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参考人(林敬三君) 私も着任してから、この問題について書類も極力読みました。また当時から残っておる人の事情も聞いたのであります。また実際に場所も見に行ってまいりました。いろいろと
昭和三十七年ごろには論議があったようでありますが、これは土地を買いますときに、申すまでもなくこちらの持っております
予算、ふところぐあいというものの都合もございます。それから他の候補地との優劣という問題もありますので、なかなかさっき
会計検査院からもお話がありましたように、ここは汚水の処理とか、雨水の処理とか、それからその他の問題で地ならしの問題とか、そういうことでは技術上ある
意味でむずかしいところという点がありますので、結局三十七年は取り上げなかったということのように存ぜられます。それが三十八年になりまして今度
予算もいろいろつきました。それから他の候補地との順番というようなこともだんだんと
考えていった結果、当時の当局が相談をいたしましてこれを取り上げるということになったと存ずるのであります。したがって、この監事
報告の書き方というものも、そこらのところ大阪支所から不適地という上申が明確になっていたと存じます。しかし、いろいろと論議があってむずかしいところだということで、結局支所でもお取り上げにならなかったし、本所にも話がなかったというような状態ということで、そのままさあ使えるようになるかどうかという
検討をその
あとしておった。それから
予算とほかの適地とのにらみ合わせということもあって、その間約一年近く経過したものと推察せられるのであります。
それからこの
あとは、いま御質問の中で明確に分析せられましたように、なぜいまなお工事に着手してないかということになりますと、これは一番の問題が、
一つは地方公共団体との
関係でございまして、非常にそれから急転直下といいますか、地方財政の状態が悪くなり、それから全面的に協力をいたしますという誓約書まで
出しておる地元の市が、今度はもう何にもできないし、一切負担はできないというような、むしろ公団に自分のところでやることまでやってくれなければというようなたいへん強い
態度になってにっちもさっちも、これはこの件より前の信太山の件というものがありまして、そこでまずつかえてしまって、それで事業の負担の話し合いがつかないで、これで時間が一番かかっております。で、かたがた大阪府の泉北丘陵開発
計画というのはどんどん進んでまいります。これには密接に公団も中の一員として入って
計画をともにするということになってきますと、このほうは——これもしかし大阪府の当初の
計画よりは、いろいろな事情で延びておるようでありますけれ
ども、具体化をしてまいりました。そして当初は隣り合わせにつくるというぐらいであったのが、現在においては、むしろもう大いに水道にしても、道路にしても、
あと水の処理にしても利用さしてもらうということによって、こっち側が負担の軽減をはかり得るような少しゆっくりしたほうが、非常にこちらは経済的にいくというような形に情勢の変化が来てまいっております。それから用地買収の点が
あとは引き受けたというのでありますが、いよいよになると、むずかしいところだけが残ってきておるわけでございまして、これがもう土地収用にかけなければ動かないんじゃないかというぐらいのきついところに、いま最後のところに来ておって、これも予想外に手間どるというようなことで今日に至ったわけでございます。で、いろいろとむずかしい点の多い場所であるということは、私、今日
あとから来たものとして振り返ってみても見られるのでありますが、しかし、泉北丘陵開発
計画というのは、あの方面の人口というものがどんどんとふえておる。今度の国勢
調査でも、一番大阪府ではあの方面においての人口増加が著しいというような状態でもございました。具体的にあそこ、数百万坪のところを大阪府でもいたします。それの一環としてそれと協力しまして、こちらがいたします場合には、相当の困難は今後あろうと思いますけれ
ども、克服してこれを死に金にはしないというように、むしろおくれたことは、まことに遺憾でございますけれ
ども、おくれたことが、ある
意味ではまた泉北丘陵の
関係とはぴしっと合うというような形に持っていきたい。また、地元の市との
関係も、この府のあっせんその他によって相当ないままで折衝続けてきておりますので、その
うち解決の緒につくのではないかという状態が見られますので、極力これを
調整をいたしまして、片や買収も進めてこれを生かして用いるように持ってまいりたい、かように
考えております次第でございます。