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1966-04-06 第51回国会 衆議院 文教委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年四月六日(水曜日)    午前十時三十分開議  出席委員    委員長 八田 貞義君    理事 上村千一郎君 理事 谷川 和穗君    理事 南  好雄君 理事 八木 徹雄君    理事 川崎 寛治君 理事 二宮 武夫君    理事 長谷川正三君       久野 忠治君    熊谷 義雄君       床次 徳二君    中村庸一郎君       落合 寛茂君    高橋 重信君       松原喜之次君    鈴木  一君  出席政府委員         文部政務次官  中野 文門君         文部事務官         (大臣官房長) 赤石 清悦君         文部事務官         (管理局長)  天城  勲君         文部事務官         (文化財保護委         員会事務局長) 村山 松雄君  委員外出席者         文化財保護委員         会委員長    稻田 清助君         参  考  人         (俳優)    守田 俊郎君         参  考  人         (俳優)    伊藤 圀夫君         参  考  人         (舞台美術家) 伊藤 熹朔君         参  考  人         (演劇評論家) 花島 鶴夫君         専  門  員 田中  彰君     ————————————— 四月五日  委員栗林三郎辞任につき、その補欠として堂  森芳夫君が議長指名委員に選任された。 同日  委員堂森芳夫辞任につき、その補欠として栗  林三郎君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 四月一日  女子教育職員の出産に際しての補助教育職員の  確保に関する法律の一部を改正する法律案(千  葉千代世君外二名提出参法第七号)(予)  学校教育法等の一部を改正する法律案千葉千  代世君外二名提出参法第八号)(予)  高等学校定時制教育及び通信教育振興法の一  部を改正する法律案秋山長造君外二名提出、  参法第九号)(予) 同月二日  私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する  法律案内閣提出第一三七号) 同月四日  なぎなたを中学校以上の女子に正課として採用  する請願外一件(佐々木良作紹介)(第二二九  六号)  同(壽原正一紹介)(第二二九七号)  同(山下榮二紹介)(第二二九八号)  同外一件(吉田賢一紹介)(第二二九九号)  同(有田喜一紹介)(第二三二七号)  同(菅野和太郎紹介)(第二三二八号)  同(壽原正一紹介)(第二三二九号)  同外二件(小島徹三紹介)(第二三六七号)  同外四件(五島虎雄紹介)(第二三六八号)  同(壽原正一紹介)(第二三六九号)  同外十件(地崎宇三郎紹介)(第二三七〇号)  同(灘尾弘吉紹介)(第二三七一号)  同(森下國雄紹介)(第二三七二号)  同(山下榮二紹介)(第二三七三号)  同外一件(吉田賢一紹介)(第二三七四号)  同(菅野和太郎紹介)(第二五四〇号)  同外二件(永田亮一紹介)(第二五四一号)  義務教育における習字教育振興に関する請願  (有田喜一紹介)(第二五三九号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国立劇場法案内閣提出第五七号)  私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する  法律案内閣提出第一三七号)      ————◇—————
  2. 八田貞義

    八田委員長 これより会議を開きます。  国立劇場法案を議題といたします。  本日は、参考人として俳優守田俊郎君、俳優伊藤圀夫君、舞台美術家伊藤熹朔君、演劇評論家花島鶴夫君、以上四名の方々に御出席を願っております。  この際、委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。  御参考人方々には御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。目下当委員会においては、国立劇場法案について審査を進めておりますが、本日おいでをお願いいたしましたのは、参考人各位より御意見を承り、もって本案審査参考にいたしたいと存じますので、何とぞ忌憚のない御意見をお述べくださいますようお願いいたします。  なお、議事の都合上、まず御意見をお一人約十五分程度で順次お述べいただき、その後委員からの質疑にお答えをお願いいたしたいと思いますので、以上お含みの上よろしくお願いいたします。  それでは順次御意見をお述べいただきます。  まず守田俊郎君からお願いいたします。
  3. 守田俊郎

    守田参考人 このたび国立劇場がいよいよ設立されることになりまして、これもひとえに皆さんの御尽力によるものとまず厚くお礼を申し上げます。  最近、ジャーナリズムの上でも国立劇場設立についていろいろと取りざたされておるようでございますが、歌舞伎演劇というのは今回まで約三百年の伝統を持ち、過去においては各興行者がたくさんございましたが、現在松竹東宝だけになってございますけれども、おもにやっておる松竹でも大谷さんが九十歳のあの高齢に達するまで一生をこれにつぎ込んでやりながら、かつ今日いろいろ批判の的に立っているのでございます。国立劇場がこれから出発しようとする前に、すでにいろいろのまだ仕事をしないうちから批判が巷間行なわれておるようでございますけれども、私たちとして望みたいことは、国立劇場というものが日本に生まれるべくして約七十年たってようやくできた、その生まれる前から、いまから批判が集中されておるということは、それだけ国民の関心が深いことでもございましょうけれども演劇というものは一朝一夕にしてできるものでないということ、それから大ぜいの人間が長年かかってやってきたことなんでございますので、できないうちからとやかく批判をするというのは、どうも日本人の悪いくせではないかと存じます。同時に、もしできた暁でも、この国立劇場が出発いたしましても、一年や二年で成果があがるものと御期待をいただいたらたいへん困るのではないかと思うのであります。私たち歌舞伎俳優一同国立劇場ができることをたいへん喜んではおりますが、われわれが生きている世代にこれがりっぱに成果をおさめるとは思っておりません。と申しますのが、今日まで長い間日本歌舞伎というものは伝統につちかわれてきましたのが、いま世の中はヨーロッパ文化アメリカ文化に災いされておるといいますか、今日ここにお見えの方で和服を着ておる方はお一人もおいでになりません。われわれ歌舞伎俳優の中で、私はいつも言うのでございますが、洋食の食い方を知っているかと聞きますと、今日の若い俳優は全部、デーブルマナーくらい知っておるといっておこるのであります。日本食の食い方を知っているかというと、返事をしない。これは皆さんの御家庭でもそうだろうと思います。若い人は自分の国の持っているものをちっとも大事にしない。日本食の食い方を知っているかといわれたときに、左の手に茶わんを持ち、右の手にはしを持つことは知っているのでありますが、日本食を食べるマナーは知らない。私の家の孫なんかも食事の最中にそういうことをしてはいけない、日本のお食事をするときはこういうお行儀があるのですよといいますと、うるさいな、おじいちゃんはめしくらい自由に食わしてくれという。これはお行儀だというと聞かないのですけれども日本食にもマナーがあるというと、聞くのです。英語に弱い国民なんでございます。そういうようなぐあいに日常生活の中から私たち歌舞伎の持っておる伝統の部分というものは常にむしばまれていく。歌舞伎とか演劇とかいうものは、見物のいないところに成り立たないのでございます。かつて大阪には道頓堀に五座のやぐらというのがございまして、劇場が五軒並んでいたのでございますが、立地条件変化、それから交通事情変化等から、大阪に現在歌舞伎劇をやっている劇場は一軒もなくなってしまいました。もう一つ皆さんに御記憶にとどめていただきたいことは、日本の持つ文楽の人形浄瑠璃の芝居というものは、世界に誇るべき芸術なんでございますけれども、これが常打ちができなくなったのでございます。お客さまが来ないからです。そうして今日ではNHKと大阪府と大阪市の補助金をもらって文楽協会というものができましたのですけれども、そういうぐあいに補助金を出してみんなが食っていけるようになったからいいというものではないのであります。見に来なければだめなんです。ところが、一方、大阪ではフェスティバルホールというりっぱな建築物をこしらえまして、外国から有名な芸術家を呼ぶ、ことに大阪の財界の方々たちが尽力して、外国芸術家を呼んでその切符を自分たちが骨を折って売ってやる。それだけの金を出すのなら、外国のすぐれた芸術家外国から呼ばなくても、外国へ見に行けばあるのです。日本文楽大阪にしかないのです。その文楽さえも立ちいかないような状態にしたのはだれがしたのかというと、われわれ国民全部がしたのです。法隆寺の壁画を焼いたのは私たち世代国民が焼いたのです、一人の犯人が焼いたのではない。お互いさまの共同責任でございます。金閣寺を焼いたのも同じでございます。歌舞伎を滅ぼすのも滅ぼさないのもこの世代に生まれた私たち共同責任だと思います。自分歌舞伎役者でこういうことを申し上げるのはいささか僭越かとも存じますけれども、しかし、国立劇場ができたから安心だという考えは決して持てないのであります。ただ、国立劇場をつくってくださって、この次の時代人たちをつくることによって、私たちは安心して死ねるということなんです。ですから皆さまのお力をかりて私たちはりっぱな日本の国劇である歌舞伎というものを将来に残すために、皆さんと御一緒にこれから努力しようと覚悟をきわめております。われわれ俳優国立劇場ができたから、そこへ入って、そこで安穏に暮らそうなどというような安易な考えは毛頭持っておりません。これから新しくいばらの道が開けるのだと信じております。  どうか皆さま方日本の古い文化を守るために、これから私たちと御一緒に苦難の道を歩むと同時に、国立劇場を盛り育てて、日本国立劇場昭和四十一年に発足してよかったなというのは、これから五十年先の人が言うことばではないかと思います。どうぞその点、皆さんのお力添えをお願いして、私の話を終わりたいと思います。(拍手
  4. 八田貞義

    八田委員長 次に伊藤圀夫君にお願いいたします。
  5. 伊藤圀夫

    伊藤(圀)参考人 今度やっと国の力で国立劇場ができるというのはたいへんけっこうなことだと思います。また、ただいま守田さんからのお話もありましたように、現在、日本民族伝統芸能というものがたいへん苦しい状態に置かれているという中で、国立劇場の果たす一つ役割りとして、日本伝統芸能保存振興ということを一つ仕事とすることはたいへんけっこうなことだと思っております。しかしながら国立劇場というものの一般的な使命、私ども国立劇場ということについて期待するというものから見ますと、一国の国立劇場というものは、単に伝統的な芸能保存振興ということにあるのではなくて、やはりもっとこの国の演劇の今日及び将来についてのはっきりしたイメージを持っていなければならない。やはり国立劇場というものができます以上は、これが国の演劇政策一つの大事な中心になるのでありますし、それを国として行なっていく上での重要な機関になるわけでありますから、その点でやはりもっと国立劇場使命というものを、単に伝統芸能保存振興ということに限らずに、広く一般に今日行なわれている日本現代芸能、そういうものについての視野を持ってほしい。  ここで、この法案目的として掲げられていることは、ほとんど伝統芸能保存、普及ということに尽きております。しかし当然国立劇場であるからには、今日現在の日本で、今日の日本の現実あるいは今日の日本人生活、思想、感情の表現を目ざしている日本現代芸能というものにもつと考えを持っていただかなければいけないというふうに考えます。この国立劇場をつくるについての準備の過程では、その準備協議会には単に伝統芸能方々だけでなくて、今日現代芸能に携わっている者が、たとえば大ざっぱに言って現代劇をやっておる人間あるいは新劇という方面で働いている人間、さらに歌劇とかバレエとか現代舞踊とか、そういう方面に働いている人たちもそれに参画いたしまして、ここにあります国立劇場設立経過の概要の中にもありますように、最初準備委員会で答申いたしました案には、単に伝統芸能のための劇場を建てるのではなくて、現代芸能のための劇場も同時に建てるということが載っております。それは準備委員会全体の意見、つまり伝統芸能に携わっておられる方々をも含めて、今日日本でつくらるべき国立劇場の姿はこういうものでなくてはならないということについての一致した意見でございまして、その意味でたしか伝統芸能のための劇場現代芸能のための劇場、それから能楽のための劇場、さらに伝統芸能のための小劇場というものを建てることを答申いたしたのであります。しかしそれがいろいろ予算上の関係とかあるいは現在行なわれている建築法規などの関係から、同時に四つの劇場を建てることは不可能だというような見通しがございましたものですから、その次の案といたしましては、伝統芸能のための劇場一つ現代芸能のための劇場一つという案を出しました。これもやはり建築法規その他の都合上、いま予定されている場所にそういう二つの劇場を盛り込むことは不可能だという、主として経済的なあるいは建築法上のことで一つ劇場にしぼられたわけでございます。それで私ども現代芸能に携わっておる者も、予算がないのならやむを得ない、目下何が緊急を要するかという点でいえば、まず伝統芸能のための劇場を建てるのが至当ではないだろうかということで、まず伝統芸能のための劇場を建てることに賛成いたしたわけでございますが、それはまずさしずめつくるべき建物伝統芸能のための建物であるということでございまして、国立劇場というもののイメージが単に伝統芸能保存振興ということに尽きるものではない、国立劇場という名で一つの法人の機関ができ、あるいはそのための法律ができるのならば、その全体的なイメージは、あくまで日本のこれからの演劇をどうしていくか、国民演劇といいますか、国民芸能の創造とか振興とか、そういうことの大きなイメージの中でこの仕事が進められなければならないという根本的な考え方は変わっていないわけであります。  ところが、この法案はあくまでも文化財保護ということを中心にして進められておりまして、かりに今度つくられる劇場国立古典劇場であるとか、国立伝統芸能劇場であるとか、あるいは文化財保護委員会のための伝統演劇博物館であるとか、そういうようなものであれば、この法案で規定されておるような目的あるいは業務、そういうもので十分であろうと思いますけれども、国が一つ国立劇場というものをつくるのであれば、もう少し大きな観点から目的及び事業をきめてかからなければ、何か一つのワクができてしまって、国立劇場というものが、古いものを保存し、普及していけばいいというふうになってしまっては、今日現代芸能に携わっている者としてはたいへん困るというふうに考えるわけでございます。もちろん先ほど三津五郎さんからのお話がございましたように、また、現代芸能に携わっておる者にとりましても、伝統芸能保存振興ということはたいへん重大なものでございます。新しいものをつくっていく上に、過去のすぐれた文化遺産を受け継がなければならないことは当然のことでございますので、いまつくられている劇場、またそれが主として伝統芸能のために使われるということについて、私どもは何らの異議を持つものではございませんけれども、何か国立劇場法案というものをつくるのに、その使命伝統芸能保存振興ということに限られてしまっては問題が非常に狭くなって、あとではたいへん仕事がやりにくくなる。私どもの期待するのは、もし国の力が許す限りすぐさま現代芸能のための国立劇場建物がつくられることが最も望ましいのでありまして、国立劇場というものはまたそういうものをつくっていく上の母体にもならなければならないのだと思います。  今度できます劇場の利用ということにつきましても、この法案によりますと、ただただ伝統芸能のために使う。わずかにここでは現代芸能というものは、そういう仕事をやっていく上に余った期間に小屋貸しをする、小屋貸しの対象にしかなっておりません。国立劇場というものを運営していく上の経費を、極端に言いますと、あげていくために現代芸能にも小屋貸しとして貸してもいいということにしかなっておりません。しかも、それは伝統芸能をやっていくのに支障がない限りとかそういうようなただし書きがたいへんついておりまして、私どもがまず先に伝統芸能劇場を建てることに賛成いたしましたのは、さきも申し上げたとおり、伝統芸能保存維持ということが急務であるからでもあり、それからどうせ劇場を建てます以上、中途半ぱなものをつくってもらいたくない。ある方面では古典芸能にも使え、現代芸能にも使えるような劇場というような話もあったわけでございますけれども劇場というものは一度建ててしまいますと長く残るものでございますので、中途はんぱなものをつくるのよりは完全な伝統芸能のための劇場をつくる。しかし建物でございますから、現代芸能に使えないというものでもございません。ですからもっと現代芸能振興ということも考えに合わせてこの劇場を使っていく、できたものは使っていく。現代芸能専門劇場が建つまではやはり古典芸能を主としながら現代芸能のためにも使っていくというふうにぜひしてほしいと思うわけであります。  もう時間ですのでこれで、終わります。
  6. 八田貞義

    八田委員長 次に、伊藤熹朔君にお願いいたします。
  7. 伊藤熹朔

    伊藤(熹)参考人 私は、この国立劇場が建つにつきまして、劇場建設について初めからいろいろお手伝いを申し上げておるのでございますが、歌舞伎劇をやるのだから、不自由か——不自由というわけでもないですが、昔のような劇場をつくればいいということはないわけでございます。昔は間口も狭いし、すべていろいろな機構がなかったので、非常に簡単なものでございました。そういうものをいまつくれば費用もかからないし、歌舞伎だけやるのならそれでもできるかもわからないのですが、やはり現代に建つ劇場でございますから、もっと新しい機構をできるだけ使って——そういうことが必ずしも古典を悪くするということではないので、かえって、具体的にいえば、幕合いが短くなったり、いろいろないい点があるわけなんで、それでできるだけ歌舞伎劇ができるように、もちろん全完にできるように考えながら、いろいろまたほかの芸能にも使えるように考えてやったわけでございます。いま非常に古典芸能ということを言っておりますけれども、いまの劇場というものは、明治時代に大体欧風劇場をまねて、それに歌舞伎劇ができるようないろいろの設施をつけたものでございます。回り舞台だとか花道だとかそういう歌舞伎独特の機構もございますが、大体において欧風劇場のまねでございます。それで現在でもいろいろな現代劇もそういう劇場でやっておるのでございますから、それよりももっと機構のいい、すぐれた劇場でございますから、その劇場でほかの現代劇その他ができないわけはないのでございます。  で、もちろんそういうふうにいろいろ小屋貸しというようなことで書いてございますが、一番問題なのは、その小屋貸しというものは非常に高い金で貸す。ほとんど独立採算制考えなければなりませんから、一応採算のとれる額でそれを貸す。それはなかなか、四十万円だか六十万円だか忘れましたが、一日相当の額で、これはちょっといまの普通の一般の良心的な劇団が払える額ではございません。それですから、私はそれもけっこうだから、そういうところに国庫の補助があって非常に安くそれを貸す、何かそういうことを考えていただくようにしたいと思うのでございます。ただ独立採算制から損のいかない小屋貸しをしているのなら松竹東宝や何かと変わりはないので、そこで安く芝居ができるということになれば、そこに初めて国立劇場としての意義も非常に出てくるのじゃないか。そういうことでこの現代劇のほうにももうちょっと何かうまく、門戸を開いていくような形を持っていったらどうかと思います。  それから古典歌舞伎といいますけれども、非常にむずかしい。いまほんとうにわかる人はほとんどいない。現在やっておるものも大体明治歌舞伎でございます。まあ大体明治歌舞伎がその形になってくるんじゃないかと思うのです。幾ら古典といってもそう古いものはだれも知っていないし、ことに私の専門のほうの大道具、小道具とか衣装だとかいうふうなものにつきましては、これはみんな明治時代にほとんどできたものだといってもいいんです。部分的にはいろいろ古いものもございますけれども、何しろ間口が初めは六間ぐらいだったのが、いまは十何間というふうに広がっておるんですから、どうしてもそうならざるを得ない。それからそんなわけで、まあなかなか純粋のものがわかってこない。そのためにまずこれが古典歌舞伎であるとか古典であると言えるだけの十分なそういうものをつくっていかなければならない。研究していかなければいけない。私はそれには十分なけいこというようなものが必要でございますし、そういうものをいつからあけるというようなことをきめるよりは、はっきりそういう準備ができたときにやるというような形でもっていくほうがいいんじゃないかというような気がいたします。  まあこのくらいで一応おきまして……。(拍手
  8. 八田貞義

    八田委員長 次に、花島鶴夫君にお願いいたします。
  9. 花島鶴夫

    花島参考人 伝統芸能に関しましては、法案を拝見しましたところ、何も、一言も文句をさしはさむことのできないようなりっぱな法案だと思います。それにきょうのこの集まりも、はたして私どもの、参考人の言っておりますことが国立劇場に反映するかどうか。何かもうすでにちょっと手おくれなんじゃないかというように思われるところもあるのですけれども、私もここへ出席を命ぜられました以上は、可能だと思われますことで発言をさせていただきます。  国立劇場は、法案の第一条に、「わが国古来伝統的な芸能の公開、伝承者の養成、調査研究等を行ない、その保存及び振興を図り、もって文化の向上に寄与することを目的とする。」ということが書いてございます。つまり伝統芸能ということばを使われておりますのですけれども、この伝統芸能伝統ということばが非常にあいまいにあるいは誤られていま使われているのではないか、考えられているのではないか。どうして、今日ほど伝統芸能というものが衰弱し、つまらないものになったか。これは何か文部大臣の文章の中にも、伝統保存のための諸条件は近時急速に悪化し、この貴重な文化遺産が、内容的にも次第に正しい姿を失いつつある。——実際正しい姿を失いつつあります。日に日に色あせております。それはどういうわけかと思って考えてみましたら、いろいろ理由もございますけれども、私はこの伝統芸能伝統ということばを誤って考えていることからだと思います。戦後日本戦争に負けましたために、いままでの日本のいろいろのことというものは全部何かだめみたいに言われてしまいましたけれども、その中の大きな一つ伝統がございます。伝統ということばを非常に悪く解釈いたしまして、意地悪く解釈いたしまして、悪い解釈をいたしまして、つまり何かいけないもの、古くさいもの、何かコケむしたもの、それから何かカビのはえているもの、それから何かもっとひどいものは、戦争に負けた理由なんかも伝統に結びつけたりなんかまでされております。つまり伝統ということは、非常に惨たんたる目に会った、これが大きな間違いじゃないかと思います。  実例を申し上げますと、たとえば歌舞伎で申しますと、みえを切ります。みえというのは御承知のように何か劇の進行上に演技を一度中止いたしまして、つまり精神の一番高揚をしたときに演技を中断して、そこでいわゆるみえを切るみえですが、そこで非常に誇張的な動きを示します。それをみえというのですけれども、こういうみえみたいなものでさえ、いまは私ども見ておりますと、何か気持ちよくこういうみえを切っていいんだなという、そういうみえじゃなくて、何だか疑いを持ったみえになっています。つまり何かほんとうは十やらなければならないみえを七つでとめたり六つでとめたり五つ以下にまでしています。羽子板の例で私一番驚いたのですけれども——妙な例をあげますけれども、一番いい例なんで申し上げますけれども、羽子板の押し絵というものが非常にやはりつまらなくなった。どうしてつまらなくなったかと思ってよく吟味してみますと、つまり誇張がなくなっているのです。押し絵の誇張が、つまり浮き世絵な誇張というものがなくなっている。歌舞伎の持っている誇張というものがなくなっている。つまりあのみえの誇張がなくなっている。つまり一つのかさならかさを持つ手つきも非常に誇張された手つきになっています。何か説明がしにくいのでこういうときですから非常にぐあいが悪いので手つきでごらん願いますと、われわれかさを持ちますときは普通こう持ちます。それでは歌舞伎の持ち方にならない。少なくとも羽子板の押し絵の持ち方ではない。羽子板のわれわれのおもしろかったところというのは、こういう持ち方、こういう手つきをしています。三津五郎さんにやっていただくのが一番いいのですが、——ああいう誇張した——絵ですからもっと誇張しています。こういうところでも、こういう感じにこういうかっこうでかさを持っています。手つきがそれなんです。したがって、たとえば顔の表情というものもそれと同じような非常に誇張された表情をしております。それだからおもしろい。そこにこそ何か古いものの、少なくとも歌舞伎の値打ちがあるのじゃないかと思うのですけれども、そのみえを切る場合にも、このごろの歌舞伎の役者さんというものは非常に、何か十やるものを十やってはいけないのじゃないかというような疑りを持っています。歌舞伎のけいこがそうです。たまにけいこを見ますと、舞台げいこのときにはやや大きな声を出しますけれども、普通のけいこの場合にほんとうの声を出している役者さんはおりません。ほんとうの動きをしておりません。段取りばかりつけているわけです。ここのところでおまえはこうなるからおれはこういくよ、ここのところでぼくはこういくからこうだよ、ただ普通の小さな声で、中音でやっています。舞台げいこではやや声を出しますけれども、これもほんとうの声じゃない。そして幕のあいたときに、初日に初めてほんとうの声を出すわけです。それでは何のためにけいこになるか。やはりそのための役の発声のけいこというものも、初日のあく前にちゃんとその声ができていなければならないはずなのに、初日に初めて幕があいたときにほんとうの声を出したりほんとうの動きをするのです。それではわれわれを感動させるものはできない。たとえば、そのけいこを本物の声でもってやるということが、くさい役者だとか、何だ、いなか役者じゃないか、おれたち東京の役者はそんなことはしないんだぞという妙なものがあるのです。こういうものがまたじゃましております。  また、たとえば三味線で申しますと、三味線の音を五つ——つまり手数といいますけれども、ちんちんとかとんとんとかいうのですが、五つなら五つ三味線の音を鳴らす、そういう曲になっているものを、いま五つちゃんとひくとくさいと言われるのです。これが実におかしい。五つひいていると、何だ、昔のとおりやっているじゃないか。それは町のお師匠さんか何かだと、ほんとうにお師匠さんの昔から教わったとおりにやるのですけれども、そういう芸というものはまことに何だか古くさい、つまらないものだという風潮が芸能社会にあるのです。ですから手数をだんだん減らして、五つ、そこでちゃんとひくべきところを三つに手数を減らす。たとえば踊りもそうなんです。日本の舞踊がそうなんです。これはやはり三津五郎さんに月なら月というものをさすときの手つきをどういうふうにやるのか、見せてもらったほうがわかりいいと思うのですが、ちょっと見せてください。(演技)それでいいのですか。(守田参考人「こういうぐあいに持ってくる場合とか、役によってこっちから持ってくる場合とか、それは役の性格によってみんな違ってきます。」と呼ぶ)つまり月なら月というものがここにあるんだぞということを示すときに、この手を前に何か動かして、そして、なぜ動かしているのかということを見せておいて、こうやるから月になる。そういうことをいま踊りの世界ではとてもいやがる。そういうことを正しくやると、やはりくさいと言われる。つまり何でもなく(演技)私はうまくまねできないのですけれども、あまりそうやらないでいて、何だか空気で、ムードで踊っている踊りが非常に芸術的な踊りだといわれているのです。こういう誤まられた風潮が実に古い伝統芸能の芸の世界にある。これはいろいろの理由もありましょうけれども、とにかく何かほんとうは——つまりそういうちゃんとしたみえを切ったり、それからそういうちゃんとした動きをするということのほうが実はむずかしい。そのことのほうがむずかしいからだんだんやれなくなる。それには非常な修練が要るし、非常な、つまり腕が要るのです。うまくない、ぼくみたいな者がたとえばこういうことをやったら、実に異様なものになるわけです。しかし考えてみると、歌舞伎だの、あるいは能楽もそうですし、それから何か国立劇場法案の中にいろいろ付記されております伝統芸能といわれている日本のそういう古い芸能というものは、実に異様なものです。実に珍奇なものです。今日のわれわれとは考え方も違いますし、何から何までが違っている。それだからこそつまり伝統芸能が誇張なものだと私は思う。ところが、何か伝統ということばはそういうふうに非常に誤まって、いけないものだというふうに考えているところに、今日の伝統芸能をやっている人たちの何か劣等感といいますか、不安感といいますか、確信のない、自信のない何か仕事になっているのではないかと思うのです。  これも私の曲なんですが、去年芸術祭で常磐津と清元をつくれとNHKにいわれまして、私つくりました。古めかしいものをつくったのです。明治時代の狂言作者というばかにされた人たちが書けばこんなものを書くかと思うようなものをわざと書いたのです、芸術祭というものが何か非常に新しい珍奇なものばかりをねらいますので。そうしたらNHKがその常磐津と清元をやってくれる人たちに私を会わしてくれたのです。そうするとこんこちになっているのです。常磐津の太夫さんも清元の三味線ひきさんも非常にこんこちになっている。つまり芸術祭で自分たちがやるんだということのために非常にかたくなっている。それから私は、早速これをほぐさなければならないと思いましたので、私の書きましたものはたいへん古いものでございます、どうか常磐津さんはお師匠さんから習ったとおりの常磐津で語っていただきたい、それから清元の方もどうか師匠から習ったとおりの清元でやっていただきたい、そうして私のようなへたな者が新しく書いたものが、昔からある清元であり、常磐津であるかのように、つまりごまかしてそういう古めかしいものにつくっていただきたいということを申し上げたのです。そうしますと、その常磐津の師匠が——これはぼくはほんとうに感動したのですけれども、その常磐津の師匠のそういうかたくなっていた顔がみんなゆるみまして、そして私が特にその方に語ってもらいたいといって、その方を名指しで選んだのですけれども、その一番古風ないわゆるお師匠さんといわれるような常磐津の太夫さんが、突然たいへんな喜びをあらわしまして、常磐津でやってよろしいんですかとぼくに言ったのです。私は常磐津と清元のかけ合いを書いているのです。それなのに、常磐津をやっていいのですかと言って、それを言われたためにその太夫さんが非常に喜んだ。ほんとうに感動したのです。それを見て私はちょっとひどいと思った。つまりそういう無邪気な常磐津のお師匠さん、常磐津をほんとうに師匠に教わったとおりに覚え、学んできた人が自分仕事に疑いを持っている。ですから芸術祭なんかに出てくるいろいろのわれわれの書く新作なんというものが、常磐津とか清元とか長うたとかいっておりますが、何が何だか実はわからない。ラジオで聞いておりまして、これが常磐津か清元かわからない。新作の踊りなんかもみなそうなんです。われわれの書くものはそうなんです。何だか異様な、わけのわからない日本音楽、三味線音楽なんです。常磐津が常磐津でないのです。清元が清元でないのです。これはひどいことです。  国立劇場目的は私はここではないかと思うのです。常磐津は常磐津なんだ。歌舞伎歌舞伎なんだ。文楽文楽なんだ。それのほんとうの真骨頂をそこの国立劇場の舞台で上演していただくことが一番大事なことだと思うのです。つまりそういう劣等感というか疑ぐり深いというか——何かたいへん疑ぐり深くなっておずおずしていまして、それで笑い顔だけ浮かべているのが伝統芸能の現状なんです。これではだめなんです。ですから、国立劇場で上演されるものというのは、私はうまいということはもう望みません。芸の世界でうまいことを望まないのはまことにおかしいのですけれども、いまは望みません。そうじゃなくて、正しい歌舞伎が出ていかなければいけない。正しい文楽が出ていかなければだめだと思うのです。法案の面では私は一言も申し上げることはございませんけれども法律を動かすものは人間でございます。この国立劇場を動かす人が伝統芸能というものに対してそういう正しい考え方を持って臨んでいただきたいと思います。それぞれの国の伝統のある古い芸術というものが正しく伝承されなければ、新しいものは生まれてまいりません。これはもう鉄則みたいなものです。伝統というものが何か遺跡のようにこり固まった古いもので、何だかばばっちいものと思われているかもしれませんけれども伝統というものは決してそういうものではなかろうと思います。伝統というものは動き、流れ、躍動しているものです。それはその伝統を伝えなければならないとかなんとかいうのじゃなくて、それがいいためにおのずから伝わってきたものなんです。それを伝える人の、そのときに生さている人間の精神というものがその中に加味される、加えられるからこそ、また伝統がみがかれるのではなかろうかと思います。そしてその伝統を古いままで渡すのじゃなくて、そのものに、今日の人間がやるのですから、今日の精神が加わらないわけがないのですから、今日の正しい継承のしかたをして——これにはたいへんな苦労が要りますけれども、正しい、まともな継承をして、そうしてそれに新しい精神でみがきをかけて次の時代へ渡すということが、伝統芸能を継承する人たちの責任ではなかろうかと思います。  たいへん口幅ったいことを申しましたけれども、私のほんとうの実感でございますので、国立劇場参考人として一言申し上げます。(拍手
  10. 八田貞義

    八田委員長 この際、参考人方々に補足される点がありましたならば、お述べください。
  11. 守田俊郎

    守田参考人 いま安藤さんが月をさせとおっしゃったのですが、今月ちょうど歌舞伎座で星を見るみえをしておりますから、ここでやると少ししろうとくさいのですけれども、御参考までに純粋のオーソドックスの歌舞伎——私が酒を飲もうと思うとき星が出てきてそれを見る動作なんです。普通でしたら、星を見る、皆さんごらんになるだけでございます。歌舞伎ですと、杯に映ったのを、こうやるのです。(演技)こんなことは気違いでなければやらないですけれども歌舞伎というものは大体こういうものです。  もう一つ言わしていただきますが、国立劇場ができましたら、皆さん自分たちでおつくりになった劇場なんですから、どうかぜひ芝居を見ていただきたいのであります。日本文化人と称する方が歌舞伎を見てくださらないので、非常に恥ずかしく思っております。この間アメリカに行きました上智大学のオルポラニという人が日本のある実業家に会ったときに、今月の歌舞伎見ましたかと言ったら、いや見ない、先月見ましたかと言ったら、いや見ない、去年から忙しいので芝居なんか見に行ったことはない、とおっしゃっている。びっくりして、あなたは近松門左衛門をどう思いますか、おれはそんなものは知らぬ、とおっしゃいました。彼に言わせると、ソビエト人に、チエホフ知っているか、トルストイ知っているかと言えばおこるし、フランス人にモリエール知っているかと言ったらおこるだろう、と彼が言ったら、そこにいたアメリカ人が、日本人だって、シエクスピア知っているかと言えば、すぐ知っていると言う。日本人ってそういう国民だよ、こう言われました。さっきお話ししたフェスティバル・ホールまでおつくりになって外国芸術家を呼ぶこともけっこうですが、その十分の一の金と十分の一の努力で文楽座を見てくだされば文楽はつぶれないで済むだろう。どうか皆さん方も自分の国の古い文化を大事になさって、私たちのつたない演技ではございますけれども、これは先祖から伝えられた遺産でございます。国立劇場ができたら、自分たちのものだから、せいぜいかわいがっていただく。意地の悪いことを言わずにまずかわいがっていただけば、自分のうちの犬だと思えばかわいくなる、よそのうちの犬だと思えば憎らしくなる。自分の国の演劇をどうかかわいがっていただくことをお願いいたします。
  12. 八田貞義

    八田委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  13. 八田貞義

    八田委員長 次に質疑を行ないます。通告がありますので、これを許します。落合寛茂君。
  14. 落合寛茂

    ○落合委員 本日は演技までやっていただきましてまことにありがたいわけであります。つきましては二、三御意見を伺いたいことがありますので、各参考人にお願いいたします次第であります。  最初に守田さんに御意見を伺いたいのですが、言うまでもなく演劇に一番大切なのは、そこに守田さんのような名優が存在することでありまして、そういうことを考えますと、国立劇場がりっぱにできまして、そこに出演される方々、もちろん名優の方がたくさんおいでになるのでありますが、将来のことを考えてみますと、先ほども守田さんのおことばの中に、自分の生きている間に成果を得られるとは思えない、次の時代のためにするのであって、いわば安心して死ねる程度の国立劇場の創立というものが問題じゃないかというふうな含みのあるお話があったのであります。そこで、国立と銘打つからには、どうしても次の時代俳優の養成が私は必要であると思いますが、これに対しまして実際にその面に当たっておいでになる守田さんから、俳優養成のいろいろのお考えが日常おありだろうと思いますので、その点をひとつお伺いしたいのであります。
  15. 守田俊郎

    守田参考人 いまお話のありました次の時代の養成ということは、私は日夜心がけて現在やっております。歌舞技保存会におきまして第一回の試演会をやりました。これはめいめいお互いに分担いたしましてやりましたのでございますが、一番必要なことは、私たちのいま舞台でする演技がどこから生まれてきたことで、これは何であるかということから教えませんと、いまの人はだめなんです。ただ昔からこうやっているからこうやっているのだという教え方ではだめなんで、現在歌舞伎保存会の会員には、私、自費でパンフレットみたいなものをつくりまして——たとえば皆さん日常お使いになっていらっしゃる正午とか午前とか午後とかいうことば、これは実は徳川時代の正、午の刻が正午といういまのことばになっている。私たちが今日たいへんハイカラなことばのように使っている正午とか午前とか午後とかいうのは、実は午の刻以前が午前で、午の刻以後が午後であります。それから時の観念と申しますか、時の数え方などというものも、みないまの若い人たちは存じません。御年配の議員諸公は御存じでしょうが、おまえ待ち待ちかやの外、蚊に食われ、七つの鐘が鳴るまでも、という昔からのうたがありますが、その七つの鐘が何時であるかということを、現にいま若い俳優に聞いても存じません。七つの鐘というのは午前四時でございます。そういうことからして教育しなければならない。私たちは日夜そういうことから教育をいたしております。たとえばお芝居をごらんになっても、暮れ六つというと、舞台の役者が急にあわて出す芝居があります。あれとても、暮れ六つになりますと、江戸市中の見付の門が全部締まったんです。ですから麹町に用のある人も、四谷から暮れ六つ以後はもう行くことができないんです。それで演劇の中で、暮れ六つになると舞台で役者がそわそわし出す。あの暮れ六つということもどういうことから起きたのかということを知っている役者は、今日だんだん少なくなっている。そういうようなことからいま教えなければならない。ですから、そういうことに日夜専心して次の世代の人を仕込むことをやっております。たとえば舞台で返るトンボ返りなどというものも、これは若いときのけいこのしかたが悪いと、一生涯かたわになってしまう。これはいい指導者がついて一緒にけいこしなければいけないので、これも日々やっております。これは私たちの当然しなければならない責任でもあり、義務でもあります。これは日夜繰り返して、楽屋の中で冗談半分に、おまえ午前とか、午後とか、正午とかいうことばはどういうことか知っているかということを言いながら教育いたしております。
  16. 落合寛茂

    ○落合委員 そういう行き方で養成されるのもたいへんけっこうだと思うのでありますが、何か組織的な俳優学校といふうなものをこしらえて、その費用は、外国にもそういう例があるようでありますが、国家からのいろいろ補助でそれに充てて、組織的な俳優学校というふうなものを御計画なさるお考えはないですか。
  17. 守田俊郎

    守田参考人 これは国立劇場ができました暁にはぜひやっていただかなければならない。というのは、俳優というのは、中年になってから仕込んだのではだめなんです。現在私のところの孫なども六つのうちから舞台に出しておりますけれども、今日の学校教育と非常に矛盾が起きます。学校のほうでは、学校を休むと困るから芝居に出ちゃ困ると言うし、私たちの家としては舞台に出さなければならないというので、どこのうちでもそれで非常に苦労しております。国立劇場がでました暁には、国立劇場の付属の俳優学校で、小学校から中学校、高等学校と順序を追って俳優の子弟がそこで教育されるようになることを望むこと、もう非常に切なるものがございます。
  18. 落合寛茂

    ○落合委員 次に千田さんにお伺いしたいのですが、実は前三、四回の委員会で問題になりました、その問題に、きょうちょうど千田さんの御意見がぴったり合うんでありますが、この委員会でいろいろな問題が起きました中で、新劇の取り扱い方に対する問題が、やはり一番中心になったようでありますが、先ほどのお話によりますと、ちょうどその議論に符合するような御意見なんでありますが、国立劇場伝統芸能のみに利用されて、ただ小屋のあいたときにそれを利用することを許されると申しますか、利用すると申しますか、その程度にしか、新劇に対しては国立劇場というものが何を持っていない、こういうふうに考えられます。と言って、それならば非常に観客等の多い新劇関係者の皆さんが、その間におきましてただ手をこまねいて、国立劇場はああいう趣旨のもとにできたのであるからやむを得ないといって、それに対して別に積極的な運動とかその他いろいろな行動を起こさずに、そのままお過ごしになるお考えですか。何かお考えがあれば伺っておきたいと思います。
  19. 伊藤圀夫

    伊藤(圀)参考人 国立劇場目的及び業務というものがこういう形でまとまるということは、うかつな話でありますが、今度ここに参考人として伺いますについて、この法案を送っていただいて初めて知ったようなわけで、実はこのような参考人はまだ続いて現代芸能の各界から呼ばれるのではないかと思ってここに参りましたら、何か参考人に聞かれるのはきょうだけらしくて、しかもその中で私が現代芸能を代表しているようなことでありますと、たいへん責任を感ずるわけでありますが、とにかく最初の準備協議会の段階においては、その協議会全体の意向として、先ほど申し上げたように国立劇場が単に伝統芸能保存振興ということでなくて、演劇全体に向けられたものであるということはきまっておったように私は記憶いたしております。それがだんだん進行しまして、こういう法律ができるときになりまして、いつの間にか文化財保護だけの観点にすりかえられてしまっているということは、たいへんふしぎなことでございまして、これを現代芸能に携わっておる者が聞きましたら、たいへんびっくりすることであろうと思います。このごろ新劇もちょっとおとなになりまして、せっかく進行しておるものをじゃましたり騒ぎ立てるようなことは別にしなくてもいいのでありますけれども、ただ法案としてきめる以上、ここの項目はぜひ変えていただきたい。つまり目的及び業務に関する限りはもう少し広い観点で、いま、できている劇場は特殊な使命を持っているのですから、そのために有効可能な限り現代芸能に開放するというようなことが、初めからきめられていないと、たとえば小屋を貸す条件といたしまして、すでに上演歴があって、しかも何かでき上がって、いいものなら許可するというようなことがございます。こうなりますと、現代劇などというものは、なかなかすぐいいものができるとは限らない。いいものをつくるために努力しているもので、これは古典芸能保存というようなことについても、先ほど安藤さんのお話がありましたように、いきなり何かでき上がって、いいものなら上演するというのは、何か国のほうはつくるということに対して責任を持たない。ただいいものができたら何か陳列してやる。そういうのではちょっと困る。そういうような項目もこれはぜひ取り除いていただかなければ困るのではないかというふうに考えます。  とにかく生きたものでありますし、ほかの文化財のように形として残っているものでなくて、古いものでも、いまつくっていかなければならない、創造していかなければ、古いものも残らないようなものでございますから、そういうような項目は、あまりインチキなものが国立劇場を借りにきても貸さないわけにはいかないのでは困るというふうな考慮から、あるいはできているとおっしゃるかもわからないのでありますけれども、そのために何かまじめな、芸術家として相当長い経歴を持っておる人が、ひとつ新しいものをつくってみようというとき、それはまたいわゆる商業演劇その他の世界ではなかなかできませんし、また芸術家が自費を投じて持つということも困難なことでございますから、そういうものの場というものを提供しなければならないのに、あの項目は非常に何か問題を投げかけるのではないかというふうに思いますが、とにかく私ども古典芸能の大事なことも十分考えまして、国の力——国の力というのは、私はもっと大きいと期待するのでございますけれども、いま建たないというのを騒ぎ立てたってどうしようもないという気もするわけでございますけれども、ただ法案とか、これから残っていくあとの活動の規定については、目的、業務というようなことは、もっと広く全体的な視野から御検討いただきたいと思うわけでございます。
  20. 落合寛茂

    ○落合委員 ただいまの御意見は、たいへん私ども賛成する御意見でございまして、新劇及びその他新しい意味を持つ芸能に対する観客層の数というのは何億という億単位になって、年々たいへんな数なんでありまして、そういうことを考えていくと、もっと新劇の取り扱い方が深く考えられて処置されていいと私個人としても思うのであります。どうかひとつ勇敢に、新劇で何かそういう運動を起こされて、国立劇場の新劇方面に対する進撃をしていただきたいと思うのであります。  次に、ついででございますから、伊藤熹朔さんに御意見をお伺いしたいと思います。  これはあるいは花島先生にしかられる意見かもしれませんが、舞台美術の上からいって、古典——まあ例をとってみますと、勧進帳が上演されると、いつも三蓋松がうしろについておりまして、あれでないと勧進帳でないように見えるのでありますが、あくまで舞台美術というものはああいう伝統にとらわれていかなければいけないものであるか。そうすると舞台美術というものが、どこまでいっても紋切り型になって、舞台美術としての発展がないように考えられるのですが、それに対する御意見はどういうようにお考えですか。
  21. 伊藤熹朔

    伊藤(熹)参考人 古典歌舞伎につきましては、私はなるたけ古いものを求めて研究して、なるたけ古い形でやるべきが正しいんじゃないかと思います。いま行なわれております舞台装置は大体明治年間にできたといってもいいんじゃないかと思います。団十郎などの活歴などで非常に写実を使った欧州からいろいろまた油絵なんかがたくさん入ってきて、一時は歌舞伎までも紫の影をつけるというような、たいへん油絵みたいな舞台をやっていたわけです。明治の中ごろは、みんなそういう形で、新派だか歌舞伎だかわからないようなものでございました。それで、大正の初めに、田中良さんだとかあと二、三人の方で復古運動を始めて、そしていまの調子になったわけでございますが、それが古い歌舞伎の道具と同じかというと、全然違うと思います。これは当時の連中が、日本的というところで浮世絵、広重だとか春信だとか、ああいう人物のバックになっているもの、ああいうようなものを非常に参考にして舞台装置をやったわけでございます。それがいま現在につながっているんだと思います。歌舞伎の道具というものは、非常にプリミティブなもので、荒唐無稽で、そういうところがまた歌舞伎のおもしろさだったと思います。これはいま守田さんがみえを切ったように、星を見るのでも、あれだけ目をひんむいて、いろいろ方々首を曲げてから見るというような、大体そういうことでございますから、舞台装置も大体が昔のちょうちん屋というものが、つまりあれは町の絵かきで、一番安直に劇場なんかに来て絵を書いてくれたので、大体遠見だとかふすまの絵だとかいうものは、そのときそのときちょうちん屋を頼んできてやったものだそうでございます。あと建物とか立ち木なんかの簡単なものは大道具が書いていたそうでございます。ほんとうの絵かきでない——一つのテクニックはありますけれども、三寸ばけとか五寸ばけでたたいて、これはふしぎなものですが、たこの絵のような感じだと思えば問題ないですね。ああいう感じのものだったんですね。ぼくも知らないけれども、いろいろ古い絵などを見て想像すると、どうもそういう形だった。  それで、いま古典歌舞伎をやるといっても、さてどういう道具をつくるかというと、これは非常に問題があると思います。そういう道具が古いといっていまそういうものを研究しても、はっきりしたことはわからない。なお舞台の間口が非常に広くなっておりますので、昔はもう六間くらいの間口でやっていたものが、いま歌舞伎座なんかは十二間くらいの、倍くらいになっておりますが、どうしても水増しになってくるわけです。何かほんとうは必要でないものを場ふさげに一ぱい出さなければ舞台が一ぱいにならないというような、それだけに純粋でないというような感じもいたします。といって、いまの観客が昔の古い時代歌舞伎の道具を見たら、きっとちゃち型だとか、何だか粗末だとか、そういうふうに考えると思います。そこのところのけじめが非常にむずかしいのではないかと思います。それで、劇場を建てるときも舞台の間口というもの、つまり舞台の大きさでございますが、そういうものが非常に問題になりまして、いろいろ議論があったのですが、結局はある程度観客も考えなければならぬので、何間でしたか忘れましたが、歌舞伎ほどは大きくないのですが、中くらいになったわけでございます。  そうすると、これは新しい仕事は何もできないで、古いものをなぞっておればいいのではないか、何も進歩はないのかというと、そういうわけではございません。これはやはり歌舞伎の中でも新作というものがございます。岡本綺堂さんだとか、真山青果先生、ああいう方々の作品、これは自由にわれわれが腕をふるえるものだと思います。ですから、おのずと創作歌舞伎みたいなもの、そういうものまではやれますけれども、あとは結局古いことを調べて、きちんと古風にやったほうがいいと思います。
  22. 落合寛茂

    ○落合委員 ありがとうございました。  最後に安藤先生に伺いますが、先ほど先生のいろいろなお話でたいへん得るところがあったのですが、この国立劇場の人事問題に対する先生の忌憚のない御意見を伺いたいのですが、それは劇場ができますと、百数十人のいろいろな何ができて、一番トップに役員が五人できる。外国の例なんかを見ますと、それを主催して、国立劇場を実際ににぎっていく人には、あるいは純粋な芸能人の中から有為な人を選んでやっている例がたくさんあるのです。ところが日本では、そういうものができますと、たいがいお役人さんがひま仕事のようにポストにつくというのが多いのです。そういうところから、どうも新鮮な何がわいてこない傾向があるのでございます。こういうことに対する先生の総括的な思い切った御意見を伺っておきたいと思います。
  23. 花島鶴夫

    花島参考人 一番初めに私がちょっと、参考人として何か申し上げてみてもタイミングがもうおそいのじゃないか。呼んでいただいた時間が少しおそいのじゃないかということを私申し上げたつもりなのですが、何かもうほとんど、そういう人事はどうなのでございましょうか、きまっているのじゃございませんか。
  24. 落合寛茂

    ○落合委員 そんなことはないです。
  25. 花島鶴夫

    花島参考人 そうですか。私がさっき精神面ばかりを言いましたのは、実はそのことなのです。どうも戦後に御承知のようにこんなにりっぱないろいろな建物ができまして、できたときはもうものすごくりっぱで、とにかく何てりっぱな町になったかと思うのですけれども、何かその建物をしばらく見ている間に、何カ月か見ていると、半歳もたたないうちに、その建物が実にむなしいものになる。実感として私はそうなのです。それは何かというと、建物ばかり幾らりっぱになってもいけないのじゃないか。やっぱりその中にいる人が充実していなければ、そこにふさわしい人がいなければならないと思うのです。特に一番心配しますのは、国立劇場の中の権力、国の権力というもの、政府というものを背に背負ったそういう人事、そういう方の発言、そういう方の考え方というようなものが、日本伝統芸能——私は伝統芸能ことばかり言っておりますけれども伝統芸能で私は呼び出されたのだと思うのですけれども、たとえば文楽でもどういうことにするかということがゆがめられないか。問題は、どんなにりっぱな法律ができても、それを動すのは人間なんで、そのことが一番大事だと思います。たとえば、いま発言してしまいましたので申し上げますが、文楽の場合に私ども考えておりますものは、文楽文楽協会になりまして、様子を聞いておりますと、思いもかけない大ぜいの人が文楽協会で働いておる。それは文楽協会にいろいろな寄付をしたり、文楽協会設立に対していろいろ功のあったような、そういうルートから送られてくる人事がものすごく多かったらしくて、そんなに一体人数が要るのかと思うほどの人数がおります。それはいいのですけれども文楽で働いてお金を取っているのはやっぱり芸能人、タレントだと思います。文楽の中でいうと太夫、三味線、人形使いの三人がほんとうは表で働いて、それがしょっちゅう田本国中を経めぐって興行収入をあげているので、その連中が、まことに変なことを申し上げますけれども、その事務局で働いている人たち自分たちが養っているのだという考えについなる。これは国立劇場はそんなことはないと思います。これは出演の人間、出演者とそれから国立劇場というものとの関係文楽協会とは違いますので、そういうことはないと思いますけれども、とにかく文楽協会の場合には、何だかまるで縁もゆかりもなかったような人が、たいへんな人数の者が事務所でもってデスクを控えてそっくり返ったりしておまりす。そっくり返ってないのもいるようですけれども……。それが何か芸に影響してくるのです。自分たちがこれを食わしているのだなという意識が芸に影響してくるのです。これがもう一番困る。ただ思うだけならいいのですけれども、思うだけで、うちに帰ってかみさんに、おれはあれだけ食わしているのだと言っていばるのならいいのですけれども、そうでなくて舞台そのものに影響しています。影響していることが見えます。このことが私は一番おそろしいことだと思います。国立劇場はそんなことはないと思いますけれども、ただ、別の心配があるわけなのです。やっぱり国家というものを、政府というものを背中に背負って、その後光でもって、もしも間違った、たとえば伝統芸能に対する考え方がそういう圧力でもってゆがめられてくるということを一番おそれるのです。しろうとさんといいますか、戦争の最中に問題があったのも、それぞれの何か芸能関係のポジションについた人たちは全部しろうとでございますというのを、私は前提にしゃべったのです。そういうしろうとさんは困る。知らない人は困る。無知な人は困るのです。そのことについて、歌舞伎なら歌舞伎について、文楽なら文楽について、正しい保存育成のことをほんとうにわかっている人、そういう人が人事として選ばれなければならないと思います。
  26. 落合寛茂

    ○落合委員 私の質問はこれで終わります。
  27. 八田貞義

    八田委員長 川崎寛治君。
  28. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 ただいま安藤先生あるいは千田先生から、手おくれでないか、こういう疑問が出されました。あるいは現代芸能がいつの間にかはずされていた、こういう疑問といいますか不審といいますか、そういうものも千田先生からお話があったのでございますけれども、これは国が初めて演劇文化について保護していこう、こういうことで国立劇場設立をされ、いよいよ開演という段階に至ってこういう法律になって出てまいっておるわけであります。といたしますと、いま安藤先生もおっしゃられましたが、知らない者がやるのが一番こわいのだ、こういうふうにおっしゃられたわけです。ドイツであるとかフランスであるとかというところのものを聞いてみますと、それぞれ俳優であるとか演出家であるとかという人が劇場を運営している。こういう諸外国の例から見ますと、今後の日本におきますこの国立劇場の運営についても、そうした点はたいへん大事な点ではないかと思います。  そこで安藤先生と千田先生にお尋ねいたしたいことは、三十九年の八月八日に起工式が行なわれまして建物が建てられてまいったわけでありますが、四十一年のことしに入りましてからも、一月、二月の段階で、雑誌であるとか新聞であるとか、そうしたものを見てみましても、なお、組織のあり方あるいは運営の方法、それから今後の持っていき方、そうしたビジョンといいますか、そういうものについても何ら明らかにされていないということが、評論家の方々からも指摘をされてまいっておるように思われます。そういたしますと建物の起工式が三十九年で、ここ数年間たっておるわけでありますけれども、その間そうしたことがそれぞれの関係団体の方々に対して十分に示されてこなかった、あるいは御意見を十分にくみ上げながら、建物と並行して今後の持っていき方の大きなビジョン、そういうものについての練られ方といいますか、十分に熟さしていく、そういうものがなかったような感じがいたしておるわけであります。しかも、最初に三津五郎さんも仰せられましたように、数十年して初めてこうした国立劇場というものが発足になるわけでありますけれども、これまでの間に、そうした組織のあり方あるいは運営の方法、そういうものについて関係皆さん方に十分な御相談が——それは個人の問題でなくて、それぞれの団体なり協議会なり、そうしたものに対してなかったものかどうか、お尋ねいたしたいと思います。
  29. 伊藤圀夫

    伊藤(圀)参考人 この劇場を起工します前にはわりあい広範囲に、伝統芸能方々現代芸能に携わっている者、それから演劇学者の方々、そういう者が参与しておったわけでございます。ただこの建物がきまって、さて建てられる劇場が一応伝統芸能中心にする劇場ということになりましてからは、建物そのもののことの意見は求められましたし、われわれの現代芸能に携わっている者も、劇場構造そのものについては多少意見を求められましたが、しかし全体の方針が歌舞伎をやるに適した劇場ということが基準になっておりますので、そこで押えて、その範囲で多少とも便利にするようにという意味での意見は申し上げましたが、それ以外のこと、特に国立劇場全体のイメージというようなことについての十分な検討はなされたかもしれませんけれども、私どもはそれに参加してきておりません。
  30. 花島鶴夫

    花島参考人 文化財保護委員会から先々月に教育会館に呼ばれまして、プリントを見せてもらいました。それからいろいろの説明がございましたけれども、私は演劇協会の役員をしておりまして、伊藤先生は演劇協会の会長さんでございますけれども、やはりそれだけしか御存じございません。そのときも私はほかに用があったので、食事になってから三十分くらいであれしたのですけれども食事になります前がたいへん短い時間で、ほとんどプリントの朗読だけに終わったのです。それで事食のときに何か懇談的になりましたけれども、私は三十分くらいで帰りましたので、そのあと聞きましたら、私のあと三十分くらいで散会した。別に特別なあれは出なかった。声の大きな人や何かが意見を述べるというようなことがありましたが、それが本題に触れていたかどうかはわからない。
  31. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 そういたしますと、二月の十日の準備室から出されました国立劇場運営の基本的な考え方というもののプリントの説明があったという程度にしか受け取れないわけでございます。これは単なる保存ではなくて創造だ、今後の創造が、これは歌舞伎についてもやはりそうだと思います。そういたしますと、そうした点、回し方についてたいへん問題があると思いますし、私たち法案の審議においてもこれを十分に生かしたい、こういうふうに思います。ただ、これまでの参考人皆さん方にせっかくお忙しい中をおいでいただきながら、安藤先生からもう手おくれじゃないか、こういうことが言われますのは、国会全体のこういう際のあり方そのものの問題だとも思うのです。これについては私たち文教委員会としては、そういう国会の古い伝統は破りたい、こういうふうに思いますし、文教委員会は、幸いにいたしまして与野党ともに委員長中心に良心的な人ばかり集まっておる、こういうふうに思いますから、私たちはそういう点はひとつ御意見を十分にくみ入れて進めてまいりたいと思うのです。  そこで一つ安藤先生にお尋ねいたしたいのですが、こういう国立劇場建物ができてそして上演をされるものについて、伝統芸能で幾つか歌舞伎、狂言のものもきまってきて、それは無税だということも出てまいるわけでございます。そういたしますと、一番おそれますことは、歌舞伎の長い歴史の中でも、いろいろと保護されて順調に育ってきたものではなくて、時の権力からもいろいろ苦しい弾圧等もあったわけです。それを切り抜けて発展をしてまいったものだと思うのです。それが今回こういう建物ができてそこでやっていくという場合に、官製の伝統芸能と非公認の伝統芸能、こういうものが画然とされてくるということは、私たいへん危険な問題をはらんでおるのではないかと思うのです。こうした点についてひとつ安藤先生、それから三津五郎さんのほうも、お役人がおられるのでたいへんものを言いにくい面があろうかと思いますが、ひとつ率直に御意見を聞かせていただきたいと思います。
  32. 守田俊郎

    守田参考人 いま御質問がありました点につきましては、これは私がいまここでお役人がおるから言いにくいだろうとおっしゃいましたけれども、これはたいへん長い歴史を持った官僚不信任という国民の概念ができ上がっておるということが、これはこの際それを払拭するためにも、国立劇場に関する限り官僚はりっぱだったなということにしたいという希望的意見を述べるだけで差し控えたいと思います。  日本には官僚不信任というものは非常に長い伝統がございます。いま文教委員会は、悪い伝統は打ち破りたいとおっしゃいましたけれども、同時に国立劇場に関する限り官僚不信任という伝統も払拭したいと思います。希望的意見でございます。
  33. 花島鶴夫

    花島参考人 これは私三津五郎さんと同じ意見を持っております。これは非常にむずかしい問題だと思うのです。ちょっと短い時間では言いにくいのではないかと思いますけれども国立劇場でもってもし歌舞伎をやっておる場合にはたいへん安い入場料で、それからその同じ月にもし歌舞伎座でもって歌舞伎をやるときには、そう無税というわけではないので、たいへん大きな税が入っておりますから、安くはできませんのでけんかにならないと思うのです。こういうことはまずあります。ですから国立劇場歌舞伎が出てきたときは、おそらく東京では同じ程度の歌舞伎は出てこないのではないか、成り立たないのではないかと思います。  それから国家で保護をされる歌舞伎という芸能が、文楽という芸能——文楽はそういう形になってまいりましたが、歌舞伎がぞっぷりと全部身ぐるみ保護されるということになるとたいへんな問題になるので、やはり歌舞伎にしましても文楽にしましても、何か今日までこうやって残ってきたというものの中には、すなおでなくていろいろ苦しい中をかいくぐってきたというところにものすごい魅力があるので、そういうものが血になったり汗になったりからだにしみ込んでそれが芸になっておると思うのですが、そういうものがのほほんとして国で守ってもらえておるのだということになると——そろそろ文楽にそれが見えてきたのですが、そうなってくると私どもは一番心配するところなんです。こういう点でもやはり精神面でそういうものを洗い清めていく、そういうことがまたむずかしい段階に入るのではないかと思います
  34. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 千田先生にお尋ねしたいのでありますけれども現代芸能がはずされてまいったわけでありますが、文化財保護という立場だけが貫かれてきておる。そういたしますと、これは文教行政全般の問題とも関連をいたしてまいると思いますが、外国の経験の非常に長い千田先生ですので、特にお尋ねしたいのでありますが、たとえばフランスに文化省というものが置かれておる、あるいはドイツに科学芸術省というものが置かれて、そうした文化面の保護育成というものをそれぞれの自主性といいますか、そういうものを尊重しながら、しかも保護の割合においても、今回の国立劇場に見られますような国家の保護というのはある意味においてはたいへん足りないわけでありますけれども、そういう後進国といいますか、おくれておることが日本の場合にははっきりしておると思うのです。けれどもそういう面からいたしますと、今後こうした演劇文化あるいは芸術全般を発展させていくというためには、行政面における問題として、日本においても文部省にいまのようにまかせておくということではやっぱり足りないと思いますので、文化省とかそういったものがやはりできなければならない、こういうふうに思うのでありますが、そうした点について、この際、千田先生の長年の御経験から率直な御意見をお聞かせ願いたいのです。
  35. 伊藤圀夫

    伊藤(圀)参考人 ばく然とはすぐ、文化省というものができるべきだとは思いますけれども、今後のことに関しましては、まあ文部大臣が、ほかにないんでございますから、監督するのもけっこだうと思います。すぐその下に何か文化財保護委員会がついてやるわけなんでございますけれども、しかし全体の国立劇場というもののイメージからいいますと、文部省の中にたとえば芸術を扱っているところはないはずはないと思います。社会教育局といいますか、あるいはそこに芸術を扱う課か何かあったと記憶するのでございますが、  〔委員長退席、八木(徹)委員長代理着席〕 そういう面の力が働かなければ、単に文化財保護というものだけではこの仕事はやっていけないんじゃないかと思いますが、先のことは文化省ができたらいいとばく然と思いますのですけれども、そういうこまかいことについては、ここで外国の例なと詳しくあげて——時間もございませんしね。すべての発想が文化財保護だけにきてしまったということは、これはたいへんです。文化財保護委員会でこれを発案されてそれを進められてきたのはたいへんいいことだと思いますけれども、一時、その間に現代演劇に向けての構想もできてきておりましたし、準備委員会の限りでは、それが全体的な意見だったと思いますので、それがいつの間にかまたもとに戻ってしまったというようなことには、何かそこの辺のちょっとぐあいの悪さがあるんではないかという気が、この経過を外から見ておりまして、するわけです。
  36. 川崎寛治

    ○川崎(寛)委員 最後に一つお尋ねいたしたいと思いますが、今後この国立劇場皆さん方、諸先生の御希望といいますか、あるいは関係団体の御希望の方向に前進さしていく、こういうふうな運営に持っていくには、これはまあ政府のほうの問題もございますけれども、今後の運営についてどうすれば十分に先生方の御意見が反映できる運営に持っていけるか、そうした点について御意見ございましたら、お聞かせ願いたいと思いますが、千田先生、その点どうですか。
  37. 伊藤圀夫

    伊藤(圀)参考人 先ほど申し上げたように、やっぱり目的と事業というものをもっと幅広くしておかないと、何か今後やっていく上に、これだけのことをやっていればこの劇場はいいんだということが規制されるとたいへん困ります。ですから、この審議の上でこの部分をぜひ国会の皆様方で御検討くださいまして、そのことについてもっと現代芸能その他演劇全般について考えを持っている人々の意見ももう少し参照してくださいまして、そこのところをきめてかかる。それでとりあえず緊急を要する仕事でございますから、伝統芸能保存といいますか、振興という仕事は、始められた仕事は進めていかなければいけないんだと思うのでございますけれども、その辺のところで、この法律が今後すべて国立劇場というもののあり方を規定するということになりますと、これは非常に重大問題で、これは私が別に扇動いたさなくても、現代芸能関係のある者はみんないきり立つ問題ではないかと思います。ですから、保護というような仕事につきましても、これは現代のために保護するんであるし、未来のために保護するんでございますから、単に伝統芸能関係人たちだけがそれにタッチするというのではなくて、やはり新しいイメージを持った人間が参加して、何もそれは妙に変にいびつなものに伝統芸能を変えるということではなくて、そういう考えがあってこそ伝統芸能というものはますます本来の古くからの形で残すことができるのでございますが、そのもう一つ使命が何かおろそかにされまして、国立劇場というものが古いもの、古いものを守るという形でこの仕事が進められたのでは、今後の日本演劇の発展にとってたいへんな害になる、むしろそういうものを二つに分ける、分けながら結びつけるということが非常に大事なんじゃないかと思います。
  38. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員長代理 二宮武夫君。
  39. 二宮武夫

    ○二宮委員 千田参考人にお尋ねをいたしますが、先生のおっしゃるように、三十四年の六月二十六日の準備会で答申をしました際には、第一劇場伝統芸能、これは千五百人の収容、第二劇場現代芸能で二千人の収容、能楽堂と第三劇場伝統芸能で八百人収容、こういう答申案が出ておったのが、建築法の違反等の問題がからみまして、それから後に最終的には三十六年の二月十六日の準備委員会現代芸能というものが切られてしまっておる、しかも名前は国立劇場である、そこに非常に私どももこの法律の題名と内容とに矛盾を感ずるわけなんですね。  そこで伝統芸能というものを考えてみますと、伝統芸能が発生した当時はやはり新劇だったと思うのです。いまは枝ぶりがたいへんよくなって、まさにりっぱな姿になり、どうかすると安藤先生のおことばをかりると、正しくない姿も出てきそうだというので、やはり国が助成をし、これを守らなければならぬという段階に来ておるということでございますから、私は安藤先生にお尋ねをいてしますが、演劇の全般的な評論家としてお願いしたいのは、いまやはり伝統芸能中心を置くとしましても、いま民族文化の発祥しておる一つの具体化した新劇そのほかの現代演劇というものを、これをやはり保護育成をするという姿をとらないと、これは五十年後、百年後になって非常に悔いを残すのではないか、そういう面から考えますと、法律の題名から考えましても、あるいはそういう民族文化の消長からいたしましても、将来の歴史的な流れから考えますと、現代芸能というものに対してやはり国は責任を持って、これを何とか保護育成をするという姿をとらなければいかぬのじゃないか、このように私は考えておるのですが、経過的にはいま申し上げましたようないろいろな敷地の問題、建築法の問題、資金の問題等々がございまして、発足当時の国立劇場と現在法文化されておるところの国立劇場の内容というものには大きな矛盾が出てきておる。だからこれは何としてもいまの私どもの良識から将来を考えましてひとつ是正をしていく、将来のビジョンというものを考えながらやっていく必要があるのではないかと私は考えるのです。でなければ、国立劇場というのは何だか博物館的な存在になるのではないかという印象がございますので、その点についてひとつ演劇全般評論家として、歴史的な視野に立っての見解をぜひお述べいただきたいと思うのですが……。
  40. 花島鶴夫

    花島参考人 私はあのボリショイのバレエを戦後に日本で見ましたときに、ああいう戦争の最中に自分の国の古い芸能というものをこんなにもみごとに守っていたか、たとえばレペシンスカヤなんというりっぱな技術者がいまして、そういうえらいバレリーナだけじゃなくて、たとえば三羽の白鳥になったようなところにも、たいへん若い十代から二十になりかかるぐらいの人たちでりっぱにクラシックのバレエというものを身につけた人たちがたくさんおりますので、そのことに私は驚いた。そうするとすぐそのあとにボリショイのサーカスが来ました。このサーカスは驚くべき新しいものでした。その最初に来ましたボリショイサーカスというものは驚くべきもので、ちょっと一例をあげますと、たとえば、これは有名な話になっておりますけれども、クマが何頭かいまして、そのクマが、いままでやった人間の曲芸を全部そのままやる。それで、私は見物しておりまして非常な劣等感にさいなまれた。ぼくがあのまねをしろと言われたらとても一芸でもまねすることはできないのに、クマが全部まねをした。ずいぶんいやなことをするなと思って見ていました。つまり、その演出に、非常にいやなことをするな、手の込んだことをするな、いままでさんざんやってぼくらを驚嘆させていたそういういろいろの曲芸、体技を全部クマがやった。すごいりこうなクマなわけです。私は、もう人間というものは自分考えて、何か非常な劣等感にさいなまれて、何という偉いクマだろうと思って尊敬をしていたのです。そうして、そのクマの芸が全部終わって、そのクマをつかう調教師が、こうやって、一頭ずつさりげなくえさを渡しながらみんな楽屋へ送り込んだ。そうしたら、一頭間抜けなクマがおりまして、それがどうしても帰らない。丸い舞台の中を動いている。あっちへ行け、あっちへ行けというのですが、調教師がそのうちにおこってむちをやったり何かするのですけれども、愚かなるクマは言うことを聞かないでぐるぐる回っているのです。そうすると、私をはじめ、たいへん大勢のお客さまが安心したわけです。やっぱりクマだな、やっぱりばかなクマがいたんだなという、自分人間であるということで非常に満足感を得まして、たいへんな大喜びで、お客が何ともいえない拍手で、みんながにこやかに笑った。そうしたらば、最後のところでもってクマが言うことを聞いて楽屋へ入っていった。それでまた非常に満足をしまして、それがフィナーレだった。それからいすを立ち上がって二、三歩歩いて気がついたのです。あれは人間の演出だった、劣等感を持たしておいて、そしてそのまま帰したのでは、サーカスに来たお客さまはたいへん不愉快なまま終わるので、そういうことまで考えている。そのことに驚いたのです。こういう新しい芸です。こういう新しいことを考えるところが、つまり、あの戦火の中でもって、あのすばらしいバレエの技術をそのまま若い人に伝えて残していたということに、私は必ずしもソ連は好きじゃございませんけれども、そのことに驚いたのです。  それと同じように、古いものを正しくちゃんと尊敬してそれを伝承している国は、必ず新しいものがあります。いま聞いておりますと、伝統芸能は古いものということで、古いものならざるものというものはさも新しいものというふうに誤解されているところがあると思う。古いものでないものは必ずしも新しいものじゃありません。へんてこなものであるかもしれません。それでは困る。古いものでないものだとすぐ新しいものだと解釈するところにぼくは非常に愚かな考えがあると思う。たとえば、歌舞伎を、すぐ、古いから新しくしようじゃないかといって、前進座はみごとな失敗をしておる例があります。やっぱり先のほうがいい。昔のほうがいいじゃないかというので、こっぴどくやられてしまった。それから再演しておりませんけれども、たとえば熊谷陣屋をやり直したのですけれども、これはやっぱり昔のままのほうがよかった。昔のままをうまくやってくれたほうがずっとよかったのです。そういうふうに、つまり古いものをいじくるとしばしば間違う。何か、古いものといいますけれども、これはみんなを喜ばせるものがある、感動させるものがあるから、長く伝えられてそれが伝統になっているので、むやみないじり方をしてはいけません。正しい伝承をしている国には新しいものが必ず生まれていると私は思うのです。これは、私が言うのではなくて、千田さんなんかの師匠さんでもあります、私ども先生と思っておりますけれども、小山内薫先生がちゃんと言われております。古いものを大事にし、古いものをほんとうにみごとに継承しているところでなければほんとうの新しい芸術というものは生まれないのだということは、常識になっております。ですから古いものだけを上演する国立劇場というものは私ども考えられません。古いものを大事にして、古いものをもっとみがきをかけて次の世代に渡すのには、そこに新しい芸術がなければならぬ。その血で洗い清めなければならぬ。これはあらゆる芸術の鉄則だと思います。ですから、国立劇場の中から、これは伊藤さんがいま私のわきでちょっとお話されたのですけれども、……
  41. 伊藤熹朔

    伊藤(熹)参考人 四つの劇場がどうしてもできないというときに、これは記録に残してくれということを久保田万太郎先生がおっしゃった。これだけはきちっと書いておいてください。やっぱり書いておいたことでいまこれは問題になってくるので、先生の偉いところをいま感じているわけです。
  42. 花島鶴夫

    花島参考人 久保田先生がいつかの委員会のときに、なぜ四つの劇場かということをちゃんと発言されています。これは、古いものと新しいものが両立しないところに芸術の正しいあり方はございません。
  43. 二宮武夫

    ○二宮委員 私ども国立劇場法が成立をいたしまして所期の目的を達成するために、法案審議について皆さん方のいろいろな貴重な御意見を承っているわけです。ただ、事業内容の中で心配になります問題は、これは守田参考人にお尋ねをいたしたいのですが、芸能伝承者を養成をするという事業項目があるわけなんです。しかも、それは四十二年から初等科を入れまして、それに続いて研究科をつくりまして、なお作曲、演出、作家、これらの伝統芸能に関する人々を養成する養成機関をこの中に置いてやろう、こういうことなんですが、これは非常にむずかしい問題ではないかというように考えるのです。おそらく先生方は、やっとことばがわかるころから見よう見まねでやはりそういう雰囲気の中で育ち、非常に御苦労なさって芸をみがかれたと思うのですが、こういう中につくられるこうした養成施設というものは、はたしてほんとうに伝統芸能を伝承し得るような人が真にここで養成をされるだろうかどうだろうかということについて、私はしろうとでございますから心配するわけなんです。はたしてこれは何年計画でやるのかという質問をまだいたしておりませんけれども、こういうような組織で、何名入れて、どういう先生をここに招致して、どういう姿でこういう人を養成するのであろうかということについては、これは後に法案の審議の際にもう一ぺんお聞きしなければならぬ問題だと思いますけれども、この養成というのと、皆さん方がずっと経てこられた芸の道というものとを比較をし、あるいはそのほかの伝統芸能というものとを比較をしてまいりますと、こういう場所で別個に養成機関をつくってやっていくということで、はたして真の目的とするところのそういう伝統芸能の継承者の養成が可能であるだろうかどうだろうかということに、私は一まつの心配をしておるものですが、その辺について、もしこういうようにここに施設を持ってやるとしたならば、どのような構想がよろしいのか、あるいはこういうことではたしてほんとうにできるのだろうかどうだろうか、しろうとの心配として、それはおまえ杞憂であるということであればけっこうなんですけれども、なかなかきびしい芸の道から考えまして、この中にそれを持ってやること自体は容易なことではないのではないかというふうにも考えますので、その道で御苦労なさった守田参考人にひとつ御意見をこの際ぜひ承っておきたいと思うのです。
  44. 守田俊郎

    守田参考人 いまの御質問、養成機関のことでございますが、関東大震災の後、あれは昭和初年ごろ、なくなりました六代目菊五郎がみずから俳優学校をつくりまして、私の父の先代三津五郎、先代坂東彦三郎が教壇に立ちまして、教壇の上から歌舞伎を教えました。そのときの研究科の生徒が、今日まだ活躍しおりてます尾上多賀之丞、市川左団次、尾上鯉三郎、私と、この四人。その次の高等科の一年生にいまの梅幸、松緑などおりました。現在新劇、映画、テレビ等第一線で活躍している人たち、みな老人になっております。みんなもう六十代でありますが、これもこの俳優学校出身者が多数おります。当時の俳優学校の教師をしていた人たちもまだおります。その経験から申しまして、この方たちと御相談してやっていけば、できないことでないと思います。  ただおもしろい笑い話でございますが、私たち研究科の生徒を半年教育しまして実績を見ておるうちに、六代目校長が、ある日、研究科はきょうでやめだ。四人しか生徒がいない。きょうでやめだと言ったわけです。やめになりましたら、翌日研究科の生徒のいまの尾上鯉三郎が学校主事になりました。研究科は半年でやめになりました。しかし学校で教育するということは、たとえば私たちが今日でもそのときの教育がありがたかったのは、ふだん家庭内で教えなかったことを、みんな学校で教えなければならないとなると、自分のいままで伝承してきた技術を整理しましてみんなに話をする。そこで教わったことがずいぶん役に立っている。今度も国立劇場にそういう機関ができれば、率先して自分のところの弟子たちも入れたいと思っております。これは決して悲観的ではないと思います。
  45. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員長代理 上村千一郎君。
  46. 上村千一郎

    ○上村委員 実はきょう舞台芸能関係のきわめて先覚的な立場の四参考人おいでを願って、少しくお教えを承りたいわけですが、その前に、私どういうふうに基本的に考えておるかということも申し上げておいてお尋ねをしたほうが簡単に済むかと思いますので、考え方の基本的な態度を申し上げさせていただいてお尋ねしたいと思います。  実は、この前にも国立劇場法案の質問を、私したわけでございますが、この文化というもの、もちろん舞台芸能伝統芸能、いろいろの現代芸能というふうに申しておりまするが、とにかく文化の一環をなしておるわけです。こういうようなものについては、要はできる限り民衆の中で育っていくということ、またそうしなければ長続きのするもんじゃない。こういう意味からいたしますれば、国ができるだけ介入する度合いというものは少ないほうがよかろう。しかしながらそれだけでは芸能の保持あるいは振興というものが事欠けるという場合が起きてくる。そういう意味においてこれに国が関与をいたすということも非常にいいことである。文化そのもののいわゆる基本的な概念と決してそごするものではない。しかし、その態度というものは慎重であるべきだ、こういうふうに思います。きょう四先生のお話を聞いておりましても、伊藤圀夫参考人も、いろいろ現代芸能のことをおっしゃっておられながらも、この法案について決して反対的な意味じゃないということを申されておる。私、非常にわが意を得たりという感じを持っておるわけであります。  国が文化関係振興あるいは保持に関連を持っていくという際においては、一つの財政的基盤が特に必要だというものに関連をしていくのがまず第一義的であろう。また相当財的な援助を受けないと、なかなか真の使命を達するわけにいかぬというものがある。これに国が関与していくことは好ましい状態であって、決して敬遠すべきものではない。そうすると舞台芸能の中には、いろいろ伝統芸能もありますれば、現代芸能もある。けれども、いまのところ伝統芸能というものが第一義的に対象になってきておるわけです。これはきわめて自然的なものであるし、予算関係もあるであろうから、決して国の文化政策の意味においても、そごする性質のものではない。しかしながら伝統芸能だけの保持もしくは振興をはかって、真の日本文化の向上というものは、これまた全部ではないことは論を待たないけれども、とりあえず、その観点から言えば、伝統芸能というところに入っていくということが、一応手っとり早いのではないか。しかしその運営問題につきましては、真に芸術というもの、文化というものに理解のあられるお方が参画されるとともに、国が関与したからと言って、観客層というものがついていかなければ、国がいかにこれを維持あるいは振興をはかろうとしたって、要するにこれはいつまで続くかというだけの話になってしまう。だからそういう意味から言いますれば、長い試練のもとに結局文化というものは栄えていくという意味だから、国がこれに関与したからと言って、直ちに官製芸能というものがそこにできるというような心配はないのである。こういう観点を持っておるわけです。  それとともに、この法案自体はいますべて満点な意味においてスタートしておるわけでもない。しかしながらこういう文化政策というものについては、守田参考人のおっしゃったように、なかなかそう一朝一夕にいくものではないので、少しでもいいというものを進めていきながら、悪い点は改良していく、こうあるべきものた。その証拠には、この国立劇場の構想というものは、いまを去る十年以前にすでに閣議決定でありながら、そしていろいろな批評あるいはその他の討議を経て現在の段階に来たっておるわけです。思いつきでいますぐ出てきたものではない。こういうような点から言いますれば、現時点においてはこの程度によって出発しながら、要するにどうしたらば理想に近づけるかということに相なるであろうというふうな考えを基本的に私は持って、その観点のもとに、この前、法案の質問をいたしたわけであります。  きょう四先生お見えでございますので、どうしたならば、現在の法案というものを母体に持ちながら、どれだけ理想に近づけていくか、こういうような点についてお尋ねをしていくわけであります。  実はこの国立劇場のいろいろ主要な事業目的の中に自主公演ということがあります。まず主要事業として、「雅楽、能楽、文楽歌舞伎、邦舞、民俗芸能等の伝統芸能の自主公演を行なう。」これだけではございません。いろいろたくさんありますが、一番初めに出ております。それでいまの俳優の方を養成する付属施設を設ける、これはもうすでにこの法案の内容の中に入っておる。けれども俳優の方を養成するだけでは、これまた十分ではなかろう。その中にはたとえば面にしても、首にしても、かつらにしても、衣装にしても、あるいは小道具、大道具、楽器あるいはそれらのものの修理技術とか、いろいろな問題を含んでくるわけです。要するに舞台芸能においては総合芸術でございましょうから、そういう点がある。こういう俳優の方の養成以外に、何かこういう面の養成というものについて、何かいいお考えでもありますれば、一そう充実をしていくだろう、こういう意味におきまして私はまず守田参考人にお尋ねをいたしておきたい。
  47. 守田俊郎

    守田参考人 ただいまのお話にありましたが、実際に国立劇場ができなくても養成はしているのでございます。養成をしていなければ、今日芝居の幕があかないのです。現在でも国家の保護は何もなく、別に松竹からもそれに対して手当も出ることなく、ただみんなばかでございますから、歌舞伎の世界に生きる人間はただ好きだからやっているというのでやっているのでございますが、この人たちは何らの保障もないところで日夜——朝の九時くらいから出てきて、夜十時過ぎまで、自分がその技術を覚えるために働いております。今日この下で働いておる人たちが、そういう技術を覚えようとしている人たちが、今後国家がこういうことになったというだけでどんなに心のささえができたか、それが私、すでにたいへんなプラスになっておると思う。その点ではいまだに私たちのところに弟子入りして技術を覚えたい、それから中にはひどい詐欺にかかりまして、皆さん御存じのように、舞台でちょんちょんと析をたたく、あれをおれが口をきいてやれば入れるから三十万円よこせというので、すなおに三十万円知らない人にとられまして、それで芝居へ来て——私は、この子供はたいへん感心な子なんで、将来ものになるぞと言っておりましたが、大学を卒業してきて、すぐ毎朝九時から来て、ちょんちょんと析をたたくのを修業しておりまして、心がけがいいので、もう現在歌舞伎座で実際に役立つようになってまいりました。そういう例もございますので、私たちのほうでは、いままでどこからも、保護もなければ、保障もないにもかかわらず、現在でもやっておるのがたくさんございます。これが将来国立劇場ができたら、国家が公然と認めてくれて、君たち仕事を国家が育成してくれるのだということはもうおととし以来たいへんな心のささえになっておるということをお答え申し上げて、私の答えにさしていただきます。
  48. 上村千一郎

    ○上村委員 次に、伊藤圀夫参考人にお尋ねをいたしたいと思います。私も現代芸能につきまして、どう振興するか、またそれを忘れてはいかぬという趣旨のもとに、この前この法案についての質問をいたしておるわけです。伊藤先生のおっしゃること、きわめて同感なわけでございますが、いまの法案として、先ほどの基本的な態度で進めていく際でございますが、この国立劇場ができた場合に、いわゆる現代芸能というものにつきましても、これはいまの伝統芸能の自主公演に差しつかえない限り貸与するということになっておる。これは何となく小屋貸しみたいなことでみみっちいような話で、はなはだ考えさせられますが、しかし、伝統芸能の保持、振興という大目的を掲げながらも、しかも他の分野、現代芸能について目を開いていくということは、これは私は前向きだろうと思いまして賛意を表しておったわけですが、いまの国立劇場ができた場合に、一体一年間にどのくらいの割合で使っていくほうがいいのだろうか。自主公演といったって、年がら年じゅうやっていくという方針もあるし、現代芸能はこれは多少貸与するということがあったところで、事実上できぬことになってしまう。だから一体どのくらいの割合で現代芸能についての貸与というようなことが行なわれればいいだろうかというようなとにつきまして、お尋ねをしておきたい。
  49. 伊藤圀夫

    伊藤(圀)参考人 私、文化財保護委員会でしたか、今度、その建設をする衝に当たっておる方から依頼を受けて外国を回ってきました。方々国立劇場を見てまいりまして、その幾つかに答申をしてくれるように頼んできたのですが、あまり向こうからこないのですけれども、少なくとも、国立劇場小屋貸しをして、それを経費に充てているというようなところは、外国にはございません。そういう質問要項があったので、私持っていって、どこへ行ってもちょっとはずかしかったのですけれども、つまり小屋貸し国立劇場が運営されていくということはない。演劇関係の講演会で使うとか、その他の目的で使うということはございますけれども小屋貸しで維持していくというのはないのでございます。  今度の、来年度の大体の計画でございますか、この最初の一年間の計画を見ますと、自主公演というものが大体半分くらいになっておる。あとが小屋貸しということになっておるのですけれども、それを小屋貸しという形で現代芸能——また、その小屋貸しもその中のかなりの部分は国がやるのでなく、私的な伝統芸能の公演に貸すということが優先されておりまして、そのあとの残りが何となく現代芸能に使ってもいいというような規定のように私はこれを読み取ったのでございますけれども、それでは国立劇場というものの本来のあり方からいえば、たいへん消極的過ぎる。こういう劇場でございますから、現代芸能にもっとよけい、何か一定の比率でということもちょっと言いにくいと思いますけれども、将来、現代芸能のための劇場ができるというイメージを先におきまして、その間、やはり両方ができるだけ使っていこう、たとえば年々芸能祭などというものが日本ではこの何年来行なわれておりますが、そういうようなところには現代芸能も積極的に参加しておりますが、そういうな機会に、積極的に国立劇場現代芸能を含めての演劇祭をそこでやるということについて考える。これはどうもやっているのは社会教育局の仕事ですね。文化財保護委員会とはまたちょっと違った組織がこれをやってきておるために、今後そういうものをやっていく上でどういうことになるのですか、私ちょっとそこのところがお役所の形は想像つきませんけれども、初めから、国立劇場というからには、年一回の国がやる芸能祭というようなところには、積極的に現代芸能を参加させ、あそこでそれをする。それもまた自主公演の中に当然含まるべき性質のものじゃないかというように思います。  そのほか、あとは、つまり伝統芸能を主にしながら公演を持つといっても、俳優方々はいろんな興行会社に属しておられていて、これをかり集めてあそこでいまある範囲の公演を持つということでもたいへんなことだと思いますので、その点については、本来、私は固有の劇団を持つべきだ、国立劇場は、劇場ではなくて、創造する一つの団体も持つのだ、それが何も初めから成功しなくても、それをつくっていくイメージをまず持たなければだめだというふうに考えます。たとえばそのときそのときに俳優さんを契約で集めて、それで何かアンサンブルのとれた一つ芝居をつくるというようなことはなかなか困難なことでございまして、やはり国立劇場、特に伝統芸術というようなものを保護していこう、そこをしっかりやっていこうというのには——やはり俳優も見たところ、伝統芸能をやっていらっしゃる中にも全部が全部そうじゃございませんので、やはりマスコミの影響を受けたり、映画のほうに入ったりしてしまって、そのために知らず知らずのうちに、自分の受け継いでいらっしゃる芸能をこわしていらっしゃるということもあると思いますけれども、そういうことを防ぐのにもやはり国立劇場が一定の創造団体を持って、それを中心にやっていくということが大事なことだと思います。それはいろいろの興行会社の関係もあったり何かしまして、すぐそんなことをやると、いろいろな問題が起こりますので、慎重にいまの形で進められているのだろうとは思いますけれども、やはり将来のイメージとしてはそういうものでなければならぬ。そういうものがなければ、何かを養成するということの主体にもならない。そういうようなことがあり得るので、大事な仕事なので、その中へ新劇が、ここで抽象的に、現代的な意味からいいまして、何日とれというようなことは、ちょっと言いにくいのでありますけれども、そこは、そういうことが今後国立劇場をやっていらっしゃる方の良識によってきめられる。その場合に、何かこの法律がワクにならないように、法律でこうきまっているのだから貸さなくてもいいのだというようなことにしておいては困ると思います。
  50. 上村千一郎

    ○上村委員 いまの伊藤圀夫参考人のおっしゃることごもっともだと思いますが、しかしこれは評議員会もできますし、専門委員もできますし、また実際上貸与するということにつましても法文に書いてあるわけでしょうが、精神はそういうことだろうとよくわかるわけです。  次に、一点だけ最後に伊藤熹朔参考人にお尋ねしておきたいと思いますが、この国立劇場の設計におきまして、伝統芸能については一応これを目標としておりますから、これはできるだろうと思います。ただ、能舞台というのは特にやるときにつくらなければならぬというようなことも承っております。また現代芸能といいましてもいろいろ範囲が広いわけでございますが、大体どのくらいの現在考えられる舞台芸能に使用されるような構造にできておるのか、ひとつ最後に一点だけでございますが、お尋ねしておきたいと思います。
  51. 伊藤熹朔

    伊藤(熹)参考人 今度できます国立劇場は、古典歌舞伎のためでございますけれども、ほかのものにも使用できるように、もちろん歌舞伎を一番に考えまして、歌舞伎を完全に上演できて、なおほかのいろいろなジャンルのものもできるようにということもずいぶん考えまして、大体そうなっておると思います。ただ、オーケストラボックスがないのです。ですから、オペラをする場合にはオーケストラボックスをそのときに臨時につくらなければならぬと思うのですけれども、それは現在大劇場あたりでオペラをしたり何かする場合はみんなやっていることで、それよりかずっと機構がよくて、照明設備や何かいいわけですから、ずっとやりいい劇場になっていると思います。
  52. 上村千一郎

    ○上村委員 これをもって私の質問を終わります。
  53. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員長代理 参考人方々には、たいへんお忙しいところを長時間にわたりまして御出席の上、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。      ————◇—————
  54. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員長代理 内閣提出私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する法律案を議題とし、提案理由の説明を聴取いたします。中野政務次官。
  55. 中野文門

    ○中野政府委員 このたび政府から提出いたしました私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。   〔八木(徹)委員長代理退席、委員長着席〕  私立学校教職員共済組合は、御承知のように、昭和二十九年一月に、私立学校の教職員の福利厚生をはかる目的のもとに私立学校教職員共済組合法によって設立されたものでありますが、自来、本組合が行なう給付については、国、公立学校の教職員に対する給付の水準と均衡を保つことをたてまえとし、逐次その改善がはかられてまいりました。昨年の第四十八回国会におきましても、かかる観点からこの法律の改正が行なわれ、これにより、ほぼ国、公立学校の教職員に対する給付水準との均衡がはかられることになったのであります。  しかしながら、昭和三十六年十二月三十一日以前のいわゆる旧長期組合員期間の取り扱いや既裁定年金の取り扱い等において、なおこれを下回る部分がありますので、今回これらの点を改善するため、所要の改正を行なうことといたしたものであります。  次に、この法案の概要について申しあげます。  第一に、このたびの長期給付改善に要する費用について、私立学校並びにその教職員の経費負担の実情を考慮し、これが負担の軽減をはかるため、組合の行なう長期給付に要する費用に対する国の補助率を、従来の百分の十五から百分の十六に引き上げることといたしております。  第二に、長期給付の給付額算定の基礎となる平均標準給与の月額のうち旧長期組合員期間にかかるものについて、その算出方法を組合員の資格喪失前五年間の標準給与の平均から三年間の平均に改めるとともに、最高限度額を廃止することといたしております。さらに、これらの点につきましては、既裁定の共済年金についても同様の措置を講ずることとし、本年十月分以降、その年金額を改定することといたしております。  第三に、私立学校教職員共済組合が発足した際、その権利義務を継承した旧財団法人私学恩給財団の年金のうち、昭和二十七年九月三十日以前に給与事由の生じたものについては、その裁定時点も古く年金額が低額でありますので、恩給制度並びに公務員共済制度等における年金額の改定の例にならい、これを一律六万円に引き上げることといたしております。  第四に、組合員期間が二十年以上の長期在職者に対する既裁定の共済年金につきましても、同様の趣旨から、本年十月分以降、退職年金または廃疾年金にあっては年額六万円未満である場合は六万円に、遺族年金にあっては年額三万円未満である場合は三万円に、それぞれその年金額を引き上げることといたしております。  最後に、この法律の施行日につきましては、公務員共済等における既裁定年金に対する最低保障の制度が本年十月一日から実施されること及び財源的な事情等を勘案し、また準備の期間等をも考慮して、昭和四十一年十月一日といたしております。  以上が、この法律案の提案の理由及び内容の概要であります。何とぞ十分御審議の上、すみやかに御賛成くださいますようお願い申しあげます。
  56. 八田貞義

    八田委員長 以上で提案理由の説明は終わりました。  本案に対する質疑は、後日に譲ることといたします。  次会は明後四月八日金曜日午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後零時四十八分散会