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大出委員 古いことになりますが、
昭和三十三年に
日本から
ベトナムへ
輸出しておったのは、
資料によりますと、三千九百五十三万ドルですね。ところが、
アメリカの国際開発局、AIDの援助云々の
関係で、三十六年のときに六千五百三十五万ドル、こういう伸び方をしておって、三十九年に入って三千四百八万ドル、半分に急テンポに減っているわけですね。
アメリカ側がこの援助費の使い方についてチェックして、
韓国の派兵の問題等とからんで
韓国、
台湾に振り向けたわけですね。ずいぶんこれは政治的に動いているわけですね。したがって、将来に向かって、これはひとつの例をあげたわけですけれども、東南アジア開発銀行構想などというものもあり、閣僚
会議を開こうというようないきさつもありますし、メコン河の流域開発構想だとか、いろいろ山積しているわけですね。それも実は疑問の点もありまするので、
大臣のおられるところで聞きたいわけですが、そういうふうな政治的な問題とからんで、国のあり方としては、
特需を別に減らそうというのじゃなくて、ふやそうというふうに動いているように受け取れるわけです。一次産品の
買い付けなどについても、いろいろなことをしていることもある
意味ではわかる。それだけ大きな政治的舞台裏があるのだから、やはり明らかに押えていくところは押えておいていただかぬと、将来問題が起こる。たとえば死体袋四十万
発注が行なわれたといううわさが流れて、
横浜なんか大きな
騒ぎですよ。四十万の死体袋なんといろのは
——朝鮮
戦争のときの黒い袋ですよ。それを運んだ人も
横浜にはたくさんおるわけです。また、岸根の病院でないところに病院をつくって、負傷兵をどんどん入れているわけでしょう。そうなると、たいへんなうわさが流れるわけですね。なぜなれば、
受注の本家が
横浜にあるからです。そこにみんな集まるわけですから、そうなると、その真偽のほどはどらかと聞いた場合には、いやそういうことはございませんと、こうおっしゃるのだろうと思うけれども、じゃございませんというのだけれども、しからば自信を持ってそういうことはないと言い切れるかというと、前回からの
大臣の
答弁からいえば、そういう事実があるとはいえないし、ないともいえない、つまりわからないというのですね。わからないということでは困ることになる。だから、そういう
意味で一カ月くらいの間に何とか
把握をする
努力をされるとおっしゃるわけですから、いままで
努力をされていたわけですから、どうかそれを打ち切るなんというのじゃなくて、私のほうも
地元におりますから詳細に調べておきますけれども、やっぱり的確なものを握っておいていただかぬと、まさかのときに妙なことになる、こう思いますので、ぜひその
努力はひとつお続けをいただきたい、こう思うわけです。
大臣がおられませんので、ボランタリーチェーンの問題について少し承っておきたいのですが、これは林商務課長さんのところで最初一生懸命手がけられておられて、昨今商業課長さんのほうの御
担当になっているように思うのでありますけれども、事の始まりは、通産
大臣の新聞発表で、百三十万の
日本の小売り商のうちの一割、十三万をチェーン化する、こういう発表から実は出発しておるわけでありまして、二転、三転いたしまして、今日の予算確定の
段階を迎えたわけでありますけれども、そこで
冒頭に承っておきたいのは、ボランタリーチェーンなるものの発想、
アメリカの例あるいは英国の例等いろいろありますが、
日本の
国内で旧来ボランタリーチェーンという形でやっておられるところで成功をしている実例が
幾つかあって、それらのことも御勘案の上でこういうふうに動いたのか、その発想のほどをひとつ承りたいわけであります。