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山本伊三郎君 そういうものを全部理解した上で発言しておるんですが、むしろ労災保険なんかについては、社会保険というものより以上に遺族を重視しなければならない。これは業務上における障害なんですね、傷害、死亡、そういうことですね。で、遺族の場合、いま言われた五十五歳、ただし書きが五十五歳、六十歳でも理論的には一緒ですが、五十五歳に達しないという条件があれば全部父母にそのまま権利はないということでしょう。厚生年金とかあるいはその他共済組合のいわゆる社会保険に属するものについては、財源率その他によって、あるいはまた制限をつけるということもあり得ると思うんです。しかし、公務員の共済組合においては停止条件、しかも五十五歳の停止条件ですね。したがって、私はそういう
考え方でこれを見ておると大間違いだと思うんです。いわゆる業務上の重大な傷害を受けてかたわになった、しかも普通の退職年金であれば二十年という経過を経なければつかないんだけれ
ども、業務上の死傷というものは、若くしてこれは災害を受けますよ、しかもその年金は少ない。そうすると父母は——父母というよりも本人が結婚もしてなく細君もないということになると、それを受ける者は父母以外にないんですよ。そういう場合には遺族に対して何らの補償はできない。したがって、私は父母が若いとき、いわゆるあなたがいま言われた働く能力のある者に対してそういうものを与えることはいけない、それはわかる。それならなぜ停止条件にしなかったか。六十歳でもいいし五十五歳でもいいが、六十歳になればその子供のなくなったり負傷したその年金は、やはり親にやるということが私はその思想だと思う。私は
大臣に聞いてもらいたいのは、恩給制度は明治八年にできて別な
考え方で出ております。特殊な軍人とか公務員に対するそういう補償ですから、あるいは妻でも父母でも制限なく出しておるということはわかります。それは別でありますけれ
ども、少なくとも近代的なこういう社会保障の
考え方になると、そういう私は不均衡といいますか、不公平なことをやってはならないと思う。しかし、一歩譲って、アメリカとかその他徹底した個人主義に徹するなら別です。個人主義に徹すれば妻だけである、ほかの者には影響はないんだということで、日本の遺産相続法のようなものは全然排除してしまうということも
考えられるが、そうじゃないと思うんですね。そういうことから見ると、各
法律まちまちの
考え方でこれは
立法しておる。われわれは
立法府におるものとして非常に憤慨しておるのです。いまの
法律の成立過程、プロセスを見ると、
政府が原案を出して、そして
国会で
審議をして、しかも修正ということはほんのまれです。そしてこれは通ってしまう。
政府の意向によって
法律ができる。アメリカのように大統領が教書を出して
立法府が自分で
立法するというようなシステムじゃないのですね。そこで私は労働
大臣に聞いてもらいたいのは、そういう私は不公平といいますか、不均衡といいますか、不合理と申しますか、そういうものを各種の年金とか遺族給付にそれが散在しておる。なぜこれが統一できないか。これは思想の混乱です。こういうものが一体どこでこれが
審議されておるのか。これは日本の
政府のいわゆる各官庁の独立性といいますか、なわ張りと申しますか、厚生省は厚生省の見解、労働省は労働省の見解、国家公務員とかその他の問題については人事院とか、そういうところで
考えるということですね。こういう点の思想統一はできないものかどうか、これをひとつ聞いておきたい。
大臣から直接——その
説明はわかっておるのだ。