○
公述人(山家和子君)
交通事故をなくす会の代表としてということで今日伺いました山家でございます。
私は
日本母親大会の連絡会の仕事をしておるわけでございますが、
交通事故をなくす会と申しましても、これは交通関係の各労働組合、それから子供たち、夫たちの命を守るという願いを持って私たち婦人たちなどが集まりまして持っている連合体でございます。ここから母親の代表という形で出てきたわけでございます。
そこで、私たちといたしましては、いま専門家の三名の先生方が
公述人としてお話をされておるわけでございますけれども、池田内閣以来、さっきから何べんもお話が出ておりますけれども、全くどこでとまるのかわからないというような
物価高の中でもって、どうやったら
自分たちの家計のつじつまを合わしていったらいいのかということで困り切っている全国の主婦や母親の声をぜひ
国会の
方々にお聞きいただきたいという意味で申し上げたいというふうに思うわけでございます。
二月二十五日に総理府の統計局が四十年度の勤労者世帯家計調査というのを発表されましたので、もちろん、皆さま十分に御存じでいらっしゃると思いますけれども、一体どういう中でこの
国鉄の
値上げが行なわれるのかということについては、先ほどの
公述人がおっしゃいましたような
国民感情というものが当然ございますけれども、これは感情というようなものではないんだということをもう一ぺん明らかにして、その中で行なわれる
国鉄の
運賃の
値上げである、それはどういう作用を私たちの家計に及ぼしているのかという意味で、いまの統計局の数字と申しますか、あまりこまかく数字を申し上げる必要はないと思いますが、統計局の発表をここで引き合いに出したいというふうに思うわけでございます。
つまり、私たち
国民の所得は、特に勤労者階級の所得というものは、
物価高の中で、四十年度においては、はっきりとお役所の出された数字でさえ、実質減になっているということはたいへんなことではないかということです。これは名目
賃金と申しましょうか、手取り収入と申しましょうか、これは私たちのところに、つまり、おふくろさんのところへ幾らお金を渡されてくるかということになってくるんじゃないかと思うのですけれども、そこでは、前年に比べてはっきり減ってしまっている。なぜ減っているかと言えば、さっきから言っているように、
物価値上げ、一年間に七・六%上げた
物価値上げの中で、私たちの実
生活というものが切り下げられてしまっているという状況の中で出ている今日の
物価値上げであるということでございます。しかも、これは四十年の問題でございます。四十年度では、先ほどからも言われましたように、
公共料金の
値上げというものが行なわれなかったという状況がございます。その中で、なお
物価値上げが七・六%であって、その中で私たちはいままでよりも低い
水準の
生活をしなければならなくなってきている。ところが、ことしのお正月は一体どういうお正月であったろうか。私たちはお元日から、おしゃもじかついで歩くということにいかなかったわけでございますけれども、一月一日というのは米価
値上げの日でございます。これはたいへんな記念日だと思うのです。毎年元日に
値上げがやられるということになりますと、何かそれが年中行事になってしまって、
昭和四十二年においてもまたお元日に行なうのではないか。たいへん静かな
値上げが行なわれたと私は思っております。もし、ほかの日でございましたら、そうはいかなかったのではないかと思うのですけれども、そういうことでございます。そのあと、もうすでに私鉄
運賃の
値上げが行なわれました。それから、いまここで問題になっている
国鉄運賃の
値上げが、それから都議会の水道料の
値上げが、ありとあらゆる
公共料金の
値上げが行なわれるということは、これは必至であります。いままでとまっていたから、無理に押えに押えていたからここで出てくると言われますけれども、いままでとまっていた分が上がったので、ほかのものは上がらないというようなことは、これはどうも子供が考えても、そうはいかないと思います。そのことについてはあとで申し述べます。
一体、私たちの家計がどういうふうになっているかということについて、少し時間をいただいて具体的に申し上げたいと思います。昨日は雨の中でございましたが、
物価メーデーがございました。これはどうしてもじっとしていられない勤労者の人たちが、私たちの給料を上げてほしい、
物価を上げてもらっては困るということで、二月の
物価メーデーという妙な名前のメーデーでございますが、そういう行動をとったということであります。しかし、きょうはまた違う行事が行なわれております。この
国会に近い久保講堂で主婦の内職大会というものが、これは労働組合員の主婦たちが中心になって行なわれておりますが、これはきょう一日かかって、
自分たちの毎日やっている内職——給料が低いからどうしても食べていけない、とても給料の中から子供の教育費は出っこない、そういうところから、毎日の私たちの家計の補いをつけるために内職をやっているが、それがどれほどひどい搾取であるか、どれほどひどい保障されていない条件なのかということを、ぜひ私は皆さんに行って見てもらいたいと思いますが、内職の
賃金や何か表になって出ておりますが、それをやっているような、そういう人たちの家計簿でございます。
これは
東京というわけにもいきませんけれども、これは島根県の電産関係のある主婦の十一月の家計簿でございますが、主人が三十四歳、妻が三十二歳、子供が八歳と七歳ですから、小
学生二人でございます。そうすると、標準的な労働者の家計だろうと思います。そこでは、夫の給料が三万四千七百七十五円、時間外手当が五千九百四十一円、計四万七百十六円でございます。それから内職をしている奥さんのほうが、これが三千三百円でございますから、両方合わせまして四万四千十六円というふうなことになりますが、その中で、夫は外で働いているわけですから外食をする、その外食費が一カ月で千三百円でございます。主食のための費用が、これは
値上げになる以前の米代でございますけれども、主食費が四千五十八円、副食費が九千六百二十一円、一万円に足りない副食費でございます。それを全部合わせてみると、一万四千九百七十九円というのが、一カ月の外とうちと両方で食べる費用であります。総理府の統計の中にも出ておりますが、エンゲル係数がまた上がってきたということがございます。これはどういうことなんだろうか。一万四千九百七十九円という金額というものが、親子四人の一カ月の、うちも外も引っくるめた食べる分量というのは、これはたいへんなことであるということの中で、これはどんなものであろう、どんな種類のものであろう。特に国が責任を持ってきめていく
公共料金というものが上がるということは非常に困ったことだというふうに思わざるを得ないわけであります。
これは単なる感情だとか、いやだとかということではなくて、その次に一体どうなってくるのだろうかという問題を考えると、こわくてしようがないということなんです。だからこそ、ほんとうに忙しい内職をしているおかあさんたちというのは、一時間に幾らということになるわけでございますから、ほんとうにうちをあけるということ自体がたいへんなわけですけれども、その人たちが各県から出てきて、そして私たちの内職の保障をしてほしい、家内労働法を制定してほしい、あるいは、おとうちゃんたちの
賃金を上げてほしいということを、いま一生懸命、久保講堂で話し合っている。その人たちはこういう暮しをしているのだ。その中でこの
国鉄運賃の問題も
皆さま方にぜひお考えいただきたいというふうに思うわけなんでございます。
そういう中で引き続いて行なわれます
国鉄運賃の
値上げというのは、平均二五%というふうに伺っております。特に今度の
国鉄運賃の
値上げについては、先ほどからの
公述人の
方々が申されましたように、
貨物運賃という分もございますけれども、
旅客運賃というのがその中の大事な、
値上げ幅の大きい
部分ということになっておりますし、特に勤労者の——車に乗って通う人はいいんですけれども、勤労者の
運賃値上げ、定期の額というものが非常に高くなってくるということが、いま申し上げたような勤労者の
生活水準のいま
引き下げの行なわれている中での問題ということで、大きな問題になるのではなかろうかと私は考えるわけでございます。
で、
運賃の
値上げのしかた、その他について、もう御専門の
方々がそれぞれにお話しになったわけですし、運輸
委員会の
方々も皆さん御承知のことだと思いますので、しろうとの私がそうそうこまかくあげるということは必要ないかと思いますけれども、
特徴的な問題としてやはり考えられますことは、今度の
国鉄の第三次の
計画というものの中で、やはり非常に高級な列車というものがふえてくるという問題があると思います。そして普通
急行というのは減ってしまうのだということを伺っております。このことも一体だれが得をして、だれが損をするのか。どうしても何か
新幹線に乗らないと用が足りないようになってくるということがあるのじゃないだろうかということを、今度の第三次の
国鉄の
計画を見ましたときに、私はどうしても考えちゃうわけです。
で、大体こういうことになって、その上で、しかも遠距離の
運賃というものが非常に上がってくる。いままででございますと、ここのところは私もあまりこまかくきちんと申せないのですけれども、専門家に、もう御検討いただいておる分だと思いますけれども、遠距離の分だけが、
旅客のほうが損をするということがあるわけです。しかも、いま都市には非常に地方から出てきている人たちが多いわけです。そのことはついこの間も、暮れ、お正月の帰省の時期に、一体どれほどひどい
国鉄の雑踏があったか、ほんとうに汽車の座席をとるということはたいへんなことであったということからもわかると思いますけれども、そこら辺のところで、たとえば鹿児島から
東京へ出てきている人が、一年に一ぺんぐらいは帰りたいということで汽車に乗ろうとすれば、これは約一万円に近い往復の
料金を払わなければならないという条件が出てくるというのは、これはひどい話ではないだろうかということを私は思うのです。
で、その次に、毎日毎日私たちが使っている汽車、
電車ということでどうなんだろうか。今度の
国鉄運賃で一番ねらわれる——ねらわれると言っちゃ悪いかもしれないけれども、よけい上がるのは、やはり
通勤定期と、それからその次は
通学定期ということになっておるそうでございますけれども、
通勤定期、
通学定期というのは、やはりこれは倹約しましょうというわけにいかないわけでございます。そこのところはやはりほかの品物が上がるのとは違うのじゃないか、お米が上がるのとも違います。で、一日でも休むわけにいかないわけですから、上がったということになれば、それだけのお金というものはどうしても払わなければならない。いわば強制された金額ということになるわけだと思いますけれども、
通勤のほうの定期は、平均六八%、
通学定期は三二%という
値上げの数字も出てきておるわけでございます。これは距離により、いろいろな形でもって違ってくると思いますけれども、やはりこれはどうしても、さっき私の申し上げた非常に苦しい皆さんの家計費の中で、動かすことのできない値上がり分として、がっちり入ってしまうのだということがございます。しかも、さっきから、都市が非常に過密都市になってきている、人口は集中してきているという話がございまして、それに関連して、山手線、中央線と、あるいは
大阪関係のところ、そういう大都市のところでは、非常にたいへんな状況が、殺人的な
電車の状況があるというお話がございましたけれども、それとあわせていま地価が非常に上がっておりまして、家をつとめ口のそばに持つということは、だれにとってもたいへんなわけです。皆さまも御承知のように、ベッドタウンというのはどんどんどんどん遠くなってきております。埼玉県あるいは千葉県から通っている、
東京で申しますれば。
通勤者の数が非常に多い。そういう中で、決してこれは容易な問題ではないのです。で、大
企業のところで全部持つ手はないかというようなお話もございますけれども、決してそういうふうになっているところばかりではございませんし、また、公務員の場合にも、大体これはとまりがあるわけで、九百円以上というところで頭打ちにされております。この辺は今後どういうふうにお考えいただくのかわかりませんけれども、何しろ、町のまん中にはとてもわれわれは住めないわけでありますから、非常な交通地獄を長い時間かかって、何しろ、つとめ先に着いたころにはくたくたになってしまうわけです。しかも、その間に、さっき申されたような肋骨の一本ぐらい折れてしまうような、そういう状況を越えて通ってきているわけです。仕事をしているわけです。
運賃が上がるということは、これが一人一人によって違ってまいりますでしょうけれども、やはりこれは非常な問題ではないだろうかと私思うわけでございます。
それから
学生の場合におきましても、これも決して上げてもかまわないという問題ではないのではないかと思います。先ほど来、早稲田大学の紛争というのが、非常な大きな問題になっておりますけれども、これは学費の問題が一番集中的に大きな問題になってきたのが原因でございます。さっき内職の話をいたしましたけれども、内職をおかあさんたちがしなければならないということも、どうやって子供に教育を受けさせるかということが、毎日食べるための問題とあわせて大きな問題、将来の問題としてあるわけで、そこら辺にかかってきているわけですが、
通学定期というものは、やはり教育費の中の非常に大きな割合を占めているということがございます。で、先ほど、ベッドタウンが遠くになってきたということを申し上げましたけれども、今度、
学校はどうなのかということになりますと、
学校もたいへん遠いところにいってしまっておるということがございます。たとえば慶応大学が日吉にございますし、各大学をもっといなかに持っていけという話がしばしば出てまいります。政府の政策の中にも乗ってくるというような状況がある。
学生の通学用の費用というものは非常に大きなものなのです。で、
越境入学のお話、先ほどございましたけれども、これはあまりむきになって申し上げることもないし、私も
越境入学、
反対でございます。そういうことは問題ないのですけれども、高等
学校以上になってまいりました場合には、相当額の費用を
学生たちは払わなければならない。これはもう
一つ、定時制の高校生あるいは夜の、二部の大
学生たちということになってまいりますと、勤務先と、それから通学用の定期という二本建てになってまいりまして、いよいよますますその
負担は大きくなるということもお考え置き願いたいと思うわけでございます。
でございますから、私はどうしても避けることのできない、私たちが倹約しようと思ってもできないようなものが、そういう形で上がってしまうということはたいへん困るということなんですけれども、ここでちょっと話をかえまして、私はいま国電の目白駅のそばに住んでおります。そういたしますと、どういうことになるのだろうかということを、今度は
一般乗客の立場から申し上げてみたいという気がいたします。私は池袋へ出ようと思いますと、十円かかるわけですね、現在でございますと。それが今度二十円になるという問題がございます。で、今度の
改定の前のところでは、一キロ当たりが二円七十五銭、池袋までは一・二キロあるのです、目白から。そういたしますと、その計算でまいりましたら、三円三十銭ということになるわけでございますが、
現行最低
料金が十円でございますから、いまのところ十円払っております。これが今度二十円になってしまうわけでございますね。どうもこの二十円になってしまうということが、私には納得いかないわけでございまして、この前にバスの
料金が十五円が二十円になったということがございました。私鉄
運賃が最低
料金十五円が二十円になった、あのときは、五円玉というのがいま少ないのだ、だから十五円ということにしておくとぐあいが悪い、バスの車掌さんが非常に労働条件がきつくなるので二十円にするのだというお話を伺ったのです。バスの方たちのほうから出ております。ところが、どうもそうじゃないらしいのです。今度の十円が二十円になるよりも、十円にしておいたほうがよほど簡単だろう。その
理由は全然成り立たない。そこで、基本
料金をどういうふうにしなければならないのだろうかということの御
説明は、私はあまりまだよく聞いたことがないわけです。全般的に上げなければならない中で、十円を二十円にしなければならないのだということだけしか伺っておりませんので、どうもそういうところがぴんとこないということでございます。
それから、これも私は質問者ではないのでちょっと困るわけでございますが、どこかで明らかにしていただきたいと思いますのは、また私鉄を引き合いに出しますけれども、これは先にやっちゃったから引き合いに出しますけれども、二段バネ方式ということがあったわけです。これは一体どういうことかと申しますと、一キロ当たり幾らということになりますと、そうすると、そのキロ数計算を切り上げてしまうということがまずあったわけです。それから切り上げをいたしまして、今度はそのキロ数を、今度で言うと三円六十五銭にかけるということをすると、そうすると、また端数が出てまいります。その端数をまた切り上げてしまうというように、二重切り上げのシステムを私鉄が使っておりました。この間やったその悪評高い二段バネ方式が、今度の
国鉄の場合にも使われるのではないかということを心配しているのですけれども、基本
料金十円、二十円のところは、初めから高いのですから話にならないかもしれないけれども、先のほうになると、どういうふうになるだろうか、非常に大きな額が出てくるのではないかということを私考えてみたわけです。たとえば、これは仮定でございますけれども、私の住んでおります目白から目黒まで十・一キロあるのだそうです。三円六十五銭を、十・一キロでありますから、つまり、十・一倍いたしますと三十六円八十六銭になるわけです。ところが、そういうことにならないのですね。まず二段バネだといたしますと、十・一キロというのは十一キロになってしまうわけです。で、三円六十五銭を十一倍いたします。そういたしますと四十円十五銭になるわけです。四十円十五銭、これも十五銭端数でございますから、これを切り上げますと五十円になってしまう。ということにもしなるとすればたいへんだなあと私思っております。山手線と
黒字線については何か多少の情状酌量があるということをどこかで聞いたこともございますので、実はどういうことになるのか、これはもっと長距離二段バネ方式があるのかどうか、この運輸
委員会で皆さんすでに御承知のことだろうと思いますけれども、私はどこでも聞いておりませんのです。そこの計算
方法については、だれかに教えてほしいなというふうに思っているわけでございます。
それから、先ほど定期で毎日通っていく
学生あるいはつとめ人と、それから
一般乗客というものが何か全く赤の
他人というような、
公述人同士が論争するという種類のものでは、ここではないと思いますから——ですけれども、ちょっと気になるものですから、私も考えておったことなんですけれども、つまり、一軒の家で働きに行く人もいれば、きょうは隣の町まで行ってデパートで買いものをしようと——デパートといっても、これは大体勤労者階級の奥さんたちが行くところは六階か何か一番安いところ、あるいは地下室でございますけれども、それにしても、そこへ行ったほうがうちの近所で買うよりもわりあいていさいよく安いものが買えるからということで、そういうことがかなりあるわけです。ところが、そういう人たちとさいふが別なのかというと、決して別ではないのです。さっき申し上げましたように、家計費の中に
通勤費がある、あるいは
通学費がある、そこへ奥さんの交通費がささやかながら入っているということでございます。また、その同じ
学生にいたしましても、
通勤通学のときにはそういうことなわけですけれども、
学生にしても、サラリーマンにしても、やはりお休みになれば帰省もする、あるいはスキーにも行く。スキーに行くのはなまいきだと言われればこれは困りますけれども、それくらいのことなら、かんべんしてください。やはり一番安い汽車をねらって、そうして長いものを一生懸命かついで行くということがあるわけでございまして、これも赤の
他人じゃなくて、同一人であるということだろうと思います。私は、やはり全体として
国民生活がこれほど逼迫している中で、やはりそういう家計の中で大きく響いてくるというものについては、全体の人たちが、特に国の政策を、政治を切り盛っていらっしゃる
皆さま方のところでは、ほんとうに慎重な御配慮をしていただきませんと、やはり怨嗟の的になるのではないかと私思いますし、いま事実、怨嗟の的にならないこともないではないかと思います。だから、きのうのようなこともあるし、きょうの内職大会のようなこともあるということをやはりはっきりさせたいというふうに思うわけでございます。
それから
安全輸送の問題です。私もどうしても
安全輸送してほしいと思うわけです。まあ、やはり朝だれかが出ていくとき、「気をつけて行きなさい」——私は
自分が飛びはねておりますから、
自分が言われるほうですが、だれか家に残る者が、そういうことで水杯で、何か少しおそくなると何かあったのではないかという状況がございます。これは道で
自動車にはねられることを一番心配されるけれども、しかし、
国鉄としても心配のそとではない。さっきから言うように、ボタンがちぎれたくらいでは済まない。つまり、軽いところでは、手の骨や足の骨がどうかなるというところがら、もっと大きな障害を起こしかねないというほどの状況の中で、しかも、私も
安全輸送については、特にきょうは
交通事故をなくす会から代表として出てきているということなわけですから、みんなが心配していると思います。ただ、そのことがイコール
国鉄運賃値上げにつながるかどうなのかということについては、一考の余地があるのではないかというのであります。
たとえば、
国鉄の要員増加
抑制政策というのがあるのだというふうに伺っております。四十五万人という
国鉄職員の数をふやさないのだという方針を
国鉄はとっていらっしゃる。それから、先日出された審議会の答申もそれを支持していらっしゃるというのを見まして、私は非常にびっくりいたしました。
過密ダイヤをなくすということを言われている。で、とにかく、いま非常にたくさんの
輸送を必要としているということが言われている。その中で、その場所で働いている人をふやさないということで、一体
安全輸送ができるのかどうか。その人たちの労働条件について、それは常識的に心配するのがあたりまえだと私は思うのです。
国鉄の
事故については、
過密ダイヤの問題というのか基本的にございますけれども、それだけでなくて、やはり労働者の非常な過重な労働というものが私はどうしても大きな原因になるのではないだろうか。私たちが道を歩いて、おりまして、ひょっとそれでも何かにつまづいてころぶということがあるのです。何かの形でもって放心
状態になるというようなことは、疲れている場合必ず出てくるものです。それが
現状の
国鉄の労働者の条件ではないだろうか。もっとそれを何倍にも何倍にもしたような過労の中での労働条件、悪条件というものがあるのじゃないだろうか。私は、
国鉄の労働者の人たちがじゃあ夜勤のときにどうなんだ、どんなところで仮眠態勢がとれるのだろうかということも、
国鉄のPRといいますか、労働組合のつくられた映画などについても見せてもらいましたし、話してももらったわけでありますが、ほんとうにへんてこりんなところで休まされているのだと思いました。しかも、人員を絶対的に減らしている。しかも、それはふやさないと言われている。その中で
運賃を上げて、そして
運賃が上がったから
安全が確保されますよということを一体どういう考え方でおっしゃられるのだか、私にはよくわからないというようなわけでございます。私は、
運賃がとにかく今度のような大幅な
値上げをされるということについては、これは
公共料金であり、しかも、ほんとにそれが家計の中での動かしがたい、倹約したくてもできないものであるということが
一つと、それから、さっきの
安全輸送の問題についても、前に申されました
公述人の方と全く同じ
状態の中から逆の結論が引きの項目に分けまして申し上げます。まず第一に、
運賃改定はなぜ必要かという問題、それから第二には、
運賃水準の問題をどの
程度、どういうふうに考えるべきかという問題と、もう
一つは、第三に、
貨物運賃の問題、この三つに分けまして、大体私の考えていることを申し上げたいと思うわけです。
まず第一に、
運賃改定の
必要性につきまして。これはもうすでにここに重ねて申し上げることはないと思うのでありますが、一言申しますれば、先ほどお話が出ておりますように、大都市の
通勤運輸の混雑の緩和、あるいは
過密ダイヤの解消、あるいは幹線の
輸送力を増強して
日本経済成長のための隘路打開策としての
線路の増設、それからまた、いまお話がありました
安全輸送確保のための保安施設工事等が必要である、こういうことはもうすでに
国鉄の基本問題につきましていろいろ懇談会で研究されました結果、答申もあり、それによりまして第三次
長期計画が設定されている、これは御承知のとおりでありますが、そして、これらの工事
資金が約二兆九千七百億円計上されておりますが、これは過大ではない、過小であっても過大とは言えないというふうに考えるのであります。すなわち、これらの工事を行なっても、まだ都市
通勤混雑の緩和ということは、おそらくまだ十分にはできないで残っておるということになるのでありましょうから、少なくも、これだけの工事は必要であるということは疑う余地はないと思うのであります。
そこで、この
資金を調達するために、何に
財源を求めるかと言いますと、公債または政府の財政投融資ということが、まず考えられるわけであります。そして、その公債または政府の財政投融資にまつ——主としてはそれによるのでありましょうが、そのほかに
国鉄の借り入れ金の利子というもの、資本関係費用の
負担ができるように
負担力を正常化していくということが、
国鉄企業の健全経営のためには、どうしてもやむを得ないと思うのであります。そうして
線路を増強しまして、
輸送力を増大し、あるいは速度向上のために工事を行なうということになりますれば、人件費も、物件費も、ある
程度膨張してくる。したがって、運輸量の増加以上に経費がだんだん高くなって、コストも高くなりますので、
国鉄会計が
赤字になるというふうに考えるのであります。
それから、いままでは、国が
物価政策の立場から
公共料金を
抑制するという必要があるとして、一年間
運賃の是正を押えてきたのでありますが、これは、長引けば長引くほど、経営上の
赤字はどんどん増加してくるし、工事も進捗いたしませんし、交通問題は依然として解決しません。また、
国鉄の
赤字を国が補償して、そうして健全経営を続けるというか、
国鉄財政のつじつまを合わせるということは、いまの時点におきましては必ずしも適当ではないと思うのであります。と申しますのは、現在は海運、あるいはトラック、あるいは飛行機、各種の交通機関が併存する
状態でありまして、それがわずかな量でなくて、相当大きなそれぞれ各機関がシェアを持っておるのでありまして、従来のように
国鉄が独占経営をしていた時代とは違っております。その時代のもとにおいて、
国鉄が国の援助のもとにその経営を続けるということは、民間の交通機関と公の経営する
国鉄とが不当
競争をするということになりますので、他の交通機関を国の援助のもとに圧迫するということになるので、決して経済の正常な秩序を確保することにはならないのであります。でありますから、
国鉄は正しい
運賃関係に是正することが必要であると思うのであります。
物価政策の問題は、これは
公共料金だけを一時押えるというようなことで局面を糊塗いたしましても、それは決して長く続くものではなくて、もっと根本的に、総合的に
物価の問題については考え方をきめていただく必要があると思うのであります。
国民の消費
価格のうちの四割から五割までは、いわゆる流通関係のものであり、しかも、流通問題と申しますのは、大
企業と違って生産性が上がらない。生産性が上がらないにもかかわらず、ある
程度賃金を大
企業並みに上げないと労働力の確保ができない。したがって流通関係の十分な供給力を確保するためには流通関係のコストは上昇する。それが
運賃あるいは
料金という形になってくるのでありますから、これらの問題は、経済構造そのものの改善であるとか、あるいは、そのほかいろいろな国の総合的な経済政策を行なってこの対策を考えないと、皆さんの御心配になるようなインフレがほんとうに起こってくるのではないかということも懸念されるのであります。でありますから、私といえども、この
物価問題における
運賃問題というのが非常に重要であるということはもちろん考えるのでありますが、この対策は、国として大いに力を入れて、本格的に取り組んでいただきたいと思うのであります。
第二に、
運賃水準を、それではどの
程度にすべきかという問題でありますが、これには、まず第一に、
運賃と原価の関係でありますが、
国鉄の原価計算によります人キロ、トンキロ当たりの原価と
運賃との関係でありますが、いままでの原価計算上の原価と申しますのは、これは実費でありまして、これは経営を合理化するための経営分析の
資料としては、実費というものを調べるということはまことに適切でありますが、動態的な、ダイナミックな経済市場における
運賃というものを判断していく場合には、単純に過去の原価計算による原価をそのまま容認して、それを基礎にして
運賃の問題を考えるのは適切でないのであります。実費は過去の実績を示すものでありまして、
運賃の問題は、これからあとの将来の問題であります。これからの
輸送に幾ばくの原価が必要であるかということと、いままでの実費が幾らかかったかということとは、区別して考えなければならない。たとえば
通勤運輸の実費を見ましても、過去は
利益が出ていたかもしれません。しかし、
輸送力を増強していくということになりますと、大都市内の
線路を増強する費用は著しく巨額を要します。インフレ前の、現在の鉄道がつくられたときの工事費と比べれば問題にならないのであります。しかも、
通勤輸送の需要の弾力性は非常に小さいので、運輸量は、
輸送力が増加しても、その割合には増加いたしません。また、混雑緩和を目的としておるのでありますから、運輸量の増加率以上に
輸送力を増加しなければ問題にならないのであります。したがって、原価が過去よりも高くなるということは当然であります。現在の
運賃を調整しなければならぬということは、そういう意味においても
理解できると思うのであります。
また次に、踏切の改良とか
安全ということのために、あるいは信号など保安関係の工事にいたしましても、同様に、過去の実費の中に含まれているそれらの関係の費用は少ないのでありますが、これからあと
安全性を確保していくということになりますと、その費用がふえていくのでございますから、それも原価がこれからあと増加していくということは当然考えられるのであります。
それからまた、この原価につきまして、最近数年間の原価と、それから過去の原価とを比べてみますと、
戦前の十年間、あるいは戦争後の、終戦後最近まで、三十年までの十年間、そのころは運輸量が増加すれば原価が低減するという現象があらわれておったのでありますが、最近のこの十年間におきましては、いわゆる三十年から四十年に至るこの十年間におきましては、運輸量が増加しましても、原価は低減しないという関係が起こっております。それの原因は、
一つは人件費が高くなっているということもあるのでありますが、そればかりでなく、やはりこの現在の鉄道の
輸送力が行き詰まっておる、行き詰まっておりますと、そこでその行き詰まったときを限界として原価はむしろはね上がっていくのが当然の
状態なんであります。いわゆる鉄道の運送原価というのは能力原価でありまして、その能力の限界に達するまでは漸次下がっているのでありますが、その限界に達すると、今度は原価は急激に上がるということになるわけであります。そういう意味におきまして、現在、
国鉄が行き詰まった
輸送力を拡充するために、
部分的に工事をいろいろやりそして
輸送力をふやすという場合、能力をふやすことに関連して原価はだんだん高くなってきておるというようなことがあるのでありまして、今後もこれから漸増し、実際の交通需要の増加率以上に
輸送力をふやすということになれば、必ず原価というものは高くなっていき、その原価が一体幾らになるかということを考えて
運賃の問題を考える必要があるわけです。
また、あるいはその
昭和三十年ころを基礎にして現在の
運賃は高いとか安いとかということを議論されますが、
物価指数と
運賃指数というものの関係は、相対的にある
程度批判の材料にもなりますが、しかし、現実の
運賃水準を幾らにするかということをきめるにはこれからあと運送の原価は幾らかかるかということを具体的にすることによって初めてきまるのでありまして、
物価指数と
運賃指数の関係の
比較だけでは、きめ手にはならないのであります。やはりこれからあと、運送のために合理的経営をやって、金が幾らかかるかということを考えて
水準をきめていくということが、必要であろうと思うのであります。
それから、今度は
旅客運賃と
貨物運賃のバランスの問題、上げる率の問題でありますが、その第一といたしまして、最近は道路の舗装が非常に進行しておりますし、
自動車の
輸送量も非常に多くなっております。名古屋——
大阪間の
一つの具体的事例を申しますと、
昭和三十八年度におきまして、鉄道で一日に
輸送した数字は五千百七十二トンでありましたが、
自動車で
輸送した数字はその倍の一万一千八十四トンになっております。また海運の
輸送につきましても、運輸白書にもありますように累年増加しております。その原因の
一つは、
国鉄サービスの旧態依然たるあり方、
幹線輸送力が行き詰まっておりますし、また
サービスの改善とスピードアップが十分に行なわれていない。賃率関係にしましても、鉄道はまだ独占時代の
運賃負担力に基づく
貨物等級制度が残っておりますので、
貨物運送原価は
自動車よりも低いにもかかわらず、
鉄道輸送を利用されないということであります。これは
国民経済的に見て、決して望ましいあり方ではないと思うのであります。できるだけやはり
サービスを改善し、運送原価の安い鉄道を利用されることが、
国民経済的に見て重要ではないかと思うのであります。したがって、
サービスの改善、
輸送力の確保のためには
運賃を是正する必要があるのでありますが、しかし是正するとしても、
競争状態下における是正でありますから、その
競争の
程度に応じて、是正する
程度はなるべく低いほうが望ましいと思うのであります。
第二は、営業費中の人件費、修繕費、業務費というようなものは三十九年度は三十八年よりも高く、
貨物のほうが高くなっております。これは結局運輸量が三十九年度は三十八年度よりも
貨物は増加しなかったが、しかし費用は現在の能力を維持する限り同じようにかかってくる。したがって、
輸送量が少なければ、コストは相対的に高くなるというような関係になってくる。それからまた
貨物以外の
旅客関係においても上がっておりますが、それは結局
旅客関係におきまして、
サービスの改善が相当行なわれたということも原因しておりましょうし、それからもう
一つは、現在の原価計算の
方法を見ますと、
旅客列車を通過させるために
貨物列車が待避しておりますが、待ち合わせておるのでありますが、その待ち合わせするための費用というのは、現在の計算
方法では
旅客の運送原価にあらずに
貨物の原価になっておる。したがって、
貨物のコストが
旅客のコストの一部を
負担するというようなことになっておるのでありますが、これらの関係は、現在の鉄道の経営を分析する
資料としては、こういう原価計算も適切でありましょうが、なお、
運賃関係の
資料としての原価ということになりますと、費用発生原因者にコストを
負担させるような
方法に原価の計算
方法を修正する必要があろうと思うのであります。
また、
過密ダイヤ解消、
通勤線と長距離線を分離するということを含めた幹線の
線路増強ということは、主として
旅客列車の
サービス、いわゆるスピードアップということが主たる目的でありますから、新
投資の資本関係費用というものは、運送速度というものを高く評価しておる
旅客関係で
負担することが必要ではないかと思うのであります。
その次に、それにしても
貨物というものは、短期の限界原価と考えられるものについては、やはり
貨物が
負担する必要があります。いわゆる
線路とか
車両の修繕費、
運転費、業務費というようなものは、これは
貨物関係として
負担させることが必要であろうと思います。
それから
物価指数と
運賃指数の関係でありますが、
旅客のほうの上がり方が、
貨物の場合よりはいままでの沿革から見ると上がり方が少ないのでありますから、この際、
貨物関係よりも
旅客関係を、
指数面から見ましても少し大きく上げてもバランスはくずれないと思うのであります。
以上申しましたようないろいろの項目を十分考慮した上で、
旅客関係、
貨物関係の
負担が適切かいなかということを考えていく必要があろうと思います。
そのほかに、もう
一つは、全体を通じての問題として、現在の
運賃水準をきめる場合に考慮しなければならない問題は、鉄道
企業が
負担をしておる社会的な費用であります。少なくとも不経済線の社会的費用
負担ということにつきましては、国の補償ということが必要になってくるのであります。道路もよくなり、
自動車運輸の発達した今日では、必ずしも鉄道でなければ
輸送できないということになっていないのでありまして、地方の運輸量の少ないところでは、鉄道よりも安い費用で運送できる
自動車で
輸送することが、
国民経済的にも望ましいのであります。ただしかし、鉄道を望むというのは、
鉄道運賃が安く押えられておるから、地方の人々は鉄道を希望するということになりましょうが、もしそれをどうしても認められるということになりますれば、
国鉄の
輸送引き受け体制は残すことにして、
輸送方法としては、鉄道によらず、
自動車で代行するほうが合理的であり、むだも少ないということで、外国でも
自動車代行ということが
貨物関係において行なわれております。また、
旅客におきましても、鉄道のかわりにバスを利用することが、短距離区間においては行なわれております。いずれにしても鉄道の原価が
自動車運送の原価をこえる
程度の
部分は、社会的費用の
負担として国で見ることが必要であろうと思います。
自動車が発達しなかった時代と違って、現在は、相当
自動車が発達しておるわけですから、幹線の余力
財源で不経済線の
赤字を補給することは相互扶助、いわゆるクロス・サブシディする余地はだんだんなくなっていくのでありますから、今後はどうしてもこの問題に対しては、この問題を十分検討して対策を講じていく必要が、だんだん起こってくると思います。
第三は、
貨物賃率
制度の問題でありますが、これは国有鉄道の現在の
貨物賃率
制度は、独占時代の遺物でありまして、今後の交通革命期におきましては、
運賃制度調査会の答申にもありましたように、原価を重視した
運賃に改めなければならないと思います。すでに
貨物の
等級は、そういう意味で
等級間の
指数を圧縮されておるのでありますが、今回の
改正案では、一そうそれが圧縮されるようになっているのは当然の措置でありますし、私も賛成であります。外国でもまた、そういう対策をとっておるのであります。また、
運賃理論としては、できるだけ各交通機関の
運賃は、それぞれ各運輸機関の原価を反映させたものにすることが、
旅客や荷主など交通機関を利用するにあたっての選択
基準を誤らしめないことになるのでありまして、それが経済学的にも主張されておるのであります。
なお、小口
貨物のためには、すでに小口混載
制度が強化され、鉄道の
貨物駅も著しく圧縮されておりますので、これが軌道に乗れば、この方面も相当合理化が行なわれると思います。
次に、車扱いでありますが、車扱いにつきましては、これは大量のものでありますが、重要物資別に
輸送需要に応ずるような
サービスの改善を行ない、また包装とかコンテナー利用など、これは小口の問題もありますが、とにかく流通費軽減に協力するような
計画になっておりますのでありますから、
運賃は多少高くなっても流通費全体を通じて見ますと、それほど
負担は大きくならないということが考えられるかもしれません。また、
サービスが重要物資別にピストン
輸送が行なわれて、操車場が介在しなくてもよいようになりますと、鉄道の
輸送自体も軽減されると思いますので、賃率についてもこれらの大量
貨物については、なるべくそれぞれの原価を考えて、きめこまかに具体的場合に妥当するような特約賃率を作成するなど、弾力的な取り扱いをすることが必要でありましょう。また、従来の
運賃計算単位が貨車単位になっておりましたのを今度は積載重量別に調節されることになりますのは、これはまた独占からの脱皮でありまして、適切な措置と考えるのであります。要するに、
国鉄が今回の第三次
長期計画により
輸送力を拡充するとともに、
運賃の是正を行なうのでありますから、それに相当する
サービスの改善を行なって、喜ばれる
国鉄になり、
国民の所有する財産としての
国鉄の健全経営が確保されることが重要であると考えるので、
国鉄においては、できるだけ経営の合理化につとめ、なるべく
運賃是正の限度を少なくするように希望いたしまして、大体原案に賛成であります。