○
大内公述人 お指図に従いまして、
昭和四十一年度の
予算に対しまして、
国民の一人としての
意見を申し上げます。
大蔵大臣は、
公債政策の導入によって
財政規模を積極的に拡大し、また大幅の減税をして
景気のすみやかなる
回復を実現して
経済の安定の路線を引く、こう申されております。私はちょうどこれと反対の論理と考えを持っておりまして、それがまさに
国民の要求であろうと思います。
簡単に申しますと、いまの
国民にとりましては
生活費の騰貴、一般に物価騰貴ということが一番の問題でありまして、その問題に比べますと、
一つの投資会社がつぶれるとか、あるいは多くの、多少平生不心得な
経営者の会社がつぶれるとか、そういうことはたいした問題ではありません。つまり私の言うところは、いままでの
財政はすでに大き過ぎる。それが長い間続きましたために、すでにインフレーションを起こしておる。そういう情勢は、これに対してわれわれが批評いたしますならば、つまりいまの
不況に対して
政治的にそれを解釈して申しますならば、この十年間におけるいわゆる
高度成長の積極
政策なるものが行き過ぎたために当然に生じたる結果である、そういうことになります。それですから、来年度における
予算の目的、すなわち
政治の目的というのは、それをさかさまにすることでありまして、それが、つまり
国民の
生活を安定するということになると思います。しかし、それを一ぺんにするということは非常に危険であり、かつ混乱を来たすゆえんでありますから、私はこれをいままでとは全然反対の方向に置いて、しかし徐々にそういう目的を達するようにしていくのが
昭和四十一年度の
日本国民が持つべき
予算の形であると思います。
この十年間における
日本の物価の騰貴は、御
承知のとおり五割でありまして、年々、年によっては五%、年によっては六%、七%というふうに上がっておりますが、こういう上がり方はすなわちインフレーションの
現象そのものでありまして、こういうインフレーションの
現象はいま
世界ではどこでも多少はありますけれ
ども、しかし、
日本のような急激なるインフレーションの
現象は、低
開発国、たとえば朝鮮とか、そういうような国に限られることでありまして、資本主義の進んでおる国では、やはりインフレーションの形をとりつつありますけれ
ども、
日本のようなインフレーションの形はとっていないのであります。だれもが言うとおり、この十年間における
経済の発達の早さ、
成長の早さは、
日本が、資本主義国あるいは社会主義国もあわせ入れて、おそらくは
世界第一位でありますが、しかし
経済が発達し、
技術が発達いたしますと、それは
生産の
技術の発達が中心でありますから、当然に物価が下がるべきであります。しかるにこの
日本では、物価は下がっておるという事実はないのであります。これはどういうことかというと、久しい間
需要のほうが供給よりも大きかったということでありまして、目下の
不況はちょうどその反対の
現象であるということ、しかし性質的に申しますと、つまりこの十年間
需要のほうが供給よりか大きかったという
現象であろうと思います。
日本の
経済がこの十年間、年によっては二〇%あるいは平均一〇%も
成長しておるということは、これはつまりいろいろの
原因があり、
日本の資本家の、
経営者のいう
能力もあり、科学者の力もありますけれ
ども、しかしその
一つに
高度成長政策というものがあったことは、これはもうだれも疑わないところであります。たとえば外国では、この十年間の
経済の
成長は、高いところで大体において五%であります。しかるに
日本だけが七%であり一〇%であるというのは、ふしぎのようであります。それには特殊な
原因がむろんありますけれ
ども、しかし
アメリカというようないろいろな
条件のいいところでも、年
生産の
成長率は三・八%くらいであります。いま申し上げたような
意味において、つまり
日本の
成長率をスローダウンすることによって、すなわちこの
不況の
状況を改めて普通の健康なる形式にしようというのでありますれば、西欧並み、あるいは
アメリカ並みというところがちょうど目標ではないかと思います。つまり三・八%の年率くらいの
成長というところに目安を置いて
予算を立てるべきではないかと思います。
ここで
財政の話をしますと、来年度の
予算は非常な
赤字になる計算になっております。一般会計、特別会計、地方会計それぞれを合わせますというと、おそらくは一兆何千億円、二兆円に近い
赤字ではないかと思います。それをどうしてやるかということが
財政の問題ですが、私の言うのは、つまり佐藤内閣のそれとはちょうど反対である。というのは、その
赤字をなるべく少なくする、できれば黒字にするという
政策がすべての
政策の基本でなければならぬということになります。少なくとも、それゆえに、いまの
財政の支出のうちから相当な節約をするということがまず第一の問題になると思います。これは簡単なことではないので、どのくらいできるかということはいろいろの説があり、それからいろいろの努力の目標がありますけれ
ども、たとえば先
日本院におきまして佐藤喜一郎氏は、大体うまくやれば一兆円ぐらいは倹約できるのではないかという説を述べたようでありましたけれ
ども、ちょっと一兆円は無理といたしましても、四兆幾らの
財政のうちで、たとえば五千億とか八千億とかというものは倹約できないものだろうかどうか。いまから四十年ほど前は、諸君御
承知のとおり、
日本における
一つの
経済及び
経済政策の転換期でありましたが、それは申すまでもなく、
昭和二年の恐慌を中心としたものであったのです。そのときに
日本の民政党はいわゆる緊縮
政策というものを主張し、そうしてそれを実に勇敢に実行いたしました。それはおそらくは、少なくとも
一つの正しい
財政的方針であったと思われるのですけれ
ども、ちょうどそれに似たような情勢がいまの
日本の情勢でないか。つまり
日本の一般情勢それ自身、それからこの十年間における積極
政策は、いまや当時の政友会に対する民政党の
政策のような緊縮
政策を要求しておるのではないか、こういうのが私の基本的考えであります。
そこで、そういう
時代に
借金をして、その
借金の大
部分を資本家の商品に対する
需要を
増大するために使うというのは適当であろうかどうかという問題に移ります。これを
経済学者はフィナンシャルポリシーと言って、このごろそういうふうにするのがたいへん新しい
経済学であるというふうに言っておりますが、しかし私は、個人でありましても
企業でありましても、あまり
借金をたくさんやるということはいい
政策であるとは思いません。それは、
借金は必ず悪いという議論ではない。それは時と場合によって
借金もしかるべきものでありますが、しかし
経済主体の何であろうと、つまり
企業であろうと個人であろうと、あるいは国家であろうと、返済の見通しのない
借金というのはよくない。これは実に自明の理であると思います。つまり、将来黒字が確実に見込まれるときに限ってのみ
借金というのは許されるのであります。
日本の
財政法第四条はそういうことについて特別の規定を持っておりますが、あれは決して偶然の規定ではなくて、あれが
ほんとうの
財政のプリンシプルであります。
政府は、来年度
予算におきましては七千三百億の
公債を発行して、それを公共事業に使うのであって、これは
赤字公債でない、こう申しておりますけれ
ども、しかし、その
赤字かどうかの問題はしばらく別として、ことばの使用法でありますからどうでもいいですけれ
ども、
政府がこれによって実行しようとするいわゆる公共事業なるものは、どれ
一つとして、普通の
意味において投資として有利な事業であるというものはないのであります。全部投資としては不
生産的であるけれ
ども、しかし公共のために必要であるという事業であります。つまり私的
意味において、
企業的
意味においては全部不
生産的な事業であります。でありますからして、そういう事業を
借金で営むということは実に危険であります。それゆえに、もしそういうことを実行しようと思うならば、この事業についてはどういう返還計画があるか、この事業についてはどれほどの利益をもたらして、そうして発行した
公債を返還し得るかということを明確にすべきであります。つまり償還計画がなくてはならぬのであります。私は私学の
経営について多少の経験を持っておりますが、私学というようなものでも、つまり公共の事業でも、返還計画のない
借金で学校を
経営いたしますならば、それは非常に危険であります。ですから問題は、つまり七千三百億の
借金それ自身、あるいはそれで公共事業を営むということにあるのではなくて、その
公債についてどういう償還計画があるか、その償還ができるような
財源が
政府の
予算の中にあるかということであります。たとえば四十一年度において七千三百億、それからそのほかに
政府保証債四千億、それから、そのほかまだ地方債その他を入れますというと、おそらく
公債として
政府の義務に属するものは一兆数千億円になると思いますが、これを七年——いまの普通の
公債、すなわち七年の償還にいたしますと、これに対する利子とそれから償還とには、どうしても毎年三千億くらいの金が要ると思います。それから、毎年三千億くらいの金が新たに要るのみならず、いまのような
財政状態は、だれが見ても数年間続くということは明らかでありますから、そうしますと、やはりことしと同じような
財政計画になりますというと、一兆数千億円の新たなる
公債が出る。一年に合計二兆に近い
公債がかりに出るといたしますと、合計七兆億とか八兆億とかという、そういう
公債残高を持つに至るのは数年を待たないでありましょう。
日本の
公債がいま
世界的に非常に少ない割合であるということは、これはそのとおりでありまして、外国に対して非常に少ないのは事実でありますが、しかし、そのことと、それから新たなる
公債によって使う仕事が公共事業であって、つまり利益を——利益というのは私的利益です。つまり資本的計算における利潤をもたらさないものであるということは、
日本の
公債の特色であります。それを不
生産的
借金とかりに私はそう申しますが、そういう不
生産的
借金が
財政の四分の一、歳出の四分の一に今日なっておるわけですけれ
ども、四分の一というような状態であれば、つまりわれわれの会計、たとえば私のような小さい会計、年額百二十万円ぐらいの会計であれば、それをちょうど四分の一としますと、三十万円ぐらいの
借金になるわけですが、私のような収入の者が毎年三十万円ずつ
借金をしていって、それを返す、計算が立っていないとき、そういうときに私は三年、五年の先にどうなるか、つまりその問題は、いまのような
日本財政の
状況において、償還計画が正確に立っておらないいわゆる公共事業
予算というものはいかに危険であるかということになると思います。それが一般においていまの
財政状態において
公債を出すということが危険であるという話でありますが、それは
日本において特に危険であります。そういう
公債の出し方、いわゆるフィスカルポリシーは場合によっては有利であると、外国の例で証明する学者もおりますが、しかし、
日本には特にそれが危険であるということをこの際申し上げたいと思います。
それは結局、
日本では
公債の
市場、マーケットというものは十分に発達していない、少なくとも英米のようには発達していないのであります。そういう国でありますから、結局
公債をだれが引き受けるかというと、これは長い間の習慣によりまして銀行が引き受ける以外にはないと思う。大
部分は銀行が引き受けるのでありますが、
日本ではそれを銀行が引き受けるというと、それを担保にして
日本銀行は金を貸すという制度がすでに確立しておるのであります。いままですでに確立しておる。そうして、いまの
日本銀行の制度そのものを見ますと、いまの
日本銀行の紙幣の発行制度でも、また貸し付けの制度から申しましても、
公債を持ってくれば、幾らでも——幾らでもというのは、大蔵大臣の指定する最高
発行額まで幾らでも
公債が発行できるということになっておるのであります。こういう制度は、
世界のどこにもないのでありまして、こういうつまり
民間の
金融制度と、それから
政府の
金融制度と、それから
中央銀行の
金融制度は
日本独特のものでありますが、こういう
日本独特の組織のもとにおいて
公債を発行するというのは非常に注意を要することであります。普通の国においての発行とは用意が全然違わなければならぬ。なぜかというと、つまり
日本銀行と
金融界とそれから大蔵大臣とが相談をすれば、
日本のようなそういう制度であれば幾らでも
公債を発行し得るということになり、その
公債を発行するということは、これは三者のともにたいへんな利益になるのであります。つまり銀行は
公債を引き受けることによって利益を得、
日本銀行は
公債を担保とする貸し付けをすることによって幾らでもたいへんな利益を得うる可能性があるのであります。得うるかどうかは別ですけれ
ども、得うる可能性があるのであります。つまり
日本の銀行制度及び
日本の
金融制度のもとにおいては、
公債を発行するということは、ほかの国よりはインフレにつながることが非常に直接なのであります。せめて
アメリカやイギリスのような、そういう
意味における
中央銀行制度及び発券制度の組織があって、そうしてわれわれの大切な紙幣なるものが、今日は金に直接に結びつかないのはそれらの国でもそうでありますけれ
ども、多少とも物質的な富と結びついておるということがありますならばまだいいですけれ
ども、そういう準備のない
日本において
公債を発行するということは、ほかよりは非常に危険であります。
以上のことが私の
公債についての見解でありますが、もう一度申します。つまり
公債は、
条件によって発行しても危険なものではない。しかし
日本では、そしていまの状態では非常に危険である。ですから、もし発行するとしたら、できるだけこれを少額にしたい。それから、もし発行するとするならば、
国民の前にそれの償還の計画と、それからそれに対する限定を十分明らかにして、これを法律によって制度として明確にしておくことが、
日本の
財政を明瞭にし、かつ安全にする方法であります。それと同時に、
日本銀行の制度そのものを、つまり
国債優遇、
国債をすべての担保のうちで一番優遇しておるいまの制度を一切やめる。そうして、その上で
公債を、つまり普通の
金融市場において募集するという制度をつくってからやるということにすべきである。順序転倒であります。つまりそういう用意をせずに巨額な
公債を発行するというのは、戦時中における
日本政府の
公債発行のしかたと同じでありまして、現在の
日本銀行制度はそのままであります。戦時中商橋大蔵大臣及び賀屋大蔵大臣でしたか、その
時代にできた制度そのままであります。大蔵大臣と
日本銀行の判断によって幾らでも
日本銀行券が出せるという制度であります。そのときに
国債が最も有利な、優越な担保であり得るという制度であります。こういう制度を直さないで直ちに
公債を発行するというのは、非常に危険であります。
その次に、今度は減税の問題を申し上げます。
こういう
財政の
時代に減税をするというのは実に危険なことでありまして、全然間違いであると思います。つまり、一方では
借金をして、他方ではその収入を減らすということは
財政の基礎を危うくする。そうして、同時にまたその
借金の、つまり
公債の基礎を奪うものであります。一方で
借金をすれば、それを返す計画を立てて、そうしてその返す計画には租税の余りを持ってくるというのが普通の原則であります。これがない限りは、つまり
借金をすること自体がすでに危険なのである。しかるに、一方では
借金をして、他方では税の収入を減らすというのは、これは自己矛盾であります。これを無謀と称していいと思います。だれでも知っておるように、そうして、特に
日本の貧乏人はよく身をもって知っておるように、いまの租税は不公平であります。たとえば所得申告額が二百万円の申告をした人が、給与所得でありますならば四十二万円の税がかかるのでありますが、配当所得であれば八万四千円であります。こういうのは決して公平でないと思います。また、法人税に対しては、いろいろのいわゆる特別措置というのがありまして、いまのそれを全部計算してみますと、その特別措置の金額は年額一千億円にのぼっておるということであります。つまり、こういういまの制度、これがいまの制度の特色を無産者あるいは貧乏人の立場から考えたのですが、そういう租税制度はどういうのかというと、つまり、給与
所得税というのは
消費需要を制限する税でありまして、それから租税に関する特別措置による法人税の免除というのは
設備投資の傾向を刺激する、そういう税制であります。つまり、
日本の税制というのは、
生活必需品の
生産は制限して、そうして
生産財はなるべく供給過剰になるようにする、そういう租税制度であります。そういう租税制度を根本的に変えることにだれも異存はないのでありますけれ
ども、しかし、新たに
公債を発行するときに、その全収入がいままでの収入よりも少ないような、そういう減税というのは、実に理解しがたい、
国民としてはわけのわからぬ制度であります。
その次に、この十年間
政府が
産業保護のために幾らの金を使っておるかということを計算いたしましてみると、運輸、通信、商工、農林を合わせまして、毎年約一兆五千億の
産業保護資金で出ておるのであります。この点から申しますと、
日本の
政府も、
日本の議会も、長い間資本家保護のために努力してきたということはよくわかるのでありますが、そして、これがまた、同時に、この十年間の
高度成長の
一つのさし水であったということもよくわかるのでありますけれ
ども、そのこと自体は別の問題として、
政府の任務、つまり
国民にとっての任務というのは別にある。つまり
産業保護以外、奨励以外に別にあると思う。それは、公共事業とか
教育とか
社会保障とかいうのであろうと思いますが、そういう面の
成長といまの
産業保護の
成長と比べると、どういうふうになっておるか。それは、それ自体の数字の
成長によって比べることは不当でありまして、実際において、
教育の
状況、あるいは貧乏人の
状況、あるいは
社会保障を受けなければならぬのに受け得ない人間の
状況によってこれをはかるべきであります。それに対してしかるべきことをするのが
政府の任務であります。これを佐藤総理大臣はたいへん美しいことばで、社会の何と申しましたか、
社会開発と言われたのでありますが、つまり問題は、
社会開発の進み方、その数字の進み方でなくて、その効果の進み方と、
産業保護の数字ではなくて、
産業保護によって進んだ
産業の大きさ、それを比較すべきであります。そのときにわれわれは、
日本のすべての公的サービスが非常に不良であるということを、簡単に体験して
国民は知っておるのであります。つまり、それが十年間の
高度成長の成績であるということを、大きなビルディングとりっぱなホテルと、そしてスラムとの比較において、
国民は明らかにこれを
承知しておるのであります。
ですから、
国民は何を要求するかといいますと、せめて四十一年からはこれを少し改めてもらいたいということを要求するのであります。たとえば、
日本の道路は、その舗装率はわずかに三%でありますが、イギリスではこれは一〇%であります。たとえば六大都市の
住宅の地価は、この十年間にちょうど七倍に上がっておる、ないし十倍に上がっておるのであります。それだけ地主がもうけて、地主の収入が増加して、そうして家賃はどうなったかと申しますと、ほぼ倍になっておるのであります。それだけ貧乏人は高い家賃を払わなければならぬ。それがつまり
高度成長経済の今日の総括であります。この総括の上において、われわれは
産業保護
政策と
社会資本全体の充実との対照を考えるべきであろうと思います。
国民は、
政府の道路
政策、あるいは
社会保障政策、公害対策、運賃
政策、そのどれに対しても満足しておりません。つまり、今度の
予算において
政府御自慢の公共事業の拡充につきましても、それはされないよりはいいということは、だれもそう思いますけれ
ども、しかし、いま言ったような
意味における、一方における大きな家と巨大なる財産の出現と、他方における貧弱なるスラムの状態とを比較して、そうしてどっちを先にすべきかということは、問題なくわれわれ
国民は、ホテルは少しおそくてもいい、箱根の観光道路は少しおそくてもいい、それよりは家を安くつくってくれ、こういうのであります。たとえば鉄道でも、たとえば
社会保障でも、たとえば郵便でも、このごろ議会で諸君が問題にされておるように、どれもこれも全部
赤字であります。そうして、
赤字であるのみならず、どれもこれもサービスが非常に悪いのであります。約束したサービスができておるものは
一つもありません。実に鉄道のごときは、毎日毎日、定員の何倍の人が乗って、しりを押されたり、体をはがれたりしておるのであります。あれが
国民全体にとっていかに非
生産的であるかということは、問題にならない。それでしかも二〇%、三〇%の料金を上げるというのですが、上げるのは当然であります。もし上げなかったらばおかしいのですけれ
ども、しかし、上げて鉄道がよくなるかと申しますと、これは別の話です。いまの上げ方で、しかもその上げ方を
公債及び
政府の
財政投融資からするのでは、
借金利子がたいへんなものになるのであります。それによって鉄道自体がよくなるということは非常に望み薄です。上げないよりもむろんよくなるけれ
ども、しかし、われわれの要求するようなサービス、つまり、楽々といすにすわってビジネスに出てこられるような、そういう鉄道ができるということは絶対にありません。そうしてまたことし、二〇%、三〇%上げても、来年、再来年料金が上がらないということはありません。むしろ反対に、必ず上がるでしょう。それは、あとで申し上げるように、物価の騰貴が、いま
政府の言うところでも五%ですから、実は一〇%以上になるでしょう。そうすると、それは上がるのがあたりまえであります。
次に、この数年間
日本の
貿易がたいへん伸びた。これはわれわれにとってはたいへんしあわせであって、おかげで円の対外価値は形式上維持されておるのでありますが、しかし、ことしから来年にかけてそれがゆるがないでしょうか。つまり、
世界の準備体制、金の保護体制に対抗して、
日本の金の保護及び正貨準備の保護は十分にできるでしょうか。これが大問題であります。現に
アメリカの準備銀行は金利を上げておるのでありますけれ
ども、
日本は上げないのであります。そうして、
日本と
アメリカとの物価の騰貴のしかたの率は、
アメリカのほうも少し上がっておりますけれ
ども、たいへんな違いであります。つまり、現在の
日本は、大々的な
生産過剰を起こしておる。そうして、それに対して
公債を発行した
政府の金を持ってきてその穴をつくろおうといたしておるのであります。しかし、問題はその
借金を返す方法であります。つまり、いつ返すか、どうして返すかという方法がないときに
借金をするのは、先ほど言うように非常に危険でありますが、今度は外国との債権債務の
関係、いわゆる国際貸借はいまややいいのでありますが、しかし、どうでしょうか、私はその点に多少の問題があると思います。簡単に申しますと、もし来年度の物価が五%しか上がらぬように、藤山企画庁長官の言うようにしようと思われるならばどうしても
予算と物価とそれから
生産の大きさとの比例から申しまして、
予算を本年度よりは一〇%くらいは小さくしなければならぬと思います。もしどうしても
公債を発行する必要があるとしますならば、先ほど申し上げたように、必ずそれには償還計画、つまり一般会計における収入の増加ということがどこにあるかということを明瞭に示さなければならないと思います。それから、数年間物価騰貴によっておくれておる公共施設をこの際大きくやろうとするならば、むろん
財源がないのでありますからして、どうしても
産業保護費をもう少し削るという、そういうこと以外にはないと思います。
私の申し上げることは、筋はそれだけでありまして、たいへん時間を超過いたしましたが、これで失礼いたします。(拍手)