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羽生三七君 この
アジア開銀の
内容についての詳しい
質問は順次今後お尋ねいたしますが、きょうは、とりあえず低
開発国援助に対する基本的な
考え方、これを最初にお伺いをいたしたいと思います。
実は、前置きが長くなってはなはだ恐縮でありますが、先日
アメリカの人でロバート・L・ヘイルブロンナーという人の低
開発国援助に関する
論文、これは
高橋正雄教授の翻訳で出ているものでありますが、これを読んだのでありますが、これによると、たとえばその中にこういうことを言っております。「もしわれわれが
経済開発の問題を青白い
経済学のワク内だけで
考えるならば、われわれは思いちがいをしていることになる。偉大なる
上昇の
過程が動きだすのは徹底的な社会的および
政治的転形を通じてだけ可能である。そして、この
上昇の
エネルギーはそれ
自身でさらに社会的および
政治的変化を生みだしていくであろう。」と言って、さらに、この「
開発過程の深部には
革命の
可能性が潜んでいる
——それは、
産業革命のときに起こったような権力と富の
分配関係の漸進的な
変化という
意味での
革命ではなくて、
フランス革命や
ロシア革命のときのような根本的、急激な、そして、苦痛にみちた再
分配という
意味の
革命である。」、こういうことを先に述べて、そうして、低
開発国の今日の
現状を、たとえば住宅問題、あるいは
人口問題、食糧問題、道路問題、あるいは水道の問題、あるいは
技術の問題、
生産性の問題等々、あらゆる分野にわたっていろいろな
角度から論証をして、そうして一番最後のところに、この人は結局、「歯に衣を着せずにいえば、われわれは、
経済および
政治的体制のモデルとしての
民主主義的資本主義は、
西方世界の境界の彼方では」これは低
開発国のことを言うと思うのでありますが
——「少なくともわれわれの時代には、
——影響力を及ぼしそうもないということをハッキリ前提した上で
外交政策を立てるべきである。」、こう述べております。一言に言いますと、いままでの低
開発国援助は人道的なもの、あるいはその後
変化して
世界的な
規模でいろいろな
援助が行なわれるようになりましたが、それは多く
ひもつき、政治的な
意図によるものが非常に多い、しかるに、低
開発国自体は非常に大きな
革命的変革の
エネルギーを包蔵しながら新たなる
発展の
方向に向かっておる、しかも、その
方向が、
先進資本主義諸国の好むような現在のこの
民主主義的資本主義の
体制の中にはたしてこの低
開発諸国がとどまるかどうか非常に疑問である、しかし、それにもかかわらず、なおかつ、この低
開発国援助ということをやらなければならないし、そのやることが今日の
先進国といわれるものの任務ではないかという
意味のことを、これは非常に広範囲にわたって述べている本であります。
この人はもちろん
アメリカ人でありまして、また、
アメリカの
政策を批判したものでありますから、それを直ちにわれわれは最上のものとは
考えておりませんが、しかし、かなり示唆に富む
論文のように見受けました。そこで、そういう
角度から低
開発国問題を見る場合に、一体、
日本の
政府としてはどういう立場でこの低
開発国援助問題というものを見ておるのかという基本的な問題があります。それからもう一つは、この低
開発国とは一体何かという問題、その
基準というものは一体何か。
アジアで言うならば、これは全部がそうなのか、あるいはそうでない国があるとすれば、それはどれなのか、そういう問題もあると思います。また、これを
援助するとなると、
日本の
国内における低
開発地域が
幾らもあるのに、はたして
国民所得の一%を毎年
援助することが可能であるのかどうか、しかしまた、可能ならしめなければならないような
世界的な
要請もあるという、非常に
複雑多岐の問題を含んでおると思います。そういう
意味で、この
アジア開銀の
内容に入る前に、まず、
日本としてはこの低
開発国問題の
開発の意義をどういうふうに
考えておるのかという具体的な
認識の問題からひとつ
大臣から伺わせていただきます。