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伊東参考人 小宮さんが初めに、いまの
物価問題に対する
二つの
見方というものを申されましたが、私もそのとおりだと思います。
一つは
需要要因重視、
貨幣数量説を正しいとし、安定
政策によって
物価を安定させる、こういう
考え方でありまして、片方は供給
要因重視、
貨幣数量説の否定、そしてむしろ成長
政策のほうにウエートがある。こういうのは
小宮さんの分類どおりでありますけれども、ちょっと詳しく申し上げますと、
日本におきましては保守、革新を問わず、若いゼネレーションがこの第二の
要因、供給
要因重視、そしてお年寄りの方が、保守、革新を問わず
需要要因重視というぐあいになっております。たとえば、
マルクス経済学でも、若い高須賀さんの新著は、この第二の説に立っております。そして私は、一と二が決して無
関係であるとは申しません。
関係はあると思いますけれども、やや第二の
要因のほうに立っているとみなされております。現に
小宮さんの本でも、そういうふうに書かれております。
自分の
立場をまず
小宮さんと同じように申し上げて、本論に入りますが、
物価問題については非常にたくさんのことを申し上げなければならないので、
小宮さんと違う視点で、ダブらない観点で何点か申し上げたいと思います。
第一点は、ハーバード大学のガルブレイスのことばを引用するまでもなく、現在の
物価上昇というのは、それは次第次第にケインズ的な景気
政策ということが先進国に定着し、しかも、大
企業がかなり優位していく寡占
経済体系というものが一部に生じている。そういう
二つの結果の上に立ってくるところの病でありまして、そして
物価が単に
上昇するだけではなしに、
卸売り物価よりも
消費者物価のほうが
上昇率が高いということは、先進国一様の病であります。そういう
意味で現在の
物価問題は、現代資本主義に対する病にどう対処するかというぐあいに
一般的に置きかえることができると思います。ただ、それだけではありませんで、
日本の
消費者物価の
上昇を見ますと、これは先進国に比べてはるかに高い
上昇率を示しております。
卸売り物価については性質がやや違うということ。これは皆さん御存じのとおりです。こう見ますと、実は
日本の
物価問題というのは、単なる現代資本主義の病だけではなしに、
日本的な病がそれに自乗されている。そこで、先進国の病プラス
日本の病という
二つに対処するということで、先進国以上に非常にむずかしい問題を持っているということが第一であります。
第二は、
アメリカに例をとり、あるいはイギリスでもけっこうでありますけれども、
物価上昇と景気という
関係を見てみますと、これはサムエルソン、ソローがイギリスのフィリップという学者の研究をちょうど
アメリカに移し植えまして、そしてやったものでございますけれども、失業率とそれから
物価上昇との
関係を
考えてみます。失業率がある程度多くないと、現在の
経済構造を前提とした場合においては
物価安定はあり得ないということであります。ほぼ五・五%程度の失業率において
物価安定がはかられる。もしも三%ぐらいの失業率にいたしますと、つまり景気をかなりよくいたしますと、
物価は四ないし五%
上昇するということが、経験的事実として報告されております。ほぼイギリスでも同じであります。つまり、景気をかなりよくしていくと
物価上昇がある。しかし、景気を押えて不況
政策に転じていくと、そうするとある限度において
物価安定が可能である。ところが五・五%という失業率は、現在の
アメリカにおきましてはかなりの不況であります。こういう
考え方を
日本にあてはめてみまして、一体どの程度の不況
政策に
日本を追い込んだならば
物価は安定するであろうかということは、まだ結論は出ておりません。しかし、私どもの
考えでは、相当強い不況に追い込まない限り、
日本においては、単なる不況
政策によって
物価を安定するということは不可能であろうと思います。人によっては七%の失業率ということを申しますけれども、私はもう少し多いのではないかと思います。それは、
日本の
経済構造が
アメリカの
経済構造と違っているからだろうと思うのであります。そういたしますと、金融を引き締め、安定成長
政策に追い込んで、
日本の
物価政策を反省するというような、そういう方策だけであったならば、相当な不況で、その不況に
日本の
企業は耐えられるのか、
日本の
労働者は耐えられるのかという問題になってまいります。私は、それには耐えられないだろうと思うのです。一昨年以来の
日本の安定成長
政策、不況に追い込んでそうして安定
経済路線に
日本を持っていく、
物価安定政策に持っていくということが、実は途中において、ある程度の不況において、これが別の
政策に転換せざるを得なかったということ、単なる不況
政策、安定
政策をもってしては、こうした
物価安定政策は実現できないという
一つの証拠であったろうと思います。私はその点では、先ほどの、お年寄りの方々の
考え方、
需要要因説は決して間違いではないと思います。
需要を引き締めましてうんと不況にいったならば、確かに
物価は安定するが、しかし、そのときはおそらく山一も破産し、そのほかの大
企業もかなり破産して、相当激烈な不況
状態の
日本になっていく。それでよろしければ、第一の
立場に立って
日本の
物価は安定するだろう。しかし、それはおそらく
労働組合も
企業もだめでしょう。とすれば、われわれは第二の方策、別の方策においてこれを
考えなければならないのではないか、そう思うのです。以上、デフレ
政策で
物価上昇は現実にはとまらないのではないかということが第一点です。
第二点は、それではどうしていま徐々に徐々に先進国においても
物価上昇がきているのかということでありますけれども、これにはいろいろ
説明しなければなりませんけれども、
一つの大きな
要因は、恵まれた
企業分野、恵まれた産業分野におけるところの超過利潤が、
企業外に流出しないということがまずありまして、そしてそれが高利潤、高
賃金、
賃金を引き上げる、利潤を内部にたくわえさせていく、そういう
傾向を引き出す。昔だったならば、恵まれた場合、それは
生産性
上昇あるいは
需要が非常に伸びるというような場合においては、それは競争の結果
価格が低下いたしまして、
企業外に、
需要者
一般にその恩恵を与えたでありましょうけれども、それがそういう
要因ではなくなりまして、かなりの程度
企業内に沈澱する
傾向があらわれてきた。そしてそれを可能ならしめましたのは、かなり
需要要因が強いということ、それから大
企業の
価格支配力がここに形成されているという
二つの
要因であります。そして、こうなりますと、恵まれた分野において
賃金上昇がありますと、それは
労働市場がかなり緊迫している条件のもとにおいては、恵まれない分野におけるところの
賃金を引き上げさせる、そういう波及現象が出てくる。そして、こうした恵まれない分野の
生産性
上昇率が低い、あるいは
需要要因が少ないというような場合においては、この
賃金上昇を
物価上昇に転嫁せざるを得ないというようなことになっておりまして、この分野におけるところの
物価上昇がある。そして、このような恵まれない分野としては、往々にしてサービス部門、消費財に
関係する分野であります。つまり、恵まれた大
企業分野、そこにおけるところの超過利潤の沈澱化、それが恵まれない分野の
物価を引き上げていく、こういう
傾向、そしてそれがさらに、
アメリカの場合においては、
消費者物価一般の
上昇が、また恵まれた分野の大
企業の
賃金上昇になり、
価格にはね返っておるというらせん型の
状態であります。
こういうような
状況を押えるためにはどうしたらいいか。ある程度失業率を増しまして、そしてこの恵まれた分野の
賃金上昇が他の分野に波及しないという方策をとるのも一案でありましょう。おそらくものすごい不況に追い込むなら、
日本は
高度成長以前の
労働市場が現出して、そうして、この恵まれた分野のみの
賃金が上がり、恵まれない分野においては
賃金上昇率が少ないという、
賃金格差が生ずるだろうと思います。そういうことは、
政策として今日とるべきではないと思います。そうしますと、もう
一つは、どうしても大
企業の超過利潤をなるべく
企業外に流出するように、競争条件をつくるということだろうと思います。この点につきましては、先ほど
小宮さんが最後のほうで言われたことと一致いたします。
ただ、この場合、
日本と
アメリカとのかなりの相違があります。
日本は、大
企業分野においてはかなりな競争
状態であって、
アメリカのような協調
状態はないといわれておりますけれども、しかし、
日本の大
企業のかなりの分野においては、後発メーカーがどんどん設備を増設して先発メーカーに食い込んでおります。なぜ後発メーカーが参入しているかといえば、それはかなりの超過利潤がその分野にあり、後発メーカーが参入して、後発メーカーがかなりの犠牲を払ってもなおもうかる、そういう
状態がそこにあるからであります。近代化路線の結論として、一体その産業においてどの程度の超過利潤があるかということを示します
一つの指標は、後発メーカーが入っているか入ってないか、入っているという段階は、相当な超過利潤を先発メーカーが得ているのである。そういうように後発メーカーが入る場合には、明らかに先発メーカーに超過利潤があるのではないか。
日本においては、この後発メーカーが入りやすい
日本的条件というものがありますけれども、しかし、それを別にいたしましても、先発メーカーがかなり超過利潤を得ている。その結果、後発メーカーが次々に食い込み、そうして、やがてそれが乱立になりまして、今日各分野に見られますような過当競争現象というものを現出していると思います。そしてその過程において、先ほど申し上げましたところの恵まれた分野の
賃金上昇が他の分野に波及するという形において、そして恵まれない分野の
価格を引き上げるという
傾向を引き出しているわけであります。
そこで、ここで
一つ重要なことは、ぜひともこの先発メーカーの超過利潤を押える、そして
企業外に流出するというような組織をつくっていただきたいと思います。たとえば
アメリカにおきましては、上院のキーフォーバー議員が、この大
企業の超過利潤を明らかにするという
委員会をつくって、これにメスを入れております。そういうような
委員会をぜひ
日本の国会においてもつくり、そうして大
企業の超過利潤を押えていただきたいと思います。こういうことは単に
国民の利益ばかりでなく、大
企業の利益でもあると思います。と申しますのは、先発メーカーが、先ほど申しましたようにあまりにも超過利潤を得ていますと、後発メーカーが次から次に入ってしまい、やがて将来においては非常な過当競争現象を現出いたしまして、先発メーカーも苦しまねばならない。そういうことはナイロン、テトロンにおいて、先発メーカーとしてあれだけ優位を誇った東洋レーヨンが、今度後発メーカーの参入によって非常な苦境を招いているということでもおわかりいただけると思います。どうかそういう乱立がこない前に、この大
企業の適正な
価格を維持するように、国会においても押える
委員会をつくっていただきたい。そうすれば、これが適正な競争
状態になると思います。もうすでに乱立が始まってしまってはだめでありますが、それ以前においてそういうことをやっていただきたい。それは非常に長いことでありますけれども、
物価安定の構造
要因の
一つになると思います。
とは申しましても、
日本の現在の
物価上昇は、御存じのとおり中小
企業製品、農産物、サービス、
公共料金等の値上がりであります。そしてここにおいては、単に
生産性
上昇がゆるやかであるがゆえに、
物価上昇は
賃金上昇であるからやむを得ないとは言い切れない
日本的な病を持っております。それは何かと申しますと、
賃金上昇、そしてそれを十分吸収するに足るところの
生産性
上昇が可能であるにもかかわらず、そういう道を選ぶことをせずに、容易に
価格上昇に転嫁して、いままでどおりの前近代的な構造を維持しようという、そういう中小
企業分野があまりにも多いからであります。
私は、これについて幾つかの例もあげましたけれども、
一般的に申しますと、戦前、
ヨーロッパにおいては進んだ技術があるにもかかわらず、
日本においては低
賃金であるために、そうした進んだ技術を高額で導入するより、
生産性の低い
労働力をうんと使う、そういうものをつくったほうが得であるという中小分野がありまして、それは低
賃金に依存する。低
賃金、低
生産性、低資本装備率、そういう形で切り抜けまして、
ヨーロッパ的な高
賃金、高
生産性、高装備率に移らないという場合がかなりありました。ところが
高度成長下におきましては、昭和三十七年ころまでは、
賃金上昇、これを吸引すべくいままで顧みられなかった最新式の技術を導入いたしまして、
賃金を上げることが最新鋭の技術を導入する契機になり、高
賃金、高
生産性、高資本装備率に部分的において転換が起こり出した。しかしそのとき、かなりの分野において、こうした中小
企業、サービスそのほかにおいても
賃金が
上昇した。
生産性は上がらないのだから、
物価上昇はやむを得ないのだというような
考え方、具体的にはこれは下村さんの
考え方でありますが、そういう
考え方がかなり浸透したために、この分野においてはカルテルがつくられ、構造変化よりは、むしろいままでどおりの構造で、
価格に
賃金上昇を転嫁してしまって、依然として前近代的な構造を維持するという
傾向が顕著に見られ、三十八年からは、呼水の零細
企業分野の近代化の
要因がとまってしまいました。私は、これは非常にまずかったと思います。
賃金上昇、構造変化、こういう
要因を促進するために、ある場合においては中小
企業の分解、それもやむを得ないのではないかと思います。
同じようなことは、流通部門についても言えまして、たとえば、消費財のうち野菜をとりましても、それから日用品をとりましても、流通の段階においてどのくらい利潤が付加されているかといいますと、何といっても小売り段階において非常に多くのマージンがかけられております。これは製品の中におけるところの売り上げ利潤率でありまして、資本利潤率ではありませんけれども、たとえば野菜について申しますと、仕入れの五割から十割という利潤額を小売り段階にかけられている。なぜこういうぐあいにかけられているかと申しますと、この分野が非常に前近代的な
生産構造を持っていて、売り上げ数量が少ないために、どうしてもその製品自体にたくさんの利潤額を加えなければならない。もしこれが近代的な大量販売をするような流通メカニズムになるならば、かなりの程度値段を押えあるいは下げることができるのだろうと思います。たとえて申しますと、これは非常に具体的なことで申しわけありませんけれども、スーパーマーケットでいかに安売りされているかという
一つの例でありますが、本格的スーパーマーケットにおきましては、牛乳が五合で六十二円から六十八円であります。一合十二円くらいから売られているという現実すらある。これは大量に売ることによりまして成り立つ。こういうような分野、それを育成するということが、いま
物価安定政策においてはかなり必要だと思います。しかし、そうなりますと、既存の商店というのは非常な圧迫を受けます。現に、私が見ましたところの地方の非常に
物価が高い町に新しいスーパーマーケットができましたときに、どういう反応があったかというと、このスーパーマーケットは高田の薬屋さんの息子がつくったマーケットでありますけれども、それに対して地元の反応は、保守党の地方議員の方々はどうしたかというと、いままでの既存商店の人たちから陳情を受けまして、何とかしてスーパーマーケットを押えようとして、かなりいろいろなことをされました。それで警察もあるいは消防署も動いて、いろいろ押えることをいたしました。それはそのとおりだと思うのです。既存商店というのは、ある
意味において保守党の選挙基盤の最高組織だろうと思う。それから革新
政党のほうはどうしたかというと、独占資本来たるというので、このスーパーマーケットに反対しております。高田の薬屋さんの息子がつくったマーケット、それが一体
アメリカ帝国主義と
日本独占資本の手先であるとは、私にはどうしても
考えられない。
こういうぐあいに見ますと、実は新しい流通末端におけるところの合理的な組織をつくることによる
物価安定というものは、かなりの程度
日本の既存の政治の最下部組織に対する戦いであるかもしれないと思う。しかし、そういうようなことを取り除いて合理的な流通末端をつくることなしに、おそらく
物価安定政策はあり得ないだろうと思う。
私は、いま流通部門その他についていろいろ例を申しましたけれども、農村についても同じであります。おそらく安定せる
物価というものは、合理的な
経済構造をつくらないで、ただ保護
政策そのほかだけでやっても、これは実現されないと思う。この点は、
小宮さんがいたずらな安定
政策はいけないと申されたのと私と
意見が一致いたします。
そのほか、
物価の
上昇が
現状のままでは——いま私が申し上げましたのは構造変化でありまして、長期的な問題で、短期的にはこれは実現がむずかしいということも
小宮さんと同じであります。そのためには、
社会保障給付そのほかの
政策、これを行なっていただきたいということも同じであります。現に
物価上昇において一番困るのは恵まれない人たちであります。そういう人たちの実情は、どうしてもこの
物価上昇に追いつかないということです。特に現在の
日本の
物価上昇は、生活必需品の
物価上昇であります。
ヨーロッパにおいては、青いものは非常に高い。先進国になれば高くなると申す人がおられますけれども、向こうでは、青いものというのは庶民は食べないで、庶民はビタミンを果物からとるのです。そうして、なま野菜というものはかなり裕福な人が食べる。そういう国においてはそういうものが上がってもよろしいでしょうけれども、しかし、
日本のように貧乏人がなまのものを食べるという国においては、こういうものの安定
政策というものがぜひ必要であります。そのためには、
日本の非合理的な
経済構造に
一つのメスを入れるということ、これをどうか大胆にやっていただきたいと思います。