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帆足分科員 私は、国会に議席を置きまして十七年この方、ほとんど外務
委員会に所属しておりまして、平和と貿易の
方面の仕事に専心いたしておるものでございますが、しかし、国民大衆の一員といたしまして、切れば血の出るような切実な問題はおおむね
厚生省所管の仕事でございまして、しかもその
厚生省所管のお仕事が、皆さまの
努力にもかかわらず、必ずしも十分な成果を生んでおりませんし、また、インフレーションその他の影響を受けまして、
予算の裏づけも十分でございません。今日の
状況をもってしますれば、庶民の生活の痛みは、黙っておれない、石も叫ぶというような切実なことが山積しておる事情でございますから、私は、
厚生大臣を御激励し、また、おおむね党派を越えた課題が多いのでございますから、御
協力し、御
努力を一そうされていただきたい、こういう気持ちで参ったのでございます。
各
予算の
分科会にそれぞれ分担いたしまして出席いたしますと、各議員の申されることは、まことに粛然としてえりを正して傾聴いたすべきことが多いのでございます。私は、国会において、特に
予算分科会において、かくも熱心に、しかも具体的に問題が論ぜられておりますのが、イギリスのロンドンタイムスのように、パーラメント、国会という大きな欄があって、そのすべてが国民に報ぜられないこと、まことに残念に思うのでございまして、スポーツ面には一ページまたは二ページをさく五大
新聞が、国会開会中に、しかも重要なる
予算審議の各論に、そのページすらさかないという今日の実情を残念に思うのでございます。五大
新聞のうち、せめて一
新聞でも、この
予算委員会の間だけは、一ページを全部国会論議の紹介に充てるというような勇断を示す
新聞がなきものかとすら思われるのでございます。ここで私
どもは、別に大声疾呼して
大臣をおしかりする権限が何らあるわけでもありませんし、また、国民の立場からどうしても必要なことを互いに語り合って、乏しい財政の中から何とかやりくりし、運営上実行し得るものは実行したいという思いで、こうしておそくまで論議をしておる次等でございます。その点、イギリスの国会はさすがにみごとである。質問の通告を前日しておきましたのを、すっかり当局は目を通しまして、そして大体その
方向は取り入れたらよかろうという結論になりましたのは、多かれ少なかれ取り入れられまして、半年後には実現する。しかるにわが国の実情では、ここで大いに主張いたしますけれ
ども、国会が済めばおおむね忘れられてしまいまして、しかもいま審議しておりますときはもう
予算の大綱がきまってしまった
あとで、すべては
あとの祭り、汽車は出ていく、煙は残る、残る煙がしゃくの種、そういう環境のもとにおいていま論議が行なわれる。これは私は、どこかにやはり
欠陥があるのではないかと思います。
〔竹内
主査代理退席、
主査着席〕
御承知のように、人類の進歩は、長い間銃剣を交えた闘争で、戦争で、内乱で行なわれてきましたけれ
ども、民主政治になりましてから、国民の意思と言論と投票によって行なおう。それにはたくさんのまだるっこいこともあり、欠点もありますけれ
ども、とにもかくにも、かりにジグザグデモがあろうと、国会内の牛歩戦術があろうと、お互いにざんごうを掘って市街戦で争うというよりもはるかにいいことは間違いないのでございまして、「鞭声粛々夜河を渡る」などと言って酒のさかなにするならば、それも楽しいことでございますけれ
ども、現実に市街で鞭声粛々になったらたいへんなことでありますので、議会政治というものは、保守、革新を問わず、私はこれを最大限に活用し、育成してまいらねばならぬということを痛感いたします。しかし、十七カ年の議員生活を顧みますと、おまえは何をしたかと言われれば、もちろん野党ですから十分なことはできませんでしたが、ストレプトマイシンの生産に対して、六億円の
補助金を出すことをやっと御了許を得たことと、八万五千人の朝鮮人の諸君をふるさとに送るのを赤十字に加勢したくらいのことが、わが孫に誇り得る自分の業績でございまして、他は、ほとんど一体何をしたのかと思うとじくじたるものがあります。こういうことならば、むしろ
社会党などに入らないで、経団連の専務理事をしておって、二、三十億ももうけて、からだの弱い子のために、託児所でもつくったほうがよかったのではないかというような思いすらするくらいでございます。
私は、そういう気持ちで、ただいま
厚生大臣に幾つかの問題を、時間もございませんから要約して申し上げますが、どうか各位におかれましても、私
どもの主張でそれは正当であるとお考えくださることは、
施策の中に取り入れていただきたい。実は昨年も
予算分科会に出まして、たとえば特にオリンピック
関係のことは議員からも適切な注文もあり、
政府当局も御
努力なさいまして、建設
関係のことはもとより、風紀の問題に至るまで、まことにみごとに切り抜け得たのであります。これは行政当局はもとより、やはり私は、国会の業績として誇り得べきものであったと思いますが、たとえばテレビ、ラジオ、映画などについての各議員の非常に熱心な要望などというものは、まだほとんど取り上げられておりません。結局言いっぱなしになりまして、そうして時期は過ぎてしまう。できれば九月ごろ——九月の初めは暑いですから、九月の中旬から
予算の予備審査のようなものがあって、十分論議して、それが
予算に取り入れられる。そうして一月になりましてその仕上げが論議されて、
予算というものは二、三割組みかえが可能なものであるというようなことでやらなければ、一体議会というものは何のためにあるか、私はみずから十七年も議員をしておりまして、その議員みずから、私が疑問に感ずるくらいでございますから、庶民がもし議会に絶望したならばどうなるか、まことに深憂にたえない次第でございます。
さっそく本論に入りたいのでございますが、まず、今日諸悪の根源は、私はインフレーションであると思っております。かつて私が財界におりましたときに、銀行家
たちは、インフレーションから通貨の安定を守るためには、井上準之助氏にしても、また政界の浜口雄幸氏にいたしましても、みな命を賭してこれと戦って、高橋大蔵
大臣のごときは多少のリフレーションには賛成しましたけれ
ども、断じて消費生活を脅かす悪性インフレになってはならぬという主張のために、彼もまた歴史の犠牲になって倒れたことは皆さま御承知のとおりでございます。今日、下からはインフレーション、上からは重税、中産階級は没落し、生活の底の浅いこと、そうして住宅難、教育地獄、まさにこのような
状況で一体——昨日も文部
大臣に申し上げたのですが、インフレーション、住宅問題、試験地獄を解決しなければ、人間形成を説いたところで、これはほとんど役に立たないのではあるまいか。特にこのしわ寄せは、ことごとく皆さん、
厚生省所管の仕事にしわ寄せがまいっておるのでございますから、逐次この問題の解決策につきまして問いただし、そうして御奮励を希望いたしたいのでございます。また、一国の政治があるというゆえんのものは、これは富士山の上に雪を積みアイスクリームを売りに行くために政治はあるのではなくて、むしろ谷間の日の当たらないところにあたたかい涙を注ぎ、そして意気阻喪したところに勇気を与え、力を与えるのが、私は政治の仕事であろうと思うのでございます。そういう点から考えまして、たとえば安全保障という
ことば一つとりましても、安全保障とは国土と人の命と人間の福祉の安全を守ることでございます。だとするならば、今日の安全保障ということは、私はむしろ防衛庁ではなくて、安全保障庁に当たるのは、その中核は
厚生省ではあるまいか。現に、わが歴史に問題になりました業績を残したかのダレス氏は、中共兵に殺されたのでもベトコンに殺されたのでもなくて、ガンに倒れてしまいました。彼はガンに対する防衛を怠ったとも言えるでしょう。あるいはわが敬愛する、なき池田首相、この人もベトコンにやられたのではなくて、やはりガンにやられたのであります。だとするならば、厚生行政に使う経費と、今日の原爆の時代における防衛庁に使う経費との間には、合理的なバランスがなくてはならぬ。原爆一発の時代に、日本の安全のあり方はどういうものであるか。これは原子科学とロケットの観点からおそらく考えねばならぬ課題でしょう。いわんや朝鮮の例を引きましても、朴政権に三千億円払って——私は朝鮮の平壌で幼年時代育ちまして、父は平壌で産をなしました。朝鮮にはばく大な財産を、しかも個人の財産までも、国際法の従来の慣例を破りまして全部置いてまいりました。その後灰じんに帰したのは南北戦争のためでありまして、われわれは朝鮮にばく大な財産を置いてきました。東北、過去の満州において、中国の周恩来首相は、とにかく東北が傷つかずに残ったのであるから、旧怨を忘れて、もし日本があたたかい友情の手を差し伸べ、過去の植民地主義というような妄想をお捨てになるならば、賠償の問題は私
たちはたぶん言わないであろう、こういうふうに周恩来首相が語ったのを覚えております。そういう朝鮮でありますのに、三千億円の賠償金はあっという間に払ってしまった。私は三千億円でなくても、三十億円も朴さんに払えば十分であったのにと思ったのでありますが、同じようなことは、南ベトナムに百二十億円、これは鶏三羽の犠牲に払ったのでありますが、もらったゴ・ジン・ジェムも、アメリカのフルブライト外交
委員長が言うように、張作霖と同じように暗殺されてしまいました。残った金の一部は、坊さんのバーベキュー事件を起こしたあの魔女が、パリに持って逃げたという風評さえ聞くぐらいでございます。さらに驚くべきことは、タイのサリット首相のときに貸したはずの約二百億円の経済
協力金を、賠償金に振りかえてしまった。私
どもはさりとは情けないと言ったのですが、その後タノムという首相があらわれまして、頼む頼むと言われるから、こういう落語のようなことで国帑、大きな国の経費が安っぽく使われている
傾向がありはしないか。もし私
どもがほんとうに朝鮮を愛し、過去の宿命にいざなわれた植民地
政策を清算して、朝鮮によい技術、そして合理的な貿易をするならば、低利資金や輸銀を使うことによって朝鮮の福利民福に十分に寄与し得るわけであって、三千億円なんという賠償金は、偶然によって得たものは偶然によって失われる。ただでもらったものでこれを守ることはむずかしいのでありまして、私はむしろ、経済的に低金利の金をお貸ししたほうがよかったのではないか。そういうことも深く論ぜられないうちに、
厚生省のさいふはもうからになってしまっておった、まあこういうことではないかと思いますが、つい外務委員をしておりますから、話が余談に移りまして恐縮でございます。日もたそがれ始めましたから、皆さんのおなかもすいたことと思いますから、本論に急いで入りたいと思います。
まず第一に、命の安全保障という点から申しますならば、私は、今日ガンの対策は最も重要であると思います。量子顕微鏡によれば、ガンはすでにウイルスの一種であろうと推定されておるということでございますが、おおむね三十年前、ちょうど結核の薬ができたらなあ、こうわれ人ともに嘆いたあの時代に今日のガン対策の状態が非常によく似ていることは、
厚生省の医療行政に当たる皆さんが直観的に気づかれているところではないかと思いますが、同時に、心臓病、高血圧に対する対策、この二つができたならば、今日女性の平均寿命は七十二歳、男性のわれわれは、ちと夕方ごろから心がけが悪いので、五十七歳ぐらいと言われておりますが、しかし、これも、この二つの問題が解決したならば、まず九十歳、偕老同穴の天寿を全うし得るのではあるまいか。人の命ほどとうといものはありませんから、安全保障という意味が人の命を守るということであるといたしますれば、命の防衛庁こそは
厚生省当局ではあるまいか。大いに皆さんの奮起を促したいのであります。一体宮中席次などは、皆さん第何位になっておられますか。まごまごしているからばかにされるのでありまして、みずから卑しめる者、人これを卑しむ。いまこそ新日本の基盤は
厚生省であるという気概をもって、せっかく
大臣をお助けくださらんことを行政官庁の幹部の方にお願いしたいのでございます。
そこで、先日も私は上野の博物館に参りまして、平安朝時代の観世音菩薩の像を見てまいりました。あたたかいまなざしを見ながら、何百万、何十万の善男善女がこの像によってその植物的神経をなだめられたことであろうと思いましたけれ
ども、すでに空洞結核になっている患者やらい病患者や梅毒患者は、いかにおすがりしても、これはなおることは不可能です。それに比べるとズルファミン剤の進歩、ペニシリン、ストレプトマイシン、パス、ありとあらゆる化学療法の進歩などは、ほんとうに頭の下がるほどの大きな功績でございます。私は、祭日をつくるならば、三笠宮殿下まで御反対になっている神話を再びかつぎ込むのではなしに、医学の進歩に感謝し、医師の
努力に感謝し、健康をお互いに守り、ことほぐ祭日が一日くらいあってもいいのではないかという思いすらするのでございますが、
厚生大臣の御感想はいかがでございますか。最近の医学の進歩はすばらしいものである。これを国民のものにすると、残ったものはガン、血管
関係、心臓
関係くらいのものでございます。しかるに、ガンの研究費がだいぶふえましたけれ
ども、見てみると削られておりますし、非常に足りない。一体池田前首相のああいう痛ましい御最期を
厚生大臣は残念に思っていないのか。
厚生大臣の原案を削ったやつはだれか。その削った人を連れて来て、私は、池田さんの奥さんに頭を下げさせたいと思うくらいであります。ガンの研究に対して、それから世界各国の進歩に対して、十分資料を早く集める必要があると痛感いたします。また、榊原博士が中心になりまして、昨年
厚生省当局の非常にあたたかい御配慮、御理解な
どもあって、財界からの寄付金も多少集め、心臓及び血管に関する総合研究所をつくられておりますが、私は、これももう一段ひとつ
政府に助けていただきたいと思います。
本論に入ります前に、
鈴木厚生大臣には私も初対面でございますから、まずお気持ちのほどを先に伺って、それから
あとは一瀉千里に本論に入りたいと思いますので、ごあいさつを申し上げた次第です。