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1966-03-10 第51回国会 参議院 内閣委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年三月十日(木曜日)    午後一時十五分開会     —————————————    委員の異動  三月十日     辞任         補欠選任      柏原 ヤス君     鬼木 勝利君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         熊谷太三郎君     理 事                 柴田  栄君                 八田 一朗君                 伊藤 顕道君                 北村  暢君     委 員                 石原幹市郎君                 源田  実君                 塩見 俊二君                 三木與吉郎君                 山本茂一郎君                 中村 英男君                 山本伊三郎君                 鬼木 勝利君                 多田 省吾君                 中沢伊登子君    政府委員        総理府総務副長        官        細田 吉藏君        総理府特別地域        連絡局長     山野 幸吉君    事務局側        常任委員会専門        員        伊藤  清君    参考人        琉球政府立法院        議員       垣花 恵昌君        琉球政府立法院        議員       知花 英夫君        琉球政府立法院        議員       岸本 利実君        琉球政府立法院        議員       浜端 春栄君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○国家行政組織及び国家公務員制度等に関する調  査  (沖繩問題に関する件) ○参考人出席要求に関する件     —————————————
  2. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  国家行政組織及び国家公務員制度等に関する調査を議題といたします。  この際、沖繩問題に関する件につきまして、目下上京中の琉球政府立法院議員垣花恵昌君、知花英夫君、岸本利実君、浜端春栄君を参考人として御出席を求め、意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 御異議ないと認めまして、さように決定いたします。  それでは、これより参考人の方から御意見を承ることになりますが、この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  皆さんには、今回上京されました御多忙な日程の中を本委員会に御出席くださいまして、厚くお礼を申し上げる次第でございます。本日は、沖繩問題に関する件につきまして御意見を述べていただきます。御発言順序は私のほうから順次指名させていただきます。  それではこれより御意見を述べていただきます。まず垣花参考人お願いいたします。
  4. 垣花恵昌

    参考人垣花恵昌君) ただいま御紹介いただきました琉球政府立法院本土派遣議員団団長垣花恵昌でございます。  さて、私たち四人が院の代表として本土に派遣されましたのは、去った二月十一日の本会議におきまして、沖繩県民国政参加に関する要請と、国会沖繩問題対策特別委員会設置することを要請すること、また、越えて三月一日の本会議では、戦前における郵便貯金年金及び簡易保険等早期支払いに関する要請全会一致をもちまして決議いたしましたので、その早期実現をはかるため、本土政府及び国会側に強く要請するために参った次第でございます。  二月六日上京以来各方面に対していろいろと折衝してまいりましたが、参衆両院議長をはじめ関係各大臣及びその他の方々が私たちに対して非常な熱意をお示しくださいました御態度に対しまして、私たちほんとうに心から感謝を申し上げている次第でございます。  なお、本日は午前中に衆議院の内閣委員会で私たち意見を聴取され、ただいまはまた当委員会におきまして私たち参考人として招致し、いろいろと意見を述べる機会をつくってくださいました御好意に対し、熊谷委員長外委員会各位に厚くお礼を申し上げます。  記録によりますと、このような沖繩代表参考人として委員会に招致したのは、昭和三十六年以来五カ年ぶりであるということが言われておりますが、私は、沖繩問題に関する限り、今後国会においてあるいは委員会におきまして、沖繩代表参考人として招致され、委員会におきまして私たち意見を徴され、そうして私たち意見を、沖繩施政を進めていく上におきまして、国会に取り上げていただきますよう切に申し上げまして、ただいまから、私たち要請すべき決議につきまして簡単に趣旨説明を申し上げたいと思います。  なお、一つ一つ要請につきましては、他の議員補足説明をさせていただきまして、ぜひとも本日はわれわれ沖繩の声を十分に御聴取願いたいと思います。  まず最初に、「沖繩県民国政参加に関する要請決議」でございますが、この決議は、立法院におきまして一九六一年四月決議されまして以来、六二年、六四年、今回六六年と四回にわたって決議をされております。なお、機会あるごとに私たち代表本土に参りまして、いろいろの方々に対してこの国政参加のことにつきお願いをしてまいりました。また、沖繩をしばしば訪問された本土指導者の方に対しましても、私たちは真心を込めてこの問題の解決についてお願いをしてまいっております。おそらく沖繩を訪問された方でこの問題を訴えられないで素通りされた方はいないでしょうと思われるほど、私たちはたび多くこの問題を訴えてきております。本土政府及び国会は、沖繩県民日本国民としての保有しております国政参加権利行使させるために公職選挙法その他関係法規を整備いたしまして、すみやかに本土同胞と同じように沖繩県民国政参加させていただきますよう切にお願いを申し上げる次第でございます。御承知のとおり、私たち国政参加権利を失いましたのは終戦後でございまして、この大事な基本的な権利をわれわれ沖繩県民が、あるいは過失により、あるいは故意にこの権利を失ったわけではございませんで、これは個人的な意思によってはとうてい左右することのできない敗戦による不可抗力でございまして、私たち沖繩県民はこの回復に非常な熱意を示しておることを申し上げたいのでございます。人は、まだ与えられていない新しいものを獲得しようとする努力をするときには、常に希望が伴い、失ったものを回復しようとする努力には常に不満や不平がつきまとうことは、これは当然でございまして、皆さんにおかれましては、これまで沖繩県民がどのような心情を持ってこの問題に当たってきたかということを御賢察をお願いしたいのであります。この問題は、前にも申し上げましたいように、たびたび院で決議をされ、また、たびたび訴えられてまいりましたが、いまだに実現されておりません。そのことは、この問題がいかに困難であるか、またいろいろの問題を含んでいるかということを証明するものであると思うのでありますけれども、私たちは、日本国民としてのこの国政参加権利を回復するまでは、私たち努力の限りをいたしまして、ぜひともこれをかちとりたい、こういう決意でございます。また、もしかりにこれが実現を見ないという場合には、私たちの子孫は、私たちと同じように、重荷を背負ってこの課題に向かっていくことでございましょう。私たちは、おそらくこの問題の解決のために現在活動している人、あるいは将来活動するであろう人々は、全力をあげて要請をしてまいりたいつもりでございます。幸いにいたしまして、この問題が早期解決されましたならば、ひとり私たち喜びばかりじゃなくて、また日本同胞喜びである、私はこう考えております。どうぞこの委員会におきましても、ぜひ県民国政参加に関する問題を真剣に御検討いただきまして、一日も早く私たちの熱願がかなえられますように切にお願いを申し上げます。  次に、「国会沖繩問題対策特別委員会設置することを要請する決議」でございます。この決議は、二月十一日に可決されまして、今度が初めてでございますが、私たちにとってまた重要な問題であると思います。国会沖繩返還国民の最も重要な課題とし、その解決のため、あるいはまた沖繩に横たわる幾多の問題を解決するために、ぜひ国会沖繩問題対策特別委員会設置していただきたいというのがこの要請趣旨でございます。なるほど、現在沖繩問題対策委員会は各党にございまして、いろいろな問題で真剣に沖繩問題と取っ組んでおられますことは私たちたいへん感謝をしております。きのうは自民党の沖繩問題対策委員会に参りまして、委員方々入江啓四郎先生中心としていろいろ勉強会を持っておられました。また、社会党でも財政措置法を準備している、こういうような御説明を聞きました。私たちほんとうにありがたく感謝を申しておる次第でございます。しかしながら、後ほども説明があると思いますけれども、沖繩には解決すべき問題がたくさんございまして、もちろん復帰問題を中心といたしまして、山積しております沖繩問題を処理するには、単に一党一派のみではよくし得ないものがあるのではないか、こう考えております。したがいまして、私たちは、そういったような問題を解決するために、党派を越えまして、真に沖繩のために問題を解決していただきたい。たとえ根本的には考えを異にするところはあるいは出てくるかもしれませんけれども、しかし、問題によっては、あるいはまた同じような考えに到達することもあろうかと思います。そういう問題に対しまして、一つ一つ解決をしてくださって、沖繩住民にも本土同胞と同じような幸福を与えていただくように切望いたします。  第三番目に、「戦前における郵便貯金年金及び簡易保険等早期支払いに関する要請決議」でございますが、この決議も、院におきまして一九五二年七月以来、五四年、六四年、六六年と四回にわたって、その早期支払いをしてもらいたいということを決議をしております。なお、ほかに沖繩郵便貯金等払い戻し獲得期成会という会が組織されまして、この会も一九六一年以来七回にわたって政府陳情をしております。しかしながら、前の問題と同じように、いまだに実現を見ておりません。これはいろいろとそこに問題があろうかと思いますけれども、戦前における郵便貯金等の口数が約四十万件ございます。その金額にして約九千万円でございます。この九千万円という金額は、沖繩にとりましては、決して僅少の額ではございません。当時一円をB円に切りかえるときに、全沖繩県民手持ち金が六千万円しかなかった。こういうことから推しても、九千万円余の貯金という額は決して僅少な額ではないということが御了解いただけると思います。私たちはこの郵便貯金等早期支払いに関しまして、本土政府琉球政府、それから預金者等によってつくられる委員会組織設置いたしまして、これらの問題が早急に解決されることを望んでおります。  これまでのいきさつは後ほどお話し申し上げますけれども、本土政府といたしましても、最近支払いをしようというようなお話でございましたが、その支払いが非常に僅少の額でございまして、百円に対して郵便法によって計算された利子をつけまして二百二十九円六十一銭、こういうふうな額になって、おそらく二倍余り、当時の百円は今日は非常な高額になっておりますけれども、郵便法による利子計算によりますというと、この額しかいっていない。しかしながら、御承知のとおり、昭和二十年に支払いが停止されて今日まで二十年の間、社会の変動はもちろん、物価の変動もございまして、もし本土政府昭和二十年にこの金を支払っておいたとしたならば、戦後無に帰した沖繩の復興に大きな役割りを演じたであろう、こういうふうなことも推察されるのでございます。この換算をどのようにするかということは私たちは申し上げません。この委員会設置に期待を持つものでございます。委員会設置によりまして、そこでぜひ沖繩側意見も御聴取くださって、歩み寄ってこの問題の解決を早急に望みます。  三つ決議につきましては、この三つとも沖繩にとりましては非常に重要な問題でございまして、いずれも早期実現を要望される問題でございます。どうぞ当委員会におきましても、この問題につきまして真剣に御討議くださいまして、私たち沖繩の人にも明るい希望生活を与えていただきますよう特にお願いを申し上げまして、私の意見を終わりたいと思います。御清聴ありがとうございました。
  5. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) どうもありがとうございました。     —————————————
  6. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 次に、知花参考人お願いいたします。
  7. 知花英夫

    参考人知花英夫君) 先刻委員長のほうから御紹介をいただいております、琉球政府立法院におきまして団長のほうから御説明申し上げております三つ決議をいたしまして、その促進のために立法院代表いたしまして、本土政府並びに国会にその実現方を促進するために陳情に上がっております立法院議員代表知花英夫でございます。  本日は、貴委員会におかれまして、われわれのこの三つの問題についてわれわれを委員会出席させていただきましてお聞き取りいただきますことを心から感謝申し上げ、非常にうれしく光栄に存じている次第でございます。ただいまは団長のほうから三つ要請事項につきまして概略御説明を申し上げたのでございますが、私は、その第一の問題でございます「沖繩県民国政参加に関する要請決議」について補足をいたしまして、そうしてその実現方を心からお願いを申し上げたいのでございます。  沖繩日本の一地方自治体であるにかかわらず、不幸にいたしまして、去る第二次世界大戦祖国敗戦を見ました結果、祖国から分離されまして、自来アメリカ統治下に置かれてここに二十一年の歳月を送っておるのでございます。その間におきまして、祖国復帰をわれわれ九十六万県民は叫び続けてまいりました。立法院におきましても、実に十三回にわたって祖国復帰決議をいたしまして、日本政府並びに国会、そうしてアメリカ政府に対しまして要請いたしてまいったのでございまするが、いまだにその見通しさえつかない状況でありますることは、沖繩県民にとりまして、まことに大きな悲劇でございまして、そうして非常に残念であり忍びがたいものであります。私は冒頭に、この祖国復帰が一日も早く実現いたしますように、国会におかれまして十分にお取り計らいいただきますことを心からお願いを申し上げまして、本論に入りたいと思うのでございます。  日本国憲法は、日本国民がひとしく国政参加する権利を認めております。第三回の国連総会は、世界人権宣言で、「人はすべて自由な選挙による代表者を通じ、自国の国政に参与する権利を有する」と宣言しております。米国の憲法もまたしかりでございます。大統領行政命令は、民主主義のこの国民が享有する基本的自由を保護しなければならないとうたっておるわけでございます。  沖繩日本国土の一部であり、沖繩県民日本国民であるということについては、何人も異論の余地のない明白な事実であります。したがいまして、日本国民であります沖繩県民国政参加する権力を有することは、しごく当然であると思うのでございます。しかるに、この当然の権利行使が、アメリカ施政権を理由にいたしまして、二十余年の長期にわたってはばまれておるということに対しまして、その不合理な状況沖繩県民が置かれているということは、どうしても承服できないのでございます。この事実は、祖国政府並びに国会日本領土並びに日本国民のすべてを憲法のもとで統治するという憲法の精神を貫いておるとは考えられません。まことに遺憾であり、われわれ強いふんまんにたえない次第でございます。復帰をもって沖繩問題最高のそうして最終の目標としながらも、その間において、何らかの方法で沖繩県民にも参政の権利行使をかなえさしていただきますよう切にお願いを申し上げる次第でございます。近時、特に政府並びに国会におかれては、沖繩問題を最重要課題一つとされまして、そうしてこれを国会においては沖繩問題が論ぜられない日はないというくらい、各方面から検討していただいておりますことに対しましては、心からの感謝お礼を申し上げる次第でございます。なお、新年度予算におきます対沖繩援助も、量において大きく増大いたしております。去年の約二倍に増大いたしております。そうして、質におきましても、単なる援助ということではなく、教育等に見られますように、国家の責任としての支出、われわれは常にそれを叫んでおります。量を欲するのでありまするけれども、量だけではなくして、日本国民としての資格において、日本が他府県の県に補助しておると同様な質的な変化をわれわれは欲しておったのでございますが、それがこのたびの日本政府財政支出にあらわれてきておりまするということは、まことに喜び感謝にたえない次第でございます。しかるに、このような重要な課題審議されるにあたりまして、肝心な地元沖繩県民参加なしに行なわれておりまして、その結果は、沖繩問題の重要な点において十分に理解されないままに審議がなされておりますということは、まことに遺憾に思うのでございます。一例をあげまするに、対沖繩への財政支出が、御承知のとおり、日米委員会で検討されて行なわれておるような状況でございますが、この委員会においてはアメリカ側から提案された案によって審議がなされておる状況でございます。ところが、そのアメリカ側の案の基礎となるものが、沖繩長期経済計画によってなされておりますが、この計画民政府任命主席であります行政府との間でつくられた計画でありまして、すでにこれによって昨年そして現年度、新年度二カ年において財政支出並びに援助がなされておるわけでございますが、この計画立法院において住民代表の唯一の機関である議会にこれが提示されておらない状況でありまして、われわれ議会側といたしましては、それを強く要求してまいっているわけでございますが、いまだに示されておらないという状況でございます。すなわち、この計画は、民政府を主体として行なわれた計画であり、これによって日米援助基礎になるということは、すなわち、沖繩県民意思が十分に反映されておらないということであります。沖繩に対する財政援助もその他一切の施策もすべてが沖繩返還の道に通じなければならないことは申すまでもないのでございます。新年度財政支出も、祖国とされまして、そして主権国の立場から、さらにまた沖繩返還をこれから推進されます祖国とされまして、最も配慮していただかなければならない点が十分に配慮されておらないやに感ずる点もあるわけでございます。沖繩に対するところ財政援助の基本的な考え方を、われわれの考え方を申し上げまするならば、沖繩は、沖繩県民意思のいかんにかかわらず、祖国から分離されまして、従来なら沖繩県の一県でございまして、そこには県庁が最高政治機関としてあるわけでございまするけれども、ただいまは行政分離されまして、琉球政府という国家的機関を持っているところ状況であります。ところが、この国家的機関に対するところ経費が、施政権者であるアメリカ側からも、また本土政府からもこれが出ておらないような状況でございまして、昨年の予算のうちに大体約一千八百万ドルの国家的経費が出されておるような状況でございます。なおまた、当然沖繩日本復帰しなければならないのでありまするので、少なくとも復帰の際にその円滑をはかるために、国土に対しましては、国土主権を保持しておらるる日本とされまして、この方面に対するところ財政負担は当然日本政府がやっていただかなければならないと思うのでございます。さらにまた、教育費もしかりでございます。ところが、この国土に対するところ財政支出でございまするが、土地埋め立て事業に対しましても、アメリカのほうからは二十九万三千ドルという財政援助が行なわれておりますが、本土のほうからはそれが見当たらないという状況でございます。そうして都市計画のほうがアメリカのほうから百七万ドル出ておりますが、本土政府からは二十六万五千ドルというような状況になっておるわけでございます。さらにまた、最も重要な点は、土地調査の費用でございますが、沖繩土地調査は遅々として進まないで、現在約四〇%しか調査がなされておらない。人間がその籍を持つとともに、やはり土地地籍を持たなければならない。ところが、沖繩においてその地籍はまだ十分に整備されておらない。従来三十万ドルほどの予算が、援助がなされておったわけでございますけれども、残念ながら新年度においてそれが見当たらないのでございます。そして、沖繩にはアメリカ側が埋め立てたところ土地がありますが、全く地籍を持たないような状況にあるわけでございます。そして、さらにまた、沖繩財政支出にあたりましては、沖繩戦争によりましてすべてが灰じんに帰して完全な無から立ち上がっておる状況であります。したがいまして、そこには本土との格差というのが非常に大きいわけでございます。本土並みということがよく申されておりますが、本土の一府県に対しましてたとえば百円出すから沖繩にも百円でよろしいということではないと思うのでございます。その格差をどうしても是正していただかなければならない、このような考え方を持っている次第でございます。  それでは、さらに沖繩現状はどのようになっているかと申しますると、ただいまは沖繩土地ベトナム戦争によって発進基地あるいは輸送基地となって活躍いたしているわけでございます。さらにまた、ごく最近土地新規接収、それから演習による住民被害等住民は不安の中に生活をいたしておるような状況でございます。それで現在は、このような不安にありながら命令によって現在統治されておりまして、現在の弁務官になりまして自治の拡大と申しまして、布令、布告を撤廃する、こういうようにいわれております。なるほど今回の立法院議会に出されましたメッセージからいたしますると、百四十五の布令の中で九十七件だけ残っておるということをうたっております。約四十八件ほどが撤廃されたということがいわれているわけでございますが、ところが、その内容に至りましては、その中で四十三件ほどが特赦によるところ布令特赦関係布令あるいはその他全く不要になったようなものが二十九件というようなことになりまして、ほとんどが全く意味のない廃止になっているということを申し上げておきたいと思うのでございます。中に一、二は奄美大島永住許可の問題に対する布令などが廃止されているということは、これは一つの前進だと考える次第でございます。ところが、その中に布令沖繩土地が自由に外国人が取得できないようになっている布令があったわけでございます。これが、この一どきに約四十件の布令廃止いたしました中にこれがまぜ込まれまして、これまで廃止されているわけでございます。なるほど、布令廃止はけっこうでございますけれども、その結果といたしましては、沖繩土地が約十万坪ほど外人によって取得されているような現状でございます。立法院におきましてこれを重視いたしまして、民立法いたしましていま規制法をつくっているような状況でございます。さらに本土との渡航の自由は依然としてはばまれておりますし、選挙権に対する不法剥奪が行なわれまして、ただいま裁判問題を提起しているような状況でございます。なおまた、人間生活に不可欠の三大エネルギーだと申されております電気、水道、油が布令によって民政府機関に牛耳られているような状況でございます。十六万の県民、肉身を失いすべてが灰じんに帰したあの戦争の被害の最も大きかった沖繩には、教育、産業の基本施設の復旧整備や国土保全、住宅建設等早急になさねばならない仕事はもろちん、時代に即応しての教育の振興、国土開発、社会保障などのなすべき仕事が山積しておるのでございます。そのために要する経費はばく大であります。われわれは日本の一地方自治体であり、沖繩の社会発展のために負担能力に応じたところの負担をしなければならないということは当然でありまするが、他府県同等の水準に到達させることは、ひとり県民の負担によってばかりでなく、政府施政権者の義務であると申さねばならぬと思うのでございます。私は、政府の今日までの御努力、そしてさき申し上げました新年度からの新しいその体制に対しまして深甚なる敬意と感謝を申し上げるものでありますが、今日までそれがあまりにも微弱であったことを遺憾に思う次第でございます。その実情は、昨年まで本土の類似県の予算に占めるところ政府負担と沖繩予算に占める日米両政府援助を比較いたしました場合に、本土類似県では県予算のたしか七〇ないし八〇%が政府補助になっておるかと思うのでございます。そしてその結果は、県民の負担は約一〇%内外の租税になっているかと思うのでございます。ところが、沖繩予算におきましては、日本政府援助が去年度予算におきまして約一〇%、そしてアメリカ援助が約一二%、合計いたしまして二二%という状況でございます。したがいまして、県民の租税負担は実に六五%を占めているような状況であります。新年度予算におきましては、日本援助が約一千六百万ドルにはね上がっております。去年の約二倍でございます。たいへんこの点はわれわれ感謝を申し上げております。アメリカ援助が一千二百万ドルがほぼきまっているようでございます。そういたしますると、新年度予算におきましては、いわゆる国庫補助に相当するものが約三五%に上昇することが予想されております。これは非常にけっこうなことだと思っておるわけでございますが、これから見ましても、まだ他府県並みにはならないという状況でございます。このような結果は、沖繩県民の負担の過重、社会保障制度の貧弱、県民の貧困となってあらわれております。この数字的な状況は、時間がございませんので省略いたしたいと思うのでございます。  このように基本的権利の面ばかりではなく、実質的にもどうしても沖繩県民国政への参加を必要とする点が強いということを強く訴えたい次第でございます。  この問題を決議いたしまして政府国会にその実現方を文書で要請いたしてまいりましたのが、先刻団長から言いました四回でございますが、直接政府並びに国会に参上いたしまして要請いたしましたのが今回と二回でございます。そのときも私は要請に上がった一人でございますが、国会におきましては、清瀬議長がドイツの例を引用されまして、よく議会でも検討してみることにしようと積極的御態度を示していただき、また閣議においてもこれが検討され、国会には旧沖繩県に対する公職選挙法の適用の暫定処置に関する法律案が提案され、参議院でもこれが選挙法改正特別委員会審議がなされ、昭和三十八年十月十六日には第二回選挙制度審議会が無質問の中でしごく当然なものとして決定され、答申なされており、国会図書館でも、アメリカの同意があれば法的に問題はないという結論が出されまして、沖繩県民は非常なる期待をいたしておったのでありますが、二日後の十八日に、対米関係上好ましくないということで、閣議で葬り去られましたことは、県民にとって一大ショックをもたらしたのでございます。しかし二十一日、立法院の長嶺議長は本件について、ちょうど一緒にこちらへ参っておりましたので、ライシャワー大使にお会いいたしましてこの点をただしましたところ、この問題は日本の内政問題であって、アメリカとして干渉しないという回答であったということが新聞で大きく報道されております。今回上京にあたりましても、あらためて議長にこれを確認してまいった次第でございます。  西ドイツは御承知のとおりドイツ連邦議会の参政権が付与されております。東西両陣営の間にあるドイツ国民でさえ、自国の国政への参加権が行使されておりますのに、同じ自由陣営で、しかも協力国の間にあります日米間において、沖繩県民がいつまでも国政参加の基本的人権の行使がはばまれておりますということは、どうしても理解に苦しむ次第でございます。佐藤総理大臣は、昨年来沖されましたときに、現地において最も強調されましたことは、本土との一体化、連帯感でございました。県民はそのおことばをかたく信じ、本問題を積極的に取り上げて強く対米折衝されることを強く期待をいたしている次第でございます。  なお、決議案の提案者は、この趣旨説明にあたりまして、立法院でこの種決議がこれで最後になるようにと強調している次第でございます。私たち本土政府国会に参りまして、両院の議長をはじめ、政府関係大臣その他要路の方々に強く要請をしてまいりましたが、よく聞いていただき、両院議長におかれては、できるまでは毎日でも要請しなさいというありがたい、親しく激励をいただきまして、感激いたしておる次第でございます。われわれは、この決議本土国会に取り上げられまして、そしてこれが実現を見ることを強くお願いを申し上げ、そして、それができるまでは何回となく通いましてお願いを申し上げたいと考える次第でございます。なおまた、各政党の沖繩対策特別委員会にも上がりましてお願いを申し上げてまいりましたが、どちらの党におかれましても、積極的にこの問題については考えてみようというような態度を示していただいておる次第でございます。昨日は自民党の沖繩対策特別委員会に上がりました。そこでも検討するとのことでありましたので、われわれは非常に力強く感じております。  どうぞ、いままでいろいろと申し上げてまいりましたが、あるいは申し足らないところもございました。あるいは表現がまずく、失礼になったことがあったかもしらないと思いますが、要は、われわれのこの三つの問題が、特にこの基本的な権利がすみやかに行使されますよう非常なる気持ちをもちましてお願いを申し上げましたのでございます。たいへん長い間御清聴いただきまして、まことに感謝申し上げまして、終わりたいと思うのでございます。(拍手)
  8. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) ありがとうございました。     —————————————
  9. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 次に、岸本参考人お願いいたします。
  10. 岸本利実

    参考人岸本利実君) 同じく琉球政府立法院代表の一人でございます岸本利実と申します。私は決議第二号につきまして補足をいたしまして参考意見を申し述べたいと存じます。  日本の領土の一部である沖繩日本国民である沖繩県民が、米国の支配下に置かれて二十一年目を迎えました。二昔を過ぎたわけでございます。その間におきまして、祖国においては、国民の総意において主権在民、平和、民主主義、国際協調を基本とする新憲法を制定し、新しい国づくりを始めたわけでございます。それにもかかわらず、憲法制定以後におきまして、一九五二年四月二十八日から効力を発しました対日講和条約第三条によりまして、沖繩を米国の統治下に置くことを公式に認めてしまったわけでございます。これは、沖繩が戦後の日本の独立と引きかえに米国の統治下に置かれたことを明らかに示すものでございます。しかも、その意思決定は、沖繩代表する者の参加なしに国会においてなされたことをわれわれは忘れることはできません。自来沖繩県民は、県民意思によらない米国側の一方的な諸法規によりまして統治されてまいりました。このような法規と申しますと、米国大統領の発する大統領行政命令を頂点といたしまして、現地高等弁務官の発する布告、布令、覚書、こういうものをもって構成されております。その中で統治されてまいりました。このような統治下におきましては軍事中心で政治が行なわれ、本来ならば憲法によって保障されていなければならないはずの人権、国民的な権利、そういうものが抑圧され、規制され、制限されてまいっておるのであります。過去におきまして沖繩県民の人権がいかに侵され、権利が制限されてきたかにつきましては、幾らも事例があるわけでございますけれども、短い時間でございますので、二、三例を申し上げますと、沖繩県民の置かれた地位の不安定のゆえに生命が危険にさらされる一つの例は、一九五五年の三月に、沖繩の漁船で第三清徳丸という船が南方に出漁した際に、国際的に権威のない、認められていない沖繩独特のデルタ旗を掲揚いたしまして、日本の国旗を掲揚しないままに銃撃を食らって二人の死者を出しました。その問題についての賠償もいまだになされておりません。十一年前の事件でございます。さらに裁判管轄権が米軍人軍属に及ばない、そういう地域におきまするアメリカ軍人軍属、そういうものの戦場意識から来まして、これも二、三年前の事件でございますが、横断歩道を青信号に従いまして横断しておった那覇の上之山中学の国場君が米軍人の運転する車にひき殺されまして、加害者は軍法会議にかけられて無罪ということであります。さらに演習による生命、財産の損害、特にこれにつきましては、最近のベトナム戦争の激化に伴いまして、はなはだ憂慮すべき多くの事件が出てきているのであります。去年の六月十一日にも、読谷の飛行場の空から、米軍機からトレーラーが降ってきまして、棚原隆子ちゃんという十一歳の日本国民である少女が圧死させられました。これについて日本政府は抗議の一つも行なっておりません。また、私の選挙区である沖繩の中部の宜野湾におきましても、空から演習中大きな砂の入った袋が落ちまして、住民を不安におとしいれました。さらにまた、同じく最近の事件で昆布部落におきまして米軍の演習中焼夷弾が人家のセメントブロックの屋根を突き抜けて民家に落下して、大きなショックを与えております。さらに、これも私の選挙区の宜野湾の伊佐という交差点におきまして、戦車を運搬中のトレーラーが信号を無視して民間の車にぶっつけて大きな事故を起こしました。このように、数えあげていきますと幾らでも事件をあげることができます。このような事件は、そのどれをとってみましても、本土においてこれが発生するならば国民をあげて大きなセンセーションを巻き起こす事件だけでございます。  さらに渡航の制限の問題がございます。われわれ沖繩日本の領土であるとケネディ大統領は公表いたしました。それにもかかわらず、国内を歩くのにパスポートを持ってわれわれが行き通いをしなければならない。しかも、これは不許可になり、行けない方も出るわけでございます。つい去った二月三日、四日も、沖繩現地におきまして沖繩連の活動者会議が持たれた際にも七十名ほどパスポートがおりませんで、とうとう現地に行くことができませんでした。この渡航の自由につきましては、ワトソン高等弁務官になりましてから緩和するんだということで、声明を日米共同に発表いたしましたが、依然としてアメリカ政府の意にそぐわない場合にこのような不許可が現実に行なわれておるわけでございます。  また、去った十一月の立法院選挙におきまして、野党の候補者が、町長を一期つとめあげた候補者が最高当選したにもかかわらず、軍の意図によって動く中央選管が失格を宣言いたしました。これについては裁判を提訴いたしまして、第一審で勝訴いたしましたが、選管が上訴いたしております。このような、明らかな民主主義を否定する権利の抑圧が現実に行なわれているわけでございます。  また、ベトナム戦争の激化に伴いまして、先ほども触れられておりましたが、軍用土地新規接収をやってまいっております。そのほかに、現在までに米国側が使わない地域におきましても収容しておった土地がございまして、大部分について耕作を黙認いたしておりました地域があったわけでございます。われわれはこれを黙認耕作地と申しておるのでございますが、この黙認耕作が最近どんどん作物の撤去を言い渡されて、どんどんとベトナム向けの軍需物質の集積所に変わっていくという事態が出てまいっております。このような事態も、狭い島の中における県民生活権に大きな影響を与えております。  さらに労働者の権利といたしましても、雇用労働者の三〇%を占める五万の駐留軍労務者において見てみますと、基本権である争議権も剥奪され、これも布令百十六号というものによりまして直接軍が採用し、労務管理を行なっておりまして、本土の調達庁方式とは趣を異にしております。  また、社会保障につきましても、二十年後の今時点に立って考えまする場合に、皆無にひとしいということが言えるのではなかろうかと思います。老人福祉につきましても、母子福祉につきましても、母子保険につきましても、年金、医療保障につきましても、二十年間の時点で出発していないような状況でございます。  このようなアメリカの軍事中心の政策が進められている中で、日本の国自体が行なうべき問題も多々残されております。と申し上げますのは、沖繩には一億二千万余坪の国県有地がございます。国の土地と県の土地がございます。これを法の根拠も示されないままに、平和条約第三条のみをたてに取って軍が一方的に管理し、その大部分が原野、山林でございますが、この山林においてベトナム戦争のゲリラ戦の演習を行なっている。これは特に本島の北部と八重山の地域でございます。こういった問題について、国が一体自分の土地をどう管理しているのかということについてさえも一言も言わないということにつきましては、われわれ県民は非常に不審に思う次第でございます。これは県民といたしましては、国県有地の払い下げという関連においてこの問題を見ているわけでございますが、政府が積極的に出ない。さらに国旗の問題でございますが、沖繩において国旗は、官庁におきましては祝祭日には掲揚を許されている。民間におきましては、政治的な意味を含まない場合には自由に掲揚を許されております。ところが、過去最近二回にわたりまして、お正月と慰霊の日に住民地域で国旗を掲げておりましたら、アメリカの兵隊さんがふざけてこれを引きちぎっていった例がございました。これなどはさっそく日本国会あるいは日本政府が乗り込んで抗議をすべき性質のものでございます。あの小さなパナマの地域においてすら、パラマの国旗とアメリカの国旗が二つ立っておったけれども、パナマの旗の掲げ方が低かったということだけで大きな問題を起こしたことは過去の記憶にまだ新しいところでございます。にもかかわらず、独立国日本沖繩の国内において、アメリカの兵隊さんがふざけて旗を引きちぎっていくのに一言も反応を示さない、こういうところ沖繩問題に対する日本の政治の姿勢というものに対するわれわれの憤慨があるわけでございます。このような姿勢を直さない限り、われわれの沖繩返還がいつ実現するのだろうか、こういう不安感を持っているわけでございます。次に、県の経済の面について申し上げますと、アメリカ沖繩に巨大な軍事基地を保持いたしまして、政治の実権を握り、さらに経済を、基地経済を中心にして運営し、県民をこの基地経済の中に縛りつけております。御承知のように、県の通貨は五八年以来ドルに切りかえられまして、これもアメリカの本ドルでございまして、軍票とは違います。このアメリカの本ドルは、したがいまして沖繩だけの為替の管理ができない、アメリカ沖繩を結んでドルが自由に横行いたしております。したがって、沖繩の現地におきまして、幾らドルの蓄積が実際にあるかどうかということにつきましては明確にし得ないところになっております。こういう中で経済ののどもとである水、電気、油脂燃料あるいは金融の絶対権限をアメリカが握っております。水は、これは沖繩の水資源でありますが、軍用土地内に囲いまして水利補償も行なわないままに、逆に住民に米国軍人軍属の使ったその余剰分を売りつけて、この利潤を蓄積するわけでございます。水、電気についてしかりでございます。油脂燃料につきましても軍が独占権を持っております。金融につきましてもアメリカの余剰農産物を入れてまいりまして、金融開発公社という会社に、これはアメリカの資本でできました公社に取り扱わせて、これを住民に売った利潤を重ねていくようなしかけになっております。このような水、電気、油脂燃料、金融を通ずる県民からの吸い上げは年間一千万ドル以上にのぼる巨額の利潤でございます。ちなみにアメリカ政府予算の中に組み入れるいわゆる援助費というのは、現年度におきましては八百万ドル余りでありまして、吸い上げる利潤にも到達しない金額でございます。このような中で、沖繩は軍用土地に一四%も取られております。そしてわずかながら沖繩に存在する第一次産業の主たる砂糖製造、キビづくりにつきましては、残念ながら日本政府の自由化政策によりまして、国際砂糖相場と太刀打ちをさせられる立場を取ったために、沖繩産糖の買い入れ法案が出発しまして、一応買い入れるとしたものの、生産に見合わない少ない金額で、一トン当たり十六ドル二十五セント、しかもこれは糖度——ブリックスと申し上げておきますが、砂糖の糖度二十度で十六ドル二十五セント、奄美産糖は十八度で十六ドル二十五セント、そういう形で農民がこのサトウキビづくりに意欲を失いまして、残念ながら沖繩の美田や耕作地が宅地に変わり、そこに貸し住宅がどんどんできていって、外人にその家を貸すと、ますます基地経済依存への道を進んでいるような状況下にあります。  財政につきましては、先ほどの代表から詳しくお話がございましたように、琉球政府というものが一県でありながら、国としての形態をとらされ、国家事務、裁判、検察、出入国管理、気象業務、こういった国の業務までになわされ、しかも、国の支出本土類似県の四分の一ほどにしか到達していない、しかも、二十年後の時点でそういうところにきておる、過去を振り返るならば、いかに国家の投融資が絶対量としても少なかったか、したがって、行財政の水準が低いかは御想像できるところだと思います。これも絶対量の問題でありますけれども、質的にこの国の支出の流し方が、こちらで行なわれておりますように、日本の法律の網の目を通しまして、地方交付税あるいは国庫支出金、補助金、委託金、こういう形の流し方ではございませんで、現地高等弁務官琉球政府と話し合いをして、これを日米協議委員会の中に持ち出し、これに対して日本政府意見を言う、こういう形でいまなされております。このような形で行なわれていきますと、いつまでたっても祖国復帰につながらない金の流し方ということになるわけであります。私たちは、こういう援助のあり方でなくて、やはり日本国会の中において、本土の県に金がいくような方向で日本国民の監視の中で審議をしていただきたい、そして、少なくとも日本の諸法律の目を通して考えていく方向を整備していかない限りは、復帰につながらない、アメリカの基地経済あるいは軍事政策を固定化する方向での金の絶対量の増加ということにしかならないと、こういうふうに理解するわけであります。  さらに、財政の問題から戦後処理の問題に移ってお話を申し上げますと、沖繩が世界に類例を見ない戦禍をこうむったいきさつからいたしまして、処理すべき戦後の問題を幾多かかえてございまして、こわされた橋、道の復興、公共施設の復興等はもちろんのことでございますけれども、講和前の不法行為に対する補償——アメリカが平和条約締結までに行なった人身、財産に対する侵害あるいは土地の接収、そういう講和前の補償の問題、それから、この第三番目の決議になっております戦前郵便貯金の問題、それから、戦争中あるいは講和前に日本軍あるいはアメリカがかってに土地をつぶしまして道をつくったとか、そういうつぶれ地の問題、あるいは南洋群島に本土から墓参に来ましたけれども、沖繩県民にはまだそれが許されておらなくて、たくさんの骨が散らばっておる、それを写真を示されて報道されている、こういう問題、それから原爆被爆者の問題、あるいは戦前の県庁職員その他の公職にあった者の恩給の取り扱い、その他たくさん戦後処理として行なうべき問題があるわけでございます。そのうちのわずかに一つを今度第三決議で持ってまいりました。内容につきましては、別の代表から説明いたしますけれども、このような問題の処理を考えてみても、その一つ一つを個別に追っていく場合に、一体どうなるのでしょうか。戦前郵便貯金の問題が立法院で取り上げられて、折衝が始められすでに十三年であります。このような調子でいきますと沖繩のわれわれの基本的な返還の要求がかなえられないばかりではなくて、個別的な問題の解決もいつになるかわからないというのが私たちのあせりであります。これはやはりこの国会の中で個別的に、これまでも委員会議員の皆さまが、政府当局に質疑応答の形で問題を取り上げていただいておることも承知いたしております。各政党におきましても、特別委員会を持ちまして、沖繩特別委員会の中で御研究しておられることもよく存じておりますけれども、やはり問題を内閣にまかせ切らないで、国会にもっとやるべきものがないだろうか、これを考える場合に、ぜひこの第二決議の、国会の中に沖繩対策特別委員会をつくっていただきまして、そういう戦後処理の問題を総合して日常から取り上げていただく、あるいは財政の問題、経済の問題、沖繩県民の自治権、国民的な権利の回復の問題、幾らでも問題は山積みしているわけでございます。この設置につきまして、現地で報道せられていることは、政党によっては、このような特別委員会設置した場合には、沖繩の軍事基地の問題をめぐって、与野党が論戦をかわして宣伝の場に供される、あるいは自党の党勢拡張にされはせぬかというおそれがあるということが報道されておりますけれども、いま、さっき申し上げましたように、なるほど沖繩の返還は、最終段階にきますと、沖繩の軍事基地をどうするかということで意見が異なってきましょう。いまから予測されることでございますけれども、その前に一つ一つ前向きで復帰を前進させるべき方向の探求、あるいは具体的な作業への着手という仕事が待っております。したがいまして、佐藤総理が沖繩で表明されましたように、沖繩祖国復帰なくして日本の戦後は終わらないというおことばが真実であるとするならば、日本の独立国としての自主性を主張されるならば、ぜひ沖繩返還につきまして、沖繩県民の気持ちは、とにかくアメリカ沖繩を返してもらいたいと言うてもらいたい。もしアメリカがいやだと言うならば、それこそ国民の世論が一つの場に固まるわけであります。自民党を支持する者、野党を支持する者、国民一つになってなぜアメリカはいやだと言うのかという基盤に立てると思うわけであります。その以前にも、こういう国会の中で、九千万国民の監視の中で沖繩の返還を進めるために、具体的にわれわれはこうするのだというスケジュールを立てていただくことこそが、沖繩県民に対する真実味のある国のあたたかい思いやりだと私たちは思います。どうぞ沖繩返還につきまして真剣にお考え各位におかれましては、この問題を全国民の力によって解決していかれる御趣旨から、ぜひ国会の中に特別委員会設置実現さしていただきますよう強く要求いたします。どうもありがとうございました。(拍手)
  11. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) どうもありがとうございました。     —————————————
  12. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 次に浜端参考人お願いいたします。
  13. 浜端春栄

    参考人浜端春栄君) 琉球政府立法院代表して派遣されました四名の議員団の中の一人でございます浜端春栄でございます。  私たち代表四名の上京以来、参議院、衆議院、日本政府及び各政党が、私たちの来訪に深い関心を示され、本日はまた、貴委員会におきまして意見開陳の機会を与えていただいたことに対し、深く感謝するものでございます。  すでに垣花団長から三決議についての総括的な説明があり、さらに知花岸本代表から、「沖繩県民国政参加に関する要請決議」及び「国会沖繩問題対策特別委員会設置することを要請する決議」の具体的な趣旨説明がございましたが、私は決議第三号、「戦前における郵便貯金年金及び簡易保険等早期支払に関する要請決議」について御説明申し上げ、貴委員会の御理解を仰ぐとともに、本件がすみやかに解決されますよう衷心よりお願いするものでございます。  申すまでもなく、今次戦争の勃発と同時に、沖繩県民も耐乏生活をしいられながら、国策遂行のために協力してきたことは周知のとおりでございまして、終戦時、沖繩県民の現金保有高、約六千五百万円に対しまして、郵便貯金等の預金高がこれを上回る八千九百万円であることを見ましても、いとも明白でございます。ところが、日本敗戦によってその戦場となった沖繩は、米軍の占領するところとなり、これら郵便貯金等の払い戻しは、沖繩群島においては、米軍上陸時の昭和二十年四月から停止され、八重山群島が昭和二十年の十月、宮古群島が昭和二十二年の八月、奄美群島が昭和二十五年の二月以降、おのおの郵便貯金等支払いが停止されております。ところが一方、これら預金者の本土での支払いはどうなったかと申しますと、昭和二十年十月十日の外国為替管理法令の改正に伴いまして、その支払いが停止されております。その後、日本政府琉球政府及び米国政府との間で支払い折衝が行なわれまして、昭和二十六年の十一月に、日本政府の郵政省から三名の職員が沖繩に派遣されまして、申告調査の指導に当たるとともに、昭和二十七年五月ころまでに申告調書、約四十七万件が日本政府郵政省に送付されております。日本政府ではその調書に基づきまして、昭和三十年三月から支払い開始をする予定で準備を進めていたようでございますけれども、ところがその間に奄美群島の行政権が日本復帰するようになりまして、昭和二十八年十二月二十四日に、奄美群島に関する日米協定第三条第三項によりまして、支払いが遅延しております。その後幾度となく支払いについての折衝が行なわれてまいりました。預金者と日本政府考え方に食い違いが生じまして、二十一年後の今日に至るまで支払いが遅延している現状でございます。  このようにして支払い遅延の理由はあげれば数え切れませんですけれども、これら預金者に多くの不利益と損失を与えたのは、敗戦と行政分離によって生じていることは否定できない事実でございます。預金者の多くは、沖繩祖国防衛のたてとなったために、一家の大黒柱を失い、しかも七十歳以上の高齢に達し、日常の生活に困窮しており、戦争さえなかったら、本土国民と同様な生活ができたであろうにと、心を痛めております。本土における社会保障制度の発達に比べ、沖繩における社会保障制度はどうかと申し上げますと、全く皆無にひとしい状態で、一九六〇年に失業保険、一九六四年に労災保険、五人以上の従業員を擁する事業場にことしの七月から医療保険が実施されるようになっております。さらに沖繩におきましては、老齢年金その他の制度もなく、わずかに九十六万の沖繩県民の間に養老院が三カ所、老人ホームが一カ所というみじめな実情でございます。このようなことを考えました場合に、郵便貯金等早期支払いは一日も猶予することはできない現状でございまして、日本政府がこのような沖繩の置かれている実情と、預金者の置かれている立場というものを御賢察くださいまして、すみやかに日本政府琉球政府が、預金者による話し合いの場をつくっていただくことを強く要請する次第でございます。  過去において、一円対一ドルが預金者の要請であったとも聞いておりますが、これは行政分離などという事態さえなければ、われわれも本土の人々と同様に、現在の無価値に近い状態にならない間に、支払いを受けまして、この資金も有利に活用できたのに、その支払いを受けるすべもなく、経済界の変動も拱手傍観せざるを得なかった住民の損失は、当然日本政府の責任であるという立場から要請されたものであり、行政分離などという事態のために、貨幣価値の下落による不利益を沖繩県民のみがこうむることは納得できないというのが、住民の偽りない気持ちでございます。もちろん、郵便貯金法等には貨幣価値の変動による措置条文がなく、また、取り扱い遅延に対する免責条文のあることはよく承知しておりますが、これは平時において郵政官署の正常な運営がなされている場合に、不可抗力によって生じた損害を賠償しないことの消極的な規定でございまして、日本国家敗戦、それによる行政分離などという未曽有の事態まで予測して規定されたものでなくして、災害時においては非常時払いの制度まで採用して預金者保護を講じ、国民の福祉増進をねらいとした法の精神を考えた場合には、道義的問題として解決の道が見出されるのではないかと思うのであります。  なお、このような経済界の変動による換算率の緩漫になるということは、郵政事業史にもほとんど例のないものと言われておりますが、従来の既成観念によることなく、新しい事例として取り扱ってほしいのであります。ちなみに、参考までに申し上げますと、郵便貯金法の利子計算に基づく昭和四十年度における元利合計は百円について二百二十九円になっておりまして、さらに、日本銀行統計局の資料によります、昭和二十年を基準とした場合の物価指数は、昭和四十年において一二〇・五二倍となっております。このようなことについても、三者の話し合いの場で何らかの解決策が見出されるものと期待しているのでございます。先日も東京都中野区に住む原田歳壽という方から激励電話をいただいたのでございますが、その人は、当時の台湾貯蓄銀行の代表取締役でございまして、台湾引き揚げ者の預金についても、昭和二十九年五月十五日に法案をつくりまして、支払いがなされているそうでございます。この方からの電話によりますと、台湾引き揚げ者でさえ預金払い戻しを受けておるのに、国内の沖繩の預金がまだ払われていないというのはどういうことか、自分も協力するから強力に折衝してくれ、というふうな激励も受けております。また、昨年八月に来島されました佐藤首相も、沖繩県民に対するメッセージの中で、沖繩施政権が返還されない限り日本の戦後は終わらないということも言われておりまして、沖繩県民に深い感銘を与えております。ところが、それとはうらはらに、国内問題として処理すべき、このような問題が、いまだに数多く残されていることに対し、非常に遺憾に思う次第でございます。どうか沖繩県民の置かれている立場、預金者のみじめな生活を貴委員会のほうで御賢察くださいまして、国会並びに日本政府をしてこの問題が早急に解決されるよう、皆さまの御助力を特にお願い申しまして、私の意見といたします。まことにありがとうございました。(拍手)
  14. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) どうもありがとうございました。  以上で参考人各位からの御意見は全部お述べいただきました。
  15. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 本日は御遠路のところ、かつ御多忙な御日程で、たいへんお疲れのところをまげて御出席いただきまして、たいへん御苦労さまでございました。せっかくの機会でございますので、いろいろとお伺いしたいところではございますけれども、時間の制約もございますので、以下二、三の問題にしぼってお伺いをいたしたいと存じますので、簡潔にお答えいただきたいと存じます。  まず、お伺いいたしたいのは、施政権の返還の問題についてでございますが、この問題については、本参議院におきましても、三十七年の三月、本会議において全会一致決議を上げておるわけです。それから四年経過しておるわけでございますけれども、いまだにその解決を見ないのは、私どもといたしましても、まことに遺憾に存じておるわけでございます。なお、この問題につきまして、先般佐藤総理が沖繩を訪問されました際、皆さん方からも、この返還につきまして総理に対して何かと御要望があったかと存じます。その際、佐藤総理からのこの件についてどのようなお答えがあったか、この要旨だけをまず垣花参考人にお伺いをしたいと存じます。
  16. 垣花恵昌

    参考人垣花恵昌君) たいへん失礼でございますけれども、知花参考人がお答えしてよろしゅうございますか。
  17. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 けっこうです。
  18. 知花英夫

    参考人知花英夫君) ただいまの御質問に対しましてお答えいたします。  御質問にございますように、佐藤総理大臣が昨年八月沖繩においでになりました際に、当然われわれ沖繩県民代表といたしまして、最高の、そうして長い間の宿願であるところ祖国復帰の問題に対しまして強く要請をいたした次第でございます。そのときに、佐藤総理大臣から、この問題については、昨年の一月にジョンソン大統領と会見をいたし、それが早急に返還されるよう要望をいたしたという御回答をいただいておるわけでございます。
  19. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 次にお伺いいたしたいのは、国政参加の問題でございます。るる御意見の御開陳がございましたが、沖繩は御指摘もございましたように日本領土の一部である、したがって、沖繩問題は即日本民族の問題である、こういう考え方から当然私どもも深い関心を持っておるわけでございます。そこで考えられますことは、日本領土の一部であるといたしますならば、国政参加の御要望、御要求は、これまた当然なことと言わなければならないわけです。これまた御指摘が一部ございましたが、このことを裏づけるように、昭和三十八年の第二次選挙制度審議会の答申を見ますると、次のような意味の答申があるわけです。「旧沖繩県の地域についても、この際、同地域をもって一の選挙区として、暫定的に四名の定数を配当しておくことが適当であると考える。ただし、当分の間選挙は行なわない。」このただし書きがありますのは、これは私が申し上げるまでもなく、公職選挙法あるいは国会法との関連が出てまいりますので、それとのにらみ合わせでここでこういうただし書きがついたものと思うわけであります。そこで、私どもといたしましては、この問題は、基本的には当然早期返還のために努力しなければならない、また努力しつつあるわけでございますが、技術的には、これと関連する公職選挙法あるいは国会法、こういう関係とにらみ合わせながら、さらに深い具体的な検討を進めなければこの問題は解決しないであろう、こういうふうに私は考えるわけでございますけれども、このことについて、特段何か御意見、御要望等ありますならば、この際承っておきたいと存じます。
  20. 垣花恵昌

    参考人垣花恵昌君) 知花が御答弁申し上げてよろしゅうございますか。
  21. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 どなたでもけっこうです。
  22. 知花英夫

    参考人知花英夫君) では、ただいまの御質問に対しまして御答弁を申し上げたいと思うのでございます。  御質問にございましたように、私たちといたしましても、昭和三十八年の十月十五日に、第二次選挙制度審議会におきまして満場一致で答申をなされました問題については、これを拝見いたしておる次第でございます。いま御質問にございましたように、そのように拝見いたしております。それで、いま御質問がございましたように、日本施政権の分離という関係から、日本公職選挙法の適用といったような問題について、なるほどむずかしい点もあろうかということはよくわかっておる次第でございます。ただ、私たちが今度派遣いたされました点につきましては、お手元におあげいたしておりますような原則的な問題について、われわれはただいま委任をされてまいっておるわけであります。ところが、この問題がいよいよ国会におきましてお取り上げをいただき、審議されます段階におきましては、われわれ立法院におきましても、同時にこれを検討いたしまして、可能な限り、いろいろとお話し合いをしていきたいという考え方を持っておる次第でございます。考えますと、いろいろあろうかと思うのでございますが、たいへん失礼でございますけれども、今日はそれだけの委任を受けておりませんので、この程度でひとつ許していただきたいと思うのでございます。
  23. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 次にお伺いしたいのは、先ほど御意見、御要望がございました国会沖繩問題対策特別委員会設置することについて、この問題について御意見の御開陳があったわけですが、この問題については、私ども社会党といたしましては、昨年十月、党の中央執行委員会においてこのことを要求することをすでに決定済みでございますので、いまさら特段申し上げることはございませんで、あくまでこの基本線に沿うて早期実現のために努力いたしたい、こういうふうに私どもとしては考えておるわけです。  次にお伺いいたしたいのは、米軍との関係についていささかお伺いしておきたいと思うのです。米軍との関係においてはいろいろ問題があろうかと思うのです。特に米軍とのトラブルについては、一体現状はどうなっておるか。過去においては相当トラブルも多かったようですが、最近それほどでもないとは聞いておりますけれども、現状は一体どうなのか、このことを簡単にお答えいただきたいと思います。どなたでもけっこうです。
  24. 岸本利実

    参考人岸本利実君) 米軍と沖繩県民との折り合い、つまりトラブルが過去においてあったと聞くが現在はどうかという御趣旨と承って、その向きでお答え申し上げたいと思います。  アメリカ統治が長くなりまして、特にアメリカ施政権者の配置につきましては、直接統治を前面に出してくる高等弁務官とあるいは柔軟政策でいく高等弁務官が一期ずつ入れかわったような感じがございまして、前期のキャラウェーのときには非常に直接統治があらわな形で、立法院で決定した法案を七つも八つもあるいは十も拒否するということが行なわれたわけでございますが、今回のワトソン弁務官施政の方向は柔軟政策をとっておろうかと、こういうふうに理解しておるわけでございますが、しかし、いずれにいたしましても、アメリカ統治の基本線を流れているものは、沖繩の軍事基地をいかに効果的に、無制約に使っていくか、維持していくかというのが流れている、こういうふうに私たちは理解しております。そのいい例が主席選任の問題でございまして、沖繩県民が自分たちの手で主席を選びたい、こちらの知事選挙と同じことをやりたいという希望を持っているにかかわらず、やはり軍事基地の維持との関連で立法院選挙しろということで行政命令を改正してやってまいっております。それにつきまして現地でいま考え方の違いで非常に苦労いたしておるわけでございまして、ワトソン施政必ずしもアメリカ統治の根本的な変更ではないと私たちは思っております。あらわなトラブルというものは次第に少なくなってきてはおりますが、ただ民間におきますベトナム戦争の関連での治安につきましては必ずしもよくなっていない、かように私たちは思っております。
  25. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 次にお伺いしておきたいのは、立法院の議決された法案について、高等弁務官がいわゆる拒否権を発動された例がいままでにおありかどうか。もしおありといたしますならば、その具体例についてお聞かせいただきたい。
  26. 知花英夫

    参考人知花英夫君) 知花参考人が御答弁をいたしたいと思います。  ただいまの御質問に対しましては、先に岸本参考人からも述べましたように、キャラウェー時代におきましては相当数の立法案が拒否されたわけでございます。立法案だけでもありませんで、去年、一九六五年度予算に対する書簡による変更がなされておるということもあるわけでございます。なおまた、予算の執行にあたりましても、立法院予算を成立させましてそして主席がそれに署名いたしておりまするけれども、執行にあたりましては、歳入と見合わせて歳出をさせようといったところの干渉などが行なわれておるような状況でございます。
  27. 岸本利実

    参考人岸本利実君) 補足いたしまして説明をいたしたいと思います。  過去におきまして教育基本法が立法される段階で日本国民としての教育という文句が入ったために三、四回拒否に会いまして流れたケースがございます。これは努力によりまして今日では日本国民としての教育という文句が入って立法化されております。  それから労働関係の三法につきましても、三、四回拒否に会いましたけれども、これも努力によってようやく本土の労働三法の内容とほとんど同一内容を持つ労働関係法律が施行されております。  さらに、現高等弁務官になって、立法府の拒否権は少ないとは申すものの、これは立法する立法院に行政当局から参考案が送られてくる前に、行政府と高等弁務官府との間で調整するわけでございます。この調整の段階である程度もうすでに規制が入ってくる。実例を申し上げますと、私の文教社会委員会で学校安全会法の立法を昨夏議会でやったわけでございますが、そのときに琉球学校安全会法という勧告案が参りましたものにつきまして、なぜこれを沖繩学校安全会法にしないかということを私のほうから問いただしましたところ、これはUS側のつまり高等弁務官府の意見であるという答弁でございました。これを押し切りましてわれわれの委員会沖繩学校安全会法といたしまして立法したところが、難なく押し切ることができたという例がございます。  さらに現時点で、いま問題になっておりますのは、物品税法でございます。物品税法はこれは立法院で可決いたしました物品税法がございますけれども、やはり高等弁務官府の物品税に対する考えが先行いたしまして、嗜好品に対して、高級品に対して税を安くする。これは軍人、軍属、外国人が高級品を安く手に入れるという観光政策とも結びつけて向こうは説明いたしますけれども、それで布令の形で存続いたしまして、さらにその布令が立法に優先する形をとっております。これにつきまして、去年与党のほうからの改正案を立法院で可法いたしました。ところが、依然として未執行のままに布令が存続されて実施中でございます。こういう事例がございます。
  28. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 次にお伺いしたいのは、先ほど一部御指摘がございましたが、沖繩の主席については、私どもといたしましても当然に公選すべきである、こういうたてまえを堅持し続けてきているわけです。そこでこのことについてはどのように現在お考えになっておるか、ちょっと要点だけをお聞かせいただきたい。
  29. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) ちょっと速記をとめて。    〔速記中止〕
  30. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 速記を起こして。
  31. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 それでは次にお伺いしたいのは、従来から本土から派遣されております教育指導委員についてですが、これはどのような成果をあげておられるか、あまりたいしたこともないのか、こういうことについて実情をこの際お聞かせいただきたい。
  32. 垣花恵昌

    参考人垣花恵昌君) 本土から派遣されます指導員につきましては、これまである地区によりましてたくさんの現場の教員を集めていろいろ講習あるいは実地の授業の指導をしてまいったようでございます。今日ではそういったような実地に授業をして参考に供するということではなしに、むしろある曜日におきまして近くの教育校の先生方を集めて、いろいろな教師の資質を向上させる意味の講習などが行なわれておるようでございますが、われわれ沖繩といたしましては、また沖繩の現場教員といたしましては、その指導員の派遣に非常に期待を持ち、また、むしろ大きな効果をあげているのじゃないかと、こう考えまして、今後も継続して派遣をしていただくように現場からも要請が文部省にあると思いますが、私たちも現場の力のある、また指導力の高い先生方が数多くおいでいただいて、そうしていろいろな面で交流することを希望するものでございます。
  33. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 次に、お伺いいたしたいのは、当然最終審であるべき上訴裁判所の判決について民政府はいつでも自由に破棄することができることになっておろうと思います。そこでお伺いしたいのは、その破棄された例が過去においてどのようになっておるのか、そういう例はあるのかないのか、また、あったとすればどのようなことか、それを簡単にお聞かせいただきたい。
  34. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  35. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 速記を起こして。
  36. 岸本利実

    参考人岸本利実君) ただいまの上訴裁判での結果が高等弁務官に破棄された事例があるかどうかということでございますが、直接に上訴裁判所の判決に対する高等弁務官の拒否ということは、われわれ議員の四代表の記憶する限りにおいてはなかったと思っております。  ただ、沖繩の裁判制度は、純粋の軍事法廷、それから布令関係の審判を行なう米国民政府裁判、それから純然たる沖繩側の裁判所——琉球司法裁判所、この三つの制度がございまして、上訴裁判所で取り扱った事件についてもこれを最終的に判断してもらうために米国民政府の裁判所に移すということは可能でございまして、この一例がサンマ裁判と申しまして、サンマに課税するかどうかにつきまして、これも布令で、生鮮魚介に対する課税が規定されておった中で、税法のたてまえ上、これは課税すべき対象は列記主義であるということで、サンマということが書いていないから課税すべきでないという見解と、課税をすべきだという見解がありまして、行政府は課税をすべきであるという見解のもとに課税をいたしたのでございます。これにつきまして、訴訟が提起されまして、上訴裁判所でもこれは行政府側の敗訴に終わったわけでございますが、これを米民政府の裁判所で争うという動きが出ておるわけでございます。こういう形での介入と申しましょうか、そういうものがございますけれども、弁務官が直接に破棄するという手続はいままでにとられた例は記憶にございません。
  37. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 次には、社会保障の中で、特に医療保障、生活保障についての実情は現在どうか、こういう問題についてお伺いしたいと思うのですが、簡潔にひとつお答え願いたい。
  38. 知花英夫

    参考人知花英夫君) 御答弁申し上げます。先に浜端参考人から沖繩の社会保障は皆無にひとしいということを申し述べたのでございますが、沖繩の社会保障におきましては、生活保護の制度が前から行なわれておるわけでございまするけれども、ところが、その生活保護に対しましても、その保護基準額が沖繩におきまして一律になっておりまして、二十五ドルでございまして、本土における四級地、たしか三十ドルあまりであったと思うのでございますけれども、それよりもはるかに下回っておるという状況でございます。そして沖繩のその保護率が本土ではたしか一七ほどになっておったかと思うのでございますけれども、沖繩におきましてはそれが三〇——一〇〇〇に対して三〇というような状況になっておるわけでございます。そうして沖繩では確かに生活保護法が施行されまして、それと、本土においてそれが抜本的に改正されて、施行されたのは確かにズレが三カ年ほどあったかと思うのでございます。その間におきまして、本土では二十一回か二十二回改正されたものと拝見いたしておりますが、沖繩におきましてはわずかに五回しか改正されていない。今度改正されるように聞いておるわけでございます。そのようになっておるのでございます。  どこにそういった原因があるかと申しますと、この生活保護は、憲法第二十五条によりましてこれが行なわれているものだと考えている次第でございますが、そのために確かにその生活保護費なるものが八〇%が国庫の負担によって行なわれているものだと拝見いたしております。ところが、沖繩におきましては、施政権者であるところアメリカから、そうして日本政府からも、実は一昨年までそれが全然補助がなされておらなかったような状況でございます。昨年から、本土政府におきまして、二〇%の国庫支出がなされておるような状況でございます。こういったような点からいたしまして、やはり財政不如意の点から、このような非常に低い、憲法二十五条に沿わないような生活保護が行なわれているような状況でございます。  それから医療保険でございますが、医療保険は、われわれ立法院におきましても、十年以前からこれを検討し叫び続けてまいったのでございますが、これまた相互扶助のたてまえに立っておりましても、わずかに九十六万によるところの相互の扶助であり、さっき以来申しますように、非常に貧困の中にある、しかも、大企業とかそういうものを持たないところの地域におきましてのこの相互扶助なるものがとうていりっぱな法律ができるはずはないのでございます。もちろん、この点につきましても、やはり施政権者のほうからも何ら補助がなされておらないという状況でございます。それでございましたが、去年ようやく医療保険なるものを立法いたした次第でございます。そうして、今度七月からこれが実施ということになっております。ところが、この医療保険はさっき御説明があったのでございますけれども、五人以上の被用者保険になっておりまして、そうして最も社会保障を必要とする面におるいわゆる貧困者、農民、そういった者がこの恩典に浴さないといったような状況に置かれておりまして、これが国民皆保険の要望が強くなされているような状況でございます。
  39. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 次にお伺いいたしますのは、市町村、これは私が申すまでもなく、住民生活に密着した行政事務を扱う自治体である、それがたてまえであると思うのでありますが、聞くところによりますと、沖繩では、たとえば環境衛生とか、教育関係事務はこの市町村で所掌をしていないというふうに聞くわけですが、他の事務についてはどうなっておるか、この実情をお聞かせいただきたい。
  40. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 速記とめて。    〔速記中止〕
  41. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) 速記を起こして。
  42. 知花英夫

    参考人知花英夫君) 知花参考人から御答弁申し上げます。ただいま御指摘がございましたように、沖繩におきましては教育事務が市町村の法人と別にありまして、いわゆる教育委員会という一つの法人ができているわけでございます。そして一つの村におきまして二つの法人があるというような状況になっております。それで教育の問題につきましては、御説明がございましたように、やはり教育委員会で取り扱っております。それから環境衛生の問題につきましては、政府のいわゆる公衆衛生課のほうでその所掌からそういったところの環境衛生の、薬品の散布等がなされているわけでございます。それからその他の一般的な市町村事務に対しましてはやはり市町村で取り扱っているような状況でございます。
  43. 垣花恵昌

    参考人垣花恵昌君) ただいまの御質問でございますが、市町村には教育委員会というものがございまして、本土では県を単位にしてありますが、沖繩では市町村を単位にして教育区というのがございます。昨年までは教育税というのがありまして、その教育税を各教育区が徴収いたしまして、それでもって教育をやってまいりました。昨年、法が改正されまして、市町村税と教育税を一本化しよう、こういうことで教育委員会法の一部が改正されまして、まあ今度の四月からこの改正に従いまして、教育税が廃止されて市町村税と一本化して運営することになっております。
  44. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 次にお伺いいたしますのは、米国以外の海外に渡航する場合は非常に不便を感じておる、従来からそうであったと思うのですが、現状は一体どうなっておるのか、逐次解決の方向に、明るい方向に向かっておるのかどうか、依然として非常に不便を感じておるのか、こういうことについて実情をお聞かせいただきたい。
  45. 岸本利実

    参考人岸本利実君) ただいまの質問は外国移民——渡航でございますか。——海外渡航につきましては本土旅行と同じように不便がございまして、現地でパスポートを発行する分につきましては琉球住民としてという文句がございます。これが諸外国に渡りまして、国際的に通用しないということで、立法院議員を現在やっておられる方でも障害を経験された方がたくさんおられます。やはり日本政府という国籍の表示がなければ、諸外国でもそれを簡単には受け入れないという障害がございまして、われわれ現地におきましても外国渡航について沖繩で発行するパスポートについても何とか沖繩でも日本国籍を表示させるように、南連あたりでこれを取り扱うわけにいかぬもんか、そういうような趣旨で、去年立法院で正確な国籍表示と国旗掲揚の自由を要求する決議全会一致いたしまして、衆参両院に送っておりますが、依然としてこういう障害はあるわけでございます。
  46. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 時間の関係もございますから、最後に一点だけお伺いしておきたいと思いますが、電力とかあるいは水道あるいは銀行ですね。こういう産業とか国民生活に密着した重要なこれらの関係の事業についての管理権とか、あるいは監督権、こういうものは一体どのようになっておるか、状況をひとつお聞かせいただきたい。
  47. 岸本利実

    参考人岸本利実君) これにつきましては公社制度をとっておりまして、布令、布告で、公社の設立についてという布令一つの公社——政府と民間との中間みたいな性格のものでございますけれども、管理権、報告権、そういったものを高等弁務官に報告するようにと、そういうことで規制が行なわれております。     —————————————
  48. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) この際、委員の異動につきまして御報告いたします。  柏原ヤス君が辞任せられ、その補欠として鬼木勝利君が選任せられました。     —————————————
  49. 鬼木勝利

    鬼木勝利君 本日はまことに御多用中のところを御来院いただきまして、沖繩同胞九十六万を代表されましての御要請を承りまして、その言々句々まことに切々たるものを私は覚えるものでありまして、感激をいたしておるものであります。微力でございますけれども、十分沖繩返還のために努力いたしまして、一日もその実現の早からんことを御同様お祈りいたすものであります。  時間がございませんので、私ほんの一、二具体的な点についてちょっとお尋ねいたしたいと思います。大部分は伊藤委員の質問でつぶさに私理解いたすことができました。まことに幸いに存じておりますが、先ほど岸本議員さんでございましたか、御説明があっておりましたが、黙認耕作地の一部を——まあ一部か全部かわかりませんが、ベトナム戦争のために軍事物資の集積所にこれを使っておると、であるからそのために耕作をしておったところ住民方々生活権を脅かされておる、これは私ゆゆしい問題であって、いやしくも住民生活を脅かすということは、これは私はたいへんな問題だと思うのです。その点につきまして、その被害をこうむられた方の世帯数でもおわかりになりますれば、あるいはまた、その後それに対してどういうふうな処置をおとりいただいておるか、また、琉球政府立法院とのお話し合いの上で、まあ言いますれば前交渉でもあったのか、あるいは一方的にそういうことをされたのか。こういうことに対して日本政府は何も言わないということは不都合だと、まことにごもっともだと思いまするが、その後の処置を、そういう気の毒な方々に対してどういうふうに処置をなさっておるのか。また、その経過につきまして簡潔にお答えを願いたいと思うのです。  それから第二点は、国県有地が、一万二千……、そこのところ私はなはだなんでしたが、二千何ぼでしたか、その点と、それからそれが全部軍事基地になったのか、どの程度軍事基地になっておるのか、そういう点も、よく交渉があって、皆さま方も御承知の上、まあ御承知なさるわけもないと思いますけれども、やむを得ず、結果的にそういうふうになったのか、一方的に有無を言わせず軍事基地をつくって住民を困らしているのか。まあこれは私は民生の安定ということが最も大事だと思いますので、これは内地におきましてもそうでございますが、軍事基地ということになりますと地元民の方々の反対が非常に多いのでありまして、これは容易なことではないのであります。内地にもその例はたくさんあるのでありますが、おたくの模様はどういうふうにいまなっているのか、現状について簡潔に、簡単でようございますので承りたいと思うのであります。  それから第三点は、選挙の場合に、当選された方々に対して干渉があった、まあこれは一種の選挙干渉だと私は思いますが、まさにお説のとおり、これは民主主義の破壊であると思います。アメリカ自体が民主主義を標傍しておりながら、みずから民主主義を破壊するものである、まことに同感でございますが、この三点につきまして、われわれ同胞が日常これは生活を脅かされ、われわれの基本的人権を侵されるという、これは大事な問題だと思いますので、具体的なことでこの三点だけ簡潔に御答弁願いたいと思います。
  50. 岸本利実

    参考人岸本利実君) この黙認耕作地の件でございますが、それにつきましては知花代表が、自分の選挙区に起こっていることでございますから、先生から御説明いただくことにいたしまして、現在やってきている新規接収の分について簡単にその手続なりを御説明いたしたいと存じます。  具志川村の昆布という部落に、二万一千坪の新規接収が村当局を通じて地主のほうに言い渡されてきております。これは七月になったら、こちらはもうすでに収用されたものとみなすから、それまでに農作物を撤去せよという趣旨の一方的な宣言になっております。これは地元のほうで非常に反対が強くなってまいりまして、民主団体を含めてそういうことをさせない。特にこの新規接収を許す場合にはその内側にいまつくられてある部落の撤去も考えられる。で、この新規接収の地域は明らかに港湾に近いところで、物資集積所になるという見通しの地域でございます。後ほど黙認耕作のその持ち主の現状その他につきまして、知花代表のほうから説明いただきたいと思います。  それから国県有地についてでございますが、国県有地は一億二千万余坪ございますが、これは終戦直後から一方的に米民政府が管理している土地でございまして、院でも再三その法的な根拠につきまして質疑がかわされておりますけれども、琉球政府の段階では明らかにされていない事項でございます。高等弁務官府に照会いたしましても明らかにされませんで、施政権との関連でわれわれが預かっているのだという趣旨の抽象的な回答しかいただいておりません。さらにその一億二千万余坪の土地の使用目的につきましては、使用の現状につきましては、北部の山林地域あるいは八重山にある国県有地の山林が主としてゲリラ戦の演習地域に使われている。そのほかに、民間の住民に貸し付けて借地料を取って、その借地料の管理も米民政府が行なっておるところもたくさんございます。また、一部琉球政府に施設をただでつくらしている地域もございます。だけれども、一番問題になるのは、北部の山林地域は、これは山林で生活を立てていく住民の多い地域でありまして、その辺に非常に大きな生活権との関連が出てくるわけでございますけれども、こういう国県有地を院としては琉球政府の側に管理を移管してもらいたい、そのことによって適正の、現在の地価で貸しつければ、現在よりも八十五万ドルよけいに収入が入るのだということを主張してまいっておりますけれども、これは実現を見ていないわけでございます。
  51. 知花英夫

    参考人知花英夫君) では、黙認耕作の状況につきまして、私のほうから御答弁をいたしたいと思います。  沖繩の借賃——米国が沖繩から土地を借賃するときの安定法によりますと、有期限で借るという方法と無期限で借るという方法と二つがあるわけでございます。有期限で借るというものは、いま軍としてはつとめてこれを開放しようという考え方にあるやに聞いております。無期限借賃、貸借につきまして直接軍がまだ施設をしない、あるいは使わないというような場所に対しましては、法による借賃を支払いながら住民に耕作をさしておるのが黙認耕作でございます。  それで、この黙認耕作というものは、借賃を払っておりますので、軍といたしましてはその必要なときにはいつでも使う、そしてそのときには地上作物に対しても補償しないといったようなひとつの了解事項があるわけなんです。そういったような状況にあるのが黙認耕作の性質であります。私の選挙区にあるその黙認耕作地が、いままで黙認されて耕作をしておりましたところが、二月の一日を期限としてそこを使用するから作物を撤去せよという軍からの指示が村長にきたわけでございます。それで、村長といたしましては、その該当部落に参りまして、区長外地主を集めまして、その旨をお伝えした。ところが、その部落は、嘉手納飛行場にほとんど土地が接収され、現在黙認耕作をしておるのは読谷飛行場でございます。日本軍のときに北飛行場と言われたところでございます。一部は中飛行場、一部は北飛行場、この両方に土地が接収されまして、そしてほんとうの土地がないというまことに気の毒な部落でございます。それでも、いま黙認耕作をやっておりましたが、黙認耕作の撤去ということになりまして、これに対しまして直接被害を受けるのが十六戸ほどあるわけでございます。それで、あまりな気の毒な状況でございますので、もちろん村長、そして私も一緒になりまして民政府の係官、なお、ディストリクト・エンジニア、いわゆる極東工兵隊と申しますか、そういった、土地を、軍用地を直接掌握いたしておる工兵隊がございます、そこに参りまして、いろいろと話し合いをし、できればその土地を少なく使用してくれというような相談をいたしました。初めの予定から、その半分ほどは許してくれております。さらにその残りの部分に対しまして折衝を重ねてまいっておりますが、なかなか許されないという状況でございます。ただし、サトウキビなどをつくっておりまして、急に撤去を言われましてもその処理が困るということでいろいろ話しましたら、サトウキビの撤去については、日限を延ばして、完全に撤去をしておるような状況でございます。  まあ大体黙認耕作、いま私のところにおいて起こっておる黙認耕作の問題につきましては、現在、そのような経過をたどっておるような状況でございます。  それから選挙によるところの失格の問題について、私のほうから御答弁を申し上げたいと思うのでございます。  去る第七回立法院議員選挙にあたりまして、四名の候補者が、その被選挙権の失格を中央選挙管理委員会によりまして、宣告いたされておるわけでございます。その一人が友利隆彪候補でございます。この人は、その失格宣言の理由といたしましては、前に立法院議員選挙の際に、立法院議員選挙法第百八十二条、選挙の投票の自由妨害というような件で、罰金五十ドルに処せられておるわけでございます。ところが、この人は宮古の城辺町の町長でございます。それで、この問題が、当時の選挙違反の問題が宮古巡回裁判所において処理されておりますが、そのときには罰金五十ドルを処せられておりますが、公民権の剥奪ということはしないというような判決になっておるわけでございます。この候補が相手候補を四百票余りもリードいたしまして最高当選をいたしておるのでございますが、この人が失格宣言をさせられているような状況でございます。この人は選挙当選無効の訴訟をいたしまして、さきに御説明がありましたように、第一審におきまして勝訴いたしておるような状況でございます。ところが、選挙管理委員会はこれを上訴しているというような現状でございます。  次に、いま一人の方は、瀬長亀次郎候補でございます。この人は、一九五四年の十月二十一日に米民政府布令の第十二号琉球列島出入国管理令三十条違反で、当時、米民政府から在留許可の取り消し通告を受けた者に対する不法在留罪として幇助及び教唆あるいは米軍政府布令の第一号、集成刑法、二・二、十八条の偽証罪あるいは同布令の二・二、三十一条違反の偽証教唆罪などで懲役二カ年に処せられた人でありまするが、これが集成刑法によりまして重罪に処せられたというかどで、被選挙権を剥奪されているような状況でございます。  次に、又吉一郎候補でございます。この人も瀬長亀次郎候補と同様な条件によって被選挙権が剥奪されたような状況でございます。  次に、大宜昧朝徳候補でございますが、この方は一九四六年の四月二十五日、と申しますると、戦争終結、終戦直後でございます。まだあのときには戦時刑法がしかれているときでございまして、戦時刑法の二条三十二項の違反、と申しますと、米軍政府当局のもとに行動する者のごとく偽る罪というもので、懲役一カ年に処せられた事実があるのでございます。ところが、非常に珍しいことには、この人はこれまでに何回も立候補したのです。何回も立候補したところが、前に立候補したときには全然こういうようなことは起きておらない。ところが今度初めてやられた。だから、このような状況がいま選挙の失格の問題になっておりますが、この点につきましては、非常な疑惑を持たれているわけでございます。前にやらなかったものを、なぜ今度やらなければならなかったか。しかも、終戦直後におけるところの戦時刑法だ。それからもう一つは、前町長であり、公職についておる、そういったようなときにはやらないで、なぜ今度やるのかといったような大きな疑惑が持たれているような状況でございます。
  52. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) よろしゅうございますか。
  53. 鬼木勝利

    鬼木勝利君 どうもありがとうございました。
  54. 熊谷太三郎

    委員長熊谷太三郎君) それでは沖繩問題に関する件につきまして、参考人からの意見聴取につきましては、この程度にいたします。  参考人各位には非常に御多忙中にもかかわらず、長時間にわたりまして御意見をお述べいただき、なおかつ、質疑に対する御答弁等をいただきまして、まことに御苦労さまでございました。お述べいただきました御意見は、今後、委員会の審査にきわめて有益な参考になることと存じます。ここに御礼を申し上げます。(拍手)  それでは、本日はこれをもって散会いたします。    午後三時三十九分散会