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帆足分科員 私、平素外務委員会に所属しておるものでございますが、この
分科会の席では、国民各般の切実な要求を政府に注意を促し、御要望いたす絶好のチャンスでございますから、親しく
文部大臣にお目にかかりましてうれしく思う次第でございます。
予算委員会の各
分科会に出まして思いますことは、私はやはり今日の議会
運営に根本的な欠陥があることを痛感いたします。各委員会におきまする同僚議員の質問を伺っておりますと、ただいま受田議員からもたいへん切実な御要望がありましたが、それぞれ生活体験から国民の要望を代表いたしまして、切実な、そして良識ある要望なり御注意が政府に要請されるのでございますけれ
ども、
予算委員会の段階になりましたときにはもう
予算はほぼきまっておりまして、政府が誠実にお聞き取りくださるならば来
年度の
予算に影響を及ぼす、多少
運営に影響を及ぼすぐらいのことであって、二、三日もいたしますれば、
予算委員会における議員の要望などというものは、ほとんど行政府で忘れられてしまうのではあるまいかとすら思われるのでございます。これは日本の議会制度そのものが国民の中に根をおろしてないという重大問題にもぶつかりますし、議員は、大所席所の大きな問題だけでなくて、国民生活の、切れば血の出るような切実な問題を政府に要求する。英国の議会の例などを見ますと、政府が答弁いたしましたことは、三、四カ月後には何らかの
意味で国民が満足するように実現を見ている。にもかかわらず、この国の議会ではほとんど言いっぱなしであって、むしろ、政府の痛いところを暴露するような時限爆弾のような演説をしますと、紙上をにぎわし、週刊誌の注目を集めますけれ
ども、ただいまの
学校医の問題のようなきわめて重要な問題につきまして、それについて適切な対策が数カ月以内に考えられるというような習慣になっておりませんので、私は十七年も議会におりまして、特に野党の
立場におれば行政の衝に当たる機会もないのでございますから、一体自分の議員としての生活は半ば無
意味ではあるまいかとすら思われる次第でございます。
昨年も一昨年もやはり
予算委員会で
大臣にいろいろ要求をしました。ある時期には、郵政
大臣になるべき方が、何かの
大臣の割り当ての都合で
文部大臣になっておられまして、一応御経歴を承
ろうと思って参考の
ために伺いますと、郵政行政に一生を捧げられた方でありまして、私も、日教組に対しては、ある部分には
賛成し、もちろん、ある部分にはまた独自の批判も持っておりますけれ
ども、日教組とけんかすることのエキスパートであって、あとはほとんど何も知らない。それで、おかしいと思って伺いますと、一体ジャン・ジャック・ルソーの名前ぐらい御存じかといいますと、名前はうわさに聞いたようなことがある。「エミール」を読んだか。読んだこともない。一体、あれほど日教組と大論争をされるから、どういう
教育学説に御傾倒になっておられるか、著述の二、三でもお示し願いたいというと、
教育学については全然木を読んだこともなければ、ペスタロッチなどという名前はあまり聞いたことがない。そういう方が
文部大臣であるならば、なるほど、学也も教師もその
文部大臣の声に耳を傾けないのは、むしろ日本の文化水準がまだ健全である証拠ではあるまいかと、逆に意を強うしたような次第でございます。しかし、
教育の仕事は人生そのものでありまして、むずかしいことでありまして、学説よりも、誠実な人生体験と良識のある方が文部行政の
責任ある衝に当たられるということが、最大の教師たる資格でありますから、私は
中村文部大臣に対しましては日ごろ敬意を表しておる者の一人でございます。
そこで、まず、いろいろお話してお約束したことは、その全部とまでいきませんでも、数カ月後には多少の成果があがるというふうにひとつお聞き取りを願いたいのでございます。そうでなければ、われわれは何も政府の先生ではありませんから、言いたいことを言って、準備をして説教して、授業料をもらうわけでも原稿料をいただくわけでもない。それが国民の耳に入り、政府の耳に入って、そうして
教育の偉大な仕事の上に多少でも実施されてこそそれは価値があるのでございまして、こういうことを申し上げましても、お聞きになる相手が
中村文部大臣でありますから、私も言いがいがあると思って申しておるのでございます。
そういう心持ちで申し上げますと、大部分のことは党派を越えた問題が案外多いのでございまして、ただいまの
学校医の問題にいたしましても、これは非常に重要なことでございます。私は平素、
教育には医学の知識が必要であることを痛感しております。と申しますのは、私は中学三年のときに、スパルタ式
教育の、非常にいい一面もありましたけれ
ども、中学で寄宿舎の生活をしました。しかし、校長先生に栄養学の知識が全然ありませんでした
ために、一方ではスパルタ式に鍛えられ、他方では、かぜの予後など、まして、陽性転化などという知識は全然ありません。当時の
学校の教師などというものは、高砂族の生蕃人みたいなものでありまして、児童の陽性転化などということは全然知らないわけでございますから、大正九年のインフルエンザの大流行のあとに、
学校の粗衣粗食とちょうど生理的転換期の年がたたりまして肺尖カタルになりまして、以来十数回喀血いたしまして、半生、ストレプトマイシン、ハス、ヒドラジッドができるまでの間は、私はたいへん長い間重荷を負ったような生活をいたしまして、水を飲めというから水も飲みましたし、石油を飲めというから石油を飲んだ時代もございます。そのことを思うと、最近の医学の進歩は敬服にたえない次第でありまして、建国祭をつくるならば、なぜ、医学と医師に感謝すべき日ぐらいつくらないのか。先日上野の博物館に行きまして、平安朝時代の大慈大悲の観世音菩薩像のやさしいまなざしをつくづく見ながら、いままで何十万何百万の
人たちがこの像を見て、潤いある心を持ったことであ
ろう、そして心に祈ったことでもあ
ろう、しかし、一人のらい病患者でも一人の喀血患者でもこの菩薩がお救いになったかというと、私はそうでないと思うのです。植物性神経に直ちに影響するような疾患については信仰で救い得ますことは、御承知のとおりですけれ
ども、すでに空洞のできた結核に対しては、大慈大悲の観世音菩薩もどうすることもできませんでした。それがいまでは、マイシン、ヒドラジッド、外科手術の進歩等によりまして、一応医学的には結核の問題も解決し、性病も解決し、らい病ですらもう乗り越えることができるようになりまして、学術の進歩に対して私はこうべをたれざるを得ない思いをいたしたのでございます。
話は余談に移りましたけれ
ども、時間もありませんから、まず順を追って
お尋ねしたいのですが、早稲田の問題につきましては、同学の先輩の諸兄も非常に御苦労されており、世論も心痛いたしておりますが、結論といたしまして、とにかく、韓国の朴政権に三千億円も賠償金を払い、タイの今度の総理の名前はタノムというのですけれ
ども、頼まれたからでもありませんが、タノム総理のその前はサリットという総理ですが、このサリットに、払わなくてもいい金円二十億も経済援助のお金を池田さんがちょっと振りかえたのであります。私は、さりとは情けないと言ったのですが、今度はタノムが来まして、また頼む頼むと言っているそうですか、そういうような金は、出世払いとかいって惜しみなく出す。しかるに、インターンの問題とか
学校医の問題とか、それから痛ましい
身体障害児に対する対策などといえば、ほとんど実にりょうりょうたる
予算であって、先日
身体障害者福祉大会に出まして、あの墜落したジェット機の翼の
一つでもわが幼稚園にもらうことができたならばという保母さんの叫びを聞いて、政治家たることを恥ずかしいと思わなかった人は私はないと思うのであります。
どうもどこか狂ったところがあるので、現に
予算委員会で、もうすべてがきまってしまった後に、こうして私
どもは繰り言を述べておる。しかも、私
どもの切実な要望は、新聞に載り国民に知らされるかと思うと、わずか二行か三行です。ロンドンタイムズにはパーラメントという欄がありまして、毎日詳しく出ております。新聞を見ますと、スポーツ欄というのが一ページないし二ページもある。しかるに、議会という欄は、国会開会中にすらない。わが敬愛する朝日、毎日、読売にすら、議会という欄はない。
予算委員会は、ほんのゴシップのように各
分科会について二行か三行出ているだけで、そうすると世間の
人たちは、議員というのは、あれは豚殺しか犬殺しか、とにかく駅頭でやたらに大きな声を出すけれ
ども、われわれの切実な要求に対して一体何をしておるか。私は、ほとんど国民各位は御存じないと思うのであります。だとするならば、こういう
予算分科会は、むしろ
予算準備の過程の九月ごろ、九月一日ではちょっと暑過ぎますから、九月十五日ごろ
予算準備委員会を一ぺんぐらい開きまして、それに基づいて政府は
予算をつくる、そしてまた仕上げでこういう
分科会を開く、そして、ちょうどわが家の家計をつくると同じように、一番大切なところを、切れば血の出るようなことを先に論じて
予算を取って、朴に三千億払うか三百億払うか――私は、朴政権などには一億円も払っておけばいいのじゃないかと実は内心思っておるのですけれ
ども、そういうことは九重の雲深いところでさっときまってしまう。そうして、この
分科会で論議されるような切実な問題に対しては、大蔵省の
主計官殿は、厘毛の金すらさく思いがないほど愚昧ではないわけですが、おおむねお大学を出ておりますから、良識もある方々ですけれ
ども、そういう権能もなく、そういう
予算も残っていない。すでに
予算も何もなくなってから、それからみな聞くも涙、語るも涙のような要求が次々と出てくる。こういう現状の議会の
運営の根本に間違ったところがある。議運族の
諸君は、各国の憲法調査とか、各国議会
運営の
研究とかいって、いとも朗らかに海外を視察なさっていますが、それもよいことですけれ
ども、日本の議会制度が
ほんとうに国民から信頼され、そうして頼みがいのあるような
運営にやり直さなければ、私は議席を持って十七年、夢のごとし、これはむだな半生であった。あのまま経団連にいて、そして
社会党などにおるよりも実業家になったほうがよかったのではないか、そうすれば自分で孤児院の三つや四つぐらいは――いまは孤児院とは言いませんが、親なき子たちの託児所の三つや四つ自分で経営できたのに、これは道を誤ったのではあるまいかとすら実は思うわけでございます。
そこで、昨年もまずラジオ、テレビについて私は発言をしました。映画館に行くと、がらんとがらあきでございまして、ほとんど観客は少のうございます。それも当然でありまして、人間は延髄から小脳、小脳から大脳に発達しまして、人の大脳ほどとうといものはありません。星を見れば美しく、厳粛でありますけれ
ども、その何万光年かのかなたから光芒を放つ星がわれらの目に映り、その星を認識する人の心はもっと荘厳にして偉大なものではないでしょうか。映画にしろ、芸術にしろ、テレビにしろ、人の心に触れるものがなければならぬ。今日互いに忙しくて人の心を失っておることは御承知のとおりです。インフレーションの
ために生活の根は浅くなっておりまして、道義地に落ちるといって嘆き、
文部大臣も人間形成などというつまらぬ作文を大学出の安月給取りに書かせるけれ
ども、インフレーションである限りは、とにかく、千円札の盗人をさがすといって大騒ぎしまして、まだとうとう出てきませんでしたけれ
ども、月五万円の収入のある中堅階級が年に六十万円、一割インフレーションになれば、物価が上がれば、六万円日本銀行によって収奪されたことになるわけです。過去二十年、所得倍増、
設備改善といって、
昭和六年わずかに二百万トンであった日本の鉄が、驚くなかれ四千万トンの鉄をつくっている。世界第三位です。四千万トンの鉄をつくっているその国で、
子供たちやその母や祖母たちはどういううちに住んでいるかというと、いまだに東京に通うのに四十分も一時間も一時間半もかかるところから通っている。まるでウガヤフキアエズノミコトがつくりたもうたようなあばら家に住み、私の東京第四区、文化の町といわれるところの杉並の駅の近所の食料品店でも、水槽便所はりょうりょうたるもので、まさにスサノオノミコトがものしたもうたようなおトイレを使っておるような
状況です。これで衛生を
子供たちに説いてみても伝染病がなくなるはずもなく、これほど化学薬品の発達したときに、赤痢、疫痢があとを断たない、こういう
状況です。私は、まずインフレーションを退治し、それから住宅問題を解決し、そして
教育費をもう少しふやして、
教育の機会均等を与え、
子供たちにいまのようなアルバイトの苦労をさせないということでなければ、百の親の説法もへ
一つということになるのではないか。かつて孟母三還の教えというのがありましたけれ
ども、かりに孟子のおかあさんがおりましても、公団のくじが当たるまで、赤線区域の近所から早く移
ろうと思っても十年以上かかりますから、そのうちに血気盛んな孟子はもう非行
青年におい立ってしまう。孟子のおかあさんといえ
ども、もはや今日のとうとうたる情勢の中で、住宅難の中でどうすることもできないのではないか一近、
青年の自殺、ことに六十歳以上のお年寄りの自殺が非常にふえております。特に人の胸を痛ましむるのは、平均年齢がふえまして、女性の平均年齢は七十二歳、男子は特に夜の心がけが悪いので五つ下の六十七歳といわれております。まことに遺憾なことであります。しかし、平均年齢は延びたのに、年寄りの穏やかであるべき晩年の生活が悲惨であって自殺が多い。最高です。その自殺の原因を調べると、結局、長男が嫁をもらった、新婚旅行から帰る、四畳半の隠居部屋
一つ確保されなくて、世をはかなんでという理由が非常に多いのでございます。私はある
教育学者に会いましたら、
帆足さん、
ほんとうに学者というものは弱いものです。このとうとうたるマスコミ、このとうとうたるインフレーションの生活難、住宅難、交通難、試験地獄、この前にぼう然として、この貧しい教師ほど弱いものはないという悩みを聞きまして、私もそうだと思いました。したがいまして、ひとつ
文部大臣は、政治力のある方ですから、厚生省、郵政省に対して毛閣議で御発言くださいまして、まずテレビ、映画についてひとつ厳重な警告を発していただきたい。大体、今日の映画などというものは、まことにひどいものがある。人間は大脳によって生きるものでございますから、動物的、本能的反射作用をつかさどる延髄的映画、セックスに関する映画なんというものは、一回か二回だけはある
意味では
教育にもなるし、これが人間の既成概念を打破する
ために、性の解放の
ためにもいいことでしょう。しかし、阿片中毒のようになりまして、武智君の「紅閨夢」も一本くらいはいいけれ
ども、次々にひどくなってきますと、これでもかこれでもかと、しまいにはエロ映画の終夜映画劇場が至るところにできておることは御承知のとおりです。いま、
子供が映画に行くと言うと、親が顔をしかめる。昔は、土曜日は
子供の手を引いて、
子供と申しましても中学三、四年生ですけれ
ども、そのころになれば手を引いて、そして泰西名画などを見て、帰りはアイスクリームでも食べながら、親子ともその日の芸術映画の印象を語り合ったものです。今日の映画の姿は、最近「サウンド・オブ・ミュージック」とか「フィフィ大空を行く」とか、まことに愛らしい映画が来ておりますが、やはりいい優秀な映画は満員です。決して映画産業は絶望することはないのです。それなのに、いま阿片中毒の迷路の中に入っておる。テレビのコマーシャルに至ってはもう言語道断です。
文部大臣がどんなに
教育を口になさっても、あのテレビの番組の前に
子供がかじりついておるのでは、私は処置なしと思うのです。昨年はハムレットという名作のテレビがありました。若き王子ハムレットが生くべきか死ぬべきかの悩みを訴える。その最中に、インスタントラーメン、こう来ちゃう。一体、シェークスピアの劇を鑑賞するようなときには、ナイヤガラの瀑布を流れるくらいの大脳のエネルギーが流れておるんだそうです。大脳生理学の示すところによると。その瞬間に、インスタントラーメンと来れば、これは不良少年がふ、えるのはあたりまえのことです。不良少年はまさに映画とテレビがつくっておると言っても私は過言でないと思うのです。私は
社会主義者です。したがって、ソ連、中国には非常な関心を持っておりますが、別に無条件に礼賛をしておりません。しかし、これらの国の映画には、とにもかくにも、どろぼうを賛美したり、やくざを賛美したりするような映画は一本といえ
どもございません。
社会主義国には
社会主義国としての、
社会主義的官僚主義とか形式主義とか、欠陥のあることは御承知のとおりですし、また、資本主義国にも
ほんとうに学ばねばならぬよき自由の伝統があることも御承知のとおりです。しかし、今日のテレビ、映画等のように、人生は入れ墨と不良少年と人殺しでできておるのかと
子供たちに錯覚を起こさせるような今日の
状況を
文部大臣はどのようにお考えでしょう。
昨年、私は、郵政
大臣と
文部大臣と一緒に
分科会に出ていただきまして、こういうことを続けるならば、私は
文部大臣のおうちに行って、そして、多少乱暴ですけれ
ども、応接間のテレビをうちの金づちでたたきこわしてしまうから、さよう心得ありたい、そのくらいわれわれは激怒しておることを御承知願いたい、こう言ったのであります。私も別にぼくねんじんでもありませんから、人生のいろいろな姿を見ることもいいことです。また、健全なエロチシズムも非常に大切なことです。しかし、今日のような番組では、うちへ疲れて帰ってまた疲れが増加する。そして、絶望して帰ってさらにまた絶望を深くする。このようなことではどうにもならぬと思うのです。元来
文部省は、いまの
文部省の皆さんは一応礼儀上私は敬意を表しますけれ
ども、昔の
文部省は文化と
教育を最も苦しめる場所、あたかも昔の警察が最も人権をじゅうりんする場所であったのと同じ伝統の場所ですけれ
ども、いまは時勢も変わりまして、若い官僚
諸君もよく御勉強なされつつあると思いますけれ
ども、
文部省に政治力がないのでしょうか、こういう
状況をいつまでもほっておかれるのは。そこで、昨年は郵政
大臣も
文部大臣も、今日のラジオ、映画の現状については
帆足委員と全く
意見を同じくします。適当な措置もし、警告も発し、成果があがるようにしますとお約束をいただいて、私もその速記録をすぐ映倫の
委員長とラジオ・テレビ番組向上
委員長の澁澤さんのところにも数部お送りしたのです。しかも、澁澤さんから丁重なおはがきをいただきましたけれ
ども、いかんせん政治力が及ばない。それで、今日ほとんど進歩のあとは見られません。
文部大臣が閣議で十分な御発言をなさり、映倫委員会やラジオ・テレビ番組向上委員会にも御出席くださって、そして厳重な警告を発する、
予算分科会では与野党の議員からこういう警告があって、
文部大臣としてもその警告の正しい部分は採用せざるを得ないという強い発言をしていただかなければならない。
私は、日本は山高く水清く、子共たちに示すどんな美しい題材でもあると思うのです。また、いま世界は小さくなりまして、世界の国々で知りたいこともたくさんありますし、すぐれた映画といえば幾つでもあります。また、文化映画、
教育映画などで各種のコンクールに一等に当選したものもたくさんありますが、当選したときには普通もう町ではやっておりませんから、当選した映画などほとんどわれわれ見る機会もない。私は中曾根議員とよく話し合うのですが、本来ならば、劇映画を一本、それから文化または
教育映画で十五分間前後のものを一本、ニュースを一本、これを一組にすれば、大体二時間か二時間十分、それで回転させるほうがいいのじゃないかと私は思う。戦時中これを行ないましたが、私はあれは戦時中の産物としてはいいことであったと思っています。しかし、それを官庁が強制するわけにもまいりません。やはり文化の問題は内面指導でいかざるを得ないでしょう。したがいまして、まずテレビ、ラジオ、映画につきまして、
文部大臣はひとつ重大な決心を持ちまして、
文部大臣の見識において郵政
大臣と相談されまして、これが国民に好まれ、国民の教養を高め、国民の人世に対する認識豊かな思いを高めるようなものになさるというように、この際努力してくださる御意向があるかどうか。特に、テレビに対しましては、議員、それからジャーナリストも弱いのです。テレビに出さしてもらわねばならぬものですから。
ほんとうはもう少しあしざまにののしりたいのですけれ
ども、そこを節度をわきまえて、テレビ、新聞に対する私
どもの批判は多少控え目にいたしておる点もあるのですが、
文部大臣から御所信のほどを承り、そして、ぜひともひとつお力添えのほどを願いたいというのが第一の質問でございます。