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参考人(
内田勝一郎君) 御
指名をいただきました
内田勝一郎でございます。私はここの刷りものに新
国際空港問題対策協議会会長ということになっておりますが、私の申し上げるところは、会においてきまったとか、そういうものではございません。これは私、内田の
意見でございますから、そのように御聴取をいただきたいと思います。私は
富里村におきまして肥料商を営んでおるものでございます。したがいまして、
農家の
方々との接触はきわめて多いものでございます。
そこで、私はまず新
国際空港の建設に際して、最初この問題の起こったのは
昭和三十八年の九月ごろと記憶しております。そのときに
富里村が
国際空港の
候補地としてあげられたことを記憶しております。当時私は
空港に対するところの知識は全く持っておりませんでした。特に騒音の問題、あるいはまたその
空港ができたことによってその地域の
住民に及ぼす影響、あるいはまたその地域におけるところの効果、こういうものについては全く知識がございませんでした。したがいまして、この問題については、私はすこぶる懐疑的であり、また不安が伴っておったのであります。その後私は機会を得まして、
空港だけを視察をしてまいりまして、その結果私が非常に疑問に思ったところの、その
住民に与える影響、あるいはまたその地域の開発並びに経済的効果、さらには騒音の問題、これらについても、さように私
たちが心配しておるほどのものではない、いわゆる百害あって一利なし、そのようなことは絶対ないものである。ただし、これには国なりその
空港を管理するところにおいて十分
住民の対策を考え、またその地域の開発に十分なる意欲を持ってこれを進めていき、したがって十分なる公共投資をしていただかなければならぬ。ただ、ほっておいただけではなかなかそのようなものにはならぬけれ
ども、終局的にはなるかもしらぬが、その速度を早めるためには相当の公共投資もやってもらわなくちゃならぬ
——補償はもとよりでございます。さように考えますと、これは
空港というものは決して悪いものばかりではない。ただ、いかにこれを受け入れるか、どういうふうにこれを持っていくかということが問題である、かように考えたのでございます。そういうような結論に達したので、ございます。さらにまた、
千葉県におきましても、北総の台地、いわゆる印旛郡、香取郡、
山武郡、これらは県民所得の上から見ますと、きわめて低いところでございます。したがいまして、こういう点から見ても、この
空港ができることが、その地域の発展なり、いわゆる県民所得の格差を是正する、こういうものに役立つだろうかというような問題も、これはやり方によってなるのだというような
確信を得たものでございます。したがいまして、私はどこまでも、ただ
反対だ、
反対だということではなく、国が
国際空港というものが必要である
——これは私が申し上げるまでもありませんが、これはどなたもそのようにおっしゃっております。決して
日本に
国際空港が必要でないとは申しておらないのであります。しかも、その
国際空港が必要であり、羽田の現状から見れば、これは早急に解決しなきゃならない問題である。一部では
国際空港は軍事基地に使われるのだとかなんとかと申しますが、それはその
方面の方がそのようにいわゆる説を唱えるでございましょうが、われわれはさようには見ておりません。したがいまして、どうしてもつくらなければならぬ。しかも、この
空港の位置をきめるにあたりましては、きわめてきびしい
条件が伴っております。最も
民間空港におきましては安全性の高いところであります。しかも、都心から六十キロ以内でなければならぬ、高速道路を利用して自動車で一時間以内でなければならぬとか、あるいは建設が容易であって、しかもその維持管理にも容易でなければならぬ。空域が広いということはもちろんでございます。いろいろなきびしい
条件が伴っておりまして、そうして技術的に見て私は
富里が
内定したものなり、かように考えておるのでございます。一部の方から聞きますところによりますと、あの付近にはりっぱな政治家がおらないので、霞ヶ浦を
調査をしたが、それは不適当なものであって、茨城から
千葉県へ追いやられたのだ、りっぱな政治家がいないからだと、このように申しておりますが、私はさようなものでないと信じております。また、さようなものであってはならない。もしさようなものであるならば、それは直ちに取り消すべきである。いやしくも国家的な仕事であり、全
国民の要請に基づいてやるものだ、こういうものであるならば、それがあくまでも選定にあたっては技術的なものであって、将来国に残されるようなりっぱなところにつくるべきだ、それに基づいて当局は
内定したものなり、かように信じております。いまにおいては、これをとやこう言うよりも、どう受け入れるかということが一番の問題である、かように考えておるのでございます。
そこで、あまりこまかいことを申しておりますと、時間の関係がございまするので、省かしていただきますが、まずもってさように考えてまいりますと、一番の問題は、私は
住民の対策であろうと思うのです。大きく申しまして、
住民の対策、これには
補償の問題はもちろんでございます。転業の問題もございます。
代替地の問題もございます。騒音の問題もございます。これらの問題をいかがにするかというようなことを何ら提示がなくて、これは先刻もお話がございましたが、おまえ
たちはこれを食ってみろいいのだぞというかけ声だけでは、なかなかこれは
承知しないだろうということは、いま
反対という立場からもお話がございましたが、われわれの生活が
土地に基づいてやっておるのが
農業でございますから、その明日の生活がどうなるかというようなことに非常に不安を持っております。これは当然でございます。ひとり
農業ばかりではございません。多くの、零細ではございますが、あの地域にございますこれらの商業でも、一体
空港ができて今日人が少なくなったならば、おれ
たちは一体どこに行って商売をやったらいいのだろうというようなことまで案じておるのは、当然でございます。したがいまして、明日のことが明示されない限りにおいては、なかなかこれは決心がつかぬ。しかもまた、人間が
——どなたでもそうでございましょうが、職業を変えるいとうことは、これは容易なことではございません。言い得べくしてなかなかやりにくいのはこのことでございます。長い間自分がやってきた仕事を変えていこうというようなことは、これは容易なことじゃございません。
農業をなさっておる方は、
農業ならば生きていけるが他のものでは困難だということは、無理からぬ。しかしながら、
政府がおやりになるのに、
空港をつくったから
あとをつくればいいのだ、いかにもおまえらはどうでもいいのだというようなことは、私はない、またあってはならぬ問題だと、かように考えております。したがいまして、先刻からもお話がございましたが、まずもってこの
住民に対するところの、大きく言えば
住民対策を、これを十分考えて、いわゆる血の通ったあたたかい施策をもって
住民に立ち向かっていって、いわゆる国とその地域の者が助け合って、一体となって進めていかなければならぬところの大きな問題である。ただ単に
反対とか
賛成とかというような問題ではなく、大きい視野に立ってともにこれをいかにすれば処理できるのかというように進めていかなければならぬ問題である、私はかように考えております。したがいまして、十分
住民に対しましては行き届いたきめのこまかい、
補償の問題であれ、転業の問題であれ、さらにまた
代替地の問題、騒音対策の問題、あるいは公共施設に対するところの
補償の問題、都市計画の問題等もございます。これらの問題を明示して、明日の行くべきところを明確に示して納得を求めることが最も急務である。これをなさないでおいて、新聞紙上に伝えられるところ、
反対が非常に多い、これは当然でございます。
政府や何かは、これに対してPRや何かいたしておりません。いわゆる真実を知らしめないでおいて、
反対はどこだ、
賛成はどこだということ自体が、私は遺憾であると、かように考えるのでございます。ただいま
久保君から話があったように、純真なる農民が、
ほんとうの農民の姿で私
たちはやっておったが、
内定後
——内定後ということです、
内定後におきましては、革新団体の方も、これは農民が大事だということでございましょう。何かその理由は知りませんが、革新団体の方も一生懸命になってこの
反対のほうの応援をなさっております。これは事実でございます。理由はいかがであるか別といたしまして、事実でございます。したがいまして、その革新団体のその説を聞き、さらにまた過去におけるところの砂川、妙義等々軍事基地におけるところの
反対闘争をなさった
委員長の話を聞き、そうして
反対をすればいいんだと、団結をして
反対をすれば勝てるのだというような一方的なことだけを聞いてやってまいります。しかも、
部落座談会を開いて、これらのいわゆる学習と申しますか、よくそういう
ことばを使っている。そういうことを推し進めておりますと、純真な農民の中には、そういうものかな、
政府にだまされるな、だまされてはならないぞ、そんなうまいことを言ってもいかぬ、だまされる、こういうような気持ちを植えつけていることになるのでございます。何としても一番の不安な根源であるところの問題を解明して、これに光明を与える、行くべきところを明示して、これでどうなんだというようになさらなかったならば……。いかにしても
反対は多いのだと、こういうように見えるのでございましょうが、その実内面的には必ずしもそうでないのでございます。これは
高木君が先ほど数字をもって示しておりましたけれ
ども、農村というものは、隣の家が
反対だから、
部落においてだれそれが
反対であるからというようなことで、隣近所をながめてその仲間になっておる。その地域がたまたま指導者が
反対を唱えておりますと、もしもこれが来なかったならば、
反対の仲間に入っておらないと村八分を食ってしまうというようなことから、まず自分のことはそっとしておいて、隣近所をながめてこれの仲間になる。どうせおれ一人どっち向いたところでこの
空港に影響するものじゃないというような安易な考えでやっておるのが、これが
実態でございます。これはおそらくどこでもそうでございます。このように考えますと、必ずしも表面にあるものが、それが
ほんとうの姿であるとは、私は言い得ないであろう。私のところにある
部落の
反対の
会長といいますかな、その
部落のそういう人が参りまして、われわれやっておるけれ
ども、この地域にこういうものができることには決して心からやっているのじゃないのだ、ただし相当の
補償があってやっていけばいいのだ、いわゆるこれに対する対策が十分であればいいのだと、しかしわれわれはそういうことを言うことはできないからお前
たちが行って幹部の人に話してくれというようなことまで言ってくるのもあるのであります。これは名前をあげてもいいのでありますが、いろいろな関係がございますので、そういう個人的な名前をあげることは差し控えさしていただきます。
委員長がもし必要なら、
委員長だけには
あとで個人的には申し上げてもよろしいのでございますが、この席で申し上げることはその人のことをはばかって私は遠慮さしていただきます。さようでございますので、まず一体真実のところを国が示して、誠意をもって
住民に臨むということが最も必要である、かようなことを重ねて申し上げるものでございます。