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1966-06-08 第51回国会 衆議院 社会労働委員会 第44号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年六月八日(水曜日)    午前十時二十七分開議  出席委員    委員長 田中 正巳君    理事 藏内 修治君 理事 齋藤 邦吉君    理事 澁谷 直藏君 理事 竹内 黎一君    理事 伊藤よし子君 理事 河野  正君    理事 吉村 吉雄君       大坪 保雄君    亀山 孝一君       熊谷 義雄君   小宮山重四郎君       中野 四郎君    西村 英一君       藤本 孝雄君    松山千惠子君       粟山  秀君    山村新治郎君       淡谷 悠藏君    滝井 義高君       辻原 弘市君    長谷川 保君       八木 一男君    受田 新吉君       吉川 兼光君    谷口善太郎君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 鈴木 善幸君         国 務 大 臣 安井  謙君  出席政府委員         外務事務官         (北米局長)  安川  壯君         厚生事務官         (大臣官房長) 梅本 純正君         厚生事務官         (援護局長)  実本 博次君  委員外出席者         総理府事務官         (恩給局恩給問         題審議室長)  大屋敷行雄君         総理府事務官         (恩給局第一課         長)      白井 正辰君         外務事務官         (アジア局外務         参事官)    吉良 秀通君         専  門  員 安中 忠雄君     ————————————— 六月八日  委員本島百合子君辞任につき、その補欠として  受田新吉君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案内閣提出第九五号)  戦傷病者等の妻に対する特別給付金支給法案(  内閣提出第九六号)      ————◇—————
  2. 田中正巳

    田中委員長 これより会議を開きます。  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案戦傷病者等の妻に対する特別給付金支給法案の両案を議題とし、審査を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。河野正君。
  3. 河野正

    河野(正)委員 前回委員会で若干引き揚げ援護中心とする質疑を行なったわけでございますが、国会対策の必要上中途で質疑が終わりましたので、引き続いて何点かについてお尋ねを申し上げたいと思います。  そこで、前回委員会の中で質疑の途中中断をしたわけでございますが、引き揚げ援護業務というものが、政府の言っておりますように適切に行なわれてきたかどうか、これらの点について疑義があるということでお伺いをいたしたのでございますが、その中で具体的な例として、太平洋信託統治におきます元アメリカ高等弁務官ホセ・A・ベンデス談話についてどのような措置が行なわれてきたか、こういう点についてお伺いをいたして、適切なるお答えを得られないまま中断された、こういうことでございますから、まずそこからお尋ねを申し上げていきたい、かように考えます。
  4. 実本博次

    ○実本政府委員 お尋ねの、昭和三十九年九月二十四日のテレビニュースで、アメリカ太平洋信託統治前副高等弁務官ホセ・A・ベンデス氏が、元日本委任統治領で現アメリカ信託統治領となった太平洋諸島にはまだ多くの元の日本兵が隠れて生きていると言っていることが報道された、そのことについて外務省並び厚生省としてはどういうふうな措置をとられたかというお尋ねでございますが、厚生省といたしましては、実はこれに先立ちまして昭和三十七年に、外務省を通じまして米国政府に対しまして、太平洋諸島に元日本兵生存残留者がいるかどうか、調査を依頼したことがございます。それに対しまして三十八年に米国政府から、米国が信託統治している太平洋諸島におきましては、元日本兵残留者はいない、こう回答をしてまいったわけでございます。しかしながら、厚生省といたしましては、さきのベンデス氏のニュースもありましたので、昭和三十九年十月に、元第十四師団の参謀、それから第三十根拠地隊参謀——これは陸軍と海軍の関係の方でございます。それから元南洋庁秘書課長、それから南興水産関係の方を招致いたしまして、本件について調査を行ないましたが、その結果は、まずグァム島以外の米国信託統治領には現在米軍は駐留しておらず、また、これらの地域は、もと日本委任統治領であった関係上、対日感情はきわめて良好であって、かりに残留者が帰投した場合でも、これに危害を加える心配はなく、残留者が隠れている必要がないということが一点。それから、第二点といたしまして、グァム島以外は米軍基地がないために島民立ち入り禁止区域がなく、また島も小さくてジャングルも浅いため、島民が自由に行動できるので、かりに残留者がいたといたしましても、これら島民の目に触れないで自活できる場所がないというふうなことがこの調査でわかりまして、この調査の結論といたしましては、こういうことから、これらの島には元日本兵残留者はいないのではないかというふうな判定をつけたわけでございます。しかしながら、最近さらにベンデス氏に関するテレビニュースもありましたし、それから先生からのことしの予算分科会におきますお尋ねもございまして、さらに重ねて外務省のほうでこれについての調査をすることになっておりました。その結果については、外務省のほうからお答え願いたいと思います。
  5. 田中正巳

    田中委員長 委員長から申し上げますが、安川北米局長外務委員会出席されており、十分ほどでこっちへ入ってこられるというお話でありますので、北米局長答弁は十分ほどお待ち願いたいと思います。
  6. 河野正

    河野(正)委員 委員長の御指示もありましたので、その点は、北米局長が御出席になって重ねてお尋ねをすることにいたします。  そこで、引き揚げ援護業務が適切に実行されてきたかどうかという疑問の一環としてお尋ねをいたしておるわけでございますが、そういう点から重ねてここに明らかにしておきたいと思いまする点は、たとえば前回委員会で私がその点について触れた節におきまして、厚生省当局としては、大体この引き揚げ援護業務というものはある程度達成された、こういうような御見解であったのでございます。ところが、六月三日の新聞紙上等を見てまいりまするというと、旧満州地区におきまする孤児というものが非常に多い。そこで、これらについて厚生省としては本腰調査をする、こういう意味発表をなされておるわけですね。すでに先週の委員会におきましては、私に対して、引き揚げ援護業務はあれは終わったのだ、こういう答弁をしながら、一方においては満州におきまする孤児というものが非常に多いので、そこで調査に対して本腰を入れてみたい、こういう新聞報道というものが行なわれておる。これはおのずから相矛盾しておるわけです。たとえば、先般の委員会で、引き揚げ業務がなお未解決でございまする未帰還者の総数というものは五千二百八十七、こういう数字を示していただいたわけであります。ところが、この旧満州地区においては、その当時の幼児だけで未帰還者というものが約二千名をこえておる、こういう意味発表でございます。そうしますると、なるほど中共地区では四千二百十二名が残っておるわけですから、その中の半数以上が孤児であるのかどうか、この辺の事情というものをひとつ明らかにしていただきたい、かように考えます。
  7. 実本博次

    ○実本政府委員 未帰還者調査究明につきましては、国内の調査のほうといたしましては、帰還者等情報提供に基づきまして未帰還者消息、その行動、経過に従って追究してまいりまして、そういう国内的に収集し得た諸般の資料を総合しまして、その未帰還者に関する最終的な状況を明らかにする方法をとっております。これはやはり、最終処理というものがまだまだ徹底的に究明されないままで残っておる事態がある限りは、個々につきまして、そういった調査は国内的な分野では、そういうふうな方法で続けてまいっておるわけでございます。やはりこの資料の入手の方法といたしましては、通信によって照会するとか、あるいは帰還者厚生省または都道府県に来ていただいていろいろ事情調査をするとか、それから厚生省または都道府県の職員をその帰還者のもとに派遣いたしまして、すべての情報についての提供を願っております。  いま先生お話にございました満州孤児の問題でございますが、これもいま言ったような、国内的にはそういう帰還者中心にいたしまして、その帰還者がもたらしてくださる情報、特に満州の問題につきましては、満州からの帰還者からのいま申し上げましたような調査によって、いろいろ資料を入手して処置を進めておるわけでございます。  数でございますが、孤児関係について実態調査しました結果が、四十一年の六月現在で二千三百二十六名になっております。中共地区からの引き揚げ者関係につきましての資料といたしまして、二千三百二十六名の孤児に関する資料から得られた数が出てまいっております。
  8. 河野正

    河野(正)委員 そうしますと、中共地区の未帰還者というものは千八百八十六名であって、その他が、二千三百二十六名というものがいわゆる孤児である、こういうふうな理解でよろしゅうございますか。
  9. 実本博次

    ○実本政府委員 いまの二千三百二十六名のうち未帰還者として把握いたしております者は八百九十七名でございまして、そのほかの二千三百二十六名と八百九十七名の差に当たります者につきましては、すでにもう死亡宣告が確定いたしましたり、死亡公報済みの者でございましたり、自己の意思によって帰還しないと確定された者、そういったような方々の数が含まれておるわけでございます。したがいまして、未帰還者として把握いたしております孤児の数は、八百九十七人というふうに理解いたしております。
  10. 河野正

    河野(正)委員 それなら、新聞発表されております「未帰還者として厚生省に届けられた幼児だけでも二千人を越えている。」こういう数字誤りなんですね。
  11. 実本博次

    ○実本政府委員 トータルが約二千人でございまして、正確なところは、未帰還者として把握いたしております者は八百九十七名でございまして、そういう意味では不正確であったと思います。
  12. 河野正

    河野(正)委員 そこで、委員会においては適当なお答えが出されるけれども、実際社会と申しますか、遺家族と申しますか、そういう家庭は、やはり新聞テレビなりラジオなり、そういう報道で未帰還者消息を知る以外には方法はないわけですね。そこで非常に問題でございますのは、たとえば四十一年六月三日の朝日の新聞談話を見てまいりましても、厚生省援護局木野調査課長談話によりますと、満州に残された子供たちについては届け出のあった者以外にもかなりあると見られる、はっきりした数はつかめていない。局長のほうでは、引き揚げ業務というものは完了したのだ、こういうことばに前回委員会では終始したと思うのです。ところが、今度は課長のほうの談話を聞いてみますと、何と満州孤児というものは二千を若干こしておるけれども、しかしそれは、いわゆる未帰還者として厚生省に届けがあった者がそういう数字であって、そのほかつかめてはない数字がかなりある、こういう新聞談話発表されておる。これは、同じ援護局の中でも必ずしも思想の統一が行なわれていない。ところが、そういうことは別として、遺家族なり留守家族というものは、そういう新聞報道なりテレビなりラジオなり、そういう報道を通じて事情を知る以外にないわけですから、その際に、いまの局長のように大体完了した、一方においてはまだまだ数は多いのだ、こういう発表のしかたは、私どもは満足するわけにはいかぬ。かえってこれは疑惑を抱かせると思うのです。そういう意味で、先ほど外務省にもお尋ねしたゆえんのものは、私はそこにある。ですから、それは誤っておるなら誤っておるということできっちり整理していただけば、国民も安心すると思うのです。ところが、いまのように局長課長とがちぐはぐな答弁をしてみたり、新聞談話発表してみたり、あるいは新聞では、グァム島以外の南太平洋信託統治島々にまだかなり日本人が残っている、そういう報道がなされている。ところが、それについては何も政府として処置が行なわれていない。そういうところは、私は、遺家族なり留守家族として一そう混乱を起こさせる要因ともなると思うのです。そういう意味で私どもは建設的にお伺いしているわけですから、留守家族なり遺家族というものが安心されるように、ここできちっとした答弁をしていただかぬと困ると思うのです。そういう意味で、いまの調査課長報道等はいかがなものかというふうに考えるわけでございますが、この点についての御回答をいただきたい。
  13. 実本博次

    ○実本政府委員 お話しのように、組織的に大量に引き揚げてまいる業務はもう終わったわけでございますが、やはり終戦後二十年以上もたちまして、まだ未帰還者としてそれぞれ外地に残留しておられる方につきましての仕事、この調査究明につきましてはそれが最後の一人がはっきりするまで続けてまいる、その結果わかった情報に基づいて処置するということにつきましては、今後ともそういう方向努力してまいる所存でございますし、援護局全体としてそういうふうな方向へ動いてまいりたいと思っておるわけでございます。したがいまして、いまの満州孤児の一例にも出ましたように、まだここで約九百名近い孤児の問題につきましては、今後とも厚生省といたしましては最後までその究明に当たりまして、遺族方々あるいは残っておられる留守家族方々の御期待に沿ってまいりたいと思っておるわけでございます。
  14. 河野正

    河野(正)委員 実は私はかねがねこういう問題については関心を持ってやってまいりましたので、いま再三再四指摘いたしますように、必ずしも厚生省のやっておられます援護業務というものが適切であるかどうかというふうな疑問を裏づける一因になっていると思いますけれども、きょうの新聞でも、死んだはずの満蒙義勇隊員が帰ってきておるわけです。これは昭和三十五年十一月に戦時死亡宣告がなされておるわけです。ところが本人は、七日の午後六時神戸港に入港した商船三井貨物船の「もんばさ丸」で帰ってきた。こういう記事がきょうの毎日新聞報道されておるのです。どうもこういう具体的な事例を見ますと、私どもかねがね援護業務について少し疑問を持っているものですから、そういう記事が出てまいりますと、援護業務というものがやはり非常にずさんではないか、こういう世間のそしりがあるわけです。また、そのそしりを裏づける事態というものが出てきておるわけです。ですから、いまの満州孤児の問題にしても、この満蒙義勇隊員の生きた英霊と申しますか、帰還問題にしても、やはり厚生省援護業務のずさんさを暴露する一、二の例だと思うのです。これはさっき申し上げますように、昭和三十五年の十一月には戦時死亡宣告がなされておるわけですね。これはどういう事情であったのですか。
  15. 実本博次

    ○実本政府委員 いまの戦時死亡宣告関係でございますが、これは未帰還者としたしまして、先ほど申し上げましたようないろいろな情報収集、あるいは本人がわかっておればそれとの通信によりまして、未帰還者動静に関する資料を把握しておるわけでございますが、いま先生お尋ねケースといたしましては、その資料収集の期間、約十四、五年の間の動静によりますと、ほとんど生存の見込みがないというふうなそれまでの調査状況であったことと、もう一つは、留守家族方々との話し合いも、そういった意味で、ある程度留守家族方々の御意向もそういった処理をしたいというふうな気持ちが明らかになりましたケースといたしまして、一応死亡宣告を行なって処理をしたというケースであろうと思います。したがいまして、これはただ単にそのままの状態でそういう死亡宣告をしたということではございませんで、そういう死亡宣告をいたしますまでの間には、そういう過程なり手続を経ましてそういう処理をしたケースでございます。しかし、なお究明のしかたが足りなかった結果こういうふうなそごを来たしたわけでございまして、こういう点につきましては、調査究明仕事は非常に気長く、最後まであきらめずにやらなければならないというふうなことをひしひしと感じさせられるわけでございます。そういう意味で、今後ともそういう死亡宣告処理するケースといたしましては十分注意をしてまいりたいと思っておるわけでございます。
  16. 河野正

    河野(正)委員 私はやはり、こういう問題は謙虚に聞かなければいかぬと思うのですよ。たとえばそれ相応の手続を完了したから死亡宣告をやったんだということでは困るので、これも三十五年に死亡宣告が出たので家族があきらめて墓まで建てた、こういうケースなんです。そこで、それぞれの手続をとってやったんだというふうなことなら、私はもう一つ指摘いたします。  これもことしの一月に毎日新聞報道されておるわけですけれども終戦後今日まで全く一つ部隊幽霊部隊であって、復員名簿に載っていなかったというふうな部隊があったわけです。しかもこの部隊は、昭和十六年の十月五日熊本の歩兵二十四連隊で召集を受けた召集兵と、それから台湾在住邦人とを加えて千百人からの編成部隊編成が行なわれて、これがフィリピンに渡った。そうしてフィリピンの戦線において終戦を迎えて、千百名の中の約半数である六百人前後が実は内地帰還をした。ところが、その中の一人が軍人恩給申請をしたところが、てんで部隊がおったかおらなかったか復員名簿に載ってなかった、いわゆる幽霊部隊、こういう事実というものが明らかになったんです。ですから、私はたまたまきょうの新聞を見て、そうして満蒙義勇隊隊員が生きていた英霊として帰ってこられた、こういうお話があるし、それからいま申し上げまするように、千百名の部隊が、まあ実際内地に復員いたしましたのはその半数程度でございまするけれども、帰ってきたけれども全然復員名簿には載っておらぬ、それが軍人恩給申請して初めてわかった、こういう事実が明らかになっております。これはあなたの援護局がそれぞれの手続をとっておやりになったとかおっしゃるけれども、そういう行政上のミスというものがあるわけなんです。それによってこの場合はどういう被害をこうむったかどうかわかりませんけれども、こういうことで、はたして引き揚げ援護業務というものがうまく今日まで遂行できてきたというふうな答弁に値するものかどうか、私ども、残念ですけれども非常に大きな疑問を持たざるを得ない。この問題についてどのようにお考えになりますか、ひとつお聞かせいただきたい。
  17. 実本博次

    ○実本政府委員 いまの先生お尋ねの千百名の部隊のうち約半数について復員名簿が明らかでなかったというふうな御指摘ケースにつきましては、私、少しよく調査してみたいと思いますが、そういう非常に大きな穴があいておるようなものにつきましては、やはり御指摘のようにもう少し資料調査を完ぺきにし、あるいは平生からそういった未帰還者ないしは未復員者資料収集のしかた、あるいは整備のしかたについての考え方をもう少し改めていかなければならないんじゃないかと考えられるわけでございます。今後そういった意味で、ますます古い資料なり、ニュースソースとしてのいろいろな海外の残留者あるいは引き揚げてこられる方々の数も減ってまいりますので、そういった意味での調査究明なり資料整備というものがむずかしくなってまいるわけでございまして、そういう条件としては逆のほうに向いてまいるものでございますが、やはり何さまとうとい犠牲者方々あるいはその遺族方々のことを考えますときには、そういう逆条件を克服していくように調査究明仕事をもう少し進めて、整備のしかたを考えて、くふうしてまいりたいと考えておるわけでございます。
  18. 河野正

    河野(正)委員 局長よく知らぬというようなお話ですけれども、これは御本人軍人恩給申請をして幽霊部隊だということがわかった。そこで、本人は単身上京して厚生省と折衝した。ところが、どうもらちがあかぬ。そこで、本人が非常に努力をいたしまして、そうして五百五十一名の消息本人が把握した。それでも生き残りが六百一名おるはずですから、大体九〇%にしか当たらない。一〇%はどうしてもわからない。そういう指摘を受けた厚生省がおやりになるならけっこうですけれども、これはどうせあとで私は遺骨問題について触れますけれども、これはある商店を経営する商店主努力というものが実ってそういう事態というものが明らかになった、こういうことなんですよ。厚生省でそういう話を受けてどういう作業をやっているのですか。当然、そういう作業というものは、厚生省がやるべき作業じゃないですか。これは一商店主にまかすべき作業じゃないでしょう。これはどうですか。
  19. 実本博次

    ○実本政府委員 いまのケースといたしましては、私、よく確かめて御返答すべきですが、おそらく帰ってこられた唯一の恩給申請された生き残りの方に、いろいろ調査なりそれから資料収集なりについて厚生省協力をお願いしたのではないかと思いますが、この件につきましては、よく私、自分究明いたしましてお答え申し上げたいと思います。
  20. 河野正

    河野(正)委員 いまさら究明とかなんとかいう問題ではなくて、これは大きな問題でしょう。千百名という大きな部隊ですよ。それが全然復員名簿に載ってないというんですから、これは非常に大きな問題でしょう。それをここで指摘されて初めて——これが一人、二人だって、これはとうとい人命ですよ。ところが千百名の問題です。そういう問題をいまもって局長も知らぬ。それはおそらくその人に協力を求めたんでしょうということでなくて、当然厚生省がやらなければならぬ作業でしょう。そういう大きな問題を、課長もそこにおられると思うのですよ、その課長すらいまだ知らぬということでは、これは厚生省が誠意を持ってやっておると理解するわけにまいりませんよ。これは厳重に大臣からも当局注意を願いたいと思います。千百人の人間が、どこにおるかわからぬようなかっこうになって今日までほったらかされておるということでは、厚生省復員業務というものは、世間でもずさんじゃなかろうかという批判があるわけですけれども、そのそしりを免れぬ一例だと思う。これは十分頭に入れてください。委員長から注意がありましたからここで外務省お尋ねしますが、ずさんな事例はまだ幾らでもあるのですよ。そういうことで、一応この際外務省にひとつお尋ねを申し上げたいと思うのです。  太平洋信託統治の問題について、元アメリカ高等弁務官ホセベンデスが、まだグァム島以外の島々にはたくさんの生き残り兵がおる、こう言ったという新聞報道が行なわれておる。そうすると、国民なりその遺家族なり留守家族というものは、あるいは自分の肉親が生き残っておるんじゃなかろうか、こういう疑念を持つと思うのです。ですから、その報道誤りなら誤り、もし正しければ当然それに対する処置は望ましいわけですけれども、その辺はやはり外務省としてもきちっとしていただかぬと、国民一つ期待を持つと思います。そういう意味で、今日ぜひそういう点に対する誠意ある外務省お答えを聞きたいということで、前委員会からお待ちをしておったわけですが、その点についての御見解を承りたい。
  21. 安川壯

    安川政府委員 二月でございましたか、河野先生から御質問がございまして、私、そのときよく事情を知らないで、調べておくと申し上げたことを記憶しております。その後、東京の大使館を通じまして、御指摘のような情報につきまして調査を依頼したのでございますけれども大使館は、太平洋地域アメリカ側行政地区と常時連絡があるので、さっそく調べてみようということでございましたが、調査いたしました結果は、そのような言明がなされたことを裏づけるような情報はどうも見当らないということでございまして、少なくとも旧委任統治地域におりますアメリカ側高等弁務官なりその他責任ある地位にある者が、まだグァム島以外に日本兵が残留しておるというようなことを言明したという事実はないし、また、そういう事実を裏づけるような情報はないということでございました。それから、いまの御指摘ベンデスという——これは元太平洋信託統治高等弁務官というふうに報道されたと承知しておりますが、この人が一体いつどこに在勤しておったかということは、同時に調べましたところが、どうもここの大使館で調べた限りにおいては、その名前に該当する人が見当らないということでございました。ただ、その後もしこういう情報を裏づけるような何らかの情報があれば、至急に連絡をしてもらいたいということは依頼してございますけれども、その後、大使館からは何らの情報に接しておらないというような現状でございます。ただ、先日も当委員会で再びお取り上げになって、私出席できませんでしたけれども、そのお話伺いましたので、さらに念のために大使館側に対してもう一回調べてくれないかということを要請いたしましたが、さっそく調べてみよう、何か情報があり次第に連絡するということでございましたけれども、今朝までのところ、まだ何も新しい情報に接しておらないのが現状でございます。
  22. 河野正

    河野(正)委員 先を急ぎます、ホセベンデスという人が実在しなければ話になりませんからね。ですから、それは留保いたします。  そこで、局長お急ぎでございますから、局長関係する分について重ねてお尋ねいたします。それは、新聞報道するところによりますと、モンゴルの政府日本政府に対して八月一日以降墓参団を受け入れる、こういう好意的な回答があったというふうに承っておるわけです。そこで、もしできますならば具体的な点について、たとえば墓参の時期であるとか団の構成であるとか、こういう点についてひとつ明らかにしていただければ非常にけっこうだ、こういうふうに考えます。
  23. 安川壯

    安川政府委員 この点はアジア局長のほうの所管でございますから……。
  24. 吉良秀通

    吉良説明員 ただいまのモンゴルの墓参の問題でございますが、若干経緯から申し上げますと、未帰還問題協議会のほうからの依頼がございまして、日本から墓参団を送りたい、そういう書簡をモンゴルのツェンデンバル首相に伝達してもらいたいという依頼を受けまして、外務省としてはさっそく三月の八日にわがモスクワの大使館に連絡いたしまして、それでモスクワの中川大使からモスクワに駐在しますモンゴルの大使にさっそく交渉いたしまして、モンゴル政府の承認を取りつけるように折衝いたしました。その結果、五月の二十六日に至りまして、モスクワ駐在のモンゴルの大使から中川大使に回答がまいりました。八月一日以降の時期において日本の墓参団を受け入れる用意がある、どうぞという話でございまして、さっそく未帰還問題協議会並びに厚生省のほうに御連絡いたしまして、目下人選等を未帰還問題協議会と厚生省のほうで御検討のことと承知しております。  人員につきましては、当初未帰還問題協議会のほうからの御要望で十名内外というお話でございましたので、その点でモンゴル政府のほうは了解しておる次第でございます。  大体そういうふうないきさつでございます。
  25. 河野正

    河野(正)委員 実はそこで一つ問題がありますのは、墓参団の構成についてですが、これは政府の責任においてやるということだろうと思うのですけれども、その際に未帰還問題協議会に御相談なさる点はいかがなものであろうかという疑問を持たざるを得ない。これは関係者と御相談になるのはけっこうですよ、国の責任においてやるわけですから。ですから、当然関係者と協議なさって——帰還問題協議会も関係者の一員でございますし、遺族方々もおられますし、いろいろな関係があると思います。そこで、そういう各関係団体と協議の上実行されるのはけっこうですが、一部団体と協議なさっておやりになるという点についてはいかがなものであろうか、こういうふうに考えます。
  26. 吉良秀通

    吉良説明員 人選の問題につきましては、外務省としては、厚生省及びいま申し上げました未帰還問題協議会のほうからの御連絡を待って、それをモンゴル政府に通報するということになりますので、実質的な人選は厚生省のほうでおやりになることと思いますので、厚生省のほうのお考えを聞いていただきたいと思います。
  27. 河野正

    河野(正)委員 少なくともこの委員会の席上において、未帰還問題協議会と協議の上というふうな御発言があっておるわけですから、それはやはり政府と同列だというように理解される。ですから、厚生省と各関係団体が協議なさる、相談なさるということはけっこうです。これは当然政府の責任においてやるべきじゃないのですか。
  28. 実本博次

    ○実本政府委員 厚生省といたしましては、外務省からのいまのお話で、いま人選なりその計画なりを進めておるわけでございます。
  29. 河野正

    河野(正)委員 どう進めているのですか、言いなさい。その進め方に問題があると言っているのじゃないですか。
  30. 実本博次

    ○実本政府委員 厚生省といたしましては、時期がまだ確定いたしておりませんが、一応時期なりそれからそのお墓の数なり、それからそういったいろんな具体的な案件を勘案いたしまして、まず政府のほうからももちろん責任者、それから関係遺族の方の人選、そういうものをいま考えておるわけでございます。
  31. 河野正

    河野(正)委員 そうすると、外務省の発言と食い違うじゃないですか。外務省は、厚生省と未帰還問題協議会と相談をして人員も大体十人前後、具体的には今後の問題でしょうが、時期は八月以降、こういうお答えでしょう。ところがあなたは、今度はまた別にいろんな話がある。そこで、これは政府の責任でやるわけですか民間の責任でやるのですか、どっちですか。
  32. 実本博次

    ○実本政府委員 もちろん政府の責任においてやるわけでございます。
  33. 河野正

    河野(正)委員 そうすれば、当然外務省厚生省中心になってやるべきであって、なぜ一部の団体がやらなければならないのか。これは、正直に言って、いろいろの派遣のしかたについて問題があるのです。だから言うのです。だから、厚生省が各関係団体と御相談なさるならいいでしょう。なぜ厚生省と同列に未帰還問題協議会もやらなければならぬかということです。
  34. 実本博次

    ○実本政府委員 私のほうは、外務省からのお話で、厚生省だけで進めておるわけでございます。
  35. 河野正

    河野(正)委員 そうすると、外務省と意見が食い違うじゃないですか。
  36. 吉良秀通

    吉良説明員 私が先ほど申し上げましたことは、若干誤解があったかと存じますけれども、その人選の内容等につきましては、外務省はタッチしないと申し上げますか、それはむしろ厚生省が各方面と御相談になってやられることである。われわれは、そのきまった団員の数とか氏名を外交ルートを通じてモンゴル政府に連絡する、そういう役目を外務省はやっておる。そういうふうに了解しますので、私が先ほど外務省厚生省と御相談し、また、その未帰還問題協議会と相談してというふうに、そういう印象を与えたかもしれませんけれども、それは私の間違いでございますので、この際訂正しておきます。あくまでもこれは、厚生省関係方面と連絡の上、決定されるべき問題だ、そういうふうに了解しております。
  37. 河野正

    河野(正)委員 いま訂正なされましたからそれならけっこうですけれども、ちょっとあなたのお答えを聞いていると、厚生省と未帰還問題協議会と相談しておやりになる、こういう御答弁ですから、やはり国民の広い視野に立ってこういう問題を解決しなければならぬのに、なぜ一部の団体で行なわなければならぬのかという疑問を持ったわけです。というのは、今日まで慰霊団とかいろんなものがたくさん出ておりますけれども、その中で、どうも国の責任でやるという性格というものがだんだん薄らいできているのですよ。一部の団体でやるというふうな性格が非常に強まってまいっておりますよ。だから、私は、こういう終戦処理というものは国の責任においてやらなければならぬものだ、こういう主張を続けてまいっておりますので、いまあなたが訂正なされましたからいいですけれども、訂正なさらなかったら徹底的に追及しようと思っておったが、訂正なさったから一応了承します。  もう一つ承っておきたいのは、墓参団ということであるが、この遺骨についてはどういう計画になっておりますか。
  38. 実本博次

    ○実本政府委員 もちろん、墓参団は墓参が目的でございますが、遺骨につきましても、厚生省といたしましてはできましたら遺骨の収集につきまして一つの計画を立てて交渉してまいりたい、かように考えておるわけであります。
  39. 河野正

    河野(正)委員 それならその資料はございますか。
  40. 実本博次

    ○実本政府委員 厚生省のいま持っております資料といたしましては、墓地の確認をした資料でございまして、遺骨の的確な資料というものは、いま厚生省としては的確な資料を持っていないわけでございます。
  41. 河野正

    河野(正)委員 そこで、モンゴルの問題ですけれども、これは南太平洋でもまた東南アジアでもそうですか、政府は慰霊団を派遣するけれども、的確な資料というものをつかんでおらぬ。そこで、せっかくやっていただいたけれども成果というものがあがらぬという実態があるわけですね。これは、具体的にはたくさん資料を持っておりますから後ほど申し上げますけれども、せっかくおやりになるなら、せっかくモンゴル政府の好意で墓参に行くならば、やはりそれ相応にきちっと資料というものを把握して、それだけのそれ相応の成果をあげてくるということでないと、私は非常にもったいないと思うんだな。ですから、実際戦没者の遺骨というものがどの程度あるんだ、あるいは墓地というものがどの程度あるんだ、せっかく墓参団としてモンゴル政府の好意で行くならば、その墓参団がどの程度の成果をあげてくるんだというくらいの具体的な計画というものが必要だと思うのですよ。ただ漫然と、モンゴル政府が好意的に了解してくれたから、さあ行きましょうということじゃ困るんです。これは後ほど、フィリピンの問題その他がございますから申し上げますが、非常にそういう点は厚生省の計画がずさんですよ。それはどうですか。
  42. 実本博次

    ○実本政府委員 モンゴル関係の墓地の確認されているものにつきましては、千九十五名が墓地が確認されているものでございます。それから墓地の確認できないものにつきまして四百三十四名、それから現地からの携行名簿によりまして氏名の判明いたしました方々については、千五百二十九名というふうな数字を持ってございます。  それから墓地の位置もアムラルト、ボジルボロン、スフバートル、ユルイといった墓地についての資料も持っておるわけでございますが、遺骨につきましてのそのものの資料といたしましては、まだ的確なものを入手しない状態であるわけであります。
  43. 河野正

    河野(正)委員 そのモンゴル地区の死没者の数は、推定大体どのくらいですか。
  44. 実本博次

    ○実本政府委員 死亡人員が大体千七百名というふうな推定人員が出てまいっております。
  45. 河野正

    河野(正)委員 せっかくモンゴル政府の好意で墓参が実行されるということになりますれば、ひとつ具体的な綿密な計画を策定して、最大の成果をあげていくというふうに御努力願いたいと思うのです。これはその他の地域を見てみますと、せっかく政府がやったけれどもあまり成果があがってないわけですよ。ですから、モンゴル政府の問題は、ころばぬ先のつえじゃありませんけれども、ひとつ綿密なる資料をもとに、細心の注意を払って最善の成果をあげてくるという方向へぜひ御努力願いたいと思います。これは若干日にちがございますから、そういうことでお願いしたいと思います。  そこで、たくさんあるわけですが、いまモンゴルの墓参問題で指摘いたしましたように、太平洋の中でもまだ遺骨なり、遺品がたくさんあるといわれておるわけですね。なるほど昭和二十八年、政府の慰霊団が渡りまして一応の収骨作業は終わったということになっておるわけです。ところが、この太平洋諸地区を回ってきた、たとえば太平洋戦史研究家の児島襄という人の言によりますと、遺骨、遺品が散乱をしておる。そして昭和四十年八月には遺族慰霊団が渡っておられるわけですね。そしてサイパン、トラック、グァム島の三つの島から、百体の遺骨と五十点の遺品を持ち帰っておられるわけです。ところが、もともとサイパン島地域では、五万数千人の将兵が投入されて玉砕されたという経過があるわけですね。そして、先般遺族の慰霊団も渡ってねんごろに慰霊をされたわけですけれども、この遺骨、遺品の収集というものは必ずしもうまくいっておらぬようでございます。そこで、こういった問題は人道上の問題でもありますし、もうすでに戦後二十何年かたった今日でございますから、やはり遺族にまかせるということじゃなくて、モンゴルと同じことですけれども、私は、国の責任においてやるというたてまえから政府の収骨団をあらためて派遣する、そうしてこの遺骨を収集したり、あるいは遺品を持ち帰ったりして、戦争のつめあとというものを一日も早く払拭してしまう、こういう努力が行なわれなければならぬというふうに考えるわけでございますが、その点はひとつ大臣から、基本方針でございますのでお伺いいたしておきたいと思います。
  46. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 太平洋諸地域におきますところの遺骨の収集の問題につきましては、政府におきましては一通り今日までこれを行なってまいったところでございます。しかしながら、御承知のように非常に広範な地域でもございますし、わずかの日数と限られた範囲と人数で行ないました事情等からいたしまして、十分な収集等ができていないというようなことは御指摘のとおりであるわけでございます。したがいまして、今後におきましても政府といたしましては、特に大きな部隊が犠牲になりました島々等に対しましては、重点的に、また、情報等的確に入りました地区につきましては、今後におきましても引き続いて遺骨の収集、また慰霊等につきまして政府として十分努力をいたしてまいりたい、かように考えております。
  47. 河野正

    河野(正)委員 そこで、重ねてお伺いをするわけですけれども、たとえばニューギニアとかインパール、こういった特殊な地帯は御承知のような特殊事情でございますから、こういう地帯は別といたしましても、例のガダルカナル、ガ島あたりは必ずしもそうじゃないといわれているわけです。ところが、このガ島は、御承知のように飢えのほうの餓島ともいわれるように、非常に激戦地でございましたことは御承知のとおりです。ところが、ニューギニアの奥地であるとか、あるいはインパールであるとか、こういう地帯は別として、このガ島なんかの、ごろごろころがっておるといわれておる遺骨とか遺品の収集は可能じゃないか。政府は慰霊団を派遣したりなんかしておるけれども一つも成果はあげておらぬじゃないか、こういうふうな国民のほうの批判もあることは、もう政府も御承知だと思うのです。そこで、このできるところ、できぬところと、この辺は多少私ども事情があると思いますから、了承するのにやぶさかではございませんけれども、やはり今後力を入れるといっても、ひとつ可能なところは格段の力を入れて善処を願いたいというふうに考えます。  そこで、私ばかり時間をとってはいけませんから、はしょって申し上げたいと思いますが、特にフィリピンのごときは六十三万人の将兵が投入された、そして四十七万人が死亡した、こういうふうにいわれているわけです。そこで、今度の戦争の中でも最も犠牲者の多かったのはフィリピンである。さらに、そのフィリピンの中でもルソン島が一番大きな犠牲の払われた地域であって、大体二十万人が犠牲をこうむった、こういうようにいわれておるわけです。ところが、昭和三十三年政府が派遣いたしました遺骨収集団も、現地に派遣されはいたしましたが、収集してまいりました遺骨は二千五百六十一体というような非常にお粗末な数字ですね。これは遺家族に対しても非常に申しわけないというような数字です。四十七万が死亡したといいながら、二千五百六十一体ではいかがなものであるか。そこで、先ほど御指摘申し上げましたように、ガダルカナル島の問題もございます。それからいま申しましたように、非常に極端なルソン島の問題もございます。こういう点はひとつ十分念頭に置いて、すみやかに措置が行なわれることを私は強く要望をしておきたいと考えます。  そこで、そういった国民の批判があると思うのです。政府は慰霊団を派遣するといったが、いまのように四十七万人から死没者がおるフィリピンにおいて、政府の派遣した慰霊団は二千五百六十一体しか遺骨を持ち帰らなかった、一体政府のやっていることはお役所仕事ではないか、こういうような批判があると思うのです。そこで、そういう批判から、もう政府は頼むに足らぬということで、最近は民間で慰霊団を送る、あるいは遺骨収集団を送る、こういう空気が非常に高まっていることは御承知のとおりだと思います。最近はどんどんルソン島へ行っていますよ。ところが、これらの問題は民間がやるべきではなくて、 これは、戦争をおっ始めましたのは政府ですから、やはり政府の責任において当然おやりになるべきだと私は思うのです。その際に、民間の方々に対して、ある程度の助成をなさって参加を願うというようなことでもけっこうですけれども、いまの事態は、全部民間の人が自分たちの金を出し合って、そして政府でやるべきことを肩がわりをしてやっているわけです。こういうことでは、ほんとうに終戦処理に対して政府が熱意を持ってやっておるということにならぬと思うのです。ですから、そういう政府に対する批判というものが、民間の慰霊団というかっこうになっているわけですからね。こういう点も政府として大いに反省なさるべきだと思います。それはむろん遺家族、遺児として現地に行って、そして自分のむすこや自分の父がなくなった地をねんごろに慰めてこようという心情は、私ども了とするわけです。しかし、もともと慰霊団というものは政府の責任でやるべきが筋である。民間側の乏しい金をはたき合ってやるべきものではない、こういうふうに考える。  そこで、いまの民間、特に遺族会を通じてやっております慰霊団の問題については、特に政府として反省していただきたいというふうに考えるわけですが、この点もひとつ厚生大臣から御見解を承りたいと思います。
  48. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 河野さんから御指摘がありましたように、遺骨の収集は、これは政府の責任で行なうべき仕事でございます。先ほどお答えを申し上げましたように、政府といたしましても、今日までできる限りの努力をいたしてきたところでありますが、いまだ十分でない地域が残されておるということにつきましては、御指摘のとおりでございます。したがいまして、今後遺骨の収集につきましては、関係国と交渉をし、その協力を得まして、引き続いて遺骨の収集につきましては政府の責任で進めてまいる、こういう方針を持って、四十一年度の予算におきましても、遺骨収集の予算を計上いたしておるような次第でございます。慰霊団や墓参団等の問題につきましては、政府といたしましてもできるだけの世話をやいておるところでありますが、また、遺族団体あるいは戦友団体等が慰霊のために現地に参る、そして慰霊祭等をとり行なうということにつきましては、これは御遺族であるとか戦友の方々の心情も十分察せられることでございますので、できるだけこのことが適正に行なわれますように、政府としても十分な指導を加えてまいりたい、このように考えております。
  49. 河野正

    河野(正)委員 なるほど、民間の方々が現地においでになって、そして自分の父やむすこの霊を慰めよう、そういう心情は私どもも了といたします。ところが、実際現地においでになっても、もちろんそれは民間のことですから、交通の非常に便利のいいところということになろうと思います。大体いま実施されております計画を見てまいりましても、そのような事情のようであります。ところが、この二十数万の遺骨が残っておるといわれておるフィリピンのルソン島なんかは、交通の便利なところではないんですね。交通の便利じゃないところにあるのですよ。そこで私は、やはり慰霊団の方々が参られて、そして戦没者の霊を慰められるということは非常にけっこうなことだと思うのです。しかし、やはり国が強力に手を差し伸べなければ、それは万全の成果というものはあげられぬと思うのです。ですから、一昨年も私、フィリピンに参りまして、そしてフィリピンの遺骨の状況等について、外務省の出先についていろいろお伺いしたわけです。ところが、参事官はおられますけれども、ほとんど御存じないんですね。結局そういうことでは、行っても私はたいした成果はあがらぬと思うのですよ。ですから、政府が今度慰霊団を派遣した。ところが、二千数百体の遺骨を持ち帰ったということでしょう。これはやはり現地の準備というものが十分できてないからですよ。だから私は、現地の準備というものが十分できておれば、せっかく政府が派遣すれば、かなりの成果というものはあがるだろうと思うのです。たとえばルソンの山の中に行ってごらんなさい。死屍累々としかばねを築いたわけですから、まだかなりの遺骨というものはあると思うのです。それはもう二十年たっておりますから、風化したりあるいは埋没したりということもありましょう。しかし、かなりの遺骨が収集できると思うのです。ところが、なかなか思うように成果があがらぬということは、やはりこの資料収集というものが的確でないということだと思うのです。この点について、外務省からそれぞれの出先について、何か指示か指導かなさったことがございますか。この点外務省いかがですか。
  50. 吉良秀通

    吉良説明員 ただいま御質問の件でございますが、慰霊団ないしは遺骨の収集につきましては、厚生省の御依頼に応じて、従来出先のほうでは十分協力するように、一般的に、ケース・バイ・ケースでございますが、本省のほうから現地のほうに言っておるわけでございます。今後またいろいろなケースにつきましては、 ケース・バイ・ケースに、厚生省の御依頼に応じて、現地公館としてはできる限りのことをやっていくというふうに考えております。
  51. 河野正

    河野(正)委員 それなら厚生省は、外務省なり現地の出先公館についてどういう協力を求められておりますか。
  52. 実本博次

    ○実本政府委員 先生お話のように、遺骨の収集につきましては、厚生省中心になりまして、外務省と一体になりまして、外務省の出先である当該在外公館の協力を得て進めてまいらなければ、かりにいま御指摘のように、政府のある一事業年度の事業として遺骨収集団を派遣いたしましても、ある時期に限られた範囲内で、しかも行きます人間が限られておりますので、それのあげる成果というものは、やはり先生のおっしゃるように、その当該地域における在外公館その他の常時現地に所在している機関に、 いろいろな調査なり、あるいはたくさん露出しているような個所なりの的確な調査をして準備をしていただくということが必要でございます。そういう意味におきましては、在外公館長会議などの場合におきまして、厚生省から外務省のほうに、いろいろそういった意味での御協力を願いますように御連絡を申し上げて、協力の徹底を期している次第でございます。
  53. 河野正

    河野(正)委員 お答えは非常にきれいですけれども、私どもは実際あちらこちら回ってみて、ほんとうに外務省厚生省が一体になって、この未帰還者の問題の処理について協力体制を確立しておるというふうには理解するわけにはまいりませんよ。  そこでお尋ねしますが、それならば二十数万の死没者がおるといわれるフィリピンの遺骨収集について、いままで把握された資料のもとでは、今後どうやれば最大の成果があげられるというようにお考えですか。
  54. 実本博次

    ○実本政府委員 現在におきまして政府が直接遺骨の収集団を編成いたしましてそれに当たるという計画は、先ほど来から御指摘の、非常に遺骨が山野にそのまま放置されていることが目立っているというふうなものにつきまして、政府といたしまして遺骨の収集の計画を立て、今年度もそういうケースとしては南方地方が多うございまして、ペリリュー島それからニューカレドニア島を対象にいたしまして目下その遺骨処理収集計画を具体的に進めておるわけでございますが、フィリピンケースにつきましては、お話のように非常に数が多うございまして、しかも前回の、三十三年に参りました政府フィリピンの遺骨収集関係では、御指摘のように約二千六百体の遺骨を納めたままになっておるわけでございます。これにつきましては、常時現地の大使館からはその後の遺骨の状況につきまして情報をとっておりますが、その遺骨の決定的な処理方法というものは——やはり依然といたしまして二十数万にのぼります戦没者のすべてをこちらに持ち帰るというふうなことはとてもむずかしゅうございますが、そういった戦没者の遺骨に対します処理というものを何かのかっこうでしなければならぬというふうなことで、目下その処理方法について部内で検討いたしておるわけでございます。
  55. 河野正

    河野(正)委員 聞いていますと、こっちのほうがだんだん熱意がなくなってしまうのですよ。それは私どもも、二十数万の遺骨が帰ってくるというふうに理解はしていませんよ。こんなことは重々承知していますよ。しかし、二十万からの死没者があるといわれておる。これはルソン島だけでそうです。レイテもあります。レイテも御承知のように八万五千の将兵を投入しておるわけですよ。ですから、フィリピン全体とすれば四十万からの死没者があるわけです。だから、少なくとも四十万の死没者の中で国民が納得のいく数字ぐらいは収集してもらわぬと、遺家族としても浮かび上がれぬと思うのです。ところが、二十万といわれておるルソン島に派遣をして、収集できました遺骨は二千五百六十一体というのでは、国民としても納得できぬと私は思うのです。それならば、今後どうすれば国民が納得するだけの遺骨が収集できるかという対策は、もう戦後二十年もたっているわけですから、だんだん歳月がたてばたつほどこれは困難になっていくわけです。ところが、それがいまもって明確に具体的な案が出ておらぬということは、国民としては浮かび上がれませんよ。
  56. 実本博次

    ○実本政府委員 御指摘のように、一例をフィリピンにあげますれば、政府の遺骨収集団が持ち帰りました遺骨といたしましてはそのほんの一部分にすぎない、残りの遺骨を待ち焦がれている遺族の心情を思いますときには、これにつきまして、何かそういった意味での最終的な処置でお報いする方法を考えなければならないことは確かでございます。  補足いたしますと、政府収集いたしました遺骨以外に、旧陸海軍によって持ち帰られましたものが九万二千四百七十五体、それから米軍によりまして昭和二十四年一月に送還されてまいりましたものが四千八百十八体、それから先ほどの政府が参りましたときの遺骨収集の数が二千五百六十一体ということで、約十万体につきましてはそういう意味で持ち帰ってはおるわけでございますが、それにいたしましても二十七万の犠牲者に比べますとその半数以下ということで、その残りはまだ向こうに眠っているということでございます。
  57. 河野正

    河野(正)委員 いま十万というような数字を示されましたが、それはほんとうの遺骨ですか。
  58. 実本博次

    ○実本政府委員 これは各都道府県の世話課におきまして、各遺族に遺骨を伝達した数の集計でございます。したがいまして、それは遺骨ということで届けが出てまいっております。
  59. 河野正

    河野(正)委員 それならば、私は具体的な事例を引き出しますから明らかにしていただきたい。私のところも義弟の遺骨をいただきました。何も入っていませんよ。それをあなた、国会の席上において、十万の遺骨を持ち帰ったなんて言えますか。私の義弟の遺骨箱の中には何も入っていませんよ。あなたが国会の席上において、私の質問をかわすために十万の遺骨を持ち帰ったというようなことを言われるのならば、私はもう多くを言いません、この遺骨の問題一つを解決してくださいよ。
  60. 実本博次

    ○実本政府委員 河野先生お尋ねの件でございますが、四十七万の犠牲者方々につきまして、先ほど申し上げました約十万近い方々には遺骨が帰っておりまして、残りの三十八万の方々については霊璽、位はいが帰ってまいっておるわけでございまして、いま先生お尋ねの件は、霊璽のほうをお伝えしたのではないかというふうに考えられるわけでございます。
  61. 河野正

    河野(正)委員 そうしますと、遺家族に対してはどういう区分がしてありますか。
  62. 実本博次

    ○実本政府委員 遺骨を引き取るべき遺族がわかっておりますものにつきましては遺骨をお返しいたしたわけでございますが、その他のものにつきましては、遺骨がお届けできないものでございますから霊璽をお渡しした。こういうことで霊璽と遺骨が遺族の方に届いておるわけでございます。
  63. 河野正

    河野(正)委員 いまそれぞれ慰霊団が参りまして遺骨を二千五百体収集いたしましても、だれの遺骨かということは明らかになりませんよ。そうでしょう。そうすると、そういう遺骨というものは一体どういう処理がなされるのですか。
  64. 実本博次

    ○実本政府委員 これは厚生省にその遺骨を保管いたしまして、そして遺族のわかりませんものにつきましては、象徴遺骨として千鳥ケ淵の墓苑にお納めするというふうな方法をとって御慰霊申し上げておるわけでございます。
  65. 河野正

    河野(正)委員 そうしますと、十万近い遺骨が持ち帰られたというのは、これはすべてだれの遺骨だということが明らかになったものが十万近くあるということですか。そういうふうに理解していいですね。
  66. 実本博次

    ○実本政府委員 そのとおり理解していただいてよろしゅうございます。
  67. 河野正

    河野(正)委員 その十万近い遺骨は主としてどの時点で帰ってきたか、ひとつその年次を明らかにしていただきたい。
  68. 実本博次

    ○実本政府委員 旧陸海軍が持ち帰りました約九万二千体につきましては、二十一年の春までに持ち帰られております。それからその次の米軍によりまして送還されました約四千八百体につきましては、二十四年の一月にポコダ丸という船で送り返されてまいっております。それからあとは、三十三年の一月三日の遺骨収集団によりました約二千五百体でございます。
  69. 河野正

    河野(正)委員 二十一年の春までに送還された遺骨というものは九万二千体あるということですが、それならば、二十一年の春までその遺骨というものはどこに安置されていましたか。
  70. 実本博次

    ○実本政府委員 戦友が持ち帰られましてあと、それぞれの都道府県の世話課のほうで保管していただいておる、こういうことになっております。
  71. 河野正

    河野(正)委員 二十一年春までに持ち帰られたということでしょう。そうしますと、それは十八年もある、十七年もあるということでしょう。そうしますと、年次的にいって——フィリピンで非常に戦争状態が激化してからが問題だったのです。だから、遺骨も大部分はその時点だと私どもは思うのです。ところが、私も軍医で参加しておりますので実情をよく知っているんですよ。ですから、フィリピンでの戦没者があるとするならば、それはもう終戦末期のことですね。おそらく、九万何体という遺骨があれば、その大部分というものはその時点のものだと私は思うのです。そうすれば、戦後少なくとも戦友その他が持ち帰ったということになりますと、私は、九万二千の大部分は戦友が持ち帰ったということにはならぬだろうと思うのです。というのは、フィリピンの北側も南側も同じことですけれども、レイテは除いても同じことですけれども、ほとんど全部がもう自分の命を保っていくのが精一ぱいの実情ですよ。ですから、私どもも病院付で長いこと患者をみとってまいりましたけれども、一切の書類も遺骨もなくして帰ってきたというのが現状ですよ。そうすると、九万二千体の遺骨が帰ってきた二十一年の春までにということになるならば、十九年が何体であるのか、十八年が何体であるのか、その年次的な数字をひとつお示し願わぬと私は納得するわけにまいりません。
  72. 実本博次

    ○実本政府委員 いまちょっと手持ちの資料がございませんので、その年次別のやつは調べまして後刻御報告申し上げたいと思います。
  73. 河野正

    河野(正)委員 それならば、少なくとも日本フィリピンの戦線との間に交通が可能であった時点と、交通がとだえて全然交通が不能になった時点があると私は思うのです。おそらく終戦の半年かそれ前後から、ほとんどフィリピンとの交通はなかったと思うのです。その時点を区分してどの程度か、ひとつ明らかにしていただきたいと思います。
  74. 実本博次

    ○実本政府委員 その点も、いまちょっと資料がありませんので、後刻さっそく調べまして御報告したいと思います。
  75. 河野正

    河野(正)委員 数は要りません。大体何万だとか何千だという数字くらいはおわかりだと思うのです。ですから、大体の数字をお示しいただきたい。十万という数字ですから、大体のことはわかるでしょう。
  76. 実本博次

    ○実本政府委員 とうとい遺骨でございますので、その点よく調べまして……。
  77. 河野正

    河野(正)委員 大体でけっこうですから言ってください。交通がとだえてから以前と以後、大体何十%、五割、六割でもいいから言いなさい。十万という数字だから言えるはずです。
  78. 実本博次

    ○実本政府委員 ちょっといま大見当もつきかねるのでございますので、あとで御報告申し上げたいと思います。
  79. 河野正

    河野(正)委員 はっきり申し上げますが、あなたのおっしゃっている答えには非常にごまかしがあるわけですよ。というのは、私は率直に言って、現地に今日二十数年間朽ち果てておる遺骨がどれだけ帰ってきたかということをここで究明しておるわけです。あなたが原隊とか府県とかおっしゃっておるのは、内地に残していったつめとか頭髪とか、そういうものを返しているんですね。そういうものも遺骨になっているわけですよ。だから、そういうものも合わせて九万体と言うんじゃ困るので、実際の戦没者というのは、現地で、フィリピンの山野でなくなっているわけですよ。その遺骨が帰ってきたかと言っているわけです。それを内地に残していったつめとか頭髪というものを返しておいて、九万何ぼ遺骨が帰りましたということでは困るのです。あなたたちがそういう役人的なことをおっしゃるから、私は言っているわけです。  さらに言いますよ。私は多く言いません。さらに言いますが、それは韓国の遺骨、いろいろあるのです。なぜ私がそういうことを言うかということを最後にここで言いますと、これは私は予算委員会でも一ぺん言ったわけですが、援護局の幹部が、名前もわかりますが、当時の陸海軍の分布状態から遺骨の分布場所というものは大まかにはつかんでいるが、最近では風化もはなはだしく収集しにくいし、また、非常に巨費もかかるので政府はやれぬ、こういうことを言っておられるわけですよ。だから私はしつこく言うのです。厚生大臣がおっしゃるように、誠心誠意やりますということなら私どもも納得いたしますが、あなたたちの幹部がこういうことを言っているのです。これは新聞に出ておるんですよ。日本の著名な新聞にこういう談話発表しておる。名前も言っていいですよ。名前も書いてある。戦争でばく大な金を使っておいて、なぜ今度遺骨収集で金が要ったらいかぬのですか。そうして、いまあなたがおっしゃるように、原隊に残していったつめや頭髪を返しておいて、そして九万の遺骨が帰っております。それは手続上はそうでしょうけれども、実際の戦没者というものは現地で、山野でなくなられておるわけですから、その遺骨は現地にあるわけです。私が言っておるのはつめや毛髪じゃないわけですよ。やはり遺骨として、ほんとうに満足されるのはほんとうの肉親の遺骨なんです。だから、その遺骨がどれだけ帰ってきましたかと言ったら、得々と十万近く帰ってきました、こういうことをおっしゃるから、私は憤慨するわけですよ。しかもあなたたちの幹部は何と言っていますか、金がかかるからやれぬと言っているじゃないですか。だから私は言うのですよ。私は意地悪く言っているのではないのです。厚生大臣の気持ちは私はわかるけれども、実際やるのは事務当局がやるわけでしょう。その事務当局が、金がかかって困るんだ、やれないんだ、こういう新聞談話発表しているじゃないですか。そしてあなたの答弁には、私の気にさわるように、つめやら頭髪を返しておいて、そして九万か十万に近い遺骨が帰りました、こういう答弁をなさるから私は憤慨する。いままでできなかったらできなかったでいいから、今後こういうふうにやりますという誠意を示してもらえば、私は納得しますよ。ところが、幹部は、遺族から言われたらそういう新聞談話発表する。そしてあなたは、事務当局からごまかしの数字を示されて、それを得々と御答弁なさるから、私は憤慨するのですよ。そういうことで遺家族に対して申しわけが立つと思いますか。フィリピンの問題、同じじゃないか、私は現地の実態をよく知っているんだから。それこそ、少なくとも北部の状況というものは十二分に承知しているのですよ。それだから、あなたの答弁では納得できない。だから、できなかったらできなかったでいいのですから、そういう国民の批判があるわけですから、その批判を謙虚に聞いて、今後はこういたしますという誠意を示してもらえば私は納得するのです。それをこう言えばああ言う、ああ言えばこう言うから、私は納得できない。大臣、私が言っている気持らはおわかりだと思うのです。だから、この点はもう多くを言いません。ひとつ大臣から率直な誠意ある御見解を承れれば私も納得いたしますから、ぜひ率直な御意見を大臣からお聞かせいただきたい。
  80. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 遺骨の収集につきましては、先ほど御答弁申し上げましたように、これは政府の責任で行なうべきものだという方針につきましては変わりがございません。政府といたしましては、今後多くの犠牲者が出ました所、また、情報等によって山野になお遺骨が残されておるというような地区に対しましては、今後ともできるだけの努力を払ってまいりたい、かように考えてす。
  81. 河野正

    河野(正)委員 私どもがいろいろ御指摘申し上げました心情というものは、大臣もよく御理解いただいたと思うのです。ぜひそういう方向で事務当局を叱咤激励していただいて、少なくともこういう終戦処理というものが完ぺきに、迅速に行なわれるようにひとつ御配慮願いたい。  韓国の問題、私はたくさん資料を持っておる。これは幾ら事務当局がごまかされても、反論するだけの材料を持っておる。私も長いこと戦争に参りました。私は軍医で行ったわけですけれども、せめてこういうことでもなき戦友におこたえ申し上げようということで、この問題に重大な関心を持っておりますので、あなたが幾らごまかしの数字を示されても同じことです。少なくとも厚生省の幹部の中で、金がかかるからできぬのだという——これは名前もわかっております。その人の名誉のためにここでは申し上げませんが、わかっておる。ですから、そういうことでなくて、いま厚生大臣のおっしゃったような気持ちで今後この問題についてはひとつ誠意をもって対処していただきたい。ですから、厚生大臣からそういうおことばを聞きましたので、私はたくさん持っておりますけれども、この問題についてはあと多く申し上げません。ひとつ、厚生大臣がお示しになった誠意を持って自後の問題については対処していただきたい。  あと具体的な法案の内容についていろいろございますけれども、どうも審議を続行するような気持ちになりませんので、あとは留保して、きょうは終わりたいと思います。
  82. 田中正巳

    田中委員長 午後一時三十分まで休憩いたします。    午後零時五分休憩      ————◇—————    午後一時四十七分開議
  83. 田中正巳

    田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続けます。淡谷悠藏君。
  84. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 援護局長にたいへんこまかいことをお聞きしたいのですけれども、これは援護法だけに限らず恩給法などでもそうですか、一体戦傷病者もしくは戦没者が、恩給もしくは年金を受けることのできる手続の系統はどういうふうになっておるか、ひとつ御説明願いたいと思います。たとえば町村役場のどういう係のどこへ書類を出して、その書類がどう処理されて、最終的にはどこで決定されるかという、たいへんめんどうな質問でしょうけれども、ちょっとひっかかる点がございますので、一応御説明願いたいと思います。
  85. 実本博次

    ○実本政府委員 恩給の公務扶助料あるいは増加恩給、それから援護法におきます遺族年金、それから障害年金等につきましての申請手続とその処理経路を話せということでございますが、第一線機関といたしまして、各都道府県に世話課ないし援護課というのがございます。そこが各市町村の役場におきます世話係あるいは援護係に通じておりまして、それぞれの市町村の住民の方々が、援護法の年金あるいは恩給法の公務扶助料を請求しようといたします場合には、それぞれ所定の書類をそろえまして、その書類につきましては各市町村のそういう役場の援護係なりあるいは世話係に御相談願いますと、そこでつまびらかになるようにいたしております。それから、そこを経まして申請書が出されますと、各県の援護課ないし世話課へ各市町村のが集まってまいります。それを恩給関係のものとそれから援護関係のものとに分けまして、一応両方とも厚生省援護局にその申請書を、所要の検討を加えまして送ってまいる。厚生省といたしましては、援護法の関係につきましては、厚生省援護局におきましてそれの申請を検討いたしまして最終的に処理をいたします。それから恩給法にかかります給付の請求につきましては、一応形式的審査を援護局でいたしまして、そしてそれを恩給局に進達と申しますか、移牒いたしまして、最後的に恩給局のほうでそれを決定する、こういうふうなルートになっておるわけでございます。
  86. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 援護法によるものはやはり厚生省最後まで見る。それから恩給法によるものは恩給局にいきますというと、ちょっと官庁が変わるわけですね。総理府関係になるのじゃないですか。
  87. 実本博次

    ○実本政府委員 一応恩給局にまいりますものについては、ストレートに恩給局のほうにいかずに、援護局のほうを経由して恩給局のほうにいく。   〔委員長退席、竹内委員長代理着席〕  恩給局のほうに移牒いたしておる。実はストレートに恩給局仕事として処理しないで援護局のほうを通してやっておりますのは、やはり恩給の給付あるいは援護法の給付につきまして、非常に資料としても共通の資料があるケースがございますので、そういう意味援護局を経由いたしまして恩給局に移す、こういうふうな手続をとっておるわけでございます。
  88. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 援護法によるいろいろな給付は、やはり厚生省の管轄でお出しになる。ところが、恩給局になりますと、これは所管官庁が総理府じゃないですか。そうしますと、最終段階においては厚生省と総理府の二本になりますね、給付をすることは。そう理解してかまわないでしょう。
  89. 実本博次

    ○実本政府委員 そのとおりでございます。
  90. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 給付する所管官庁が違うとしましても、これはやはり援護法の精神をとるのが原則ですから、援護局恩給局との間に方針の違いがあるはずはないと思うのですが、その点はいかがでしょうか。
  91. 実本博次

    ○実本政府委員 お尋ねの趣旨のとおりでございまして、その間には援護法の給付と恩給法の給付と、目的とするところは同一でありますので、全く斉一に取り扱うように運んでおるわけでございます。
  92. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 申請された件の最終的に給付を受ける率というのは大体おわかりですか。つまり、だめになっている件数はどれくらいあるか。
  93. 実本博次

    ○実本政府委員 昭和四十一年の四月末現在の処理状況を申し上げますと、援護法におきます給付の申請件数が、受け付けました件数が全部で二百二十六万六千百三十一件ございまして、それに対しまして裁定をいたしましたものが二百二十六万三千三百三十四件でございます。
  94. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 これは、援護法によるものと恩給法によるものとの間の区別はどうなっていますか。
  95. 実本博次

    ○実本政府委員 いま申し上げましたものは援護法だけの件数でございます。
  96. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 恩給法によるものをお聞きしたい。
  97. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 ただいまちょっと資料の持ち合わせがございませんので、わかりかねます。
  98. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 資料を持たなければ答弁のできないのはあたりまえです。国会に呼ばれたら、資料を持ってくるのがあたりまえだと思います。資料を取り寄せてもらえますか。恩給法の関係資料がきてから御質問いたしますけれども援護法によるものの中でも、大体全体から見ると非常に少ないのですが、三千余り却下されているのがありますね。この原因はどういうところにありますか。
  99. 実本博次

    ○実本政府委員 二百二十六万三千三百三十四件の裁定のうち、可決いたしましたものが二百十六万千九百二十八件でございまして、却下いたしましたものがその差の十万一千四百六件でございます。この却下いたしました十万一千四百六件につきましては、その後のいろいろな法改正がございますものですから、たとえば遺族の範囲を拡大いたしますとか、あるいは障害の程度を緩和いたしますとかいうふうな、却下いたしました後に法律改正が行なわれまして、そういうことによりまして八万一千九百三十二件がまたこの法律改正に伴って申請をいたしまして、それが可決されておりますので、したがいまして一万九千四百二十四件が却下のままになっておる、こういうふうな状態でございます。なお、この一万九千四百二十四件につきましては、退職後の事由により死亡したものが大部分でございまして、軍人軍属あるいは準軍属の身分を持っていない者、あるいは退職後の範囲に該当しないといったようなケースが大部分でございます。
  100. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 それでは、さっきの申請と裁定の間の差というのは、大体三千何件は裁定まで至らずに却下されているわけですね。最初の数字二百二十六万六千百三十一件のうち裁定されたものは二百二十六万三千三百三十四件、こう言っておりますが、この間の三千余件はどういう理由で却下されたのか。
  101. 実本博次

    ○実本政府委員 二千七百九十七件が未処理ということで残っておるわけでございます。
  102. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 退職後のケースとしてかなり多い数があるというのですが、これは法的にはどういう趣旨からきたわけなんですか。まあこれは退職後にせよ、すぐなくなっても同じようなことになるのですが、そこのところはどうですか。
  103. 実本博次

    ○実本政府委員 この退職後の事由により死亡したといいますのは、一番わかりやすい例を一つ申し上げますと、退職後——軍人軍属の身分を去ってから相当な年数がたって死亡した、あるいはチフスにかかって死んだとかいうふうなことで、就職中の公務についておったときの病気と関連のない病気で、しかも退職後相当な年数がたって死んだというふうなケースが多うございますものですから、そういうケースがこれに集まっています。
  104. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 つまり簡単に申しますと、戦争が原因じゃない傷病というふうに理解できるわけですね。戦争が病気の原因になったかならないかは、非常に疑わしい点が出てくると思うのです。たとえば精神病なんかの場合です。これは、初めは相当軽くて、ちょっと変わってるのか気違いかわからないし、だんだん大きくなってきて、やはり気違いになったという例もないわけじゃない。これは私も実例を見ておりますけれども、こういうことは何か救済の道はないのですか。
  105. 実本博次

    ○実本政府委員 これはいままでにもこの委員会で、先生あるいはほかの先生からもいろいろ御意見をいただいておる問題でございますが、公務についておりました期間中に罹病いたしましたものが、相当な潜伏期間をおいた後に出てまいるというふうなものと、それから、そんな潜伏期間も何もなしにすぐ出てくるものと、二つのケースが考えられますが、潜伏期間とか、あるいは精神病のように、その当時そういった素因があったのかなかったのか、あるいはなかったが、戦場という特殊の環境のもとに、そういうふうな素因をそこでつくったというふうに考えられますような病気につきましては非常に判定がむずかしゅうございまして、こういったものにつきましては、それぞれの専門の医者をも含めました援護審査会において、そういったものをケースケースによって判定する仕組みをもちまして、ケースケースで事をきめてまいる、こういうふうな現状であるわけでございます。
  106. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 それは戦争から帰って十年たってから、屋根から落ちて死んだとか、あるいははっきりチフスで死んだとかいうのは問題にならぬと思うのですが、病気の種類によっては非常に疑わしい点がありますね。これはあなたのほうで却下をしましても、本人としては、なかなかあきらめかねることがたびたびあるだろうと思うのですが、この救済法ですね。これまたこまかい手続の問題でございますが、どういう道が開かれているか、最終的の段階までお話し願いたいと思うのです。
  107. 実本博次

    ○実本政府委員 一度初度請求いたしまして却下されたというふうなケースにつきましては、もちろん再審請求をすることができるわけでございまして、再審請求を行ないまして、なおかつ言い分が通らなかった場合には、一般の行政訴訟、司法裁判所で裁判して争う、こういうふうなことになっておるわけでございますが、再審の請求がありましたものにつきましては、先ほど申し上げましたように、援護審査会の十分な審議をわずらわしまして、あらゆる方面から足りない資料とか、あるいはこういう事実についての資料がないだろうかといったような面で、いろいろ言い分が不明確であったり、こういう点が欠けているからといったような資料指導をいたしまして、行政的には最後の審査でございますから、そういった面での配慮をいたしまして、再審請求についての処分を行なっておるわけでございます。
  108. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 再審請求があって、その要求がまた復活したという例は、どれくらいのパーセントを占めておりますか。
  109. 実本博次

    ○実本政府委員 約三〇%再審請求がいれられて、いるという現状でございます。
  110. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 残った七〇%のうち、行政訴訟までいっているのは何%ありますか。
  111. 実本博次

    ○実本政府委員 いま件数だけしかわかりませんが、行政訴訟になっておりますものが十件でございます。そのうち、死因関係に関しまするものは四、五件というふうに記憶しております。
  112. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 あとの、ごく数は少ないのですが、死因関係でない行政訴訟の理由というものは一体何ですか。
  113. 実本博次

    ○実本政府委員 援護法では事実婚をとっておりますので、事実婚関係ケースがその残りの件数でございます。
  114. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 この病気についてはなおまたお聞きしたいことがありますけれども、たとえば死んだ場所がはっきりしないとか、午前中河野先生お話もいろいろ聞いておりましたけれども、どうも死んだ場合は特にそうです。戦争に行っている間の事情が不明確だというような事例が原因になって却下されている例はどのくらいあるんですか。
  115. 実本博次

    ○実本政府委員 いま先生お尋ねのような件は、いまのところ一件もないというふうになっております。
  116. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 しかし、病気は、大体病名によって区別はできているんじゃないですか。戦争に最も関係のあるものとか、あるいは潜伏期間が長いものとかいうふうに、これは疑わしいことがあるかもしれませんけれども、罪のほうでは疑わしきは罰せずかもしれませんが、援護は疑わしいものは援護してやらなければならないものだと私は思う。そうしますと、これは可能性のある病気と、初めから見込みのない病気とは、病気によって大体わかりそうなものですが、そういう区別はないのですか。
  117. 実本博次

    ○実本政府委員 その病気の種類によります区別はいたしておりません。その病気にかかったのが、公務上かかったかどうかということが問題の中心でございます。いまも先生のおっしゃいましたように、病気の場合も、ほんとうに疑わしきはみなとるというふうな考え方の一つのあらわれといたしましては、例の故意または重大な過失でその病気になったということが明らかでないものは公務病とみなすというふうな規定がいまございますが、そういう本人の故意でやった、あるいは重大な過失でやったということがほとんどはっきりしてないものは全部いただきますというふうな態度で、そういう判定をいたしておるわけであります。
  118. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 死傷の場合は、戦争に行くのがいやで指を切ったというような例もあるかもしれませんが、めったにないことなんで、これは大体争いはないだろうと思いますけれども、病気の場合は、非常にデリケートな問題が出てくるだろうと思います。特に私がこの前から具体的な例でお話ししてまいりましたらいの問題、これはあなたのほうでは援護の中に入るのだと御答弁で言っているわけでありますが、いまでもそのとおりでしょうね。
  119. 実本博次

    ○実本政府委員 らいの問題につきましては、前々回の委員会でも先生からお話がございましたが、これは非常に潜伏期間の長い病気でございます。われわれのほうで、潜伏期間が大体五年から十数年というふうな病気でございますので、ほかの病気と若干違った角度から見なければならぬと思いますが、らいだから全部公務傷病だというふうにはいたしておりませんで、それもやはり潜伏期間を計算に入れまして、公務の期間中にかかったものであるということがわかりますものにつきまして判断をつけてまいっておる次第でございます。
  120. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 大体援護局のほうでは、何年ぐらいの潜伏期を標準にしてやっておるのですか。
  121. 実本博次

    ○実本政府委員 援護局におきますらいの関係の判定を二、三申し上げまして御説明申し上げたいと思いますが、援護局の場合は、大部分軍属にかかる者が多いのでございまして、大体一年ぐらいの勤務の間にらいに感染したと思われるケースがほとんどございまして、非常に長い年数たって出てまいったというものはほとんどございませんものですから、こちらのケースといたしましては、全部公務傷病ということで裁定がおりておるわけでございます。非常に長い潜伏期間のあとで発病したというケースは全然ございません。
  122. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 それではひとつ恩給局にお聞きしたいのですが、恩給局のほうでは、援護局から回っていった書類が恩給局の段階で却下されたものは何%ぐらいありますか。
  123. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 問題になりますのは、公務扶助料とそれから傷病関係恩給だと思いますが、公務扶助料につきましては、昭和二十八年軍人恩給が復元しましてから現在まで二百九十二万五千七十七件、これだけの請求がございます。ただし、この請求の中には、転給と申しまして初度請求された方が死亡されまして次順位者にかわる、こういう場合の請求も含んでおります。それで、棄却しましたのが九千七百六十八件でございます。  次に、傷病関係でございますが、恩給法では増加恩給と傷病年金の二つの年金がございますが、増加恩給につきましては、請求が二十四万三千九百五十二件ございます。この場合も、増加恩給は有期の増加恩給がございまして、五年ごとに書きかえしますが、その請求も含んでおります。それで、棄却しましたのが一万一千百二十三件ございます。それから傷病年金のほうは二十三万三千二百二十三件、これも同じように再審査請求によって切りかえた請求も含めての件数です。棄却の件数が三万八千百八十六件、こういうような数字になっております。
  124. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 この棄却のおもなる理由はどういう理由なんですか。
  125. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 公務扶助料の場合は主として遺族関係——結局恩給法で申しますと遺族の要件がございますが、その要件にはずれた場合、それから内縁関係、こういうような方が大部分でございます。それから傷病関係恩給につきましては、程度がないという場合、それから公務関係でない、こういう二つの種類がございます。
  126. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 これは恩給局としても、大体援護局と方針を同じにしておるのでしょうね。
  127. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 遺族の範囲とか、あるいは法律の上ではっきり違っておる場合は別でございますが、公務の認定関係、そういうものは一致しております。
  128. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 率直に申し上げますが、私は、らいの取り扱いについて、恩給局援護局が若干違っているのじゃないかと思うのです。というのは、ここに実際の書類を持ってきていますが、これはこの前に私、質問いたしました松丘保養園の中田常藏という人の書類なんです。ごく最近のものです。これは昭和四十一年三月十四日付で内閣総理大臣から裁決がされているわけなんです。相当長い間、これはいろいろあなたのほうに再審の請求もあったし、事情もいっている事実なんです。これは新しい案件ですから、あなたのほうでも十分おわかりだろうと思いますが、この間の私の質問のときにはもうこれが出ておったのです。急いでこの書類を借りたのですが、おわかりだったら却下された理由をひとつお話し願いたいと思います。
  129. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 御質問のございました中田さんの件でございますが、この方は満州に勤務しておりまして、復員後らいにかかった、こういうようなケースでございまして、らいを発病されましたのが二十九年ごろだったと思います。二十九年ごろにらいを発病されたというケースでございますが、その棄却の原因は、らいの発病と公務との間に因果関係がなかった、こういう理由でやっております。
  130. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 戦場におけるらいの状態というものはおわかりだろうと思いますが、日本における管理のようには、いっておりません。満州でも、中国でも、あるいは南シナのほうはもっとひどいのですがね。それでいま援護局のほうでは、潜伏期間も五年ないし十数年あると言っていますが、これは入院したのが昭和二十九年でしょう。はっきりらいとわかったのが二十九年ですね。それは戦争と直接の関係はないかもしれませんが、援護局のほうでは、らいについては認めているわけですが、どうも恩給局のほうでは、それが公務と関係がないというので却下している。これはちょっと裁定のしかたが違っているのじゃないですか。
  131. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 傷病恩給につきましては、いろいろなケースはございますが、その認定につきまして画一的にどうのこうのというようなことはございませんので、やはりそのケース・バイ・ケースによってその傷病と公務との間に関係があるかどうかということを認定しておるわけでございます。この限りにおいては、厚生省と違う点はないと思います。
  132. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 厚生省のほうに伺いますが、 いま言ったような恩給局の方針で、らいについて援護法による却下を行なった例はありますか。
  133. 実本博次

    ○実本政府委員 厚生省関係のらいのケースでございますが、いま手持ちの資料といたしましては、在職中に罹病したことがきわめて明確なケースが多うございまして、ほとんどそういった長い潜伏期間の後に発病したというケースがございませんものですから、全部いままでのらいにつきましては決裁が行なわれておるわけでございます。
  134. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 恩給局のほうでは、らいに関しての扱いはこのほかに何件ぐらいあったんですか。
  135. 白井正辰

    ○白井説明員 ただいま傷病恩給を支給している患者は約五百件でございます。
  136. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 いやいや、らいの人に支給している例、もしくはこれを却下した事例はほかにありますか。らいに関してお聞きしているのです。
  137. 白井正辰

    ○白井説明員 却下した例はございます。現在らいを原因として公務傷病恩給を支給している件数が約五百件でございます。
  138. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 却下したのはこれ一件ですか。
  139. 白井正辰

    ○白井説明員 却下したのは一件ではございません。この中田さん一件だけではございません。そのほかにもございます。ここですぐ申し上げるだけの資料を持っておりませんが、件数はそのほかにもございます。請求はありましたけれども、それは公務傷病と認められないというので却下した例はほかにもございます。
  140. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 これは専門は厚生省のほうだと思いますが、恩給局は、病気に対する審査は審査会などでやるでしょうけれども、従来のらいは、ほとんど認めた例が多いですね。恩給局でも五百件ある。この裁決書を見ましても、私にはどうも却下になる理由が見つからないのです。たとえば、潜伏期間を五年ないし十数年と見ますと、この人が自分でらいだと気がついたのは、やけどをしてからなんです。この病気はなかなか自覚症状がないものだそうですか、やけどをして何かまめみたいな火ぶくれができたんでしょうが、さっぱり痛みを感じなかったというので、初めてそうじゃないかということで診断を受けた。したがって、発見されました二十九年より前に罹病しておることが明らかなんです。そういう点なども援護局本人についてよくお調べになりましたか。しかも療養所の院長のはっきりした証明がついているんです。それは全然らいなどでなくて、潜伏期間のない病気なら本人もあきらめもいたしましょうけれども、戦争に行くまでは全然そういうことがなくて、帰ってきて数年たってからそういうことになってくれば、本人としては非常に残念なことだろうと思うのですが、そういう配慮が恩給局のほうでなされましたかどうか。
  141. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 非常に専門的なことになりましてあれですが、傷病恩給は、請求がございますと、非常に長い期間たっているものもございますので、その資料収集するということが非常に困難を来たすわけでございますが、恩給局ではできるだけの資料を集めて審査をしております。特に傷病と公務の関係につきましては、専門の恩給審査会というものもございまして、専門の医者の御判断も願い、でき得る限り慎重な態度で調査を進めておる次第でございます。この件につきましても、調査はできる限りいたしております。
  142. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 これは厚生大臣。ひとつお聞きを願いたいと思うのですが、 この裁決の書類がきのうきたばかりで、私これを見たのですが、「訴願人は癩に対し無智であったばかりに入園が遅れ、又恩給法についても知らなかったばかりに請求が遅延して同人の立場を不利にしたものと思われるが、現代医学では、癩の感染発病等各人異にするものであり、又感染即発病の事例は殆んどなく、菌の長期潜伏を有するものであることは明らかなところであり、訴願人の場合も右に合致しているものと確信するところであって、さきの旧軍人として勤務したときのその勤務に起因して癩に罹患したものと認め難いとする裁決には承服できない」というのがこの訴願の理由なんです。私はさっきからの援護局長の御答弁によりまして、本人がこういうふうな理由で再審請求をしているのはもっともだと思います。「これに対し総理府恩給局長の弁明の要旨は、傷病恩給請求書、具申書等に添付された諸資料に基き検討したが同人の現在の症状は同人がさきに旧軍人として勤務したときのその勤務に起因したものであると認めることはできないところであり、そのことは、総理府恩給局顧問医の鑑定の結果によって得られた結論である。というのである。」しかし、潜伏期間の非常に長いらいが、いま診断して、これは戦争中に罹病したものかその後に罹病したものか、これを判定する方法がありましょうか。恩給局には無理でしょうが、厚生省のほうはどうでしょう。これはいまの医学上からいって、どういうものですか。
  143. 実本博次

    ○実本政府委員 私どもは、そういう専門家でない関係答弁する筋合いではないかもしれませんが、らいの行政を行なっております上におきまして、いろいろそういったらい病に関する行政処分その他を行なうことがよくございますが、そういう場合に、らい病というものの潜伏期間の問題につきましては非常に幅が広うございまして、先ほど来申し上げております五年ないし十数年というものは、大体いままでにそういう行政処分をいたしますときに非常に幅の広いめどが与えられているわけでございまして、そういう幅の広いめどでもって一律にケースをきめてしまうということは非常にむずかしゅうございますから、どうしてもやはりそれ以外の、そのケース特有の条件をさがし当てて、その条件とからみ合わせてきめていくというふうなことをいたしておりまして、一般的にらいについてのきめ手となりますメルクマールというものは、ことに潜伏期間に関しましては実は持ち合わせてないので、いろいろケースによって異なったものが出てくるわけでございます。
  144. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 これは大臣にも恩給局のほうにもお聞き願いたいのですが、私はやはりさっき言ったとおり、これは処罰じゃないのですから、疑わしい者はとってやれというのが援護法の精神だろうと思うのです。また、その経過のことなんか見てみましても、「訴願人は、昭和十四年十二月一日現役兵として歩兵第三十二連隊留守隊に入隊し、昭和十五年二月十一日以来支那方面において軍務に服し、昭和十八年十一月二十日内地帰還、」そうすると長いですね。それから、「同年十一月二十八日現役延期解止除隊により旧軍人を退職したものである。」こういう。「(昭和三十四年一月十六日づけの青森県知事山崎岩男作成の履歴書)」による、これはうそはないと思います。  それから、「帰郷後は日雇を業としていたところ、昭和二十三年二月頃」——二十三年ですよ。あなたのほうの書類なんですから、これに御注意を願いたいと思うのです。「昭和二十三年二月頃右大腿前側下部に火傷を受け、その時疼痛を感ぜず該部及びその附近の知覚麻痺に気づき、昭和二十五年六月顔面腫脹し赤褐色を呈し全身倦怠感強く、昭和二十六年七月眉毛の脱落に気付き、昭和二十九年一月十四日青森県青森市大字石江字平山国立療養所松丘保養園に入所し、」となっている。  そうしますと、この入隊期間が非常に長くて、しかも発生したのは除隊後間もないですね。しかも本人は、そうなってもなお入院しないで、二十九年になってから初めて入院しているという気の毒な事情があるのです。ことで結節らいと診断されています。「昭和三十三年八月十日づけの訴願人作成の症状経過書及び同年八月四日づけの前記国立療養所松丘保養園長医師阿武秀直作成の証明書」によりますと、入所は昭和二十九年一月十四日、以来ずっとこのらいの症状を書いているわけですね。そうしますと、十年、十五年というようなものじゃなくても、除隊後二年か三年でも発病しておらなければならない。これははっきりあなたのほうの書類に書いてあることですから、十分ごらんになっておると思うのです。しかも、こういう事実をとらえて、あなたのほうの総理府恩給局の顧問医が戦争と関係ない発病だとなれば、これは一体納得できますか。よほどな名医かよほどの凡医です。これは厚生省は更生のために援護していらっしゃるかもしれませんが、恩給局は、なるべく恩給を出すまいとする態度でやってもらってはいかぬですよ。それではこれができないという積極的な理由はどこにありますか。あなたのほうではこれを打ち消すような資料がありますか。あなたのほうに資料があるというけれども、どういう資料に基づいてこれは戦争中と関係がない発病とお認めになりますか。
  145. 白井正辰

    ○白井説明員 傷病恩給を裁定するにつきまして、もちろん法律に基づいて裁定いたしますが、法律に基づいてのいろいろな基準がございます。ハンセン氏病に対する基準といたしましては、なかなか感染とか発病とかむずかしい病気であるが、戦地において発病した場合、あるいは戦地から帰って一年ぐらいに発病した場合は、これはもう公務と見る、こういう基準によっていままでの裁定がなされております。そういう線に照らしまして本件も処理され、判定されたんじゃないか、こう思っております。
  146. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 あなたのほうで判定したのですから、そう思う、じゃしようがないです。この人が自覚したのは二十三年なんですよ。もうやけどしてその痛みを感じないほどの病気の状態であれば、発病をもっと早く見るのが正しい行き方じゃないですか。なるべく落とそう落とそうと思えば、これはマイナスの要素が出てくるでしょう。さっきの援護局の方針のように、一年以内のものはほとんどとっておる。そうすると、二十三年にすでに麻痺している状態になってきて、間もなく顔がはれてくるというような重症になってきた場合には、もっと早い場合の罹病ということも考えたっていいのじゃないですか。私は態度の問題だと思うのです。おそらくは、いまの医学では、はっきりどこで発病したか、感染したかということは証明できないでしょう。それを、わずか一人か二人の問題、たくさんないと言うのですが、こういうことをことさらに意地になって最後まで拒んでいるというこの恩給局の態度は、ぼくはどうしても納得できない。何かあなたのほうで、こうした戦争中の発病にあらずというようなことを具体的に立証するような資料があったのですか。これは人権問題ですからね、お聞きしたいと思う。具体的なその資料をお見せ願いたい。
  147. 白井正辰

    ○白井説明員 具体的というのは、先ほど先生もお読みいただきましたような十八年十一月に召集解除になりまして、そうして二十三年ごろにやけどがわからなかったという状況、それから二十九年になってはっきり発病と認められて入所した、こういう事実に基づきまして、先ほど申し上げましたような基準に照らして判定をしたわけでございます。
  148. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 それじゃ恩給局のほうは、らいに関してはこの潜伏期間を何年に見ているのですか。
  149. 白井正辰

    ○白井説明員 私は、それが何年と見たからそういう結論が出たかということは存じておりません。その結論は、潜伏期間とかそういうことがなかなかわからないから、したがって、戦地勤務中に発病した、戦地勤務が終わった直後に発病したというものを公務と見る、こういう基準がつくられたんだと了解いたしております。
  150. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 これは援護局、どうですか。全然逆じゃないですか。援護局のほうはよくわからないから認めると言うし、恩給局のほうはわからないから認めないという態度なんです。これはやはり援護に関する基本の姿勢の問題です。これを拒んで一体どれだけの利益があるのですか。疑わしいものはやはりとってやるのが法というものの精神じゃないですか。わかっていればよろしい、はっきり何年の潜伏期間なんだから、それ以外のものは認めずというのがわかっておればよろしい。それもわからないのでしょう。さっき私は所管系統の違うことを申し上げましたが、大臣、一体こんなふうに変わっていていいものでしょうか、厚生大臣のお考えをお聞きしたい。
  151. 鈴木善幸

    ○鈴木国務大臣 援護法並びに恩給法上における公務傷病の認定の問題は、これは両法の趣旨からいたしまして、私は違いがあってはいけない、また違いのないように審査をし、運用してまいる、こういう基本的な方針でおるわけでございます。  ただ、いまのハンセン氏病は非常にむずかしい病気でございまして、厚生省におきましては、この病気の性質上、潜伏期間等の事情もございまして、はっきりと公務罹病というようなことが確認されません場合におきましては、潜伏期間等の事情をいろいろ考えましてこの認定に当たっておる、こういうことでございますが、恩給局の面におきましては、いま御指摘があったようにはっきり公務中に罹病した、こういうことが確認されざる限りはどうしても基準に照らして困難である。こういうハンセン氏病に対するところの考え方、この基本がいろいろ立場によってある、こう思いますが、恩給局の立場につきましては、これは総務長官の御方針は当委員会で聴取をされて、そして御判断をいただいたほうがいいのではないか、かように考えるわけであります。  繰り返して申し上げますが、基本的には恩給法及び援護法の公務傷病の認定の問題は相違のないようにやってまいる方針、また、そういうたてまえで運用しておる、このことを申し上げておきたいと思います。
  152. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 私がこのことを非常にしつこく追い回すのは、一つ事例ではあるけれども援護法と恩給法は精神において変わりがあってはいけないと思うのです。しかもこれはあなたのほうの裁決書に従いましても、この松丘保養園の診療録によれば、既応症ですが、よく気をつけて聞いてください。昭和二十三年二月です、「右大腿前面下部に熱傷に困る水疱を発生せるも、該部に疼痛なく知覚麻痺に気づく、約三年半位前に顔面腫脹し赤褐色を呈す、」三年前ですよ。全身の倦怠感強し、それより約一年後感冒に罹りその頃から頭髪及び眉毛の脱落、同じ頃から顔面及び上肢に皮疹発生し、次第に背部その他に発生今日に至る。」これは国立病院の既応症の記録によるものですよ。そうしますと、あなた方のおっしゃっていることは実に冷たい審判じゃないですか。これはお医者さんがいるかもしれない、審査会があるかもしれないけれども、基本的な精神において、援護局のほうが一年くらいに発生したものは認めている事実があるのに、こういうふうな書類をちゃんと見ておきながら冷たく突き返すということは、私にはどうしてもがまんできない。これは厚生省と総理府とのこういう問題に対する態度が違うというならば、私は許しがたいことだと思う。幾らこの法律でさまざまなワクを広げましても、これを当てはめる基準が違ってくれば、しかも恩給局援護局が違った立場に立つならば、ますますこういうような不公平な格差のひどい待遇が出てまいります。これは法律改正以前に、政府としての態度をはっきり一致させる必要があると思う。疑わしいものはやはりやったほうがよろしい。困っていることは事実あるのだし、しかも現在病院に入って家族が困難していることは事実なんです。それをわずか一年以内に発生したからこれは原因がある、一年半あとだから原因がない、こんな機械的なお役所式の決定では、これは援護の精神に沿わないと私は思う。どうですか、これはあなた方にお答えがなければ、総務長官に来てもらわなければならぬ。
  153. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 先生のいま申されましたことは一理あることでございますが、恩給は御承知のように非常に古い歴史を有し、しかもそのきめ方によりまして今日の給付形態ができておるわけでございます。それで先ほど第一課長から申し上げました基準は、非常に古い時代からずっと今日まで生きて続いておるわけでございます。ただ、現在の時代にマッチしないという点も見方によってはあろうかと思うのでありますけれども、以後十分検討いたしてまいりたいと存じます。
  154. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 これはますます重大な御発言ですよ。恩給法が古いから援護法とは合わないんだとなってくれば、その援護法さえいま変えようとしておるのですよ。なぜ恩給法を変えない。——これはあなた方には無理でしょうね。やはり長官に来てもらいましょう。これは、やはりそういう考え方はどうもおもしろくない。それでは、来るまで保留しておきます。
  155. 竹内黎一

    ○竹内委員長代理 暫時休憩します。    午後二時四十五分休憩      ————◇—————    午後三時開議
  156. 竹内黎一

    ○竹内委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続けます。淡谷悠藏君。
  157. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 総務長官に御苦労願ったのは、できるだけ恩給局の方だけで片をつけようと思ったのですが、いま援護法の一部を改正する法律案で、若干総理府と厚生省との扱いの点で一致しない点が出てきましたので、長官にひとつお聞きしたいと思うのです。  戦傷病者の公務による恩給、この問題で、らいにかかった人が戦争中にかかったか、その後にかかったのかという判定の問題なんです。これは御承知のとおり非常にむずかしい病気で、潜伏期間は、厚生省側の言い方によりますと、五年ないし十数年潜伏している場合がある。それで、私は、この援護法の精神からいって、そうじゃないという積極的な理由のない事案は、これはむしろ認めてやるべきが援護法の精神じゃないかというふうに考えているわけです。厚生省のほうではそう認めている。それを、恩給局のほうでは、そうだという確かな証拠がないからこれは認めなかったんだという、逆に、疑わしきは罰せずじゃないけれども、疑わしいものはとらないといった調子で冷たく突き放しているのです。そのために、実例を申し上げますと、ある患者で長い間戦争に行っておった者が、本人が自覚をしましたのは四年くらいあとで、自覚症状が出て、いま入院加療中なんです。これはかなり長い間恩給局のほうに、援護局のほうから書類が回っておりましたが、握りつぶされておりまして、三月十四日にこれが却下されております。そういたしますと、あまりに厚生省の方針とあなたのほうの方針とがちぐはぐなものになります。まして援護法のほうは、また改定をしましてもっとゆるやかな温情あるものにしようというような場合に、恩給局は、恩給法が古いからできないんだという通り一ぺんのやり方でやられたのでは国民として納得ができない。特に給付を受けるほうは、恩給によろうと年金によろうと、金が入ればいいわけなんです。ほんとうの話は。そういうふうな事務上の、あるいは法律上の違いのために、一方においては厚く給付を受け、一方においては非常にきびしくこれが制限されるというふうになったのでは、これは政府の方針としては明らかに矛盾した方向に進むと思う。それについての長官のお考えをお聞きしたい思うのです。
  158. 安井謙

    ○安井国務大臣 ただいまの淡谷議員の御質問でございますが、御承知のとおり、実は恩給法も継ぎ足し継ぎ足しでやってきておりますので、いろいろふぞろいの点もあろうと思います。援護法とこれを比較してみましても、ある面では援護法が進んでいる、ある面では恩給法のほうが進んでいるといったようなアンバランスもあると思います。  そこで、私ども、これをできるだけ前向きで平仄を合わせるということは必要だと思いまして、恩給審議会というものを今度法律で起こしまして、恩給問題全部、それは援護法等とのバランスも考えながら、あるいは共済制度とのバランスも考えながらやっていこうということで、いまいろいろ御検討を願うたてまえになっております。  いま御指摘の例につきましては、さしあたってはこの恩給法の技術的なたてまえからなかなか困難な問題があるかと思いまするけれども、私どもは、いまのような事情でこれはできるだけ前向きで考えるべき問題だということだろうと思います。また、そうしなければならぬと思っておりますので、さしあたっては症状等差調査会という、その病気の程度によりましていろいろ限度を専門のお医者さんでやってもらっている調査会、さらに恩給制度調査会、ここらは一応意見は聞かなければならぬと思いますが、そういうものを経ました結果は、いまお話しのような方向で、今後また厚生省のいろいろな方針ともよく平仄の合うような方向で、ぜひ私どももこれは解決に向けたい、こういうふうに思っております。   〔竹内委員長代理退席、委員長着席〕
  159. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 これはこの一件だけなら私は別にこうしつこくは迫りませんけれども、ずいぶんこういう例があるのです。これはらいだけではありません。精神病もそのとおりです。さっきからの質疑応答の中で、らいと精神病は非常にむずかしいケースだと言われているだけ、これは疑わしい事例が多いのであります。しかもこの裁決書などを見ますと、これは佐藤総理大臣の名前できておりますから、総理大臣に来てもらうのが一番いいかもしれませんが、そこまではいきますまいが、どうも却下の理由も非常に冷たく突き放しているのですな。本人がもう数年にわたって訴えている実情を申し上げますと、この年金をもらわなければ、子供を高等学校にやることができないくらいに訴えておる。もう三、四年でしょう。この事案は申請されてから何年になりますか。
  160. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 本事案は、傷病恩給請求をしましたのは昭和三十三年の八月二十一日でございます。三十五年の五月六日に請求棄却がありまして、次いで三十五年の七月二十二日に異議の申し立てが出ております。これに対しまして、昭和三十五年の八月三日に同じく公務否認という形で棄却されております。それで、昭和三十六年の三月七日に内閣総理大臣に対して再審査の請求が出ております。この再審査の請求につきましては、昭和四十一年の二月に同様な理由で棄却された、こういう経過になっております。
  161. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 却下されるまでの間、何年かかっておりますか。
  162. 大屋敷行雄

    ○大屋敷説明員 傷病恩給請求が出ましてから最終の却下の決定になりますまで、約七年間かかっております。
  163. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 七年間だったら、これはらいの潜伏期みたいなものではないですか。しかもその最後はどうかというと、長官は、一々このように書いてこなければお聞きにならないでしょうけれども、こういうことですよ。「訴願人は、旧軍人退職後昭和二十九年一月前記国立療養所松丘保養園において結節癩と診断されるまでの間、癩として医師の診断ないし治療を受けたことが全くないので、当該右下肢知覚麻痺が癩の徴候であり、その罹病が旧軍人在職中にあったと断定する主張を首肯することはできない。」こんな理由が一体常識から考えて成り立ちますか。つまり、本人は知覚がないので、特にらい病なんというのはなるべく医者に見せたくないものですから、隠しておったのでしょう。その事実がはっきりわかっておるのですな。それを本人が医者にかかったことがないからそれがらいであったという理由にもならず、戦争中の発病の理由にもならないという、こんな冷たい理由で却下するのは、これは裁判所のほうがよほど温情がありますよ。しかもこういうことは、恩給によるものも年金によるものも、厚生省援護局を経由して流れておる書類なんですね。同じ援護局でやったものも、その末端はやはりみんな町の世話役や何かがやった仕事ですよ。最終的においては非常に冷たく扱われて、一方からは冷たい水が出る、一方からはあたたかい湯が出る、そのあたたかいほうはますますあたたかくなって、冷たいほうはますます零下以下に下がるというような状態で、これははなはだ国政としておもしろくないのじゃないですか。こういうことにあっている人はずいぶん多いと思うのです。こうした長い間むなしく期待して、しかも最後には非常に冷たい目にあっている人たちが、この際何とか救われるような道を考えていただきたい。おやりになる考えはございますか。
  164. 安井謙

    ○安井国務大臣 ただいま申し上げましたように、恩給法に非常に古い規則や法律もあると思います。そういうようなものが、いまの時点で援護法とバランスを見た場合に、非常におくれておるというようなものは、これは正さなければならぬと思っております。そういう意味で、いまの恩給審議会も起こしまして前向きに検討しようということをやっておりますから、いまの御趣旨を体しまして、私ども前向きでこれは早急に検討を進める、こういうふうにしたいと思います。
  165. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 このほかにもたくさん事例があると思いますから、これを一つの例としまして、ぜひ早急に、改正される援護法とうまくマッチするように、同じ援護の局が両方の処置に差のあることがないように、十分ひとつ長官において配慮していただきたい。私はこの問題については長く言っておりますけれども、はっきり申し上げますが、どうも恩給局のはだざわりと厚生省のはだざわりは違うのです。ですから、事務的に恩給を出せばいいのだというような気持ちでなくて、やはりこの法の精神というものは、総理府の所管の恩給局でも十分体得しまして、ひとつ新しい道を開いていただきますように要求いたしまして、私の質問を終わります。
  166. 田中正巳

    田中委員長 次会は明九日午前十時より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後三時十四分散会