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丹羽(兵)
分科員 ただいまお尋ね申し上げた点については、
大臣はじめ
局長から、
公共団体の
立場等も
考えていただいた、まことに誠意ある
お答えをいただきまして、また、
指導的な
考え、
方針をお聞かせいただきまして、満足するものであります。せっかく国家のために
自分たちが
難儀をし今日まで
管理をしてきた
学校が、時代の
要請によって
国立に移したい、また移すことが、また受け取ることが、国としても
教育上非常に効果のあがることであるということでおやりくださるのでございまするから、どうかそうした
精神がどこにも生きるように、いま御
答弁くださったような
方針、方向、
指導によって、今後、より以上感謝と、また大きな期待、
希望の上にそれぞれの
学校が国に移されていきまするよう、そうした
気持ちで移されるものは移されるように
——私は、広いものを全部拾ってくれというのじゃなくて、移されようとしておるものは、そういう
気持ちで移されていくような処置をとっていただくことを強くお願い申し上げておくと同時に、御
答弁に対してきわめて敬意を表する次第であります。
次に、もう
一つ二つ簡単にお尋ねしたいのですが、これは具体的なことでございまして
同僚委員の
方々にはお耳ざわりのことでもあろうし、御迷惑なことでございまするから、特に
地方的な問題でありまするので、きわめて要点だけを私はお尋ね申し上げたい。
先にお尋ねしたことと関連もいたしておりまするが、ずっと昔の話でございますけれ
ども、
学制改革が行なわれた。そのときに、各県にございまするところの
学芸大学を、一県一校の
方針、これはもうはっきりした
方針のようでございますが、たくさんある
青年師範学校とか、あるいは
女子師範学校、大きな県によりましては
二つ、三つの
師範学校を持っているが、それが
学芸大学ということになって一県一校の
方針がとられた。私は
愛知県が選挙区でございまするが、
愛知県には、古い
名古屋の第一
師範学校、
岡崎の第二
師範学校、そしてまた、
青年師範学校とか、あるいは
女子師範学校というものがあった。これを統合してどこかに
一つの
大学にしたい、国の
方針であるからというので、その当時、ずいぶん昔のことでございますけれ
ども、
名古屋の第一
師範学校を
主体とした
——主体ではありませんけれ
ども、そこを本拠にした、
愛知県の
中心は
名古屋だから、
名古屋に
愛知学芸大学を置くべきではないか、
学校を志願する人あるいは教員の需給の
度合いから
考えても当然ではないか。また、
岡崎は
岡崎のほうで、
名古屋にはたくさんの
学校があるからして、せめて
文化施設として
岡崎に
愛知学芸大学をつくってほしい、そしてそこに統合したいというので、ずいぶんいやな争いが起きた。それが
卒業生を
グループとした競争になった。
一つは、
愛知第一
師範学校を
中心とした
グループ、これにそれぞれの
地方公共団体なるものが加わり、それにまたいろいろの
関係が加わる。また、
岡崎側にしてみれば、
岡崎の
卒業生を
中心とした
団体、これにまた
岡崎を
中心とした
地方教育団体、そこに行政
機関的なものが集まって、猛烈な
誘致運動をやったのでございます。ところが、国は将来をお
考えくださいまして、そういう
運動には目も耳もかさず、国としてどこに置くべきだということを御判断いただいて、
岡崎に
愛知学芸大学を置かれた。私
どもにしてみれば、全然、
入学希望者の少ない、需要の
度合いの少ない
岡崎に
学芸大学を置かれるなんということは夢にも思っていなかったのですけれ
ども、将来を
考え、
文部省のとられた
措置については決して
異論をはさむものではなかった。やむを得ないと
考えておりました。そこで、
愛知の
学芸大学が一県一校ということで
岡崎に置かれ、そこに
大学の
本部及び
分校を置き、
名古屋のほうには、実情、なしにするわけにはいきませんから、
名古屋には
分校というものをつくった。それで、せっかくの一県一校の
精神がここでくずれてしまったのです。
本部というものは
岡崎にあって、そこに
分校がある。
名古屋には、
本部はないけれ
ども、
分校というものがあって、大きな力を持っておる。形だけは一県一校でございますけれ
ども、今日においてすら、
愛知学芸大学は、
からだは
一つであるかもしれませんが、頭は
二つに、もっと逆に言うなら、頭は
一つかもしれませんが、
からだは完全に
二つに分かれておる。これは
ほんとうの国の
方針、
学芸大学に関する限り、一県一校であるという
精神は貫かれていない。まことに遺憾なことであります。それがずいぶん長い間今日まで続けられてきた。いま
名古屋、
岡崎については、こういうことは子孫のためにも
教育上のためにも好ましいことではない、何とかこれらの解決ができぬものかと私
どもは願っておるのでありまするが、そういうような事態ができたということは、私が冒頭申し上げたようなところから出てきておるのです。それは、
愛知学芸大学はいろいろな問題があって、まず
本部だけは
岡崎に置きましょう、
実質は
名古屋のほうにも置こうし、
岡崎のほうにも置こう、さあそれであなた方は設備をしっかりおやりになれば、今後どこに
大学が集結されるものであるかわからない、暫定的な
措置であるから、しっかりと
施設を
整備しなさいと、当時の
政務次官等がこういうことを
地元に来てあおり立てられた。だから、
名古屋におきましても
岡崎におきましても、将来は必ず
名古屋に来るものであり、また
岡崎側にしてみれば、永久に
岡崎に一本化されるものである、こういうようなことで、苦しい中を相競って、
名古屋には、
ほんとうに国がおつくりいただいたよりもりっぱなりっぱな
施設を持つ
大学分校をこしらえてしまった。
岡崎側にもそれと同じようにつくった。もう何ともならぬようになってしまった。この間うちそういうような
指導をなさったところに、私は、当時の
文部省のその場限りの、おじょうずな
指導の
方針があったと思うのです。一体この当時
文部省は金を出しておいでになりますか。私は、あなた方が出したとおっしゃるなら、ここでどんな反論でもする。今日
愛知学芸大学名古屋分校の
施設の
後援会長は、いまお尋ね申し上げておりまする
丹羽兵助でございます。私なんでございます。数十億という大きな
財産のものを国にそのために
施設を
整備して
移管したじゃありませんか。御
承知のように、以前には
大岩市長がこの
会長をやっておられた。国では、金を出すことは、いま言った
財政の
負担になるから、県庁も市役所も出せないという
法律をお出しになった。大きな
借金をかかえて私
どもは非常に
難儀をして、今日なおその
借金をかかえて私
どもは苦しんでおる。しかし、それはわずか一部のことでございまするけれ
ども、私
どもが
借金をかかえて非常に苦しんでおる事態が、今日付属の
運動場になり、
施設が置かれておる。国のものではない。こういうように、とにかく、
整備をすればおまえのほうにやるのだ、
整備のできたところが将来勝つであろうというように、責任のない
指導をして大きなものを
整備さして、今日けんかをやらしておる。これを
文部省がながめておるということは、私は道義上許すべからざることだと思います。だから、ここで、一県一校ではありながらも、そういう
精神をくずすことはできないにしても、何かの形で、ここまで
難儀をしてきたものを、この大きな
施設を
整備さした
立場からも
考えて、これは何とか解決をしていただかないと、
ほんとうに、これは政治問題であるどころか、
地方問題になる。
卒業生の争い、学閥争いもあるかもしれませんが、いまでは学閥争いどころではなくして、われわれ
愛知県から出ておりまする衆参両院の国会議員間の大きな争いになっておる。そうして、これまた
愛知県の中の
一つの行政的な地域的な大きな争いになっておる。一日も早くこの問題は解決していただくことが、私は、
文部行政の責任ある
文部省のとられるべき態度だ、こう
考えておるのであります。時間がございませんから、あまり私の
考えを述べさしていただくことはできませんが、とにかく、
大臣、これは困り果てておるのです。知事の選挙になっても、代議士の選挙になっても、あるいは小さな市長選挙になりましても、何もかもこの
学芸大学の問題で
二つになっている。そのもとは
文部省が
——私は与党ですから、あまりはっきりよう一言いませんけれ
ども、その当時も与党の内閣なんですからね、全くこれは与党の責任なんですよ。やりなさい、やりなさい、やったほうが勝ちですよと言って、銭も出さずにやらしてしまって、今日
二つにすると、ああだこうだと言っておられる。まことに私は残念だと思う。
そこで、ちょっと前置きが長くなりましたけれ
ども、
大学局長にお尋ねしたいのは、私のいま申しあげたような
——文部省だけじゃなくして、私
どもにも責任がある。みんなに責任はあるけれ
ども、現在の姿をこのままにしておくことは、いわゆる大事な教員養成
機関としてまことに遺憾なことであるからして、これを何とかひとつわれわれの手によってでも解決しようというので、
大学の先生が立ち上がられた。これは知ってみえると思います。立ち上がって、もう私
ども以上に、政治家以上に、その
立場にあられる先生
方々、教授陣はこの問題を真剣にお
考えくださいまして、これはひとつわれわれで解決しよう、こんなことをいつまでもやっておったらたいへんだということでとられた
考え方というのは、
愛知学芸大学を、もう一切
名古屋だとか
岡崎だというような
立場を捨てて、
ほんとうにすっきりした統合をしよう、
岡崎でも困る、
名古屋でも困るならば、第三の適地にしっかりした
大学をつくって、国の
方針どおり、胴体
二つのものじゃなくして、完全な、頭も
一つ、
からだも
一つという
学芸大学をつくろう、そして、より以上内容の充実した
大学にしていこうという
考えを天下に声明せられたように私
どもは
承知しております。私
どもも、それは非常にけっこうなことだ、いつまでも先棒をかついでけんかしているなんというばかなことはない、国の将来、
教育におけることだから当然だと
考えまして、
大学の先生の意見にわれわれはほぼ賛意を表しておるものでございまするが、また
文部省も、これはきわめてけっこうな
措置である、一日も早くこれを実現して、長年のこの不愉快な
——不愉快どころか、罪悪にひとしいところのこの争いを解決しようと誠意を示しておられると聞いておりまするが、一体
ほんとうにこの苦しみを国民のために解決し、県民のために解決し、しかも次代をになう青年と申しますか、いわゆる総理のことばをかりて言うならば、二十一世紀をになって立つところの、二十一世紀の働く人々の
教育のために、この問題を、いま
大学の先生方が
考えていらっしゃるような
方針で
文部省としても解決しようとする熱意、努力、誠意と申しますか、お
考えをお持ちかどうかということを明らかにしていただきたいのであります。