○
参考人(
岸本利実君) 同じく
琉球政府立法院代表の一人でございます
岸本利実と申します。私は
決議第二号につきまして
補足をいたしまして参考
意見を申し述べたいと存じます。
日本の領土の一部である
沖繩と
日本国民である
沖繩県民が、米国の支配下に置かれて二十一年目を迎えました。二昔を過ぎたわけでございます。その間におきまして、
祖国においては、
国民の総意において主権在民、平和、
民主主義、国際協調を基本とする新
憲法を制定し、新しい国づくりを始めたわけでございます。それにもかかわらず、
憲法制定以後におきまして、一九五二年四月二十八日から効力を発しました対日講和条約第三条によりまして、
沖繩を米国の
統治下に置くことを公式に認めてしまったわけでございます。これは、
沖繩が戦後の
日本の独立と引きかえに米国の
統治下に置かれたことを明らかに示すものでございます。しかも、その
意思決定は、
沖繩を
代表する者の
参加なしに
国会においてなされたことをわれわれは忘れることはできません。自来
沖繩県民は、
県民の
意思によらない米国側の一方的な諸法規によりまして統治されてまいりました。このような法規と申しますと、米国大統領の発する
大統領行政命令を頂点といたしまして、現地高等
弁務官の発する布告、
布令、覚書、こういうものをもって構成されております。その中で統治されてまいりました。このような
統治下におきましては軍事
中心で政治が行なわれ、本来ならば
憲法によって保障されていなければならないはずの人権、
国民的な
権利、そういうものが抑圧され、規制され、制限されてまいっておるのであります。過去におきまして
沖繩県民の人権がいかに侵され、
権利が制限されてきたかにつきましては、幾らも事例があるわけでございますけれども、短い時間でございますので、二、三例を申し上げますと、
沖繩県民の置かれた地位の不安定のゆえに生命が危険にさらされる
一つの例は、一九五五年の三月に、
沖繩の漁船で第三清徳丸という船が南方に出漁した際に、国際的に権威のない、認められていない
沖繩独特のデルタ旗を掲揚いたしまして、
日本の国旗を掲揚しないままに銃撃を食らって二人の死者を出しました。その問題についての賠償もいまだになされておりません。十一年前の事件でございます。さらに裁判管轄権が米軍人軍属に及ばない、そういう地域におきまする
アメリカ軍人軍属、そういうものの戦場意識から来まして、これも二、三年前の事件でございますが、横断歩道を青信号に従いまして横断しておった那覇の上之山中学の国場君が米軍人の運転する車にひき殺されまして、加害者は軍法
会議にかけられて無罪ということであります。さらに演習による生命、財産の損害、特にこれにつきましては、最近の
ベトナム戦争の激化に伴いまして、はなはだ憂慮すべき多くの事件が出てきているのであります。去年の六月十一日にも、読谷の飛行場の空から、米軍機からトレーラーが降ってきまして、棚原隆子ちゃんという十一歳の
日本国民である少女が圧死させられました。これについて
日本政府は抗議の
一つも行なっておりません。また、私の
選挙区である
沖繩の中部の宜野湾におきましても、空から演習中大きな砂の入った袋が落ちまして、
住民を不安におとしいれました。さらにまた、同じく最近の事件で昆布部落におきまして米軍の演習中焼夷弾が人家のセメントブロックの屋根を突き抜けて民家に落下して、大きなショックを与えております。さらに、これも私の
選挙区の宜野湾の伊佐という交差点におきまして、戦車を運搬中のトレーラーが信号を無視して民間の車にぶっつけて大きな事故を起こしました。このように、数えあげていきますと幾らでも事件をあげることができます。このような事件は、そのどれをとってみましても、
本土においてこれが発生するならば
国民をあげて大きなセンセーションを巻き起こす事件だけでございます。
さらに渡航の制限の問題がございます。われわれ
沖繩が
日本の領土であるとケネディ大統領は公表いたしました。それにもかかわらず、国内を歩くのにパスポートを持ってわれわれが行き通いをしなければならない。しかも、これは不許可になり、行けない方も出るわけでございます。つい去った二月三日、四日も、
沖繩現地におきまして
沖繩連の活動者
会議が持たれた際にも七十名ほどパスポートがおりませんで、とうとう現地に行くことができませんでした。この渡航の自由につきましては、ワトソン高等
弁務官になりましてから緩和するんだということで、声明を日米共同に発表いたしましたが、依然として
アメリカの
政府の意にそぐわない場合にこのような不許可が現実に行なわれておるわけでございます。
また、去った十一月の
立法院選挙におきまして、野党の候補者が、町長を一期つとめあげた候補者が
最高当選したにもかかわらず、軍の意図によって動く中央選管が失格を宣言いたしました。これについては裁判を提訴いたしまして、第一審で勝訴いたしましたが、選管が上訴いたしております。このような、明らかな
民主主義を否定する
権利の抑圧が現実に行なわれているわけでございます。
また、
ベトナム戦争の激化に伴いまして、先ほども触れられておりましたが、軍用
土地の
新規接収をやってまいっております。そのほかに、現在までに米国側が使わない地域におきましても収容しておった
土地がございまして、大部分について耕作を黙認いたしておりました地域があったわけでございます。われわれはこれを黙認耕作地と申しておるのでございますが、この黙認耕作が最近どんどん作物の撤去を言い渡されて、どんどんとベトナム向けの軍需物質の集積所に変わっていくという事態が出てまいっております。このような事態も、狭い島の中における
県民の
生活権に大きな影響を与えております。
さらに労働者の
権利といたしましても、雇用労働者の三〇%を占める五万の駐留軍労務者において見てみますと、基本権である争議権も剥奪され、これも
布令百十六号というものによりまして直接軍が採用し、労務管理を行なっておりまして、
本土の調達庁方式とは趣を異にしております。
また、社会保障につきましても、二十年後の今時点に立って
考えまする場合に、皆無にひとしいということが言えるのではなかろうかと思います。老人福祉につきましても、母子福祉につきましても、母子保険につきましても、
年金、医療保障につきましても、二十年間の時点で出発していないような
状況でございます。
このような
アメリカの軍事
中心の政策が進められている中で、
日本の国自体が行なうべき問題も多々残されております。と申し上げますのは、
沖繩には一億二千万余坪の国県有地がございます。国の
土地と県の
土地がございます。これを法の根拠も示されないままに、平和条約第三条のみをたてに取って軍が一方的に管理し、その大部分が原野、山林でございますが、この山林において
ベトナム戦争のゲリラ戦の演習を行なっている。これは特に本島の北部と八重山の地域でございます。こういった問題について、国が一体自分の
土地をどう管理しているのかということについてさえも一言も言わないということにつきましては、われわれ
県民は非常に不審に思う次第でございます。これは
県民といたしましては、国県有地の払い下げという関連においてこの問題を見ているわけでございますが、
政府が積極的に出ない。さらに国旗の問題でございますが、
沖繩において国旗は、官庁におきましては祝祭日には掲揚を許されている。民間におきましては、政治的な意味を含まない場合には自由に掲揚を許されております。
ところが、過去最近二回にわたりまして、お正月と慰霊の日に
住民地域で国旗を掲げておりましたら、
アメリカの兵隊さんがふざけてこれを引きちぎっていった例がございました。これなどはさっそく
日本の
国会あるいは
日本の
政府が乗り込んで抗議をすべき性質のものでございます。あの小さなパナマの地域においてすら、パラマの国旗と
アメリカの国旗が二つ立っておったけれども、パナマの旗の掲げ方が低かったということだけで大きな問題を起こしたことは過去の記憶にまだ新しい
ところでございます。にもかかわらず、独立国
日本が
沖繩の国内において、
アメリカの兵隊さんがふざけて旗を引きちぎっていくのに一言も反応を示さない、こういう
ところに
沖繩問題に対する
日本の政治の姿勢というものに対するわれわれの憤慨があるわけでございます。このような姿勢を直さない限り、われわれの
沖繩返還がいつ
実現するのだろうか、こういう不安感を持っているわけでございます。次に、県の経済の面について申し上げますと、
アメリカは
沖繩に巨大な軍事基地を保持いたしまして、政治の実権を握り、さらに経済を、基地経済を
中心にして運営し、
県民をこの基地経済の中に縛りつけております。御
承知のように、県の通貨は五八年以来ドルに切りかえられまして、これも
アメリカの本ドルでございまして、軍票とは違います。この
アメリカの本ドルは、したがいまして
沖繩だけの為替の管理ができない、
アメリカと
沖繩を結んでドルが自由に横行いたしております。したがって、
沖繩の現地におきまして、幾らドルの蓄積が実際にあるかどうかということにつきましては明確にし得ない
ところになっております。こういう中で経済ののどもとである水、電気、油脂燃料あるいは金融の絶対権限を
アメリカが握っております。水は、これは
沖繩の水資源でありますが、軍用
土地内に囲いまして水利補償も行なわないままに、逆に
住民に米国軍人軍属の使ったその余剰分を売りつけて、この利潤を蓄積するわけでございます。水、電気についてしかりでございます。油脂燃料につきましても軍が独占権を持っております。金融につきましても
アメリカの余剰農産物を入れてまいりまして、金融開発公社という会社に、これは
アメリカの資本でできました公社に取り扱わせて、これを
住民に売った利潤を重ねていくようなしかけになっております。このような水、電気、油脂燃料、金融を通ずる
県民からの吸い上げは年間一千万ドル以上にのぼる巨額の利潤でございます。ちなみに
アメリカ政府の
予算の中に組み入れるいわゆる
援助費というのは、現
年度におきましては八百万ドル余りでありまして、吸い上げる利潤にも到達しない
金額でございます。このような中で、
沖繩は軍用
土地に一四%も取られております。そしてわずかながら
沖繩に存在する第一次産業の主たる砂糖製造、キビづくりにつきましては、残念ながら
日本政府の自由化政策によりまして、国際砂糖相場と太刀打ちをさせられる立場を取ったために、
沖繩産糖の買い入れ法案が出発しまして、一応買い入れるとしたものの、生産に見合わない少ない
金額で、一トン当たり十六ドル二十五セント、しかもこれは糖度——ブリックスと申し上げておきますが、砂糖の糖度二十度で十六ドル二十五セント、奄美産糖は十八度で十六ドル二十五セント、そういう形で農民がこのサトウキビづくりに意欲を失いまして、残念ながら
沖繩の美田や耕作地が宅地に変わり、そこに貸し住宅がどんどんできていって、外人にその家を貸すと、ますます基地経済依存への道を進んでいるような
状況下にあります。
財政につきましては、先ほどの
代表から詳しくお話がございましたように、
琉球政府というものが一県でありながら、国としての形態をとらされ、
国家事務、裁判、検察、出入国管理、気象業務、こういった国の業務までになわされ、しかも、国の
支出は
本土類似県の四分の一ほどにしか到達していない、しかも、二十年後の時点でそういう
ところにきておる、過去を振り返るならば、いかに
国家の投融資が絶対量としても少なかったか、したがって、行財政の水準が低いかは御想像できる
ところだと思います。これも絶対量の問題でありますけれども、質的にこの国の
支出の流し方が、こちらで行なわれておりますように、
日本の法律の網の目を通しまして、地方交付税あるいは国庫
支出金、補助金、委託金、こういう形の流し方ではございませんで、現地高等
弁務官と
琉球政府と話し合いをして、これを日米協議
委員会の中に持ち出し、これに対して
日本政府が
意見を言う、こういう形でいまなされております。このような形で行なわれていきますと、いつまでたっても
祖国復帰につながらない金の流し方ということになるわけであります。私
たちは、こういう
援助のあり方でなくて、やはり
日本の
国会の中において、
本土の県に金がいくような方向で
日本国民の監視の中で
審議をしていただきたい、そして、少なくとも
日本の諸法律の目を通して
考えていく方向を整備していかない限りは、
復帰につながらない、
アメリカの基地経済あるいは軍事政策を固定化する方向での金の絶対量の増加ということにしかならないと、こういうふうに理解するわけであります。
さらに、財政の問題から戦後処理の問題に移ってお話を申し上げますと、
沖繩が世界に類例を見ない戦禍をこうむったいきさつからいたしまして、処理すべき戦後の問題を幾多かかえてございまして、こわされた橋、道の復興、公共施設の復興等はもちろんのことでございますけれども、講和前の不法行為に対する補償——
アメリカが平和条約締結までに行なった人身、財産に対する侵害あるいは
土地の接収、そういう講和前の補償の問題、それから、この第三番目の
決議になっております
戦前の
郵便貯金の問題、それから、
戦争中あるいは講和前に
日本軍あるいは
アメリカがかってに
土地をつぶしまして道をつくったとか、そういうつぶれ地の問題、あるいは南洋群島に
本土から墓参に来ましたけれども、
沖繩県民にはまだそれが許されておらなくて、たくさんの骨が散らばっておる、それを写真を示されて報道されている、こういう問題、それから原爆被爆者の問題、あるいは
戦前の県庁職員その他の公職にあった者の恩給の取り扱い、その他たくさん戦後処理として行なうべき問題があるわけでございます。そのうちのわずかに
一つを今度第三
決議で持ってまいりました。内容につきましては、別の
代表から
説明いたしますけれども、このような問題の処理を
考えてみても、その
一つ一つを個別に追っていく場合に、一体どうなるのでしょうか。
戦前の
郵便貯金の問題が
立法院で取り上げられて、折衝が始められすでに十三年であります。このような調子でいきますと
沖繩のわれわれの基本的な返還の要求がかなえられないばかりではなくて、個別的な問題の
解決もいつになるかわからないというのが私
たちのあせりであります。これはやはりこの
国会の中で個別的に、これまでも
委員会で
議員の皆さまが、
政府当局に質疑応答の形で問題を取り上げていただいておることも
承知いたしております。各政党におきましても、特別
委員会を持ちまして、
沖繩特別
委員会の中で御研究しておられることもよく存じておりますけれども、やはり問題を内閣にまかせ切らないで、
国会にもっとやるべきものがないだろうか、これを
考える場合に、ぜひこの第二
決議の、
国会の中に
沖繩対策特別
委員会をつくっていただきまして、そういう戦後処理の問題を総合して日常から取り上げていただく、あるいは財政の問題、経済の問題、
沖繩県民の自治権、
国民的な
権利の回復の問題、幾らでも問題は山積みしているわけでございます。この
設置につきまして、現地で報道せられていることは、政党によっては、このような特別
委員会を
設置した場合には、
沖繩の軍事基地の問題をめぐって、与野党が論戦をかわして宣伝の場に供される、あるいは自党の党勢拡張にされはせぬかというおそれがあるということが報道されておりますけれども、いま、さっき申し上げましたように、なるほど
沖繩の返還は、最終段階にきますと、
沖繩の軍事基地をどうするかということで
意見が異なってきましょう。いまから予測されることでございますけれども、その前に
一つ一つ前向きで
復帰を前進させるべき方向の探求、あるいは具体的な作業への着手という仕事が待っております。したがいまして、佐藤総理が
沖繩で表明されましたように、
沖繩の
祖国復帰なくして
日本の戦後は終わらないというおことばが真実であるとするならば、
日本の独立国としての自主性を主張されるならば、ぜひ
沖繩返還につきまして、
沖繩県民の気持ちは、とにかく
アメリカに
沖繩を返してもらいたいと言うてもらいたい。もし
アメリカがいやだと言うならば、それこそ
国民の世論が
一つの場に固まるわけであります。自民党を支持する者、野党を支持する者、
国民と
一つになってなぜ
アメリカはいやだと言うのかという基盤に立てると思うわけであります。その以前にも、こういう
国会の中で、九千万
国民の監視の中で
沖繩の返還を進めるために、具体的にわれわれはこうするのだというスケジュールを立てていただくことこそが、
沖繩県民に対する真実味のある国のあたたかい思いやりだと私
たちは思います。どうぞ
沖繩返還につきまして真剣にお
考えの
各位におかれましては、この問題を全
国民の力によって
解決していかれる御
趣旨から、ぜひ
国会の中に特別
委員会の
設置を
実現さしていただきますよう強く要求いたします。どうもありがとうございました。(拍手)