○国務大臣(
瀬戸山三男君)
土地の問題あるいは
地価の問題を考えます場合に、私ども提案いたしておりますそれと一連の関連があります。あるいはこれの前提になっている
土地収用法の
改正、この基本的な考え方はどこにあるかといいますと、できるだけ簡略に恐縮でありますが申し上げますが、いま成瀬さんの
お話のとおりな思想に基づいていると御理解願いたい。といいますのは、これはなかなかいまの日本の現状というものを前提にいたしますと、必ずしも簡単に国民一般の皆さんが理解されるとは思いませんけれども、しかし、いま
お話しのように物価の問題あるいは生活の問題、これを深刻に掘り下げてみますと、私どもはこの際
土地というものと人間の
関係というものをもう一度振り返って深刻に考える
段階に来ている。特に日本の場合は、まあこれは日本ばかりでなく、どこでもそうでありますけれども、今日物価の問題その他言われておりまして、いわゆる
地価の上昇のために国民全般が何となく割り切れないものを持っている。しかも、経済の問題が非常に論議されておりますが、その根底を洗ってみますと、コストの底上げがおおむね
地価の問題にかかってくる。国民生活——私ども
住宅政策をいろいろ御批判を受けながらも強力に進めたいといたしておりますが、この問題の根底もやはり
土地と
地価の問題にかかってくる。こまかく申し上げる必要はないと思いますけれども、そういう次第でありまして、そこで
土地と人間との
関係をもう少し深刻に考えなければならない。特に日本の場合においてさようである。諸外国のことはこの際申し上げませんが。
そういう意味において、いまおっしゃったように、憲法は御
承知のように私有財産権を認めております。私どももそれを認めておるわけでございます。いろいろ御
意見がありますけれども、これが正しいという立場に立っております。その際、いわゆる私有財産権、物に対する私有財産権を考えます場合に、
土地の私有財産権とその他の私有財産権と同じようなレベルで評価し、同じようなレベルで考えるということは根本的に誤りがある。こういう基礎的な考えであります。といいますのは、いまコップの例あるいは万年筆の例をあげられましたが、
土地はもう、申し上げるまでもなく、これは別につくりあげることもできない、移動することもできません。しかも、この
土地を離れて人間はあらゆる活動をすることができない。この
土地の上に政治も経済も文化も、すべての人間の諸活動というものは
土地の上に限られておる。というと、今日やや疑問があるかもしれませんけれども、私は限られておると言っても過言でないと思っております。しかも、これはもう限られておる。いま
お話しのように、
土地を得られないからほかに生活の基盤ができるというしろものとは違います。なお、コップの例で、このコップは自分には手に入らないからということになりますと、ほかのコップ、あるいはコップがなければ茶わんでもよろしい、非常な妙な例を出しますけれども、そういうことができますけれども、
土地はそうはまいらない。こういう意味において、
土地は人間の諸活動の源泉として、この活動の母体として利用すべきものである、私どもそういう考え方に立っておるわけでございます。
そこで、他の選択のできる財物の使用、利用と、人間のかってに選択のできない
土地との扱いというものは、やはり憲法なり私有財産権においても、これは
社会公共性と申しますか、日本民族のためには角度を変えた考え方で対処すべきである、こういう考え方が私ども正しいものである。ここまで深刻に考えまして、その
土地というもので、これを切り売りして
利益の財源になる、こういう考え方は間違いだ。
農地の
お話がありましたが、いわゆる
農地改革、これはきわめてけっこうな
措置であったと思います。これは農業生産によって生産力をあげる、それによって農業を営むための
土地であるということで、私は農業改革、
農地改革があった。その配分された
農地によって、それを切り売りして
利益を得るために配分されたものでないと私ども確信して疑いません。
ところが、率直に申し上げて、
土地所有権の考え方が必ずしも明確じゃなかった。それに対する
取り扱いが必ずしもわが国において明確でなかった。それが今日の混乱を来たしておる。この問題の解決はそう簡単なものじゃありませんけれども、この際、私どもはやはり
土地と人間というもののきわめて密接な
関係、この解明に当たるべきであろう、そうしなければ諸問題の基本的な解決はなかなか進まない、こういう考え方に立っておるということを申し上げておきたいと思います。