○
滝井委員 私が
ふろしきに薬を一ぱいもらって帰ると言うことは、薬を使うからもうかるという側面で、私はこの問題をとらえていないのです。そういう
大臣のものの考え方が間違っておるのです。薬の問題は、あとで論議しますけれども、そうじゃないのです。
国立病院その他は、もはや
患者さんがよけいに来て、そうして薬を十日分とか二週間分やらなければ
機能が停止してしまうのです。そういう
観点からやっているのです。もうかるからという側面は、これはサラリーマンの医者ですから、そこにはもうかろうともうかるまいと、たいして問題にしていないのです。私もサラリーマンの医者をやったが、自分は一生懸命医学的良心で最高の薬を使ってやる。ところが、それをチェックしてくるのは、薬局が、先生、いい薬をやっては困りますといって、むしろ薬局からチェックをしてくるのです。医者はそういう
大臣の言うような考えはあまり持たないのです。私
自身もやったことがあるのですが、持たないのです。そういう問題のとらえ方ではない。そういう側面もないとは言わない、
保険経済からいえばありますから。いまはそういうようにやらなければ、
国立病院の待合室はもう雑踏が激しくなって、おまわりさんを五人ぐらい入れなければ、赤ちゃをおんぶした婦人は、赤ちゃんの窒息死が起こるという
状態なんです。極端な言い方をすれば。(「オーバーだ」と呼ぶ者あり)オーバーだと言うけれども、癌研あたりでは、行ってごらんなさい、そんなに簡単に、きょう行ったらすぐ見てもらえるというものじゃないですよ。私もこのごろ自分で行って見てもらったが、簡単にはいかないのだ。私ども、特別時間がありませんから
お願いしますと言って、午後行ってあいている時間に見てもらう。こういう形でしかできない。普通の
状態で行ったら簡単にできないんですよ、一週間も待たなければ。いわんや榊原さんのところの心臓手術なんというものは、半年か一年待たなければ順番が回ってこないのだ。それと同じ形が起こっているわけです。だから、いまの側面というものは、もうかるから薬をよけいにやるんだという側面はむしろ少ないのです。
公的医療機関というのは、もうける必要はないのです。いわば
国立病院、若松さんの
所管のところなんかは、そんなむちゃくちゃに商業主義的なことをやる必要はない。商業主義的傾向はあるけれども、そういう露骨な商業主義というものは出していないのです。むしろいま言った、非常に雑踏してそれをやらざるを得ない。それから人間を制限するためには、分包機みたいなべのを使わざるを得ない、こういうやむを得ざる
状態に追い込まれてしまっておるのです。そのことが偶然、よけい薬をやるからもうかるという形につながってきておる、私はこういう解釈をしておるのです。そこは
大臣、ひとつ間違いないようにしておいてもらいたいと思うのです。
そこで、この問題は、
病院の
機能というものを、
診療所と分けるかどうかという決断をしなければならぬという段階にきているということを
大臣は認識していただいて、おれは約束したことはやっていくんだという決意のようでございますから、これはやっていただきたいと思う。ここがはっきりしないと、社会
保険財政というもののえりを正すことができないということを私は指摘しておきます。
それからいま
一つ、御承知のとおり、最近の
日本列島における人口構造、人口の移動というものは、非常に大きな変動が起こりつつある。
昭和三十五年の人口調査と四十年の十月の国勢調査とを見ると、非常に違ってきた。どういうように違ってきたかというと、大ざっぱな言い方をすれば、東京から神戸までの間に人口が集中してしまいつつあるということです。そのことは、
保険財政と
医療の
供給体制の
医療機関における収支のバランスに非常に大きな影響を与えつつあるのです。あとで数字を示しますが、非常に大きな影響を与えつつある。どういうことが起こるかというと、農村地帯にある
病院というものが採算がとれなくなりつつある。一番集中的にあらわれているのは、われわれの筑豊炭田です。いままで筑豊炭田には、炭鉱のデラックスな
病院がたくさんあった。ところが、いまや炭鉱は第二会社になり、あるいは三千人、五千人おった炭鉱の
労働者が、
石炭の斜陽化のためにいなくなって、炭鉱
病院をどんどん閉鎖し始めて、なくなりつつある。そうして、いわば無医地区のような
状態が局部的に起こりつつあるわけです。そういうことは、もっと大きな
観点から見ると、
日本の農村がそういう形になりつつある。たとえば郡部で言えば、ここ四、五年の間に人口が二千から五千とぐんぐん減っている。だから、いなかでは、衆議院の選挙区の
是正でも、十九の選挙区の
是正というものは、公平な
観点から見ると、いなかの代議士を減らして都会に持っていかなければならぬ。ところが、いなかから出ている代議士さんは、既得権だ、困ると言っている。私も代議士の一員だけれども、代議士さんは、自分の選挙区の人口が減ったのに、自分のところの定員を減らすことは反対している。それなら、
病院がかんこ鳥が鳴くのはどうなるか、こういうことになる。今日、農村から若い者が抜けてしまって、じいちゃん、ばあちゃんになりたら、これは
国民健康保険の
負担の
財政力がなくなりつつあるということですよ。ということは、その
病院にかかれなくなることを意味する。その人
たちは
一体どこへ行ったか。東京から神戸までの間に人口が集中して、ここにデラックスの
病院が集中し始めた。ここに優秀な医者が集まり始めた。そうすると、いなかの人口変動に基づく
病院の配置というものは、急速に考えられなければならぬ問題です。いままでのように、どこでもここでも町に
病院を建てるわけにいかなくなってしまった。付近の農村が
財政力が弱くなって、人間も少なくなってきているのです。そうして
病気になる人は、みな
財政力の弱い人間ばかりがなる。なるけれども、一部
負担があって、かかれない。医者に見てもらえない。こういう
実態、こういう矛盾が起こってきた。これはあとの
国民健康保険にも関連しますが、そのことは、
保険財政に非常に大きな影響を及ぼしてきております。これは、まず、そういう人口の移動に伴って、
日本の
医療政策というものを
一体どういうふうに
政策的に転換していくつもりか。