○山本(勝)委員
物価と
大蔵省の
関係で、
基本的な点をちょっと伺ってみたいのです。
この前にもちょっとこの
委員会で申したと思いますが、結局
物価が上がっていくというのは、需要が
供給よりも上回るということに一言で言えば尽きるだろうと思います。その需要というのが、結局貨幣経済でございますから、貨幣の裏づけがなければ、需要として
物価に影響することはできないのですから、単なる欲望では、これは
物価に影響しないのですから、結局、
品物の
供給量よりも貨幣数量のほうが早くふえていくというのが
基本にあるのではないか、全体として上がっていくというのは。その一方で、
供給力のほうが需要のほうよりも多いのだ、こういうことを言われて、よくデフレギャップというようなことを言われておりますが、この
供給のほうが需要のほうよりも多いのなら、これは
物価が下がっていくわけです。上がっていくわけはないと思います。やはり上がっていくということは、総需要が総
供給よりも強い、そういうふうに私は判断するのです。しかし、設備は確かに余っておる。全部が余っておるというわけではないでしょうけれども、かなり設備が余っておって、未稼働というか、稼働していないものがたくさんあることは事実だと思います。そういうふうな
関係から、結局、実際にマーケットに提供される
供給量というものは需要量よりも低いのではないかというふうに私は判断するのですが、その場合に、どうしてそれだけの
生産力があるにかかわらず
品物となって
供給されないのかというところに、見のがされておる
一つの大きな問題があると思います。それは
企業間信用、べらぼうな
企業間信用というものが重なっていきますが、その
企業間信用が重なっていったのには、結局、だんだんと手形のサイトが長くなっていく、それで
銀行が商業手形の割引というものを簡単にやる、これがサイトが長くなり、
企業間信用がだんだんたまっていって、今日ほんとうにまじめな商売人が、四カ月も五カ月も先に期限がくるような手形でなければ売れない。しかし、そういう手形ははたして商売しても金になるのかどうかということの安心ができない。それは
銀行へ持っていけば割り引いてくれます。割り引いたから、何か売ったものが金になったような錯覚を持っておる人が多いですけれども、実は
銀行で手形を割り引いたというのは、それは何も売ったものが金になったのではなくて、売ったものは期限がきたときに初めて金になるのであって、割り引いたのは、手形の振り出し人と連帯して借金をしたというだけのことです。それがために、もうまじめな商人は、こんな金になるかならぬかわからぬような商売をするよりも、むしろかたく——できれば現金だけれども、そうばかりもいかぬが、しかし、そんな長い手形で売らないで、商売を縮めようという萎縮した態度がほとんど満ち満ちておると思うのです。何といっても商売人は、
品物を動かす
一つの
流通の先兵ですから、この商人の気持ちが萎縮してしまったら、いかに
生産設備がたくさんありましても、その
品物が動かぬのですから、これはなかなか景気もよくならぬし、したがって
生産がふえてこないものですから
物価がどうも下がらぬ、こういうことになるから、この商人が、もう安心して力一ぱい商売をするというためには、売れば必ず金になる、こういう安心があれば一生懸命にやります。しかし、いまはもう売っても金になるかならぬかわからない。その根本は、私は、
銀行が商業手形の割引というものを簡単にやったところにある、こう見るのです。昔なら、三カ月も四カ月も先で払うような手形を出すような会社は、これはもうどこぞに欠点があるのですから、そんな支払い能力のないものを
銀行は相手にしなかった。ところが今日は、そういう三カ月であろうが四カ月であろうが、
相当名のある日本特殊鋼とか山陽特殊製鋼——いまはつぶれましたが、とにかく名のある会社の手形ならば、その直接割り引く人間に支払い能力があろうがなかろうが、信用があろうがなかろうが、
銀行があらかじめ認めたワクの範囲内ならもうどんどん割り引く。それなら、さしあたって割り引いた人間の信用で、あるいは担保力を見ないなら、手形を振り出したその会社の信用を見るのかといいますと、いま言ったように、ほんとうに見るのなら、三カ月も四カ月も先の手形を出すような会社は、これは安心して割り引けないはずなんですけれども、簡単に割り引く。しかも
銀行は、借りに行きますと、何か手形はありませんかと言う。手形の割引は、たとえば期限が長かろうが利子はちゃんととりますし、それから債務者は連帯で、一人でなしに二人になります。ですから、非常に簡単なものですから、直接貸しをするよりも手形の割引を好むというこの
銀行のビヘービア、これは戦前にもなかったことだし、外国にもない。戦前の商業手形の割引というものは、大体
品物をマル通に渡しますとマル通が受け取りを出す。そうして、もし途中で向こうへ着かなかったら、マル通は責任を負う。マル通の受け取りをつけて
銀行に持っていってその手形を割り引く。ですから、荷物を出してからお客に着くまでに
相当の時間がかかります。外国ならば一カ月も二カ月もかかるのでしょう。国内でも
相当期間がかかるものですから、その期間ぐらいは前もって割り引いてということは、これはけっこうですけれども、しかし、三カ月も、四カ月も、五カ月もというのは……。これは借金証文であって、ほんとうは商業手形ではない。そういう
銀行のビヘービアを変えさせることは非常にいまむずかしいのですけれども、これを変えさせなければならぬ。そうして、商売をして売れば必ず金になるということでなければならぬ。だから、現金でやるか、小切手でやるかということです。そうして、借りる人間の要するに支払い能力、これをよく見ないというと、貸した以上は利子をつけてとるというたてまえですからね。それなのに、利子をつけて払えるか払えぬかということを見ないでどんどん貸していったということは一それは見ましたと言うかもしれぬけれども、見ておれば、そういう大きな会社が破産することもないし、また、その波動で
中小企業が月に五百も破産するわけがない。全く手形というものが支払い能力というものと遊離して、その会社の名前だけでどんどんどんどん
貸し出していった、その
貸し出しが通貨の膨張になってやはり
物価を上げるし、それがとうとう行くところまでいっちゃって、今度は設備をつくったって売れない、商人が売ってくれない、こういうふうになっておるんじゃないかと思うのですね。だから、世界の常識に引き戻すというか、戦前の常識に引き戻すということが必要である。
私は、よく自分の意見を言い過ぎますけれども、何年か前に、三カ月以上の期限の手形を出してはいかぬという法律をつくるというような話があったそうですけれども、手形を何カ月以上のものを出すなというようなことを言ってみても、これは取り締まりがむずかしい。それより、
銀行が三カ月以上の手形を割り引いてはならない、こういうふうにすれば、
大蔵省の
銀行への取り締まり、指導は至って簡単だ。少なくともそういうふうに持っていくように努力をしていかないといけない。一時
企業間信用というものをだいぶやかましく言われましたけれども、最近になりますと、ただ公債を出して減税をやれば、それで景気も直るし、
物価も安定するようなことを言っておりますけれども、しかし、
企業間信用という大きな問題にもう一ぺん取っ組んで、商人が売れば必ず金になる、せいぜい一カ月か二カ月後にはおそくとも金になるという体制に引き戻す努力をしておられるのか。しておられなければ、もう一ぺんそこをやらなければいかぬ。やる意思があるのかどうか。それをやらなければ、いまのままでいきますと、
個々の
企業が健全にならないものですから、一時的には何とかこまかしがつきましても、ほんとうの健康体にはならないから、そういう
意味で私は非常に心配しておるわけですがね。
企業間信用問題というものを、
大蔵省はいまどこかの部局で、あるいは
大蔵省じゃなくても、
政府のどこかの部局で、なお真剣に取り組んでおるところがあるのかどうか。