○村山(喜)
委員 大体この辺でやめますが、旧
憲法下における官吏は、無定量の勤務原則のもとにその身分を保障され、そしてその行為については制約をされておった。ところが、近代国家になりました今日の国家公務員法においては定量勤務の原則だ。だから、八時間労働というものに対する対価として給与が支払われているのであって、管理職の人たちは超勤にかわるものとして特別の
措置がなされておるわけであります。しかしながら、一般の公務員については、定量勤務の原則というものが確定をしているわけです。したがって、権力
関係を発動してまいる
立場にあります公務員については、当然のことながらその公務員の基本的人権については、その職務の遂行上からくる制約というものは最小限度の線において、認められなければならないといたしましても、公務以外の一
国民として生活をしていく中において、それらの表現の自由権というものが大幅に制約されていくということは、これは明らかに
憲法違反という
見解も成り立ち得るわけであります。その問題をいわゆる公共の福祉という概念で割り切ろうとされましても、公共の福祉という概念自体が不確定の概念です。その
立場から、合理的範囲内で
云々ということでこの前法制局は
説明をされましたが、その合理的範囲というものの基準の置き方が、中世紀的な身分、忠誠の原則のもとに行なわれておった過去の官吏の時代と、今日全体の奉仕者という
立場において
国民に奉仕をする公務員との間には、明らかに違いがあるわけなんですから、そういう
立場から、はたして今日の公務員制度というものが合理的であるのかどうかということについては、私は非常に問題があろうかと思うのであります。一般職の公務員なるがゆえにそういうような制約が行なわれる。一般職の公務員でない
特別職の公務員についても、その
考え方の上からどのような差があるのか。たとえば郵政省の
職員とそれから三公社の
職員である電通の
職員との間において、片方においては国家公務員法の適用をされる、片方においては公共企業体であるということで別な
法律が適用される、そこには同じ公務という上において
考えた場合においては、差があってよいはずはないし、また大衆の上に及ぼす影響というものから
考えたら、事実上の問題として差がないのじゃないか。そういうような
立場から
考えていくならば、この問題については、特に罰則規定、刑罰上の規定を含めて、この公務員の身分制度という問題について刑事罰としてこれを処分をするという行為が、今日の日本国
憲法の制定の
趣旨から見ましても、条文の
趣旨から見ても、認められるはずがないと私は思うのであります。そういうような点は、今後
公務員制度審議会でも十分論議することになりましょうが、
国会においても、問題が出てきた場合においては、絶えずこの問題を取り上げて論議しなくてはならないし、また行き過ぎた行為として現実にあらわれている
問題等が派生をしているわけですから、こういうようなものについてはチェックしていく
立場が、
総理府としてはあろうかと思うのであります。いまの建設省のそういうような行為、解釈というものは、閣議で決定をしたとかということで、それは確定したものではないという従来からの解釈、給与というものは
国会で最終的に決定する、だから、
国会において給与が決定をするまでの間は政策として確定をしたものではないという従来からの解釈というものがあるのですから、こういうような行き過ぎは是正をされなければならないと思うのでありますが、この点について再度の
答弁を願っておきたい。