○小松
委員 藤山さんの
不況の認識を聞いておると、いつも何だか書生論を聞いておるように私は感ずるのです。まあ評論家なり企画庁ならばそれでつとまるかしれませんが、実際そういう
不況の認識では
政治は生まれてこぬと思うのです。いまのような考え方で言えば、一体何をしたらいいのか、その先が出てこない。そこまでは出てくると思うのですけれ
ども、その先が出てこないと思うのです。構造上の問題だ、あるいは循環的な問題だ、それじゃ循環的な問題だというならば、それに対処するのにはどうするのか、循環的なものならば、循環してこう出て、うまく展開して、いまごろは上がってこねばならぬ。
福田さんは、大蔵大臣は、この夏も、七、八月ごろだったか、秋口から上向く、秋口から景気はつま先上がりになると言った。何もどうもせぬじゃないか。実際は、これはもうずっと下がっている。これなど考えたときに、ただ循環の法則だとか、あるいは構造上の問題だと言っただけでは解決がつかぬ。構造上の問題があったら、一体その構造上のどこが問題だ、その構造のどこが問題点であったのだというようにつかまえていかなければ私は
政治は進まないと思うのです。そういう
意味で、金融政策も、あるいはただ途中からつま先上がりになるといって、この前は民間設備投資が行き過ぎたのだから、今度は国内の需要を喚起するために財政に力を入れればいいんだという、これも私は一つの
政治であると思うのです。しかし、それでもなおかつ——たいてい大蔵大臣は、財政を今日もう一生懸命に果たし過ぎるほど果たしてきた。
佐藤内閣ができてから、私は金融政策はもうやり尽くすほどやってしまったと思うのです。それから財政政策もほとんど手のうちはみんな出てしまった。財政も経済も手のうちは全部出てしまったけれ
ども、成長率は二%に下がってきたということは、これはもう一回
反省せねばならぬというように私は考える。ここに経済の
不況の認識なり経済のよって来たるつかまえ方が甘いから、あっちこっち、あっちこっちに振り回されて、そのときそのとき調子のよいことだけを言うておると思うのです。だから、構造上の問題があるならば、その構造上の問題で、何が構造上で問題があったのか、ここに私はもう少しメスを入れていかねばならぬと思う。民間設備投資が火の消えたようになっておるのに、木に竹をついだように財政、財政——池田さんは民間設備投資、
佐藤さんは今度は財政投資、財政投資、全くそこは木に竹をついだような
政治になっておるから、その谷間ができておる。それは有効需要を喚起するというていいけれ
ども、財政需要を喚起してみたところで鉄鋼がどれだけ飛び上がってくるか、繊維がどれだけ飛び上がってくるかということは、なかなか迂遠な道でしょう。財政投資をやっていけば、土建屋が一番先に立ち上がるでしょう。しかし土建屋は、いま操短もしておらなければ、まあオリンピックで少し倒れたのもありますが、実際に構造上変化したというならば、もう少し考えるところがあるのじゃないか。民間設備投資が減ったからといって財政投資にぽっと切りかえたって、その間のギャップがあると思う。そのギャップをどのように埋めるかという
政治ができない限りは、大鼓をたたいても、ここ半年、一年は経済というものは上がりません。つま先上がりと言うから、つま先がいつも上がっておるからつま先上がりでいいでしょう。GNPは二十五兆、財政、財政というけれ
ども、GNPに示すところの
国民総生産は二十五兆、今度来年度は四兆円と言うが、二十五兆の中の四兆円の果たす役割りというものは、それは幾らかあるでしょうが、これだけの、この一五%の成長率できたもののギャップはそう簡単には埋められぬ。だから、つま先上がりで、だんだんじり貧で先取りでいくのです。もはや一年間ずったわけです。それを秋にはようなる、冬にはようなる、春にはようなる、そういうような甘いムードで
政治を進めるからいけない。
政治をやる者はもう少し——甘いムードもいいでしょうが、いわゆる音楽のような甘いささやきで、つま先上がりで、あしたはいい、あしたはいい、——持たせちゃいけませんよ。どうも
佐藤内閣は、この経済の深刻な面というものをおおい隠して、持たせておる。あしたはようなる、あしたはようなる、そうしてよくなってくれば拍手かっさいでしょう。しかし一向によくならぬで、とんとんとんとん落ちる、階段を落ちるように落ちていく。これが現実です。落ちていく。第一、成長率が二・五%とか二%なんというような破天荒に落ちてしまっておる。こういうように落ちるということは、いわゆる経済に対処する考え方が甘い。あすはなんとかなるだろうというこの考え方が常に先行しておるから、そういう言い方になる。そういう言い方をしないで、もっとシビアーにものを考えていけば、ここまで落ちこぼれないでも済むのじゃないか、私はそう考える。この点、財政投資もいいでしょう。あるいはもう手を尽くしたんですから、これより
あとは何にもありません、とお手あげの
政治です。もう
あとは借金をして公債を発行するだけですというのが
佐藤内閣の最後の切り札を見ざるを得ない。それで、そんなら最後の切り札でも、公債発行をしたからといってたいへん甘いムードに酔わせている。一体
国民は公債発行して、大きなことをこれから借金をしてやるんだから、たいへんようなるだろうと思っていると大間違いです。五千億か六千億か七千億するか知りませんが、七千億か五千億の借金をして公債を発行したからといって、いまの落ちこぼっていくこの経済を上向き経済にしょうなんという大それた考え方を持っていると、とんでもないあやまちです。ほんのちょっと目ざまし薬をぽんと打たれた程度に考えていいのです。だから
自民党の中でも、そんななまやさしいことでいまの
不況は救えないから、一兆円公債を発行しろ、減税は五千億やれという
意見が出ておるじゃありませんか。その出ている原因は那辺にあるか私は知りません。しかし、那辺にあるかもしれませんけれ
ども、あまり
佐藤内閣が公債、公債と言うて、公債一枚看板に言って、打ち出の小づちだ、これさえやれば経済はようなるんだ、
不況は回復するんだというような言い方をすれば、私たちだっても、
佐藤さん、それはちょっと甘過ぎませんかと言いたくなるわけです。ここに私は経済の見方の甘さというものがあると思うのです。私はいまの情勢をすれば、そんなに一ぺんに
不況は回復せないと思うのです。だから、各都市銀行が
昭和四十年度の経済の見通しを出しておりましたが、まちまちな
意見が出ておりますけれ
ども、どれだって四十年度の中半期までは、だれもいいなんて言っているものは一つもないのです。ということは、
不況を回復しようという
佐藤総理の考え方は、これは一年先だということにしかならない。そうすると、あなたが
総裁になって一年間はどんどんどんどん階段を下って、
あと一年間でやっとこしょで底をついて、こうぽっつりぽっつりといくという、そうなったら、二年間の
佐藤内閣の
政治というものは、経済においては全く低調ムードにしかすぎないじゃないですか。そんならここでがんと何かやるという
決意を
国民とともに示すべきだ。その
決意を披瀝していかなければ、公債発行とかなんとかいっても、それは単なる甘いムードを世間にまき散らすだけだと私は考える。この点、
佐藤内閣は経済に対するビジョンというものを那辺に置いておるのかということを私ははかりがたいわけなんです。
佐藤総理、あなたの経済に対するビジョンを、どうかひとつ
国民にわかるようにお願いします。