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衆議院議員(山田耻目君) ただいま
議題となりました
原子爆弾被爆者の
医療等に関する
法律の一部を
改正する
法律案につきまして、日本社会党を代表いたしまして、
提案理由の御説明を申し上げます。なお、私も生き残っている被爆者、ケロイドを有する一人でございますが、
委員の皆さんの絶大な協力をお願いをいたしたいと思います。
昭和二十年八月六日午前八時十五分、人類史上最初の原爆投下は、一瞬にして広島、長崎三十数万の人たちの生命を奪い、両市を焦土と化したのであります。幸いにして一命を取りとめた人たちも、この世のものとも思われない焦熱地獄を身をもって体験し、原爆の被爆という、一生ぬぐい去ることのできない宿命を背負わされ、あるいは原爆熱線による痛ましい傷痕のゆえに結婚もできないという悲歎にくれ、あるいは放射能の影響による造血機能
障害、原爆後遺症に悩まされるなど、病苦、貧困、孤独の苦痛にあえぎながら、だれに訴えるすべもなく、ただ、黙って歯を食いしばり今日まで生きてまいったのであります。そして二十年、きのうは一人、きょうも一人と、くしの歯の落ちこぼれていきますように生命のともしびが吹き消されていく中で、白血病、貧血症等の発病の不安、生命の不安と焦燥におののきながらも働かなければ生きていけないというのが、原爆被爆者の今日の実態でございます。
この悲惨な現実をもたらした原因が、原爆の被爆に基づくものであることにかんがみ、
昭和三十二年、主として原爆症の医療について、現行の
原子爆弾被爆者の
医療等に関する
法律が
制定され、その後、三十五年の一部
改正以来、四回にわたり、
委員並びに
政府の御協力によりまして、対象
範囲の
拡大、医療手当の所得制限緩和と増額もはかられてまいりました。しかしながら、今日なお原爆を受けた被爆者の肉体的、精神的
障害をぬぐい去ることができないのであります。特に最近の異常なまでの消費物価の上昇のもとでその生活の苦しみを訴える声も、日ましに高まっているのであります。したがいまして、これら被爆者の置かれている心身上、生活上の不安を除去するために、被爆者に対する
措置も、その健康面及び精神面の特殊な状態に適応させ、かつ、生活の
援護をはかるべく、一そうの
拡充がはかられるべきであると考えるのでございます。
次に、
法律案の内容の概要を御説明申し上げます。
第一は、
援護手当の
支給であります。認定被爆者はもとより、
特別被爆者のうち、それに近い、いわゆるボーダーライン層も含めて、 これらの人々が被爆によって生じた身体
障害のために労働力が減退し、それにより収入が減少した場合、政令の定めるところによりまして最高月額五万円までの
援護手当を
支給することにいたしたのであります。該当数を申し上げてみますと、認定被爆者四千二百二十、
特別被爆者のうち、ボーダーラインに近い人々、認定被爆者に近い人々が二十万人中の約一割の二万人程度と推定されます。したがいまして、合計二万四千二百二十人がこの手当の該当者と推算をいたしました。
第二は、
障害年金の
支給であります。被爆に起因した身体
障害のある被爆者に対し、それが外的、内的
障害たるを問わず、年額十二万円を限度とする
障害年金を
支給することにいたしたのであります。なお、この
障害年金は、国民年金の無拠出年金を除き、他の増加恩給その他
障害年金に相当する
給付とは併給することができないものといたしております。該当者数を申し上げてみますと、
全国民対比の身体
障害者受給人口は〇・三%、三十万八千人でございます。原爆被害者総人員が二十七万三千人、今日生き残っておりますので、この
障害者受給人口対比のパーセンテージを掛けて一応の参考にいたしました概数は九百名でございます。
第三は、医療手当の月額の引き上げと所得制限の撤廃であります。医療手当は、
昭和三十五年の
改正によって新らたに加えられたものでありまして、現在は、認定被爆者が医療の
給付を受けている期間中、毎月三千円を限度として
支給することになっておりますが、この月額を、さきに申し上げました
援護手当の額と勘案いたしまして五千円に引き上げるとともに、医療手当にかかる所得制限を撤廃することにより、これら被爆者が、安んじて医療を受けることができることといたしたのであります。該当者数六百五十一人、年間七千八百十二件になっております。
第四は、認定被爆者はもとより、それに近い
特別被爆者が、健康診断または医療を受けるために、日本国有鉄道の鉄道、自動車または連絡船に乗車または乗船する場合には、政令により、
身体障害者福祉法に基づく運賃割引を行なうことにいたしたのであります。これによって、被爆者が容易に健康診断を受け、遅滞なく適切な医療を受けることができるようにしたものであります。該当者総数二万四千二百二十人と推計をいたしました。
第五は、被爆者が死亡した場合に、その葬祭を行なう者に対し、葬祭料として三万円を限度として
支給することであります。なお、この葬祭料は、本法が施行されました
昭和三十二年四月にまで遡及することができることとしたのであります。該当者数四百十五名でございます。
第六は、以上のような
措置を講ずることにより、いわゆる医療法から
援護法へ移行するものとし、
法律の題名を「
原子爆弾被爆者援護法」に改めたことであります。
以上のほか、
原子爆弾被爆者医療審議会の名称及び権限を改めるとともに、
委員の数を十名増員して三十名とし、また、都道府県が
設置する
原子爆弾被爆者相談所の費用の一部を国が補助することとし、さらに認定被爆者について所得税法上の
障害者控除が受けられるようにする等、被爆者の
援護に関して必要な
措置を講ずることといたしております。
また、特に沖繩に在住する約八十名の原爆被爆者が、今日まで専門医の診断を受ける機会も与えられず、何らの
援護も受けないまま放置されている現状にかんがみ、政令により本法を適用することとしたのであります。
原爆の被爆という悲惨な災害をこうむった被爆者の苦境を救済することは、人道上も決して放置することのできない問題であり、被爆後二十年を経過した今日、救済さるべき被爆者は、国による
援護の手が差し伸べられないままに、あるいは死亡し、あるいは老齢化し、平均年齢おおむね六十歳と推定されます。肉体的にも、精神的にも、はたまた物質的にも苦痛と困窮の度を深めているのであります。いまにして救済せざれば、悔いを千歳に残し、政治はそのかなえの軽重を問われると申しても決して過言ではありません。しかも、近時、いわゆる戦争犠牲者に対する救済の
措置は次々と講ぜられ、ただいま説明のございました恩給法の一部
改正、
戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部
改正、
戦傷病者の妻に対する
特別給付金支給法等、一段とその
拡充がはかられているのであります。したがいまして、被爆者に対する右のような
措置を講ずることは、むしろおそきに失したものであると確信する次第であります。
先般
全国の被爆者の代表数名が佐藤総理とともに会談をいたしました際に、佐藤総理も、
原子爆弾被爆者はこれ以上数はふえない、減るばかりである、何とかして被爆者の人々がこれ以上苦しんでくれないように、
政府としても責任ある
措置をしたいという答弁をしておる中にも見られますように、このように被爆者に対する
援護を一そう
拡充すべきであるという考え方は、
提案しております日本社会党並びに
提案者のみではございません。
昭和三十八年十二月七日の東京地方裁判所の判決
理由の中にも見ることができるのであります。同裁判所は「被爆者に対する救済策をとるべきことは多言を要せず、それは立法府である国会及び行
政府である内閣の職責であり、終戦後十数年を経て、高度の経済成長を遂げたわが国において、国家財政上これが不可能であるとは、とうてい考えられない。われわれは本訴訟を見るにつけ、政治の貧困をなげかずにはいられない」と述べております。被爆者救済について国の責任を指摘しているのであります。幸い
昭和三十九年四月には衆議院で、三月には参議院におきまして、原爆被爆者
援護強化に関する決議の可決をみており、本年八月には厚生省の原爆被爆者
実態調査の中間報告も行なわれるやに聞き及んでおるのでありまして、必ずや被爆者の
援護をはかろうとするこの
法律案の趣旨に皆さんの御賛同をたいだけるものと確信をいたしておる次第であります。なお、これに要する費用は平年度約七十四億二千六百万円の見込みであります。
以上がこの
法律案の
提案の
理由及び内容であります。何とぞ慎重御審議の上、すみやかに可決されますようにお願いを申し上げます。