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滝井委員 バルクラインというのが非常にナンセンスだということの理由を私が具体的に説明します。いいですか。まず国立病院みたような大きなところを例にとります。どういうふうにやるかというと、これは製薬会社みな集めたらいいのです。集めて入札さしたらいいのです。そうすると製薬企業はわれ競って来ますよ。どうして来るかというと、それは、大きな病院をきちっと握れば、その病院の系列下をみな牽制することができるわけです。
御存じのとおり、日本の製薬というものは国内市場しかないのです。輸出というものは、わずかしか出ていないのですね。五千億の生産があっても、そのうち、どうでしょうか、百四、五十億か二百億にならぬでしょう、輸出は。二%から四%の間くらいですから、ならないですよ。そうしますと、国内市場を確立すれば、シェアさえ確立すれば、もう安心なのです。安泰なのですよ。だから、国立病院とか公的
医療機関とかいうものには、ダンピングやったって競争入札するわけです。競争入札さして、とる。だから一番安く買っているのはどういうところが買っているかというと、税金のかからない公的
医療機関が入札ということで一番安く買っている。どの程度に安く買っているかということは極秘ですから、絶対あかさない。だれが行ったってあかさないのです。出すのはいいかげんに出していますよ、率直に言って。だから、バルクラインというものはナンセンスです。そういう形がまず行なわれている。それから製薬の側も、大学とかそういう大きな病院をきちっと確立することは、いま言ったように国内の市場の占拠を意味しますから、その競争にはできるだけの犠牲を払いますよ。こういう形が出ているわけです。したがって、いまのバルクラインの方式をざっと安く下げて、六〇とか七〇に下げた場合にはどういう結果がでてくるかというと、同じような薬をたくさん日本の中小の製薬企業はつくっているから、この中小の製薬企業はばたばた倒れてしまいます。こういう形になる。そうすると、大病院は入札をして安く買ったが、今度は山深きいなかの
医療、むしろ安く提供しなければならぬという不採算地区はどういうことになるかというと、そういうところは入札の力がないから町の小売り店から買うので、高い薬を買っておる、こういう形です。
医療はさか立ちしておる。町で運賃のかからないところが薬をうんと安く買って、運賃がかかって、そうして
患者の
負担能力のないところが高い薬を買って、
患者から高く取らなければならぬ、こういう形になっておるわけです。だから、バルクラインを下げれば、大きな製薬と大きな病院と大都市の
患者はもうかります。しかし、小さな製薬と小さな病院といなかの
患者はあわれなものです。いわゆる
医療の格差をこれでつくるわけです。だから、問題はバルクラインにないのですよ。それならばこれを一体どうするかというと、議論がバルクラインなんかに行っておるからだめなのです。これはまだあなた方が
経済中心にものを考えておるからです。
技術中心に考えれば、そんなバルクラインなんかやる必要はない。都会のまん中のビタミンも草深きいなかのビタミンの値段も、全部十円のものは十円です、これがいいのです。それをおやりにならなければいかぬです。それを極秘で、六千もあるうちわずか二百ぐらいを、しかもその三分の一と三十分の一を調査して、そうして科学的に正確なものだなんと思うことが間違いのもとだ。出したのはみんなうそっぱち、ほんとうのものはないです。そこらに行ってほんとうのものを調べてごらんなさいよ、入札させるところはまだ安くなっているから。だから、そういう仮面をかぶった
状態でこのバルクラインの議論にこだわっておったら、
医療の問題の根本的解決はできない。これにメスを入れなければいけないですよ。バルクラインなんかやめちゃって、思い切って
技術料を五百円なら五百円の初診料にします、しかし薬は
原価でいってください、これを製薬企業に頼んだらいいのです。適正な利潤を保証します、投げ売りなんかやらずに、十円のビタミンは東京の第一病院も虎の門病院も十円でひとつやってください、しかし鹿児島の奄美群島の草深きいなかにおけるビタミンも十円です、これでなければいかぬです。なるほどここで十円のビタミンは二円、三円で買っておるかもしれぬが、はるかかなたは八円とか九円とか十円で買っておるのです。
大臣、そういう形です。あなた国立病院に行って、全部秘密なものを、おれに見せいと言って見てごらんなさいよ、国立病院は、驚くようにうんと安く買っておるから。そうすれば、バルクライン九〇を七〇に下げられても、国立病院は痛くもかゆくもない。まあ少しは痛い、二割か三割ぐらい痛いか知らぬが、いなかほど痛くないです。そういう実態ですよ。ここらあたりをやるためには、
医者の窓口に入ってからの薬の値段ではだめなのです。そのもとをやらなければいかぬです。
そこで私は、そのもとのところを少し言ってみます。いいですか。使用の頻度が非常に高くて、その包装が大包装になっておる、小さな包装はない、たとえば百錠とか千錠入りしかない、十錠とか二十錠はないというのがあります。たとえば、これは一つの薬の名前をあげるとその製薬会社は非常に迷惑ですけれ
ども、
大臣に知っていただかなければなりませんから。この前、佐賀県で問題になっているアリナミンですね。アリナミンは、
御存じのとおり薬価基準は三円十銭です。ところが、これが百錠入りでは損をするわけです。百錠入りでは三円三十銭になる。で、千錠入りを買わなければならぬ。千錠入りだと三円五銭になるのです。だから、われわれのいなかでは、千錠入りを買わないと薬価基準の三円十銭にならないわけです。損するわけです。こういうことになっている。百錠と千錠しかつくっていない。包装を小さくすればするほど値段が高くなっちゃう、こういうからくりがあるのです。これが一つです。非常に使用頻度が高い、たとえばビタミン剤、アリナミンなんか——それは
大臣、製薬企業者というのは政治家よりえらいですよ。たとえば、池田さんが高度
経済成長政策をとって景気を上げようとする、インフレ政策的な
状態、高度
経済成長政策をとろうとするときには、製薬企業は逆の薬をつくるんです。どういうものをつくるかというと、人間がばっと景気をよくしようとするときには、人間の気持ちを静めてやらなければいかぬということで精神安定剤をつくるんです。いわゆるトランキライザーみたいなものをつくる。景気上昇時には安定剤をつくる。佐藤
内閣になってぐっと不景気になったら、今度は人間の気持ちを高揚させなければいかぬというので、ノイビタとかあるいはアスパラで生き抜こうと、こうなるんです。製薬業者のほうが政治家よりも二歩も三歩も先を見て薬をつくるんですよ。だから、
経済が鎮静するときにはアスパラで生き抜こう、ノイビタで生き抜こう、こうなるのです。厚生省は、アスパラで生き抜こう、そういう宣伝をしてはいかぬと、宣伝の取り締まりをしているけれ
ども、もう製薬企業ははるかかなたを行っていますよ。それくらい優秀なんですからね、日本の製薬企業は。私は、製薬企業をこなすわけではない、優秀だとほめているのです。だから、いま言ったように、薬価基準の問題を何か金科玉条のように考えているが、そんなものは何もない。私に言わせるとナンセンス、からくりですよ。だから、使用頻度が高いが大包装のものというのは、大包装のものを買わなければ損をするのです。草深きいなかでそんな千錠入りのアリナミンを買うたって、あるいはイルガピリンならイルガピリンの薬を二十錠も買うて、それを全部使い切れないですよ。三錠か四錠かやったらそれで終わっちゃう。小さな錠剤というものはない。大きい包装を買わないと薬価基準は損をするということになっている。小さいものはみんな損なんです。薬価基準の価格から言うと、そういう形になっているんですよ。それが一つ。
それから今度は、頻度はたまにしか使わぬ。しかし、それが、たまにしか使わぬけれ
ども大包装でなければないものがあるわけです。大包装でなければないものがある。たとえば、ヒルナミンなんという薬がある。これは、薬価基準は五円八十銭でしょう。ところが、これは千錠入りしかない。そうすると、手錠入りが五千円です。千錠入りを買えば何とか損をせぬで済む。
〔
委員長退席、竹内
委員長代理着席〕
これは全く薬価基準の
比較で、これは平均薬価にするとみんなもうけたり損をしたり、いろいろ格差が出てきますがね。そういう形です。
それから、有効期限があって大包装のものがあるわけです。この薬は一年しか有効でありません、そうして大包装ですね。これは抗生物質がみん介そうですよ。抗生物質は大包装を買わぬと損なんです。それは千錠入りくらい買わないと損なんです。十二錠入りとか二十五錠入りとか十錠入りとかいうのを買うたら、これは損になるわけです。薬価基準に比べたら損になる。だから、大包装を買わなければならぬ。ところが、アイロタイシンとかククロマイセチンとかの千錠入りを買うたって、そんなものは保険でずっとずっと使うというわけにはいかぬでしょう。だから、こういうように有効期間があって大包装のものを買わなければいかぬとなれば、これは買うた
医者は使わなければならぬことになるわけです。使えば保険で切られるという形になるから、病気を重いように書いて使わなければならぬということになっちゃうんです。だから、乱診乱療を抑制してと言ったって、こういうところにそういう
要素があるんですよ。
それから、薬価基準に錠剤の収載がなくて、粉末、散剤しかないものがあるわけです。そういうものがある。そうすると、最近は御
承知のとおり、ごしごしと乳ばちでするというのははやらないのです。これは薬にも流行というのがある。何もファッションモードだけではない。薬にも流行というのがある。粉の薬をくれると、先生こんな昔の粉薬がきくのですかと聞くのです。やはり赤い色、青い色、黄色い色で、きれいなぴらぴらしたビニールみたいなものに包んでくれるほうがいい。そうすると、これはポケットに入れておいて、昼にでもちょっと昼食のあとに飲まれる。そんな薬包紙みたいなもので、口をあけて飲むのはいかぬという、やはり流行というのがある。ところが、それは錠剤は認めていない。そこで錠剤を認めていないからどういうことになるかというと、これが錠剤になって今度はずっと町に出てしまう。お
医者さんも、粉末とか散剤を使うよりも、町の薬局に行けば錠剤があるし、錠剤のほうが飲みやすいから、錠剤を買ってしまう、こういうことになる。薬価基準そのものにそういうことがある。そうなると、バルクラインなんか意味ないのです。そういう形になっている。そうして、あなた方はバルクライン九〇があたかも日本の
医療における最大の問題であるがごとくに論議しているけれ
ども、これは私から言わせればナンセンスです。だから、そんなバルクラインを言うならば、まずお薬屋さんに適正な利潤を
評価して、保険に使う二百種類か三百種類のものはひとつ
原価でください、適正利潤は認めます、そうしてどこでもみんな同じ割合でやったらどうですか。適正利潤にして、それだけは税金を取らぬようにしてやったらどうですか。そうしたら、あなた方が一生懸命になって調査する必要も何もない。百も二百もの病院に、たいして信憑性のないものをやるよりか、製薬企業とあなた方がしたほうが早いですよ。大きな製薬企業は十一社ぐらいしかないでしょう。保険で非常に流行する薬をつくっている製薬企業というのは、そんなにないです。指折り数えるほどしかないでしょう。そういうところで話したほうが、もっと合理的な
医療費体系をつくるのにすみやかにいきますよ。どうですか。いま私の
指摘したようなことは、別に科学的な根拠でこんなものを千錠にしなければならぬとかなんとかいうものでも何でもないですよ。これは一体、買うた数量と使用頻度が非常に高くて大包装のものと、どういう関係がありますか。何の関係もない。そんなことはまるきり無関係に、製薬会社が百錠入りとか手錠入りをつくっているのです。千錠入りにしたほうがもうかるから千錠入りにしているのかもしれぬ。小さくすればややこしくなるから、やらないのかもしれぬけれ
ども、バルクラインと百錠とか千錠というのは、何か関係がありますか。こんなものは何も関係ないですよ。どうですか、あなた方は薬価基準を何か金科玉条のごとく言われているけれ
ども、ちっとも科学的根拠はないですよ。