○
説明員(磯崎叡君)
中村先生からの
先ほどの総括的な御質問につきましては、いずれ
総裁から御
答弁申し上げますが、ただ、いま運輸省からおっしゃったことに一言付言して申し上げますと、実は内閣の
基本問題懇談会におきましても、一昨日来の当委員会における御議論が一番やはり焦点になったわけでございまして、その結末がこの七ページにございますとおり、「
政府出資」として、「
日本国有鉄道法第5条第2項によれば、
政府は必要があると認めるときは、
国鉄に追加して
出資することができると定められている。当面
国鉄の希望するような
出資は困難であるとしても、今後の問題として
出資またはこれに代る負担金等について
検討することが必要である。」、この数行を書くために実は三回ぐらい委員会が開かれまして、と申しますことは、大蔵事務次官がやはりこの委員の一人でございますので、大蔵省としては将来にわたってこういう約束をすることは非常に困るということで、非常にいろいろ議論がございましたが、結局こういう表現になったわけでございます。私どもといたしましては、この表現ができました過程その他を
考えましても、さしあたり四十一年度の問題とはならないにいたしましても、そう遠くない将来に何かの形で
国鉄に対する
出資、あるいは利子補給その他の措置が必ず講ぜられるものであろうという期待は、非常に強く持っております。これは三十六年に
運賃改定をお願いしたときのわれわれの期待よりはずっと深く強くなっているということを申し上げていいと思うのでございます。と申しますことは、
国鉄法の第五条にはっきり、いずれ
国鉄の資本が増加されなければならないであろうということを前提として、逆に申しますれば、
政府以外は
国鉄に
出資できないのだ、こういうことが非常にはっきりきまっております。したがって、
国鉄が今回二兆九千億の投資をいたします。ちょうどまあ評価はいろいろ違いますが、価格から申しますれば、現有資産とほぼ同じくらいの投資をこれから七年間にするということになりますれば、普通の
企業体でありますれば、当然これはもう増資をする以外に
方法はないのでございます。
借金と
自己資金だけではまかなえないので、ある
程度の増資は、これは当然の
企業経営上の常識だと思うわけでございます。それを裏づけして
国鉄法の第五条におきまして、いずれ資本金の増加ということもあり得るのだということを前提にして、すでに
昭和二十四年に立案されておるわけでございます。したがいまして、その法律とこの
基本問題懇談会の
結論の
政府の
出資という項ができましたときのいきさつを
考えまして、私どもといたしましては、必ず
政府において財政
状態その他が許すならば、そういった面のめんどうを見ていただくことがあり得るということは期待しております。しかしながら、いま先生の御指摘の七カ年
計画のこの資金
計画でございますが、これはおっしゃったとおり、所要資金は全部
運賃と外部資金、この外部資金には一応七分
程度の利子がつくものとして計算してございます。そういたしませんと、いわゆる、いみじくも先生おっしゃいましたとおり、いつかは補給してくれるかもしれないという調子で資金
計画を立てましたのでは、将来非常に大きなそごを来たすということで、これはこの資金
計画は何と申しますか、最悪——最悪という
ことばは非常に表現上適当でございませんが、
国鉄経営上一番シビアーな、非常に利子負担も大きいし、またはたして四十六年度に六千億の外部資金が調達できるかどうかという、国全体の財政問題もあると思います。そういったことを一応念頭におきながらも、
国鉄財政上一番きつい財政
計画をつくっておくことが、将来多少なりとも
計画に弾力性を与えることになるのじゃないかというふうな意味におきまして、この
計画は、ただいまおっしゃったとおり、外部資金を全部利子のつく金で計上してございます。したがいまして、もしこの
計画期間中に、
政府がたとえば利子補給してくださる、あるいは利子の要らない
出資をしてくださるということになりますれば、それだけ
経営が楽になる。と申しますことは、たとえば四十六年度の
自己資金がわずか九百七十八億でございます。これが千億になるあるいは千五百億になるという意味で、
自己資金でもってやる工事がもっと積極的にやれるようになるという形になると思いますので、私どもといたしましては、七カ年
計画でお示しいたしましたこの資金
計画がまあ最低のものであるという見方、これを基礎として
企業努力をしていきたいという見方でもってこれをつくったわけでございまして、したがいまして、これより資金
計画的、財政的に苦しくなることはないという最低の線だという
気持ちでもってつくったわけでございます。
それから、二番目の御質問の戦争前の
公共負担というものは一体どうだったかという御質問でございますが、これは戦前にも確かにございました。いま御指摘のとおり、項目から申しましても、たとえばわれわれ学生時代、
通学定期はずいぶん安い
通学定期を使っておりましたし、貨物の特別等級等もございましたし、新聞雑誌の割引もございました。大体
昭和十年から十一年ころ当時一の運輸
収入が年間約五億前後ありました。年間約一五億前後のときに大体四千万円ぐらいのそういった
公共負担があったというふうな計算になっております。おもなものはやはり
通勤定期、そのころは
通勤定期という名前がございませんでしたけれども、工員定期、
通学定期という名前になっておりましたが、こういった定期並びに新聞雑誌の割引あるいは貨物におきましては、ほとんど特別等級だけでございます。こういったものを合わせまして大体四千万円前後のもの、したがって総
収入に対して約七%から八%の
公共負担を負っていたということが推定されるわけでございます。一方来年度の、もしいま御
審議願っております
運賃改正の制度改正がお認め願えますとしますと、
公共負担の割合が大体一〇・四%ぐらいになるというふうに
考えております。ただそのころといまと違いますのは、一昨日来の御質問にお答えいたしましたとおり、やはり
運賃のレベル自体が非常にその当時高かった。それからもう
一つは、何と申しましても国会全体の中における陸上交通の中で
国鉄がほとんど独占的であったというこの二つが、根本的に客観
情勢の違う点だと思います。これらを一応無視いたしまして数字だけを比較いたしますと、戦前が七%から八%、現在、いままでが大体一五%、これを今度一〇%から一一%
程度に下げさしていただきたい、こういう計算になっております。