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山本(勝)
分科員 私がお伺いいたしますことは、
租税特別措置法の第七十条の問題でありますが、御案内のとおり、三十九年の一月から、これは
農民保護と了解しておりますが、
農家の
農業の
あと継ぎの方が安心して
農業をやれるようにというようなことから、生前に
贈与を行なった場合に、その
贈与税の
納税延期を認めて、そして後に
相続税として扱う、こういう
特別措置ができておるわけであります。すでに実施二カ年になりますが、しかし、何しろ
農民保護の立場からできた
特別法でございますので、私は
大蔵委員会のほうで後にお伺いする前に、
農政当局の考え方を承っておきたいと思うのであります。
最初の一年間ぐらいは、この
農民に対する特別な配慮をした
法律が徹底していなかったせいか、昨年の
所得申告期にはあまり問題にならなかったと思いますけれ
ども、しかし、本年の
所得の
申告期にあたっては、おそらく全国的に、この
法律の非常な不備な点があるということが問題になっておると思います。私
どもの選挙区の
税務署におきましても、窓口において非常な
トラブルを引き起こしておるのであります。私は、その
トラブルを引き起こしております
問題点を一応申し上げまして、そしてこれに対して今後どう対処していくか。つまり、せっかく
農民のためにつくった
法律が、事実
農民の利益にならない場合が多いし、逆に非常な
損害を与えておる場合が多い。こういう
実情を実は申し上げてみたいと思う。
どこから申し上げてもいいのですけれ
ども、第一点は、御
承知のとおり、この生前
贈与の問題は、
最初贈与を行なうときには
税務署とは何らの
関係を持たないで、ただ
農業委員会を通して県の
知事から
農地法第三条に基づいて
贈与を認めるという
許可を得ておるわけであります。だから、
最初の段階においては、それが生前
贈与であるのか、あるいは生前
贈与でないのかというのは全然区別なしに、
一般の
贈与として
許可を得ておるわけです。
税務署のほうでは、
知事の
許可があった日をもって
贈与が行なわれたものと認めることになっておるのでありますが、ところで、その後に、生前
贈与の場合には
税務署に向かって生前
贈与として納期の
延期を願い出る。そこで初めてこれが生前
贈与の扱いを受けるか受けないものかきまるわけであります。ところが、そういう
関係から、
自分は生前
贈与を受けるつもりで
贈与を受けておって、すでに
登記までしてしまった。ところが今度
税務署へ
延期願いを出してみますと、
税務署のほうでは、これは生前
贈与のこの条項には当てはまらない、だからこれは
一般贈与であるからというので、非常に高い
贈与税を徴収される。それではたいへんだ。つまり、
贈与税が高いから、それでこれを
延期して、税率の低い
相続税で扱ってやろうという親心でやっておるにかかわらず、今度はそれは生前
贈与と認められぬとなりますと、その
贈与を取り消すほかはない。取り消しは簡単に
知事に願い出ればできますけれ
ども、そうしますと、
登記をしてしまっておる場合は、
登録税を何万円と払ったものがふいになってしまう。それで、いよいよ
所得申告期になって
納税延期を願い出て、これは当てはまらぬとやられた場合に、非常な問題を引き起こしておるわけであります。それでこの点まず
最初に願い出るときに、これは生前
贈与としてりっぱに通過するものかしないものかということを何か
税務署との間に
連絡をとってからやるような
方法を講じる必要があるのではないかというのであります。
それで、特にどの点がひっかかるかといいますと、その
特別措置法の七十条の
規定には、三年間を継続して
農業を営む者が、三年間継続して
農業に従事しておる者で、そうして
法定相続人の一人として一定の条件を備えた者に対して
贈与できる、その場合は
延期する、こういうことになっておるのです。三年間継続して
農業を営んでおる者から
贈与するというのでありますが、その「営む」という
ことばの
解釈であります。私もこれは最近
国税庁のほうに問題を持ち込んで検討してもらった結果、かなり「営む」の
解釈を広く
解釈するようになったようであります。しかし、従来といいますか、最近まで、
国税庁の
通達には、「営む」というのは、まず第一に、
所得の
申告者になっておる者を営む
人間と認める、こういう
通達が出ておるわけです。ところが、御
承知のとおり、農村におきましては、
おじいさんが
登記面ではその
田畑の
所有者になっておるけれ
ども、年をとっております場合においては、
子供であるとかあるいはおじさんであるとかいうのが
所得の
申告者になっておるのが
実情であります。また、
所得申告者をかえるということは、これまで
税務署が簡単に認めてきた。ところが、
所得の
申告者をもってその
農業を営む者の第一の代表的なものになっておるものですから、そこで、この
法律では営む者からやるのに、営む者はすでに
おじいさんじゃない、
所有権者じゃないということで、当てはまらぬというので、結局、局のほうにいって検討してもらわないと返事ができないというふうにして突っ返しておる
事例がたくさんあるわけです。この点が
一つです。
それからその場合に、「営む」というのは必ずしも
所得の
申告者でなくてもいいのだ、
指図をしておればいいのだ、寝ておっても
おじいさんが大体
農業経営について
指図しておれば、それは営むと認めるというふうに
解釈しようとしてきておるのですけれ
ども、しかしその場合に、実際は三年以上寝ておる
おじいさんがあるのですよ。そうすると、それは
農地委員会に頼んで、
指図しておりましたという
証明書をとってくればいい、それは
農地委員会に頼めばくれます。くれますけれ
ども、そういう
うそを言って、実際はもう全然
農業から離れて、同じ家で寝ておる、それを
指図をしておりましたという
証明書を持ってくれば営む者と認めるというふうな、
農民に
うそをつかしてやるなんということは、私はそういうことは改めなければならぬと思う。だから、この「営む」ということの
解釈、はたして「営む」という
ことばをつけておく必要があるのかどうか。そうではなしに、たとえば同じ家、世帯に住んでおる、あるいは
隣近所に住んでおるというような場合に、
おじいさんが年を取ってきた、ことに長年わずらっておって、いつ何どき死ぬかわからない、死んだときに、きょう
だいが寄ってきて、
民法の
規定で争いが起こるのはうるさいから、早くひとつ安心して
あと百姓がやれるようにということでやろうというのに、それがどうしても三年間継続して営んでおらなければいかぬというふうな
規定がはたして必要なのかどうか。私はその必要はないのじゃないかと思う。本来、
立法の
趣旨からいって、
あとの
百姓を安心してやれるようにというところに主眼があるといたしますれば、そういう必要はないのじゃないか、もし、しいて必要ならば、「営む」という
解釈については、そういう
指図をしなくても、寝ておる
おじいさんでも適用できるように、問題の起こらぬようにしてやってほしいということであります。
それから、もう
一つ問題になりますのは、これはまあ
農政当局でも大問題のようでありますが、田と畑とそれから牧場な
どもありますが、要するに、宅地とか家とかあるいは原野とかいうものは対象にならないが、しかし
田畑の場合に、これを全部一括して、一坪残らず全部一人の
人間に
贈与してしまわぬ限りは、この
法律の
恩典にあずかることができない、
法律の適用ができないということにいまなっておる。これは法文で「全部」とあるためにそうなっておる。ところが、実際問題としてどういう場合が起こってきますかというと、具体的に
一つ起こりました
事例は、書類を提出するときの
ミスで、実は九反九
畝歩あったやつを、九
反歩を全部だと思って
贈与して、昨年の二月に県
知事の
許可を得まして
登記したわけです。ところが、
あとで気がついてみましたら、一
反歩足らずでございますが、九
畝歩残っておった。
ミスで漏れておった。それでさっそくまたこれを県に願い出まして、同じ
人間が
贈与を受けることにして、それでいよいよ全部になったわけです。しかし、
登記所へ行きましたら、これは
分割しておるからして、一括でないから、これに当てはまらない、しかも
最初の九
反歩は、これは
普通贈与である、
あとに九
畝歩というものが残っておるのだから、全部じゃないから、これは
普通贈与だ、
あとの九
畝歩のほうだけは、これは当時残っておる全部であるから、これだけを生前
贈与と認めるという判定をした。それで本人は、そんなばかなことはないといって憤慨しておるけれ
ども、手の
つけようがないからみんなあきらめておる。たまたま私のことを聞いて、
山本先生に相談したらというので飛んできた。それでいろいろ持ち込んで、
国税庁のほうで、この
具体的事例についてはまあ
ミスであったからということで、全部認めてもらうことにはなりましたけれ
ども、おそらく全国的にもこういう
事例があると思います。
私が申し上げたいのは、
手続上の
ミスの場合はこれで片づきましたが、しかし、
ミスでなしに、もう
一つこういう
事例があるのです。それは、
おじいさん、
おばあさんは七十幾つですけれ
ども、達者でまだ働いておる。しかし
子供はもうすでに五十近くなって、
農学校まで出てやっておるのですが、これに譲りたい。安心してやれるように、
自分が死んだときに、きょう
だいが寄ってきて
トラブルが起こらぬようにしたいということで、これに対して実は田んぼを二町歩ばかし
贈与して
手続をした。ところが、畑が少し残っておるのですが、これはまだほかに
子供があるのです。だから、その
あと継ぎの
子供が安心できるようにしたいということは親の念願でありますから、そうしましたけれ
ども、しかし
自分自身もなお何年生きるかわからない、来年死ぬか五年生きるかわからない、まだほかの
子供もあることだから、少しぐらいはやはり
——全部一坪残らずやってしまったんでは、
自分ら老
夫婦のことも
心配だし、またほかの
子供もあることですから、
子供も安心してやれるように、また
あとのことも
心配のないようにというので、少し残したわけです。そうしますと、これは明らかに全部でないから当てはまらぬというわけなんです。ところが、私はこの
法律の
趣旨は、
あと取りも安心してやれるが、しかし
あとに残ったじいさん、ばあさんというか、
所有権を現在持っておる者が、手放す
人間が一坪残らず全部手放さねばこの
恩典にあずかれぬなんというふうなことは、少しく
実情に合わぬのじゃないか、それは
理屈といたしましては、そういうことをやれば
分割してやるということになって、
農業がだんだん小規模になっていくというようなことはありましょう。しかし、いまのような場合には、
分割して
贈与するのではなくて、ほとんど大部分は
子供に
贈与しておるのだけれ
ども、
自分自身が
贈与しない分を
幾らか
あとに残しておこうというだけなんですね。そして
自分の小づかいも、
子供にもらわなくても、そこでトマトやキュウリくらいはつくって、そして老
夫婦は働いておるのですからやっていけるし、また中学校に行っておる
子供のことな
ども考えれば、まるまる全部一人にやってしまうということも
——民法の
均分相続のほうはこれは不都合だということで、こういう是正を考えておるわけですけれ
ども、
均分相続の
法律がそのままあるのに、
民法の
規定があるのに、五年間の
時限立法の
特別法で、一坪残らず一人にやって、
あとの
子供にはやるところが残らぬようにしないとこの
法律は適用できないなんということは、これは少し私は行き過ぎじゃないかと思う。だから
農家の
農業経営のことも考えて、あまりこまかくならぬことを考慮する必要があるし、また
あと取りが安心して
あとの
農業が、その
お父さんの生きておる間に、死んだときに問題が起こらぬように、安心してやれるように考えてやるということはまことにけっこう。しかし、同時に、
あとに残っておる
贈与する
お父さんが、くどいようですけれ
ども、何年生きるかわからぬし、ほかにもきょう
だいがあるのに、若干の一
反歩や
——まあたとえば二町歩持っておる者なら、一
反歩や二
反歩の家の回りの畑くらいは
贈与しないで残しておいてもいいということにしますと、八方うまくいく。ところが、一坪でも残ったらもうだめだ、ことに、いま私が申し上げたような場合には、そういうふうに常識上差しつかえないと思ってやって
登記してしまって、取り消せば今度はもう納めてしまった
登録税を五万円も六万円も損をするし、そうかといって、それなら
あとの残った分を全部
子供に一緒に
あとから追加して譲ったらいいかというと、これは
年度が変わっておるからもうだめだという。
ミスじゃないから、
年度が変わって、去年の十月のとこれからの分と合わして、それで全部になってもそれは認められぬ、こういうことですね。いま
坂田さん、あなたはもう
農民にこまかい愛情のある
大臣だから、私は、特にこの点は
事務当局は何と言うか知らぬけれ
ども、一応検討してみる必要があると思う。
それからもう
一つあるのです。それはどういう点が問題になっておるかといいますと、これまででも
贈与はできるはずです。生前に
贈与は
幾らでもできるわけですけれ
ども、
納税の
延期という
制度を設けたのは、そうして
相続税として扱うということにしたのは、
贈与税ではたいへんな金を取られるからなんです。ところが、生前
贈与を適用して、一年たって死んだ。死んだときに今度再
評価をする。そうすると、実は生前
贈与じゃなしに、
普通贈与で払ったよりももっと高く今度税金が来た。これは私のほうの
税務署で、実は電話をかけたら、きのうもおこって帰ったというのです。そんなのなら初めに生前
贈与じゃなしに高い税を払ったほうがなお得だった、こういう実例があるわけです。これは
税務署のほうではそのときに
評価して、一年たって
評価額が上がったのだから、それはあたりまえだという
理屈もありましょう。ありましょうけれ
ども、この
法律を設けた
趣旨は、
贈与税を
相続税として納めさせるということは、
贈与税が高いからそういう
措置をとっておるのですが、この
制度を適用した結果、かえって高くなった。しかも
農家のいまの場合には、
分割して売るということを
前提としないでこの
法律はできておるわけです。売ったら高くなるかもしれませんよ。しかし、もし売ったら、もうこの
法律は取り消されるということになっておるのですから、売らぬという
前提でできておる。ただ、
評価の上だけで
最初の
普通贈与でやったほうがかえって得だったというふうな結果になるということは、これも考えてやらないといけないと思う。いろいろな
方法はありましょう。たとえば
最初贈与したときの
評価、そのときの
相続税なら
幾らぐらいかかっただろうかというようなことで査定するのも
方法でございましょうし、いろいろありましょうけれ
ども、とにかくこの
法律を適用してもらったために、かえって高くなったというふうなことが事実あるのです。そういうことのないようにすべきだ。
いろいろまだありますが、大体いままで申し上げたところを申しますと、その全部を渡す、一坪でも残っておったらいかぬという、この点について実際その
実情に沿わぬ点もある。それから「営む」という
ことば、これがいろいろ
解釈上の疑義を起こしておるということ。それから
最初生前
贈与ということで
知事の
許可を受けて
贈与を受けるときに、生前
贈与で
税務署に持っていったときにひっかからないか、ひっかかるかということをあらかじめそこで
連絡済みで行かないと、せっかく
知事の認可を受けておいて
登記までして、
登録税まで払って、そして今度認められないということになると非常な
損害を
農民に与える、こういう点ですね。いま即席でここでこうすると言うことはできなくても、少なくともこれは検討してもらわないといけないと思う。私は月曜日に
大蔵の
分科会に行って、これは税の問題ですから
大蔵関係で言いますけれ
ども、何と申しましても、これはすべて
納税当局の
イニシアでできた
法律で、現に今度の国会におきましても、
贈与を受けた
人間が
贈与した
人間より先に死んだ場合に、それの
贈与税はもう
帳消しにするという
改正が出るわけです。これもみな
農林当局からの
イニシアで
大蔵省では
改正を行なっておるものだと思いますから、まず
農林当局にその
実情を申し上げて、いかに対処されるかということを伺いたいと思うのです。