○春日委員 あなたのほうが
一つの目的意識を持っていろんな字向をあちらこちらでさがしていけば、あなた方のその欲するところに合致するような条項もなくはないと私は思う。けれ
ども、そのような枝葉末節の問題は、あるいはそういうような派生的な問題は、すべからく今後直していかなければならぬ。根本を正して、根本にさかのぼってすっきりしたものにしていかなければいけないと思う。だから、私がいまここで申し上げるのは、とにかくこの制度というものが設定された政策的意図は何であるかということですよ。これは中小企業者を政策によってささえていく、その政策とは何ぞや。すなわち、これは
税制であり、金融であり、さまざまこれに随伴してくると思うのでありますが、これを助けなければならぬという
立場からこれが元来設定された。ところが、いまあなたの言われたように、ああだこうだと間違ったことがあちらこちらに書きまくられておるから、これではならぬというので、数年前に設定された中小企業基本法二十三条には、国は中小企業者に対して、
税法上、金融上特別の
措置を講じなければならぬと、国家宣言をあえて行なっておる。あなたのほうはいろいろなことを言って、いろいろなことをやっておる。そして、苛斂誅求がはなはだしく、零細業者に及んでおるからこれを直さなければいかぬといって宣言しておるけれ
ども、これを訓示的な規定だとかなんとかいって、柳に風と受け流して、あなたのほうは誠実な問題の解消に当たっていない。だから、このような機会に、ほんとうに国会が
政治家的良心の上に立って、団体法や基本法が国家宣言として
政府並びに国会に命令しておる、それを受けて誠実に正すべきものは正していかねばならぬ。誤っておるものはこれを直していかなければならぬ。私がいま申し上げたことは、あそこにこう書いてある、ここにこう書いてあるということではない。中小企業団体法、中小企業等協同組合法によれば、一緒に書いてあって、一緒の目的で設定されたら同じよような
措置をとってしかるべきではないか、こういうことを言っておるのですよ。
さらに私は、あなたに、これは冗談じゃなしに申し上げるのでありますが、これは藤井政務次官もほんとうに聞いてもらいたいと思うのだが、片山内閣のときに水谷長三郎通産
大臣のもとでこれが制度化されたことは御承知のとおりだろうと思う。その当時、これはいろいろと深く
研究されて、現実の問題としてこの制度が初めて日本に制度化されたのです。その歴史的考察は、かねてあなたに提出をした私のパンフレットの中にも書いてあると思うのだけれ
ども、これは十九世紀にヨーロッパでこういうものが発達した。
最初はこれが配給を
中心とした協同組合運動だったのだが、これが生産活動に
重点が置かれるように変わっていった。そうしてこれがフランスに発展をして、そしてドイツに発展をして、イタリヤにおいて発展をして、中小企業者の協同組織として非常に経済効果をもたらしてきたのだ。そういうようないい点を取り上げて、当時片山内閣でいろいろな学者の諮問を経て、そうしてこれを日本の制度の中に実際に取り入れていったのですよ。そのときあなたはまだ
大学で野球をやったりピンポンをやったりして走っておったものだから、全然苦労のほどがわかりはせぬ。だから、いまこつ然として酔ったような文章だけにとらわれてしまって、崇高なる政策の渕源というものをとんと御承知がない。それだから末梢にとらわれてしまって、根源を失われてしまっておる。だから、どうかひとつこの問題について私の申し上げることを端的に御理解願いたいと思うのだが、協同組合組織というものは、すなわち、各企業の宗主権を残存せしめて、そうして、
部分的に協業の
部分を別個に持っていく、こういう組織ですね。それから企業組合というものは、宗主権を全然なくしてしまう、全的に合併していってしまうということですね。しかも、その政策の根源をなすものは何であるかというと、これは協同組合である。国は、中小企業に対し、組織を助長するためにこういう制度を設けられた。だから、この政策に全面的に乗ったものは一〇〇%協業組織になってくるのですよ。中小企業者は弱き者である、一人では大企業に立ち向かえないのである、だから、その経済効果を高めていくためには協業しろというのが、協同組合法の指向する政策の
方向である。それで、あるものは、自分というものを残しておいて、すなわち、宗主権を残しておいて、その中の二〇%、三〇%、四〇%、八〇%、あるいは九九%を協同組織に持っていく、それが協同組合である。ところが、この政策に対して、あるものは弱き者は全的に合体したほうがよいと思って、
政府の施策のフェーバーを全面的に満喫しようということで、よってもって九九%では足らないといって一〇〇%そこへ乗りかかっていった。これがすなわち企業組合である。ところが、現行
税法では、その剰余金の配分を損金算入にするけれ
ども、一〇〇%のものはいけないことになっている。このような有利と不利との歴然たる変化があらわれてくるということは、これは
法律の重大な手落ちであり、誤りです。大体、その当時、あなたの前の前の前の
主税局長であった渡邊喜久造さん、いま故人となられたけれ
ども、あの人は、私はほんとうに良心的な人だと思うのだけれ
ども、あの人が、こういうわれわれの論難に対して答えられたことばの中に、こういうことがありました。あるいは村山君もそのような疑義を継承されて記憶があるかと思うのだが、一体、従事分母と利用分量ということばをあそこで二様に使ったことが、本日このような
税制上のあやまちといいますか、二様の
措置を発生せしめた
原因である。あのとき両方とも利用分量という名前を使っておけば、同じような処理がなされていったと見るべきである。——どうしてあなた頭を傾けるのですか、ぼくが聞いて、ぼくが言っておるのですよ。私をうそつきだというのですか。不肖、春日一幸のごとき大人物の言うことを、なるほどといってうなずくなら、これはわかるけれ
ども、あごを横に振るとは何たるあさましい根性だ。その協同組織の共同施設を利用する、そして、そこから利益を得ていく、便宜を得ていく、これは利用分量でいいじゃないですか。何にも違わない。だから、利用分量の配当という同一用語を用いておけば、私は、実際の話、同様の処理がなされたと思うのですよ。ことほどさようにこれは実際問題として非常にデリケートなんです。ですから、私はこの際あなたにお伺いをしたいのだが、あなたは、これは利益を追求する営利事業そのものであるということを言っておられて、その結果、処理はあたかも営利
法人、会社と同じように扱われてしかるべきだと、こういうことを言っておられるけれ
ども、そうは言い切れないでしょう。はっきりとそういうようには言い切れないと思う。なぜ言い切れないかといえば、株式会社というものは、資本の結合体である、資本の団体である。投下した資本に対する利潤の追求をはかって、その増殖だけを目的とするものであって、かつ、その株主相互間に何にも相互扶助の
関係というものが存在をしていないのである。そういうものと、相互扶助そのものを基調とする企業組合、そのために組合員の
職場を確保する、そして、その組合員の生活を守ることを目的とする、このような企業組合——株主相互間には、ほかに何らの連帯感はないのである。銭をもうける、この分だけ出しておいたからもうけてくれ、もうかったら、その分に対して配当してくれというものと、相互扶助を基調として、そうして組合間のそれぞれの
職場を確保して、その生活の向上をはかっていこう、生活そのものを全的にそこにゆだねて向上をはかっていこうというものとが同じものではあり得ないではないか。全く同じものだとあなたは思いますか。要するに、株式会社と企業組合と同じものだと思いますか。同じものだと断定できるならば、ひとつ断定してください。もし、そのように断定できないものとするならば、
課税のしかたが同じようになされておるということには疑義がある。これは何かしらすっきりしないものがある、少なくとも、そのような疑問があらわれてきて当然だと思うのですよ。これはいかがですか。ちょっとこの辺でひとつ藤井政務次官から
政治家として御
答弁を伺ってみたいと思う。