○安福
説明員 買い取ったと申しますと、ちょっと語弊があるかと思いますけれ
ども、漁業権なり入り会い権を含めまして、これをなぜ消滅せざるを得なかったかという事情を簡単に御
説明申し上げたほうがいいのじゃないかと思いますので、申し上げますと、漁業と
一般の産業、土地を中心としました、土地に結びついた産業との違いというものは、根本的にちょっと違うのじゃないかという感じがするわけでございます。というのは、漁業というものは、非常に機動性を持てば持つほど漁業としては進歩すると申しますか、高度化する、そういう性格を持っておると思います。一方、普通の産業は、定置化すればするほど高度化するといいますか、定置化して集約的にそれを利用するという性格を持っておると思うのです。したがいまして、漁業が歴史的に見まして進化
発展しますのは、徳川期に入ってのことだと思うのでございます。その後の漁業の
発展というものは、農業から分化して、漁業として独立の道を歩む、こういう
経過をたどっていったのが漁業の
発展の過程だと思うのです。したがいまして、だんだん漁業自体が機動性を持ってくる、こういう問題もあるわけであります。そこに土地と水面を利用する利用の違いの相当本質的なものがあるんじゃないか、こういうふうにわれわれも
考えており、
実態もそういうものであろう、こういうふうに
考えております。したがいまして、水面を利用する場合には、土地の場合には非常に単一的、単純化された利用が可能でございますけれ
ども、水面の場合は、対象とします魚もいろいろ多種多様ございます。それからそのほかに海草、貝類こういったものがいろいろあるわけであります。こういったものをいろいろ含めまして、水面の利用、それをとる漁業というものは、非常に複雑な立体的な漁業形態というものがあるわけであります。そういう土地を中心とする産業の場合と非常に違う
実態を持っているわけであります。
それで、徳川時代から明治の漁業法にかけまして、どういう漁業権と申しますか、漁業をやる権利というものが固定化してきたかという、その漁業の進化した過程を歴史的に振り返ってみますと、徳川時代には、藩政の徴税機構の
一つとしまして、漁業が進化してまいる過程において、領主が藩政の
収入源の代償としてだんだん裏づけしていった、これが徳川時代から確立してまいりました浦浜
制度であったと思うのです。それが明治に入りまして、明治十九年に漁業
組合準則という規則を
政府がつくっております。それで、
組合というものをつくりまして、従来の徳川時代からの浦浜
制度というものを
組合という近代的な
一つの
団体に切りかえていったわけです。そこで、徳川時代からのそういった慣行の漁業というものを固定化したのが明治十九年でございます。その後、いろいろ漁業についての立法の歴史があるわけでございますけれ
ども、三十四年に至りまして、初めて
法律の形で漁業法というものができたわけでございます。その際にも、漁業が徳川時代からずっとそういう自然発生的な産業として
発展した過程をそのまま固定化したというものが明治漁業法であったわけであります。そこに、漁業の
実態、漁業が進化してまいります関係との間に
一つの問題があったというのが、二十四年の漁業法
改正の場合の前提になっているわけでございます。と申しますのは、
制度というものを
一つつくり上げますと、ある意味では硬直性を持つといいますか、固定化するという性格を持つわけであります。先ほど申し上げましたように、漁業自体が、ある意味では機動性を持てば持つほど高度化するような性格を持っておるということはおわかりになると思うのですが、そういう関係で、固定化する
制度と、漁業の
実態、漁業の進化というものとの間に、矛盾相克の問題が出てきたわけであります。したがいまして、昭和二十四年に
改正いたしました漁業法では、そういう漁業権あるいは入漁権というものの固定化は、ある程度漁業の
発展進化にマッチしたように機動性を持たす、そういう切りかえをせざるを得ない、そこに漁業の生産力の
発展があるだろう、こういう認識に基づいて昭和二十四年の漁業法の
改正が行なわれた、こういう経緯でございます。したがいまして、そういう形において、徳川時代から非常に硬直性を持っておりました漁業権、入漁権、こういったものを、そういう根本的な
考え方の否定——と申しますと語弊があるかと思いますけれ
ども、そういう漁業の進化
発展にマッチしたような、あまり硬直性を持たないような、そういう性格を新しい漁業法では打ち出しているわけであります。そこに、漁業調整
委員会の
制度なり、あるいは漁場を使う場合の前提となる漁場計画をつくる過程において、そういう社会的、経済的な条件を織り込んだ漁場計画、計画的に漁場の利用をつくっていく、こういう
考え方が二十四年の漁業法には織り込まれているわけであります。そういう非常に大きな
制度改正という前提に立って、明治以前から百数十年続いております漁業の
実態というものを一切白紙に返す、こういう趣旨で
政府の資金が投入された、こういうことでございます。
非常に長くなりましたが、そういう
経過で昭和の漁業法ができた、こういうことでございます。