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森政府委員 最近起きました
炭鉱の
事故につきまして簡単に御報告申し上げます。
最初に、四十一年四月八日に起きました第一
漆生の
出水災害につきまして申し上げます。
炭鉱名は第一
漆生炭鉱漆生坑、指定は甲種でございます。
鉱業権者は
株式会社漆生鉱業所でございます。これは三井鉱山から三十六年の一月に分離をいたしましたものでございます。所在地は福岡県の嘉穂郡稲築町でございます。
災害の
種類は
出水でございます。
災害発生個所は
杉谷左卸本卸の左三片
坑道というところでございます。
罹災者は、現在のところで、死亡二名、行方不明一名、重傷二名、軽傷九名、計十四名でございます。この
炭鉱の
出炭量は月産大体一万三千五百トンでございます。
鉱山労働者は四百八十三名ということでございます。
災害の
概況でございますが、四月八日十時ごろ
災害個所でハッパをいたしまして、
炭積みをいたしましたころ、
延び先から
出水があった。当時この
部分に入っておりました
鉱山労働者は全部で六十名でございます。なお、この
出水が起きました左三片よりも深いところにおりました
就業者は二十六名でございます。
出水と同時に
警報器を鳴らしまして、その
警報によりまして二十六名中二十三名は退避をいたしたわけでございますが、左四片より以深におりましたと予想される二名、及びこの卸の
詰めの近所を
巡回中と予想される
係員一名が行方不明になったわけでございます。それで、この水が出まして、八日の夜の十七時二十五分ごろに大体
水位の上昇が停止をいたし、
出水量は大体八千
立米くらいというふうに考えられます。そういたしまして、さっそく九日から
排水を開始をいたし、百五十馬力のポンプを持ち出しまして現在
排水中でございます。
排水完了見込みは現在ちょっとわかりませんが、だいぶ進んでおりまして、先ほど申しましたように、
遺体も
二つ搬出をいたしたという
状況になっておるわけでございます。若干下のほうに
崩落等もございまして、現在
排水完了のめどははっきり立っておりませんが、なるべく早急に
排水を完了いたしたいというふうに考えております。
この
事故につきまして、ではなぜ起きたかということでございますが、御
承知のように、現在掘っておりますのは
杉谷五尺層でございますが、その下に約十八メートルの間隔で間三尺層というのがありまして、これを
昭和二十二年ごろから
山野鉱業所で掘りまして、その上層である
杉谷層を現在掘っておる。したがいまして、
古洞は下のほうの層ですが、現在は
古洞は上のほうまでずっと水が入っておりまして、
相対関係位置から申しまして、現在の三片
坑道はその
古洞の水よりも下になるという
関係位置になっておるわけでございます。したがいまして、われわれといたしましては、三月十四日から十七日までに
総合検査をいたしまして、特に
出水関係について
指示事項を出しておるわけであります。それは、簡単に申しますと、そういう
冠水地でございますので、
冠水状態にならないように
作業しろということを
指示いたしておるわけであります。したがいまして、それに伴う
会社側から
改善計画というものを出させまして、これは
ボーリングによりまして水を抜き取るということをやるのですが、その
計画によりまして、これは
事故発生後判明いたしたのでございますが、三月二十九日に
ボーリングを実施いたしましたところ、約三キロ
程度の
圧力を見たということが
事故発生後判明いたしました。そういう
状況でございますと、常識的には、水柱に直しますと、これは
計算でございますが、約三十メートルという
計算が出てまいるわけであります。したがいまして、
会社としてはそういう
冠水状態がわかっておったわけでございますが、その後
会社側がいかなる
措置をとったかということについて、
目下調査をいたしておる
状況でございます。
次に、
山野炭鉱の
ガス突出災害について申し上げます。
御
承知のように、
山野炭鉱は去年も大
災害を起こした
炭鉱でございます。
会社その他については省略させていただきます。
災害の
発生日時は四月十日の十三時五分ごろでございます。
災害の
種類は
ガスの
突出でございます。
発生個所は本坑二区海八左
払い左三片
肩風道払い卸でございます。
目下切り羽をつくっておるところというふうにお考えくださればいいと思います。深度は約マイナス八百二十メートルくらいの
場所でございます。
罹災者は現在のところ三名でございます。いずれも
直轄の
係員と
鉱員でございます。
災害の
概況でございますが、いま申し上げました海八
地区の左
払い左三片
肩風道払い卸というところの
作業は、いわゆる
払いを目下つくるというかっこうの
準備作業でございます。すなわち、四片の四
ゲート坑道を延ばしまして、三片から同様に
肩風道を延ばし、それを卸で
連絡をするという
作業を行なっておったわけでございます。御
承知のように、この海軍八尺層、ドマ八というのは従来からも非常に
突出がある炭層でございますので、この山といたしましては常にこの
突出並びに
自然発火については
十分警戒をやっておったところでございます。したがいまして、普通常識的に申しますと、
払いの卸をつくる場合には、
ゲート側から、すなわち、
ゲート坑道側と申しますか、フケ側から切り上がるということが
石炭の
搬出等から見て非常に便利でございますが、
ガス突出等のことを考えまして、これを下からいきますとかえってあぶないところがございますので、したがって、これは
作業としては非常にむずかしいのですが、上のほうから卸で下の三片、四片の
連絡坑道を掘る、こういう
状況であるわけであります。
突出に対する体制をとっておる。なお、ここは、
先進ボーリングをいたしまして、それで
突出の
状況をさぐりながらまた掘り進む、また
ボーリングをするということの繰り返しでやっておりました。約六十七メートルくらい進んでおりますが、これが二カ月ぐらいかかるということで、そういう
作業の
状況であることを御
承知いただきたいと思うわけです。
そこで、そういうことであったわけでございますが、十日の十三時ごろ突然
突出がございまして、そこに働いておりました、
ボーリングをやっておりました三名が逃げおくれて
突出炭に埋没した。これはまだ取り
明けが終わっておりませんので、はっきりしたことはまだわかりませんけれども、なくなられた方の
場所、並びに、上のほうに向かって倒れておられるというような
状況等から考えまして、何らかの
前兆があったのではないかということで、
前兆を見て三人が十八度の傾斜の
坑道をかけ上がった。
あと五、六メートルというところで炭に埋没されておられるという
状況から申しまして、何らかの
前兆を感じられて待避したが、間に合わなくて埋没したというふうに考えられます。この
突出炭は
立米に直しまして約四百八十
立米、大体五、六百トンの
規模でございまして、
ガス突出としては非常に大きい
規模のものでございます。
なお、この
ガスの
突出がございましたところは、この
地区には
ガス自動警報器を設置いたしておるわけでございますが、また、同時に、この
作業場の
空気が他の
作業場に流れない、いわゆる
独立分流にこれはなっております。
災害で
ガスが
突出いたしまして、
ガス自動警報器が鳴りまして、
当該区域の
電源遮断が行なわれたわけでございます。したがいまして、流動する
ガスに引火をするということはございませんで、他の
地区、
個所には影響がなかった。また、
独立分流になっておりますので、そのまま
排気立て坑から
ガスが排出されたという
状況になっておるわけでございます。
救出作業は直ちに出動した
鉱山救護隊によって行なわれて、
遺体を収容したということになっておるわけでございます。
なお、この
突出個所の取り
明け完了を一生懸命やっておりますが、おおむね四月の十三日ごろには取り
明けが完了するだろうというふうに考えておるわけでございます。
次に、この前当
委員会で御報告申し上げました
空知炭鉱事故のその後の
状況でございますが、この前ここで、二十六日の一番方から千五百七十メートル、
詰めから約二百メートルぐらい
手前から
崩落を取り
明けて進みますということを申し上げておったわけでございますが、その後
崩落個所の取り
明けが進みまして、四月五日には
基準点から千六百八メートルの地点で
斉藤坑内主任の
遺体を収容し、さらに、四月七日、千六百二十二メートルの付近に至ったところ、この
崩落ボタの一部に、
奥部に通ずる小さな
空隙を発見した。この
空隙を利用して
鉱山救護隊が奥に進入しましたところが、奥は全然
詰めがばれておらなかったということでありまして、残る九人の
遺体を
確認いたしました。この四月七日に全
遺体の収容を完了いたしたわけでございます。なお、この
崩落の奥は非常に
ガスが充満をいたしておりまして、いろいろ、
空気の流動その他によりましてこれがまた
爆発限界に達するというような危険も考えられるわけでございますので、この
崩落のぐっと
手前のところで密閉をするという
計画になって、
目下作業を進めておるという
状況でございます。
非常に簡単でございますが、以上御報告を申し上げた一わけでございます。