○湯山
委員 いま
長官からも御
説明がありましたように、その中の一つ、これは非常に大きな慣例だと思いますが、国有林野に対する
入り会い権の問題で大正四年に大審院から出ておる判決、これで見ますと、こういうことによって国有林の
入り会い権というものはないのだという
説明がなされております。これは明治初年の地租
改正によって官民有林が区分された。その場合に、一つは培養、つまり、
入り会い林に対してその住民が培養していない。栽培あるいはそれに対して労力を提供していない。したがって、そういうものは、かりにいわゆる入り会いの形態があったにしても、
入り会い権、そんなのはなくてもいい。それから、もしそういう場合に、そのとおりの表現で言えば「甚シク人民ニ痛苦ヲ与フル場合ニ於テハ
事情ニ依リ」払い下げまたは貸し渡しをしてもいい、こういう注意があります。したがって、いまのでいえば、何ら費用もかけていない、労力もかけていない、それを、
入り会い権をなくしたためにその
関係者にはなはだしく苦痛を与えない場合、そういう場合は、これは国有林に関する
入り会い権というものはなくていいのだというような判決になっております。しかし私は、その当時の
入り会い権を持った人たちが訴訟を提起してここまできたというのには、かりに培養という労力の提供はなくても、あるいは費用の提供はなくても、あるいはまた、それによってはなはだしく痛苦はなくても、やはりある
意味で慣行利用をやっておったのか、あるいは正規の入り会いをやっておったのか、何らかの
理由があったと思います。こういうものが、たとえば地租
改正によって官民有林の区分、こういうことによって取り上げられている。それが根拠になって取り上げられているというような過去の事実から徴しまして、今回のこの
入り会い権の
整備、それが順調に進んでいった場合に、将来、たとえばダムをつくるとか、あるいはその他のことによって係争が起こった、そういう場合に、
昭和四十一年にこれこれでこのような
法律によって
入り会い権の
整備ということが行なわれている、にもかかわらず、そのときにそれを放置しておった、そのときに当然手続できる状態にありながら、何の手続もしていない、
整備もしていない、こういうことで不利な扱いを受けるというような場合があっては、これは困るのではないかというように
考えます。と申しますのは、いま申しました官民有林区分、この地租
改正によるやり方というようなものは、こういうようなことをこうやらしておるんだ、こういうものについてこういう注意をしておる、にもかかわらず、それに対してそういう
措置がとられていない、したがって、
入り会い権はないんだ、こういったような論法での
入り会い権の排除が他の例にもございます。したがって、今回の
入り会い権の
整備について、
整備をされなかったもの、してなかったもの、それらの扱いを不利にするような懸念はないかどうか。このことは過去に、もちろん大きく日本の憲法まで変わったわけですから、それ以前、戦前のものが必ずしも基準になるとは思いませんけれども、今後においてそういう事態が起こらないかどうか、そういう懸念はありはしないかどうか、それについてひとつ明確にしていただきたいと思います。