にも出ておりますが、一人当たりの農業所得は十三万七千円、製造業者、いわゆる工業のほうは四十七万四千円、そのくらいの格差があるという数字が白書にはっきりと出ておるわけです。この数字はどういうふうにして出たかと申しますと、
日本全体の農業の総所得を、それに就業している農業の総人口で割るというかっこうでやっております。たとえば、農業の総所得は一兆八千三百二十二億円、これは三十九年であります。これを農業に従事している人口千百四十八万人というもので割ってそういう数字を出す。同様のことを工業の総所得について、工業に従事している人で割って、その開きが十三万七千円と四十七万四千円という数字になるわけです。これをある
意味での錯覚に陥って、これはたいへんなことだということを農民自身も考え、また指導者もそういうふうに考えている。この数字をはじいたいわゆる農林省の人たち、あるいは
学者の中では、これが即いわゆる比較する数字でないということはよく承知していると思いますけれ
ども、農民の受ける感じは、こんなに開きがあるのだというふうに感じは受け取るわけであります。そこで、どういうふうな理解をここにするべき必要があるかということを考えますと、いわゆる分子になっている、割られるほうの一兆八千三百二十二億というものは、これはいわゆる農業の純生産額であって、付加価値の量であるというものでございます。どういうふうにして計算するかと申しますと、農業の総生産額から、肥料だとか、えさだとか、農薬だとか、そういう物財の消耗部分と、それからいわゆる固定資産の償却分、そういうものを全部差し引いたものがいわゆる付加価値の量であって、いわゆる農業所得ということになっておるわけでございます。これをいまの就業人口一千百四十八万というもので割ったのが十三万七千円という数になるわけでございます。同様にして工業のほうも、いわゆる消耗する物財を全部引いて就業する人口で割ってみる、これが四十七万四千円。ところが出た四十七万四千円そのものが全部これは工業に従事している人のふところにそっくり入るものじゃないわけでございます。農業のほうだとこれは全部入る。なぜかと申しますと、分配論で皆さんも御存じのとおりでありますが、土地については地代、資本については利子、労働については賃金、企業については利潤、こういう分配がございますが、農業のほうは、御承知のとおりに大部分が自作農でございます。したがって、企業利潤の分も、資本利子の分も、労賃の分も、地代の分もそっくり自分のものに入ってきます。そうみて差しつかえないと思います。十三万七千円そっくり入る。ところが工業のほうは、これは御存じのとおり膨大な設備資金の投資をやっております。ちょっと調べたわけでございますが、三十九
年度で工業だけでも、新しく設備投資に加わったものが一兆三千二百七十五億円という数が三十九年一年だけで、それだけの投資がしてあるわけでございます。これに対しては、当然投資した利子というものが差し引かれなければならぬ。これが一年間でございますから、かりに十年とすれば、これはその算術平均どおりに累積しておるわけでもありますまいけれ
ども、おそらく十兆から二十兆くらいの設備投資資金というものが工業にあるわけです。それに対する利子というものを全部その所得の中から払わなければならぬわけです。それから企業利潤、これもやはり株主に対する配当というもので全部引かれています。そういう引かれるべきものが、地代、利子、利潤、そういうものを差し引いたものを、いわゆる比較せなければならぬということになります。これをかりに引いて計算してみますと、おそらくこれは農業と工業とのほんとうにふところに入る、就業している人たちのふところぐあいに
影響する金額についてはそんなに開きがないということが想像されます。これはもっとくわしく計算してみれば出ると思いますけれ
ども、十三万と四十七万という開きには絶対になりません。おそらく二十万ちょっとと十三万という数になるだろうと私は考えております。そういう点をただ無批判に三倍も四倍もの開きがあるということをあまりに喧伝しすぎて、オーバーに言い過ぎておるという点が、どうも私はふに落ちませんので、その点についてもう少し検討してもらったらどうだろうか。どういう検討をするかと申しますと、同じこういうものを使う場合にしても、実働時間と申しますか、労働をやる場合に農業従事者は三時間なり五時間で終わるようなこともございます。工業労働者のほうはこれは八時間労働というようなこともございますので、単なる就業人口だけでなしに、それに働いた実働した時間というものをあわせて考えてやるようなことをやってみたらどうか。同時に差し引くべきもの、ふところに入らぬものは全部差し引いて計算したらどうか。そういうようなことを一ぺん試算としてでもやってもらえば、そんなに農業と工業との所得の開きがあるものじゃないということを感じますので、まず第一に、その点の御意見を承りたいと思います。