運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1966-04-06 第51回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年四月六日(水曜日)    午前十時十分開議  出席委員    委員長 小笠 公韶君    理事 木村 俊夫君 理事 倉成  正君    理事 砂田 重民君 理事 舘林三喜男君    理事 山本 勝市君 理事 井岡 大治君    理事 兒玉 末男君 理事 村山 喜一君       海部 俊樹君    小山 省二君       坂村 吉正君    床次 徳二君       藤尾 正行君    粟山  秀君       伊藤よし子君    大村 邦夫君       永井勝次郎君    平林  剛君  出席政府委員         総理府事務官         (経済企画庁国         民生活局長)  中西 一郎君  委員外出席者         参  考  人         (東京大学助教         授)      小宮隆太郎君         参  考  人         (法政大学教         授)      渡辺 佐平君         参  考  人         (東京外語大学         助教授)    伊東 光晴君     ————————————— 四月六日  委員帆足計辞任につき、その補欠として永井  勝次郎君が議長指名委員に選任された。 同日  委員永井勝次郎辞任につき、その補欠として  帆足計君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 三月二十六日  物価値上げ反対に関する請願赤松勇紹介)  (第二一〇七号)  同(秋山徳雄紹介)(第二一〇八号)  同(井岡大治紹介)(第二一〇九号)  同(加賀田進紹介)(第二一一〇号)  同(久保三郎紹介)(第二一一一号)  同(五島虎雄紹介)(第二一一二号)  同(兒玉末男紹介)(第二一一三号)  同(佐藤觀次郎紹介)(第二一一四号)  同(田中武夫紹介)(第二一一五号)  同(多賀谷真稔紹介)(第二一一六号)  同(只松祐治紹介)(第二一一七号)  同(泊谷裕夫紹介)(第二一一八号)  同(中村重光紹介)(第二一一九号)  同(野間千代三君紹介)(第二一二〇号)  同(藤田高敏紹介)(第二一二一号)  同(堀昌雄紹介)(第二一二二号)  同(前田榮之助君紹介)(第二一二三号)  同(武藤山治紹介)(第二一二四号)  同(村山喜一紹介)(第二一二五号)  同(安井吉典紹介)(第二一二六号)  同(柳田秀一紹介)(第二一二七号)  同(山花秀雄紹介)(第二一二八号)  同(横山利秋紹介)(第二一二九号)  公共料金値上げ反対等に関する請願川上貫  一君紹介)(第二一八三号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  物価問題等に関する件(消費者物価に関する問  題)      ————◇—————
  2. 小笠公韶

    小笠委員長 これより会議を開きます。物価問題等に関する件について調査を進めます。  まず、参考人出頭要求に関する件についておはかりいたします。  去る三十日の理事会の申し合わせのとおり、本日は、消費者物価に関する問題について、東京外国語大学助教授伊東光晴君、東京大学助教授小宮隆太郎君及び法政大学教授渡辺佐平君を、参考人として意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 小笠公韶

    小笠委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。     —————————————
  4. 小笠公韶

    小笠委員長 この際、一言ごあいさつを申し上げます。  参考人各位には御多忙中にもかかわらず、本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございました。  本委員会は、去る一月に設置されて以来、物価の現況、政府物価対策実情等中心に、鋭意調査を進めてまいりましたが、本日は、特に深い御識見を有せられる参考人各位から忌憚のない御意見を承り、本委員会調査参考に供したいと存ずる次第であります。  なお、御意見の開陳は、委員長指名順にお願いすることとし、時間は、おおむね二十分程度におまとめいただくようお願い申し上げます。  それでは、小宮参考人にお願いをいたします。
  5. 小宮隆太郎

    小宮参考人 東京大学小宮であります。私、委員会出席して意見を述べろということで、どういうことを申し上げてよいかよくわかりませんのですが、さしあたり、お手元にあるかと思いますけれども、簡単なメモをつくりましたので、それに従って意見を申し上げさしていただこうと思います。  消費者物価の問題についていろいろなことが言われておりまして、皆さますでに御承知の点が多いと思いますので、私は、世間一般に言われている点と、私の意見が特に異なっている点についてのみお話ししたい。その点、大体五つばかりに分けて申し上げたいと思います。  まず第一に、現代のインフレーションに対して、経済学者としての考えというのは、大ざっぱに言って大体二つ見方に分かれているというふうに言っていいかと思います。  これは非常に大ざっぱな話ですが、第一の立場は、ディマンドプル派といいますか、原因というのは需要面要因が非常に強い。つまり、過大な需要があるから、したがってインフレが起こる。対策としては、そういう需要を抑制すればいい、あるいはもう少し日本式にいえば、経済成長を抑制すれば物価上昇はとまる。こういう人々は、理論的には、大体ケインズ理論以前の貨幣数量説に立つ人が多いのであります。そうして経済政策としてどういうことをやらなければならぬかという場合には、完全雇用であるとかあるいは経済成長であるとかいうふうなことよりもむしろ物価安定ということを重視する立場人々が多い。外国では、シカゴ学派フリードマン教授であるとか、あるいはその他自由主義的な傾向が強い経済学者、それからヨーロッパですと、金融界の保守的な人々あるいは各国の中央銀行当局人々というのは、大体こういう立場に立つ人が多いのであります。日本でも、日本銀行の吉野俊彦氏がお書きになりました「経済成長物価問題」という本がございますが、これは、大体こういう立場であります。それからアメリカでは、共和党立場がこういう立場に近い。それから日本で申し上げますと、私の見るところでは、大内兵衛先生をはじめ、戦前派マルクス経済学立場に立つ人は、大体こういうふうな考え方の人が多い。それから私の見るところでは、社会党の立場も大体こういう立場ではないかというふうに見ておるわけであります。  第二の立場は、ここで「コストプッシュ派ないしは成長派」というふうに書いてありますけれども、原因については、供給側要因に主たる原因がある。いろいろな物の価格があまりフレキシブルに動かないという価格硬直性、それから独占的な企業市場支配力を持っている、そういうふうな要因を重視する立場でありまして、対策としては、そういう不完全競争要因を取り除かなければいけない。ことに独占企業であるとか、あるいはカルテル等市場支配力をこわさなければいけない。労働組合についても、それが賃上げについて非常に強い力を持っているという場合には、それを抑制する。そうして価格が自由に変動するようにして、労働はじめ資源のモビリティーを高める、そういうことが対策として重要であるというふうに見る人々であります。これは理論的には、大体ケインズ派立場人々が多いように思います。そうして経済政策目標として、完全雇用であるとかあるいは成長促進ということのほうが、物価安定よりも重要であるという立場をとる人々であります。アメリカ経済学者の多数派はこういう立場に立っておって、特に、現在のジョンソン大統領経済政策に参画している経済学者は、こういう人人が多いように思います。日本では、私ども東京大学の館と私と新飯田、三名で書きました「日本物価問題」というのは、大体こういう立場で書いておりまして、私はそういう立場から申し上げるわけであります。  もちろん、以上はごく大ざっぱな分け方でありまして、さらにいろいろな考え方もありますし、また、その二つ見方といっても、意見が全く対立しているというよりは、むしろ力点の置き方に相違があるというほうが適切かと思います。  以上が第一の点であります。  第二の点といたしまして、私の考えでは、日本のような経済では、経済政策目標として消費者物価の安定ということは、他の経済政策目標よりも何よりも優先する、そういうふうな重要性を持つ問題ではないというふうに考えます。そうして、最近消費者物価の問題というのは、政治問題ないし社会問題としてあまりに大きく扱われ過ぎているきらいがあるというふうに思うのであります。すなわち、経済政策目標としては、やはり完全雇用といいますか、すべての人々が十分な職を得るということ、あるいは経済成長成長率が高くて、実質所得が年々着実に伸びていくということ、あるいは資源最適配分といいますか、日本経済全体として労働、資本、土地、天然資源等々が有効に利用されるということ、それから所得が公平に分配される、あるいは再分配されるということのほうが、物価の安定よりもより重要であるというふうに思うわけです。  最近六、七年の間に、消費者物価は非常に上昇したわけですけれども、いま言いました第一の完全雇用、第二の経済成長、第三の資源最適配分、第四の所得の公平な分配という点から考えますと、この五、六年の間に、日本経済状態ははるかに改善されたというふうに思うわけです。そういうことから言いまして、もちろん物価が安定して、かつ、こういう点でも改善が進めば一番いいわけでありますけれども、いろいろな政治的な制約でそういう点がなかなか両立しにくいということになりますと、物価の安定のほうを優先して考えるか、あるいはいまあげました経済成長完全雇用、そういうことを優先して考えるかという選択の問題になってきます。どちらのほうを選ぶかということにならざるを得ない。もちろん経済政策が非常に強力でありまして、政治的な制約が少ない、どういう政策手段でもとられるというのであれば話は簡単でありますけれども、いろいろ制約が多いというときには、選択の問題があります。  第三の点に移りますが、そういう選択ということになりますと、日本における政治的な状況は、ヨーロッパアメリカとちょうど逆になっているという点を指摘したいと思います。すなわち、労働者階級を代表する政党物価安定ということを重視しておりまして、他方、保守政党経済成長を重視している。これはアメリカの民主党と共和党、あるいはヨーロッパ、たとえばイギリスの労働党と保守党、そういうふうな政党間の対立を見た場合に、日本とはちょうど逆になっております。私の考えでは、労働者階級あるいは一般国民にとって、物価上昇しても、賃金給与その他の所得がこれにつれて上がるというのであれば決して不利ではない。ことに雇用状態がいい、完全雇用ないしそれに近い状態であるというふうなことは、労働者階級にとって非常に重要なことでありまして、労働者階級にとっては実質賃金実質所得の着実な上昇ということが重要なわけで、物価安定は、どちらかと言えば第二義的な重要性しか持たない。この点、資産所得者といいますか、資産所有者といいますか、資産を持っている人は必ずしもそうではない。また、銀行家というふうなことを考えますとそうじゃない。すなわち、自分資産がありまして、それが一定の貨幣価値で表示されている、直接そういうものを持っていなくても、そういうものに利害が間接的にもつながっているという場合には、物価が上がれば、そういう資産価値が減ずるわけでありますから、したがって、物価の安定ということは、そういう資産を持っている人にとっては非常に大きな利害上の問題でありまして、アメリカヨーロッパにおいて保守派人々が、物価安定ということのほうが、経済成長を犠牲にしてでも重要だと言うのは、そういう理由からであります。  最近一年間に消費者物価が非常に上がりまして、家計の消費生活が苦しくなっているということは事実でありますが、これは消費者物価上昇したからというよりも、むしろ不景気のために実質所得があまり伸びていない、成長率が停滞している、そうして雇用や内職の状況を見ても、最近は不景気であるために、ここ数年来の大幅な改善状況が停滞している、こういう理由のほうが私には重要に思われます。国民の暮らしを楽にするためには、何よりも不況を早く切り抜けて、実質所得が着実に伸びるというふうなことが重要であるというふうに思います。ただし、インフレーションという場合には所得の再分配が起こりますから、そういう点では配慮が必要でありまして、第四に書きました点については、特に配慮が必要であります。  その第四点は二つありまして、社会保障給付であるとかあるいは年金、恩給、そういうものは消費者物価指数にリンクしなければいけないということであります。たとえば、厚生年金というふうなものをとってみますと、これは、勤労者が強制的に月給の中から差し引かれて積み立てて、そして二十年か三十年たったあと給付にあずかるわけでありますが、その間に消費者物価が上がった場合には、その上がった分だけ給付をふやす、そういうふうにして、消費者にとって物価上昇のために不利を受けるということがないようにする、こういう配慮一つ重要である。それからもう一つ貯蓄をする人々のことを考えて、消費者物価が上がったときには、上がった分を調整して、その分だけ多くお金を返してくれる、こういうふうな消費者物価指数にリンクした小額面国債というものを発行して、貯蓄をしたら損をしたというようなことがないようにすべきであるというふうに思います。  それから第五の点として、対策でありますが、私は、現在の政治的な制約のもとでは、あまり有効な対策というものは見当らないというふうに思うのです。したがって、消費者物価上昇というものは当分続くであろう。毎年五%ずつくらいは、ここ三、四年の将来を考えてまいりますと、おそらく続くのではあるまいか。しかし、消費者物価の安定ということは重要でないと言うのでは決してありませんで、やはり対策としてでき得る限りのことはやらなければならない。  その点について二、三申し上げますと、第一に、物価対策と言いましても、一般経済政策、すなわち財政金融政策独占禁止政策あるいは産業政策農業政策、そういうものと離れて別個に物価対策というものはあり得ない。そういう政策を担当する大蔵省、日銀、公正取引委員会等々の官庁中心になって、経済政策の一環として物価安定政策を実行する以外にはないわけであります。ところが日本現状では、各官庁がそれぞれ関係業界を保護するという色彩で、農林省とか通産省という官庁をとってみますと、物価を下げるどころか、むしろ物価を上げることに熱心になっているような状況であります。そういう状況では、物価上昇を回避することはなかなかむずかしいものと思います。ですから、そういう各官庁自分のなわ張りの関係業界の保護ということを先に考えるのではなく、やはり総合的な経済政策のほうを先に考えて、安定をはからなければだめであろうと思います。  それから対策の第二の点として申し上げたいことは、一体個々のものの価格であるとか料金ですね。消費者物価指数というふうな物価水準ではなく、個々価格というものは、そのもののコストであるとか、あるいは需給状況を正確に反映すべきものだというふうに思います。そういう個々価格を決定する場合に、所得分配的な考慮は盛り込むべきではない。むしろ所得分配ということは、累進的な所得税社会保障制度や、あるいは住宅政策というふうなものを通じて、所得の公平な分配をはかるべきでありまして、個々価格へそういうものを盛り込むべきではない。最近論議されております個別的な物価対策を見ますと、それは大体個々物価の値上がりを抑制しよう、そして現状維持でいつまでも価格体系を変えない、無理に守ろうとするというような傾向が大きいわけでありますが、こういう現状維持というのは、弊害が多くてほとんど意義を認めないのであります。公共料金コストが上がったときには上げなければいけないのでありまして、公共性というふうな概念ははなはだあいまいなもので、そういうあいまいな理由個々価格上昇を押えるということは、正しい対策とは思われないのであります。  それから物価対策一つの案といたしまして、所得政策というふうなことが言われております。これは要するに、私の見るところでは賃金抑制政策であって、結局のところ賃金給与所得者にとって不利な政策となる可能性が多い。実行可能かどうかという点から言っても、考慮に値しないというふうに私は思います。  さしあたり積極的意義が認められるものは独占禁止政策、ことにカルテル行為、再販売価格維持というものを取り締まるというような点、それから農水産物、肉類、酪農製品、こういうものの輸入自由化ないしは輸入促進をはかるというくらいで、あとは総合的な経済政策全般の中で物価安定をはかるという以外には手段がないように思います。  いただきました二十分で大体私の意見を申し上げました。以上で終わります。
  6. 小笠公韶

    小笠委員長 次に、渡辺参考人にお願いいたします。
  7. 渡辺佐平

    渡辺参考人 御指名いただきました渡辺でございます。物価の問題につきまして私見を述べさせていただきたいと思うわけでございますが、本日は資料を用意してまいりませんので、ただ申し上げるのをお聞きいただきたいと思います。  物価の問題というのは、皆さん長年御研究なされておりましょうが、非常に多くの問題にわたっておりますので、私がここで何を申し上げましても、結局は、その問題の一面をかするというふうなことになるかと思います。私は、別に物価問題を専門に研究している者ではありませんので、私が何か申しますと、非常に一面的なことになるかと思うのでありますが、その点は何とぞ御了承願いたいと思います。  物価問題といいますのは、もうこれまでずいぶん各方面から議論がなされておりまして、日本におきましても、りっぱな著書がたくさん出ているくらいであります。しかし私は、これまで論議されております物価問題についての議論を拝見いたしまして、何かまだ一つもの足らないと申しますか、十分議論が尽くされていないのじゃないかということに気がつくのであります。それはどういうことかと申しますと、物価上昇、特に最近における消費者物価上昇でありますが、これがいわゆるインフレーションからきているものであるかどうか、あるいはそれと何らかの意味において関連しているものであるかどうかということについて、肯定的にしろあるいは否定的にしろ、十分その説明がなされていないんじゃないかということを感ずるわけであります。  もちろん、インフレーションと申しましても、私の考えは狭いかと思いますが、それは単に物価が騰貴したということをもってインフレーションだというわけではございません。商品価格あるいは物価といいますのは、それを一つ一つ見ますと、あるいは商品を何らかのグループに分けてみますと、それぞれについて生産事情、あるいは流通の事情、またそれが市場需給関係等事情から、いかにもその価格の動きがもっともだといふうな事柄を見い出すことができると思います。価格説明といいますか、物価説明につきましては、そういう事情がよく述べられまして、そして説明されているわけでありますが、しかし、私はこういう最近の物価上昇、ことに消費者物価の力強い、年々休みのない上昇状況を見ますと、そこに何らか一つの大きな力がその底に働いているのではないかということを感ずるわけです。その力が何であるかということ、これはやはりインフレーションの問題を、ここに関連さして考える必要があるんじゃないかという疑いを持つわけです。つまり、インフレーションと申しますのは、需給関係によってあらわれる物価の騰貴でありますけれども、その関連の中に貨幣価値下落貨幣価値変動というものを伴っていく、そういう価格変動、これをインフレーション、つまり単なる需給関係需要が増大したというようなことではなくて、その需要の増大の底にある、それを可能にする金融財政政策によって起こる貨幣価値変動、こういうものがインフレーションである、私は狭いかもしれませんが、そう考えるわけであります。こういうインフレーションが、物価変動あるいは上昇の中に起こっているのではないか、この関係を十分に説明することは、私も全くできないわけでありますけれども、とにかくいままでの物価理論の中には、この点を十分に究明した方がまだあらわれていない、これから出るかもしれないが、そういうふうに考えるわけであります。私はそういうわけでこの点についてお話し申し上げたいと思うのでありますけれども、この究明と申しますか、これをインフレーションだと断定することはできませんし、それを十分説明する能力もございませんので、そうではないかというふうな疑いにつきまして、三つばかり私の考えを申し上げたいと思います。  第一の点は、御承知のようにわが国の物価につきましては、卸売り物価は、いわば総合指数で見ますと、ここ数年にわたって大体安定的になっておりますが、消費者物価がこれに反して、年々かなり大きな幅の上昇率を示しているわけです。このことにつきまして、私は、消費者物価上昇したということがすぐインフレーションをあらわしておるというふうに申し上げる考えはないのでありますが、ただ、卸売り物価と異なって消費者物価が引き続き力強く上がり続けているということによって、この卸売り物価消費者物価との間に開きがだんだん大きくなってきておる、このことに私は一つ疑いを持つわけであります。  と申しますのは、どういうことかといいますと、卸売り物価の安定は、これは決して通貨価値の安定を示しているものではないと考えるわけです。前にはよく、卸売り物価上昇しないから通貨価値は安定しておるのだといったような議論が聞かれたわけでありますが、最近はそういうことも言われないようでありますけれども、私は、そういうふうにこの安定を見て、通貨価値の安定というふうには考えない。私の考えは、むしろ卸売り物価の安定しているのがおかしいので、下がったほうがほんとうなのではないか。と申しますのは、卸売り物価にあらわれますような商品の多くは、最近の高度成長の結果として、生産力の非常に上昇した部門からのものが多いのではないか、そういうものは、いわゆる価値は下がっているわけでありまして、その価値をあらわす価格というものが下がるのが普通ではないか、そういうように考える。それが安定しているということは、決して貨幣価値が安定しているということではなくて、むしろその価値を十分にあらわしていないのじゃないかという疑問を持つわけです。それはともかくとしまして、消費者物価上昇はそのままインフレを示しているというふうには申しませんけれども、この上昇は、また何らかの意味において、あるいはその基本の関係においては、通貨価値下落によってささえられている、考えようによってはそれをある程度あらわしているのじゃないかというふうに考えるわけです。  消費者物価上昇につきましては、ごく大まかに申しますと、実は卸売り物価が安定しているのと同じ根源に基づくものであって、それは、言うまでもなく高度成長政策というものがとられたことによって起こってきたものであるというふうに私は考えておるわけです。といいますのは、この高度成長政策のために非常に大きな投資が行なわれたわけでありますが、この時期を、人は投資指導経済というふうに呼んでおりますけれども、この投資指導と申します投資という中には、当然労働力の購入というものを含んでいるものであって、この労働力の購入というのは、言いかえれば消費財の需要を内容としているものでありまして、労働力という形を通じて、結局は消費財の需要をここに増大させてきたというのが、従来とられた高度成長政策による投資増大の効果である、こう考えるわけです。  ところが、このように消費財の需要が増大しているにかかわらず、他方では、この需要に応ずるところの消費財の生産につきましては、その生産性を高める政策が十分行なわれなかったこともあるかもしれないが、ともかくこの生産性の上昇は鈍くて、需要増大に供給増加がついていけないということ、他方では労働力価格、つまり労賃の上昇というようなこともありまして、消費者価格上昇したという関係にあると思います。  この消費者物価上昇を、そういう物価の動きという現象、あるいはそれが起こる市場状況においてだけ見ますと、いかにもこれは需要と供給のアンバランスによって消費者物価上昇があったというふうに感じられるわけです。しかし、いまこの問題をもう少し広い目で、言ってみれば国民経済全体の中でながめてみますと、まずこの消費者物価上昇というものが、高度成長政策によって各企業部門の投資の増大とか、財政支出、特に財政投融資の増大というようなことが行なわれた中で起こっているということを見のがすことができない。いまこの数字を見ますと、御承知のところと思いますけれども、これは私非常にラフに計算したので、正確には多少動きがあるかと思いますが、国民生産というのは、三十五年から三十九年にかけて約五割増大しておりますが、個人消費支出というのは、私の見た数字では一三九、約四割弱しか同じ期間に増大していない。ところで国内の民間の総資本形成といいますのは、いろいろなものを含んでおりまして、必ずしも大企業部門の資本とはいえないと思いますけれども、この伸び率は、同じく約五割であります。そして政府の財貨サービス購入というのは、約八割三分、一八三ばかりになっているわけです。この事実を見ますと、つまり個人消費というのは、全体の国民生産の中でだんだん比重を低めてきている、あるいは伸び方が弱いということがそれによってあらわれている。そして、これは考えようによりますと、個人消費がこの価格上昇というものを通じて、本来伸びるはずのものが伸びないという形において圧迫を受けまして、その犠牲において資本形成とか政府の財貨サービス購入というものが実現されておるという関係にあるのじゃないかと思います。こういうことが、実はインフレーションの本質なのでありまして、価格上昇を通じて国民の生活に圧迫を加える、そしてそれが政策的に他の政策目的のために使われる、こういうことを可能にするのがいわばインフレーション政策であり、そういう政策が実現されますとこういう形になるのじゃないか、こういうふうに私は考えるわけであります。この点に私は第一に疑問を持つわけであります。  次に、通貨価値の問題でありますけれども、この価値が動いたかどうかということ、これは非常に実証というか、申し上げることがむずかしいのでありますけれども、私の疑問としますところは、まず卸売り物価が安定しているということでありますが、そのこと自体もすでに私は少しおかしいと申したのでありますが、さらに、ここで私が問題としたいと思いますのは、一つは、物価と申しましても、輸出入商品価格を見ますと、輸出商品価格の動きと輸入商品価格のそれとは、指数で見ますとそこに違いが見られる。たとえば、輸出品の指数をその総合で見ますと、他の指数と同じように三十五年を土台として見まして、四十年の十一月、これが手に入ったわりあい新しい数字でありますから申し上げたいと思いますけれども、四十年の十一月では九一・七、輸入品の同じときの指数は一〇二になっておりまして、こういう開きがあるわけです。また、もう一つの点を申し上げますと、同じ商品の部類、完全に同じというふうに言い得るかどうかは問題でありますけれども、同じような商品の部類につきましてその価格を見ますと、同じ商品の輸出価格と国内の価格について開きが見られる。たとえば、同じベースにして先ほどの四十年十一月の指数を見ますと、機械あるいは金属及び同製品というグループの価格でありますが、四十年十一月には、機械は、輸出価格は七一・四でありますが、国内価格は九四・五、それから金属及び同製品について見ますと、輸出価格は八六・三でありますが、後者は一〇一、こういうふうに国内の価格と輸出価格との開き、こういうことは、言ってみれば国内における通貨価値下落を一方においては反映している。その価格で輸出しては、国際市場では為替相場は一定でありますから、それでは通用しないという結果、価格を下げざるを得ないということで下げておる。これは、インフレーションの場合における一つの形であると私は考えます。そして私は、これをインフレーションの問題について疑いを持つ一つ理由にしているわけです。そういうことを考えますのは、インフレーションというのは、先ほど申しましたようにそういう需給関係にあらわれますけれども、需要を引き起こすもとに通貨の増大を伴っているという場合、これがインフレーション考えるわけであります。  この点はどうなっているかということが、第三の点でありますが、これはしばしば議論されているところでありますし、ここで詳しく申し上げる必要もないと思うのでありますけれども、まず、高度成長政策が行なわれてきた経過を見ますと、その中では、まず財政支出が非常に増大している。その増大というのは、一つは、一般会計においてばかりでなくて、財政投融資において特に増大が激しい。それをまかなう資金のもととしましては、前年度の剰余金を食いつぶしていくとか、あるいは財政支出の一部を公共投資のほうに加えて政保債の発行を増大していくとか、あるいは特別会計においては支払いの超、支出超過をそのままにして、他の会計との調整をしないというふうなことがあったんじゃないかと思います。その結果、この数字そのものの評価は非常に問題でありますけれども、大勢をあらわすものとして、政府資金の払い超を見ますと、三十七年度から四十年度にかけて、年度末における政府資金の払い超というものは引き続いて起こっているわけです。この数字は、たとえば三十七年度においては千九百六十一億、三十八年度が四百九十八億、三十九年度が四千六十六億、四十年度は大体千五百億ぐらいとなっておりますが、こういうふうに政府資金の支払い超過というものが起こってくる。この支払い超過がどういう仕組みでなされているか、それはこまかい検討を必要としますけれども、ともかく、これが日銀の信用をある程度土台として起こる。したがって、他方においては、この状況の中で日銀券の発行その他の日銀信用が増大しているという事実が見られるわけです。さらにまた、財政ばかりでなくて産業投資につきましても、その多くが日銀の信用によってなされている。その一般日本の信用制度の裏づけ、その貸し付け力を補強しているのは日銀の信用でありまして、高度成長政策のときに行なわれた巨大な産業投資は、日銀信用の拡大を一つの支柱として、バックとして行なわれたということは否定できない。そういう結果が一つあらわれておるのであります。  それは、たとえば先ほど申しましたように、わが国の国民生産というのは、三十五年から九年にかけまして約五割の増大をしておるといわれておるが、日銀券はこの間に九割四分ほど増大をしておるのであります。それから全国銀行の総預金額は、その間に約二倍になっております。しかし預金の内容を見ますと、当座預金といういわゆる通貨性預金でありますが、これは二三一という指数で、二・三倍ばかりになっております。定期預金はそれほど伸びないで九割くらいの伸びですが、もちろん国民生産よりは増大しておる。こういう金融資産の増大、特に通貨性預金の増大が、国民生産あるいは経済成長——ということは何をいうのか私よくわかりませんが、そういうものが国民生産の伸び率で見られるのだとすれば、日銀券も通貨性預金もそれを上回って伸びておるということは否定できないわけです。こういう膨張を土台として経済成長政策が実施されたというこの関係、これは、先ほど申しましたような種々な需給関係の中においてなされるのでありますが、その際に、通貨価値下落が起こっておるということは容易に考えられることであると思います。この関係をこまかく分析して、その関連を御説明申し上げることは非常にむずかしいのでありますが、大まかに申し上げますと、以上のような関連を否定することはできない。つまり、消費者物価上昇ということは、ある関連においてインフレーションにつながっている、インフレーション一つのささえとしておるというふうに私は考えるのであります。  私がこう申しますのは、これから先どうなるかということでありますが、経済成長政策に続いて同じ政策、特に金融財政政策ではそれを上回る公債発行によるフィスカルポリシーといわれるものが行なわれるわけであります。これで公債発行がなされますと、結局は日銀信用の増大というものは必至でありまして、これまでよりは非常に確実に増大する、そういうことが、結局通貨価値の安定を乱す、あるいはいままで下落してきた通貨価値下落速度を速めることになりはしないか。そのことは、消費者物価上昇をさらに促していくことになるということが考えられる。もちろん、消費者物価というものはいろいろの要因によって動くのでありますから、これを引き下げる作用も出てくるでありましょうし、その上昇率が、必ずしもインフレーションの進行速度を速めるということは言えないのでありますけれども、その底にこういう力が依然として、あるいはより力強く作用していくものではないかということが、私の今後の問題の見通しとして、大いに心配するところであります。  こういう心配も、よく戦前派経済学者は、悲観主義者といわれたものであります。悲観に過ぎるかもしれませんが、以上、私の考えを述べさせていただきました。
  8. 小笠公韶

    小笠委員長 次に、伊東参考人にお願いをいたします。
  9. 伊東光晴

    伊東参考人 小宮さんが初めに、いまの物価問題に対する二つ見方というものを申されましたが、私もそのとおりだと思います。  一つ需要要因重視、貨幣数量説を正しいとし、安定政策によって物価を安定させる、こういう考え方でありまして、片方は供給要因重視、貨幣数量説の否定、そしてむしろ成長政策のほうにウエートがある。こういうのは小宮さんの分類どおりでありますけれども、ちょっと詳しく申し上げますと、日本におきましては保守、革新を問わず、若いゼネレーションがこの第二の要因、供給要因重視、そしてお年寄りの方が、保守、革新を問わず需要要因重視というぐあいになっております。たとえば、マルクス経済学でも、若い高須賀さんの新著は、この第二の説に立っております。そして私は、一と二が決して無関係であるとは申しません。関係はあると思いますけれども、やや第二の要因のほうに立っているとみなされております。現に小宮さんの本でも、そういうふうに書かれております。自分立場をまず小宮さんと同じように申し上げて、本論に入りますが、物価問題については非常にたくさんのことを申し上げなければならないので、小宮さんと違う視点で、ダブらない観点で何点か申し上げたいと思います。  第一点は、ハーバード大学のガルブレイスのことばを引用するまでもなく、現在の物価上昇というのは、それは次第次第にケインズ的な景気政策ということが先進国に定着し、しかも、大企業がかなり優位していく寡占経済体系というものが一部に生じている。そういう二つの結果の上に立ってくるところの病でありまして、そして物価が単に上昇するだけではなしに、卸売り物価よりも消費者物価のほうが上昇率が高いということは、先進国一様の病であります。そういう意味で現在の物価問題は、現代資本主義に対する病にどう対処するかというぐあいに一般的に置きかえることができると思います。ただ、それだけではありませんで、日本消費者物価上昇を見ますと、これは先進国に比べてはるかに高い上昇率を示しております。卸売り物価については性質がやや違うということ。これは皆さん御存じのとおりです。こう見ますと、実は日本物価問題というのは、単なる現代資本主義の病だけではなしに、日本的な病がそれに自乗されている。そこで、先進国の病プラス日本の病という二つに対処するということで、先進国以上に非常にむずかしい問題を持っているということが第一であります。  第二は、アメリカに例をとり、あるいはイギリスでもけっこうでありますけれども、物価上昇と景気という関係を見てみますと、これはサムエルソン、ソローがイギリスのフィリップという学者の研究をちょうどアメリカに移し植えまして、そしてやったものでございますけれども、失業率とそれから物価上昇との関係考えてみます。失業率がある程度多くないと、現在の経済構造を前提とした場合においては物価安定はあり得ないということであります。ほぼ五・五%程度の失業率において物価安定がはかられる。もしも三%ぐらいの失業率にいたしますと、つまり景気をかなりよくいたしますと、物価は四ないし五%上昇するということが、経験的事実として報告されております。ほぼイギリスでも同じであります。つまり、景気をかなりよくしていくと物価上昇がある。しかし、景気を押えて不況政策に転じていくと、そうするとある限度において物価安定が可能である。ところが五・五%という失業率は、現在のアメリカにおきましてはかなりの不況であります。こういう考え方日本にあてはめてみまして、一体どの程度の不況政策日本を追い込んだならば物価は安定するであろうかということは、まだ結論は出ておりません。しかし、私どもの考えでは、相当強い不況に追い込まない限り、日本においては、単なる不況政策によって物価を安定するということは不可能であろうと思います。人によっては七%の失業率ということを申しますけれども、私はもう少し多いのではないかと思います。それは、日本経済構造がアメリカ経済構造と違っているからだろうと思うのであります。そういたしますと、金融を引き締め、安定成長政策に追い込んで、日本物価政策を反省するというような、そういう方策だけであったならば、相当な不況で、その不況に日本企業は耐えられるのか、日本労働者は耐えられるのかという問題になってまいります。私は、それには耐えられないだろうと思うのです。一昨年以来の日本の安定成長政策、不況に追い込んでそうして安定経済路線に日本を持っていく、物価安定政策に持っていくということが、実は途中において、ある程度の不況において、これが別の政策に転換せざるを得なかったということ、単なる不況政策、安定政策をもってしては、こうした物価安定政策は実現できないという一つの証拠であったろうと思います。私はその点では、先ほどの、お年寄りの方々の考え方需要要因説は決して間違いではないと思います。需要を引き締めましてうんと不況にいったならば、確かに物価は安定するが、しかし、そのときはおそらく山一も破産し、そのほかの大企業もかなり破産して、相当激烈な不況状態日本になっていく。それでよろしければ、第一の立場に立って日本物価は安定するだろう。しかし、それはおそらく労働組合企業もだめでしょう。とすれば、われわれは第二の方策、別の方策においてこれを考えなければならないのではないか、そう思うのです。以上、デフレ政策物価上昇は現実にはとまらないのではないかということが第一点です。  第二点は、それではどうしていま徐々に徐々に先進国においても物価上昇がきているのかということでありますけれども、これにはいろいろ説明しなければなりませんけれども、一つの大きな要因は、恵まれた企業分野、恵まれた産業分野におけるところの超過利潤が、企業外に流出しないということがまずありまして、そしてそれが高利潤、高賃金賃金を引き上げる、利潤を内部にたくわえさせていく、そういう傾向を引き出す。昔だったならば、恵まれた場合、それは生産上昇あるいは需要が非常に伸びるというような場合においては、それは競争の結果価格が低下いたしまして、企業外に、需要一般にその恩恵を与えたでありましょうけれども、それがそういう要因ではなくなりまして、かなりの程度企業内に沈澱する傾向があらわれてきた。そしてそれを可能ならしめましたのは、かなり需要要因が強いということ、それから大企業価格支配力がここに形成されているという二つ要因であります。そして、こうなりますと、恵まれた分野において賃金上昇がありますと、それは労働市場がかなり緊迫している条件のもとにおいては、恵まれない分野におけるところの賃金を引き上げさせる、そういう波及現象が出てくる。そして、こうした恵まれない分野の生産上昇率が低い、あるいは需要要因が少ないというような場合においては、この賃金上昇物価上昇に転嫁せざるを得ないというようなことになっておりまして、この分野におけるところの物価上昇がある。そして、このような恵まれない分野としては、往々にしてサービス部門、消費財に関係する分野であります。つまり、恵まれた大企業分野、そこにおけるところの超過利潤の沈澱化、それが恵まれない分野の物価を引き上げていく、こういう傾向、そしてそれがさらに、アメリカの場合においては、消費者物価一般上昇が、また恵まれた分野の大企業賃金上昇になり、価格にはね返っておるというらせん型の状態であります。  こういうような状況を押えるためにはどうしたらいいか。ある程度失業率を増しまして、そしてこの恵まれた分野の賃金上昇が他の分野に波及しないという方策をとるのも一案でありましょう。おそらくものすごい不況に追い込むなら、日本高度成長以前の労働市場が現出して、そうして、この恵まれた分野のみの賃金が上がり、恵まれない分野においては賃金上昇率が少ないという、賃金格差が生ずるだろうと思います。そういうことは、政策として今日とるべきではないと思います。そうしますと、もう一つは、どうしても大企業の超過利潤をなるべく企業外に流出するように、競争条件をつくるということだろうと思います。この点につきましては、先ほど小宮さんが最後のほうで言われたことと一致いたします。  ただ、この場合、日本アメリカとのかなりの相違があります。日本は、大企業分野においてはかなりな競争状態であって、アメリカのような協調状態はないといわれておりますけれども、しかし、日本の大企業のかなりの分野においては、後発メーカーがどんどん設備を増設して先発メーカーに食い込んでおります。なぜ後発メーカーが参入しているかといえば、それはかなりの超過利潤がその分野にあり、後発メーカーが参入して、後発メーカーがかなりの犠牲を払ってもなおもうかる、そういう状態がそこにあるからであります。近代化路線の結論として、一体その産業においてどの程度の超過利潤があるかということを示します一つの指標は、後発メーカーが入っているか入ってないか、入っているという段階は、相当な超過利潤を先発メーカーが得ているのである。そういうように後発メーカーが入る場合には、明らかに先発メーカーに超過利潤があるのではないか。日本においては、この後発メーカーが入りやすい日本的条件というものがありますけれども、しかし、それを別にいたしましても、先発メーカーがかなり超過利潤を得ている。その結果、後発メーカーが次々に食い込み、そうして、やがてそれが乱立になりまして、今日各分野に見られますような過当競争現象というものを現出していると思います。そしてその過程において、先ほど申し上げましたところの恵まれた分野の賃金上昇が他の分野に波及するという形において、そして恵まれない分野の価格を引き上げるという傾向を引き出しているわけであります。  そこで、ここで一つ重要なことは、ぜひともこの先発メーカーの超過利潤を押える、そして企業外に流出するというような組織をつくっていただきたいと思います。たとえばアメリカにおきましては、上院のキーフォーバー議員が、この大企業の超過利潤を明らかにするという委員会をつくって、これにメスを入れております。そういうような委員会をぜひ日本の国会においてもつくり、そうして大企業の超過利潤を押えていただきたいと思います。こういうことは単に国民の利益ばかりでなく、大企業の利益でもあると思います。と申しますのは、先発メーカーが、先ほど申しましたようにあまりにも超過利潤を得ていますと、後発メーカーが次から次に入ってしまい、やがて将来においては非常な過当競争現象を現出いたしまして、先発メーカーも苦しまねばならない。そういうことはナイロン、テトロンにおいて、先発メーカーとしてあれだけ優位を誇った東洋レーヨンが、今度後発メーカーの参入によって非常な苦境を招いているということでもおわかりいただけると思います。どうかそういう乱立がこない前に、この大企業の適正な価格を維持するように、国会においても押える委員会をつくっていただきたい。そうすれば、これが適正な競争状態になると思います。もうすでに乱立が始まってしまってはだめでありますが、それ以前においてそういうことをやっていただきたい。それは非常に長いことでありますけれども、物価安定の構造要因一つになると思います。  とは申しましても、日本の現在の物価上昇は、御存じのとおり中小企業製品、農産物、サービス、公共料金等の値上がりであります。そしてここにおいては、単に生産上昇がゆるやかであるがゆえに、物価上昇賃金上昇であるからやむを得ないとは言い切れない日本的な病を持っております。それは何かと申しますと、賃金上昇、そしてそれを十分吸収するに足るところの生産上昇が可能であるにもかかわらず、そういう道を選ぶことをせずに、容易に価格上昇に転嫁して、いままでどおりの前近代的な構造を維持しようという、そういう中小企業分野があまりにも多いからであります。  私は、これについて幾つかの例もあげましたけれども、一般的に申しますと、戦前、ヨーロッパにおいては進んだ技術があるにもかかわらず、日本においては低賃金であるために、そうした進んだ技術を高額で導入するより、生産性の低い労働力をうんと使う、そういうものをつくったほうが得であるという中小分野がありまして、それは低賃金に依存する。低賃金、低生産性、低資本装備率、そういう形で切り抜けまして、ヨーロッパ的な高賃金、高生産性、高装備率に移らないという場合がかなりありました。ところが高度成長下におきましては、昭和三十七年ころまでは、賃金上昇、これを吸引すべくいままで顧みられなかった最新式の技術を導入いたしまして、賃金を上げることが最新鋭の技術を導入する契機になり、高賃金、高生産性、高資本装備率に部分的において転換が起こり出した。しかしそのとき、かなりの分野において、こうした中小企業、サービスそのほかにおいても賃金上昇した。生産性は上がらないのだから、物価上昇はやむを得ないのだというような考え方、具体的にはこれは下村さんの考え方でありますが、そういう考え方がかなり浸透したために、この分野においてはカルテルがつくられ、構造変化よりは、むしろいままでどおりの構造で、価格賃金上昇を転嫁してしまって、依然として前近代的な構造を維持するという傾向が顕著に見られ、三十八年からは、呼水の零細企業分野の近代化の要因がとまってしまいました。私は、これは非常にまずかったと思います。賃金上昇、構造変化、こういう要因を促進するために、ある場合においては中小企業の分解、それもやむを得ないのではないかと思います。  同じようなことは、流通部門についても言えまして、たとえば、消費財のうち野菜をとりましても、それから日用品をとりましても、流通の段階においてどのくらい利潤が付加されているかといいますと、何といっても小売り段階において非常に多くのマージンがかけられております。これは製品の中におけるところの売り上げ利潤率でありまして、資本利潤率ではありませんけれども、たとえば野菜について申しますと、仕入れの五割から十割という利潤額を小売り段階にかけられている。なぜこういうぐあいにかけられているかと申しますと、この分野が非常に前近代的な生産構造を持っていて、売り上げ数量が少ないために、どうしてもその製品自体にたくさんの利潤額を加えなければならない。もしこれが近代的な大量販売をするような流通メカニズムになるならば、かなりの程度値段を押えあるいは下げることができるのだろうと思います。たとえて申しますと、これは非常に具体的なことで申しわけありませんけれども、スーパーマーケットでいかに安売りされているかという一つの例でありますが、本格的スーパーマーケットにおきましては、牛乳が五合で六十二円から六十八円であります。一合十二円くらいから売られているという現実すらある。これは大量に売ることによりまして成り立つ。こういうような分野、それを育成するということが、いま物価安定政策においてはかなり必要だと思います。しかし、そうなりますと、既存の商店というのは非常な圧迫を受けます。現に、私が見ましたところの地方の非常に物価が高い町に新しいスーパーマーケットができましたときに、どういう反応があったかというと、このスーパーマーケットは高田の薬屋さんの息子がつくったマーケットでありますけれども、それに対して地元の反応は、保守党の地方議員の方々はどうしたかというと、いままでの既存商店の人たちから陳情を受けまして、何とかしてスーパーマーケットを押えようとして、かなりいろいろなことをされました。それで警察もあるいは消防署も動いて、いろいろ押えることをいたしました。それはそのとおりだと思うのです。既存商店というのは、ある意味において保守党の選挙基盤の最高組織だろうと思う。それから革新政党のほうはどうしたかというと、独占資本来たるというので、このスーパーマーケットに反対しております。高田の薬屋さんの息子がつくったマーケット、それが一体アメリカ帝国主義と日本独占資本の手先であるとは、私にはどうしても考えられない。  こういうぐあいに見ますと、実は新しい流通末端におけるところの合理的な組織をつくることによる物価安定というものは、かなりの程度日本の既存の政治の最下部組織に対する戦いであるかもしれないと思う。しかし、そういうようなことを取り除いて合理的な流通末端をつくることなしに、おそらく物価安定政策はあり得ないだろうと思う。  私は、いま流通部門その他についていろいろ例を申しましたけれども、農村についても同じであります。おそらく安定せる物価というものは、合理的な経済構造をつくらないで、ただ保護政策そのほかだけでやっても、これは実現されないと思う。この点は、小宮さんがいたずらな安定政策はいけないと申されたのと私と意見が一致いたします。  そのほか、物価上昇現状のままでは——いま私が申し上げましたのは構造変化でありまして、長期的な問題で、短期的にはこれは実現がむずかしいということも小宮さんと同じであります。そのためには、社会保障給付そのほかの政策、これを行なっていただきたいということも同じであります。現に物価上昇において一番困るのは恵まれない人たちであります。そういう人たちの実情は、どうしてもこの物価上昇に追いつかないということです。特に現在の日本物価上昇は、生活必需品の物価上昇であります。ヨーロッパにおいては、青いものは非常に高い。先進国になれば高くなると申す人がおられますけれども、向こうでは、青いものというのは庶民は食べないで、庶民はビタミンを果物からとるのです。そうして、なま野菜というものはかなり裕福な人が食べる。そういう国においてはそういうものが上がってもよろしいでしょうけれども、しかし、日本のように貧乏人がなまのものを食べるという国においては、こういうものの安定政策というものがぜひ必要であります。そのためには、日本の非合理的な経済構造に一つのメスを入れるということ、これをどうか大胆にやっていただきたいと思います。
  10. 小笠公韶

    小笠委員長 参考人の御意見の御開陳は終わりました。      ————◇—————
  11. 小笠公韶

    小笠委員長 質疑の通告がありますので、順次これを許します。兒玉末男君。
  12. 兒玉末男

    兒玉委員 小宮先生にお伺いしたいのです。  一通りちょっと見ただけでよくわからないのでありますけれども、最初のページの2のところに、賃上げ抑制というのがあるわけであります。私は、現在の日本労働者の賃金構成というものは非常に複雑であり、アメリカ等のいわゆる先進国と比較して、かなり賃金は低いのではないかと思うのですが、大体抑制するラインというものをどの程度のところに置かれて、こういう一つ意見が出されておるのか。  それからもう一つは、一番最後の項でございますけれども、特に、いま伊東先生も言われましたとおり、生鮮食料品の上昇率は、確かに魚類、野菜類、これが双璧であります。この中で、特に農水産物、肉なり、酪農製品等の輸入自由化ないしは輸入の促進、こういうことが一つ対策として表明されておりますが、現在の輸入自由化率で輸入されました乳製品なり農水産関係の品物は、決して安いということも言えないわけです。たとえば、ノリ等の場合は四倍から五倍近くの価格で売られておりますし、また、あるいはくだもの類のバナナ等についても、これはもちろん関税政策もありますけれども、かなり高い価格一般に市販されております。そうしてまた、国民生活上非常に影響ある砂糖類の場合においても、これは現在国内糖価安定のため課徴金をとっているわけですけれども、このような状態というのは、国内においてある程度自給体制というものが強化されないと、自由主義経済のもとにおいては、逆に価格が高騰する危険性が十分あるのではないか。イタリアは戦後約十年間くらいでビートの自給度を八五%に高め、外国からの輸入をごく一部にとどめて安定をはかった。こういう例等から判断しましても、国内の自給体制の強化というものを考えない自由化ということは、逆に価格高騰を招く危険があるのではないか、この点について御説明いただきたいと思います。
  13. 小宮隆太郎

    小宮参考人 まず第一の点でありますけれども、労働組合等の賃金引き上げの要求を抑制すべきであるというのは、私の説明が不十分だったのですが、対策のところの小さい3にございますように、いわゆる所得政策として、全国的な規模で賃金引き上げに対して抑制をするというふうな政策は、これは賃金給与所得者にとって不利な政策となる可能性が大きいから反対であるというふうに私は考えておるわけでありまして、ここで賃上げ抑制と言いましたのは、市場支配力を持っている独占企業、そしてそれと同じように、賃上げに関して独占的な力を持って、他の労働者階級がとっている賃金に比べて非常に高い賃金をとるような労働組合、そういう市場支配力に対する政策として述べているのであります。  それから、現在の日本賃金が高いか低いかということは別の問題として考えまして、私は、現在の日本で一番大きな問題は、低賃金部門といいますか、賃金格差が非常に大きいという点にあると思います。やはり賃上げによってそういう低賃金部門の格差を解消していくという点が一番大きい政策課題ではないかと考えております。  それから、生鮮食料品等農産物の輸入自由化云々の点は、輸入自由化を促進するから自給体制のほうはほうっておけというものではありませんで、現在、外国から輸入したほうが安いにもかかわらず、それを制限して輸入しないというふうな点は改めるべきであろうという点が一つと、それからもう一つ、入ってきたものは、けっこう中間のマージンとかいろいろなことで高くなってしまうということは、伊東さんも言われましたように、やはり流通機構の近代化ということが問題であろうかと思います。そうして外国と自由に貿易が行なわれるということでありますれば、日本の国内でつくったほうが安ければ、それは国内で自給されるようになるでありましょうし、長い目で見て外国から輸入したほうが安いという品目については外国から受け入れるということで、人為的に貿易を阻止するというふうな輸入制限というのは、単に物価問題との関係だけではなくて、資源の有効な利用という点でもあまりいいやり方ではないというふうに考えております。
  14. 兒玉末男

    兒玉委員 これは伊東先生にちょっとお伺いしたいと思うのですが、先ほど申されました例の生鮮食料品、特に野菜類でございますが、近く国会にも野菜に関する法案が出るわけでありますけれども、かりに需要と供給のバランスがとれたとしましても、流通過程の中における、特に小売りマージンといいますか、これは確かにウエートが大きいわけです。ただ、今日の日本雇用状態というものから考えますと、現在の零細ないわゆる八百屋さん、これは企業というものよりも生業的な色彩というのが非常に強いと思うのです。ですけれども、このままの状態では、いつまでたっても消費者は高い野菜を買わなくてはいけない。この点も、この前東大の川野教授も、物価安定に対する生鮮食料品の問題で提言されておりまして、やはりどうしても現在の零細な小売り業者というものを再編成すべきだ、こういうことを指摘されておりますが、実行の面になると相当抵抗が強いわけですけれども、大体どういうような形でこのスーパーマーケットの形態を進めたほうが最も理想的なのか、その辺もう少しお聞かせをいただきたい。
  15. 伊東光晴

    伊東参考人 たいへんむずかしいのですが、流通末端に合理的な販売網をつくるというようなことは時期があると思うのです。これをへたな時期につくりますと、既存業者が非常に困りまして、社会問題になります。現状において、社会保障制度や何かの現状からいえば、これは相当な政治問題になるだろうと思うのです。こういうものをつくるときには、たとえつくっても、既存業者に圧迫が少ないという一時期を選ぶべきだと思うのです。それは何といっても、成長過程において労働市場がかなり緊迫している時期だと思います。大体昭和三十七年ごろまでの状態は、自分の子供が、八百屋さんの子供や何かが自分の店を継がないという現状がかなり出てまいりました。小商店においてもまだかなりこういう傾向になっておりまして、そうして主人が死ぬなり何なりいたしますと、既存商店がぐっと少なくなる、やめてしまう、こういういつの間にか消滅してしまうという形態があったわけです。こういう現状が一方にある場合には、流通末端に合理的なメカニズムをつくりましても、これは社会問題となる率が非常に少ない。イギリスにおきましても、ヨーロッパにおきましても、既存商店の合理化が、いま申しましたようなことでいつの間にかすっとなくなってしまった。階層分解のように、大きくなるものと、下に裏返して非常に苦しむものとあるのではなしに、大きくなるものはあるけれども、下にいくのはいつの間にかすっと消えてなくなっていく、こういう時期にこうした政策をやるということが、一番賢明であると思うのです。そういう時期が、高度成長の一時期にあったと思います。現に、昭和三十七年においては、商店は日本において初めて減少しております。日本はほうっておきますと、いままでの既存の構造ですと、のれん分けという制度があって、小僧が一人前になると店を持たせざるを得ないということで、どんどん既存商店が出てくるところの日本的メカニズムがあるわけです。これをそのままにしておきますと、たとえ需要が伸びておりましても、商店の数がふえて、一軒当たりの売り上げ数量というものは依然として小さく、みな売り上げマージンというのをうんとしなければならない、こういうメカニズムの圧力があったわけであります。これがなくなった一時期に、そういう構造政策というものを行なうべきだと思うのです。そういう時期のときに、実は先ほどちょっと申し上げましたけれども、賃金が上がったのだから物価上昇はやむを得ないという形で、流通マージンを引き上げるという政策があったのではないか。その結果、小商店の数が減少した傾向はまたもとに戻ってしまいました。こうして、日本におけるところの商店構造、流通構造の合理化の機運というのは水をさされたということは、かなり問題ではないか。にもかかわらず、なお高度成長過程の余波で、いま労働市場というのはある程度緊迫しており、戦前とは違う、そういう時期に、構造政策というものをやるべきだというぐあいに思うのです。これは、単純に既存の商店を集めて共同経営をやってうまくいくということはできません。というのは、経営者の質が違うわけです。流通末端において成功している本格的企業の経営者を見ますと、いままでとは全く違った近代的経営者で、賃金はかなりよく、労働条件もよく、高回転で打って出てくるというような人たちがかなりあるわけです。いろいろな例がありますけれども、たとえば、東北地方で十幾つのスーパーマーケットを経営している人が、かつて産別にいまして協同組合運動をやり、労働組合の協同組合がかくのごとき非能率だったら、私は資本主義的にやってやろうということでやったというような人もおりますし、新しいスーパーマーケットでは、いままでの下から上がったような人たちとは違って、大学出のかなり近代的労使関係を持っているという経営者ですが、多くの場合は、奴隷上がりの奴隷主が一番奴隷に過酷なように、下から上がった人はどうしても低賃金に執着して、既存非合理的企業構造を固持しようとしている傾向が強いわけです。この点においては、経営者の改革というようなことも含めて考えなければならないように思います。
  16. 兒玉末男

    兒玉委員 もう一点だけ。伊東先生、これは具体的な例でございますけれども、日本の電力料金の問題なんですけれども、現在九つございますが、大体地域的に独占事業でありますが、諸外国の例と比較しましても、一般の消費大衆の個人一般家庭での単位当たりの料金というものは非常に高いわけであります。比率にしますと、大体大口の電力料金に比較して平均三倍から四倍近くあるわけです。ところが、アメリカにしても、イギリスあるいはイタリア等におきましても、その格差というものは非常に縮小されまして、大体二対一である。それからイギリス等の場合は、小口を一〇〇にした場合、一般大口需用というものは大体八割、これは非常に近接して、バランスがとれているわけですけれども、日本の現在の電力事業というものは、この前の国税庁の発表によりましても、所得においても相当上位にランクされているわけです。しかも、相当合理化されまして、ここ十年以来相当なコストダウンができている。そういう点から、この時期において大口と小口関係料金の格差というものを解消、改革する時期ではなかろうかと思うのです。こういうふうに考えるわけですけれども、これが諸物価に与える影響というものはきわめて大きいという点からも、先生の御意向をお聞かせいただきたい。
  17. 伊東光晴

    伊東参考人 おっしゃったこと全くそのとおりだと思います。それ以上に電力について申しますと、これは電力以外に、公共料金一般について言えるわけですけれども、経営が非常に困難であって値上げしてほしいというときにおいては、相当な政治問題になります。そうしてそれが議論され、値上げされました結果、それが一体どうなるのであるかという、そのことについては考えることが少ないわけです。電力の場合には、上げてみましたところが、相当な利益が内部に出てしまっております。そうしてその利益を何に使うかというので、ある電力会社は原子力発電にそれを投入するということが行なわれる。これは普通だったならば、そういうものを原子力発電にやるのは将来のためにいいという意見もありますけれども、しかし現状においては、A社がやればB社もやるということで、原子力の一元的な開発とは違う乱立状態になって、この過当設備競争のマイナス面をまた現出する可能性もあるかもしれないと思うのです。そういうことよりも、電力というものの値段を下げる、一回上げてみたけれどももうけ過ぎた場合においては、それは下げるというような措置を考えてしかるべきだと思うのです。  そういうことを含めまして、一体どの程度の超過利潤を真に大企業は得ているかどうかについて、たとえばキーフォーバー委員会のように、かなりの権限を持ったものをつくっていただきたいということをさっき申し上げたわけであります。たとえば企業の報告、これはなかなかよくわかりませんが、アメリカのUSスチールも、長いこと操業度八〇%のもとにおいて八%の税引きの利潤を得ているのだ、これは公正な利潤だということを言っておりましたけれども、しかし、大統領経済顧問をやっておったミーンズでありますが、あれが調べた結果、実は操業度八三%のもとにおいて一六%の利潤をほんとうは得ていたのだ、USスチールは八%と公表していたが、実際は一六%、話半分というわけでありますけれども、そういう問題を調べ得る権限を持っているのは一体どこなのか、それはアメリカのように国会なのか、皆さんの中から一人のキーフォーバー委員が出てくださるのか、それとも行政官庁において、企画庁においてそういう権限を持ってそういう行政をしていただけるのか。企画庁が物価政策をいろいろやっておりますけれども、全く権限がないという中で、一体総合的物価政策というものができるでしょうか。これはたいへん疑問だと思うのです。そういうことで、もしもキーフォーパー委員会に匹敵するようなものができないのだったならば、そういうことができるような委員というものを、あるいはそういう行政官庁というものをつくっていただきたいと思うのです。たとえば、別なものですが、公取というのは、疑わしい場合においてはぱっとそれを押えてもらう、もし企業が不服があったならば行政的に訴え出てそうしてやる。そういうことは実際に行なわれておりませんけれども、もしも不当な利潤を得ている企業があるというような場合においては、企画庁がある権限を持ってはさっと押える、もしそれで不服があったならば、それに対して法律的に訴えるということを行なってもいいのではないか。朝日新聞に、私ちょっとその権限のあるところをつくるべきだということを書きましたけれども、それは大企業のあれはなかなか押えにくいということに関係があるのです。
  18. 小笠公韶

  19. 永井勝次郎

    永井委員 途中で参りまして、前の先生のお話を伺っていなくてたいへん失礼ですが、御三人の参考人の方からそれぞれの分野でお聞かせをいただけますならば幸いである、こう思うわけであります。  物価対策の手順、方式、そういうものはものによっていろいろ違うでしょうが、消費者物価なり、あるいは大企業の製品なり、そういうものについて、世評高いといわれている、また一般の生活に影響が非常に重大であると見られる品目について、それを正しい価格に安定させるというやり方は、物価の面から逆算していってどういう方法でいけばよろしいとお考えになっておりますか。その点を、物価一般としてお尋ねすることは非常に大まかでなんでありますが、そういう方式あるいは手順というものが考えられますならばお教えをいただきたいということが一つ。  それから、いま政府は、設備が過剰になっておる、生産が過剰になっておる、だからそれを安定成長にスローダウンしていけば景気も直るし物価も下がってくる、こういうことで、いろいろな施策が進められているわけですが、たとえば、設備過剰あるいは生産過剰という分野はどういうところかといえば、主として大企業の分野だと思うのです。金の借りられる力のあるところがどんどん金を借りて設備をどんどんやった、だから、競争対象はシェアの競争というぜいたくな競争で、設備なり生産が過剰になってしまった。その設備なり生産状況が過剰になっておるのに対して、政府はそれに見合った需要をつけて安定させようというのが、いまのやり方だと思うのです。その需要を拡大して供給と見合う安定に至るまでの過程においては、これらの大企業をいろいろな手で助けていかなければならない、こういうことで、たとえば、たくさんの借金をしたのだから資本費が非常にかかるというので、公定歩合の引き下げをして利子負担を軽減する、あるいは償却期限を延ばして償却がしやすいようにしていく、資本に対してもいろいろなそういう手が打たれておりますし、それから税金負担についてもいろいろな手が打たれておる。あるいはその過程において、製品が値下がりするということをささえますためにカルテルを認めて、そうして値下がりを下から突っかい棒していく、こういうような形で大企業を安定させることによって、これは日本の全体の不景気が上昇に向くのだし、それから価格を安定させるやり方だということでやっているようにわれわれには思われるわけですが、そういう方式に対する評価をひとつしていただきたい、こう思います。  それから、第三点はおくれている領域、たとえば農業、中小企業というような関係は——消費者物価は、先ほど来先生方からお話しになりましたように、賃金が上がる、あるいはわずかなものの扱いの中で生活をしなければならないからそういうものが上がっていくという形で上がってきておるのです。したがって、対策としては構造的な分野からこれは改めていかなければならないと思うのですが、その点についてはほったらかしになっておる。口では言いますけれども、実際の具体的な政策としては動いておらない。農業の面においては、経営面積をふやさなければいけないのだから、農家の離農あるいは合併ということをどんどん促進するために、四十一年度においては農地管理事業団というようなものができて、土地のほうは引き受けるからさっさとやめていけ、こう追い出しをかけている、こういう政策がとられている。それから中小企業関係については、何といっても過剰なのだから、これは数の整理をまずやらなければいけないというような政策から、共済事業団というもので、やめていけばここから見舞い金を出そう、さっさとやめていけ、こう中小企業関係もいま追い出しをかけておる。こういうことで、したがっていろいろな施策も、現状維持的な施策をすれば全体の政策の上にじゃまになるから、ほったらかして、適者生存で適格性のあるものだけは残れ、そうでないものはどんどん勝ち抜き競争で追い落としをかけていく、こういう政策がとられておる。こういう力のある大企業には手厚い施策が行なわれて、そうして需要をつけて安定をさせよう、それから農業なり中小企業は、余分なものは削って残ったものだけを安定させようという施策が行なわれておるのでありますが、こういう対比の中で、社会不安を起こさせない、あるいはスムーズに近代化していく、あるいは後進性を引き上げていく、構造的な変革をやっていくというためには、一体いまの具体的な施策の中でどういうふうにすべきであるとお考えになられますか、この点をお教えいただきたい。  次は、先ほど児玉君から言われましたように、たとえば電力料金の問題にいたしましても、現実には、大きな企業が会社を新設する場合、電力料金がべらぼうに高いのですから、しろうとでもわかるほど高いわけですから、自家発電がどんどん出る。自分のところで発電機をつくって自給をしていく。電気の上からいえば、自分のところで使わないときには余ってしまって、余ってしまったものを電気会社に売ろうとすれば、値段がたたかれて、非常に不利な条件が経営の中にあるわけですが、それでもなおかつ自家発電でやったほうがいいのだ、こういうふうな非常に高い料金が維持され、さらにその中で値上げ値上げで次々に値上げが行なわれておる。あれは中国電力ですか、あそこで値下げをしたいといっても、ほかのほうに影響するから値下げはだめだというので、値下げをしたいという企業側の要求も押えておるというよなことをはじめとして、鉄鋼の問題にいたしましても、その他大企業の独占的あるいは寡占的な領域におきましては、コスト計算が正確にできない、したがって一方的な企業の計算に基づいて、それをうのみにしていろいろなことが行なわれる、そうしてその価格を維持しますために、企業が採算的によくないのだからというので、中小企業にそのしわ寄せがくる。ですから、親企業との系列にあるその関係においては、もうほとんどコスト割れするくらいなぎりぎりの線で働かされる。でありますから、それでは中小企業は経営としても立っていかないのでありますが、しかし労働者を遊ばせないためにそういう仕事もしていくが、自分のところのプロパーの仕事については、ここでもうけて、ここで生活を立てなければいけない、経営を立てなければいけないというので、大企業の発注のしわ寄せが中小企業のプロパーのところの仕事にきて、そこの賃上げにはね返る。こういうものが非常に多いわけなんですが、そういう関係については有権的にコスト計算ができるというような法的対策を立てて、具体的にやることももちろんそれは必要でありますが、そこに至るまでの過程において、動いていくいまの物価なり経済の情勢の中で、何かそういうものをチェックできるうまい方法はないのか、それらの点についてお教えをいただきたい。お三人の先生にお願いいたします。
  20. 伊東光晴

    伊東参考人 第一の点は、一般論としては競争条件の導入と構造合理化をかみ合わせるというようなことが重要で、その構造合理化、それに即応して金融政策をもあわせ考えなければならないというぐあいに思います。その理由は、前に少しお話ししたと思うので省略いたします。  第二点は、需要拡大政策をいまとって、それが物価にどういう影響を与えるかということは、これは構造政策、競争条件がどの程度になるかということに関係を持っているのでして、もしも構造政策がうまくいき、競争条件がうまくいくならば、需要増大に伴って合理化が進み、価格が下がるという場合だってあり得るわけです。特に、大量生産の利益が推進できるような現状においては、需要がかなり伸びないと価格は下がらないという場合だってあります。しかし逆に、この構造政策なり競争条件の導入に失敗いたしますと、需要増大というものは、それは物価を引き上げる要因に変化いたします。現状政策において、競争条件をむしろ強めないで弱めるという政策がかなり入っておりますし、それから構造政策については、構造政策をやる、やるといいましても、一向にこれが進まないという現状からは、これは物価上昇させる要因というのがかなり強いだろうというぐあいに予想せざるを得ないわけです。  第三番目については、これは農業、中小企業の問題ですけれども、やはり経済は、先ほど申しましたように、合理的なものをつくることなしに、安定した価格政策あるいは高賃金というものは、これは両立しないのであります。そのためには非合理的な中小企業の淘汰というものは、長期的にはやむを得ないというぐあいに思います。そのために落ちていく人たちに対しては、むしろ社会保障その他において救済すべきである。農業につきましても合理的な農業、農村というものをつくるための規模は、たとえば米について言いましても、いまの構造改善事業のような規模とはかなりけたが違うように思うのです。たとえて言いますと、八郎潟の実験がありますけれどもそこで米をつくって合理的に成り立ち、三けたの収入を得る規模はどのくらいかといえば、それは米作農家が少なくとも十町歩、そしてその十町歩が二軒、非米作農家が二十町歩、この三軒が一組になって、四十町歩が一組、これが三組で百二十町歩、これが一組になって大型機械体系を導入するということが、合理的な農業をつくるという日本における一つの実験であります。そうしたならばおそらくかなりの収入を得て、農業もいまのような衰退過程をたどらないような近代的農業になるだろうと思います。そういうようなことをするのには、既存の農家というものをかなり都市そのほかに吸引しなければならないと思います。そういう吸引する政策が一方にあり、他方において、こういう合理的な農村をつくるという政策がない限り、米価の安定ということはなかなかむずかしいだろうと思うのです。いまのような非合理的なものをつくっておく限りは、農村の収入と都市の収入とを一致させるためには、米価は次第次第に上がり、そうして国際的な価格でも、日本の米が世界に例のないほどの高い価格になっていくということはやむを得ないと思います。この点については、国際的な圧力が強まるということも否定することはできません。たとえば私の知っている、たいへん親日的なビルマの経済関係の人が、日本というものはアジアで唯一の工業化を行なったところの国であり、われわれはそれに学びたいけれども、たった一つ、わが国のこんな安い米を何で買ってくれないのか、日本が買ってくれるならば、われわれは日本の種を持っていってつくるだろう、そうするならば、安い値段で米を日本に輸出できるし、その金で日本の工業製品を買うことができると言っておりました。こういうような分野は、先ほどの野菜なんかの分野とは違って、国際的な輸出入をやることによって、かなりお互いのプラスになると思います。しかし、そういうことをやるためには、日本農業政策について非常に大きな変化をしなければなりませんし、同時に農村から出ていく人、これは中小企業から出ていく人も同じですが、それに対する保障措置が十分なされなければなりません。自由経済のもとにおいては、かなり成長率が高い場合がそういうことを可能ならしめるところの条件ですけれども、しかし、単に成長率が高いだけでは十分ではありません。それなりの対策をすべきだと思います。たとえば、農村から出てくる人たちが東京に来ても、住むうちがないということがたいへんな問題になる。この住宅対策をほんとうに行なうならば、こうした離村というものに対する政策もできるだろうと思います。そういう点では、住宅対策というのはいま非常におくれていると言わざるを得ない。  なお、余談ですけれども、中小企業の問題にひっかけましても、大企業と中小企業との格差の現実を少しでもなくするということで住宅対策を、公営住宅をうんと建てるということは、一つの格差の是正になるとは思います。大企業の中では、私のうちの近所がそうでありますけれども、非常に高い金で住宅を買い、安い家賃で貸しているというのが実情です。七百万の分譲住宅を買い、それを月々二千円程度でもって社員に貸しているという大企業が存在している。そういうものを見ると、日本において大企業に対するある種の規制も必要であると同時に、公営住宅を大量に建てるということが、格差是正のためにも役に立つと思うのです。それは単にそれだけではなしに、農村からの離村合理化ということにも役に立つだろうと思います。  最後の四番目の問題は、独占的市場、支配力を持っておる大企業をどうして押えるかというような問題に帰着するように思います。ただこの場合でも、いたずらにその価格を押えるということではなしに、競争条件の導入とそれから構造を合理化するという点で、委員会なり政府の力が発動されるべきである。いたずらにその価格を押え、支持価格制度をやり、補助金をやるという形だけでは、合理的な経済構造ができませんから、長期的には成功しないと思います。
  21. 小宮隆太郎

    小宮参考人 伊東さんと重複しない範囲で二、三申し上げますと、需要拡大をしたときに、これが大企業に非常に有利になるのではないかという点は、そういう面もあると思います。しかしそういう面については、これは物価問題というよりもむしろ税制であるとか、あるいは金融市場の構造であるとか、そういう個々の分野で検討すべき問題であって、現在の段階で不況をどうする、あるいは物価安定ということで経済政策全体としてどういうように運営するかといえば、やはり需要を拡大する政策をとらなければ、日本経済は沈滞から抜け切らないでしょうし、そういう意味物価問題という観点から見れば、やはり現在の段階では、国債を発行して需要を拡大するという以外に手はないように思います。そうして大企業には非常に有利であるけれども、中小企業は非常に採算が苦しいというふうなお話でありますけれども、しかし五、六年前の状況から考えて、最近非常に日本経済成長率が高かったプロセスを通ってきたわけですけれども、そのプロセスで、中小企業賃金水準も非常に上がったわけです。そういう意味で、成長を通じて大企業と中小企業の格差というものはかなり着実に解消の方向に向かってきたと思います。そういった場合に、成長すれば大企業に有利だからということでは、いつまでも古い経済構造のままでいってしまうので、やはりそこは前向きにいったほうがいいというふうに思います。  それから、第一に述べられた点と最後に電力料金関連して言われた点ですが、伊東さんが言われた点と重複しますけれども、大企業価格が妥当であるかどうかということに関しては、私はやはり産業政策といいますか、そういうものの基本方針というのは、独占禁止政策といいますか、独禁法を適正に運用しまして、競争条件が確保されて、そして高い利潤をとっていれば、競争によって、あるいは外国からの輸入によってシェアが削られる、こういうプライスメカニズムを通じて調節される、そして不当な独占というものは、公正取引委員会の独禁政策を現在よりも画期的に強化してこれに対処する。一々価格に立ち入って調べる、そしてそれを値下げしろというふうなことは、原則として認めないほうがいいというふうに思います。そういうふうに、一々政府が何もかにも介入するというふうなやり方で、うまく運営できるというふうには思われない。そういうことよりも合理的な価格形成が行なわれるような条件をつくっていく。ただ公益事業は別でありまして、独占的な事業として行なわれている電力事業であるとか、あるいは私鉄とかそういう公益事業ないし公的な価格規制を本来必要とすべき部門は別でありまして、それは公益事業の価格というものについての価格政策でやるべきでありまして、これはそのコストに立ち入って調べて適正な価格をきめる。ただしタクシーなんかは別でありまして、ああいうものは本来公益事業というような性格を持っていないものですから、自由競争でやって適正な価格が形成されるはずであります。そういう点は、やはりこれも物価問題というよりは、そういう公益事業の料金問題であるかと思うのでありまして、そういう面から、物価が上がるから料金を押えるとかいうふうなことでは、正しい価格形成はできないと思うのでありまして、ふだんからそういう公益事業の料金あるいは国鉄等の料金が、適正であるかどうかということをもう少し考えていくほうがいいというふうに思います。
  22. 渡辺佐平

    渡辺参考人 三人からお答え申し上げるということですが、もうすでにお二人の方から十分こまかくお答えがあったように思いますので、私から何も申し上げることもないように思うのでありますが、ただ一つ、私が先ほど申し上げましたこととの関連からお答えをいたしますと、小宮さんの考えに非常に反対になることが一つございます。  第一の物価対策につきまして、最初にどういう手を打ったらいいかという御質問でございましたが、それについてお答えいたしますと、私は、公債発行をやめたほうがいいということになるわけであります。それは、先ほど申しましたインフレーションの問題の根源がそこにありますし、さらにそれを深めていく大きな要因であるということから、そう申し上げておるのであります。そうしますと、それじゃ不況対策ができないじゃないかというようなことになると思うのであります。それはそういう方向にいくこともありますが、それじゃ公債を発行して需要をどこまで拡大できるのか、それは発行しないよりは拡大すると思いますけれども、需要を増大するにしましてもこれは限度があるわけでありまして、この限度をだんだん切り詰めていくほうがよろしいんじゃないか、物価という問題、国民の生活の実態という問題から見まして、そのほうがよいんじゃないかと私は思います。ただ結果的には、経済成長なるものの率が下がるということはあるかもしれませんが、そういうふうなことはむしろやむを得ないんじゃないかという考えになるわけであります。  それから、もう一つのほうの需要を増大する問題でありますが、これはやはりいまのことからもそういうことになりますけれども、幾ら需要を増大しても物価のほうは上がるのでありますし、その需要不足が十分に補足されるということはできないんじゃないか。やはり企業間あるいは資本間の合併集中というものはやむを得ない、そういう方向が不況対策としては一つあるんじゃないか。この場合に、失業の問題とかあるいは独占利潤の問題というものが出てまいるかと思うのであります。これは伊東さんからお話がありましたような管理の方式あるいは社会保障というふうな問題が、当然伴って行なわれなければならないというふうに考えるわけであります。  中小企業、零細企業の日の当たらない企業に対する対策でありますが、これはやはり基本は近代化を進めていく方式がとらるべきで、それには大企業あるいはそれに対する政策以上の、さらに手厚い保護政策政府によってなされる必要がある。そうすると、資金がないじゃないかということがあるかもしれませんが、中小企業を手厚く保護する、これは財政の組み方の問題でありまして、政治の問題だと思うのであります。これは公債発行をしなければできないんだというふうには、私は考えないのであります。  非常に大ざっぱでありますが、以上、私の意見を申し上げます。
  23. 永井勝次郎

    永井委員 小宮参考人にお尋ねしたいと思います。自由競争の条件が普遍的にある、こういう条件に立つ場合は、自由競争の中でセレクションされていきますから、それはそれでいいと思うのですけれども、現状の把握の問題として、現状においては自由競争の条件は普遍的にない。ことに大企業関係については、公にカルテルがある、あるいは潜在的なカルテルがある、あるいは行政指導がある、こういうことで、自由競争の条件は大きな企業ほどいまなくなっておる。そういう条件の中で、それならば合理性の追求を自由競争の形でなしにどういうふうにやるかといえば、これはやはり国の行政がそれをやらなければならないんですが、その行政の実績というものが、大企業に対しては合理性の追求が非常に甘い。出してきたものをそのままうのみにして何でも認めていく。したがって、合理性の追求がそこに行なわれない。ですから、いま産業界では一番安定した有利な投資は何かといえば政治献金だ、政治献金が一番安定的な有利な投資だ、こういうふうにいわれているほど政治と産業が結びついて動いている。そういう中における企業に対する合理性の追求というものは、もっと国民的な、民主的な方式、手段に待たなければできないのではないか、こういうふうに考えておるわけであります。したがって、企業から出してくるコスト計算にしても、あるいは株式会社の公表にいたしましても、粉飾決算というものが堂々と行なわれている現状においては、そういう点はわれわれは信頼ができない。こういうことになれば、有権的な方法で出してきたそのコストを、妥当であるかどうかということを審査する機関が現状においては必要ではないか、こう用いうふうに思うわけであります。ことに電力料金のごときは、これは全く国際的な競争がないわけです。地域的に電力を輸入することはできないわけです。全く国の閉鎖的な中で行なわれているわけであります。それから地域的にも、現在独占企業という形が認められている。もしわれわれ国民立場から言うならば、こういう小さい国の中の公益企業でありますから、ほんとうは電力会社を九つに分割して、その境目で甲の会社はこれだけの料金、乙の会社はこれだけの料金、こういう区別があるということもおかしいし、富山県なりあるいはそういうところに水力発電があって、それが関西に持っていかれる、東京へ持ってくる、あるいは中部へ持ってくる、同じところから遠距離へ持っていく、ああいうものなんかは、国民立場からは非常な不合理な経営だ、あれを一本にしたらもっと地域的にも合理的な運営ができる、こういうふうに思うのですが、そういうことがなされていないで、ただそういう不合理をごまかすために、広域運営という形で動かされているというような点については、私は合理性の追求について民主的な方式、手段が必要ではないか、こういうふうに思うので、一々の価格に介入するわけではありませんけれども、そういう問題については、われわれはそういう追求をしなければこれの是正はできない、コストの正確なものはつかめない、こういうふうに考えるわけでありますが、その点はいかがでありましょう。  それから、一つの限られた資金量あるいは限られた一つの予算のワクの中でものをするときに、一つのほうに、大企業なら大企業のほうに偏在して、ここに集中融資をされるということになりますと、残りの資金量が足りなくなる、予算が足りなくなる、そういう足りないものでお茶を濁すということになるわけでありますから、その内容の分析が必要になってくると思うのであります。たとえば、四十一年度の予算で見ましても、これだけ多い、また非常に構造的におくれている、そしてそこがいろいろな問題点になっておる農業に対しては、全体で四兆三千億という予算の中で四千五百億より予算がない。四千五百億のうち一千億は食管会計の赤字補てんに向けられますから、一千億を差し引きますと、一つの施策として使える予算は三千五百億、全予算の一割にも満たないという状況です。あるいは三百九十万ある全企業の中で大企業は二万前後、残りの九九・五%以上が中小企業、こういうように膨大な数であり、広範な、そしてまた非常におくれておる、そういうものに対する予算はどのくらいかというと、わずかに二百九十三億、全体の一%にも満たない予算、こういうような配分になっておるのでありますから、事実関係の上に立ってそういうものを分析いたしますと、ことばとしてはいろいろなことがあるでしょうが、事実問題としては、比較にも何もならないような形に置かれておる。そういう一つの不合理な施策、合理性のない施策というものが、いろいろな物価の面に変則的な形ではね返ってきている。これを、いわゆる合理性を追求する前に、まずこれらの不合理を是正するということにならなければならないと思う。そういう点をどのようにお考えになっておるか。  もう一つ、鉄鋼の価格関係でありますが、鉄鋼が先年不況カルテルといいますか、最初の第一年次は不況カルテルを組まれたわけです。確かにそのときは不況だった。ところが一年の経過をもって、今度は不況を克服して鉄鋼の価格が上がってまいりました。値上がりになった。その値上がりになってきたときに、一年過ぎたら今度は値上がりを抑制するためのカルテルが組まれたわけです。こうして第二年次にはその値上がりを押えるためにカルテルが組まれた。第三年次には、今度は、その値上がりを押えて役割りを果たしたので、その価格を安定するために安定カルテルが組まれた。このように不況カルテル、値上がり抑制カルテル、安定カルテル、こういうふうなワクでカルテルが認められるということになれば、ほとんど年がら年じゅうカルテルを組んでいなければならぬ、自由競争の条件というものはどこからも出てこない、こういうことになるわけであります。それらの現状における認識把握をどのようにお考えになり、この現実の上に立って、これを出発点としていま施策を出発するとすれば、それを直していく、そういうものを克服する手段、方法を考えなければならないではないか、こう考えるわけでありますが、その点についてお教えをいただきたい。
  24. 小宮隆太郎

    小宮参考人 現在の日本経済状況は、自由競争の状態ではないというふうにおっしゃいましたが、全くそのとおりでありまして、ことに大企業の間で結ばれております各種のカルテル、それから通産省の行政指導として行なっておりますカルテル類似の行為、そういうものに対して、私は前々から非常に強く反対の意見を申し上げております。現在、それではそういうものも禁止して、値段が幾ら下がってもほうっておくかといえば、現在の時点ではそうもいかないわけです。問題は、そういうふうに不景気になったら、大企業の間でカルテルを結んで値段をささえる、そういう政府政策のやり方があるために、過剰な投資を行なう、そうして不景気になれば、膨大な過剰設備をかかえて、何とかしてくれというふうに政府に頼みにいく、こういう体制そのものが問題なのでありまして、私は、日本の現在の状況では、大部分の分野で、もしも産業政策が適切に行なわれれば、そういうカルテルとか、あるいは行政指導とか、あるいは国有化というふうなことなしに運営できると思うのですけれども、現状は、そういうものにはほど遠いわけでありまして、そういう点が改善されることを希望するわけであります。この問題はどうも短期的に、物価対策としてどうこうというよりも、むしろ日本産業政策全般の問題であろうかというふうに思います。  それから、大企業コストを額面どおりには信用できないから、もっとしさいに検討すべきだというようなお話でありますけれども、私は、公益事業についてはそういう必要があろうかというふうに考えますが、そうでない大多数の企業については、コストを調べて値段が適正がどうかということを、自動車の価格、鉄鋼の価格と一々やるというよりも、むしろその産業が競争的に合理的に運営されているかどうかという形で調べまして、その場合に、やはり一番大きなメルクマールになるものは、大企業と中小企業両者の間でどちらがその産業では効率がいいか——私は、大企業が悪玉で中小企業が善玉だというふうには考えませんし、それから、あらゆる分野で大企業のほうが能率がよくて中小企業のほうが能率が悪いというふうにも考えないのでありまして、それぞれの産業に適した大きさがあって、そういう企業が競争条件が整っておれば、一番効率のいい企業が進出するであろう。そういった場合に、資金の偏在であるとか、あるいは政府政策が一方に片寄るというふうな条件をなくしていけば、おのずから一番能率のいいところが進出してくるという態勢になるだろう。そうして一つの産業がうまく運営されているかどうかという点をチェックするには、やはり利潤率や賃金水準というものを見てみる必要がある。私は、大企業というのは非常に不当なものが多いというふうに見ておられるようにお見受けしたわけですけれども、日本では、大企業という場合には、利潤率も確かに安定し高いのでありますが、賃金がべらぼうに高いという場合もかなりある。そういう場合には、利潤の一部が賃金が高いという形で配分されておるという場合がかなりあろうかと思います。利潤、賃金全般を通じて、はたして独占的な要素がないかどうかということは検討する必要がある。  他方、電力とかそういう公益事業については、公益事業の料金として適正な料金というものは、国家の監督のもとに綿密にコストを計算し、かつ、現状のままで料金がどうなるというのではなくて、もっと経営の合理化の余地がないかということも含めて検討すべきであるというふうに考えます。
  25. 小笠公韶

    小笠委員長 平林剛君。
  26. 平林剛

    ○平林委員 簡単に二、三お尋ねしたいと思うのであります。小宮先生のほうにお伺いしたいと思うのであります。  私、この「物価問題についての覚え書」を読ましていただきまして、たいへん参考になる点が多かったのでありますけれども、その中で一つだけ、二枚目のところにありますけれども、労働者階級を代表する政党物価安定を重視し、保守政党経済成長を重視しているというようなことでメモが書かれておるわけでありますけれども、最近の政府経済政策をながめておりまして、一つ感ずることがあるのです。それは財界や資本家、全部とは言いませんけれども、かなり中枢的地位にある人たちの中に、現在の経済政策を通じてインフレを促進するというか——インフレを促進するなんて表からは言いませんけれども、むしろインフレを待望するというような腹がまえがありまして、その上でいろいろな施策を打ち出しているのではないだろうか、あるいは政府に要望しているのではないだろうかという懸念を実は持っておるわけなんです。たとえば、最近の企業における金利負担の状況などをながめまして、自己資本率と他人資本率の状況などが非常に低下しておる、これが非常に企業そのものの体質改善をおくらせておる、それがまたいろいろな経済における欠陥になっておるというところから、むしろインフレを促進して、こうした重荷を払いのけたいという願望が動いておるのではないだろうか。それから公債発行に踏み切ったということも、いろいろ議論はあるけれども、やはりそういう方向の中で企業なりあるいは資本家階層が救われたいという別な面の要素が動いておるのではないか、こんなことを実は感ずるのであります。これだけの不況になりましても、一つの例でございますけれども、交際費などについては一向に抑制しようとする努力が行なわれないということがございます。今日、日本の法人企業の年間の交際費というのは、たとえばことしあたり六千五百億円くらいになるでしょうか。昭和四十一年度の予算案における法人税収入が大体九千億円、あるいはそれを割るというようなときに、交際費のほうはここ一、二年ぐんぐん伸びを示しまして、六千五百億円も使われておるわけでございます。そういう点などから見まして、ほんとうに財界なりあるいは企業資本において、今日のインフレというものを抑止するための真剣な努力が払われているかというと、そうではない。こういう例を考えますと、何か財界なりあるいは企業資本の中においては、口には出さないけれども、むしろインフレを待望している、あるいはそういう政策を許させるような動きが内面的にあるんじゃないかということを実は感ずるのであります。もっと具体的に言えば、証券界なんというのはインフレが促進しているほうがもうけがあるということでありますから、必然的にそういう方面に動くということは予想されるわけでありまして、いろいろなことを考えますと、そういう傾向を感ずるのであります。ところが、先生のメモによりますと、保守派経済成長を重視することをここに立証されておるわけでありまして、そういう点、財界や企業資本家の中にインフレ待望論がうごめいているんではないかというような分析、これは極端な見方でしょうか、私はその点について先生の御見解を承りたいのであります。  それからもう一つは、この中で、今日の物価政策物価対策というものが、財政とか金融政策あるいはその他の経済政策を離れて存在するものではないという点は、私全く同感なのでございます。この場合に、現在がインフレであるかあるいはインフレでないのか、いろいろなことはあるがそれは別にいたしまして、先生のお考えでは、危険信号に見るべきものはわれわれ何に見たらいいか。観念的にインフレだとかインフレでないとか言うことを離れて、日銀の発行高あたりをながめまして、これはいろいろ議論がありますけれども、政府に、あるいは産業資本の中に、そういうような危険を防ぐ一番最終線はどこら辺まで見ていったらいいのか、ここを突破するとそろそろ考えなきゃいかぬぞというような警戒信号は、特に日銀の信用膨張というような点で、何か停止線というようなものをわれわれ考える場合、どういうことを考えたらいいでしょうかという点なんでございます。それからもう一つは、伊東先生の企業の利潤にもう少しメスを入れろという御説、これはそのとおりだと思うのでございますけれども、先ほどの例で、そういう後発企業の伸びていくというようなときには特に注意したらいいというので、一つの例として繊維産業の例をあげられましたが、こういう御説は、他の企業につきましては、どういう点をお考えになってお述べになったのであるか、それを明らかにしてもらいたい。  それから同時に、それにふえんされてお話がございましたが、賃金上昇価格に転嫁をされるという問題についてお触れになりましたけれども、私、もう一つ税金、特に法人に対する税が、どうも最近の傾向として価格に転嫁されているのではないかという疑いを実は持っておるわけです。よくこまかく調べてみたりしませんとわかりませんけれども、しかし、最近の傾向から見ると、価格が下がらない理由の中には、税の負担を価格に転嫁しておる部分が相当あるのじゃないかと思うのでございますけれども、こうした点について何か御見解があれば、ひとつお聞かせを願いたいと思うのです。この二つの問題につきまして、またもし渡辺先生にも御見解がありましたら、お聞かせいただきたいと思います。
  27. 小宮隆太郎

    小宮参考人 私がそこに書いております点、念のために確かめたいと思いますけれども、二ページ目の(三)のところは、欧米と日本の政治的情勢が逆だというのは、日本では労働者階級が支持するような政党物価安定ということを言って、保守政党完全雇用経済成長ということを言っている。ヨーロッパでは逆でございまして、保守政党物価安定ということを言って、労働者階級が支持するような政党は大体において完全雇用経済成長というふうに言っておるわけであります。  インフレであるかどうかということは、国会あたりでずいぶん論議されているようでありますが、私の考えでは、インフレかどうかというふうなこと自体、あまりそういう問題自身が意味がないと思います。というのは、インフレということ自体が、経済学上それほど厳密な定義をもって使われていることばではございませんので、たとえば最近、伊東さんが説明されましたように、日本だけでなくて、先進資本主義諸国では、大体消費者物価が徐々に上がっていくという傾向がありますが、これをもってクリーピングインフレーション、忍び足インフレだ、ものすごい勢いで上がるのではなしに、じりじりとインフレを起こすクリーピングインフレーション、あるいはニューインフレーションというふうに言っている人もありまして、そういう意味では、確かに消費者物価が上がっているということは、とりもなおさず消費者にとって通貨の価値が年々下落していくので、インフレだと言ってもいいわけでございます。しかし、そうかといって、かつて戦時中から戦後にかけて日本が経験したインフレ、あるいはドイツで世界大戦のあとで経験されたようなインフレ、あるいは現在南米のブラジルとかアルゼンチンという国に起こっておるインフレというものとは全く性質が違うわけでございます。  それで、現在の状況を見ますに、まず経済全体として過剰設備がずいぶんあるということは間違いない。それから先進諸国ですと、失業率ということがありますが、日本の場合は、失業というのは表面的な形をとって出てまいりません。しかし雇用状況、たとえば新卒の就職の状況、あるいは内職の状況、あるいは各企業で超過勤務がどれくらい行なわれているかというような雇用状況を全般的に考えますと、日本では現在の労働力からいっても、それから資本の面からいっても、生産能力があるにもかかわらず需要がないというふうな傾向の強い産業が多いわけであります。ケインズ経済学から言えば、そういう場合には需要をつけて、需要を拡大する、そうして完全雇用に近づく、近づく場合に、物価が上がらないで近づくというのは、標準的な教科書に書いてある理論ですが、完全雇用のレベルまでは物価が上がらないで国民所得が拡大していく、一たん完全雇用に達すると、それ以上はもう生産はふえないで、需要をつければ物価がどんどん上がるだけになる、こういうのが標準的なケインズ理論でありますが、問題はそれほど簡単ではなく、需要を拡大して、過剰設備ないし失業がだんだん吸収されていくプロセスでどうしても多少は物価が上がる。そういう点、先ほどからいろいろ問題にされております構造改革でありますとか、流通過程の合理化ということを同時に進めれば、それほど消費者物価が上がらなくても済むわけだと思いますけれども、現在の状況では、日本の政治的な状況が、先ほど来伊東さんがスーパーマーケットの例を引いて御説明されましたように、新しいものが入ってきて値段が下がるということに対しては、あらゆる面から抵抗が強いので、そういった場合に選択の問題が起こってきまして、それで、過剰設備なりそういう雇用状況が悪いままでほうっておくか、それとも物価が多少上がってもやむを得ないから、ともかくも雇用状況改善して完全雇用に近づけるか、あるいは成長力を高めるというほうに重点を置くか、その価値判断によって選択をしなければならぬという問題が起こってくるわけでありまして、日本では、保守政党をはじめ財界というものが、どうも安定よりも成長ないしインフレのほうに傾いておりまして、それを、大企業に有利なような方向にいくということは好ましくありませんけれども、現在の日本状況では、やはり雇用状況改善完全雇用あるいは経済成長という点に、一番中心課題があるというふうに思っているわけであります。
  28. 伊東光晴

    伊東参考人 二点ですが、第二のほうから申しますが、法人税は価格に転嫁されているかどうか。アメリカについて例を言いますと、市場支配力を持っている大企業価格に転嫁しております。それは、たとえばUSスチールに例をとりますと、標準操業度のもとにおいて、彼らの言うとおりであるとするならば、税引き後の利潤八%を追求するという形ですね。税金というものは、これはもう除いて利潤を追求する、税金がかかると、これを価格に転嫁していくというのが現実です。おそらく日本においても、市場支配力を持っているようなところがあるならば、そこは需要者に法人税を転嫁してしまうだろうと思います。  この点について、物価問題に引っかけて申し上げますと、現在の税思想は、法人税というものは株主が払ったのと同じだという思想の上に立っていると思います。そこで、法人が法人税として三五%の税金をすでに払っているのだから、株主は三五%払っているものとして特別な優遇措置がとられていると思います。そこで配当所得ですと、百四十万円くらい収入がありましても、現在標準世帯において税金を一銭も納めなくてもよろしいという形になっていると思います。これは、法人税は当然株主が払ったものという思想、法人擬制説、その上に立っているわけでありますけれども、現在は、いま申し上げましたように、大企業の場合におきましては、この法人税が需要者に転嫁されているとすれば、これは株主が払うものではないのでありまして、いまの税法思想であるところの法人擬制説は、実際においてその根拠を持たないというふうに思います。私は、これはそれに対立する法人実在説をとるべきだと思いますので、現代資本主義をやっている場合には、転嫁という問題を考えてもそうでありますし、また経営学的にも、資本ないし所有と経営の分離ということが大企業には一般的に進められているので、その法人というものは株主と別個に実在していると考え、税金というのは法人税、それから株主に対する税金というのをそれぞれ分けて考えるべきで、もしそうするならば、株主もまた勤労者と同じような平等な税金を負担する、その分だけ法人税というものを引き下げましても、なお同じだけの税額は徴収できるということになると思います。そうして、もしも消費者に法人税が転嫁されているのが実情であるとするならば、その分だけ価格が下がるということを主張することは可能であろうと思います。それは、一方において価格対策であると同時に、一方において税法上の平等政策であって、働いている人間が百四十万の収入があったならば、これは十数万円、二十万円近い税金を標準家族では納めなければならない、他方は無税であるという不平等をやるというのは、一個の法人擬制説という、こういう思想に成り立っておるということは、どうも私は納得できないと思います。その点は第二の御質問に関係いたします。  第一の点について言いますと、それは後発メーカーの参入によって超過利潤の実在というものを論証するというような分野は、たとえば自動車の分野などは、これはそうだろうと思います。自動車につきましては量産に伴うところのコスト低下ということで、有名なシルバーストーン曲線というのがありまして、量産に伴って非常にコストが低下して、ある限度を過ぎるとわずかずつしか低下しないというような曲線があります。大体一車種月産一万五千台から二万台ですか、それに向かって非常に大きくコストが低下するわけです。日本の場合は賃金が安いために、月産一万台くらいから一万五千台くらいでかなりな能率規模に達すると思います。この分野で月産三千台と比べますと、コストは大体一対二くらいだといわれているわけです。とすると、いま月産三千台くらいで成り立つような価格が存在するとすれば、先発メーカーにとってはかなりの超過利潤が得られていると思います。先発メーカー、小型メーカーにおいて月産一万台を基準にいたしまして、超過利潤ほぼ一台当たり十万円、全利潤十七万円という報告が出ておりますが、しかし、そういうような価格というもので後発メーカーが成り立つようなことであれば、先発メーカーは非常な超過利潤を得ておる。ある意味では、先発メーカーがそういう超過利潤を得ているがゆえに、後発メーカーは月産三千台でも参入可能であり、そして場合によっては、たとえば東洋工業のように、それを月産九千台までも高めるだけの可能性もありまして、後発メーカーが次次に参入するのだろうと思います。こういう形で需要がどんどん今後続けば、各メーカーというものは、国際競争力もある能率単位、一車種月産一万台に到達するでありましょうが、その前に、あるいは消費の頭打ちがあるとするならば、これは後発メーカーは非常な苦境に到達して、やがてこれは先発、後発メーカーを中心とするところの激烈なる競争によって、それはもっと弱いところにしわ寄せがいく。たとえば労働者、あるいは後発メーカーがつぶれる、あるいはそれが消費者にカルテルによって転嫁される、あるいは後発メーカーが外国資本と結びつくことにもなるのだろうと思うのです。こういうことが来る前に、先発メーカーが超過利潤というものを得ないで価格を下げて、そして標準的な利潤というものを得ることによって、後発メーカーの参入が、経済的に自由競争の原則のもとにおいて入らないような状態をつくるべきであったのではないかと思うのです。戦後経営学が盛んに問題になりまして、経営者の社会的責任という、自分の利益だけを求めるのではない、それが自分の長期的、安定的な利益であということを経営学者が盛んに言いましたけれども、実際において、そういうような政策をとった産業が、一体量産体制にある産業でどれだけあったか。自動車しかり、化繊しかり、みな後発メーカーを次々に誘発して、第一次後発メーカー、第二次後発メーカー、第二次後発メーカーが合理化されると、今度は第三次後発メーカーが参入する。一体こういうことで社会的責任ということが言えるのかどうか。口ではそんなことを言うのは簡単ですけれども、そういうことを現実に実現するために、先発メーカーの経営者の責任は非常に重要であると同時に、そのための措置というものをわれわれは考えていかなければいけないのじゃないか。これは決して大企業というのを不当に圧迫するのではなしに、わが国の合理的な経済体制をいかにして確保するかという、長期的にはその大企業の利益にもなることで、そうなるならば大企業は非常に安いコストで、しかも消費者に対して安い価格で提供することが可能になるのではないか、そういうぐあいに考えております。
  29. 平林剛

    ○平林委員 小宮先生のお話は、大体前のほうはわかりましたけれども、私の言わんとしたところは、財界や企業資本の中にインフレ待望というようなことがうごめいて、それが今日の政府政策を動かしておるというおそれはないか、そういうことについての分析は極端かどうか、こういう点、先生ちょっとお触れになったのですけれども、もう少し聞かしていただきたい。  それからもう一つ物価ですね。物価上昇がこのまま続けば、私は、消費者立場から見ればとかなんとかというのではなく、八%もことしも来年も続くようなら、これはもうすでにインフレ警戒をしなければならぬと思うのです。それと同時に、物価上昇原因はいろいろあるでしょうけれども、その場合にもう一つのファクターとして見る場合に、日銀の発行券の一つの警戒線はどの程度まで見たらいいかという点に、御見解があればひとつお示し願いたい。
  30. 小宮隆太郎

    小宮参考人 財界の中にインフレ期待論があるかどうかということは、私よくは知りませんけれども、需要の拡大ということを待望する要求が強いということは確かだろうと思います。  それからあとの点ですけれども、先ほど申し上げましたように、インフレかどうかということは、黒か白かというふうに判断できる問題ではなくて、インフレということば自体も非常にあいまいです。そういうふうに問題を出すよりは、現在の日本経済状況全般として、はたして満足すべきものかどうか。その場合には、経済政策のいろいろな目標がありまして、ここに書きましたように、二ページにありますように、完全雇用経済成長資源最適配分所得の公平な分配、それに物価の安定、さしあたり大体五つくらいの項目で書いてあるのですが、そういう全般から見ていいかどうか。たとえば物価は安定しておるけれども、ほかの点で失業がうんとあるし成長率も低いというふうなことでも困る。あるいは成長率は高いけれども、所得分配が非常に不公平だということでも困る。ですから、そういう場合には総合的、全般的に判断していかなければならない。ですから、消費者物価が年々五、六%も上がるということは、これは非常に望ましくないことであります。それははっきり望ましくないわけです。そうして、欧米で最近使われているニューインフレーションあるいはクリーピングインフレーションということばからいえば、これははっきりインフレ状態であるというふうにも言えるわけですが、それでは物価安定をしたらほかのことはほうっておいていいかどうかというと、これは人間のからだでも、健康なうちはあらゆる点で一〇〇%だということになりますが、相当年をとってくれば、多少血圧が高いとか、目方がふえるとか、目方を無理に減らそうとするとどうもからだの調子が悪いとか、いろいろなことが起こってきまして、総合的にこれでいいかどうか、次はこういう方針でいきなさいというふうにお医者さんは言うと思うのですが、そういうふうに総合的に判断するよりしかたがない。一つの指標でもって、これさえ見ておればよろしいというふうな指標はないわけであります。  それから、さしあたってそれでは消費者物価上昇率というのは、どの程度まではがまんできるかという点は、私がここで(四)の点で言いましたように、社会保障給付年金、恩給等を消費者物価指数にリンクする、それから貯蓄者が不利にならないように、小額面の国債を消費者物価指数にリンクして発行するというふうなことも含めて考えれば、まあある程度、五、六%の消費者物価上昇が続いても、それを押えるために、ほかの経済成長であるとか、完全雇用であるとか等々の経済政策目標を犠牲にしてまで、消費者物価を無理に押えるということはしないほうがいいだろう、こういうことであります。
  31. 小笠公韶

    小笠委員長 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、本問題調査のためたいへん参考になりました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。      ————◇—————
  32. 小笠公韶

    小笠委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についておはかりいたします。  消費者物価に関する問題について、消費者側の参考人から意見を聴取することとし、参考人の人選、日時等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  33. 小笠公韶

    小笠委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたしました。  次会は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。    午後零時五十一分散会