○大川
公述人 ただいま御紹介をいただきました大川でございます。
私がこの
機会に申し上げたいと思っておりますことをあらかじめ最初に申し上げておきますと、第一番目は、
不況対策としての
財政政策は資源配分の適正化への努力と切り離して遂行さるべきではないということであります。第二点は、これまでの
高度成長期下における資源配分の姿はどういったようなものであり、今後はそれをどういうように修正すべきであるか、四十一
年度予算によりまして資源配分にいかなる変化が与えられるかということであります。第三点は、建設
公債の
発行論拠について吟味し、それは民間投資からの振りかわり資金によって
消化さるべきであるという点についてこれから順次述べてまいりたいと思います。
最初の
経済安定
政策に関する問題でありますが、御
承知のように、
財政の
経済的機能の三つといたしまして、資源配分機能、それから所得再分配機能、
経済安定機能といった三つの機能がいわれておるわけでありますが、最近の
長期的な
不況に直面いたしまして、この最後の
経済安定機能を
財政が積極的に果たすべきであるということが最近非常に強調されておるわけであります。
フィスカル・ポリシーの採用であるとか、古典的な
均衡財政から、拡張的赤字
財政政策への
転換とか、あるいは
公債を抱いた
財政の展開とか、あるいはまた
政策不在の
財政からの訣別であるとか、いろいろな表現で現在の
財政政策の力点の置き場所を変えるべきであるというようなことが示されているわけであります。
財政が高
雇用水準の
経済安定という
政策目標を追及せねばならないことについて、これ自体については私も異議がございません。大量の労働者を失業せしめたり、あるいは生産設備を遊休化しておくことが社会資源の非常なロスであり、また今日の
財政は、安定
政策という
政策目標を達成するのに
効果的な
政策手段を備えているのみならず、十分に影響力のあるほどの比重を
国民経済においてすでに占めておると考えるからであります。
ただ、私がここで強調しておきたいことは、
財政の
経済安定機能なるものが、よく伝統的とか古典的とかいわれておる他の
二つの機能、すなわち資源配分機能、所得再分配機能と独立に、それらから切り離されて遂行さるべきではないということであります。伝統的とか古典的とか、そういうような形容詞がつけられますと、今日ではもうあまり重要視する価値がないような印象を与えますが、私はむしろその反対であると考えます。
財政の
経済安定機能は決して他の
二つの機能にとってかわるべきものではなくて、むしろそれら
二つの機能を発揮すべき場所を広げるものであるというふうに思います。
国民経済の動きに密着して、
経済安定機能を積極的に遂行することが要求されるということは、とりもなおさず社会資源の効率的配分において、
財政が積極的に指導性を発揮する領域を
拡大することにほかならないと考えます。その領域での
財政の責任は、安定機能の強化につれてますます大になると考えなければならないわけであります。といいますことは、デフレギャップを埋めるため量的に
有効需要を喚起しさえすれば、今日の
財政の責任が果たせるわけではなくて、いかなる質の
有効需要を増すかということの決定が重要だということであります。
御
承知のごとく、
財政的措置による
有効需要の喚起の方策といたしましては、
政府支出の
増加による赤字
予算、あるいは
減税による赤字
予算、第三に均衡
予算規模の
拡大という三つの方策があるわけでありますが、その中のどれを選択するのか、どのようにそれらを組み合わせるのかが重要であり、また、かりに
政府支出の
増加を選択する場合におきましては、いかなる
政府支出を
増加するのかという決定が重要であります。それらの決定いかんは、単に
有効需要の量的
拡大効果を持つのみならず、民間投資、
個人消費、
政府消費、
政府投資などの間の配分比率に変化を与えるものであるからであります。
完全
雇用の場合は、ある用途への、たとえばAという
政府用途への資源使用を
増加させるためには、他の用途、たとえばA以外の
政府用途、あるいは
個人消費とか民間投資といったものを減少させねばならないわけでありますが、そういった
意味でこの
機会費用がじかに感じられるので、どちらかというと抵抗を受けやすく、したがって、その決定には慎重ならざるを得ないわけであります。ところが、遊休資源が現在存在しているような
もとでは、ある用途への資源使用の
増加は、他の用途への減少を伴いませんから、そのような資源配分上の考慮を軽視してよいかというと、私はそうは思わないのであります。その場合でも、他の用途への使用を
増加する
可能性を打ち消す作用があるからであります。
四十
年度から
政府支出が
租税収入のきびしい制約を免れて、
公債発行によって、
租税と比べれば比較的容易に
政府支出を
増加し得る
可能性が生じましたことによって、
インフレ不安感が持たれており、本
委員会でも活発な論議がかわされたように
承知しておりますが、その不安感の底にあるのは、いままでの高成
長期において行なわれてきた資源配分のやり方に対する反省が十分加えられないままに、
不況対策を大義名分として
政府支出が膨張していくことに対する不安感があるのではないかというふうに思います。それゆえ、今後安定的成長を
維持していく上に
政府支出の
増加がかりに必要としても、他の資源用途とのつり合い、並びに
政府支出内部における諸支出間の配分について十分な検討を加えるべきであると思います。
そこで、次に第二の問題に移りまして、従来の
高度成長期の
もとにおいていかなる資源配分のやり方が行なわれてきたか、また、それを今後どういうふうに修正すべきであるか、四十一
年度予算における資源配分への影響といった問題について考えてみたいと思います。
これまでの
経済政策、あるいは
財政政策を支配してまいりましたのは、生産能力の
上昇を目ざす成長第一主義であるといえるのではないかと思います。そのために資源配分
政策上どういう措置がとられてきたかと申しますと、第一は
国民総支出に対する投資率を高めることであります。しかも、その投資でも、なるべく生産力
上昇効果の大きい分野に投資を集中するということが第一であります。
第二には、投資率を大きくするためには
政府支出率——
国民総支出に対する
政府支出の割合という
意味での
政府支出率を比較的低位に保持する。均衡
予算原則に依存してこうしたことが行なわれてきたわけでありますが、
政府支出率を比較的低位に保持する、逆に
租税率は比較的高位に保持する、こういうことによって
個人消費の
増加を押える
効果が出てくるわけであります。
第三番目には、
政府支出のうち
政府投資に向ける割合を高めるということであります。また、その
政府投資の中でも、比較的生産力
上昇効果の高い分野に
政府投資を集中すること、こういった措置が結果においてとられてきたわけであります。
その
関係を
国民所得白書によりまして
昭和二十九
年度と三十九
年度とを比較してみますと、民間総固定
資本形成は
国民総支出の一二・四%から二四・五%に倍増しております。これに対して、
政府の
財貨サービス購入は微増
程度に終わっておりますが、その中で
政府資本形成は八・一%から一三・二%にかなり顕著な
増加を示しております。これに対しまして
個人消費支出は、民間設備投資と
政府投資の
上昇に食い込まれまして、
昭和二十九
年度で六二・一%の構成費を占めていたものが、三十九
年度におきましては四八・〇というふうに急落しております。このように民間、
政府両部門ともに投資率が非常に高いということ、その反面、
個人消費、
政府消費率が非常に低いということは、
経済成長率が非常に高いこととともに先進諸外国にその例を見ないほどのものであります。
以上のような
高度成長政策強行の結果が、今日一方に供給能力の過剰、地方に
消費者物価の高騰というとがめを受けているとすれば、今後とらるべき
対策は、次のような資源配分上の変化が期待されるものでなければならないと思います。
第一は投資率の低下であります。それから第二は
政府支出率の引き上げ、第三には
租税率の引き下げによる
個人消費率の引き上げであります。第四には
政府投資のうちでも比較的生産力
効果の高い産業基盤充実への片寄りを生活基盤充実のほうに修正することと思います。
以上のような基準で、四十一
年度予算による変化を加味した、
経済企画庁で発表しております四十一
年度経済見通しにおける
国民総支出の構成を次に考えてみたいと思います。
それによりますと、四十
年度の実績見込みと四十一
年度見通しにおける各
国民総支出要因の構成比を比較して目につきますことは、第一に国内民間総
資本形成が二二・六%から二一・九%に低下していることであります。なかんずく生産者耐久施設が設備投資意欲の鎮静を計算に入れまして一六・二%から一四・七%に急減しております。かかる投資率の低下は、生産能力の
上昇を押えるという
意味では均衡化要因でありますが、
有効需要の伸びを押えるという
意味では不均衡化要因となるわけであります。
そこで、第二に気のつくことは、
政府財貨サービス購入の構成比が二二・四%から二三・二%に若干ながら
上昇しております。この大部分は資本支出の構成比の
上昇によるわけであります。
第三には、
個人消費支出の構成比でありますが、これがわずかながらでありますが、低下していることであります。すなわち、五三・九%から五三・八%に〇・一
程度低下しております。これまでの
高度成長期におきまして犠牲を受けてきた
個人消費率の引き下げが期待されていただけに、このことは若干意外であります。ということは、
個人消費の
増加に
関係を持つところの
所得税減税並びに社会保障費の
増加がなお不十分なことを示すものと考えられるわけであります。
要約しまして、この構成比の
増加いたしますのは、
政府財貨サービス購入が〇・八%
増加する。在庫品が〇・三%
増加する。
個人住宅が〇・五%
増加する。これに対しまして減少するのが、生産者耐久施設マイナス一・五%、
個人消費支出マイナス〇・一%ということになるわけであります。この
関係を見てまいりますと、
政府財貨サービス購入の
増加部分をもう少し
個人消費支出の
増加に振り向けてしかるべきではないかと考えます。
個人消費よりは
政府支出のほうが
有効需要の刺激
効果が強いという理由だけで
政府支出率が高められたとは思いませんですが、
個人消費との
関係において
政府支出の
増加にウエートが少しかかり過ぎているように思うわけであります。
以上のようなマクロ的な
経済指標の分析から、もう少し四十一
年度一般会計予算の中身に入って申し上げたいと思いますが、
先ほど個人消費の
増加あるいは低下には、社会保障費の
増加に不十分なところがあるのではないかということを申し上げましたが、その点についてまず考えてみたいと思います。
この社会保障費が、四十一
年度予算におきまして、前
年度の当初
予算に比べて二〇・三%
増加する。歳出総額の
増加率が一七・九%でありますから、この
増加率を比較した限りでは、社会保障費の
増加にかなり
重点的な考慮が払われたことは確かだと思います。しかし、四十
年度の
予算の歳出総額の
増加率が一二・四%であったときに、社会保障費は一九・九%
増加しております。ところが四十一
年度の
予算は、非常に歳出総額の
増加率が大きくて、一七・九%であるわけであります。その歳出総額の
増加率が高い割りには、社会保障費の
増加率は二〇・三%、前
年度の
増加率とそれほどたいして変わりがないというふうに見ると、まだこの社会保障費の
増加する余地があるのではないかというふうに考えられる。もっとはっきりさせるために、この歳出総額の
増加額の中で、社会保障費の
増加額が何%を占めておるか、
増加額だけを比べて申しますと、四十
年度におきましては、社会保障費の
増加は歳出総額の
増加の二一・三%を占めていたわけであります。これに対して四十一
年度は、その
増加額の構成比が一六・〇%に落ちておるわけであります。もし四十
年度と同じ
増加額構成比を
維持するといたしますれば、社会保障費の
増加額は、四十一
年度一千五十一億円ではなくて、千三百九十八億円にならなければならないわけで、また、その場合の
増加率は二七・一%にならねばならないわけであります。
次に
公共事業関係費について申し上げます。
従来、
先ほども言いましたように、
政府投資が産業基盤充実のほうに片寄り過ぎているのではないか、そういうような批判がしばしば行なわれてきたわけでありますが、そのことが四十一
年度予算におきましてどのように修正されたであろうかと申しますと、
公共事業関係費全体の
増加率が一九・一%であるのに対して、産業基盤充実の代表的なものである道路整備、それから港湾等のそういう整備、これをひっくるめた
増加率は一四・八%であり、
公共事業費全体の
増加率よりは多少低いわけであります。これに対しまして、
住宅対策費、生活環境施設整備、これらの
増加率は二一・八%でありますから、この
増加率を比較した限りにおきましては、生活基盤充実のほうへ幾らか修正する努力が行なわれておるということがいえるかと思いますが、しかし、
増加率においてはそのように見るべきものがあるのでありますが、何と申しましても、生活基盤充実費の
公共事業費に占める割合は、依然として低いわけであります。たとえば、
先ほどの生活基盤充実のためのものが、
公共事業費全体の八・五%しか占めていないのに対しまして、道路、港湾等の費用の構成比は四八・五%というぐあいでありますから、まだかなりこの間のアンバランスがあるかと考えます。
次に、若干こまかい話になりますが、文教費についても申し上げたいと思ったわけでありますが、時間の
関係上多少はしょらしてもらいます。ここで言いたかったことは、義務教育費の教科書の無償給付と、一方、小中学校の不足建物の整備、この間のバランスがどうかということであります。私の考えでは、教科書というのは、その使用者によって排他的に使用されるわけであります。他方、小中学校の建物とか屋内運動場というのは、これは
一般的にみんなで使うものであります。まあ
政府としてまずやるべき仕事というのは、どちらかといえば、そういう
一般的な利益性の伴うものに
重点をまず向けるべきではないかというふうに考えております。もちろん教科書の無償給付自体がいけないというのではございません。これは誤解のないように断わっておきますが、校舎とか屋内運動場の整備とのバランスにおいて問題があるように思うわけであります。
最後に、第三番目の建設
公債の
発行についてでございます。
現行制度の
もとにおきましては、
公債発行収入が建設費にイヤマークされているという
関係にあるわけではございませんから、厳密な
意味では四十一
年度の
公債が建設
公債とは言い得ないわけでありますが、一応限界的に、それら
公共事業費等の建設費が
公債収入によってまかなわれるという
関係があるものとして議論を進めたいと思います。
この建設
公債発行の論拠の第一としては、納税者というものは、税金を支払う
負担を過大に評価しがちである。他方、建設費支出の結果得られる将来の便益を評価する場合には、過小に評価しがちである。したがいまして、建設費を税金だけでまかないますと、納税者の抵抗が大きくて、社会的必要性の大きい公共的な建設が過度に押えられがちであり、したがいまして、資源配分の効率性低下を招くという理由が第一にあるわけであります。しかしながら、納税者の抵抗が強ければ、それだけ建設費支出の
規模及びその配分について
政府は慎重にならざるを得ないわけでありますから、むしろ限られた収入の中で支出の効率性を高めるという利点があることも見のがせないわけであります。しかしながら、また現在の税制におきましては、大衆課税色が強くて、消費抑制的な作用が働きますから、いま以上に増税をして建設費
財源を生むことは、実際には困難であり、また望ましくないものと考えます。
第二の建設
公債是認の理由は、よくいわれますように、これによって世代間の
負担の公平がはかられるということであります。この議論の前提には、
公債発行をすれば経費
負担が将来に転嫁されるということを前提にしておるわけでありますが、
公債発行をした場合に、はたしてその
負担が将来に転嫁するのかどうかということにつきましては、かなり議論があるわけであります。一方におきましては、将来の納税者の
公債元利の支払いの
負担に注目しまして、
公債発行をすれば将来に
負担が転嫁するというふうに述べますし、他方におきましては、
公債を
発行するといい、また
租税によるといっても、それは単に資金調達
方法の相違にすぎないのだ、どちらによったところで、
政府支出が行なわれれば、資源が公共的用途のために使われるのでありますから、その
負担を現在の者が負うことにおいて変わりはないのだ、したがいまして、この論からいいますと、
公債発行をしたところで、やはり
負担は現在の者が負うのであるというふうに両極端に分かれるわけでありますが、私がいま考えていることを申し上げますと、
公債が民間投資に充てられる
可能性を持った資金で購入される限り、将来に転嫁すると考えます。なぜなら、民間投資が
政府投資に振りかえられることによりまして、将来の所得創出能力の伸びが押えられるからであります。かかる振りかわりの
条件が満足されて、初めて世代間の公平を理由とした建設
公債論が成立するわけであります。これに反しまして、低金利を
維持したまま、民間投資には十分な
金融をつけてやり、それに上乗せする形で
公債発行、実質的には
通貨造出というようなことが行なわれますと、民間投資と
政府投資との間の振りかわりというものが起こらずに、そのしわ寄せが
個人消費に及ぶおそれなしとしないわけであります。その場合には、この公共的建設支出の
負担は現在の者が負うわけであり、世代間の
負担公平ということは有名無実になるわけであります。
多少まだ残っておりますが、
公債問題については後の
佐藤進教授からもお話があるかと存じますので、私の
公述はこれで終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)