○椎名国務大臣 実は発想と申しますか、構想のスタートからこれは全然違うのであります。
日本で行なわれました四月の東南アジア開発閣僚
会議、これはたびたびこの
国会においても申し上げたと思いますが、純粋に経済開発のための
会議である。しかもその区域がほんとうのいわゆる東南アジア地域に限定されたのでございまして、この地域は宗教その他の文化
関係、気候風土、社会的ないろいろな制度、習慣、そういったようなものは非常に共通の面がございまして、これを一体として
考えていくということは必ずしもむずかしいことではない、むしろそう
考えるのがほんとうである、こういうふうに地政学的にも言えるのではないかと私は
考えます。こういう共通面をとらえて連帯感を強くし、お互いの
協力関係を固めまして、そして一国だけじゃなかなかむずかしいので、地域全体が
協力して東南アジア全体の開発をひとつ推進しよう、こういうためにはかっこうのこれはスケールである、こう
考えた。そしてきわめて短い時間でございましたが、二日にわたってきわめて充実した
会議を開催することができた。そして、まずもって農業開発の問題、あるいはその他の産業開発上の諸問題等について相当突っ込んだ論議が行なわれたのであります。
これに反して、ソウルで行なわれましたアジア・太平洋閣僚
会議は、当初韓国の提唱にかかるものであります。そして当初は、もちろん日韓条約がまだはっきりできるものとも
考えられなかった、そういう時代でございまして、一応韓国としても
日本を除外して
考えておったのであります。ところがその他の国から、
日本の入らないこの種の
会議はおよそ
意味がないというような議論が出たそうであります。そういうことで、なるほどと、こういうことになったと思うのでありますが、ちょうど日韓問題もだんだん軌道に乗りつつあった。そこで、
日本のほうにぜひこれに加わってくれという話でございましたが、それ以前から
日本はこれに対して、あまり間口を急に広げるということもどうかというので、このほうは辞退する方針であった。それで、まだ時期尚早である、
日本をどうぞ加えないでひとつおやりくださいというようなことで、お断わりしておったわけでございます。
ところが、その後日韓条約がだんだん進展をする、
日本も韓国もほかのことをあまりかまっちゃいられないというようなことで、昨年一年はもうほとんどこの問題に手をつけず、両方からその問題に触れなかった。いよいよ日韓国交
正常化ということになりましてから、あらためて韓国からそういう申し入れがあったのであります。
国会においてすでに私は明らかにしたのでありますが、日韓国交
正常化の今日においては、のっけからいままでのようにお断わりというようなわけにもいくまい。話は少し卑近な例になりますけれ
ども、隣組という
関係になったのでございますから、それで準備
会議がバンコクで開かれるということになったので、その準備
会議に臨んで、ほんとうにこの
会議は
日本として
参加すべきものであるかどうかということを確かめて、しかる上に賛否を決する、こういう態度に変わってまいりまして、いよいよバンコクの準備
会議に臨んだわけであります。そこで
日本といたしましては、とにかく対立を新しくつくるというようなことがみじんもあってはいかぬ、そして、むしろ今日ある対立を緩和、解消するという、もっとやわらかな態度でもしこの
会議が行なわれるならば
日本は
参加してもよろしいという態度をもってこれに臨んだのでありますが、期せずしてこの準備
会議に
参加した諸国の態度というものは、そういう方面にこぞって賛同をしてまいった。そういうわけでございまして、大体この二つの
会議の成立の動機、経路が異なっております。そして、この
会議は東京で開かれた閣僚
会議と違って、もう少し抽象的な問題でお互いの連帯を強め、
協力して、足らざるところをお互いに補って、そしてお互いにりっぱな国家をつくろうじゃないかというような、そういう方面でいろいろな有益な論議をかわした、こういうのでありまして、
性格も、その成り立ちの動機も経路も違う、さよう御了承願います。