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山本(勝)
分科員 三十分ということでございますから、問題を提起して十分考慮を願う、こういうことにいたしたいと思います。
問題は、御承知の三十九年一月から施行されました農地の生前贈与の
租税特別措置という、農地だけを生前に贈与した場合に、贈与税を一応かけるけれ
ども、延期願いを出せば、納税を延期しておいて、そうして死んだときに
相続税として扱う、こういう特例を設けられたわけです。これは実際問題として、農家の方は非常に困っておるという現状であります。今回の国会で
改正法が出まして、これまでは、贈与を受けた者が贈与した者よりも先に死んだ場合には、そのときには一定の期日を置いて取り消し、生前贈与の恩恵を与えないということになっておったのを、今度先に死んだ場合には、その贈与税は免除する、こういうことの
改正が出たわけです。その点はもう当然のことでけっこうだと思うのですけれ
ども、そのほかにいろいろな点で、この法律に不備があったので、実は三十九
年度においてあまり農村に徹底してなかったから、生前贈与を受けようというケースも少なかったと思いますけれ
ども、そろそろ徹底してまいりまして、これはありがたいということで、方々でこの生前贈与を受けようという手続をやってみますと、至るところに障害が起こる、こういう
実情にあるわけです。そのいろいろな点で問題になっておるところを、私は実は国税庁のほうにも申し上げました。そうして実際問題としてかなり弾力のある処置をとってもらって、できるだけは解決してもらっておるのですけれ
ども、しかし事が農家を対象にしたものですから、
大蔵省はむしろ受けてこういう法律をつくったのだろうと思う。農政当局のほうでイニシアをとってこられたものと思うものですから、それで、これを直すには農政当局にたださなければいかぬと思いまして、実は土曜日の
分科会で、農林
大臣及び農政局長にこの
問題点を提起しました。しかし、なかなか頭がかたくて、いろいろな事情があって、それを改めようという意思がないのですね。聞きますと、昨年の十月ごろから、私は知らなかったのですけれ
ども、全国の農業会議所とか農業
関係から、その問題を実は持ち込んでおるようです。何とかしてもらいたい。ところが、それについていろいろ
検討をした結果、いかぬという返事をしてしまった。だから、打ち明けたところ、いまさらちょっとそれを
考えましょうということは言えぬというような状況になっておるようです。しかし、私はそんなことでそういう解決をすべきではなくて、悪い点があれば
検討して直すというのがほんとうだ。野原君が来たから、野原君もひとつ聞いとってもらいたい。それは、
一つ大臣も頭へ入れておいて、これはなるほど変えにゃいかぬとか、考慮せにゃならぬということになってもらいたいと思うのですが、
一つは、三年間継続をして農業を営む者、農業に従事しておる者に生前贈与をやれる、こういう規定になっておるわけです。ところが、その営むということばが出先の税務署で問題になった。営むというのは、国税庁の解釈では、まず第一に
所得税を申告しておる者、これが営む者だ、こういうのが営む者の代表的なものになっておるわけです。ところが実際農村の
実情を申しますと、おじいさんはまだ達者でありましても、また寝込んでおればもちろんでありますけれ
ども、大体もう
相当、四十、五十になった子供がありますと、その子供のほうがその
所得税の申告者になっているのです。そうしますと、所有権はおじいさんにある、しかし営む者は
所得税を申告しておる子供だ。そうすると、おじいさんが子供に生前贈与をして、自分が死んだときでも、親類じゅうから寄ってきて、兄弟が寄ってきて均分相続のごてごてが起こらぬように、子供が安心して百姓のできるようにしてやりたいと生前贈与しようというのに、実は営む者はもうすでに子供である、おじいさんではないから、ここに
一つのジレンマが生じてくる。これは、具体的な私が提案した事例では、国税庁で営むということを非常に広く解釈して、かりに自分ですきくわをとってやらなくても、指図しておるくらいでも営むだ、だから、なるほど
所得税の申告者が営む者の代表であるということは通達しておるけれ
ども、必ずしもそう限らぬことにしているということでありますが、しかし、実際は三年も四年も寝ておる場合があるのですよ。そのときにはそれを言って、農業委員会が証明を書いてくれればそれでいいんだ、農業委員会は何とでも書いてくれるという解釈をしておるようですけれ
ども、しかし、農村の純朴なところに行って、実際に寝込んでおる者を、指図しておったんだという証明書をとってくればやってやるなんというようなことは、私はおもしろくない。だから、あの営むということばを、何とかそういうことではなくて、もし
所得税を申告しておる者が営む者で、法で贈与する側の
条件であるとするのなら、もうすでに贈与はしてしまっているようなものです。あとは、戸籍や登記は形式だけだ、こういうことになるわけであります。だから、その辺が非常にあやしくなっておるから、この営むということばは、少なくともはっきりしないと、あるいは国税庁の通達も再
検討しないと、出先ではいろいろ問題を起こしておる。これはどういうふうにしたらいいかという案が私にはありますけれ
ども、それはもう時間がありませんから申しません。
それから第二点、これが非常に重要なんで、これは行政
措置だけでいかない。それは、この生前贈与の
条件としては、農地、つまり田畑の全部または草を取る採草放牧地の三分の二を贈与する場合だけが適用されるのであって、かりに田畑の中で一坪でもそのおやじが贈与しないで手元に残しておいたら、この恩典にあずかれない。この間具体的に起こった事例は、ミスで、実は全部のつもりであったやつが一筆漏れた。そうしますと、最初九反歩の相続を受けたところが、九畝歩、一割残っておった。それで追いかけて贈与の手続を県にして許可を得たのですが、そうすると税務署のほうでは、それは前の分の九反歩は全部でないから適用できない、あとのほうの九畝歩だけが残っておる全部であるからこれに当てはまる、こういう解釈なんです。しかし、これもいろいろ具体的には国税庁でもんでくれた結果、ミスだからということで、実は二回に分けておっても
一つに認めようというので、その事例は片づいたのですけれ
ども、しかしミスでなくても、実は御承知のとおり、民法では均分相続ということになっておる。しかし、それでは農家がこまかくなってしまって困るとか、あるいはあと取りが安心して百姓ができないというような不都合があるものですから、こういう特例を設けたわけです。それはわかりますけれ
ども、しかしすでに民法で均分という大原則を改めていないのでもあるし、それから牧場の場合は、三分の二でいいんだということになっておる。ところが田畑だけは全部でなければいけない、一坪残っておってもいかぬということは、私は実際の農村の
実情から申しますと、おじいさん、おばあさんが今後何年生きるかわからない、子供のことを
考えて、安心して百姓ができるようにしてやりたい、だから、生前贈与はしたいけれ
ども、しかし全部子供にやってしまって、畑一反歩も足元に残せないということでありますと、自分自身の老夫婦の将来のことも、一々小づかいから何から全部子供にたよらなければならないし、それからまだほかにも子供がある。まだ中学や小学校に行っておる子供なんかあったような場合に、それのことも多少
考えてやらなければならぬから、せめて一割ぐらいは、宅地の周辺の畑ぐらいは残しておいて、そこで老人の手に合う野菜でもつくっていきたい、こういう希望が非常に多いわけです。ところが、そういうことは許さぬということになっておる、全部でなければいかぬ。これはあと取りむすこも、全部でなくても、八割、九割いただくことになれば十分安心してやれるのだから、おじいさん、おばあさんにも、まる裸にならなくても幾らか残しておく、これは分割して贈与するというのではありません。子供にやった残りを自分のところへ、手元へ残しておきたいというだけの話であって、みんなに分けてやるというわけじゃないのです。自分がいつ死ぬかわからぬから、死ぬまで、そう一ぺんにやってしまうと心細いというのがじじばばの気持ちで、これは無理もないと思う。ことに贈与を受けた者が二割まではよそへ売ってもいいということになっているのです。二割以上売った場合は生前贈与の恩典は取り消されますけれ
ども、贈与を受けた
人間が他人に二割まで売ってもそれで生前贈与の恩典は消えないということになっておるのに、贈与をするおとうさんあるいはおじいさん自身が自分の手元へせめて畑一枚でも残しておきたいということを犠牲にしてまでも全部ということを突っぱる理由は私はないと思う。ところが、農林省は全部を突っぱる。全部というのでなければいかぬ。その理由は、農家のあと取りが少ないから、それが安心してやれるように、また農地の細分化はしないようにという趣旨だから、その趣旨に反するというのですけれ
ども、しかし、私がいま申しましたように、すでに贈与を受けた者は、他人にすらも二割までは売っても差しつかえないようになっておる。それから、何も田畑のまるまる全部でなくても、八割、九割もらえばあと取りは安心して、喜んでやれる。おじいさんも安心しておられる。みんな家族円満にいくのですよ。それをどうも全部でなければいかぬ。牧草地の場合は三分の二でいいという規定が初めからあるところを見ますと、田畑についても、二町歩持っておる者がせめて一反歩くらいはじいさんが自分のもとの名前にしておくということは
——ところが農林省の
考え方では、全部一ぺんやって、もう一ぺん二割以内をおじいさんに売ったらいいじゃないか、こういうふうなことをいわれる。しかしそんな二重の手間をして
——一ぺん全部やっておいて、二割までは売っても差しつかえないのだから、おじいさんに無償で貸すか売ったらよい。しかし、そういうことは私は政治じゃないと思う。そんなことをするなら、初めからおじいさんの所有者が
——またくどいようですけれ
ども、先三年生きるか四年生きるかわからないから少し残しておいて、自分も安心して小づかいな
どもそこでかせぎたいし、またほかの子供にも多少のことはやりたい、こういうことで、この全部ということについては絶対に変えられないといういまの農政当局の態度に対して、むしろ
大蔵省のほうで大局的に
考えて、
——現に農業
関係から猛烈な陳情が来ておるのです。
ほかにもまだいろいろございますが、先ほどの営むという場合などは、具体的に申しますと、おじいさんが九十で、おとうさんが六十で、そして孫が農学校を卒業してもう三十五、六になっておるというような事例があります。そういうような場合、おとうさんが営むことになっておるのですが、子供は、贈与を受ける資格は二十歳以上と法律になっておりますから、三十五、六にもなっておれば当然もらう資格があるわけですが、そういう場合に営む者からやる。営む者とは
所得税を申告しておる者だということになれば
——これはおとうさんから孫に譲って、孫が安心して百姓ができるようにしてやるのがむしろ立法の趣旨に合っておる、なるべく若い者が百姓に落ちつけるようにしようという趣旨からは。とにかくこの法律は、民法の均分相続に基づく弊害を救おうとして、農家のためにつくられたことは疑いをいれませんけれ
ども、その結果が実は農家がただ困るだけではなくて
——畑を残しておいてたんぼだけ全部やってみた。そうして登記した。ところが、これは分割しておるからだめだということになって取り消すことになりまして、登録税全部損をした。こういうふうなことで取り消したら
——しかも、これは初めに贈与を受けたときには、何も生前贈与ということで受けておるわけじゃなしに、普通に贈与を受けておいて、後に
所得申告をするような場合に、生前贈与の扱いをしてもらいたいと延納の願いを出して、そこで初めて税務署がこれを認めるか認めぬかがきまるわけです。だからその間に贈与を受けて県知事から許可を受けた、そのときにもう贈与は確定しておる。それから後に登記したりいろいろなことをやって、後になってから今度は税務署へ行って、これはいかぬというような判決を受ける例があるものですから、それでは親切につくった法律がかえって非常な不満を呼んでおる。これが全国の農家から陳情を猛烈にやっておる理由だろうと思う。問題はそういうことです。私は何も責めるつもりはない。
大蔵省にお願いするだけでございますが、考慮に値する問題だ、こういうふうに信じて申し上げるわけなんです。