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1966-02-21 第51回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年二月二十一日(月曜日)    午前十時九分開議  出席委員    委員長 福田  一君    理事 赤澤 正道君 理事 久野 忠治君    理事 田中 龍夫君 理事 松澤 雄藏君    理事 八木 徹雄君 理事 川俣 清音君    理事 楯 兼次郎君 理事 野原  覺君    理事 小平  忠君       相川 勝六君    愛知 揆一君       荒木萬壽夫君    井出一太郎君       今松 治郎君    植木庚子郎君       小川 半次君    大橋 武夫君       上林山榮吉君    川崎 秀二君       坂村 吉正君    竹内 黎一君       登坂重次郎君    灘尾 弘吉君       西村 直己君    野田 卯一君       橋本龍太郎君    吉井 喜實君       三原 朝雄君    水田三喜男君       湊  徹郎君    大原  亨君       加藤 清二君    勝間田清一君       角屋堅次郎君    多賀谷真稔君       高田 富之君    中澤 茂一君       永井勝次郎君    八木  昇君       山中 吾郎君    山花 秀雄君       竹本 孫一君  出席政府委員         大蔵事務官         (主計局長)  谷村  裕君  出席公述人         八幡製鉄株式会         社副社長    藤井 丙午君         東京大学名誉教         授       大内 兵衞君         東洋経済新報社         社長      綿野 脩三君         大阪大学教授  木下 和夫君  委員外出席者         専  門  員 大沢  実君     ————————————— 二月二十一日  委員江崎真澄君、松浦周太郎君及び竹谷源太郎  君辞任につき、その補欠として木村武千代君、  湊徹郎君及び竹本孫一君が議長の指名で委員に  選任された。     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  昭和四十一年度一般会計予算  昭和四十一年度特別会計予算  昭和四十一年度政府関係機関予算      ————◇—————
  2. 福田一

    福田委員長 これより会議を開きます。  昭和四十一年度一般会計予算昭和四十一年度特別会計予算昭和四十一年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会に入ります。  本日午前中に御出席を願いました公述人は、八幡製鉄社長藤井丙午君、東京大学名誉教授大内兵衛君のお二人であります。  この機会に、御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。本日は御多忙中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとう存じます。御承知のとおり、国及び関係機関予算は国政の根幹をなす最重要議案でありまして、当委員会といたしましても、連日慎重審議を続けておるわけでありますが、この機会に、各界の学識経験豊かな各位の有益な御意見を拝聴いたしまして、今後の予算審議の上において貴重な参考といたしたいと存ずる次第であります。何とぞ各位におかれましては、昭和四十一年度総予算に対しまして忌憚のない御意見をお述べ願いたいと存ずる次第であります。  御意見を承る順序といたしましては、まず藤井公述人、続いて大内公述人の順で、おおむね三十分程度において御意見をお述べいただき、その後、公述人各位に対し一括して委員から質疑を願うことにいたしたいと思います。  なお、念のため申し上げますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ること、また、公述人委員に対しまして質疑をすることができないことになっておりますので、この点あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  なお、委員各位に申し上げますが、公述人各位に対し御質疑のある方は、あらかじめ委員長にお申し出くださるようお願いをいたします。  それでは、まず藤井公述人から御意見を承りたいと存じます。藤井公述人
  3. 藤井丙午

    藤井公述人 藤井でございます。実は昨晩九州から帰りまして、けさ早稲田ストライキ騒ぎで早くからたたき起こされまして、あまり寝ておりませんので、論旨の不徹底な点はあらかじめおわび申し上げておきます。  私は、昭和四十一年度の政府案に、二、三の注文は申し上げますけれども、賛成であることをまずもって明らかにいたします。と同時に、この予算編成の前提と申しますか、背景になりました当面の深刻な経済不況につきまして、少しく触れさせていただきたいと思います。  御承知のように、一昨年以来の経済界の深刻な不況は、過去三回における景気後退と全く様相を異にいたしておりまして、金融引き締め最大原因でございました貿易収支も、御案内のように、三十八年は赤字になりましたけれども、九年から黒字に転じまして、特に昨年四十年のごときは、八十五億ドルに近い非常な貿易の伸長であります。したがいまして、政府におかれましても、昨年の三月までに両三度にわたって公定歩合を引き下げられて、同時に金融を緩和されたことは御承知のとおりでございますが、にもかかわりませず、景気回復はおろか、ますます不況は深刻化してまいりまして、中小企業倒産のみならず、特殊の消費産業を除いては、ほとんど主要産業の大部分は、大企業といえども減収減益、なかんずく三月決算、九月決算におきましては、過去における蓄積内部留保等をほとんど使い果たして、ことしの三月期は、おそらく主要企業は非常な減収減益にならざるを得ぬという、実は深刻な状況になっておるのでございまして、ただ抵抗力の弱い中小企業からだんだん倒産増大したということでございます。  これには、御承知のように二つの大きな原因がございまして、一つは体質的な問題でございまするが、これは御承知のように、二十四年のドッジライン以来、政府は超均衡財政を堅持しておりまして、世界驚異といわれる高度の経済成長は、そう言っちゃはなはだ失礼でございますけれども、ことごとく民間借金によってこれは築き上げられた。もともと資本蓄積のない企業におきましては、大部分借金に依存してこの成長を築いたということ。それに、好景気時代六千億ないしは七千億といったような自然増収がございまして、それの少なくとも半分は法人税等でございますけれども、当然それに還元さるべきものを少しも還元されないで、むろん公共投資その他に使われておりますから、国家的に見ますればむだではございませんけれども企業の側から申しますと、それが非常な過重負担になっておるということも事実でございます。  そのほか、昨年の春、春闘で総評の太田議長が、民間企業では四千五百億も交際費を使っておる、あたかも企業社用族が飲んだり食ったりするような印象を国民に与えましたが、これはそうではございません。この大部分寄付でございまして、しかも官公立大学等においても、建物だけはつくっても中の装備は全部民間寄付でございます。私立大学は、早稲田大学、慶応大学はむろんのこと、各大学もうほとんど全部民間寄付によって増強しておるという事実でございます。そのほか、国際会議が最近ひんぱんに開かれましても、これらは全部もう民間負担でございます。私に言わせますれば、神社、仏閣をはじめ、社会保障に属するような問題まで、極端な表現をすれば森羅万象これは寄付である。当然政府負担に属するようなものまでも、われわれ民間人負担しているので、そういったものが税法上交際費という形で出ておりますから、世間の誤解を招いておりますけれども、そういった実は負担をしておる。そういうことが積み重なって、企業体質をたいへん弱体化しておるという一つ原因にもなっておるのでございます。  そういう意味で、今回も相当大幅な企業減税を要請しておるようなところでございます。  もう一つ構造的な問題は、これは、われわれ民間、特に企業経営者に非常に大きな責任のある問題でありますけれども、三十六年以降のいわゆる高度成長政策に乗って、民間企業もそれぞれ強気になりまして、非常な巨額な設備投資をした。これが非常に過剰投資のようなことに言われておりますけれども、しかし、それが今日非常な強大な国際競争力になり、造船におきましても、世界の第一位であるばかりではなしに、輸出造船の六割を日本で占めておる。鉄鋼業におきましても、四千三百万トンという、アメリカ、ソ連に次ぐ三大製鉄国、ちょっと隔たりがございますけれども、三大製鉄国になり、ことに昨年のごときは一千万トンの鋼材輸出、これまた世界第一の輸出国になっておるわけでございます。そういう意味で、あらゆる産業を通じて国際競争力強化されたということは、これは大いに力強い次第でございますけれども、しかしながら、まあ一方において国内需要も、家庭電化商品等が、極端な例でございますけれども、だんだん需要が鈍化してきたところに、三十八、九年に至って巨大な設備投資の効果をあらわしてきた。そこで、輸出に非常なドライブをかけて、先ほど申し上げましたように、昨年は八十五億ドルといったような非常な巨額な輸出をしましたけれども国内需要がだんだん減ってまいったために、そこに需給のアンバランスを来たした。そこで、アメリカのような、つまり自己資本をもってほとんど設備投資をするというようなゆとりのある経営でございますと、需要と供給を調整し、なかんずく生産を調整をして、価格は変えない。変えないどころではない、ベースアップにスライドして価格はどんどん上げていく。現に鉄鋼業のごときも、数年前までは五〇%台の操業度でも、適正な価格、適正な利潤をもって、しかもベースアップにスライドしてどんどん上げるものですから、ケネディ大統領から値上げ待ったの声がかかったような次第でございますが、日本の場合は、はなはだこれはわれわれ経営者責任で申しわけございませんけれども、非常に競争意識が旺盛でございまして、せっかく新鋭設備ができたから、この機会にシェアを拡大したいというような気持ちも働きますし、同時にまた、いま申し上げますようなほとんど大部分借金に依存し、その金利支払い償却——償却についても、実はわれわれ景気のいい時代に大幅な償却を要請しましたが、そのころは一向お取り上げにならなくて、昨年のごとき不景気のどん底になってから、償却耐用年数を一五%もふやすという、全くあべこべの政策、それだけ時間的な政策のズレがありまして、償却費増大する、大幅な年々のベースアップ固定費増大から、どうしても損益分岐点が高くなってまいりますから、操業度を高めてコストダウンをはかりたい、こういったようなそれぞれの企業事情等と、過当競争意識の結果、鉄鋼で申しますれば、A社価格を千円下げればB社は二千円下げる、C社は三千円下げる、こういったことで、つまり値下げ競争に各産業とも頭を突っ込んで、不必要な過当競争のためにこういう事態を招来したことは、われわれ経営責任者としてはなはだ申しわけなく存じますけれども、しかし、いま申しますように、体質的にも構造的にも、政府施策がこれに全然関係なかったとはいえないわけでございます。  そういうわけで、いろいろな原因がございますけれども、現実の問題としまして、非常な深刻な不況に突入し、まるでアリ地獄のような状態になっておることは、皆さん承知のとおりでございます。そこで、例は当たるか当たらないかわかりませんけれども自動車がえんこしたようなかっこうになっているわけでございますから、ここで政府に、ひとつ思い切った積極財政政策によって有効需要喚起の大予算を組んでいただいて、えんこをしておる自動車を強力な牽引力で引っぱり上げて、そうして安定成長軌道に乗るようにしていただきたいというのが、切実なわれわれ財界、産業界の要請でございまして、それを受けて、政府におかれましても、今回、公債政策減税政策等を機軸とする超大型予算を編成されたわけでございまして、大局的に申しまして、私どもはそれに全面的な賛意を表する次第でございます。  そこで、いま申しますように、今回の予算は、可及的すみやかにこの経済不況を克服して、少なくとも年率七、八%の実質成長安定成長に乗せようとする当面の課題にこたえたというものでございますが、同時に、これは申すまでもなく、住宅、特に勤労者大衆住宅をはじめ、道路、港湾、国鉄その他の輸送関係、あるいは上下水道といった環境衛生、こういった社会資本の非常な立ちおくれをなるべく早く充足し、そうして国民生活の実質的な安定向上をはかるという、こういった角度からも大いに意義ある予算であると考えておるわけでございまして、私どもといたしましては、むろん、産業界経済界活動は、民間を主体として私たちの企業努力によってこれを回復するのは当然の責務でございまして、その意味におきましては、それぞれ企業経営責任というものを痛感しておるわけでございますけれども、実際問題といたしまして、いままで、多いときには国民経済の中で大体二三%程度を占めておりました民間設備投資が、いま申しますような事情ですっかり落ち込んでしまって、昨年のごときは一五%ぐらいに落ち込んでしまったという状況でございまして、これを引き上げる意味におきましても、当分は財政主導型の政策を少なくとも二、三年は続けていただいて、同時に、いま申しましたような社会資本の立ちおくれも充足していただく、こういった財政あり方がわれわれとしては望ましいと考えておる次第でございます。  さらにまた、われわれが経済成長を申し上げ、あるいは景気回復に真剣に取り組みますゆえんのものは、ひっきょう国民生活の安定と向上ということでございますので、その意味におきましては、当分の間——物価の安定の問題はあとから申し上げますけれども消費物価の安定に思い切った施策を講じますとともに、一面、それをカバーする意味におきまして、所得減税も当分続けていただく必要がありはしないか。同時に、社会保障その他一連の社会開発の諸施策もぜひ続けていただきたい。  さらにまた、農業とか、中小企業とか、あるいは流通部門等のいわゆる生産性の低い部門合理化近代化を急速に進めていただいて、いわゆる二重構造を解消することによって、国民経済の全体の効率を高め、この面から経済の地理的な格差、あるいは企業の大中小といった企業格差の縮小をはかると同時に、全体を含めて国際競争力強化するという方向にひとつぜひ政策指導をしていただきたい。  同時にまた、消費物価の安定が経済回復とともに当面の二大眼目でございますので、これにつきましては、いま申しますように、中小企業農業あるいは流通機構等の低生産性の諸部門に対する近代化あるいは合理化を強力に推し進めますと同時に、今回の予算等におきましても、特に問題となります生鮮食料のために、農業の、特に野菜の産地指定であるとか、あるいは集荷の改善、あるいは中央卸売市場改善とか、あるいは冷凍車の拡充とか、いろんな施策が行なわれておりますけれども、私をもって言わしめますれば、まだこの程度では私は容易に解決しないと思います。もっと関係各省が総合一体的な政策を展開し、早い話が、野菜等でも農村では豊作貧乏といったような現象にあるにかかわらず、東京では非常な暴騰をしておるというような現象は、これは結局、輸送力の弱体と同時に、端的に申しますならば、流通部門の欠如のみならず、東京、大阪といった大都市の周辺に大きな貯蔵設備をつくって、年じゅう平均的に新鮮な野菜なり、あるいはまた魚なりを供給し得るようなことをやれば、農村のいま言った豊作貧乏というようなことも、あるいは都会の市民生活を脅かすような消費物価の値上がりということも、当然これは防止できるはずでございまして、近代科学がこれだけ進んでおる段階で、なぜそういったことがなおざりにされておるのか。あるいはまた電子計算機時代に、ねじはき巻きでせりをやるといったような流通機構あり方というものは、一体これは近代的であるかどうか。こういった点について、もう少し突っ込んだ消費物価対策をやっていただきたいということを私どもは強く要請する次第でございます。  さらにはまた、先ほど申しましたように企業基盤強化、これは皆さん方、こういうことを申し上げれば、はなはだわれわれが企業防衛の立場からものを申し上げておるようにおとりになるかもしれませんけれども、端的に申しまして、今日、日本産業はだんだん高度化してまいりまして、日本経済活動生産活動の七五%は企業によって、それは大でも中でも小でもみんな含めての話でございますけれども企業活動によって運営されておるのでございます。したがって、その七五%の企業に依存する勤労大衆を含めた国民所得というものが所得税になり、また直接われわれの企業の納める税金が国の財源になるのでございまして、この企業基盤強化するということは、日本のような資源の貧困な、加工貿易でもって立国をしなければならぬという国柄におきましては、これは国際競争力の面からいいましても、国内国民生活の向上安定の意味からいっても、非常な重大な問題であると私は思います。したがいまして、企業基盤強化するということは、さっき申しましたように、過去の蓄積があまりにも貧困になって、資本構成を見ましても、戦前は六〇%が自己資本でありましたのが、現在ではわずかに二〇%そこそこといったような状況でございまして、いわんや負債比率流動比率といったようないわゆる財務比率の内容はお話にならぬほど悪化しておる。その原因は、われわれ経営者自身も非常な大きな責任がございますけれども、先ほどるる申しましたように、政府が超均衡財政のもとに民間に全部借金をさせて高度成長を築いたところにも非常な原因があるということに思いをいたされまして、今後数年間はぜひとも思い切った企業減税をやって、同時にまた、国際競争力強化するための輸出振興なり技術開発等のいろいろな施策に対しましても、積極的な政府協力指導が望ましい、こういうことでございます。  特に技術開発につきまして私は声を大にして申し上げたいのは、今日世界驚異といわれるような日本経済成長、しかし、その実態を洗ってみますと、技術的な問題でも、いわゆる革新的な技術といわれる原子力産業電子工業あるいはまた航空機科学といったような近代的な科学技術は、主としてアメリカないしはドイツ——フランス等も若干ございますけれども、とにかくこれは海外から導入したものである。それからまた近代的なオートメーション設備も、御承知のように、その大部分アメリカ等から輸入したものである。これを消化し、これを駆使するだけの技術水準日本にあった、経営能力があったということは、これは日本の強味でありますけれども、今後日本がいわゆる産業をもっともっと高度化し、世界の国々から真に高度の産業国家、あるいはこれはあに科学技術産業だけの問題でございません、政治にしましても、教育にしましても、あるいは文化にしましても、芸術にしましても、日本創造性を高めて、なくなった池田さんじゃありませんけれどもほんとう世界から信頼される、尊敬される国民になるためには、まずわれわれは国民能力開発し、特に創造的な能力開発することによって、科学技術と言わず、いま申しました各般にわたっての自主的な能力開発をしなければならぬ。その意味におきまして、科学技術振興はむろんのこと、教育におきましても思い切った改革をして、現在のような上級学校大学へ進学するための準備勉強のような教育あり方でなくて、ほんとうに個々の児童の適性なり能力開発、その創造性を高めていく、そして新しい自我を確立し、これがほんとう民主政治根幹につながる問題でもありますから、そういった意味での思い切った教育改革もしてほしい、こういったことを私は要請申し上げるとともに、輸出におきましても、さっき申しましたように、日本輸出立国によって国民経済をまかなわなければなりませんので、そのためには、最近アメリカをはじめヨーロッパ等もだんだん輸出環境がきびしくなってまいりましたので、これからはそういった先進工業国に対する輸出についても十分にわれわれも輸出秩序を考えて、そうして安定的な、長期的な市場の開拓をはかることはむろんでございますけれども、ここで問題になりますのは、東南アジア等の低開発国に対する経済援助経済協力ないしは輸出振興に対する輸出金融強化、具体的に申しますれば輸出入銀行融資額をもっと拡大して、延べ払い条件を、最近は七年が大体普通でございますけれども世界的にはもう十年、十五年があたりまえでございまして、当然日本が受注し得べきものも、そういった支払い条件のために取り逃がす輸出が非常に多いわけでございますから、こういったこともぜひ、ものによっては十年、十五年といったような長期延べ払い輸出も可能になるような条件をひとつつくっていただきたい。同時にまた海外協力基金、その他海外協力援助の点におきましても、これは南北問題がいま非常な世界的な問題になり、やがて東南アジアに一番近い日本として今後果たすべき役割が非常に大きいことを考えますれば、こういったもっと長期にわたる展望に立って、思い切った政策を立つべき段階でなかろうか、こういうふうに考えるのでございます。  いろいろ申しましたが、以上の観点から申しまして、今回の予算案を検討してみまするに、先ほど申しましたように、財政規模を四兆三千億に拡大していただいたことは、これは少なくとも当面この程度の規模は必要であるのみならず、その財源確保のために戦後初めて国債を発行することに踏み切られました。そして七千三百億の公債発行ということになりました。それに加えて四千億の政府保証債、あるいは中央を含めて地方の起債を千二百億、こういったことによっていわゆる超大型財政が組まれたことは、私どもとしてはこれは当然のことと歓迎するわけでございます。なかんづく国債問題につきましては、過去において相当論議が尽くされておりますけれども、私どもとしましては、国債につきましてはすでにアメリカにおきましても、これは六三年の記録でございますけれども、三千百億ドル、GNPに対して四二・四%といったような高い公債発行額、イギリスにおきましてはさらに三百億ポンド、GNPに対して八二・五%といったような非常な膨大な国債を出しております。同様に西ドイツ、フランス等におきましても、少なくともGNPに対して六%ないし七%の公債を発行しております。今回の公債等を加えましても、日本はまだまだ二、三%といったようなものでございまして、その割合から申しますと、ここ二、三年公債政策を続けても、決して国民経済的にインフレその他の心配はないと私は申し上げて差しつかえない。  ただ注意申し上げるのは、これは申すまでもございませんけれども赤字公債に転化され、ルーズな公債乱発になることは厳に慎まなければなりませんので、その点におきましては、今回でも建設公債に限定し、市中消化という原則をもってしっかりしたかんぬきがはまっておる点、私どもは十分にこれは妥当だと考えて、またこういった健全な公債政策は、今後二、三年は少なくとも続けていただかなければ、ほんとう意味での安定成長への軌道に来ることはむずかしかろう、かように断じておるわけでございます。  それから財政投融資におきましても、予算と同様に二兆円の大台をこしたということも、これは当然といえば当然でございます。  それから財政支出国民経済における比重でございますが、これはGNPに対しまして二三%、かつてない非常な高いものになりましたけれども、これも先ほど申しましたように、過去民間投資が、多いときは二三%台であったのが一五%に落ち込んだという現状からしてみますれば、この財政投融資とあわせて、政府のいわゆる財政主導型の政策と、それから個人の消費、あるいは輸出増大、これがここ当分の間国民経済発展の主導的な役割りをなすものと考えますので、これは当然というふうに私どもは受け取っております。しかしわれわれ民間は、先ほど申しましたように、必ずしも政府政策に甘え、政府政策に依存するものではございません。経済活動、出産活動の主体はあくまでわれわれ企業でございます。われわれは、ただ当面あまりにも沈滞し切った経済の引き上げのための浮揚力といったような程度のなまやさしいことでは回復はできないので、ここに強力な牽引力としての財政主導型の政策を要望し、それに政府がこたえていただいた、こういうことでございます。  さらにまた、今回の予算の特徴はいわゆる減税でございます。三千六百億の減税でございます。これは実はわれわれ企業の側から申しますと、法人税三七%を三〇%くらいに大幅に下げてもらいたいというのが実は経済同友会等の主張でございましたが、特に消費物価等の値上がりの問題を考えまして、国民所得関係の減税が六、企業減税が四という割合になりましたのは、これは当面の経済事情からいってやむを得ぬものと考えておりますが、今後は、さきに申しましたように、企業基盤強化のために、もう少し企業減税ということ、あるいはまた償却その他、あるいはまた輸出に対する特定の恩典、こういったものにつきまして総合的に企業基盤強化国際競争力強化という点について御配慮を願いたい。  さらにまた二、三の注文を申し上げますと、今度の予算実行にあたっては、中央はたいへんな意気込みでございますが、実際は地方行政、特に地方財政はかなりの窮迫度を告げて、赤字県あるいは赤字の市町村等がかなり出ておるような状況でございまして、よほど中央と地方が金融的に歯車が合った展開をしないと、せっかくの中央の方針が現実の実現の場において停とんを来たしておるということは過去に多々実例があるところでございまして、その点、今回は地方起債等も千二百億を認められ、縁故債が七百億もございますが、地方の金融機関もこの一年間にすっかり様相が変わっておりますので、よほど行き届いた配慮がない限り、地方財政の円滑なる運営ということは困難でございますので、その点について万般の配慮をしていただきたいということ。さらにまた、先ほど住宅対策を当面の非常な重点政策と私は申しましたけれども、これと不可分の関係にある土地対策、特に宅地対策等については、いろいろな手は打ってございますけれども、私どもから申し上げますれば、まだこれは非常に不徹底であると思いますので、土地収用法の強化なり、あるいはまた標準価格で売った場合には譲渡所得を免除するといったような、税制上の大きな一つの特典と申しますか、こういったものをあわせて土地問題、特に宅地問題の解決にあたっていただきたい。  それから、時間がございませんので、もう一つ最後に申しますのは、先ほど地方財政が窮乏したと申しましたが、これは地方財政のみならず、中央、地方を通じて思い切った行政改革と人員の削減をやって、安い、能率のいい中央、地方を通ずる政府をつくっていただきたい。これは行政改革等に対する調査会の答申等も出ておりますけれども、私が平素非常に不満を持っておりますのは、税制調査会に関する限りは大蔵省の原案と同じような答案が出て、これが実施されますけれども、その他の幾多の審議会等は、答申が出ても出っぱなしで、ほとんど実現されておりません。行政改革のごときはその最たるものであると思いますので、この際思い切ってひとつ行政機構の改革と人員の合理化等によりまして、能率のいい、安い、税負担の少ない政府をぜひつくっていただきたい。特に税負担につきましては、これは余談でございますけれども、低所得層はむろんのこと、今回は中間層に対してもかなりの減税が考慮されておりますけれども、地方費が増大するとこれは何にもならない。まあ全くの余談でございますけれども、私など、大企業経営者で相当の収入を持っておると皆さんが御想像になっておるだろうと思いますけれども、実は所得税よりも、都民税よりも少ない手取りの所得でございます。ことほどさように比較的高額者のわれわれといえども、都民税より少ない手取りの金額で生活しておるという、いかに重税であるかということは、この一事をもってもおわかりになるはずでございます。そういった意味で地方行政、中央行政機構を通じてひとつ思い切った改革をしていただきたいということをお願いしまして、はなはだ失礼でございますが、私の公述を終わらしていただきます。(拍手)
  4. 福田一

    福田委員長 ありがとう存じました。  それでは大内公述人にお願いいたします。大内公述人
  5. 大内兵衞

    大内公述人 お指図に従いまして、昭和四十一年度の予算に対しまして、国民の一人としての意見を申し上げます。  大蔵大臣は、公債政策の導入によって財政規模を積極的に拡大し、また大幅の減税をして景気のすみやかなる回復を実現して経済の安定の路線を引く、こう申されております。私はちょうどこれと反対の論理と考えを持っておりまして、それがまさに国民の要求であろうと思います。  簡単に申しますと、いまの国民にとりましては生活費の騰貴、一般に物価騰貴ということが一番の問題でありまして、その問題に比べますと、一つの投資会社がつぶれるとか、あるいは多くの、多少平生不心得な経営者の会社がつぶれるとか、そういうことはたいした問題ではありません。つまり私の言うところは、いままでの財政はすでに大き過ぎる。それが長い間続きましたために、すでにインフレーションを起こしておる。そういう情勢は、これに対してわれわれが批評いたしますならば、つまりいまの不況に対して政治的にそれを解釈して申しますならば、この十年間におけるいわゆる高度成長の積極政策なるものが行き過ぎたために当然に生じたる結果である、そういうことになります。それですから、来年度における予算の目的、すなわち政治の目的というのは、それをさかさまにすることでありまして、それが、つまり国民生活を安定するということになると思います。しかし、それを一ぺんにするということは非常に危険であり、かつ混乱を来たすゆえんでありますから、私はこれをいままでとは全然反対の方向に置いて、しかし徐々にそういう目的を達するようにしていくのが昭和四十一年度の日本国民が持つべき予算の形であると思います。  この十年間における日本の物価の騰貴は、御承知のとおり五割でありまして、年々、年によっては五%、年によっては六%、七%というふうに上がっておりますが、こういう上がり方はすなわちインフレーションの現象そのものでありまして、こういうインフレーションの現象はいま世界ではどこでも多少はありますけれども、しかし、日本のような急激なるインフレーションの現象は、低開発国、たとえば朝鮮とか、そういうような国に限られることでありまして、資本主義の進んでおる国では、やはりインフレーションの形をとりつつありますけれども日本のようなインフレーションの形はとっていないのであります。だれもが言うとおり、この十年間における経済の発達の早さ、成長の早さは、日本が、資本主義国あるいは社会主義国もあわせ入れて、おそらくは世界第一位でありますが、しかし経済が発達し、技術が発達いたしますと、それは生産技術の発達が中心でありますから、当然に物価が下がるべきであります。しかるにこの日本では、物価は下がっておるという事実はないのであります。これはどういうことかというと、久しい間需要のほうが供給よりも大きかったということでありまして、目下の不況はちょうどその反対の現象であるということ、しかし性質的に申しますと、つまりこの十年間需要のほうが供給よりか大きかったという現象であろうと思います。日本経済がこの十年間、年によっては二〇%あるいは平均一〇%も成長しておるということは、これはつまりいろいろの原因があり、日本の資本家の、経営者のいう能力もあり、科学者の力もありますけれども、しかしその一つ高度成長政策というものがあったことは、これはもうだれも疑わないところであります。たとえば外国では、この十年間の経済成長は、高いところで大体において五%であります。しかるに日本だけが七%であり一〇%であるというのは、ふしぎのようであります。それには特殊な原因がむろんありますけれども、しかしアメリカというようないろいろな条件のいいところでも、年生産成長率は三・八%くらいであります。いま申し上げたような意味において、つまり日本成長率をスローダウンすることによって、すなわちこの不況状況を改めて普通の健康なる形式にしようというのでありますれば、西欧並み、あるいはアメリカ並みというところがちょうど目標ではないかと思います。つまり三・八%の年率くらいの成長というところに目安を置いて予算を立てるべきではないかと思います。  ここで財政の話をしますと、来年度の予算は非常な赤字になる計算になっております。一般会計、特別会計、地方会計それぞれを合わせますというと、おそらくは一兆何千億円、二兆円に近い赤字ではないかと思います。それをどうしてやるかということが財政の問題ですが、私の言うのは、つまり佐藤内閣のそれとはちょうど反対である。というのは、その赤字をなるべく少なくする、できれば黒字にするという政策がすべての政策の基本でなければならぬということになります。少なくとも、それゆえに、いまの財政の支出のうちから相当な節約をするということがまず第一の問題になると思います。これは簡単なことではないので、どのくらいできるかということはいろいろの説があり、それからいろいろの努力の目標がありますけれども、たとえば先日本院におきまして佐藤喜一郎氏は、大体うまくやれば一兆円ぐらいは倹約できるのではないかという説を述べたようでありましたけれども、ちょっと一兆円は無理といたしましても、四兆幾らの財政のうちで、たとえば五千億とか八千億とかというものは倹約できないものだろうかどうか。いまから四十年ほど前は、諸君御承知のとおり、日本における一つ経済及び経済政策の転換期でありましたが、それは申すまでもなく、昭和二年の恐慌を中心としたものであったのです。そのときに日本の民政党はいわゆる緊縮政策というものを主張し、そうしてそれを実に勇敢に実行いたしました。それはおそらくは、少なくとも一つの正しい財政的方針であったと思われるのですけれども、ちょうどそれに似たような情勢がいまの日本の情勢でないか。つまり日本の一般情勢それ自身、それからこの十年間における積極政策は、いまや当時の政友会に対する民政党の政策のような緊縮政策を要求しておるのではないか、こういうのが私の基本的考えであります。  そこで、そういう時代借金をして、その借金の大部分を資本家の商品に対する需要増大するために使うというのは適当であろうかどうかという問題に移ります。これを経済学者はフィナンシャルポリシーと言って、このごろそういうふうにするのがたいへん新しい経済学であるというふうに言っておりますが、しかし私は、個人でありましても企業でありましても、あまり借金をたくさんやるということはいい政策であるとは思いません。それは、借金は必ず悪いという議論ではない。それは時と場合によって借金もしかるべきものでありますが、しかし経済主体の何であろうと、つまり企業であろうと個人であろうと、あるいは国家であろうと、返済の見通しのない借金というのはよくない。これは実に自明の理であると思います。つまり、将来黒字が確実に見込まれるときに限ってのみ借金というのは許されるのであります。日本財政法第四条はそういうことについて特別の規定を持っておりますが、あれは決して偶然の規定ではなくて、あれがほんとう財政のプリンシプルであります。  政府は、来年度予算におきましては七千三百億の公債を発行して、それを公共事業に使うのであって、これは赤字公債でない、こう申しておりますけれども、しかし、その赤字かどうかの問題はしばらく別として、ことばの使用法でありますからどうでもいいですけれども政府がこれによって実行しようとするいわゆる公共事業なるものは、どれ一つとして、普通の意味において投資として有利な事業であるというものはないのであります。全部投資としては不生産的であるけれども、しかし公共のために必要であるという事業であります。つまり私的意味において、企業意味においては全部不生産的な事業であります。でありますからして、そういう事業を借金で営むということは実に危険であります。それゆえに、もしそういうことを実行しようと思うならば、この事業についてはどういう返還計画があるか、この事業についてはどれほどの利益をもたらして、そうして発行した公債を返還し得るかということを明確にすべきであります。つまり償還計画がなくてはならぬのであります。私は私学の経営について多少の経験を持っておりますが、私学というようなものでも、つまり公共の事業でも、返還計画のない借金で学校を経営いたしますならば、それは非常に危険であります。ですから問題は、つまり七千三百億の借金それ自身、あるいはそれで公共事業を営むということにあるのではなくて、その公債についてどういう償還計画があるか、その償還ができるような財源政府予算の中にあるかということであります。たとえば四十一年度において七千三百億、それからそのほかに政府保証債四千億、それから、そのほかまだ地方債その他を入れますというと、おそらく公債として政府の義務に属するものは一兆数千億円になると思いますが、これを七年——いまの普通の公債、すなわち七年の償還にいたしますと、これに対する利子とそれから償還とには、どうしても毎年三千億くらいの金が要ると思います。それから、毎年三千億くらいの金が新たに要るのみならず、いまのような財政状態は、だれが見ても数年間続くということは明らかでありますから、そうしますと、やはりことしと同じような財政計画になりますというと、一兆数千億円の新たなる公債が出る。一年に合計二兆に近い公債がかりに出るといたしますと、合計七兆億とか八兆億とかという、そういう公債残高を持つに至るのは数年を待たないでありましょう。日本公債がいま世界的に非常に少ない割合であるということは、これはそのとおりでありまして、外国に対して非常に少ないのは事実でありますが、しかし、そのことと、それから新たなる公債によって使う仕事が公共事業であって、つまり利益を——利益というのは私的利益です。つまり資本的計算における利潤をもたらさないものであるということは、日本公債の特色であります。それを不生産借金とかりに私はそう申しますが、そういう不生産借金財政の四分の一、歳出の四分の一に今日なっておるわけですけれども、四分の一というような状態であれば、つまりわれわれの会計、たとえば私のような小さい会計、年額百二十万円ぐらいの会計であれば、それをちょうど四分の一としますと、三十万円ぐらいの借金になるわけですが、私のような収入の者が毎年三十万円ずつ借金をしていって、それを返す、計算が立っていないとき、そういうときに私は三年、五年の先にどうなるか、つまりその問題は、いまのような日本財政状況において、償還計画が正確に立っておらないいわゆる公共事業予算というものはいかに危険であるかということになると思います。それが一般においていまの財政状態において公債を出すということが危険であるという話でありますが、それは日本において特に危険であります。そういう公債の出し方、いわゆるフィスカルポリシーは場合によっては有利であると、外国の例で証明する学者もおりますが、しかし、日本には特にそれが危険であるということをこの際申し上げたいと思います。  それは結局、日本では公債市場、マーケットというものは十分に発達していない、少なくとも英米のようには発達していないのであります。そういう国でありますから、結局公債をだれが引き受けるかというと、これは長い間の習慣によりまして銀行が引き受ける以外にはないと思う。大部分は銀行が引き受けるのでありますが、日本ではそれを銀行が引き受けるというと、それを担保にして日本銀行は金を貸すという制度がすでに確立しておるのであります。いままですでに確立しておる。そうして、いまの日本銀行の制度そのものを見ますと、いまの日本銀行の紙幣の発行制度でも、また貸し付けの制度から申しましても、公債を持ってくれば、幾らでも——幾らでもというのは、大蔵大臣の指定する最高発行額まで幾らでも公債が発行できるということになっておるのであります。こういう制度は、世界のどこにもないのでありまして、こういうつまり民間金融制度と、それから政府金融制度と、それから中央銀行の金融制度は日本独特のものでありますが、こういう日本独特の組織のもとにおいて公債を発行するというのは非常に注意を要することであります。普通の国においての発行とは用意が全然違わなければならぬ。なぜかというと、つまり日本銀行と金融界とそれから大蔵大臣とが相談をすれば、日本のようなそういう制度であれば幾らでも公債を発行し得るということになり、その公債を発行するということは、これは三者のともにたいへんな利益になるのであります。つまり銀行は公債を引き受けることによって利益を得、日本銀行は公債を担保とする貸し付けをすることによって幾らでもたいへんな利益を得うる可能性があるのであります。得うるかどうかは別ですけれども、得うる可能性があるのであります。つまり日本の銀行制度及び日本金融制度のもとにおいては、公債を発行するということは、ほかの国よりはインフレにつながることが非常に直接なのであります。せめてアメリカやイギリスのような、そういう意味における中央銀行制度及び発券制度の組織があって、そうしてわれわれの大切な紙幣なるものが、今日は金に直接に結びつかないのはそれらの国でもそうでありますけれども、多少とも物質的な富と結びついておるということがありますならばまだいいですけれども、そういう準備のない日本において公債を発行するということは、ほかよりは非常に危険であります。  以上のことが私の公債についての見解でありますが、もう一度申します。つまり公債は、条件によって発行しても危険なものではない。しかし日本では、そしていまの状態では非常に危険である。ですから、もし発行するとしたら、できるだけこれを少額にしたい。それから、もし発行するとするならば、国民の前にそれの償還の計画と、それからそれに対する限定を十分明らかにして、これを法律によって制度として明確にしておくことが、日本財政を明瞭にし、かつ安全にする方法であります。それと同時に、日本銀行の制度そのものを、つまり国債優遇、国債をすべての担保のうちで一番優遇しておるいまの制度を一切やめる。そうして、その上で公債を、つまり普通の金融市場において募集するという制度をつくってからやるということにすべきである。順序転倒であります。つまりそういう用意をせずに巨額な公債を発行するというのは、戦時中における日本政府公債発行のしかたと同じでありまして、現在の日本銀行制度はそのままであります。戦時中商橋大蔵大臣及び賀屋大蔵大臣でしたか、その時代にできた制度そのままであります。大蔵大臣と日本銀行の判断によって幾らでも日本銀行券が出せるという制度であります。そのときに国債が最も有利な、優越な担保であり得るという制度であります。こういう制度を直さないで直ちに公債を発行するというのは、非常に危険であります。  その次に、今度は減税の問題を申し上げます。  こういう財政時代に減税をするというのは実に危険なことでありまして、全然間違いであると思います。つまり、一方では借金をして、他方ではその収入を減らすということは財政の基礎を危うくする。そうして、同時にまたその借金の、つまり公債の基礎を奪うものであります。一方で借金をすれば、それを返す計画を立てて、そうしてその返す計画には租税の余りを持ってくるというのが普通の原則であります。これがない限りは、つまり借金をすること自体がすでに危険なのである。しかるに、一方では借金をして、他方では税の収入を減らすというのは、これは自己矛盾であります。これを無謀と称していいと思います。だれでも知っておるように、そうして、特に日本の貧乏人はよく身をもって知っておるように、いまの租税は不公平であります。たとえば所得申告額が二百万円の申告をした人が、給与所得でありますならば四十二万円の税がかかるのでありますが、配当所得であれば八万四千円であります。こういうのは決して公平でないと思います。また、法人税に対しては、いろいろのいわゆる特別措置というのがありまして、いまのそれを全部計算してみますと、その特別措置の金額は年額一千億円にのぼっておるということであります。つまり、こういういまの制度、これがいまの制度の特色を無産者あるいは貧乏人の立場から考えたのですが、そういう租税制度はどういうのかというと、つまり、給与所得税というのは消費需要を制限する税でありまして、それから租税に関する特別措置による法人税の免除というのは設備投資の傾向を刺激する、そういう税制であります。つまり、日本の税制というのは、生活必需品の生産は制限して、そうして生産財はなるべく供給過剰になるようにする、そういう租税制度であります。そういう租税制度を根本的に変えることにだれも異存はないのでありますけれども、しかし、新たに公債を発行するときに、その全収入がいままでの収入よりも少ないような、そういう減税というのは、実に理解しがたい、国民としてはわけのわからぬ制度であります。  その次に、この十年間政府産業保護のために幾らの金を使っておるかということを計算いたしましてみると、運輸、通信、商工、農林を合わせまして、毎年約一兆五千億の産業保護資金で出ておるのであります。この点から申しますと、日本政府も、日本の議会も、長い間資本家保護のために努力してきたということはよくわかるのでありますが、そして、これがまた、同時に、この十年間の高度成長一つのさし水であったということもよくわかるのでありますけれども、そのこと自体は別の問題として、政府の任務、つまり国民にとっての任務というのは別にある。つまり産業保護以外、奨励以外に別にあると思う。それは、公共事業とか教育とか社会保障とかいうのであろうと思いますが、そういう面の成長といまの産業保護の成長と比べると、どういうふうになっておるか。それは、それ自体の数字の成長によって比べることは不当でありまして、実際において、教育状況、あるいは貧乏人の状況、あるいは社会保障を受けなければならぬのに受け得ない人間の状況によってこれをはかるべきであります。それに対してしかるべきことをするのが政府の任務であります。これを佐藤総理大臣はたいへん美しいことばで、社会の何と申しましたか、社会開発と言われたのでありますが、つまり問題は、社会開発の進み方、その数字の進み方でなくて、その効果の進み方と、産業保護の数字ではなくて、産業保護によって進んだ産業の大きさ、それを比較すべきであります。そのときにわれわれは、日本のすべての公的サービスが非常に不良であるということを、簡単に体験して国民は知っておるのであります。つまり、それが十年間の高度成長の成績であるということを、大きなビルディングとりっぱなホテルと、そしてスラムとの比較において、国民は明らかにこれを承知しておるのであります。  ですから、国民は何を要求するかといいますと、せめて四十一年からはこれを少し改めてもらいたいということを要求するのであります。たとえば、日本の道路は、その舗装率はわずかに三%でありますが、イギリスではこれは一〇%であります。たとえば六大都市の住宅の地価は、この十年間にちょうど七倍に上がっておる、ないし十倍に上がっておるのであります。それだけ地主がもうけて、地主の収入が増加して、そうして家賃はどうなったかと申しますと、ほぼ倍になっておるのであります。それだけ貧乏人は高い家賃を払わなければならぬ。それがつまり高度成長経済の今日の総括であります。この総括の上において、われわれは産業保護政策社会資本全体の充実との対照を考えるべきであろうと思います。  国民は、政府の道路政策、あるいは社会保障政策、公害対策、運賃政策、そのどれに対しても満足しておりません。つまり、今度の予算において政府御自慢の公共事業の拡充につきましても、それはされないよりはいいということは、だれもそう思いますけれども、しかし、いま言ったような意味における、一方における大きな家と巨大なる財産の出現と、他方における貧弱なるスラムの状態とを比較して、そうしてどっちを先にすべきかということは、問題なくわれわれ国民は、ホテルは少しおそくてもいい、箱根の観光道路は少しおそくてもいい、それよりは家を安くつくってくれ、こういうのであります。たとえば鉄道でも、たとえば社会保障でも、たとえば郵便でも、このごろ議会で諸君が問題にされておるように、どれもこれも全部赤字であります。そうして、赤字であるのみならず、どれもこれもサービスが非常に悪いのであります。約束したサービスができておるものは一つもありません。実に鉄道のごときは、毎日毎日、定員の何倍の人が乗って、しりを押されたり、体をはがれたりしておるのであります。あれが国民全体にとっていかに非生産的であるかということは、問題にならない。それでしかも二〇%、三〇%の料金を上げるというのですが、上げるのは当然であります。もし上げなかったらばおかしいのですけれども、しかし、上げて鉄道がよくなるかと申しますと、これは別の話です。いまの上げ方で、しかもその上げ方を公債及び政府財政投融資からするのでは、借金利子がたいへんなものになるのであります。それによって鉄道自体がよくなるということは非常に望み薄です。上げないよりもむろんよくなるけれども、しかし、われわれの要求するようなサービス、つまり、楽々といすにすわってビジネスに出てこられるような、そういう鉄道ができるということは絶対にありません。そうしてまたことし、二〇%、三〇%上げても、来年、再来年料金が上がらないということはありません。むしろ反対に、必ず上がるでしょう。それは、あとで申し上げるように、物価の騰貴が、いま政府の言うところでも五%ですから、実は一〇%以上になるでしょう。そうすると、それは上がるのがあたりまえであります。  次に、この数年間日本貿易がたいへん伸びた。これはわれわれにとってはたいへんしあわせであって、おかげで円の対外価値は形式上維持されておるのでありますが、しかし、ことしから来年にかけてそれがゆるがないでしょうか。つまり、世界の準備体制、金の保護体制に対抗して、日本の金の保護及び正貨準備の保護は十分にできるでしょうか。これが大問題であります。現にアメリカの準備銀行は金利を上げておるのでありますけれども日本は上げないのであります。そうして、日本アメリカとの物価の騰貴のしかたの率は、アメリカのほうも少し上がっておりますけれども、たいへんな違いであります。つまり、現在の日本は、大々的な生産過剰を起こしておる。そうして、それに対して公債を発行した政府の金を持ってきてその穴をつくろおうといたしておるのであります。しかし、問題はその借金を返す方法であります。つまり、いつ返すか、どうして返すかという方法がないときに借金をするのは、先ほど言うように非常に危険でありますが、今度は外国との債権債務の関係、いわゆる国際貸借はいまややいいのでありますが、しかし、どうでしょうか、私はその点に多少の問題があると思います。簡単に申しますと、もし来年度の物価が五%しか上がらぬように、藤山企画庁長官の言うようにしようと思われるならばどうしても予算と物価とそれから生産の大きさとの比例から申しまして、予算を本年度よりは一〇%くらいは小さくしなければならぬと思います。もしどうしても公債を発行する必要があるとしますならば、先ほど申し上げたように、必ずそれには償還計画、つまり一般会計における収入の増加ということがどこにあるかということを明瞭に示さなければならないと思います。それから、数年間物価騰貴によっておくれておる公共施設をこの際大きくやろうとするならば、むろん財源がないのでありますからして、どうしても産業保護費をもう少し削るという、そういうこと以外にはないと思います。  私の申し上げることは、筋はそれだけでありまして、たいへん時間を超過いたしましたが、これで失礼いたします。(拍手)
  6. 福田一

    福田委員長 ありがとうございました。     —————————————
  7. 福田一

    福田委員長 これより両公述人に対する質疑に入りますが、藤井公述人は時間の御都合がおありのようでございますので、藤井公述人に対する質疑を先にいたしたいと思います。御了承願います。野田卯一君。
  8. 野田卯一

    ○野田(卯)委員 私は藤井さんと大内さんと両方のお話にからんで質問をしたいという感じでございます。  問題は公債政策でございますが、公債政策に関する御両氏の意見は全く対立しているわけです。両極端と申し上げても差しつかえはないと思います。藤井さんがおっしゃいました、日本公債の現在高は非常に少ない、イギリス、アメリカ国民所得の一〇〇%とかあるいは五〇%程度公債が発行されているから、日本なんかもっとじゃんじゃん出してもだいじょうぶだ、こういうような印象を与えるお話があったわけです。そこで、一体アメリカとイギリスが国民所得の一〇〇%とか五〇%になるような公債はどういう原因で発行されたのか、いつそれがそんなに大きな金額になったのかということが問題だと思います。最近アメリカ財政で毎年何十億という赤字が出ておる、その赤字の累積がああいう金額になっているのか、あるいはこれは戦争中に膨大な公債を発行した、それがそのまま残っておるというようなものなのか、その辺の検討をいたしませんと、いまの現在高がこうだからこうだというようなことでは、少し乱暴な議論になるのではなかろうかという感じがするのです。ですから、毎年毎年最近のアメリカ財政経済において国庫は赤字ですけれども、それがそんなに大きな赤字ではない。国民所得と同額だというと、おそらく七千数百億ドルになると思うのですけれども、そういうものは普通のときには起こってこないのではないか。特別な戦争とか何かの原因で起こってきたのじゃなかろうかと想像するのです。この辺のところ、もし御存じでございましたらひとつお答え願います。
  9. 藤井丙午

    藤井公述人 アメリカないしイギリス等の公債が非常に巨大な額になっていること、原因は私も実ははっきりつかんでおりませんが、それは戦時公債的なものもあれば、イギリスのごとき社会保障的なものも多分にあると思います。しかし、いずれにいたしましても、イギリスにおきましてもアメリカにおきましても、とにかく五年間非常な繁栄が続いておるということは、政府政策が、民間景気がいわゆる不況になった場合には、所得減税なり公債政策等によって民間景気を上昇させる諸条件政府がつくり出す、いわゆる財政主導型の政治である。しかし、民間経済が過熱になるおそれがある場合には、財政面の引き締めはむろんのこと、金融操作におきましても、御承知のように最近における金利の引き上げ、つまり公定歩合の引き上げ、あるいは預金準備率の引き上げとか、あるいはマーケット・オペレーションといったような財政金融政策をかみ合わせて、そして前広に先手先手とこういうふうに政府政策をリードしておる、つまり政策リード型の経済であるわけで、そこでこの繁栄が続いておるわけです。私ども、この公債政策についてたいして懸念がないと申しますのは、一つは、いま絶対量が非常に少ないということと同時に、大内先生の議論を反駁する意味ではありませんけれども公共投資等非常に非出産的とおっしゃるけれども、われわれが目途とするのは結局は国民生活の安定と向上ということであり、その背景をなすものが、やはり一方においては、日本のような資源の乏しい国では、どうしても外国から膨大な原材料を輸入してこれを加工して、いわゆる工業立国貿易立国をしなければならない。そういう意味では国際競争力強化しなければならない。国際競争力強化するということは、企業基盤強化とあわせて、今日隘路になっておる公共投資を充足するということと国民生活向上、この二つがからんでおるわけです。そこで、公共投資率等はその年度年度の利益でもって償却するものではなくて、これは長期にわたるものでありますから、どうしてもときには公債政策によって長期にわたる公共投資をカバーしていくということは当然あってしかるべきではなかろうか、こういうふうに考えております。  それから、先ほど産業保護に非常な金がかかっておるというようなことを伺っておりますけれども、はなはだ失礼でございますけれども鉄鋼業のごとき、あるいは造船業のごとき、われわれは政府から何らの補助も援助も受けておりません。開銀の資金すら借りていない、みな自前でやっております。のみならず港湾等も自前でやっております。はなはだしいのは、関門水道のごとき公海のしゅんせつすら六〇%は受益者負担——地方財政貧困でございますから、実質は八〇%われわれが負担しておるという状況でありまして、何らの産業保護も受けておらないことを申し上げておきます。
  10. 野田卯一

    ○野田(卯)委員 先ほど私が申し上げました公債の問題、これは将来いろいろな意味において参考になると思いますので申し上げますが、イギリスの公債の残高ですが、これは第二次世界大戦の前一九三九年には七十一億ポンドなんです。それが戦争の終わった年が二百十三億ポンドであります。今日現在はというか、最近は、二百七十億ポンド程度になっておる、こういうわけなんです。ですから非常に大きな増加の原因が戦争の戦費の調達にあった、それがいま残っておるのだ、それからあと付加されたものはわりあい少ないのだ、こういう現実があるわけです。それからアメリカで申しますと、戦前の一九四〇年、その当時の国債の残高というのは四百二十九億ドルなんです。それが一九四両年になりますと、二千五百八十六億ドルにふえてきておるわけです。非常なふえ方をしておる。これは戦費であります。それから現在は大体二千九百億ドル台なんです。ですから、ふえ方というものはわりあいに少ない。でございますから、アメリカとかイギリスとかいう国の公債の残高をすぐに持ってきて引用するということは非常に危険だと思うのです。問題は、公債は発行してしまったものが、その後政府が利払いをしなければならない。利払い負担の問題、あるいは借りかえの問題という問題と、発行するとき、そのとき起こる金融現象財政現象というものは別個だと思うのです。でございますから、戦争中に、数年間にこんな膨大な公債が発行できたときは、政治経済は全然形が違っているわけです。いわゆる強制経済であり、命令経済というときには、とにかくこれが発行できて消化できているわけです。それから平和のときになりますと、こういう膨大な公債は発行不可能です。でありますから、平和のときの発行というものはおのずから金額が小さくなってきておる、こういう現実があるわけであります。でありますから、この点を将来われわれが議論するときでも、アメリカ、イギリスの例を引くときによほど注意して引きませんと、誤解を来たすのじゃないかというふうに私は思っております。で、公債に対する大内先生の御議論は、またこれ極端に悲観的じゃないかと思うのです。大内先生は私の恩師なのですけれども、どうもものごとを見られるのが悲観的だというふうに私は感じているわけです。私が一番骨身にしみて感じておりますことは、あの戦争の直後ですが、あのときに一千万人餓死説を大内さんはむしろ言われたんじゃないだろうかと思うのです。(大内公述人「そんなことはありませんよ」と呼ぶ)それじゃ私間違いなんです。ところがあのときは——あなたが言われたんじゃない、渋沢さんかな、渋沢さんがおっしゃったか知らぬ。しかし、大体大内さんの思想を受けられているんじゃないかという話を聞いておったものですから、そういうふうに間違ったのかもしれません。とにかく非常にあの当時でもおそらく悲観的であったと思うのです。そしてあのときの御議論では、日本の国はインフレでつぶれてしまうというような印象を与えるお話があったかに思うのです。だから、私はその当時大蔵省の役人で、私たちが日本の大蔵省にいる限り絶対にインフレで日本が滅びることはさせませんと言明したことを覚えているわけなんです。でありまして、ちょっといまのお話を承りましても、どうも話があまりに悲観的でないか、公債は一厘も発行してはならぬというような、非常な厳格な公債否定論、そういう御議論をなさっているのですけれども、私自身としては、先生と共通する面と、それから日本の国の経済の持っている、あるいは民族の持っているところの力とバイタリティーと発展力というものを計算に入れますから、そんなに心配をしないでおるわけです。財政法の第四条の規定、第五条の規定、ちょうどあのときの主計局長をしておりましたので、私と河野君であれは立案したのですけれども、そういういままでの過去の経験から見まして、公債の発行というのは無制限になってはいけないのだ、どうしても一定の歯どめをしませんと、乱に流れて、しまいに国を滅ぼすようなことになるから、どうしてもこれは注意をしなければならないというので、大蔵省の中で相談いたしまして、そしてあの法文をつくったわけです。あの法文については、速記録などでごらんになるとわかりますけれども、国会ではほとんど論議がされないのです。大蔵省でつくったままがすらっと通ってしまって、議論されておりません。でありますから、当時のいきさつを速記録によって明証することはできませんけれども、私は当事者として、説明に当たった者として考えるのですが、あのときは財政をしっかり今後もやっていかなければならぬ、公債はあまり発行することはよくない。しかし、いま申しましたように、公共事業とか、あるいは出資金とか、貸し付け金というものに対して、裏づけのあるものに対して公債を発行するということは、これはいいのではないか、その程度は認める、こういうような考え方、また日本銀行の引き受けというものは原則として避くべきじゃないだろうか、こういうような考え方に立っておる。ある点において先生と共通なんです。ただ先生は、いま、公共事業のために公債を発行するのは何かいかぬような印象を与える発言があった、私の誤解ならばいいのですよ、そういう印象を受けたのです。これは、私はどうも考え方が狭過ぎやしないだろうか。公共事業、道路のために公債を発行してはいけないのだ、——公共事業の代表というのは道路なんですから、そういうもののために公債を発行してはいけないのだ、私は、道路なんというものは大体引き合わないものだから、そんなものは公債を発行してはいけないのだという議論になりますと、有料道路はそれはいいだろう、有料道路については公債を発行してもいいけれども、いわゆる一般公開、無料の道路については公債を発行してはいかぬという議論になるのですけれども、私は、それはむしろあまり私経済的な見方じゃないだろうか、公経済的な見方じゃないだろうと思う。というのは、道路が発展することによって一国の経済産業というものがどんどん発展することは、社会党の諸君といえどもお認めになっているだろうと思っている。今日政治家に向かって、何を一番やったらいいかということをお聞きになると、おそらく国会議員の大多数の人は、公共事業では道路をやれとおっしゃるだろうと思う。道路ファンが非常に多いのであります。すべて超党派的に多いのです。あるいは農業ファンもおります。そういう人が、何も道路をつくるときに必ず税金でやらなければならぬことはないのだ。それは公債でやったっていいじゃないかということをおっしゃる方が、一人一人にお尋ねするとかえって大部分じゃないかと思うのです。でありますから、私は、一般道路は採算に合わぬのだから、これは公債でやってはいかぬという議論は、おそらく国会議員の諸君は承服しないのじゃないかと思うのです。でありますから、一国の経済産業発展の基盤をなし、国民生活安定の基盤をなす、道路の整備というものは、それが一体どれだけ利益になるか、そろばんがとれないのです。あまり利益が多いからそろばんがとれぬとも言えましょう。そういうわけで、国全体の健康度を増し、全体のバイタリティーをふやす意味を持っておりますから、そういう道路についてはいまだけの税金でやらなくても、これをつくって、将来産業が発展すれば税金があがるものなのだから、それをを目途としてやっぱりやっていいのじゃないかというのが、現在の大方の国会議員の意見じゃなかろうか、私はそう想像している。少なくとも自民党はそうです。そういうわけですから、この点についての私の誤解があるなら、ひとつ先生からおさとしを願いたいと思うのです。
  11. 福田一

    福田委員長 藤井公述人に対する野田君の質問は終わりましたか。
  12. 野田卯一

    ○野田(卯)委員 終わりました。
  13. 福田一

    福田委員長 それではなはだ恐縮ですが、先ほど申し上げましたように、藤井公述人は時間の都合でなるべく早く質問を終えていたきだたいということでありますので、大内公述人にはまことに恐縮でございますが、まず藤井君に対する質疑を終わった後に野田君に対する御答弁というか、お話を承りたいと存じます。  加藤清二君。
  14. 加藤清二

    ○加藤(清)委員 委員長のお許しを得まして、藤井さん、たいへんお急ぎだそうでございますから、藤井さんへの質問を最初に集中的にいたしたいと存じます。  第一番に、藤井さんは御職業に似合わずたいへん書道にたんのうでいらっしゃいまして、特に今度の政財界正月吉書展の「愛」という文字の結構、それからの「静寂」の「静」の最後の終筆のごときは、これはもうくろうとはだしだと思いまして、たいへん感心したわけでございますが、しかしその「愛」といい「静寂」ということばとうらはらなことが都の西北で行なわれているようでございます。あなたは大先輩ということでございまするからお尋ねしますが、これについて、私は青少年教育ということについてのあなたの哲学を簡単に承わりたいと存じます。  第二番目に、本論に入りまするが、日本では目下公債発行は危険である、公債市場等の根回しもなく、償還計画もなくこれが行なわれるということはなおさら危険である。と同時に、財政法違反の疑いがあるとおっしゃられました大内先生の意見に私は賛成でございます。ところでなぜ公債を発行するかというと、これはすでに質疑でも答えがありましたが、財政収入が減である。特に企業収入が減である。   〔委員長退席、赤澤委員長代理着席〕  しかし、そのやさきに、大衆税であるところの住民税はふえているんでございます。まことに不可思議なことだと思う。なぜかならば、世界企業が伸びたと、こういわれている。生産性向上したといわれている。もしそうでありとするならば、株の配当はふえなければならない。株価は上がらなければならない。労賃も上がらなければならない。同時に、これを国民に返還するための物価は下がらなければならない。しかるに、現在の状況はどうかといえば、株のほうは遅配、欠配なんです。減配なんです。政府がてこ入れをいたしましても、なお投資証券は元本割れでございます。労賃をながめてみますると、これは先進国、工業の発展した国におきましては、付加価値が五〇%から六〇%以上になっている。にもかかわりませず、日本はぜいぜい三〇%、四〇%なんていう会社はほとんど見たことがございません。物価はといえば、下方硬直性なんです。上がりっぱなしなんです。カルテルだけで千六百種類も行なわれている。これは、まさに経済でいえば早稲田の森よりももっとひどいじゃないか、あらしが吹きまくっているではないか、こう思われるわけでございます。  そこで私は、一体なぜ企業がそうあるであろうかということについて、わが党の政策審議会でいろいろ検討を進めてみました。そうしますると、こういうことが出てくるんです。ここをひとつ藤井さんに解明していただきたいと思います。  第一番、先ほどの大内先生のお話にもございましたが、資産の内訳を調べてみまするというと、六千有余の会社の総トータルでございまするが、総資本が五十三兆円何がしございます。ところが、そのうち自己資本はほんのわずか十兆に足るや足らずでございます。ところで、借り入れ金を見ますると、十七兆四千八百七十二億円に相なっております。これを比率で見ますると、これは二〇%を割っておるのですね。こういうことがほかの先進国にあるでございましょうか、ということが第一点です。一九・七%になっている。またこの総資産に対する自己資本の比率というものがだんだん減ってきているんです。ふえるかと思いきや、減ってきている。なおかつ、この借り入れ資金を、金融機関だけで見ましてもそうでございまするが、親から借りているとか、取引先から借りているとか、特に従業員の社内預金から借りているというのを加えてみまするというと、総資本に対する会社の自己資本は一五%を割るわけでございます。一体、これで企業が成り立つのであろうかという懸念を持つわけでございます。はたしてこれでよろしゅうございますか。  第二点、それだけ借金が多いから一体金利はどうなっているであろうかと調べてみまするというと、いわゆる会社の総支出七十四兆二千八百一億に対しまして、金利が二兆円をこえておるんですね。二兆六千億と大蔵省は答えております。しかも、この金利が総支出に対して二・八%台になっている。こういう経済状況が先進国にあるでございましょうか。  そこで内輪を調べてみまするというと、金利高ということが目についてかないません。貸し出し金利高、公定歩合いは下がり、コールレートは下がりました。そのおかげで、金融機関はそれだけで七百億の利潤をあげたといわれております。しかし、貸し出し金利ははたして下がったか下がらないかと調べてみますと、依然として高原状態のようでございます。一体その結果は、金融界が産業界を支配しているではないか。出張重役、株の取得、三〇%以上は金融機関が持っているといわれている。こういう脆弱な企業ではたして世界の競争場裏に立ち得るやいなや、この問題について。  もっと問題になります点が、生産性向上したならば、当然これは株主に対する配当はふえなければならぬはずなんです。にもかかわりませず、遅配、欠配が続いております。そこで問題になります点は何かというと、株の配当金でございます。配当金はどうかといえば、これは五千億ちょっとでございます。金利の五分の一程度でございます。金利の五分の一程度。その状況下において今日の株価高、ついこの間三割高になってまいりました。これは一体正常であるかないか。  次に、もっと問題になります点は、交際費を調べてみますと、驚くですね。会社の交際費と株の配当とがとんとんになっておる。驚くべき現象なんです。なんと交際費が四千八百八億もある。五千億近い。企業が調子が悪いから納税もできませんというやさきに、交際費を五千億も使うというこの企業家の良心、これを疑わざるを得ないのですが、一体こんなにたくさんな交際費はどこへどう使われていくのでございましょうか、お漏し願えればけっこうだと存じます。  次に、広告宣伝費を調べてみますと、化粧品やら薬のほうは、これはもう言語に絶しております。しかし問題は、これが何と三千四百九十一億もあるわけでございます。これを、国内向けの過大広告に熱中するよりは、むしろ国外向けの宣伝にすべきではないか、それはイギリスの毛製品のごとく、スイスの時計のごとく、世界に向けて宣伝すべきではないか、ここらあたりの企業努力は一体どうなっているだろうか。  最後にお尋ねしたいのは、財政企業牽引力になってくれとおっしゃられました。同時にあなたは、もっと企業減税を多くすべきであるというお説を立てられました。しかし、大企業の減税は租税特別措置法を筆頭に、あの手この手でたいへんお手厚いことが行なわれておるわけでございます。それと国民の租税とのバランスは、一体どうしたならばつり合いがとれるでございましょうか。あなたは都民税より少ない所得だと先ほどおっしゃいましたが、私は、内訳がわからない。問題は企業減税、特に固定資産税が三年の約束を割って、二年でもうはや引き上げなければならぬというのがいま国会において論議の焦点になっておる。ところが、大企業の固定資産税は、十年たっても払わぬでもよろしいという会社があるわけなんです、工場誘致条例その他によりまして。この固定資産税に一つ例をとってもそうなんです。たとえば鉄でいえば千葉の——御存じのとおりなんです。そこから先は名前はやめておきましょう。十年たっても払わない、なぜならば、完成した暁に固定資産税を払うという約束になっている。したがって、完成はしない、溶鉱炉を次から次へとくずしていくのですから、年がら年じゅう溶鉱炉は建設中ですから、完成するときはないわけなんです。したがって、十年たっても固定資産税は納めぬでもよろしい。その陰に、いわゆる住民税というものはどんどんふえている。この住民税の内訳は何かといえば、これはほとんど勤労者が七割、八割を占めている。こういうやさきに、企業減税をなお手厚くすることがはたして妥当であろうや、国民の徴税とのバランスの上からいってはたしてどうであろうか。  以上、お願いいたします。
  15. 藤井丙午

    藤井公述人 たいへんいろいろ御質問をちょうだいしまして、早稲田の問題は、これはちょっと論外といたしまして、青少年の今後あるべき姿に対する私の希望ということでございますが、日本国民の素質というものに対して非常に悲観論もありますけれども、私はそうじゃないと思います。非常に素質はいいと思います。  それから教育あり方、家庭の教育あり方、社会環境、これらが今日非常に教育をゆがめておるというふうに私は受け取っております。先ほど申しましたように、学校教育におきましては、まず個々の児童なり、生徒なり、あるいは学生なりの個性を十分見きわめ、適性を選別してその長所を生かすような、ほんとう意味教育あり方にならねばならない。いまのところは、もう大学を頂点とする上級学校への進学のための準備勉強といったようなことになっておりますので、これは中央教育審議会におきましても、後期中等教育の改定について、いま私も委員の一人としてかなり思い切った意見を出しております。と同時に、もう一つは社会の環境というか、これは非常に大きな影響がございます。家庭の教育の問題はむろんのことでございますけれども、戦後いわゆる財閥の解体とか門閥の廃止とかいうことになりましたけれども、まだ学歴偏重という根強い社会慣習がございまして、そして有名校を優秀な成績で出ることが、一流の会社、官庁、銀行等につとめられるという、それが親の気持ちとして、子供をやれ有名校、やれ有名校へと、こういうことに結局教育あり方をゆがめておるということが、社会の学歴偏重の一つの投影であるということでございますので、私はこの意味において、社会もほんとうに人間の能力、アビリティーというものをもっと高く評価し、そして同時に、その価値観も、役人だからえらいとか、昔のように、軍人だからえらいというようなことではなくて、ほんとうにその人が一つの職業に徹して、社会人としてりっぱな市民であるということが望ましい。それには、やはり社会のあり方もそういうふうになっていかなければならぬ。結局、私の言わんとするところは、そういうふうに社会と教育と両方の和から、教育の正しいあり方にして、青少年をもっともっと伸び伸びと育てて、そうして、言うなれば、佐藤総理にこれは申し上げたいのですけれども、もっと民族的なビジョンを政府も掲げていただき、その方向において若い青少年の創造的な能力、人間能力をどんどん開発するようなあり方であってほしいと私は思っております。  それから二番目の、今度は、公債発行は危険であるという御議論でございますけれども、これは、私は先ほど申しましたように、公債発行というものが赤字公債にどんどん転嫁されて、ルーズな公債発行ということになりまして、国家財政を脅かすような、あるいは長期にわたって禍根を残すようなことになってはいけないという点は、大内先生の御心配になるような点は、私も同感でございます。しかし、先ほど申しますように、近代国家の経済政策財政政策は、民間経済不況になったときはむしろ政府財政主導型の経済をとり、また民間経済が過熱した場合は政府がこれを抑制施策をとるというのが一つあり方でございまして、その意味におきまして、現在、さっきるる申しましたような深刻な不況に当面しておるという点からいって、この際財政主導型の政策をとり、その財源確保のために七千三百億程度公債を出すことは必ずしも国の財政を脅かすものではない。と同時に、景気がよくなれば、御承知のように年に六千億、七千億といったような自然増収すら入り得る。まあそういうことは今後簡単に期待できないかもしれませんけれども、そういうことを考えますれば、私はそんなに心配する必要ないのみならず、これも先ほど野田先生のお話にありましたように、とにかく国民生活を豊かにし、そうして向上させるということがわれわれの根本の願いでございますから、そういう意味から非常に立ちおくれておる社会資本、つまり道路といわず、住宅、特に勤労大衆住宅とか、そういったもの、それから国際競争力のための港湾の整備であるとか、あるいは通勤用の過密ダイヤの解消とか、こういったようなことに公共投資を中心として、しかもいま申しますように市中消化といったような原則を貫いた、つまり歯どめをしっかりした公債政策であれば、それほど私は心配する必要はないと思うのでございます。  それからさっきお話のように、企業企業内容が非常に悪化しまして、借金が非常に過大になっておる。したがって自己資本比率が二〇%を割るような状況になっておる、こういうことは、これはお説のとおりで、私もさっき申し上げたわけでございます。これは、先ほど申しますように、高度の経済成長をわれわれ民間借金において築き上げたと申したわけでございますが、全くそのとおりでございまして、これは、われわれ経営者にも責任がありますけれども、やはり政府高度成長政策等も若干の影響力なしとは言いがたいのでございます。これは、しかし私ども会社といたしましても、たとえば私の会社に例をとりましても、設備投資は、過去は年間六百五十億というような高い水準でございましたけれども、現在では三百億台でしたか、それは減価償却が大体二百八十億ぐらいございますので、減価償却でもって設備投資は八〇%をまかなうという、私の会社ではそういう原則を三十八年から立てて、設備投資を抑制しておりまするが、大体各企業ともこの景気の過熱の反動に対して、非常に慎重な考え方に移っておりまして、それが今日民間設備投資をむしろ萎縮し過ぎる程度にまでさしておるという状態でございます。これは、結局国際競争力長期強化する意味においては技術開発技術革新はむろんのことでございますけれども経済体質そのもの、経済基盤そのものを強化しなければ、加藤先生の御指摘のように、十分な国際競争力ができない。そこで、われわれはいまやそれぞれの業界の協調体制のもとに、まず市況の安定をはかり、一定の利潤を追って物が販売され、流通されるという経済秩序を確立することによって、一定の適正な利潤を確保し、それをさっき御指摘のように従業員、勤労者大衆に振り向ける、株主に対する配当、それから、さらにこれを社会一般の消費者に還元する、この三つの方向において、なかんずくとりあえずいま御指摘のような、非常な高い借金で苦んでおるという実情でございますから、借金をまずなるべく返すということで企業努力を、おそらくどの会社もやっておるわけでございます。  そこで、第二点の借金の金利の問題でございますが、これは、御指摘のとおり、運転資金につきましては公定歩合が一銭五厘に下がりました。しかし、長期金利はわれわれの会社といえども二銭四厘、普通の会社はもっと高いのではなかろうかと思っております。それに歩積み両建てというようなことばを、私はこの際使いたくないわけでございますけれども、実質的にはそういうことは、特に中小企業においてはなはだしいということは、これはおおうべからざる事実でございまして、そういうわけでございまして、われわれはこの点については金融界に対しましても非常に強い要請をしております。ということは、長期金利が、結局先ほど加藤先生が御指摘のように、われわれの企業の金利負担一つの重圧になっておる。資本費を増大している非常に大きな要因になっておりますので、その点はぜひ安くしたい。したがって、今回の国債発行についても、経済同友会は少なくとも利率六・五%、あるいはそれ以下ということを言ったのは、これは単に国債の利率だけをさして言っておるのではなくて、それに関連した政府保証債、あるいは興長銀債、こういった長期金利体系の水準を引き下げる一つのこれが橋頭塗になるということで、意識的にそれを強調しておる次第でございまして、何とかこの長期金利をもう少し引き下げるように金融界の努力を強く要請しておりまして、それはまさに加藤先生の御指摘のとおりでございます。同感であります。  それからさらに、株主に対する配当が少ないではないかということでございますが、これは、当面非常に深刻な不況にある状態では、減配、遅配が行なわれることは事実でございますけれども、しかし健全な企業は、少なくとも一割程度の配当をしております。いいところは一割五分の配当をしておりますが、これをいまの全体の金利水準と相呼応して、はたして一割の配当水準が国際的な比較において高いか低いかということになりますと、割り高であるというわけでございますから、これも適当に金利水準の低下と相まって、配当水準ももう少し低い線に持っていってしかるべきじゃなかろうかというふうに考えております。  それからさらに交際費の問題、これは先ほど申しましたように、非常な誤解を生じております。これは、さっきるる申しましたから、もうおわかりのことでございますが、ほとんど学校といわず、社会福祉的な問題、あるいは神社仏閣、ありとあらゆるもの、そのうちには、若干政治献金等も含まれておるわけでございます。これはたいした額じゃございませんが、しかし、それはともかくとしまして、そういったすべてのものがとにかく企業にかかっておるということ、その大部分がそういった性質のものであって、これが先ほど申しますように、当然政府負担すべき教育関係、あるいはまた社会福祉に属するような問題についても企業側に転嫁されておるような傾向がなしとしないわけでございます。こういったことが企業の体質を弱体化しておる一つ原因でございまして、こういう点は、社用族が飲んだり食ったりしておるというふうに——若干そういう傾向も絶無とは言いませんけれども、いま申しましたような寄付金等がその大部分をなしておるということ、これも企業の側からいえば、先生の御指摘のように、相なるべくは、ひとつ政府負担し得るようなものは政府にぜひ負担していただきたいというふうに考えておるわけでございます。  それから株価高の問題でございますが、これは、実は私どもも、現在の株価がはたして経済の実勢を反映しておるかどうかということについて、若干の疑問なしとしないのであります。というよりは、堅実な内容の会社の株がそれほど高く評価されないで、むしろわれわれが突っかい棒をしておるような会社の株のほうがかえって割り高であったりするような、まことに不合理な現象もなしとは言いません。まだ無配の船会社の株が、一割配当しておるわれわれの会社よりもはるかに高いというような現象も、なしとしません。しかし、これは大衆投資家のいろいろな思惑と申しますか、心理的な影響も手伝っておることでございまして、これは、相なるべくは株式市場の健全性ということはわれわれ全く同感でございますけれども、しかし売り買いの問題になってまいりますと、買うほうの思惑心理も相当大きな要素をなしておるということでございまして、これは、一がいにわれわれのほうで規制するとか規制しないとかいうような問題ではありません。私どもは、とにかく健全経営を基礎とし、適正な配当をすることによって適正な株価の評価をしていただくように努力しておるわけでございます。  それから広告宣伝費の問題も、これも御指摘のとおりでございますけれども、われわれのような基礎産業等は、そんなに宣伝費は使っておりません。またその必要もございません。主として薬品とか食料品とか、消費産業に非常に多いわけでございますが、これも御指摘のように、国内過当競争してまでああいう過大な広告をするよりも、むしろ海外へ向けて輸出振興の一助となるようなという広告のあり方は、これは全く先生のおっしゃることと私も同感でございます。  それから財政企業減税の問題でございますが、これは、先ほどもるる申しましたが、いままでいかにも企業課税が割り高であった。しかし、アメリカあたりに比べるとそんなに高くないという議論もございますけれども、これは金持ちと貧乏人との違いでございまして、アメリカあたりでは、少なくとも設備投資をする場合に八〇%以上は自己資本で投資をしておるわけでございます。つまり、それだけのゆとりがあるわけでございます。ところが、日本の場合は、逆に八〇%程度借り入れ金によってやっておるわけでございますから、したがって、さきに御指摘のように、金利負担であるとか減価償却であるとか、こういったものが、しかも急激な発展をしただけに、それだけに資本コストの負担が大きいわけでございますから、相なるべくは企業減税をしていただいて、企業基盤強化することが望ましいということを申し上げておるのは、何も企業エゴイズムから申し上げておるわけじゃなくて、われわれは大ぜいの従業員を預かり、しかも先ほど申しましたように、経済活動の七五%は、いまや大中小といわず、企業でございますから、企業基盤強化され、企業国際競争力が大いに伸び、そうして従業員のみならず、その所得を通じて大衆の所得が増大し、大衆の所得が増大すれば大衆の購買力となって、これが消費を通じて生産を刺激してくる。そういった生産消費国民大衆の所得というものが増大することが、国民経済の発展の原因であると、私はそういうふうな割り切り方をしておる。ただ、日本は、先ほど申しましたように、資源が非常に貧困でございますから、どうしても国際収支のバランスを絶えず考え、同時に国際競争力強化ということを考えていかなければなりませんから、長期的に企業安定成長し、国民経済長期的に安定し、同時に国民生活安定向上する、こういうことを念願にしておるわけでございまして、決して企業エゴイズムから企業減税をしてもらいたい、そういうけちな考え方から申し述べておるのではなくて、国民経済の全体の健全、安定成長のために申し上げたわけであります。  そこで、個人所得との関係はどうかということでございますが、私はさきに申しましたように、たとえば本年度のごときは、政府は五・五%の消費物価上昇を目途としておられますが、実際問題として、公共料金の値上げ等いろいろございますので、これはなかなかその程度でおさまるかおさまらぬか、問題でございます。したがって、国民大衆のふところは非常に苦しいことは現実でございますので、企業減税は、さっき申しましたように、大幅減税を要望しましたけれども、これは御遠慮申し上げまして、むしろ所得減税に重点を置いていただくほうが当然ではなかろうか、こういうふうに申しておりますが、これも、企業がだんだんいまのような状態でなくて、経済秩序を確立して発展してまいりまして、収益があがってまいりますれば、何も税金等についてとやかく言う必要もなくなるのじゃなかろうか。これは、今後われわれに課せられた非常に大きな問題であり、企業経営者経営責任として、われわれは非常に痛感しておる次第であります。
  16. 加藤清二

    ○加藤(清)委員 出産性向上と物価の下方硬直性との関係……。
  17. 藤井丙午

    藤井公述人 生産性は非常にあがってまいりました。しかし、そのわりに物価が上がって、一向大衆に還元されないのではないかというのがポイントだろうと思います。ところが、ここに御了解願いたいことは、われわれ鉄鋼業をはじめとする基礎産業あるいは生産財は、大幅なコストダウンでございます。現在の鉄鋼のごときは、昭和三十年——三十二年の平均を一〇〇といたしまして、現在まだ九二、三%という状態でございます。十年たって、毎年ベースアップし、諸物価が上がっておるにかかわらず、鉄鋼の市況は十年前よりも一割弱安いという状態、この一事をもってもいかに近代化合理化国民経済にプラスになっているか。それで、先ほど申しましたように世界で一番安い鉄として、これが一千万トン昨年は輸出され、世界最大の輸出国になった。それで、アメリカに五百万トン近い日本の鉄がどんどんいっておるという事実、これは太平洋岸ばかりじゃなしに、大西洋岸、最近ではシカゴ周辺まで、ちょうど昔日本の繊維産業がランカシアを脅かしたと同じような現象になって、アメリカを若干刺激しておりますが、そういうふうで卸売り物価、つまり出産財は非常に下がっております。上がっておるのは消費産業、なかんずく生鮮食料、サービス料金等でございまして、これは先生方とくと御承知のように、最近における急激な賃金格差の縮小、つまり中小企業ベースアップあるいはサービス産業ベースアップ等が主たる原因でございまして、これはわれわれ主要産業と申しますか、生産産業と同一に論じられましては、全然問題の性質が違うということ、私どもも今後一そう努力いたしますが、そういう実情にあることだけをひとつ御認識願いたいと思います。
  18. 加藤清二

    ○加藤(清)委員 突っ込んで承りたいのですが、時間がないそうですから、本日はこの程度にします。
  19. 赤澤正道

    赤澤委員長代理 次に永井勝次郎君。
  20. 永井勝次郎

    ○永井委員 簡単にお尋ねいたします。  一つ鉄鋼カルテルの問題ですが、これは先年不況であるというので不況カルテルを結びました。一年で景気が立ち直ってまいりました。二年目には値上がりを押えるためのカルテルが行なわれたわけです。一年たちまして三年目に、今度は価格を安定するための安定カルテルと、こういう不況カルテル、値上がりを押えるカルテル、安定カルテル、こういうふうな名目でカルテルをやってまいりました。カルテルならざるはなし、年から年じゅうカルテル、こういうことになるだろうと思うのですが、公販の制度とともに、このような点はどういうふうにお考えになっておるか、これが一点。  もう一つは、鉄鋼は、過去において十年間に生産の伸びは五倍になったわけであります。日銀の調べによりますと、たとえば原材料費は三十五年が七四%、三十九年が七〇・六%、たいへん下がりました。それから人件費にいたしましても、三十五年が一一・四%、これが三十九年は一一・二%、人件費も減っております。ふえているのは資本費で、これが三十五年一四・七%が三十九年二一・二%、こういうふうに資本費が上がっているのですが、総原価は、三十五年一〇三%に対して三十九年は一〇〇・一%、やはりこれも総原価は減っている。こういうふうにずっと下がっておるのですが、管理販売価格はどうかといえば、三十五年一二%、三十九年一四・五%と、こういうふうに上がっておる。こういうふうな価格はどういう計算から出るのか、この点をお伺いいたします。   〔赤澤委員長代理退席、委員長着席〕  それから、鉄鋼は、ただいま加藤君の質問に対してこの十年間に一〇%弱下がった、こういうことですが、朝鮮戦争のときに鉄鋼は急激に、べらぼうに上がった。その上がったのが横ばいでずっと下がらないできた。下がらないできたのはも先ほど来のカルテルで下げるのを突っかい棒してきたということで、五倍も生産性が上がったら、もう少し値下がりしてもいい条件が出るんではないか、こういうふうに思うのですが、この点いかがですか。  もう一つは、コストに占める労務費を見ますと、鉄鋼の場合は、アメリカは六二・七%、西独の場合三五%、日本の場合二四・六%、こうなってております。労働分配率は、先進国は五〇%、日本は三〇%、福利厚生施設にいたしましても、先進国は四〇%内外ですが、日本は一一・八%というような低い割合でありますから、この設備の近代化だけではなくて、経営、運営、そういうものの近代化のためには、もう少し内容を充実し、消費者にも少し利益を配分する、労働者に配分する、こういうようなことが内容から見て考えられるんではないですか。これらの点について……。
  21. 藤井丙午

    藤井公述人 最初、鉄鋼カルテルのお話でございましたが、実はカルテルというのは存在いたしません。独禁法の関係で、そういうことはあり得ないことになっております。ただ、過去にいろいろなことがございましたが、現在も私どもは市況安定のために協調体制をしいておりまして、御承知のように、昨年の第二・四半期から一割の鋼塊減産——これも国内向けでございまして、輸出は制限はございませんが、しておることは御承知のとおり。それは、さっきも申しましたように、三十六、七年の巨額な投資の結果、強大な生産力ができたということと、一つは、企業のそれぞれの、いわゆる家庭事情と申しますか、そういうものから、繰業度を高めなきゃならぬというような事情から、過当競争になった。そこで価格が著しく暴落して、四万五千円程度のものが三万五、六千円に下がるといったような大幅な値下がりを見るような状況になりましたので、そこで、それぞれ業界の協調体制のもとに通産省の行政指導を受けて、通産省から生産指示を受けておるということであって、カルテルが存在しておるということじゃございません。しかし、これはありていに申しまして、大衆の利益を守るために独禁法があり、公正取引をすることは当然のことでございますけれども日本には日本経済風土としまして、ややもすれば過当競争といった意識が非常に強うございますので、アメリカ流のいわゆる資本蓄積の豊かな、そうしてさっき申しますような八〇%も自己資金で投資のできるような企業の内容と、借金ででき上っておる日本企業、つまりがつがつせざるを得ぬような企業と、そこに企業の本質的な体質の相違がございます。したがって、それを取り巻く経済風土もだいぶ違うわけです。それをいきなりアメリカの直訳の非常な高度な独禁法が導入されたものですから、まことに私ども不自由をしておる。したがって、通産省の行政指導というような形をとらざるを得ぬというのが実情であります。しかし、アメリカでは、先ほど申しましたように、数年前までは五〇%台の操業率にかかわらず、価格はちっとも変わらない。のみならず、むしろどんどん上がってくる、これは、あのきびしい独禁法下でどうしてこういう仕組みになっておるかということでございまするが、そこら辺のことは、私ども事情を探ってもよくわかりません。しかし、これは結局、経営者はそれだけの収益計画を中心にして経営をしておるということからくる問題であろうと思いますので、われわれも、今後は経営の自己責任に徹し、収益計画を中心にして企業経営をして、こういったカルテルの疑いを受けるようなことのないような状態にぜひしたい。そこで、これは国内のみならず、輸出の問題につきましても、とかくのアンチダンピング法違反だとかなんとかという問題すら起こっておりますので、内外の経済秩序を確立して安定成長に持っていきたいというふうに考えておりますから、さように御承知願いたいと思います。  それから、生産費が非常に下がっておるにもかかわらず、そうして人件費等が比較的にはあまり上がっていない、資本費だけが上がっておる……。
  22. 永井勝次郎

    ○永井委員 販売価格は……。
  23. 藤井丙午

    藤井公述人 販売価格は若干上がっておりますが、しかし、これは皆さんひとつよくお調べ願いたい。私きょうデータを持ってきておりませんけれども世界日本鉄鋼国内価格が一番安いのでございます。品種によって違いますけれどもアメリカあたりよりトン四、五十ドル安いのです。ですから、運賃をかけて、関税をかけて、しかもアメリカの大西洋岸まで、あるいはさっき申しましたように、シカゴ周辺まで日本鉄鋼が売れるというのは、いかに日本鉄鋼が安いかということでございまして、これは安過ぎる。それは、ほかの物価との比較においても安過ぎるのでございまして、それは決して鉄鋼がこれだけの合理化をしながら利潤をあげておるということではなくて、話は逆で、むしろあまりにも利潤が少な過ぎるから、いま言ったような減産協定までして市況の安定対策を講じなきゃならぬという実情であるということをごらんいただきたい。なお必要とあれば、海外諸国との鉄鋼国内価格の比較を申し上げますなれば、皆さんびっくりされるほど日本鉄鋼価格は安いわけでございます。それであるがゆえに一千万トンも輸出ができるということでございまして、そこで私どもとしましても、御指摘をまつまでもなく、今後も企業努力によってコストダウンをはかると同時に、従業員の賃金はむろんのこと、福利厚生施設等につきましてもできるだけ十分な努力をしたい。まあそう言っちゃ失礼でございますけれども、われわれの会社などでは、外から批判されるくらい、福利厚生施設等も、十分とは申せませんけれども、かなりの努力をしておることは御高承のとおりでございまして、これは、ある意味においては国の社宅政策等が不徹底のために、企業がみな住宅を持っておらなければならぬというようなこと、これも一つ企業負担の大きな原因でございますが、そういうわけで、こういった福利厚生費等は、先生はどういうところから標準をおとりになったか知りませんけれども、われわれの標準から言いますれば、少なくとも日本のいまの鉄鋼関係の労働賃金は、イタリーよりも上、フランスととんとんくらい、福利厚生費を含めまして、決して欧米先進国よりもはるかに劣っておるという状態ではございません。アメリカは論外でございます。そういうふうにだんだん向上しているということを、ひとつ御理解願いたいと思います。
  24. 永井勝次郎

    ○永井委員 いろいろありますけれども、きょうは時間がありませんから……。
  25. 福田一

    福田委員長 藤井公述人に対する質疑は終わりました。  藤井公述人には、貴重な御意見をお述べいただきありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。どうぞ御退席になってけっこうでございます。(拍手)  それでは、これより大内公述人に対する質疑を行ないます。  まず最初に、先ほどの野田君からの質問に対しましてお答えを願いたいと存じます。
  26. 大内兵衞

    大内公述人 野田さんの質問に対してお答えいたします。  イギリスとかアメリカのいまの公債の大部分が戦争の遺産であるということは、野田さんの言われるとおりであります。それから、アメリカ公債がこの数年間ややふえておるのは、これは赤字のためであります。しかし、アメリカがいかに赤字公債をおそれておるかということ、ことに赤字をおそれておるということは、御承知のとおりいまベトナム問題でたいへんなことが起こっておりますし、それから軍需産業が非常に必要になって、景気アメリカは非常によくなっておりますけれども、しかし、およそ千二百億ドルの財政で、赤字はたった十八億ドルであります。日本の現在の四兆幾らに対して約二兆、いわゆる公共事業赤字でさえも七千三百億円というのと比較しますと、アメリカの大蔵大臣と日本の大蔵大臣とが、赤字に対して、その赤字を埋める公債に対してどういう心の用意があるかということは非常に明白だと思います。  次に、あなたが大蔵省のどういう位置におられたか、どういう局長でおられたか、次官であられたか知らぬが、私が澁澤大蔵大臣に対して、インフレーションをとめたらどうか、とめるのには公債を破棄したらどうかという問題を出したときに、何百万か死ぬと言ったということですが、そういうことを言った覚えはありません。それはないと思います。ただ、インフレはおそるべきであるということについて発言したことは、たしかやりました。その点は、いまもなおインフレは国民生活の敵であるということは、繰り返して述べたいつもりであります。  それから、私は一般に考え方が悲観的であるという野田さんの御批評でありましたが、それはもう当然のことでありまして、先ほど申し上げますように、インフレが迫りつつあるということを意識するというのは、悲観的であるということと同じことでありまして、野田さんの御批評は全くそのとおりでありますが、しかし、一般に言って、金持ちというものは楽観的であって、貧乏人というものは悲観的であります。そうして、一般に言って、インフレを身をもって感じておる小市民及び労働者は悲観的であります。これはあたりまえのことで、別に私だけが特別のことではありません。  それぞれ、まだ特別にお答えしなければならぬことがありましたか。——それではよろしゅうございますか。
  27. 野田卯一

    ○野田(卯)委員 昔のことはひとつ忘れまして、いまの問題点、日本がいま公債発行をするには非常に危険な条件にあるという問題なんです。公債は、条件によっては危険ではないんだ、しかし、現在の日本ではたいへんに危険であると、こういうような御発言だったと思うのですが、私は、今日の日本公債発行をすることはそんなに危険であるかどうかということ、これもどうもオーバーじゃないかというふうに感じるわけです。それで、先ほど来藤井さんは、現在は日本経済がいわば腰が抜けてしまったような経済になっているんだ。そういう経済を引き立てるためには、外部からの引き上げる力が入らなければならぬ。それがためには、国家の財政、いわゆる財政力というものでもってこれを引き上げる作用をすべきだ。財政の大権威であるところの先先御承知のとおりに、いわゆるファンクショナル・ファイナンスの問題で、こういう誘導的だというか、あるいはそういう景気の悪いときには借金をしてでも金を使って景気をよくする、景気が過熱すればむしろ締めていく、そうしてむしろ景気の調節をはかるというような任務を財政に期待するという人も多いわけです。さっきの藤井さんの考え方はその線に沿っているし、現在の大蔵大臣の考えもその線に沿っていると思うのです。ですから、いまのように日本が非常に不況であり、また経済界が沈衰をしておる。そうして操業率も低下しておる。人間の手も余っておる。こういうときに、財政の力でもって有効需要を喚起して、そうして日本経済を好況に引き戻すとか、普通の状態に引き戻すという事柄は、これは世界的な学説としても公認されていることではないかと思うのです。日本のいまの状態が、そういうものさしではかったときには非常な危険であるということではないのじゃないか、むしろいまこそそういう財政の働きに期待すべきものじゃなかろうか。これは、おそらく世界中の学者でも専門家でも、だれでも認めるところじゃないかと思うのです。それはそうだと、先生、おっしゃるかもしれません。先生のおっしゃるのは、現在の条件では危険であるというのは、ファンクショナル・ファイナンスをやるという立場からはいい。いいんだけれども公債を発行すると、それがとめどもなくなったりなんかして危険だから、それを注意しろという御趣旨ならわかるわけです。ですから、先ほど申されました日本銀行の公債引き受けのような問題、これはダイレクトに引き受けないにしても、間接に引き受けることになりゃしないだろうか。一年間はストップするけれども、二年目になったら意義を失うとか、そういうような穴から公債が結局日本銀行引き受けということになって、財政法の精神にも反するようなことになりはしないだろうかというような御心配はわかります。御心配はわかりますけれども、現在の日本条件では危険だと、あまり言い切られるのは行き過ぎじゃないだろうか。また、御指摘のような点については、大蔵大臣もあるいは総理大臣も国会においてしばしば言明して、自民党としても、厳に、これが日本銀行信用利用というふうにいかないよう努力をするということも、われわれも考えておるところでありまして、そのことだけで、現時点における問題としては、たとえば七千三百億の公債を発行すること自体が非常に危険であるというところにはいかないんじゃないか、その点がちょっと納得のできない点がありますので、この点もひとつお答えをいた  だきたいと思います。
  28. 大内兵衞

    大内公述人 お答えいたします。  なるほど、いまの野田さんの御質問を、私は先ほど答えるのを忘れておりました。あわせて答えます。  野田さんの言われるようないわゆる財政主導型、つまりこういう不景気なときには財政国民経済に対して指導的な役割を果たしたほうがいい、そういう学説は確かにあります。そして、それはむしろいま日本では流行の学説であります。しかし、その学説の応用のしかたは、全然間違っております。その学説は、こういう学説です。つまり景気がよくて自然増収の多いときは、それを十分にためておけ、そうして、そのためておいた余財をもって、財政上の余裕をもって不景気のときにそれを使え、そういうのが財政国民の主導的役割りを果たす経済である、そういう学説であります。それが正当な学説でありますが、しかし、その学説を日本では野田さんのように間違って応用しておる人もあります。しかし、それは決していつでも財政経済をリードしたらいいという意味ではない、金があるときは、という意味です。  もう一つお答えいたしますが、公共事業に対して一般に公債をもってやるのはよくないと私が言ったんじゃないか、こういう御質問であります。そういうことは申しませんでした。どういう場合であっても、公共事業であっても、あるいはたばこ専売であっても、公債を発行してやることが悪いと言ったのではなくて、償還計画のない公債を発行するのは悪いと言ったのであります。償還計画を明示してあればいい。そのようにさきの問題を応用いたしますと、ふだんから、つまり池田内閣の時代からたくさん自然増収をためておいて、そして、いまそれを出して救済するのならばちっともインフレにも何にもならない、そういうことを申し上げたわけであります。
  29. 野田卯一

    ○野田(卯)委員 もう一問だけ。——ただいまの御議論に対しても異論がございますが、時間の関係上省略いたします。  減税の問題で、いま減税するのは危険である、税金はどんどん取るべきだというような御説でございますが、これは、やはり現在のように財政収入がわりあいに低調である、しかし景気をよくしなければならぬ、経済をよくしなければならぬ、こういう場合に、その方法として減税の方法が適当であるということは、御承知のように、ケネディが学者を集めていろいろ研究した結果、アメリカ経済が五、六年前沈衰をしておりまして、ケネディが就任したときには非常に不況だったわけですが、こんな不況経済成長率が低くては、結局はソビエトとの間の競争に負けてしまうのだ、どうしてもアメリカ経済をうんと伸ばさなければならないという立場で、ケネディは御承知のように思い切って大減税をやった。大減税をしたとき、決して財政は黒字じゃございません。赤字だったと思います。赤字財政のときに、あえて百億ドル以上にのぼるところの大減税を断行いたして、それが契機となりまして、アメリカ景気が立ち直ってきて、そうして五カ年未曾有の最高景気を継続しているということは、もう御承知のとおりであります。こういうわけで、あのときの大減税がアメリカ景気回復に大きな働きをなしたということは、これは内外のひとしく認めておるところなんであります。でありますから、そういう意味合いで、日本経済状況アメリカと全部同じだとは申しません。しかしずいぶん共通点、似たところもあるわけです。そういうような点から申しますと、この際思い切った減税を断行いたしまして、そうして国民経済に力をつけて、そうして経済回復をはかるという行き方も決して私は当を得ていない政策だとは思わない。それが非常に危険な政策だとは思わない。また外国人に聞きましても、これが非常に危険な政策だということは言っていないと思うのです。あるいはIMFへ行っても、ワールドバンクへ行っても、私は大体においてこの政策は国際的に是認されておる政策だと受け取っておるわけです。でありまして、あまりにこの際の減税を危険視され、そうしていろんな経費が要りますし、また赤字が出ると、それを一体どうして埋めるか、一体これは何で埋めるかというようなことにつきましても、先ほど赤字の点の御指摘はあったけれども、何によって埋めるかというような点はあまり示されなかった。もしそれを税収で埋めていくということになりますと、これはたいへんなことになる。緊縮財政はこの際とるべきだというような御意見のようにも受け取れますけれども、もしこの際緊縮財政をして、濱口内閣のようなことをやりますと、景気が不景気になることは、もうもちろんのことです。そして同時に、あのときには役人は一斉に一割か一割五分の給与のカットを受けている。そうして初めて緊縮財政の実をあげている。でありますから、緊縮財政を真に徹底すれば、私はやはり給料の引き下げというようなことも考えませんと、先ほども言ったように、五千億円も節約するというようなことになりますと、それは言うことは簡単ですけれども、中身をよく見ますと、なかなか簡単にできないと思うのです。これは実際の問題なのです。だから、補助金をカットするとかなんとかいろいろやりますけれども、実際できておらない。こういうわけで、濱口内閣のときには、ほんとう意味の節約というか、緊縮財政だったわけです。思い切り官吏の月給を減らしてしまった。人間を整理した。それを、やあ月給を上げてやるのだ、役人は減らさないのだ、こういうようなことで大緊縮財政ができるなんていうことは、とても考えられない。私は世界じゅうそうだと思うのです。でありますから、緊縮財政を論じられるときには、そこまでもう少し深く掘り下げてもらわぬと、聞いた者が納得できないのじゃないかというような感じがいたしますが、いかがでございましょうか。
  30. 大内兵衞

    大内公述人 お答えいたします。  ケネディの時代に減税をやって、それが誘い水になってアメリカ景気がよくなったということは間違いではありません。そのとおりであります。そのおかげで、ことしのような大拡張予算でありましても、先ほど申し上げましたように、赤字が十八億ドルでしかない。つまり千三百億近い予算の中で、たった十八億くらいでしか赤字がないというのは、それは減税がよかったというのじゃなくて、減税をやるときの経済状態に対するアメリカの専門家の、財政家の、ケネディのブレーンの見通しが正しかったということだけであります。それ以外には、何も減税で赤字をつくったほうがいいということではない。いまの日本のは、減税によって赤字をつくるということがよくない、私はそう言ったのであって、決していつであっても減税がいいことはさまっております。減税をやるときは条件がある。アメリカはその条件をちゃんと見通してうまくやったけれども日本でいま減税をやるのは危険である、それだけの話であります。  それからもう一つ、演目内閣のときに、役人が一割の減俸でストライキをやった部分もありましたけれども、非常にやりにくいじゃないかということ、それはやりにくいという話であって、私もやりやすいなんて言ってやしないのですよ。やりにくいですよ。むずかしいですよ。  それからまた、いまのような物価騰貴のときに、それは一割も官吏の減俸をするのは無理です。そんなことは無理にきまっておりますけれども、しかし物価を下げるという政策と同時に、そうしてそれが実効があるということがわかっているときに、高過ぎれば官吏の月給を下げ、そうして全体として緊縮政策をとらなければならぬ、とるのはあたりまえであります。その政策が全体としていいかどうかという議論をしているわけです。
  31. 野田卯一

    ○野田(卯)委員 一言だけつけ加えますが、先ほどアメリカの例で、誘導経済をやる場合には、金をためておいたほうがいい、ためておいて、あとで使っても、そのときにためておいて、あとで公債を発行してもいいのだというようなことでございますが、しかし、実際はアメリカでも、ケネディが誘導政策をとる前に、ずっと黒字で金をためてきたかと申しますと、先ほどの数字で申し上げましたように、年々赤字がたまってきているわけです。絶対にためておりはしません。それをアメリカが思い切ってやったという一つの事実があります。  それからもう一つは、減税をやるときに、減税をやって赤字になることは覚悟してやっているのです。赤字になることは覚悟して減税をやったことは、当時の説明を読めばわかるわけなんです。それを決断してやって、その結果、経済界が翌年から漸次よくなってきて、いわゆる歴史上初めてと言われるような好景気がもたらされた、こういう事実関係だけをつけ加えて申し上げておきます。
  32. 福田一

    福田委員長 次に大原亨君。
  33. 大原亨

    ○大原委員 非常に明快な御意見をお聞きいたしました。  私は簡単に二つの点をお尋ねするのですが、佐藤内閣は、中期経済計画というものを閣議で、去年の春、一たんきめました。これは御承知のように、おととしの一月に、池田総理大臣のときに諮問いたしまして、一年間ぐらいかかって、各界の、特に政府部内の知能を動員したといわれているのですが、これは破って捨てたわけであります。それはやはり二、三大きな目標や条件、そういうのがくずれたというのですが、たとえば公債を発行しないというのが公債を発行する、それから物価が押えられるというやつがべらぼうに上がる、こういうことで、まるで計画したことが実行できなかったわけであります。私は、そのことについての計画の立て方や、あるいは実行のしかたについて、政治あり方について、政策のきめ方について議論するわけではないのですが、その中に、大内先生が非常に今日まで心血を注いでやってこられた社会保障制度の総合計画というものが一部組み入れられた、こういうふうに私どもも一部判断をしておったわけであります。  社会保障制度審議会は、先生が会長をしておられ、与党、野党の議員あるいは各界の人々が入りましてやっておるわけですが、昭和三十七年に総合調整に関する基本政策についての答申を出されたわけであります。このいわゆる十カ年でヨーロッパの水準に達するとか、あるいは社会保障についての国民経済における位置づけをきちっとして、所得の再配分の作用や消費需要を喚起して景気を調整する等の経済効果をねらう、公共投資や減税の施策と並んで社会保障についての長期政策を立てることが国民経済の健全な運営発展に寄与するんだ、こういう重要な柱等を立てられて、心血を注いでやられたと思うのであります。そこで私がお尋ねしたい点は、これが中期経済計画で一部生かされておったわけですが、国民所得に対する振りかえ所得の割合、ヨーロッパの水準に対するいろんな問題等が出ておったわけですけれども、中期経済計画は遺憾ながらくずれたわけであります。そこで、国会における論議を通じてみますと、ことしの八月くらいにもう一回長期計画をやり直すのだ、こういうことで準備中だと経済企画庁長官は言っておるわけですが、私は、社会保障に関する大内報告というものが、今日までずっと答申がありまして以後数年来、政府施策の中に比かされておるだろうか、あるいは中期経済計画では一部取り上げられておったわけですが、いまはこの長期計画を立てようと若干準備をいたしておるようですけれども、その中で生きていく見通しがあるだろうか。日本社会保障や医療保障をはじめ、非常に混乱をしているわけです。未曾有の混乱をいたしておりまして、社会保障はむしろ後退するような状況もあるわけですが、この点について、社会保障のわが国における長期計画、総合計画を確立するという観点から、先生の御意見をひとつまずお聞かせいただきたい。
  34. 大内兵衞

    大内公述人 お答えします。  すべて、いまの御質問の事実は、つまり、中期経済計画に社会保障意見が述べられたかどうか、それから社会保障制度審議会がどういう意見を述べておるかということについてのお話は、大体間違っていないと思うのです。ただ、社会保障制度審議会の意見が、中期経済計画の算定に正式に述べられたことはありませんです。ただ、われわれの審議会の委員の一人があちらの委員になっておりまして、こういう事情になっているという説明をされたわけです。  それからもう一度申しますと、社会保障制度審議会は、いま御指摘のとおり、現在の日本社会保障を、あの当時、いまから四年ほど前ですけれども、十年後のヨーロッパの先進国のそれと同じところまで持っていきたい、そういうことを日本政治に期待するという、そういう趣旨であれをしたわけです。それから数年たちまして、今日は、その目標に非常におくれております。残念ながら相当の程度おくれております。非常にと言ってもいいです。その点を説明すると長くなりますからやめます。ですから、最近におきまして、御承知のとおりの医療に関する三つの法律がいま議会に出ておると思いますが、あれに対する社会保障制度審議会の意見の中にもそのことを述べております。つまり、あの案では十分でない、われわれの要求しつつあるものに対しては十分でないということを述べております。だから、最近、社会保障制度審議会に、二、三の小さい法案、たとえば国民健康保険の改正案の諮問その他がありましたが、いずれもみな同じことを述べております。要するに、社会保障制度それ自身が、その後制度として相当進歩をしておりますけれども経済の、つまり先ほど申し上げたいわゆる社会保障の対象となっておる社会問題の発展、つまり貧乏の発展のほうがわれわれの予想及び希望を数年来裏切りまして、残念ながら物価の騰貴その他——物価騰貴だけではないのですけれども、医療費の非常な騰貴、それ等のために赤字が非常に多いのです。いまの社会保障制度のすべての制度は非常に赤字が多い。ことしそれぞれ手当をされておるのでありますが、手当がされないよりはされたほうがいいです。とにかく一応赤字を解消するという努力はどうしてもしてもらいたいし、また、政府はされておるように思っております。しかし、それがわれわれの希望の目標に沿っておるか、また、日本における社会保障を必要とする社会的事実に対して十分であるかと申しますと、非常に不十分であります。  詳しいことはまた別の機会に述べたいと思って、お答えだけ申し上げておきます。
  35. 大原亨

    ○大原委員 いまの点、それから減税については、お話があったのでわかりました。それをどこから取るかということが一つと、全体の収支の問題がありますが……。  それで、お話がいまありましたので、この際ひとつ先生に御意見をお聞かせいただきたいと思います点は、社会保障の中で、医療保険の保険料が一兆二千億円ぐらいになるだろう、こういうふうに言われるのでありますが、医療保険は非常に大問題であります。答申によりますとやや具体的に書いておりまして、これはもちろん大内先世の御意見だけではない。皆さんの議論されたやつを集約されたわけでありますが、九割保険ということをここに書いてある。いろいろ書いてございますが、九割保険ということを書いてある。平均して九割、家族本人を入れて九割という、いろいろ長い文章があるのですが、その中が集約的な一つの文句があるわけですね。これについて、国民健康保険は、家族も、もう二年もすれば家族七割になるわけでありますが、日雇いあるいは政府管掌その他、家族は半額であります。他のほうも大体半額でありますが、九割保険を一応十年間の一つの目標というふうにされておったわけです。この問題だけ議論しましても、非常に大きな議論ですが、その医療保険の総合調整といいますか、給付水準の底上げをやりながら、総合調整をしながら問題点を抜本的に来年までには解決しなければいかね、昭和四十二年には解決するというふうに政府は言明しておりますから。これはやはり相当大きな努力をしなければならぬと思いますが、それらの問題について、非常に大きな社会保障の問題点ですから、先生がどういうお考えを持っておられるか、お考えの点がありましたら、全部はもちろん時間がございませんが、二、三の点について御意見を開かしていただきたいと思います。
  36. 大内兵衞

    大内公述人 いまの九割という点は、あそこでは九割と書いてありますけれども、いまの状況ですぐ九割ということを要求するのは無理でないかというのが私の現在の主張であります。主張というか、考えであります。  それから全体として、それよりも、特に議会の皆さん社会保障の進歩を願っておる国民の一人としてお願いをしたいのは、やはり社会保障全体が非常にあぶないところにきておる、それで、これから進歩することが非常にむずかしくなっておる、いままでは相当進歩したのですけれども、非常にむずかしくなっておる、それにはどうしても赤字が多い、どの会計も赤字であり、そしていまの制度ではその赤字がだんだんふえるのはどうしてもやむを得ないという点があります。これは薬の問題と、それから医療の問題と、掛け金の率の問題と、地方財政の貧弱さという問題と、それよりももっと各地方で貧乏な人間が貧乏で困った状況ですね、つまり社会保障を受けなければならぬ状況が新しく広く発生しつつある、つまり非行少年とか、あるいはそういう問題等も関係しますけれども、からだが悪いとか、あるいは年寄りが非常にふえるというようなことと関係いたしますけれども、そういうような問題が非常に重要になってきておりますので、いま今年の社会保障予算については何も批評いたしませんでしたけれども、十分でないという批評だけを申し上げたわけです。十分でないというのは、つまり赤字を解消するためにさえ十分でない。  それからもう一つは、われわれが将来十年の後、もういまから言えば六年後ですけれども、六年後において、ヨーロッパの先進国の程度まで日本社会保障を進めたいという希望は、あのときと比べて非常にむずかしくなっておる。もし私どもいま申し上げたような理想が日本政治として許されるならば、その点について、ひとつこの際特別の御努力を日本政治家諸君にお願いしたいというのが私の社会保障についての信条であります。
  37. 大原亨

    ○大原委員 ありがとうございました。
  38. 福田一

    福田委員長 次に加藤清二君。  加藤君に申し上げますが、次の公述人からお話を承る時間が迫っておりますので、よろしくお願いいたします。
  39. 加藤清二

    ○加藤(清)委員 委員長の仰せもございましたとおり、時間が迫っておるようでございます。簡単にお尋ねしたいと存じます。二点でございます。  第一点、公債について。先先のおっしゃられました意見に賛成の立場から国民の心配を解消したい、こう思いましてお尋ねをいたします。  公債の第一点は、公債はどこまで伸びるであろうか。これが国民の心配でございます。歯どめがあるといいますけれども、これは決定的な歯どめではございません。あくまで相対的な歯どめでしかございません。したがって、どこまで伸びるだろうか。  第二点、この公債はたとえ公共投資に使われたとしても、地方財政を圧迫するのではないだろうか。すなわち、先般行なわれました全国知事会議でもこれが問題になっております。つまり、公共投資といえども、国家が全額国庫補助でやってくれるなら簡単がございまするが、半分ないし六割から七割は地方公共団体がこれにつけて財政支出をせんければなりません。特に、宅地対策などは三十三分の二は地元負担でございます。したがって、さなきだに困っておる地方財政赤字を一そう累積させる結果になるではないだろうか、この心配でございます。  第三点でございますが、それは市中金融を圧迫するのではないだろうかという疑問でございます。市中公募といっておりますけれども、シンジケートをつくりまして、金融機関にこれを求めようとしているわけでございます。ところでこの一銭九厘で市中銀行が買いましたもの、これを日銀に持ってまいりまして、市中金融は一銭五厘の金が借りられるわけでございます。ところが相銀以下はその道がございません。したがいまして、逆ざやになり、株主総会あたりでは背任罪の問題までが出てまいりまして、相銀以下ではいま非常に困っておるわけなんです。困ったやさきに、その逆ざやだけではなくて、預金の吸収がそれに応じません場合には、どうしても中小企業金融の貸し出しを制限するという方途をとらざるを得ないのでございます。こうなりますと、中小企業倒産に拍車をかける。市中金融の圧迫はやがて中小企業倒産に拍車をかけるのではないか、かような心配がいま行なわれておるわけでございます。したがってこれがどうなるであろうか。  最後に、この企業責任について、大きい二番目の質問でございますが、このような状況をもたらした企業責任についてどうしたならばいいか、どうお考えでございますかという問題と、公債を発行しない場合の資金源についてどうするか。それについて私は交際費を削るべきではないかと思う。先ほどの五千億の交際費は、教育費だとか、地方公共団体に寄付するんだ、政治献金ではない、こういう答弁でございましたので、じゃ交際費を削っただけで五千億、次に租税特別措置法、これによるところの二千六百億有余の金、これを削る。同時に、このあり余った設備、三割余を操短いたしておりますから、これを南鮮その他の賠償に向ける。これはアメリカでもやっておることでございます。したがいまして、そうしますと、これは南鮮だけでも二千九百億余浮いてくるわけでございます。これを締めて合わせると、一兆円の余が浮く、こういう勘定になりまして、何も防衛費を削減せぬでも、これで内輪のまかないはできるわけでございます。私ども社会党は、何んでも空理空論を言うと言われまするが、決してそうじゃございません。こういう代案を出すのです。ただそれをとるか、とらないかというところに問題があるわけで、企業責任と同時に、公債を発行しない場合の資金源の見つけ場所ですね。これを私はあえて提案したわけでございますから、この御批判をいただきたい、こういうことであります。
  40. 大内兵衞

    大内公述人 お答えいたします。  公債の増加のめど、それからどこまで増加したならばインフレになるかというのは、それはいろいろあります。いろいろの段階においていろいろのめどがありますが、公債費、すなわち公債の償還及び公債の利子の金額が一般普通予算の二〇%ぐらいが、イギリスなりアメリカなりでいまのウエートの限度であるというふうに普通考えられております。これが日本であれば、たとえば五兆円の予算であれば、その両者、すなわち償還とそれから利子とを合わして一兆円ぐらいのところならば、公債自体の問題としていかなる公債であるか、それによって何をするかによって問題が変わりますけれども公債の額自体としては、そう危険であるという議論はちょっと無理であります。しかし、今度はもっと大きくなって、公債がたとえばGNP国民生産日本でいま言えば二十五兆とか、おおよそのくらいでしょうか、二十兆ないし二十五兆、そういう程度公債がなれば、これは国の借金、税でとらなければならぬ借金国民生産の全部になると、それは非常に危険で、ほとんど手に負えない。つまりインフレが悪性化する、大体そういう標準だということが普通に考えられております。しかし、これはむろんいろいろな条件によって変わることであって、そう簡単には言われない。具体的に日本のいまの公債が、すなわち七千三百億円の赤字公債、それからそのほかの公債を合わせると一兆幾らの公債が年々ふえるとして、公債がいつ五兆円になるか。したがって公債費がいつ歳出の二〇%になるか。それは先ほど述べましたけれども、いろんな条件にかかっておることで、私が見通しをつけるのはむずかしいのです。しかし見通しがつかぬわけではない。必ずつかなければならない。財政計画上必ずつくべきはずのものであります。つかないで公債を発行するのは危険だ、こう言ったわけであります。第一の問題は、これでお答えになるかどうか。もっとほかの問題だと、また別にお答えいたします。  第二の問題は、公債の発行は地方財政を圧迫するではないかという問題ですが、日本のいまの地方財政は非常に困っておりまして、そして、相当中央からお金をくれることになっておりますが、これはわれわれから言うと、資本集中の問題なんです。資本集中がこの十年間のように急激に大都市に、大資本に、大企業に集中いたしますと、相対的な意味において、その反面において地方は貧乏するのはあたりまえであります。そういうときに借金をするのですから、同じ借金でも、金持ちには楽であるし、貧乏人には苦しい。そして、それはよくない。貧乏人には必ずよくない結果を生ずる。そういうことが地方財政公債問題としてあらわれておるわけです。それを、ただそれなりとして解決するのはむずかしいので、やはり中央財政と地方の財政とにおける、いまでいえば交付金とか、あるいはその他の補助金とかの問題として、もっと新たに、大じかけな地方財政論を展開することにおいてその問題をやるのが正当であります。しかし、さしあたりにおいて、同じ公債が貧弱な地方財政を特に圧迫するということは議論の余地がない、非常に自明の理だと思います。  その次に、金融の問題ですけれども公債を発行したならば金融を圧迫しないかという問題ですが、これは原則として、何の金融を圧迫するかということです。日本金融は全体として大きさがきまっておるのです。年々大きくなりますけれども、しかし、それは貯金だの、そういう余裕金の預かりという問題ですから、同じ大きさのものに、いままで公債がなかったのに、公債を発行しますと、ほかの分が圧迫されることはきまっている。つまり、ほかの資金のうちで産業資金に向くものが減るということは当然であります。  しかしながら、ここに一つ問題は、公債を発行することによって銀行は相当もうけるのであります。このことが非常に重要です。つまりそれは手数料の問題としてあるわけですけれども、先ほど申し上げましたけれども日本金融制度では、公債を発行するときは、銀行が寄って、そうして幾ら幾らで出しますから、幾らにしてくださいという条件を出すわけです。その条件が普通の金融よりはいまのところ少し安くなっております。これは歴史の上でもそうなっております。それでも、公債を引き受けること自体に金融機関としては利益があるわけです。それから、要するに、公債政府を助けるか、あるいは産業資本を助けるか、商業資本を助けるか、あるいは貧乏人を助けるかという問題ですけれども公債を発行するという以上は、それだけほかへいく資金が少なくなるのはあたりまえです。しかし、公債を発行すれば手数料がもうかるから、できれば金融機関はほかよりは非常に簡単に、つまり相手が政府ですから、簡単に公債を引き受けるということはあり、それによってもうかるということがあるわけです。  もう一つ金融機関のもうける方法は、いまの制度であれば、日本銀行貸付というものは、公債を持っていけばいつでも貸し付けてくれます。そうして貸し担保で貸してくれる。そうして日本銀行の利子のほうが金融界の利子より、いまの状況であれば安いわけであります。つまりギャップです。公債を引き受けて、日本銀行へ行って安い金を借りてきて、それを民間に貸せば非常にもうかるわけです。二重にもうかるわけです。しかし、それじゃ日本銀行は損じゃないかというと、日本銀行の制度それ自身が、民間の資金を預かっただけしか銀行券は出せない、つまり、健全なる通貨主義が確立しておればそういうことはないのです。しかし、いまの制度は、大蔵大臣と日本銀行総裁とで幾らふやしても、それにはあなた方も文句が言えないという制度になっております。幾らでも日本銀行はただの紙幣を——そういうことはないのですけれども、ただの紙幣を幾らでも発行して、そうして金融機関にやって、金融機関ももうける、日本銀行ももうける、そういうシステムになっておるんです。そういうシステムの中で公債を発行するというのがまさに問題だ、こういうわけです。  私の言うのは、せめてアメリカとか、せめてイギリスくらいの通貨を保護する制度があれば、アメリカくらい、それからイギリスくらいの公債を発行しても、その程度——それでもいますでにインフレです。しかし、その程度にしかインフレにならぬけれども日本ではそうはいかぬ。そういうことを言ったのであります。
  41. 加藤清二

    ○加藤(清)委員 ありがとうございました。
  42. 福田一

    福田委員長 これにて大内公述人に対する質疑は終了いたしました。  大内公述人には長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。(拍手)  引き続き綿野公述人、木下公述人の御意見を承ることにします。ただいま御出席公述人は、東洋経済新報社社長綿野脩三君、大阪大学教授木下和夫君であります。  この機会に、御出席公述人各位にごあいさつ申し上げます。本日は御多忙中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。御承知のように、国及び関係機関予算は国政の根幹をなす最重要議案でありまして、当委員会といたしましても、速日慎重審議を続けておるわけでありますが、この機会に、各界の学識経験豊かな各位の有益な御意見を拝聴いたしまして、今後の予算審議の上において貴重な参考といたしたいと存ずる次第であります。何とぞ各位におかれましては、昭和四十一年度総予算に対しまして忌憚のない御意見をお述べ願いたいと存ずる次第であります。  御意見を承る順序といたしましては、まず綿野公述人、続いて木下公述人の順で、おおむね三十分程度において御意見をお述べいただき、その後、公述人各位に対し一括して委員から質疑を願うことにいたしたいと思います。  なお、念のため申し上げますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ること、また、公述人委員に対しまして質疑をすることができないことになっておりますので、この点あらかじめ御了承おき願いたいと存じます。  それでは、まず綿野公述人から御意見を承りたいと存じます。綿野公述人
  43. 綿野脩三

    綿野公述人 それでは、御指名に従いまして私見を申し上げたいと存じます。  初めに、私見の結論を申し上げますと、この四十一年度予算につきましては、大筋において私は賛成でございます。国の予算というものは、これは百般の要素が全部入っておるものでございますが、特にこの四十一年度の予算は、物価の上昇を押えつつ景気回復をはかりたいというところに、おそらく一番大きな重点があるのではなかろうかと想像するのでございます。その点から見ますると、まあ十分とは言えませんが、ほぼその目的をこの予算は達成し得るんじゃなかろうかというふうに推測するものでございます。   〔委員長退席、赤澤委員長代理着席〕 もちろん部分的に言いますると、いろいろと不満な点もございます。  その点から先に申し上げますと、まず第一に、どうもこの予算のスケールは、景気回復あるいは経済成長をはかるという点から申しますると、まだ少しスケールが小さいのではないか、もう少し大きくてもよかったのではないかということがまず言えると思うのであります。この財政の支出が一体どれくらいの所得の増加を生むかということは、専門家の間でもいろいろと議論があるように聞いておりますが、この政府のいろいろの資料によって見ますると、中央、地方を合わせまして、歳出の増加による四十一年度の財政による財貨並びにサービスの購入の増加は九千三百億円だというふうに発表されております。これの乗数効果、これが第一次、第二次と所得の増加を生んでふえていくのが一体何倍になるかということは、いろいろ問題となろうと思いますが、世間一般に評判になっておるとおり、二倍前後だということにしますると、これは大体一兆八千億円前後、二兆円足らずということになろうかと思います。他方、この供給力の増加というものは、年々、設備投資というものは四兆円以上のものがこの二、三年来続いてまいっております。それが毎年新しい供給力として経済界に加わってまいります。おそらく四十一年度も四兆幾らという生産力の増加があるものと見ていいと思うのであります。そうしますると、この供給力の増加というものと財政支出による所得増加というものとのバランスを見ますると、なおまだ財政のほうが小さい。要するに、供給力にはまだ余裕が残るという計算になってまいります。したがいまして、それだけに景気の振起力は弱いし、またもう少し財政の膨張があっても心配はないのじゃないか、少なくとも総需要というものと総供給というものとのバランスを考えてみますると、なお心配はないということになろうかと思います。その点におきまして、もう少し思い切った支出増加であってもよかったのではないかと思うのであります。  それから第二点は減税のしかた。まず減税の幅というものは、これももう少し大きくてもよかったのではないかということが一つと、減税のしかたにおきまして、もう少し所得税減税を中心に編成されたほうがよかったのではないかというふうに思う次第であります。それからこの予算を見ましても、所得税のほうが法人税の減税よりも、三倍前後になっておると思うのですが、場合によってはこの法人税は、むしろ減税はゼロにしても、所得税の減税をふやしたほうがいいのじゃないかというふうに思います。その理由は、一つは、この所得税というものは、物価の上昇によってふえてくる所得につきましても累進税がかかってまいります。その意味からいいましても、年々税率が一緒であれば、物価の上昇に伴う増収に従って税負担が過重になるということになってまいります。この意味からいいましても、やはりこれを中心に減税すべきであるということが第一点。  それから景気を刺激する効果という面からいいましても、法人税減税というものは内部留保に向かう場合が非常に多い。たとえば減税によって浮いたものは借金の返済に向かうということでありまして、それが投資に向かうという保証は比較的少ないと申し上げていいのであります。所得減税の場合は、それに比べまして貯蓄される割合が少ない。案外早く消費財の購入その他に向かうという効果があるのじゃないかと思うのであります。そういう意味からいいまして、やはり所得税の減税をもう少し力を入れていただいたほうがよかったのではないかと思うのであります。  それから法人税の場合は、企業の体質改善という意味からいいますと、これは増資をしてもいいということになってまいります。したがまして、増資をしやすい空気にすれば、あながち減税はそう大きくなくても体質の改善になるのではないか、この点も少し考慮していただけたらいいのじゃないか、かように思うのであります。  こういう意味からいいまして、スケールの点からいいましても、あるいはまた減税のしかたにおきましても、もう少し徹底した方法を採用されたらということを要望する次第であります。  しかしながら、まあそういうふうな欠点はございますが、しかし、この予算を実施するということによってやはり景気回復するだろうし、しかもなお、物価の上昇というのはそんなにえらく心配する必要はないというふうに思います。景気の面から言いますると、大体財政日本経済全体に占める比重、国民生産における財政の比重というのは四分の一前後であろうかと思います。あとの四分の三というものはやはり民間経済活動によって動いておる。したがいまして、政府施策に安心が持て、したがって大いに民間の投資意欲をわかすということであれば、あながち財政規模がそう大きくなくても景気が直る度合いが大きいということになってまいります。不幸にしまして、昨年の七月から景気を刺激する方向に政府財政は切りかわったように思うのですが、その方針の決定にもかかわらず、実効が非常に少ない、あるいはおそいということで、残念ながら民間には、どうも財政不信という感が比較的横溢してまいったように想像されます。しかし、ことしに入りまして景気もどうにか底をついたという感じが強くなってまいりましたし、また政府の歳出もいよいよ軌道に乗るらしいという空気が出てまいりまして、だいぶ民間政府に、財政に対する信用が回復しつつあるというふうに思います。これが、もし安心感が一般化してまいれば、当然に在庫投資がふえる、あるいはいまのこのまだ物価の安定しておる際に、あるいは金利の安い際にひとつ設備投資の入れかえをしておこうという事情も起きてまいろうかと思います。そういうことを総合しますると、民間に信頼感さえ起きれば景気回復はそう心配はない。また、現にその徴候もちらほら見えるような感じがするのであります。  次に、それでは物価問題、インフレ問題はどうかということになってまいりますが、それに関連しまして、まず最初に問題になるのは公債発行でございます。公債発行が即インフレに直結するかどうかという問題でございますが、私は現在のこの四十一年度の予算に計上されたような七千三百億円の一般会計における公共事業公債というものでは、これがインフレに直結するということは全然言えないと思います。先ほど申し上げたとおり、総需要と総供給というもののバランスからいきましてもそう言えますが、公債発行の順序から言いましても、政府がスペンディングをやる、その金が民間にまかれる、それが所得の増加になる。増加になった所得の一部が貯蓄せられて金融機関に入ってくる、あるいは個人がその貯金を持っておる、それを発行される公債の消化に向ける、こういう循環が金融政策のいかんによっては円滑に進んでまいりまして、公債の消化ができないという問題はおそらくなかろうと思うのであります。これは、日本銀行がすっかり引き受けた場合でもそうでございまして、まして今度の発行は市中消化ということが原則となっておるように聞いております。市中消化であっても、結局はそれを日本銀行に持ってまいって担保にして借金をすれば、日銀消化と実際において差はないんじゃないかというふうな疑問が起きてまいります。しかし、やはり差はございまして、市中消化であるということであれば、インフレが進んで金融が梗塞するということになってまいれば、当然に公債の市価は下がってまいります。そこで日本銀行が買いオペをしようにも、損をして公債を売ろうという人は減ってまいりまして、なかなか買いオペがしにくいということになってまいりますから、自然とやはりそこである程度の歯どめの効果が市中消化の場合はあると思うのであります。イギリス、それからヨーロッパ等におきまして、公債を発行しつつ、そのために大きなインフレは起こしてないという現実を見てまいりましても、このことはやはり言えるのじゃないかと思います。  その次に、物価全体の動向は一体どうかということでございますが、先ほど申し上げたとおり、総需要、総供給というもののバランスは、まだ供給のほうがオーバーするという状況であるとすれば、一般的に物が不足して全面的に物価が上がるという、いわゆるインフレというものは起こり得ないと思います。しからば現益のこの物価の上昇は一体何かということがその次に当然問題になっているだろうと思います。物価の中でも大きなメーカーがつくる卸売り物価というものは、御承知のとおり、わりあいに安定してまいっております。三十九年の年平均は三十八年に対して〇・二%しか上がってない。昨年は若干上がってまいりましたが、しかし、年平均にしますと対前年平均で〇・四しか上がっていないという状況でございます。ただ本年の一月現在の指数を昨年の一月現在と比較してみますと、これは二・四%の上身ということで、わりあいに上昇がきついのでありますが、これは、おそらく減産によるコストの上昇、あるいは一部の不況カルテルの結成というものが影響しておったように思います。しかしこの程度の上昇で、もしあとたいした上昇がなければ、そう心配をする必要はないと思うのであります。また、需要がふえれば操業率が上がる、あるいはカルテルが解消するということになってまいりまして、今後この四十一年度の財政の実施に従って卸売り物価が大幅な上昇をするということはおそらくないだろうと思います。問題は、消費者物価が一体どうして上がったのか、またどうなるかということであろうかと思います。ところがその消費者物価も、中身をよく検討してみますと、決して全面的に上がっておるのじゃないということが言えるだろうと思います。消費者物価が上昇してまいったのは昭和三十五年からでございまして、三十四年以前はきわめて安定しておりまして、卸売り物価と歩調を合わせて上下してまいっております。それが三十五年から急速に上昇してまいりまして、三十四年の年平均に対する本年一月の東京のCPI、消費者物価指数は、実に四二・二%の上昇になっております。ところが、これを中身を検討してみますると、その類別の中で、食料品がこの六カ年の間に一九・一%、それから雑費が一六%、この二つで実に三五・一%上昇しておりまして、残りの品目はわずか七分一厘しか上がっていない。これを年平均にしますると、一・一五%の上昇に過ぎないのであります。上昇はしてまいっておるのですが、この制度成長の時期にもかかわらず、年平均して一・一五%しか上がっていないということは、比較的安定した上昇であろうということが言えるだろうと思います。  さらに、この食料あるいは雑費の中を見ますると、上がっておるものはまたさらに少数でございまして、魚介、これが六年間に三・六%、それから加工食料品が二・九%、それから肉類が二・四%、それからくだもの、菓子が二・二%、これの四つを合計しまして一一・一%の上昇であります。それから雑費のうらを見ますると、教養娯楽というのが非常な上がりようでございまして、これが八・二%、それから教育費が四・三%、それから保健衛生費が二・七%でございまして、この四つの費目で一五・二%上がっております。この食料の中の四つと雑費の中の三つとを合計しますると、実に二六・七%の上昇でございまして、全体の上昇の三分の二近いものを占めておる、こういう状況でございます。  他方、この六年間に一%以下しか上がっていない、中には全然上がっていないものを拾い上げますと、これまたたいへん多いのでございまして、食料品の中の酒類、乾物、飲料、それから乳、卵こういうものは全部六年間を通じましてわずかに一%も上がっていないという状況でございます。それから住居費の中を見ましても、水道料、家具、什器、それから住宅の修繕費というものもほとんど上がっていない。それから光熱費もきわめて微々たる上昇しかしていない。〇・八%しか上がっていない。それから雑費の中を見ましても、交通通信費、文房具、たばこというものはほとんど上がっていないというのが現状でございます。要するに、消費者物価は非常に上がってまいったことは事実でございますが、しかし、その中を見ますると、わりあいに小数のものにそれが集中しておって、比較的大きなものはほとんど安定しておるというのが現状であろうと思うのであります。  これから言えることは、どうしてこういうふうに物価が一部のものが上がったかということを検討してみますと、別に総需要がふえたということではなくて、所得の急増に従ってある種の商品に需要が非常に殺到してまいった。つまり需要の構造の変化と申し上げてもいいと思うのですが、非常な増加のしぶりであって、供給がこれになかなか追いつき得ないというのが一つの大きな原因ではないかと思うのであります。それは魚介であるとか、あるいは肉類とかくだものというものの値上がりは、おそらくそういうところに一番大きな原因があるのじゃないかと想像するのでございます。  それから、その次の原因は、やはり賃上げを生産性向上で吸収ができないために値上げにこれを転嫁するというようなものでありまして、娯楽費あるいは保健衛生費とか、あるいは教育費、あるいは加工食品の値上がりというものは、おそらくこの部類に入るのじゃないかと思うのであります。  それから、それにさらにつけ加えれば、カルテルによる値上げというものが第三番目に入るだろうと思います。ただし、一つここで注意を要すると思うのは、この大幅値上げの中におきましても、品質の向上ということで値が上がっておる面も相当多いということを、やはり考慮に入れる必要があろうかと思います。たとえますれば新聞の値上げというものは非常に大きいのですが、これはまた一面におきまして、増ページをしてきたとか、いろいろのサービスをしておりまして、六年前の新聞といまの新聞とのスペースその他を比較してみないと、ただ月の値上がりが幾らかということだけできめにくいものであろうと思います。あるいは映画を見ましても、二本立てが三本立てになったとか、あるいはその他質的な改善が非常に大きいというものが値上がりにはね返っておるということもあろうかと思いますので、この点もあわせて考えておく必要があろうかと思います。  こういうように値上げの中身を、したがってその原因を追及してまいりますると、これに対する政策というものも、自然にその中からわいてくるだろうと思うのであります。一つには不足しているものの供給をふやすという問題でございます。たとえば肉類とか魚介とかくだものというものは、できるだけ供給のふえるように方策を講じるということが必要であろうと思うし、また、急に増産のできないものは、やはり輸入するということが必要であろうかと思います。さらに、生産性向上しないのに賃金の上昇によってどうしても物価が上がるというものにつきましては、一面において労働力の流動性をつけて供給を円滑にするということ以外に、やはり競争をもう少し加味する、たとえて言いますると、理髪であるとか、あるいはふろ屋であるとかというものがもう少し簡易に開業できて、現在の業者が独占をしないように、つまりそういう施設の供給をふやすということにもっと努力をする必要があるのじゃないかというふうに思うのであります。  それから二番目の、賃金の上昇による原価の上昇、これを防ぐ方法としましては、やはりコストダウンをしなければならぬ。特に流通部面におきましてむだが非常に多いのじゃないかと思われる節がございます。そこで生産消費とを直結するような施設をさらに充実するということがコストダウンに相当に響いてくるのじゃないか。あるいは農村近代化、あるいは構造の改善に努力するということも必要であろうと思います。また中小企業近代化も必要であるし、さらにカルテルの抑制ということも必要であろうと思います。政府経済報告その他を拝見しますると、大体こういったような面におきましては、相当にいろいろと尽力はされつつあるということが言えるだろうと思います。  ただし、注文を二、三申し上げてみますると、どうも輸入の増加という面につきましては非常にその努力が不十分ではないか。たとえば米の場合、もう少し安い米を入れるということに努力をしてはどうかと思うのであります。現在自由に買える米というのは世界じゅう非常に少ないということ  になっておるのですが、これは、やはり南方の国々と長期的な需給契約を結ぶ。したがって、日本から日本人に向く品種のものを持っていってこれをつくるというふうな努力をし、それの見返りに向こいが日本のほしがっておる品物を輸出するということであれば、相当安いお米を、はるかにいまよりもよけいなものが供給し得るのじゃないかと思うのであります。どういうわけでその政策が実行し得ないのか、はなはだ理解に苦しむのであります。もう少し安い米を入れて、プール計算にして配給すれば、そうお米の値上げをしなくてもいいのじゃないかと思います。米にしましても、麦にしましても、現在の内地の価格というのは輸入の倍前後だそうでございまして、半値で輸入できる方法があるとすれば、この半値の輸入に全力を注ぐということが、この際の緊急事でなかろうかと思うのであります。いまさら日本の国の中で食糧を全部自給しなければならぬという必要は、この戦争のない時代においては全然必要がないと思うのであります。そういう点をいま少し考慮してもらいたいと思いますが、しかし、大体におきまして、いま申し上げたような対策の荒筋のものは今度の政府施策の中に入っておるように思います。したがいまして、これが漸次効果を生んでまいりまして、そうとっぴな物価高も消費者物価において起こり得ないのではないかというふうに想像しておるのであります。  もう一つの問題は、次第次第に二重構造というのは解消してまいりまして、大企業中小企業との間の賃金の差というものはだんだん縮んでまいっております。したがいまして、物価の値上げによって賃金の上昇をカバーしなければならぬという度合いが、これからは年々縮まっていくのではないかというふうに想像するのであります。そういう面から見ましても、これは政策外の問題かもしれませんが、この消費者物価の上昇というのは、やがてその勢いがだんだん消えていくのではないかということも言えるだろうと思います。  大体時間が参ったようですから、一応これで私の公述を終わりたいと思います。(拍手)
  44. 赤澤正道

    赤澤委員長代理 ありがとう存じました。  続いて、木下公述人にお願いいたします。木下公述人
  45. 木下和夫

    ○木下公述人 木下でございます。  まず第一に、予算編成の基本方針と、その前提となりました経済情勢の判断について申し上げます。  政府は、川十一年度予算の説明におきまして、健全かつ弾力的に財政金融政策を中心とする経済政策を適切に運用し、物価の安定と景気回復をはかりたいという経済政策の基本方針を立てられまして、この課題にこたえるために、公債政策の導入による財政支出の増加と画期的な大幅減税の断行という方法を採用されたと聞いております。しかし、考えますに、昨年の七月の第四回経済政策会議におきまして、公債発行を準備するということが決定されたことは事実でありますが、昨年秋までの実情では、四月以来、支出一割留保という、全く実態に逆の措置を採用され、後にこれを解除されましたけれども、その後もまた、財政投融資計画増額改定をされたあとも、さらに十一月の国庫債務負担行為の増額の後も、その実質的不況対策としての効果は十分あがるには至っていないのであります。  しかも国債の発行は、政府によれば、もっぱら歳入欠陥と公約減税分の補てんを目的とする経常的な収支バランスというものを達成するために、しぶしぶ決意されたと考えることができます。そして、不況対策に役立たせるという目的で国債を発行するという着想が固まりましたのは、ようやく昨年の十二月になってからのことであります。この経済の動向に対する診断の誤りと、あまりに長期間に及びました政策不在の期間というものの結果として生じました今日の事態に対して、政府は重大な責任を負わなければならないと思います。  その理由はどこにあるかと申しますと、おそらく、不況のもとにおける物価高、あるいはデフレとインフレとが同時に存在をしておるという現実に対して、打つべき政策手段の積極的採用にちゅうちょされ、不況対策は物価高に拍車をかけ、物価対策は景気回復をおくらせるという、政策目標間の矛盾の側面にのみ拘泥した態度をとられた結果であろうと思います。けれども不況といい、物価高といい、私は、いずれも一つの共通した原因に基づいて生じていると思います。すなわち、日本経済における経済活動のさまざまの部門や分野において、資本設備の配分状態がきわめて偏在したということがその共通の原因にほかならないのであります。民間経済の領域につきましては、資本財生産部門や一部の製造業の部門では、明らかに供給力過剰をもたらすような生産設備、生産能力ができ上がっておるのに対して、農業その他の食料出産部門流通部門では、新しい技術の採用がおくれ、生産性は低位にとどまっております。また、政府公共の領域では、いわゆる社会資本、すなわち道路、港湾、住宅、上下水道などの整備が極端におくれているということであります。いま申し上げましたような経済の各部門、各領域における資本設備の配分のアンバランスというものが深刻な不況と物価高の原因であって、このアンバランスを取り除くことが不況対策及び物価対策の眼目であろうかと思います。したがって、そのためにくふうされるべき経済政策は、直接的には不況対策として有効であり、また同時に、物価対策にも役立つ内容を含まねばならないのであります。  この場合、最も注意されねばならない点は、今回の予算案のように、不況対策を前面に押し出すといたしましても、それは前に述べましたようなアンバランスをそのままの形で温存して、財政による需要創出をはかるのであっては、問題の究極的解決には遠いのであります。   〔赤澤委員長代理退席、委員長着席〕 具体的に申しますと、歳出の面では、農業とか中小企業等の低い生産性部門へ思い切った資金の投入を行なう、また社会資本充実のための巨額の財政投資を行なうという二つの柱を中心とした需要の創出でなければなりません。また、予算とは離れますが、とりわけて重要なのは、カルテル及びこれに類似いたします行為を厳禁し、自由化の促進をはかる等の即効的な物価対策としての行政措置があわせて採用される必要があると思います。  さて、短期的な不況対策として私どもが考えております財政政策の基本的な性格を類型で分けてみますと、三つに区分することができます。一つは、減税と財政支出を変えないという組み合わせであります。第二番目は、減税をやると同時に財政支出をふやすという組み合わせであります。第三番目は、税制を変えず財政支出をふやすという組み合わせでございます。この三つの方式は、必ずしも厳密に、たとえば税制を変えないといっても、全然増税あるいは減税を一円もやらないということでもなければ、財政支出を変えないといっても、歳出を一文もふやさないという意味ではございません。相対的に御理解を願います。  この三つの方式のうち、私自身は、当面の日本財政の運営は第三番目のやり方、すなわち税制不変、財政支出増という組み合わせでやるべきだと考えます。その理由でございますが、第一番目及び第二番目のように、減税を採用いたしません理由は、所得税の非常に大幅な減税を行なうということを仮定いたしますと、これを消費者物価の騰貴に波及するおそれがあるからであります。もちろん長期的に見ますと、民間消費支出は日本経済需要を構成するおもな項目でなければなりませんし、また、後ほど述べますように、現在の所得税における所得の種別による負担の不均衡とか低所得勤労者の租税負担を大幅に下げるという公平の要求からする税制の改正は必要であることは申すまでもないのであります。しかし、現在のところ、異常な物価高と政策のまずさというものを前提にいたしますときに、公共投資の増加によって波及効果として起こりますところの消費の増加がかなり期待されますから、この上さらに大幅の減税を行なって消費をあおることには、物価対策としてはかなり問題があると考えております。  また他面、大規模企業減税を行なうということを仮定いたしましても、それが現在のところ民間企業設備投資需要を促進するとはほとんど考えられません。企業統計によりますと、償却前粗利潤のうち、日本の平均的大企業は大体その一五%しか税負担を受けていないのであります。ちなみに申しますと、利子等の負担が三〇%に及ぶのであります。そういう状態において企業の減税を行なうといたしましても、それが不況対策としてどれだけの効果を持つかということになると、これは多く期待することはできぬというのが、最も客観的な答えであると思います。  このような判断から言えますことは、現在のわが国の財政を通ずる不況対策というものは、一般的不況期に提案されます財政政策とは、おのずから異なる方式を採用せねばならないということであります。その方式は、先ほど申しましたように、税制はあまり変更しないで、財政支出増加の方法にたよるという道であります。そして、この方式に基づきます限り、当然国債の発行が必要となってまいります。この国債の発行も、その発行方法と使い道及び金額について一定の節度を堅持しさえすれば、不況対策に役立ちこそすれ、一般的インフレの危険はないと考えます。しかし、わが国の政治的風土のもとで、このような節度や規律に対する不信の念が、国債即インフレという議論の中心的理由とされている事態を見定めて、政府は歳出の効率的重点化に全力を傾注し、公債を含む財政の運営にあたっては、厳しい財政節度の維持につとめねばならないことはもちろんであります。このためには、制度的に減債基金制度の改正をはじめとする全面的な国債管理政策の具体化、制度化が必要でありまして、他面においては予算編成のプロセスにおける改善、またさらには、現在のような予算分類方式と異なった新しい予算分類方式の再検討が必要であろうかと存じます。  第二に、昭和四十一年度予算案の具体的内容について申し述べます。  まず歳出面において予算案を検討いたしますと、一般会計で四兆三千億余円、財政投融資計画で約二兆三百億円、地方財政計画で約四兆一千億円でありまして、前年度に比べて一般会計で約三千二百億、財政投融資で約二千五百億、地方財政で約五千億、合計約一兆七百億円の伸びであります。この支出増加による新規需要増というものは、私はせいぜい一兆五千億から一兆六千億程度と見ております。他方、平年度三千億円の減税によります需要創出を約二千四百億円と計算をいたしますと、合わせて一兆七千億円から一兆八千億円程度でありまして、通常考えられているデフレギャップが約三兆円前後であると見れば、これを埋めるにはほど遠い予算であるといわなければなりません。その上、この計算によります新規需要創出効果と申しますものは、支出の繰り上げ措置が十分効を奏した場合の予測であるということ、かつ国庫支出金を伴う地方団体の支出、また公共事業費に占める土地買収費の割合の高さなどを考慮いたしますと、さきに申しました有効需要創出が一兆七千億から一兆八千億という効果よりも、さらに下回ると考えなければなりません。また一般会計、特別会計再会計の純計の規模を計算いたしますと約七兆七千七百億円であります。この数字の前年度に対します伸び率を計算いたしますと一三・四%となりまして、四十年度における一四・五%をかなり下回ります。すなわち、この予算案不況対策としての効果は、大型予算であるという外見にも似ず、期待されるほど大きくないと考えるのであります。  次に、歳出予算の内容について、若干の問題点のみを拾いあげて申し上げます。  第一、社会保障関係費。生活保護、社会福祉等の扶助に若干の引き上げが行なわれておりますが、扶助等の基準は、早急に物価水準にスライドさせる方式に変えるべきであって、財源次第で基準を動かすというのは基本的に間違いであると思います。また国民健康保険の国庫負担率が四割に引き上げられましたが、事務費は法律の規定どおり全額国庫負担とすべきであって、かつ家族七割給付の全面的実施の道をつくるべきであります。国民健康保険は、本来国民皆保険を趣旨として、国が財源責任を負うべきであって、保険料負担にしわ寄せしたり、赤字を市町村に押しつけたりすべきではありません。さらに児童手当制度がまた今度も見送りになっておりますが、これは早急に実現させるべきであります。特に国家扶助の対象というものは、所得税減税などの恩恵に浴さない、そして物価高の波を全身に受けとめなければならない人々であります。これらの人々に厚い救いの手を伸べるということは、経済情勢のいかんにかかわらず、政治の恒久的な姿勢でなければならぬと思います。その上、社会保障関係の支出は、一般に不況期に増大し好況期には減少するという、いわゆる自動的安定効果を持っております。したがって、社会保障制度の拡大は、この面からも積極的に考えられてしかるべきであると思います。  第二は、公共事業関係費。住宅をはじめ各種の社会資本の整備があげられておりますが、七千三百億円の建設公債の発行が予定されているのに、四十年度に比べて公共事業費が約一千四百億円程度しかふえていないことはまことに問題であります。次に住宅に関しましては、生活環境施設との一元的整備が不可欠であるということに格別の配慮をしなければなりません。特に用地につきましては、その取得に関する強力な法的措置のみならず、広く土地の効率的利用という見地から、有効な都市計画あるいは地域開発の遂行のために、少なくとも都市周辺の土地の公有化が実施されるべきであると思います。  第三、中小企業対策。この関係の費用は、伸び率は大きいと考えられますが、新規政策がますます総花的となり、一施策当たりの経費が細分化されて効果があがりにくいと思われます。また金融面における施策もさることながら、新しい施策を準備して、優良な小企業過当競争の中に埋没しないような配慮を行なうべきであると考えます。  第四、農林漁業関係。この関係の経費では、構造改善事業の拡大と農地管理事業団の発足が注目されますが、事業団の農地買い上げ予算のペースでまいりますと、全農地の十分の一の買い上げがかりに必要だと仮定いたしますとき、すなわち、六百万ヘクタールの十分の一の買い上げが必要だと仮定いたしますとき、現在の予算のペースでは、いまから二百年を要する計算になります。一体、これで事業団の事業として体制をなしているでありましょうか。また昨年度からの土地改良事業十カ年計画も、予算に計上された程度ではとうてい順調に進捗しないことは明らかであります。また農業生産対策では、たとえば水稲総合改善事業におけるわずか二千八百万円の予算をながめますとき、一体畜産を含めて政府の基本的な生産対策の重点がどこにあるかに疑惑を持たざるを得ません。食糧増産や流通改善に対する配慮は、先ほどからたびたび申しておりますように、直接に消費者物価対策と関連をいたします。ただ、生産者と消費者との双方に利益をもたらすような農業構造の近代化にもっと早く重点的に予算を計上すべきであろうと思います。  以上のような明年度の歳出予算案を見ますと、その内容から見て重要な項目にかなりの配慮が行なわれたあとがうかがわれるにもかかわらず、依然として総花的性格が強く、重点が不分明である。かつ不況対策としての効果も予想より弱いと判断されます。さらに物価対策への配慮には熱意が不足しているという事実ははっきり認めねばなりません。  次に、歳入面においては税制改正大綱を中心にして申し述べます。  最近の経済情勢を前提とする限り、不況対策及び物価対策の両面から見て、一般的な大幅の減税がぜひ必要であるとは私は考えません。ただ、もちろん現行所得税における所得の種類別による負担の不均衡、低所得勤労者の負担過重を是正あるいは軽減する必要があることは、十分認めた上のことであります。しかし他方では、貯蓄奨励を目的とする租税特別措置をはじめ、米穀所得課税の特例及び社会保険診療報酬課税の特例等は大幅に整理し、その限りでは増収、増税が行なわれてしかるべきであります。特に減税、増税という場合、総額とかあるいは十ぱ一からげに議論をするということは、まことに不正確であります。いかなる人がいかなる税を、どれだけ安くなる高くなるという形で問題を取り上げるべきであります。また企業課税については、前に申し上げましたように、一般税率の引き下げを理由づける論拠は全くございません。むしろ年間五千億円にのぼるといわれる交際費の損金不算入率というものを、これを前年に引き続きさらに引き上げて増税すべき時期であろうと存じます。これらの観点から見ますと、今回の税制改正大綱では、所得税における低所得層と高所得層との間の負担の公平化がはかられていないということ、法人税におきましては、建物の耐用年数の短縮及び中小企業の体質強化措置等以外は、全く納得のいかぬ減税措置が講ぜられているということ、さらに物品税の軽減は、その小売り価格引き下げ効果にほとんど期待が持てないことなどを考えますと、まことに理解しがたい改正案と言わざるを得ません。  最後に、地方財政計画について申し述べます。  四十一年度地方財政計画を通じて指摘できます点は、国の財政による不況対策が強く地方財政にも影響しているということであります。本来地方財政景気調整政策の一翼を負わせることは、それ自体適当でないと考えます。特に新年度予算で国の直轄事業と補助事業との急増のために免じますところの地元負担は、おそらく三千二百億円にのぼると考えられます。そして縁故債の消化が安易に期待できないばかりでなく、地方の一般行政費や単独事業費はこのためにますます圧迫されることをおそれます。なるほど地方交付税率の二・五%引き上げ、臨時特例交付金、財源補てん特別事業債による財源措置が二千二百億円計上されておりますけれども、地方財源の中心は地方債に求めるという考え方が貫いております。すなわち財源不足を応急的にしのぐという性格が明白でありまして、今後の地方財政処理に重大な問題を残すことになろうと思います。いやしくも地方自治を標榜する以上、地方財政の収入は自主財源、特に地方税収の強化が中心となって考えられるべきでありまして、そのためには一部国税の移譲等が行なわるべきであります。たとえば政府の税制調査会が、所得税の一部を地方の住民税所得割りに移譲するという案を答申いたしましたのにもかかわらず、これを政府が採用しなかった理由は明らかにされておりません。さらに現在窮地に追い込まれている大都市財政への配慮が乏しいということも、きわめて不満足といわなければなりません。要するに地方財政問題は、究極的には国と地方との行政事務配分の問題に直接関連いたしますので、一日も早く根本的な再検討の必要があると考える次第でございます。以上で終わります。(拍手)
  46. 福田一

    福田委員長 ありがとう存じました。     —————————————
  47. 福田一

    福田委員長 これより、両公述人に対する質疑を行ないます。  まず、大原享君。
  48. 大原亨

    ○大原委員 最初に木下先化にお尋ねしますが、先生の御意見は、政府建設公債として七千三百億円発行する、しかしながら、公共事業費の増大は千四百億円にとどまっている、これはおかしい、こういう御議論で、非常に私は的確な意見だと思うのですが、つまり先生の御意見は、七千三百億円の建設公債という四条公債は、四条の趣旨に反して赤字公債だ、こういう御意見なのですか、ひとつその点をお聞かせいただきたい。  もう一つ、私、その点を的確にお聞きしていなかったのですが、所得税の減税に対する評価、批判なのですが、これは東洋経済綿野社長のほうの御意見、私非常に明快だというふうに聞いたわけです。その点と先生の御意見はちょっと違っているように聞いたわけです。つまり東洋経済綿野さんの御意見は、所得税減税優先にすべきである、企業減税景気対策からいってもあまり効果がなくて、むしろこれは増資でやるべきだ、つまり物価上昇に伴う所得に課税されることは不合理だから、所得税減税中心でやはり減税すべきだ、こういう御意見でございました。私はその御意見のほうが不況対策から言いましても、それからいまの低所得階層に対する木下先生が言われた配慮、こういう面から言いましても、一番物価高による深刻な影響を受けるのは、御指摘になりましたように、税金も払っていない低所得階層であるという点が問題ですから、所得税減税をやはり正しく評価をして、減税についての政策を考えるほうがいいのじゃないか、こういう議論のほうが私は理解しやすい。先生の御意見は、所得税の減税はかえって消費を刺激をして、そして物価高にはね返らないかというふうに私は聞きましたかと思うのですが、そういう議論ではなかったかと思うのです。その点、私前後考えてみましてちょっと問題があるのじゃないかというふうに思うのですが、この二点につきましてお答え願いたい。
  49. 木下和夫

    ○木下公述人 お答えいたします。  第一の点につきましては、おっしゃるように、名目的には建設公債でございますが、それならば公債発行額だけの公共事業費の増加があってしかるべきである。それが一千四百億しか公共事業費が増加していないという事実は、実質的に赤字公債となっておるという点をお答えしたいと思います。  それから第二点は、所得税企業減税あり方についてでありますが、所得税を減税することによって消費を促進して、消費増大という有効需要効果でもって不況を克服しようという考え方に対して私は疑問を持つわけであります。もちろん現在のところ、貯蓄率というものはわが国は他国に例を見ないほど高いわけでございます。しかし現在のところは見せるための消費とか、さまざまのレジャー的の消費というようなものが一時鎮静をしておって、貯蓄率が高いという面もあるわけであります。あるいは耐久消費財の需要が一巡したという事情も相まって貯蓄が高くなっておりますが、しかし、短期的に見ます限り——私は長期論としては、おっしゃるとおり所得税の税負担が、一般的に、私も含めまして低いことを望みますけれども、しかし短期的に見る限り、ここで所得税の大幅な減税をするという必要があるだろうかという問題であります。その点がいやしくも消費者物価に少しでも影響するならば、減税分だけは物価騰貴に食われてしまうという結果におちいる。それよりもしばらくがまんをして、ここでは所得税の減税はそれほど大幅なものじゃなくて、内部の調整、言いかえれば低所得層と高所得層との税負担の配分の問題、あるいは中堅所得層の取り扱い、給与所得の取り扱いといったような問題の調整をする程度にとどめておくべきだという議論でございます。
  50. 福田一

  51. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 綿野さんでございますか、私は今日まで、専門的には農林水産関係の諸問題に国会では中心的に関係をしてきたわけですけれども、さっきの綿野さんのこの方面に関するお話を少しく承ったのでございますが、過般私、予算委員会の総括質問の中でも、農林水産関係の諸問題についての政府のお考えを聞いた中で、日本の今日の農村の状態、あるいは漁村の状態、あるいは山間部における状態、第一次産業の農林水産関係の国際的な視野に立っての現状というものをいろいろ考えて、一体これからどういうふうにすべきかということについては、今日の日本経済の均衡ある発展の立場から見てもやはり重大な政治問題だと思うのです。  で、先ほどお話の中で、たとえば米は国際市価の関係では、日本国内生産価格というものは、いわゆる外国から入ってくる米の価格に比較すれば倍近くになっておる。だから安い米をどんどん入れて、そして、それを組み合わせて食べさしたらいいじゃないか、こういうお話もあったかと思うのです。それはどういう立場からそういうことを意見として言われたのかはわかりませんけれども、問題は、綿野さんも御承知のように、特にここ数年来、食糧の輸入あるいは水産関係の輸入、あるいはまた林産関係の輸入というのが非常に増大をしてきておる。これは農業白書でも、あるいは数日前に出た林業白書でも、近く漁業白書も出ることになりますが、そういうものを通じて、第一次産品といわれるものの輸入が非常に増大をし、これが日本の輸入総額の中で大きな比重を占めてきておる。こういうことが、日本貿易振興の立場から見て、原材料を輸入し、これに加工し、そうして外国に出していくとい立場から見ても、貿易構造としても一つの問題が提示されておる。しかも、綿野さんも御指摘のように、今日残念ながら、日本の農林水産物の国内価格というものと国際価格というものとを比べてみると、国際比価においては割り高であることは事実であります。しかし、割り高だからということを言って外国からどんどん入れればいいということに直ちに直結をしない。これは御承知の今日の日本農業農村状況というのは、歴史的所産として、あるいは戦前戦後の政策を通じて非常な悪条件下に来ておるという事実も直視をしなければならぬ。したがって、そういう立場から見て、特に農業所得の中で米の収入というのは御承知の半分を割ってきましたけれども、相当大きな比重を占めておる。そういうものを安易に入れるというふうな形というものが、日本農業に一体どういう打撃を与えるかということも真剣に考えなければいかぬと思うのです。しかも、御承知かと思いますけれども、最近の国際の食糧事情というのは、特に米についても堅調ぎみに変移してきておる。今度の百万トン近くの米の輸入の中で、お隣の中国から三十万トンを入れるという形になっておることは御承知かと思う。そのほかではアメリカあるいはまたタイ、ビルマというところが中心であって、スペインその他からも若干入ってきておる。今後の推移を考えても、米の国際的な状況というものは堅調ぎみに推移するだろうということはいわれる。特に後進諸国において経済がどんどん力がついてくれば、その面におけるところの需要もふえる。それだけ生産が伴わない。今日日本が米を入れておる状況というのは、いわばタイ、ビルマを抜きにすれば、食糧関係アメリカからの輸入が多いという状況にあるわけであって、いわゆる後進国の経済援助とからみ合った姿に必ずしも食糧輸入関係がなっておるわけではない。先ほど食糧自給度の問題について相当に引き下げた考え方の御意見のように承ったのですけれども昭和三十九年のFAOに対する報告の中でも、初めて八〇%台の自給率を割ったということは、私どもは農政の立場から見ると非常に重大であると思っておる。特にアメリカの場合は、自給率は一〇〇%以上である。ヨーロッパの先進諸国においても、戦後基本法その他の制定を通じて農政に非常に力を入れて、イギリスの自給率四五%以外の、フランス、イタリア、あるいはドイツ、いろいろなところにおいても、食糧の問題については真剣に対処してきておることは御承知のとおりだと思う。そういうやはり国際的ないろいろな諸条件、あるいはまた日本経済の均衡ある発展という立場から見るというと、いま言った綿野さんの議論というのは、これはやはりもう少し農政の立場というものを十分理解をして考えるべき段階に来ておるのじゃないか、むしろこう思うのですが、まずそれらの点について、あるいは意見を異にするかもしれませんけれども、お答えを願いたいと思います。
  52. 綿野脩三

    綿野公述人 お答え申し上げます。  問題の中心は、消費者物価の上昇を重視するか、生産者の立場を重視するかというところが一つの問題であるかと思います。私は、いまの農村がどうなってもいいということを申しているのではないのでありまして、できるだけ安いお米を輸入してプール計算をして、そうして安いものを配合する。消費者をその程度に保護してもいいのじゃないかという一つの理由は、現在、年々日本の米の生産が減りつつある。それはどういうところに理由があるかといいますれば、やはり工業、商業の発展が非常に急速でございまして、それのほうに人口がそがれていく、それのほうがそろばんがいいということであろうと思うのであります。日本経済の全体の発展をどう持っていくかということにはいろいろと議論があろうと思いますが、しかし生活向上していく、いい生活をするという面からいいますれば、どうしても日本経済力をつける、要するに人口一人当たりの生産をふやすということに中心がなければならないと思うのであります。そういう面からいいますと、当然に生産性の低いところの農村あるいは中小企業の分野から工業部面に人口が流れてくるということは必然の勢いでありまして、その必然の勢いの一つの表現が、現在の米の生産の減退という結果になって出てきておるのじゃないかと思うのであります。そういうように大きな経済全体の流れというものを頭に置いてみますと、やはりこの際は、できるだけそういう転換をスムーズに運んでいくという面にこそ政策の中心がなくちゃならない。無理にそのだんだん減っていく農村人口を食いとめる、低い生産性のものを高い買い上げ値段で維持していくということには、当然に無理がだんだんと大きくなってくるのではないか、かように思う次第であります。したがいまして、いますぐに安い米をうんと入れて、そして日本農村をつぶせということを言っているのじゃなくて、できるだけそういう面を多くしまして、しかも一方におきまして農村から工業化への推移を円滑に進める、この二つの政策を並行して持っていったらどうかと思うのであります。そういう政策にしましても、いまよりははるかに米の輸入をふやすことができるのじゃないかというふうに思うのであります。  それから、その次の問題は、一体そんなに米を輸入するといってもどこから輸入するのか、それの支払い手段をどうするのかという問題になろうかと思うのですが、これは、先ほども申し上げたとおり、これはもちろん相手のある話でございまして、こちらからお前の国へ行って品種のいいものをつくってやろうといいましても、向こうさんがノーだといえばこれはしようがないと思いますが、しかし、そういう努力をしまして、五年なら五年の間に毎年何万トンのこういう品種の米をつくってくれれば買ってやろう、そのかわりにお前のほしい品物はこんなに日本は安くできるのだから売ってやろうという契約の交渉をすれば、私はこれはある程度成功するのじゃないか。それぐらいの努力はひとつしまして、そうして消費者の保護をするということにやはり力点を置くべきじゃないか、かように思う次第であります。それは、漁業の面におきましても同様でございまして、もし輸入したほうがはるかに安いということであれば、漁村は体質の改善をしまして、ほかの産業に円滑に吸収する方法を政府は講じまして、そして安いものを輸入する。これを漸次矛盾のない方法、抵抗のない方法におきまして進めていくというのが、政府の、あるいは国の政治の方向じゃないか、かように思う次第でございます。
  53. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 私はここで議論しようと思いませんけれども、私をして言わしめれば、まさに植民地的な農政の考え方だと思うのであります。たとえばヨーロッパの先進諸国であるイタリア、フランス、ドイツ等のEEC諸国においても、共通農業政策というふうなものを議論する場合にはずいぶん激論になる。やはりお互いの生命のかてである食糧という問題を、必要程度になるべく確保しよう、その立場からそれぞれの国が各国の農業政策というものと調和しながら、いかにして共通農業政策を満たすかという各国の真剣な自主的立場がそこに私は出ていると思う。ここで多くの議論をいたそうとは思いませんけれども、しかも今後の国際の食糧需給の動向というふうなものから見、あるいは米の問題で一つ出ましたけれども、最近の米の需給の点から、堅調ぎみに推移しておる。この方向は、将来ともにそう大きくここしばらくは変わらぬだろうというふうな点から見ても、大きな問題があるのと同時に、日本農業生産の中の大きな柱になっておる米の問題について、いま言ったような意見では、農政の方向というのは出てこない。アメリカを見ても、ヨーロッパの先進諸国を見ても、やはり食糧自給度というものについては、それぞれの条件の中で真剣に考えながら国際的に対処するというかまえを日本の場合にもとって、佐藤総理あるいは農林大臣も、食糧自給については少なくとも八〇%程度は確保しなければならぬということを言っておるのですが、私はむしろそれ以上の積極的な立場で農政は考えるべきである。今日御承知のように、耕地の利用率にしても、全国土のせいぜい一五、六%程度にすぎない。もっとやはり生産の場というものを積極的に拡大するという立場から、農業近代化なりいろいろなものに積極的に政府財政その他の面で対処するということになれば、私はもっと日本農業の姿を変えることができる、こういうふうに思うのでありますが、先ほど、後ほど御意見を述べられました木下先生のほうから、本年度の予算問題に触れて、構造改善あるいは農地管理事業団の問題、その他土地改良長期十カ年計画の問題等にも触れられたのですが、いま言った貿易自由化の中で、米麦あるいは肉類、あるいはまた乳製品等、いわば日本農業の主幹的な中心になっておるものがいままだ非自由化の段階にあるわけですけれども、こういうものの国際競争力を十分つける立場から、しかも食糧の自給については、日本の立地条件の中で生産できるものについては国際競争の力をつける、そういう政策の裏づけをして、日本自体で生産をしていくという立場で農林漁業方面の近代化を積極的に進むべきだ、こういうふうに思うのでありますけれども、この点について、木下先生のほうから御意見を承りたいと思います。
  54. 木下和夫

    ○木下公述人 先ほど申し上げましたのは、農地管理事業団の農地買い上げ予算の金額というものがあまりにも少ないということと、農業生産対策に関しまして、水稲総合改善事業だけを取り上げまして、その金額について申し上げたわけであります。それ以上つけ加えるべきものがあるとすれば、次の二点であろうと存じますが、第一点は物価対策の問題と関連をいたしますので、この際は生産者にも、消費者にも、双方の立場を考えた農業構造の近代化という方向で進めなければ、たとえばかりに生産者を中心とした考え方というものが優越するというようなことがあるとすれば、これは好ましくないという点であります。しかも農業近代化と申しますけれども、農家の戸数や農業人口が次第次第に減少しております現在の傾向の上にゆっくりあぐらをかいて待っておれば自動的に達成されるというふうに考えることは、一切禁物である、そういう考え方をとってはならないということを強調しておきたいと思います。  それから関連いたしまして、食糧管理特別会計の問題がございますが、この会計の、言いかえれば収支バランスの原則というもの、このたびは米価の改定を足に踏まえて、収支均衡という形で特別会計は組まれておるわけでありますけれども、この問題は、やはり米価の決定基準を少し違った再度から再検討する、そして食糧管理特別会計のあり方自体も問題にするという前向きの姿勢で御検討いただきたいと思っております。  以上でございます。
  55. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 再度、食糧自給度という問題について、木下先生がどう考えておられるかという点をお伺いしたいと思うのですが、これは過般、FAOに対する農林省からの報告を見ますと、日本の場合は、一日の栄養の摂取量が二千三百カロリー台に乗った。しかし、アメリカあるいはヨーロッパの先進諸国から見ると、はるかにまだ低い。まあせいぜい中進国程度である。したがって、所得の増加に伴ってそういうカロリーの摂取量が増大をするということになると、それに対する食糧の供給量というものはさらにふえていかなければならぬ。そういうことと関連をして、食糧自給度というのは、いまの生産量だけでは逆に低下をしていくということになる。で、やはり相当な生産をやる。これは需給の動向に即応しながらやっていかなければならぬと思いますけれども、そういうことを国内でもやり、また日本国内で足らざるところは、外国から当然輸入を考えていかなければなりませんが、いまの生産量では、いわゆる所得の増加に伴う摂取量の増大ということから見て、自然に自給度というものは後退をしていくということになる。だから、国土総合開発の観点の中で、農林漁業の近代化総合計画という前提に立って、日本の自給度というところをどういうめどに置いていくかという面で、これは他国依存主義でなくて、自主的な立場から、これから中期計画の破棄を通じてこれからの経済長期計画を立てるという場合には、一番おくれておる農林水産関係についても、近代化総合計画というものの中で一つのめどは、食糧自給度というものを日本の場合にはどこに置くかということが非常に大切な問題だ、私はこう思うのでありますけれども、こういう問題についてどう考えておられるか、再度承りたいと思います。
  56. 木下和夫

    ○木下公述人 私は農業の専門家でございませんので、ここで十分考え抜いたお答えをすることはできません。しかし、御議論を承っておりまして、またかねて考えております点を少しだけ申し上げてみたいと思いますが、一〇〇%自給というようなことを考えるのはナンセンスであることは、申すまでもないと思います。しかし、たとえば最もいい自給度が七〇%であり、八〇%であるかということになると、これにはかなり問題がある。しかも、先ほどの物価対策という面から見ますと、明らかに牛肉などの場合には、もし輸入がスムーズに行なわれればかなりわれわれは安い牛肉が食えるという事実は、これはいかんとも否定しがたいのであります。ところが、一方農家の面にまいりますと、牛の生産というものはそれほど急速に進むものではないし、現在では保有しておる牛まで殺して出しておる状態であるという事実も聞きます。そうしますと、これは、われわれの食生活の慣習ないし嗜好というものが変わってきて急激に需要増大したわけでありますから、こういう場合には、農林当局がやはり弾力的な輸入増大政策をとって価格の上がりをカバーするという態度であってほしい。その基本にあるのはやはり自給度でありましょうけれども、その自給度を現在のところ何%というふうに規定するということは、無理があると思います。おそらくおっしゃるように、長い目で見て、わが国の農産物あるいは家畜の飼育に関する長期計画がその基本にあって、そこで考えなければならないと思います。ただ、国内の食料品の生産物がいかにも高いという問題から、ここで検討すべき時期にあるのではないかという疑問だけは、私はいまだに解決し得ずにおります。
  57. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 まあお二方ともにあまり直接専門の立場でないので、話が必ずしもかみ合わぬわけですけれども、いまの畜産関係の問題にしても、えさ問題という今日の現状、これをやはりどう打開をしていくかというふうな畜産についての総合的な問題が裏づけられないと、ただ現象面だけで、国際比価の関係で直ちに畜産問題の将来を論ずるというわけには私はいかないと思う。だから、そういう点ではあまり御専門でないので、必ずしもかみ合わないわけでありますけれども、もう一つ、先ほど木下先先がお話しになった中で、土地対策の問題について触れられて、都市周辺のところにおいては公有化ということも考えていくべきではないかという簡単なことばで言われたのでありますけれども、これは過般の衆議院の本会議あたりでも、自民党の代表質問の中では、農地転用の自由化論というふうな立場からの質問が出まして、今後のいわゆる土地あるいは宅地対策として、特にそういう需要の多い都市周辺地区におけるところの用地取得をどういうふうに考えるかという中では、この農地等の問題も直接関係があるのですけれども、いま言われたのは農地の問題で言われたんでないと思いますけれども、ただ私考えますのは、過密化の傾向、そういうものをどう打開するかということが一方にあって、日本のこの四つの島の地域開発、新産都市、その他の問題が今日の経済不況の中で大きな一つの壁にぶつかっておりますけれども、そういう日本の地域全体を見渡しての地域的な格差、アンバランス、そういうものを地域開発の中でどう打開するかというふうな総合的な視野というものを抜きにして、今日の現存する都市あるいはそれに集中化の傾向、またそれにこたえるための土地あるいは宅地対策という立場だけで問題を考えてはいけないんじゃないかというふうに考えるわけですけれども、それはともかくとして、先ほど触れられた都市周辺の公有化ということも考えるべきではないかといったのは、どういう意味であるか、御説明願いたいと思う。
  58. 木下和夫

    ○木下公述人 先ほど、都市周辺の土地につきましては公有化という問題を考えるべきではないかと申しましたのは、最近、特に土地の取得難、公用土地、公共土地の取得難と土地の価格の上昇ということを問題意識にして土地対策を議論する向きが多いわけでありますが、私はもっと広く、土地の最も有効な利用という見地から問題を考えるべきだと思います。そういう面から考えまして、最近出てきておるいろいろな情勢から出てきた議論ではないのであって、土地というものは、わが国ではとりわけ私有権というものが強過ぎる、これにまつわるさまざまの権利が付帯して解決が非常にむずかしいのでありますが、ヨーロッパその他の諸国でも、大きな都市の周辺部あるいは市域内は、これは大体その市が所有しておるというのが、いわばケースが多いわけであります。そういう例にかんがみまして、単に土地の値上がりを防止するとか、あるいは公用、公共用地の取得を便利にするという意味ではなくて、もっと広い目で土地問題を考える。そのときに浮かび上がってくるのは、いわゆる公共使用、公共所有という形であります。現在の占有者は依然としてそこに占有していたらよろしいのであって、それに対しては適当な賃貸料を徴収するという方法が考えられてしかるべきであります。要するに、国が全部持つという必要はないので、おそらく理想的な形は、市あるいは中間団体である府県などではないかと考えております。そういう意味で、地目をどの程度まで拡げるか、都市周辺というがどの辺かということになりますと、私はまだ具体的な案というものは持っておりません。
  59. 福田一

    福田委員長 次に竹本孫一君。
  60. 竹本孫一

    竹本委員 私は、木下先生に三、四の点についてお尋ねをいたしたいと思います。  まず最初に、デフレギャップを先生はどの程度に見ておられるかということを伺いたいと思います。なおそれに関連をいたしまして、今回の政府予算の編成に臨みまして、不況の克服と物価高の抑制という問題は、二つの問題ではなくして一つの問題である、問題の根本は社会的なアンバランスにあるということを非常に強調をせられました。私どもは全く同感でございますが、そういう意味から言えば、第二の問題でございますが、先生の御指摘になりました七兆七千七百億円の一般会計その他を入れましての純計は、昨年の一四・五%の増加に比べて、ことしは一三・四%にしかなっていないから、景気刺激の効果も少ないし、伸び方もむしろ少ないと、先ほど綿野先生もお話しになりましたけれども、要するにまだ大型化、積極性が足らないというふうにも受け取れますが、やはり先生のお考えからすれば、そうした増加のパーセンテージの問題ではなくして、アンバランスをいかに克服するかということについて、もう少し掘り下げることのほうがより大切な問題ではないかと思いますが、その点はどうか。  さらにこれに関連をいたしまして、いま土地問題についてもお話が出ましたけれども、このアンバランスの問題、あるいは土地の問題を解決しなければ、ほんとう意味財政政策というものの効果は期待できない。しかし、はたしてそれでは保守政権のもとにおいて土地問題の抜本的な解決やこのアンバランスの解決ができるものであるかどうか。私は、それにつきましては、若干限界を置いて考えなければならぬと思いますが、先生あお考えはどうであるか。これらの点について、最初にお伺いいたしたいと思います。
  61. 木下和夫

    ○木下公述人 お答えいたします。  第一番目のデフレギャップをどのぐらいと見るかというお尋ねでございますが、これはただいまのところ、私はごく控え目に三兆円前後というふうに申し上げておきます。これは測定がいろいろな方法があるわけでございまして、潜在的な生産能力を測定するということになることは当然でございますが、たとえばいまの個々の企業について稼働率を調べて、それが一〇〇%稼働したならばどのぐらいの生産物ができるであろう、それを想定いたしまして、日本国じゅうのいわば国民生産の伸び得る可能な力というものを想定して、現実のそれに対する買う力、需要力というものとの差をデフレギャップと言っておるようであります。ある場合には二兆円といい、ある場合には三兆五千億と申しますけれども、私は大体三兆円前後という表現のしかたで問題を進めたわけでございます。  第二番目は、アンバランスの是正の方法ということについてでございますが、これは先ほども申し上げましたように、低い生産性部門技術革新の恩恵にあずからなかった部門、特に中小企業農業、これも一くるみに申し上げては誤解があると思いますけれども、例外は中にはございますが、大体中以下の企業の分野及び農業、林業、漁業というような分野には、この技術革新もあるいは資本の設定も行なわれることがきわめて不十分である。この点が第一のアンバランスであり、第二のアンバランスは、民間生産に比べて公共の生産分野、公共政治体が国民あるいは市民にいろいろなサービスを提供するために持っておりますところの道路、港湾、上下水道、住宅といったような社会資本の整備がおくれておる。この二点がアンバランスの中心問題であります。この二つに集中的にこれを充実させるような財政支出が望ましいわけでありまして、しかし、これは即効薬ではございません。かなりの時日がかかりますでしょう。しかし、これを前向きに充実させていくことが、すなわちデフレを救済し、かつあわせて物価の騰貴を抑えることになるというのが、私の議論の筋でございます。  それからこの点に関連しまして、私自身は、先ほどもちょっと申し上げましたが、予算の編成あるいは予算の分類の方法を変えることを一つのアイデアとして持っておるわけでありますが、それは全予算を少なくとも三つのグループにわける。一つはいまの一般会計を大体中心にしております経常勘定の予算、これは政府の毎年毎年の財貨サービスの提供を中心とした会計でございまして、単年度予算でございます。第二番目は、資本予算という名前をつけますが、これは政府企業あるいは政府の事業の会計を全部ここにぶち込む予算でございます。したがって、これは当然長期にわたるところの中期予算の姿をとるのであります。たとえば、建設国債の発行による収支のごときは、この部分に入ってまいります。それに加えまして第三番目には、社会保障関係、すなわち社会保障には大きく分けて社会保険と国家扶助とございますが、この双方を入れて、そしてこれも長期的な予算、言いかえれば、この場合には保険の掛け金が国に信託されて、そしてそれから資金のやりくりが行なわれるわけでありますから、第三番目の社会保障関係予算は、福祉予算という名前をつけてもよろしい、福祉信託予算という名前をつけてもよいと思います。こういう形になってまいりますと、いま御質問になりましたように、アンバランスの是正にどのくらい、言いかえれば財政が役に立つかということが、現在の予算分類方式よりもより明確にとらえられるのではないかと思います。  第三の土地問題の解決というものが現在の政府というものの手にある限りは、究極的な解決は見得ないだろうという御指摘でございますが、私は、これはいかに保守党といえども、福祉国家を標榜しておるような保守党である限り、また世界政治の動向から見まして、この問題を解決し得ないような保守党ならば、おそらくとうていほかの面でもその大きな力量を期待することはできないと思います。おそらくこれには利害関係の対立がきわめてふくそうして、政治的には非常にむずかしいということを予想いたしますけれども、これは気がまえさえあれば、あるいはやる気さえあれば必ずできると思うので、やっていただきたい。またこれをやらなければ、わが国の将来の発展ということのいしずえも、これをつくり得ないとさえ思うわけであります。
  62. 竹本孫一

    竹本委員 土地問題につきましては、私も先生と大体同じように考えておりまして、福祉国家の建設を言う以上は、いかなる内閣といえども、この土地問題に思い切った手をつけなければ問題の解決はできないのだという点について、全く同感でございます。  なお、いま先生がお話しになりました問題に入る前に、先ほどのアンバランスの問題についてもう一つ。これは、午前中に公述人としてお見えになりました大内先生あたりのお考えもあるようでございますが、私の考えから申しますと、アンバランスを根本的に改革することなくしては、予算をふやしてもだめだ。いわゆる高度成長的な考え方でもだめだ。同時に安定恐慌的な考え方でも、やはり問題は解決しない。安定恐慌になれば、かえってまたアンバランスのために、いまの構造的な矛盾のためにますます問題は大きくなる。したがいまして、今日は、経済不況を直すにも、物価問題を片づけるにも、繰り返しますけれども、この社会的なアンバランス、この構造的な矛盾というものを解決することが第一であって、それを別にして、予算をふやしても、あるいは安定整理恐慌的な施策をやりましても、ともに問題の解決にならぬと思いますが、その点についてもう一度お伺いいたしたいと思います。
  63. 木下和夫

    ○木下公述人 お答えいたします。  大内先生のお話を私詳細に拝聴しておりませんので、誤解があると思いますが、一般に国債の発行の問題と、それからこれと結びつけた構造的な変革の問題のつながりがありますので、まず第一に国債に関する考え方から申します。私は、先ほど申しましたように、国債は、これは経済の効果としてはインフレ的であります。インフレ的であるからこそ、不況対策に役に立つわけであります。それがインフレにならないように政治的あるいは財政的な規律を守るということを私は強調いたしました。ところが、昨年の秋ごろに、国債の議論については百家争鳴と言うべく、さまざまな議論が出ましたが、その中でいまお取り上げになりました一部の方たちの議論というものは、国債を発行することによって日本はまた戦争の二の舞いをやる、あるいは国債を発行することによって悪い企業までも救って、日本の資本主義というものがあく抜けをしないままに温存させられるという議論で反対をなさる傾きが一部にございました。また、全く同じような議論で、国債はインフレをもたらすものであり、安上がりの政府がほしいのに、国債を発行すると、ますます政府はお金を使うというような反対論が財界から出ておったわけであります。最近はそれがかなり交通整理がつきまして、財界では大体特定の条件つきで国債の発行に賛成しておる意見が多いようでございますけれども、この経緯を見ましても、言いかえれば、古い古典的な自由主義の立場から国債に対する反対論があり、また一部の学者の立場から国債に対する反対論があったこの姿を見てみますと、中身はかなり統一したものがあります。それは言いかえれば、経済が自由な価格をもって、そこで価格の調節機構を働かせれば、これは敗者はそのままつぶれていって、いいものだけが残っていく、エリートだけ残っていく、それこそ社会の進化であり、進歩であるという考え方でございます。こういう考え方は、現実のわれわれが踏んでおります大地の上では通用しない。言いかえれば、自由な価格機構もなければ、世の中にはかなり多くの管理価格というものが支配しておるという時代、こういう時代に、そのような、言いかえれば自由価格機構を前提とした優勝劣敗の議論を持ち出しても、私は意味がないと思います。むしろ積極的に国債を利用しても、それは決して使い方によりましては、悪いものを救うということにはなりません。したがって、国債はこれは非常にあぶない武器でありますけれども、これをうまく使えば、わが国の当面の立ち直りをするのには十分効を奏する、そういう意味で、国債をまじえた予算というものを通じて、私は構造的な矛盾ないしは二重構造を改革していくことが可能であると思います。前提として二重構造を解消させることなしに予算を使ったってしようがないという議論ではなくて、私は、予算を通じてアンバランスを解消し、構造的矛盾を解決するという方法を選ぶべきだと考えております。
  64. 竹本孫一

    竹本委員 予算を通じて二重構造を直す、そういう性格の今年度の予算でなければならない、私どももさように思います。また、私どもは、公債はインフレにつながるものであるということも心配をいたしますが、直ちにそう結論を出すということには若干のちゅうちょを感じております。したがいまして、市中消化とか、あるいは建設事業へ出すとか、いろいろの歯どめを考えておるし、政府においてもいろいろ言われております。ただ、私は、この際に赤字公債には反対である、建設的な公債を出し、また、その公債政策を通じて日本のアンバランス、特に二重構造を克服してまいる、非常に賛成でありますが、今回の予算を見ますと、公債政策は確かに採用されまして、福田大蔵大臣に言わせますと、財政の新時代ということばまで使っておられます。しかし、内容を見ますと、はたしてどうであろうか、この点について、私はいささかことばが悪いのですけれども政府公債政策は羊頭狗肉的なものが多い。たとえば建設的な分野に公債を出すのだ、それならばけっこうなんだ。確かに一応そのとおりでありますが、しかし、今回の予算を具体的に見てみますと、たとえば一番力を入れなければならない住宅政策、これがどういうふうになっておるか。住宅政策に力を入れまして、三十万戸の家を建てるということになりましたけれども、その大部分財政投融資で解決をしておる。しかも財政投融資は、去年の予算でもやっておるのであって、今回の公債政策とは直接な結びつきはないのです。今回の住宅政策に関して予算で直接関係があるものは百十六億円増加したにすぎません。極端な言い方で申しますと、百十六億円の予算をふやして、住宅政策にそれだけの程度の力を入れた。しかし、宣伝されておる、——というとことばが悪いですけれども国民が受け取っておる感じから申しますと、七千三百億円、大いに公債を出して、大いに住宅政策に力を入れ、公共投資に力を入れて財政時代に入るのだ、こういうふうに国民は受け取っておると思うのです。しかし、実態を見れば、いま申しました百十六億円の増加である。これでは公債政策というものは、いわば羊頭狗肉になっておるのじゃないか。もう少しまじめな取り組み方が必要ではないかと思いますが、先生のお考えを承りたいと思います。
  65. 木下和夫

    ○木下公述人 ただいまの点、大体私も賛成でございますが、ただ最も重点を置いて私御返事を申し上げたいと思いますのは、住宅対策について十カ年計画をお立てになったという前向きの姿勢にもかかわらず、それは一般会計上では措置が講ぜられていないで、五カ年計画の初年度が特に日本住宅公団その他を中心とした予算面でそれが出ておるという点で、この建設国債の発行とちょうど表裏一体をなさない形で出ておるわけであります。その点が、言いかえればいまの御質問にありました国債の発行が住宅の建設という形で具体化されてないとおっしゃる意味であろうと思います。この点につきましては、やはり将来は、五カ年計画の進行に伴いまして、当然一般会計分の住宅の建設と、それから住宅金融公庫分、あるいは日本住宅公団分というようなものを総合して住宅に関する予算という形で明示されることが私は必要ではないかと思います。そういう形になって初めて共通の地盤でこの問題を議論することができると思います。  以上でございます。
  66. 竹本孫一

    竹本委員 時間がありませんので簡単にお尋ねいたしたいと思いますが、先ほど先生が予算の配分の問題あるいは予算制度の問題について、この辺で根本的な検討をやらなければいけないではないか、特に公債対策で資本勘定において大いに積極的にやろうと思えば、日本予算の中で、キャピタル・バジェットとして資本勘定に入るべきものが一体幾らあるのか、それは何年計画で、どういうふうに起債をやり、償還計画を立てるのか、こういう問題が解決されなければならないと言われましたが、私もそう思うのでございます。先生のお考えでは、租税によってまかなっていく一般的な会計と、それから公債を出してもやっていくべき資本勘定的なものと、さらに先生特異のお考えかと思いますけれども、先ほどお話しになりました福祉信託予算といったような考え方があると思うのでございますが、政府も福祉国家の建設を強く言っておられますし、これからすべての党がこの問題には力を入れていくと思いますので、重ねてお伺いをいたしたいのでございますけれども財政の立て方を三本立てにするということ、しかもその場合には、いまちょっと触れられましたけれども、たとえば生命保険といったようなものの金をどういうふうに利用することをお考えになっておるのか。  それからもう一つ、それらに関連をいたしまして、そういう三本立てに予算編成の方針を変えていく場合に、その移行過程において、過渡期の混乱は予想されないものであるかどうか。スムーズにそういう三本立ての予算に切りかえていくことができるものかどうか、先生のお考えを承りたいと思います。
  67. 木下和夫

    ○木下公述人 お答えいたします。  私が先ほど申し上げました予算方式の改革につきましては、これは、実はイギリスでかなり長い間予算改革の議論をしております。その議論に若干手を加えまして私の考えを述べたわけでございます。まず第一点の御質問は、民間の生命保険の資金というようなものをどう取り扱うかということでございますが、これは、少なくとも第二番目と第三番目の予算、すなわち資本予算と福祉予算に対しましては、民間の資金の導入を当然考えております。したがいまして、たとえば住宅の建設というようなことに生命保険の資金が利用されます場合には、当然それは資本予算部分に収入として入ってくるという形になります。  それから、こういう方式をまだこまかく組織化しておりませんので何とも申せませんが、現実問題としては、イギリスの例でわかりますように、翌年度からすぐにこの方式に切りかえるということはなかなかむずかしいだろうと思います。しかし、幸いなことに、わが国の現在の一般会計予算の中から、建設的なもの、資本形成的なものを全部抜き出しまして、残りを大体先ほど申しました経常予算のグループに入れる、したがって、その残りとそれから政府企業的な活動に関する計算を第二の資金勘定の中に入れる、特別会計ももちろんであります。で、一般会計の中で社会保障関係費といわれるものが大体そのまま移動いたしまして先ほどの福祉予算になるわけであります。したがって、いまの方式の予算からのいわば過渡的な摩擦が大きければ、現在の予算の方式を踏襲しながらもう一つ予算の組みかえをやって、それも表示していくという形を一、二年続けますと、円滑に新しい形の予算に移りいく準備ができると思うのであります。突然そういう方式にかえるということは、私は詳しくは存じませんけれども、行政面にもさまざまの難点があると思いますので、現在でも支出項目別に予算を組むと同時に、各省各庁別に予算を表現しておられますが、それと同じように、こういう方式で予算を表現するというやり方も、たとえば国連方式による予算の表示が現在も大蔵省で試みられておりますように、あわせて行なっていって、その間の摩擦をなるべく避けるべきではないかと思っております。
  68. 竹本孫一

    竹本委員 最後に、地方財政の問題について一言お尋ねをいたしたいと思います。  今回政府が三千億円の減税をやる、それが地方の財政にはねかえる、公債を発行して大いに公共事業をやる、これがまた超過負担の問題もありますし、地元の負担の問題もありまして、たいへん地方財政を圧迫する、しかも先ほどお話のありましたように、解決策としてはただ地方債のワクを広げていくということだけが一つの答案になっておるようでありまして、これでは、お話にもありましたように、地方自治というものは、三割自治から二割、一割へとだんだん追い込まれていきまして、地方自治は財政的にまず破産状態になると思うのであります。そういう意味から申しますと、単に起債のワクを広げるとかいうようなことでは本格的な対策はできません。私どもは、そういう意味で、たとえば先ほど先生から国税の一部、所得税等の移譲の問題についてお話がありましたけれども、今回もそういう試みが一部に取り上げられておりますが、専売局の益金、たばこ消費税、こういったようなものが約二千億近くありますので、まとめて地方の財源にでも持っていくというように、抜本的に国の財源を地方に与えなければ、地方財政の問題の解決はできないのじゃないか、いまの予算に考えられているような方策はあまりにも当面を糊塗するだけにとどまっておるのではないかと思いますが、先生のお考えを承りたいと思います。
  69. 木下和夫

    ○木下公述人 お答えいたします。  先ほどは、税制調査会に私も一員として加わっておりますので、そこでつくりました答申の中にあった案が葬られましたので、いささか残念の気持ちで申し上げたわけでありますけれども、おっしゃるように、たばこ消費税の税率を上げる、言いかえれば、専売公社が地方団体に納付いたしますたばこ消費税の金額を上げるという形の地方財政財源強化の方法は、一つの望ましいやり方であると思います。事実今回の臨時特例交付金の中の二百四十億円というものは、たばこ消費税の税率四・四%分相当でありますが、これは四十一年度は臨時であって、四十二年度からはそのまま四・四%引き上げるという形になると私は了解をいたしております。本来国と地方との財源配分の問題を考えますときに、国は、どうしても主要な税目は国が取っておって、それを何らかの基準で配分し、交付するという形のほうを望みます。地方のほうはなるべく独立財源、自主財源を獲得したいということを望みます。この間でさまざまの妥協や調整が行なわれるわけでございますが、実際問題としては、地方のほうが力弱く、重要な税のおもなものは国が握るという形になります。また、国が重要な税を握ってこれを地方団体に配分するということもあながち悪いことばかりではございません。そういう意味で、国と地方との税源の調整という点をこれから早急に根本的に練り直す必要があると思いますが、おっしゃいますように、このたばこ消費税の税率の引き上げも含めて、私は国税の一部を地方に移譲するという積極的な姿勢というものが期待されると思うわけでございます。
  70. 竹本孫一

    竹本委員 終わります。
  71. 福田一

    福田委員長 次に川俣清音君。
  72. 川俣清音

    ○川俣委員 私は、せっかくおいでになった公述人に対しましては、質問をしようとは思いません。その持っておられます学識を発揮していただきたいということでありますので、いわゆる質問ではございませんで、教えを受けたいという考え方でひとつお尋ねをいたしたいと思うのであります。二点あります。  一つは、高度成長に伴って、需要増大いたしてまいりました木材、この供給に応じかねて天然資源がだんだん枯渇してきておるようでございます。このことは住宅建設にも大きな制限を加えるでありましょうし、それ以上に水資源を枯渇させることになりまして、住宅問題の解決にはならないと思うのですが、これに対する対策なりお考えなりがありますればお教えを願いたい。  すなわち国民の現在の木材の消費量は国内で六千七百万立方メートルでございますか、輸出が大体百七十万立方メートルくらいでございますか、それに対して供給できる限度というものは、国内では四千万立方メートルだといわれておりますが、現在、四千八百万立方メートルくらい出しておるようでございます。このことが水資源を枯渇させ、お互いの国民生活をかなり窮迫さしておることになるのではないか。  一つの例を申しますと、井ノ頭公園は、太田道灌が三年にわたって江戸城の水資源を調査して、あそこを水資源として井戸の頭ということで井ノ頭公園をつくった。それが、住宅問題であの台地を切ってしまいましたので、井ノ頭公園の水は七十万トンの湧水量があったのが、いまはゼロですね。そういう状態で、だんだん低いところに水資源を求めなきゃならぬ。いまの科学の力をもってすればポンプアップも必要でしょうけれども、ポンプアップするということになりますと、飲料水としては非常に高価な飲料水になるであろうと思います。そういうところから、一体どうすればいいだろうか。輸入でいこうとするのか、国内資源を培養していくのか、どちらの道をとるべきかということについて、ひとつお教え願いたいというのが一点です。  次に、少しこれはむずかしいであろうと思いますけれども、主食のようなもの、米、麦のようなものは、生産性を高めていくことが望ましいのか、それよりも絶対量の供給を増す、生産を増すことのほうに重点を向けられるのか、一体どちらに向けたほうが物価対策の上にも、あるいは国民生活の上にもいいのか、これをお教え願いたいと思うのです。これは、いまの農業の悩みであろうと思うのです。そこをお教え願いたい。農業生産性を高め、労働の生産性を高めることに全力を注ぐべきなのか、あるいは食糧の絶対量をふやす増産に力を入れるべきなのか、これはむしろ農業学者でない皆さんにお尋ねしていくほうがいい解決を見出すのじゃないかというのでお教えを願いたいのでありまして、御答弁がありましても私は質問などはいたしませんから、もしもここで答弁がしにくかったならば、時間節約の上でも、文書でもけっこうですからお教えを願いたいわけでございます。これは公述人お二人にお願いをいたしたい。
  73. 綿野脩三

    綿野公述人 最初の問題は、森林資源をどう温存するかという問題であろうと思いますが、これは植林が大事か、輸入が大事か、どっちにするかという問題でなくて、両方並行していくべき問題ではないかと思っております。現在、木材の相場というものは案外安定しておるそうですか、これは、主として輸入が近ごろ非常にふえてまいっておる、輸入で内地の不足を補って価格の上昇を押えておるというのが現状ではないかと思います。しかし輸入にのみ依存しておって、内地の資源の培養をしなくていいということにはならないと思いますから、これは、両方並行していくべきものではないかというふうに思っております。  それから二番目の問題は、農業生産性が大難か、量が大事かという問題でございますが、これも、私はどうも相背反する問題ではなくて、二つは両立し得る問題ではないかというふうに思います。生産性を上げることによって増産をするという道は、品物によっていろいろ残っておるのではないか、したがいまして、生産性が低いのに増産をするということは矛盾した関係だというふうに考えるのは、少し考え方が狭いのではないか、かように思うのでございます。  これで問題についてのお答えを終わります。
  74. 木下和夫

    ○木下公述人 お気に召すようなお答えができるかどうか疑問に思いますが、最初のお話は、生産資源一般の問題だと思いますけれども、たとえば水資源というような問題が先ほどお話に出ましたので、その問題を取り上げますと、水資源の絶対量としては、わが国は多過ぎるくらいあると私は思います。ただそれをいかにため、いかに利用するか、いかにきれいな形で利明するかというくふうが足りないことだと思います。その問題につきましては、私、たまたま近畿圏の整備の作業に従事をいたしまして最も痛切に感じましたのは、現在の河川が府県知事の管轄下にあって、県、府の間の利害の関係が非常に対立しておる、これをもう少し何らかの方法で広域的に利用するめどがつけば、私は近畿の水の問題の大部分は解決できるのではないかとさえ思いますが、そういう行政的な問題もあると思います。ただ水の問題にしぼりますならば、先ほど申し上げましたように、絶対量は非常にたくさんあるけれども、これをむだに流しておるという実情ではないかと思います。その他森林や鉱産物その他の資源につきましては、私は知識がございませんので、この辺でお許しを願いたいと思います。  第二の出産性を高めるか、絶対量を上げるかという問題は、先ほど綿野さんの御意見にございましたように、相反する問題ではない。ただ、私は、農業について、将来については、農家の戸数の減少傾向や農業人口の減少傾向は、いまのように進んでいくものではないと思います。そのうちにこれはある程度のブレーキがかかってくると思います。したがいまして、生産性というのは技術によってきまりますが、ある技術が与えられた場合に、そこでどのくらいの人数が働いて生活をしていけるかという一つの所得の高さなり生産量なりがきまってまいりますと、そこに定着することになるかと思います。したがってこれは、比産性を上げることはもちろん重要でありますし、生産量を上げることも重要でありますが、どちらかといえば生産性を上げるということが先の問題であって、そして農村に定着する人々がふえてまいりますれば、生産性を一定といたしましても、絶対量は多く期待することができる。それで、先ほど御質問にありました日本の自給が可能な生産量にまで達するならば、これほどけっこうなことはないわけでございますけれども、そこまで楽観はできないとしても、決して生産性の上昇ということと生産量の増大ということは相反するものでもなければ、そむくものでもない、言いかえれば、二元的に考える筋合いのものではないと思います。
  75. 川俣清音

    ○川俣委員 私の質問を補足してお答えを願いたいと思います。質問が十分徹底しなかったようでございますが、特に第二問の問題は、いまアメリカ農業の悩みでもあるようでございます。確かにアメリカ農業は出産性は高まってきたけれども、絶対生産量は減りつつありまして、余剰農産物がだんだんなくなりつつあることは御承知のとおりでございます。生産性を高めるということが必ずしも増産に結ばない、労働の生産性向上は必ずしも増産とは結ばないことは、日本の実情から見ても明らかでございます。米の問題からいうと、上等な米をつくって生産性を高めるよりも、むしろ増産をして、悪い米でも増産をしたほうが、生産性は伴わないかもしらぬけれども生活はよくなる、こういう結果が出てくる。しかもいまの米価は下級米ほど政府の利益が多くて、上米ほど政府の利潤が少ない。すなわち上米は割り安に食っておるけれども、下米は割り高に食っておる、こういう社会政策から見ても矛盾したことが行なわれております。生産性をあまりに重要視すると逆な結果になる。八郎潟の例をとりますと、あれほど大型機械を入れて生産をいたしておりますが、逆に一反歩当たりの生産量は減ってきております。あれだけの大型機械を入れて生産性は高まっておるようですけれども、反当生産量が減ってきておりますことは明らかでございます。生産性を高めるということは、なるべく労働を簡略にすることでありまして、生産量を高めるということは、労働をさらに強化するということでございます。強化するということと生産性とは必ずしも並立はしないのです。どうも学者や一般の世間の人は、生産性向上することと生産量がふえることとは一致するようにお考えの向きが多いので、あえて実は御意見を承りたい、こう考えてお尋ねをしたのでございます。  非常にむずかしいと思いますから、この場で御答弁にならないでも、ひとつお教えを願いたいのでありますから、文書等で出していただけば時間の節約もできますので、文書でもけっこうですし、この場でもけっこうですから、お教えを願いたいのでございます。
  76. 木下和夫

    ○木下公述人 それではちょっと申し上げます。  普通使われます生産性という定義でございますが、これは労働力あるいは労働時間、労働人口を分母にいたしまして、分子に生産量を持ってまいります。その場合の生産量は、質の違いというようなものは問題にいたしておりません。特定の商品や生産物をつくるために投ぜられた労働力と、それから生産高との比率でございます。そういう形で私は問題を考えましたので、いま承りまして、私が解釈いたしました意味とすっかり違って、質の変化も取り入れられ、また、たとえば労働が一日六時間働くのと八時間働くのとというような差まで考慮しておられますと、これはもう生産性という概念ではどうも処置できなくなってまいります。そのことばをはずしていただきますならば、全くお説のとおりだと思います。
  77. 福田一

    福田委員長 以上をもちまして、両公述人に対する質疑は終了いたしました。  綿野、木下両公述人には、御多忙のところ、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。(拍手)  次会は明二十二日午前十時より公聴会を続行いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時二十五分散会