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1966-03-10 第51回国会 衆議院 社会労働委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年三月十日(木曜日)    午前九時五十五分開議  出席委員    委員長 田中正巳君    理事 小沢 辰男君 理事 藏内 修治君    理事 齋藤 邦吉君 理事 澁谷 直藏君    理事 竹内 黎一君 理事 伊藤よし子君    理事 河野  正君 理事 吉村 吉雄君       伊東 正義君    大坪 保雄君       倉石 忠雄君   小宮山重四郎君       坂村 吉正君    地崎宇三郎君       中野 四郎君    西村 英一君       西岡 武夫君    橋本龍太郎君       松山千惠子君    粟山  秀君       山村新治郎君    足鹿  覺君       淡谷 悠藏君    滝井 義高君       辻原 弘市君    堂森 芳夫君       長谷川 保君    八木 一男君       本島百合子君    吉川 兼光君       谷口善太郎君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 鈴木 善幸君  出席政府委員         厚生政務次官  佐々木義武君         厚生事務官         (大臣官房長) 梅本 純正君         厚 生 技 官         (公衆衛生局         長)      中原龍之助君         厚 生 技 官         (医務局長)  若松 栄一君         厚生事務官         (社会局長)  今村  譲君         厚生事務官         (保険局長)  熊崎 正夫君         厚生事務官         (年金局長)  伊部 英男君         社会保険庁長官 山本 正淑君         厚生事務官         (社会保険庁医         療保険部長)  加藤 威二君  委員外出席者         文部事務官         (初等中等教育         局職業教育課         長)      望月哲太郎君         専  門  員 安中 忠雄君     ————————————— 三月八日  委員中曽根康弘辞任につき、その補欠として  坂村吉正君が議長指名委員に選任された。 同月九日  委員足鹿覺辞任につき、その補欠として松井  誠君が議長指名委員に選任された。 同日  委員松井誠辞任につき、その補欠として足鹿  覺君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  健康保険法等の一部を改正する法律案内閣提出  第一七号)  厚生関係基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 田中正巳

    田中委員長 これより会議を開きます。  内閣提出健康保険法等の一部を改正する法律案議題とし、審査を進めます。
  3. 田中正巳

    田中委員長 提案理由の説明を聴取いたします。鈴木厚生大臣
  4. 鈴木善幸

    鈴木国務大臣 ただいま議題となりました健康保険法等の一部を改正する法律案について、その提案理由を御説明申し上げます。  政府管掌健康保険船員保険等医療保険につきましては、近年受診率の上昇、給付内容改善等により、多額の赤字を生じ、保険財政はきわめて逼迫した事態に立ち至っております。  政府は、このような事態に対処すべく健康保険制度等改正案要綱を策定し、社会保障制度審議会及び社会保険審議会に諮問したのでありますが、両審議会からは、保険財政が逼迫している現状にかんがみ、とりあえず応急対策として保険料改定及び国庫負担の増額を行なうべきであるとの答申を受けたのであります。政府といたしましては、限られた国の財政事情の中で、これらの答申の趣旨を極力尊重することといたしまして、当面応急対策として、昭和四十一年度において政府管掌健康保険に対し百五十億円、船員保険について四億円の国庫補助を行なうこととし、あわせて標準報酬等級区分改定及び保険料率引き上げを行なうこととした次第であります。なお、これらの審議会答申にも述べられておりますように、医療保険財政を将来にわたって健全化するためには、医療保険制度の基本的な問題について検討する必要がありますので、政府といたしましても今後早急に抜本的な検討を行なう所存であります。  またこの際、さきに行なわれました労働者災害補償保険法等改正に見合って船員保険職務上の事由による年金給付につき、また、さきに行なわれた厚生年金保険法船員保険法との改正に伴い厚生年金保険及び船員保険交渉法について、それぞれ所要改正を行なう必要がありますので、今回あわせてこれを改正することといたした次第であります。  以上がこの法律案提出いたしました理由でありますが、次にこの法律案の概要を御説明いたします。  まず、健康保険関係につきましては、第一に、標準報酬月額最高額現行五万二千円を十万四千円に改め、等級区分現行二十五等級を三十六等級とすることといたしております。  第二に、政府管掌健康保険保険料率現行千分の六十三を千分の七十に改めることといたしております。  次に、船員保険関係につきましては、第一に、標準報酬月額最高額現行七万六千円を十万四千円に改め、等級区分現行二十五等級を三十等級とすることといたしております。  第二に、疾病部門にかかる保険料率について、一般給付分現行千分の五十一を千分の五十四に、災害補償分現行千分の四十を千分の四十六に引き上げることといたしております。  第三に、職務年金部門に関しましては、さきに行なわれました労働者災害補償保険法等改正に見合って、職務上の障害年金及び遺族年金の額を引き上げる等の改正を行なうことといたしております。  次に、厚生年金保険及び船員保険交渉法関係につきましては、さき厚生年金保険法及び船員保険法改正における老齢年金等年金額引き上げ高齢者在職老齢年金の支給、厚生年金基金創設等に伴い、老齢年金高齢受給権者または厚生年金基金加入員であって、両制度に加入したことがあるものの取り扱い等について必要な調整を行なうことといたしております。  以上が、この法律案を提案いたしました理由及び法律案の要旨であります。何とぞ慎重に御審議の上、すみやかに御可決あらんことをお願い申し上げます。      ————◇—————
  5. 田中正巳

    田中委員長 次に、厚生関係基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。長谷川保君。
  6. 長谷川保

    長谷川(保)委員 質問に先立って、私は委員長にひとつ資料を要求しておきたいと思います。それは、すぐ必要というわけではありませんが、御承知のように、大蔵省が一日百八十六円の食費のメニューというものを出して、いろいろ論議の的になっております。これはやはりわれわれの関係でございますと、生活保護食料費の問題、あるいはまた各病院入院料の問題等々、あるいは健康保険の問題でもそうですけれども、あらゆる問題にひっかかってくるものですから、一体どんなものをおつくりになるのか。御承知のように、昨年出したものも大蔵省ではこれこれができるといっているけれども、実際奥さんたちがやってみると二百円の余かかる。それで非難の的になっている。どういうものが実際できるのか、ひとつ実物を見せてもらいたい。それからまた、それをつくるには、どこでどういうものを買ったのか、そういうこともつけたものをひとつ見せてもらいたい。それは非常に参考になると思いますから、大体今月中の適当なときに、ひとつ大蔵省のほうでつくって持ってきてもらうように、この資料提出を要求いたしておきます。
  7. 田中正巳

    田中委員長 心得えました。
  8. 長谷川保

    長谷川(保)委員 それから、本日の私の厚生行政基本施策に対する質問に入る前に、緊急の質問を二つばかりさせてもらいたいと思うわけであります。  一つは、すでに皆さん御承知のことでありますけれども、静岡県の三島社会保険病院、この病院が、新聞報道もされておりますように、チフス患者を非常にたくさん出しました。そしていま世の注目の的になっております。この病院は、私は古い関係のある病院でありまして、戦前河合五郎という非常にすぐれた人物が自分病院として経営をしておったのでありますが、医療団ができまして、医療団にこの病院を寄付というか、差し出したのであります。そしてみずから病院の責任を持って、戦後に至るまでやっておりましたが、戦争のあとのあの病院ストライキのたくさん出ましたときに、日患同盟相当行き過ぎたストライキが長い間ありまして、それが動機になりまして、その病院の中に派閥ができたのであります。その派閥が長いことしこりとなっておりまして、病院経営に非常な支障を来たしておりましたが、しかし、それからもう長くなっていることでありますから、その問題は十分に解消しておると思うのでありますけれども、今回のチフス患者が出たということだけでなしに、その前にやはり大量の赤痢患者を出しまして、病院閉鎖をしばらくするというようなことがつい先ごろあったばかりであります。でありますから、私ども心配いたしますのは、何かそこに病院管理上何らかのなお私どもの知らない問題があって、そういう不行き届きなことになっているのではないか。およそ病院外来患者にまでチフスを感染させるというような、こういうふうに新聞報道をしておりますけれども、そういうふうなことを、しかも国の社会保険病院がしているというのはゆゆしいことでありまして、その実情を伺いたいのであります。
  9. 山本正淑

    山本(正)政府委員 ただいま御指摘がございました社会保険三島病院におきます腸チフス患者発生の問題でございますが、御承知のように、社会保険病院社会保険特別会計で設置いたしておりまして、この運営につきましては知事に委任いたしておりまして、そして都道府県知事から財団法人全国社会保険協会連合会経営委託契約をして経営委託をしておる、かようにいたしまして運営いたしておる次第でございます。当三島病院につきましては、ただいまお話がございましたような経緯をたどりまして、社会保険病院となって今日に至っております。  今回の腸チフス患者発生につきましては、実は昨年の十二月の暮れに外来患者が腹痛を訴えてまいりまして、赤痢の疑いが持たれるということで検査いたしておりました結果、今年の一月十二日に腸チフス菌を発見いたしましたので、即日三島保健所に届け出をいたしまして、この患者隔離病院に収容いたしました。そうしてその後二月の下旬ごろから患者相当発生しておりまして、その後職員健康診断あるいは入院患者検便等を行ないました結果、今日までの時点におきましては約二十五人の腸チフス患者発生した、こういう結果に相なっております。  それから、ただいま御指摘病院運営について欠陥がありはしないかという点でございますが、ただいま先生が御指摘のように、この三島病院につきましては運営上従来若干むずかしい問題もあったのでございますが、数年来、院長もただいま御指摘河合先生がかわられ、その後何人かかわられまして今日の院長になっておりますが、現在の院長は手腕、力量等もすぐれた人であるというふうに聞いておりまして、その間、病院の内部的な事情があるとは考えられないのでございます。ただ、一昨年の夏に、これもいま御指摘のように集団赤痢発生いたしまして、約一ヵ月間病院閉鎖するというような不幸な事態が生まれておるのでございます。その後病院内の特に消毒その他については特別の配意をいたしておるというふうになっておるわけでございまして、その間、病院内の事情というものがどうであったというふうな要素というものは考えられないのでございますが、何せこういった多量の患者がこの三島病院関係から発生したということは、まことに申しわけなく存じておる次第でございます。
  10. 長谷川保

    長谷川(保)委員 初めに患者発生したのが昨年の十二月の二十七日であります。副院長が発熱して休養したのが二月十二日であり、そして二月二十日に死亡しておる。さらにそれが、それから以後もまた三月三日、四日というようなときに一斉検便を実施して、そして患者がまた出ておるというように、三月は入院患者から四名、職員から五名というような腸チフス菌保菌者を発見しておるというようなことであります。したがいまして、今月のたぶん一日だったかと思いますけれども地方新聞はすでにこれを相当取り上げておりまして、そして病院がひた隠しにこの患者のことを隠して処理してきたことが問題ではないかというようにも報道いたしておるのでありますが、患者発生経過を見まして、潜伏期間を考えましても、十二月二十七日に今回最初腸チフス患者が出三そしていま言ったような経過患者が次次に出ているというところを見ますと、どうもそこら病院当局がやったチフス対策に対しまして、防疫対策というものが十分に行なわれていないのじゃないかというように考えられるのでありますけれども、その点はいかがであろうか。新聞報道にあるように、そこらに、病院がとった態度というものに大きな落ち度があったのではないかというようにも思われるのであります。この点はいかがでありますか。
  11. 山本正淑

    山本(正)政府委員 ただいま御説明申し上げましたように、今年の一月十二日に外来患者につきまして腸チフス菌が検出されまして、直ちに保健所に届け出て駿豆病院という隔離病院に収容いたしておりまして、その後外来患者で一月二十四日に患者が参りまして、そのときには臨床によって直ちにこれは腸チフスというように判断されまして、即日保健所に届け出て隔離病舎隔離をいたしております。それから二月になりまして、二月一日に臨床の結果腸チフス診断される者がありまして、それ以降につきましては、腸チフスというように判断されますと直ちに保健所に連絡してそれぞれ隔離をいたしておりますので、その間におきまして特に隠しておったというようなことは考えられないのであります。ただ、外来患者につきまして、発病とそれから腸チフス菌の検出という間におきまして四日ないし十日余りの期間があるわけでございますが、この期間につきましては腸チフスというように断定されておりませんので、その期間外来として診断を受けている、腸チフス菌が発見されましてからは直ちに保健所に届け出、隔離しておる、こういう経緯をたどっております。
  12. 長谷川保

    長谷川(保)委員 いずれにいたしましても、十二月二十七日に患者発生し、それから二月二十日に副院長がついに敗血症で死んでおる。そうして三月七日になって病院閉鎖をし、完全な防疫体制に入っているわけでありますけれども、どうもその間の期間が長過ぎると思うのです。病院としましてはすでに一昨年の赤痢の経験もあるのでありますから、もっと早く十分な手を打ってなければならぬと思うのですよ。そこらにどうも私には解せない問題がある、何かそこらに問題が伏在しているのではないかというように考えられるのであります。その後の、三月七日と申しますとまだ三日前でありますが、三月七日以後のことはわかっておりませんか。
  13. 山本正淑

    山本(正)政府委員 ただいま御指摘のように副院長がなくなりましたので——これは敗血症という死亡原因臨床的にはなっておりましたが、それが二十日になくなりまして、二十四日に病理解剖の結果腸チフスときまったわけでございまして、ただいま御指摘のように二月二十四日でございますから、それから二月一ぱい、一週間ほどの間には、この副院長内科先生でして、そして副院長に接触があったと考えられる内科関係職員並びに入院患者につきまして検査を行なっております。そうしてこの間に患者が出ておるわけでございまして、一週間の間の措置というものが十分であったかどうかという点につきまして、少しのんびりしておったのではないかというような点、先生いま御指摘のような点も若干考えられるわけでございますが、患者につきまして結果が出るまでの期間が若干あったということでございます。それから私のほうも、二日に知りまして、地方のほうに実情を、どういう経緯をたどっておるかということを調べますと同時に、一昨年の例があるから徹底的にひとつ措置するようにということを県を通じまして指示しておきまして、その結果もありますか、三月になりましてからすでに昨日まで二回、職員入院患者につきまして検便を実施いたしておりまして、それから三回目をきょうくらいにやる予定になっております。その後二回の検査によりまして——ただいまの七日以降でございますが、八日にさらに入院患者につきまして二人発見いたしまして、即日隔離いたしております。
  14. 長谷川保

    長谷川(保)委員 いずれにいたしましても、本来病気に対しまして十分な体制を持っておらなければなりませんところの病院、ことに国のほうから資金を出して経営いたしております社会保険病院が、入院患者にも腸チフスを感染させ、あるいは外来患者の中にも出ているという話が地方では出ていますけれども、そういう通院の外来患者にも腸チフスを感染させたというようなことになりますと実に容易ならぬことでありまして、どうか当局十分監督指導をして、こういうことが二度とないように——赤痢集団発生前科者でありますから、そこに何らかの、病院管理には欠陥があると思います。十分ひとつ監督指導なさるように心から希望しておく次第であります。  第二の問題であります。これは、新聞の報道するところによりますと、例の三沢大火あと始末の問題でございますが、一月十一日に三沢大火がございまして、七百四十五世帯、二千三百五十二人の人々が焼け出されておるのであります。その人々に対しまして、ことに寒い地方でありますし、たいへんなことでありますから、全国民が非常に同情を持ちまして、私ども地方でも、また私の身辺でもずいぶんと努力をしてお見舞いを送ったのであります。ところが、新聞報道によりますと、この義援金相当多額になったということで、これを罹災者配分いたしますについて、一、二回配分したようでありますけれども、結局今度は第二次の配分をするにあたりましてそれが相当の額になった。そこで、これに対しましては、生活保護世帯三十世帯、七十八人に対しまして保護打ち切りをするというようなことが社会福祉事務所のほうで考えられて、それが非常な問題となったということであります。けさの新聞によりますと、さすがに竹内知事がこれに対して裁定を行なって、そしてそういう保護打ち切りをさせないようにということでありまして、私はたいへん喜んだのでありますが、いずれにいたしましても、こういう全国民が、非常な惻隠の情禁じ得ずという形で深く同情いたしまして、町の善意から見舞いの金品を送った。それを送って、何とか自分たちと同じようなしあわせな生活にもう一度戻ってもらいたいという深い悲願が入っているわけです。これが配分されるということになって、そうしてそのために生活保護を打ち切るというようなことになりますと、いわば恩があだになるという形にもなるわけです。私は従来も予算委員会等でしばしば追求したのでありますけれども、それは香典の収入に対しまして、大蔵省が所得と認定して税金をかけるということです。これも私は、全国民、普通の国民感情からすれば、税務官吏というのは鬼だという感じを持つのでありますが、同様に、この三沢大火をはじめといたしまして、各地に起こります非常に不幸な事件に対しまして全国民が社会連帯的な深い同情の心から送りますものがそういう形になることは、非常に国民感情としては許せないと思うのであります。ことに、こういうものを配分するについて、もちろん気をつけなければなりませんことは、国民のそういう清い、純粋な気持ちを無視して、こういう配分されたものを飲み食いに使うというような、単なる飲んで遊ぶということになってはなお困るのでありますけれども、同時に、一面におきましては、配分するほうにしましてもそれを収入認定をして、そして保護を打ち切るということになりますと、およそ国民感情とはそぐわないものになるというように思いまして、残念に思うのであります。幸い竹内知事の善政がそこに行なわれればけっこうなことだと思いますけれども厚生省としてはこれに対する態度をどういうようにおとりになるか。なるほど、本来の生活保護の実施をきちょうめんに、しゃくし定木に持っていけば、これは収入認定をせざるを得ないということになるかもしれませんけれどもそこらにやはり政治のうまみがあっていいのではないか。一方で、せっかくの国民感情とそぐわないことのないようにとじょうずに持っていきながら、しかもこういうような見舞い精神というものがりっぱに生きるように、いわばそれを道具として被保護世帯世帯更生をしていくというふうに指導するのが本来の社会福祉事務所社会福祉主事の仕事だと思う。だから単に規則をしゃくし定木に当てはめて、せっかくのものを両者ともに殺してしまうのではなく、そういうものを機会として世帯更生をさせて、やがて生活保護を受けなくてもりっぱにやっていけるという世帯に、いわゆる自立の精神をそこでほんとうに発揮させる、本来の生活保護の目的をそこで発揮させるというふうに持っていくべきだと思うのですが、実情はどうなっているのか、また、本省としてはどういうようにこれを指導しているのか、承りたいと思います。
  15. 今村譲

    今村政府委員 お答え申し上げます。  最初実情を申し上げますと、一月十一日の大火のときに、全部で七百四十五世帯、そのうちで被保護者が二十五世帯ございました。それからその後に、大火後にいわゆる生活保護にかからざるを得なくなった状況の変化というものが五世帯、全部で三十世帯という方がおられるわけであります。いまお話しのありましたように、今度の現金というものは非常に、一億数千万円というような金額になってまいりまして、三月一日に、被罹災者全部につきまして大体千五百万円、一世帯二万円平均になるかと思います。保護世帯につきましては大体三万円、最高が四万二千円というふうなものを、生活の緊急な所要物資を買うということで第一回の配分はできております。これは当然なべ、かままで焼け出されたという状況でございますので、生活のぎりぎりのものを買わなければならぬということで、これは当然収入認定はしないということで済ましておったのでありますが、第二次、これはまだ基準も何もきまっておらないようでありますけれども相当の額になるらしい。十万あるいは十五万、あるいは世帯構成によっては二十万というふうな金額になるのじゃないかというふうにいわれておりますけれども、そういうふうになりましたときに、福祉事務所のほうでは、従来現金のせいぜい三万とか三万五千とかいう程度でしか前例がなかったものですから、そこで厚生省取り扱いとしましては、社会事業団体その他から義援金のようなものあるいは見舞い金がありましたときには、社会通念収入と認めることが不適当なものは、それは収入と見るな、こういう通知を出しておって指導しておったわけでありますが、今度の場合には相当大幅な金額になりますということで、福祉事務所で疑念を生じて、三、四万ぐらいなら話はいままでの前例もあるが、今度はちょっと違うというので、簡単に収入認定をしないと言っていいものであろうかどうであろうかという議論をだいぶやっておったようであります。これは、実は私、新聞に出まして、あと承知しましたのでありますけれども。そこで、いまお話しのありましたように、青森県のほうなり市のほうなりを通じていろいろ相談をしましたが、今後の方針といたしましては、四万円、三万円というものだけではむろん世帯道具すら全部そろうということではございませんし、したがって、うちを持っておった人で焼け出された人は、やはり仮の小さいうちにしても住宅資金も要るだろう。それから生業を持っておった人が、さっき申し上げましたように五世帯大火後に生活保護法にかかってくるというのもありますように、屋台が焼けてしまったとか生業がだめになったとかいうふうなものに充当させる。ただ単に生活できる収入が一時入ったからということでなしに、そういうおっしゃるような自力更生の資にさせるというかっこうにして、ケース・バイ・ケースに指導いたしたいというふうに県といま話しておる状況でございます。
  16. 長谷川保

    長谷川(保)委員 生活保護の実際の第一線では、その実施は非常に困難な問題が実際具体的にはたくさんありまして、それを完全に行なわせるということは、社会福祉主事の諸君にしましても福祉事務所の諸君にしましても、ずいぶん困難だと思います。社会福祉主事あるいは社会福祉事務所におきましては、やはり法律、規則どおりにやらなければならぬという当然の責任があります。同時にまた、どうやって一つ一つのケースを、ほんとうの生活保護精神、憲法の精神に従ってこれを実施していくかということは、それはずいぶん至難なことが多かろうと思う。   〔田中委員長退席、小沢(辰)委員長代理着席〕 けれども、そこをほんとうに生かしていくのが社会福祉主事の仕事でありまして、ずいぶん困難な仕事であっても、それらのケースワーカーの諸君がそこで本来の、ほんとうの生活保護法、憲法の精神を生かしていくという行き方に使ってもらわぬと困るのであります。先般も新聞報道がされておりましたけれども、足の不自由なおばさんが電話でもっていろいろな仕事をしておる。その電話を取り上げるということで、何でも裁判になったような新聞報道があったように思うのでありますけれども、そういうようなことだとか、あるいはまた、私の知っている事件でも亭主が失踪しておらない、細君が何人かの子供と老母をかかえて奮闘しておる。もともと相当な家でありましたから、家もとにかくあり、電話もあって、この細君が洋裁が非常にできるというので、電話を利用して自分の古い友だちの家に電話をかけては洋裁の材料をもらって、とにかく子供を高等学校にまでやるというような奮闘をしておったのです。夜も昼も絶えざるその労苦のために、ついに重症の結核になった。そのために結核療養所に入ったのでありますけれども、いろいろ保護を受けるについて、どうしても電話がじゃまになる。私も中に入って交渉してみたんですけれども、なかなか承知をしない。ついに電話を売らざるを得ない。売って一年ばかり療養をして、幸いにして回復して家に帰ったが、さあ仕事ができない。結局生活保護の被保護者に転落せざるを得なかったという形になっている。こういうような点などは、やはり生活保護法の本来の趣旨は、自立をさせていくというところに新しい生活保護法のできましたところの意義があるのでありまして、したがってそのためには、単なるしゃくし定木でテレビはいかぬ、電話はいかぬと言ってしまわないで、その人たちが生きていくためにはどうしたらいいかという具体的なケースケースに当たってやらなければならぬ、やってもらわなければならぬ。同様に、今回の三沢大火におきましても、どうかそういうようなよき配慮のもとに、しかもそういうような不幸がありましたときに、最近は全国民がNHKの呼びかけその他に応じまして、非常に努力をして見舞い金品を送るのであります。しかも見舞い金品を送るのは、実際の内容を調べてみますと、昔から、そういうような事業に金品を寄付しますのは富める階級ではむしろないのでありまして、寄付するものの内容を分析してみると、むしろ勤労大衆あるいは比較的生活に困っておる人々が、自分の境遇を顧みながらその人々に深い同情をもって金品を、自分のものをさいて送っているのでありまして、そういう人々のこういうりっぱな社会連帯的な意識というもの、同情というもの、善意というものをどうか踏みにじらないように、そういう施策を今後とも全国的に、全国の社会福祉主事社会福祉事務所が実施できるように本省としては特段の御努力をいただきたい、こういうようにお願いをしておく次第であります。  それでは、本日の私の質問に入らせていただきます。きょうは大臣がお見えと思っておりましたが、両党の申し合わせがあって、きょうは大臣は参議院のほうにお出かけだそうでありまして、非常に残念であります。大臣の御意思を実は基本施策の問題として伺いたいと思ったのでありますが、政務次官もいらっしゃるようでありますし、各局長もお見えのようでありますから、私の質問を進めることにいたします。  まず、大臣にかわる立場で御出席の政務次官に伺うのでありますが、民主政治、ことにその中におきまする厚生行政というものの根本は、国民の一人一人がその生命を全うする、つまり国民一人一人の生命を何よりも大事にするというのが厚生行政の根本であると思っておるのでありますけれども、この点どういうようにお考えでありましょうか、承りたいのであります。
  17. 佐々木義武

    ○佐々木(義)政府委員 御説のとおりでありまして、国民の何人も生活その他に不安の生じないように、安心した生活を送れるようにというふうにしていくのが厚生行政の根本かと思います。
  18. 長谷川保

    長谷川(保)委員 私は、今回の予算書を拝見し、その中に実現されようと意図されております厚生行政の各方面を見まして、一つ非常に抜けたものがあると思うのであります。先般の大臣のごあいさつを拝見いたしましても、そこにも一言も言われておらないのであります。何かと申しますと、それは厚生行政を推進してまいりますについて、その一つ一つの具体的な政策を実施していくになくてならぬ人材の養成の問題であります。そういう問題が、この間の大臣のごあいさつの中にも一言も見当たらないのであります。何をしよう、あれをしよう、これをしようという、いろいろな施策は予算にも出ておりますけれども、また大臣も五つ、六つ重点をあげておられますけれども、それを推進していくになくてはならぬ人材の養成については、私は予算書を見まして、全然ないとは言いませんけれども、それに対する重点の置き方というものがきわめて足りない。そこに実は今日の厚生行政の一つの欠陥が出ておるのではないか。しかるにもかかわらず、そういう方面に筋金が入っていないというのはどういうことなんだという疑問を持つのであります。この人材の養成について厚生省はどういうようにお考えになっておるか、その根本の考え方を伺いたいのであります。
  19. 佐々木義武

    ○佐々木(義)政府委員 人材と申しますとたいへん範囲が広くなりますが、今年度の予算を編成するにあたりまして、私どもといたしましては、厚生行政制度等は非常に進んでおるように考えますけれども、それを運用すると申しますか、実際の内容になりますとまだまだ不十分のように見受けられます。したがいまして、何とかして、特にこの厚生行政に携わっているもろもろの人たちの待遇改善等を、できるだけひとつ推し進めまして、行政の執行にあたって、不幸な人たちにあたたかい心で接し得るようにというふうな気持ちで、働く人たちの給与その他の待遇改善に非常に重点を置いたつもりでございます。同時にまた、ただいまお話しのございました、特に足りない部面、たとえば看護婦とか、いろいろ不足している分野もございますので、そういう人たちの充足をどうするかという教育面に関しましても力を注いだつもりでございますが、ただいまお話しのございました人材と申しますと、卓抜した医帥の方とか、あるいは厚生行政に対するすぐれた才能を養成するといったような面にも触れる問題がありますけれども、そういう面に関しましては、本年度公務員の養成に関しましても特段の配慮を払いまして、このたびの設置法の改正によりまして、そのほうに重点を置きたいというので、ただいま法案を提出中でございます。
  20. 長谷川保

    長谷川(保)委員 たとえば話を技術者の養成に限って議論を進めてまいるにいたしましても、今日、僻地医療の問題がずいぶんと問題になってきている。今回の予算書を拝見いたしましても、巡回診療車、あるいは船、あるいは患者の運搬車というような予算が、ごくわずかでありますけれど  も見えております。しかし、考えなければなりませんことは、僻地に診療所をつくりましても行く医者がないのです。私どもの少し近くの山奥に参りますと、そう遠く都会を離れておらぬと思うのでありますけれども、そういうところでも直営診療所というのはつくっておりますが、医者がおらぬ。どんなに村民が骨を折っていたしましても、行く医者がないのです。看護婦もないという形になっておる。今度、都会のほうを見ましても、本省の直接の責任を持ちます保健所を見てまいりましても、保健所の医者や看護婦、保健婦の充足はどうか。これまた、めちゃくちゃと言うほかないのであります。よく保健所の諸君が病院の監査に来る。そうすると、これでは医師が一人足りませんとか、薬剤師が一人足りませんとか、看護婦がどうですとかいうことを、よくこごとを言うのでありますが、私はよくそのあとでその諸君に言うのです。自分たちのところを見てみろ、自分たちのところの保健所に医者がいないじゃないか、大きなことを言うなと言うのでありますが、彼らは彼らとしての役目柄言うのでありますけれども、実際保健所にも医者がない。この三十九年の厚生白書で保健所のところを見ますと、保健所は、「技術職員なかんずく医師の充足状況は非常に悪い。」と書いてある。非常に悪い。本来の非常に広範多岐にわたります衛生行政をやっております。監督しております保健所自体に医者がない。僻地だけじゃない。町でも、ないんだ。では、本省の直接おやりになっている国立療養所、国立病院等の医師の充足率はどうか。これまたずいぶんひどいもので、この間もだれかが予算委員会の分科会で質問しておりました。山形県のある国立療養所の二百二十人の患者院長一人で見ている、そういうようなひどい話です。これは精神病院の実態を見てもそうです。これだけ精神患者がふえ、また大きな社会的な危害をしばしば与えておる。そのときには、新聞だねになると大騒ぎするのでありますけれども、いつの間にかこれまた消えてしまう。そうして精神病者を病院に入れられない。建てるほうは、建てることはできましょうけれども、医者がない。この前も、何とか精神科をひとつ開いてくれませんかということを、私に会うと、よく私の近くの保健所でも言うのです。けれども精神科を開いたところが精神科の医者があるか。御承知のように、ないのであります。大学に行っても、院長としては二十万円以上の手取り、平医員としてでも十二万円以上の手取りでなければ出せませんというような状況で、精神病者はどうしようもないという状況であります。なるほど、保健所の勤務の医者に七五%の給与のアップを断行なさった。私は、厚生省としては、大蔵省としてもそう思いますが、よくもこれだけ思い切ったなと思って感心しておるのでありますけれども、しかし、そういう技術者を養成せずに、この厚生省の直系のいろいろなところにつとめる医者の給料を上げる結果はどうなるか。民間のものからひっこ抜く以外にないという形になってくる。そうすれば民間のほうではたまりませんから、それよりも少し高い給料を出すという形になって、また引き抜きっこになる。だから、問題は絶対数が足らぬということになってくるのでありましょう。あるいはまた、医療行政制度というものがゆがんでいるというところからきているのでありましょうから、その根本を直すということに努力をしなければならぬ。  血液問題も、今日非常に大きな問題になっている。きょうは大臣にぜひその点を、ここにおって聞いてもらわなければならぬと思ったのでありますけれども、血液問題でも閣議決定で売血を禁止する、けっこうな話です。日赤一本でやるという考え方はけっこうでありますけれども、それじゃ血液技術者を養成してあるか、その養成に手を出しているのか、何にもやっておらぬ。それでありますから、まず日赤自体が幾ら努力しても、たちまちそこにはいろいろな間違いが起こってくる。実際この間あった事実でありますけれども、日赤でつくりました保存血液をうちでも使ってみたパイロットと本体とがAとBで全く違う。   〔小沢(辰)委員長代理退席、委員長着席〕 これは一般の開業医が、緊急の場合、十分に血液型の検査をせずに使えばたいへんなことになる。患者は死んでしまう。パイロットがAであって内容がBであるというようなことが、三つも起こっている。この間、私の関係でありました。それは血液を扱う技術者の養成をせずにあわててやるからです。一方ではどうなったかというと、もう血液が不足しちゃって、昨年末から今年にかけて、私の近所の多くの大病院はもう手術ができない。ついに手術がおくれて患者が死んだというような事件が起こって、新聞だねになった。静岡県だけでなく、愛知県でも同様であります。とうとう愛知県では、血液行政をやり直してもらいたいという申し入れをしたということが新聞記事に載っておる。そのほか重症心身障害児の問題でも、重度精薄の問題でも、救急医療の問題でも、ことごとくそのときの事情に追われて、政策だけは立てるけれども、それに対する技術者、人材の養成ということをしませんから、そこにそういう間違いが起こってくる。  昨日発行された週刊朝日を見ると、厚生省御自慢の小児病院に看護婦さんがない、かわいそうな子供だという記事が出ておるようであります。私はまだ見ておりませんが、広告を見ると「看護婦さんやーい」というので、小児科病院の記事が大きく出ているようであります。これらは何とかこの三月の卒業期を控えて、厚生省としては小児科病院の問題は充足するのでありましょうけれども、こういうところに今日の厚生行政の非常なひずみがある。間違いがある。そういう技術者の養成というようなことに当然十分な力を入れるべきであると思うが、それらの点について一体どういうようなお考えを持っているのか。これこそ大臣に伺いたいと思ったのでありますけれども、私は今日の厚生行政の非常な弱点だと思いますから、十分なお考えを承りたいと思います。
  21. 佐々木義武

    ○佐々木(義)政府委員 まことにお説ごもっともでございまして、人の養成の問題等に関しましては、できる限り力を注いではおるのでありますが、なかなか短日月でできる問題でもございません。お説のように、いろいろの問題が生じていることはよく承知しているのでございます。したがいまして、今後とも、お説のとおり人の養成の問題には十分力を注ぎまして、先ほども申し上げましたように、厚生行政は内容に非常に欠ける部分があるようでございまして、特にただいまのお話は大事な問題でありますので、十分考えて進めていきたいと思います。
  22. 長谷川保

    長谷川(保)委員 およそ事業を経営する者は、事業を経営しようとしましたらまずそれに必要な人間養成からかかるものです。それにかからずに事業を経営していくのは失敗のもとであり、事業を成功させる人間のやることではありません。本年こそ、本来ならば技術者養成の最善のときであったと私は思うのです。それに十分な力を入れる最善のときだったと思うのです。でありますから、少しく長くこの厚生行政なら厚生行政というものの展望を持っているなら、本年こそそれに対して十分な予算を取って、今日まで累積してきておりまするこの厚生行政の非常な弱点というものをここで一つの区切りをつけるべきときである、それに発足するときだったと思うのです。そういう計画性が全然ないということは、私は、厚生省に人がないなという感じがするのであります。残念だと思うのであります。  たとえば、本年は、ベビーブームの影響で大学受験者はたいへんでしょう。四苦八苦です。全く本年から来年へかけて、これはもうかわいそうだと言わなければなりません。受験地獄であります。でありますから、このときをねらって今日の医師の不足という問題に対して十分な手を打ち、その他の厚生行政に必要な技術者を養成することに十分な手を打つべきではなかったかというように思うのであります。今月、医は仁術でない、算術だというような非常な悪口がいわれておるのでありますけれども、今日のように私立医科大学に入るのに三百万円も持っていかなければならぬというようなあり方、やり方をそのまま許しておくなら、当然なことだと思うのです。そして大学を卒業しても、なお五年も七年も無給の医師でなければならぬというような制度を許しておくならば、医は算術にするなと言ったって、やらなければ、あと子供を医師に再生産することはできないということになってしまいますから、やらざるを得ないということになるのはあたりまえです。むしろ制度のほうが悪いというように思うのであります。  この間も、テレビを見ておると、有名な榊原仟教授が、自分のむすこを医者には絶対させまいと思った、大学を出てから十年もまだ親のすねをかじって無給医師をつとめなければならぬような、そんな医者には絶対しないつもりで、ほかのことを一生懸命やるようにしたが、結局はカエルの子はカエルで、また医者になるようだということを、テレビの対談で奥さんと言っているところを偶然に私は見て、榊原さんとは懇意の間柄でありますから身にしみて感じたのでありますが、こういうようなことではいけない。いまこそ、むしろこういう無給医師の問題やインターン制度の問題を解決し、あるいはまた、国立医科大学は、医者になりたいという者には授業料を減免する、あるいは私立医科大学の学生等に対しても、教育に対しては国が十分な助成対策を立てる、授業料等の減免ができるように国が助成していくというような対策を立てるべきではないか。国の資金で、あるいはまた、融資でもって病院や診療所を開設するというようなことがあるならば、少なくとも、たとえば僻地の問題を解決するためには、そういう国の資金で建てた病院、融資をしてつくった病院は、たとえば百万円について一人の医者を一ヵ月そういうところへ派遣するというような制度をつくってみるとか、あるいはまた、そういう僻地や保健所に勤務をしなければ開業ができないとかいう制度をつくるとか、医科大学の教育に対して国が十分な援助あるいは融資その他の資金を入れ、授業料を減免する方法を立てる。そういう制度をつくるならば、そういうものをあわせて僻地の問題なども解決するのではないか。保健所の勤務なども解消するのではないか。ことに最近考えなければならぬことは、基礎医学をやる医者がなくなってきたということです。こういう問題は、日本の将来に対して非常に重大な問題で、厚生省としては特別な配慮をしなければならぬという時期にもう差し迫られていると思う。先ほど申しましたように、僻地に一体どうして医者が行かないか、これには御承知のように幾つかの理由があります。まず第一に、僻地に行けば自分の医学の勉強がおくれてしまうというようなこと。それならばそれは、短期間に交代するような方法を立てればそうはならぬじゃないか。あるいは僻地に行けば、御承知のように非常に危険なところで働かなければならぬ。夜の往診にも行かなければならぬ。雪の日にもあらしの日にも行かなければならぬということになりますから、身命に対する非常な障害ということを考えなければならぬ。医者というものはからだが元手で、からだを失えばあとは元も子もないのでありますから、そういうものに対して国が十分な保障をする。たとえば、障害年金あるいは遺族年金というような制度を、僻地に行く医者に対しては特別に考えるというようなことをもあわせ考えていくならば、今日の問題は解決しないことはないと思うのです。でありますから、今日、本来人間を一番大事にする行政をしていくものが、その行政の中心になって推進していく技術者の養成ということに対して、ほとんど何らなすところがないということは一体どういうことか。こういうものについて、いま私はちょっと思いつきを申し上げたのでありますけれども、いろいろな考え方が出てくるのではないか。そうすれば、こういう問題も解決することができるのではないか。いまのベビーブームのこのときこそ、厚生省が手を打つべき最善のときではないか。ことし、来年、再来年、おそらくまだこの影響は続くでありましょう。ひとつここらでそういう対策を立てるということを考えてはどうかと思うのでありますけれども、行政の一番中心になっております大臣、政務次官におきましてはどうお考えになるか、伺いたいのであります。
  23. 佐々木義武

    ○佐々木(義)政府委員 ただいまお話しございましたような医師の養成機関に対する国からの優遇措置と申しますか、あるいは僻地の医療機関に対する保障その他の特殊な措置を講じたらどうかというお話は、いろいろ今後研究を深めてまいりたい、非常にいい御示唆でございますので、お説のとおりの対策でいくかどうかは別問題といたしましても、今後一生懸命研究してみたいと思います。
  24. 長谷川保

    長谷川(保)委員 看護婦不足の解消問題も同様であります。今日、准看希望者が非常にふえてきておる。三十八年四月以来、准看の養成所に入りたいという希望者が非常にふえてきておるようであります。厚生白書の統計を見ましても、三十八年の定員に対する入学者の比率は一一一・七、また三十九年四月は一一二・七というように、非常にふえてきておる。これはどこからふえてきたかというと、繊維業界の不況であります。また一般の業界の不況であります。ことに繊維業界の不況ということが、これに非常に拍車をかけている。こういうときをやはりつかまなければならぬ。また本年は、高看に対する入学希望者が極端にふえているようであります。これは当局のほうで統計がすでにあるのではないかと思いますけれども、私の知っている限りにおきましては、非常に入学希望者がふえておる。なぜふえたか。これは一昨年来の不況からいたしまして、女子短大の卒業者を使わない、女子の大学卒業生も採用するところがないというところから、先行きの就職の不安からであります。昨年は、女子高等学校の卒業生ももう方々で使わない、非常に採用者が減ってきている、こういう時代の波の流れ、いまこそ看護婦の不足を解消する絶好のチャンスだ、それに対する十分な手を打つべきである。予算書を拝見いたしますと、保健婦、助産婦、看護婦確保対策というのがございますけれども、なるほど少しふえております。ふえておりますが、一体この看護婦の確保対策というのは、国立の諸施設に対する看護婦充足をねらっておる、あるいは公立にも補助金が出るわけでありますが、公立の看護婦の充足だけを考えていられるというように考えるわけでありますけれども、それは大きな間違いだと思うのです。看護婦行政をつかさどります厚生省の方針としては、全国の看護婦の問題を考えてもらわなければならぬと思うのであります。一体、本年の高看の入学の志望者はどういうような状態になっておるか、もし統計がすでに集まっておるなら聞かしてもらいたい。あるいは准看の養成所の入学希望者があるならば、教えてもらいたい。
  25. 若松栄一

    ○若松政府委員 看護婦の志望者の四十一年四月の状況は、まだ把握いたしません。したがって、四十年までの状況しか存じておりません。四十年の看護婦の応募者は、入学者で申しますと五千九百九十名、これが五年前の三十五年に比べますと、三十五年が四千百五十三名でございますから、約二千名近くふえておるということになります。准看護婦につきましては、三十五年が一万三千四百九十五名に対しまして、四十年が二万三千四百十八名ということで、これもちょっと一万足らずでございますが、増加いたしております。なお、養成施設の数につきましても、私ども、従来からできるだけ施設の増加をねらっておりまして、看護婦の養成施設は、三十五年には百七十一施設でございましたが、四十年には二百二施設になっておりますし、准看護婦の養成施設は、三十五年には五百五施設でございましたけれども、これが四十年には六百三十五施設に、著しく増加いたしております。なお、これらの施設に対する応募者の数も、先ほど先生から御指摘いただきましたように、三十五、六年ころは八〇%から九〇%程度でございましたが、四十年には一一〇%程度になっております。
  26. 長谷川保

    長谷川(保)委員 先ほど伺いました保助看等確保対策費でありますが、これは国立及び公立のものに対する費用であり、またその目的とするところは、国立及び公立の施設の看護婦を充足するというところにあるように拝見するのでありますが、その意図するところはどこにあるのか、伺いたいのであります。
  27. 若松栄一

    ○若松政府委員 仰せのように、ここで組んでおります予算というものは、主として公立の養成施設に対する助成でございます。これは、民間の施設に対する直接的な助成ということが、憲法上の問題がございましてどうしてもむずかしいということで、遺憾ながらそこまで手が伸ばせない。いろいろ研究いたしましてもなかなかむずかしいということで、そのようなことになっておりますが、それを間接的に援助するという意味で、看護学生に対する修学資金の貸与というようなことはいたしております。
  28. 長谷川保

    長谷川(保)委員 でありますから、いまの国の予算というものが支出しております国立もしくは公立のものに対する補助が、現実問題として国立の看護婦養成所へいって、看護婦を民間のものに出すようにと言っても絶対出さない。これはもう生徒にはっきり言っている。これは公立のものでもそうです。公立のものでも、公立以外のものには行ってくれるなということを、教務主任からはっきり卒業生に言い渡している。でありますから、そこから民間へは出ないのです。厚生省としては、国全体の看護婦の充足の問題、看護婦養成を考えるべきでありますし、私はそれが当然だと思う。でありますから、今日までの厚生省の考え方というものは間違いだと私は思う。いま、憲法の問題からという、憲法第八十九条でありましたかの問題をお出しになっているかと思うのです。私立学校等の補助に公金を出してはならぬということをさしているのだと思うのですけれども、しかし、私立学校法という法律が御承知のようにございます。私立学校法の第五十九条には明文がありまして、これは助成でありますが、「国又は地方公共団体は、教育の振興上必要があると認める場合には、私立学校教育の助成のため、文部省令又は当該地方公共団体の条例で定める手続に従って援助を申請した学校法人に対し、補助金を支出し、又は通常の条件よりも学校法人に有利な条件で、貸付金をし、その他の財産を譲渡し、若しくは貸し付けることができる。」こういう法律がちゃんとあるのです。厚生省は、私どもが一般の私立の社会事業団体や、あるいは私立のそういう施設に補助金等を出すことを言いますと、いつでも憲法八十九条ですかをたてにとってお言いになる。けれども、こんなものがそういうものに該当しないということは、ほんとうは、昭和二十一年の生活保護法制定のときの速記録をお読みになれば、そういうことになっておらぬのです。これはその後いいかげんなことにごまかしたのでありますけれども、私はそのときに、前の日赤のあれをやっており、いま社会福祉振興会ですか、葛西君とずいぶんここで議論をしてつくったのでありますけれども、そのときにはそういうことにはなっていなかったのです。その後ごまかしたのです。憲法の精神というものと、生活保護というものをつくるときの本来の考え方なんというものは——公の支配に属する、属しないということをずいぶんやりました。社会事業法等の問題でもずいぶんやりましたが、そのときにそういう解釈ではなかったのです。それをその後いいかげんにしていって、それをたてにとって、一番先にそういうものをぶち破らなければならぬ厚生省が、今日もただいまのような御答弁をしておるのは、はなはだ心外です。私立学校法には、その五十九条にちゃんとこういう明文があるのです。同じ日本の国の政府のやっておりますものが、一方では私立学校にちゃんと助成をしてよろしい、特別に安い金利その他の条件でやってよろしい、また国の公的な財産等を譲渡してよろしいというようなことがあるにかかわらず、本来の厚生省がそういう解釈を今日なおとっているということは、はなはだ心外であります。むしろ厚生省こそが、先に進んでこういうような問題をぶち破っていくべきものである。今日、私は、国の行政で非常に不審にたえないのは、営利事業には幾らでも公金を支立してよろしい、社会事業やそれに類するものには、私立のものには出してはならぬという考え方、そういう考え方があるというのは実に変だと思うのです。営利を目的としない社会福祉事業等には補助金を出してはならぬ、助成をしてはならぬ。けれども、営利事業には通産省をはじめとしてどんどん助成金を出すという形になっている。ことに看護婦の不足のようなこのときに、かつては、数年前までは静岡県あたりはちゃんと助成費を出しておった。それを出さなくなっちゃった。そして看護婦が不足をしている。それらの諸君から取り上げた税金では、国立、公立の施設に対する看護婦の充足だけはするけれども、その他にはしないというような考え方は根本的に間違っておると思うのです。その点いかがでありますか。この私立学校法五十九条と思い比べて、一体厚生省はどういうお考えを今後持っていくつもりであるか。これは根本的な大事な問題だと思いますが、いかがですか。
  29. 若松栄一

    ○若松政府委員 先生のお話の中にもございましたように、公の支配に属するという性格、組織が具備されればそれは可能なわけでございまして、そういう意味で学校法人等特殊な形のものについてそういう特別な規定はございますが、そのような条件の整わない場合にはいたし方がないというふうに申し上げたわけであります。
  30. 長谷川保

    長谷川(保)委員 公の支配に属するということの定義をずいぶん議論いたしました。そして、たとえば社会福祉事業などになりますと、理事の選任等についていろいろな制限がある。したがって、そこに公の支配があるのだという考え方が、私は今日は確立していると思うのです。理事の選任等について、いろいろな法律的な支配、制限があるわけです。あるいは解散命令等ができるわけです。でありますから、したがって、たとえば社会福祉法人が経営しております養成所というようなものに対しても、当然これに対して補助金を出していいじゃありませんか。あるいは医療法人だってそうです。医療法人だっていろいろな制限があるわけです。公の支配に属するじゃないか。そういう考え方で、医療法人が経営している養成所に対しても当然出していいじゃないか。公の支配に属するということは、何を一体意味するのかという議論をずいぶん今日までしたのでありますけれども、少なくとも私は、数年前にそういう考え方が確立していると思うのです。社会福祉法人なら、理事の選任その他についていろいろな制限がある。解散命令もあれば、いろいろある。医療法人だって同様である。でありますから、そういう解釈というのはすでに確立していると思うのです。にもかかわらず、今日厚生省が、看護婦不足を解消すべき絶好のチャンスにめぐり会いながら、それに対する対策が立たない。いたずらに国立、公立のものだけをやっておって、しかもそこでは、卒業生に向かって絶対に公立以外には出ていってくれるな、国立以外には出ていってくれるな、どこかに出ていくならば、この病院につとめないならば必ず国立のどこかに入ってくれ、こういうことを教務主任がはっきりと言っておるのである。こういう考え方ではだめだ。こういう考え方では日本の看護婦不足は解消しないぞ。看護婦に一例をとるわけでありますけれども、その他の技術者の問題でもほとんど同じようなものです。今日、衛生検査技師がどうにもならぬという状態になっている。こういう問題でも、こういう考え方をしておったのではこの問題の解決にはならぬぞ。だから、最初から申しますように、厚生省の技術者の養成という考え方が非常に狭い。国立のもの、公立のものだけをどうやらお茶を濁しておればいいという考え方。そうではなしに、日本全体の看護婦その他の技術者の責任を厚生省がお持ちにならなければならぬ。当然持つべきである。こういうような医師を養成する絶好のチャンス、技術者を養成するのに絶好のチャンス、いま衛生検査技師の問題を申し上げましたが、衛生検査技師の問題でもいま絶好のチャンスですよ。それだから、いまこそ一歩推進してこういう技術者の問題を解決し、保母の問題でも看護婦の問題でも解決して、至るところでいま困り抜いておりますそういうものに対して、厚生省は積極的にやるべきだ。当然、民間の看護婦養成所等につきましても助成金を出すべきである。公の支配に属しておるのであります。属していないなんというのは、かってな解釈をしておるのだ。どっちでも解釈できるものなら、いいほうに解釈していったらいいのだ。そういう積極的な前向きの姿勢をとるべきであると思うが、これに対して、まず民間の準看等の養成所に対して当然補助金を出すべきであると思うけれども、そういう意思は今後ないのかどうか。残念ながら今年の予算書にはそれが出ませんけれども、もう次の対策を立てるために当然こういう努力をしていくべきであり、あるいはまた、この予算がきまった後でもそういう策を立てて、この絶好のチャンスを握っていくということのためには予備金を支出してもいいのであります。今日、一般の病院でどんなに困っておるか。夜勤がなくてはならぬのでありますから、大体医療法自体から変えなければならぬと思う。今日の医療法の患者対看護婦の数ではだめだ。ことに高度化してまいりました病院等におきましてはだめなんです。御承知のように、どうしても三交代せざるを得ぬ。三交代せざるを得ぬとするならば、いまの制度で四対一とかあるいは五対一とかいうような数でもって、はたしてどれだけ手が回るのか。三交代でやらした場合、どれだけ手が回るのか。過労になってしまう。あまりの夜勤の多さ、一ヵ月のうちで八回ぐらいでとめたいと思っても、一般の病院はとまっておらぬ。ひどいのは一ヵ月のうちで十一回もする。国立でもそういうのがある。私は事実見てきておる。一人の娘に一ヵ月の間に十一日も夜勤をさせる。ひどいところは、もっとやらせております。一体どうしてこんなものに志望者が出てくるか。待遇もよくない。だから、何しろ看護婦の絶対数が足りない。医療法自体を変えていくようにして、過労におちいらぬようにやっていこうじゃないか。この絶好のチャンスを握らぬでどうする。国立や公立のものだけでなくて、民間にも当然助成をしていって、いまのような公の支配に属する、属しないというようなことで助成をしないというような消極的なことでなくて、文部省あたりではどんどんやっておる。どんどんやっておるのでありますから、当然厚生省あたり、そういうふうに踏み切っていくべきである。当然、公の支配に属すると解釈してやっていくべきである。そういう意思はこの際ないのか。私は厚生省の奮起をお願いいたしたいのでありますが、いかがでありましょうか。
  31. 若松栄一

    ○若松政府委員 公の支配に属するか、属しないかということは法律論でございますので、いまここでは私、差し控えたいと思いますが、社会福祉法人等は、法律の規定でもって公の支配に属することを明らかにしております。また、学校教育法の私学のほうでも、そういう特別の法律がございますのではっきりしておりますが、私どもの民間の看護婦養成施設については、そういう意味で社会福祉事業あるいは学校等というものと比較いたしましてもなかなか困難がございまして、これを公の支配に属するものと認定するというようなことがなかなか困難である。しかし、何とかして事実上援助ができないかということで、実は昨年来もいろいろな方法を、直接援助でなく間接的な援助の方法を検討してみたわけでございますけれども、遺憾ながら成功に至らなかったというわけでございまして、間接的な方法という問題につきましても、今後ともまだ検討してみたいと存じます。
  32. 長谷川保

    長谷川(保)委員 ぜひ積極的な態度をとっていただきたいと思うわけです。私は長年、看護婦の復職問題を厚生省とは論じ合っているのでありますけれども、今回の厚生白書を拝見いたしますと、厚生省としましても、順次看護婦の養成を学校教育法による学校にしていきたい、いわゆる衛生高校、看護高校と申しますか、看護婦高等学校と申しますか、そういうようなもの、あるいは短大、大学というようなものにしていきたいというようにお考えであることを拝見いたしまして、私の考えておることと順次一致してきておりまして非常にうれしく思うのであります。大体、日本の看護婦の養成機関が、養成所という行き方をしていることが大きな間違いだ。本来、学校教育というものを非常に尊重いたしまする日本人の特質から申しまして、やはり高校を出てくる、短大を出てくる、大学を出てくるという形になりますと、非常に多くの者が、親たちが娘を入学させようということになってくるのであります。ことに私は、看護婦問題を扱うときに結婚の問題を十分に考えてやらなければならぬ、いまの制度ではだめだと思うのです。高等学校を出てきてから三年間の養成をやる、あるいは准看の養成所を出てきてから三年間でありますか働いて、実習をしてそれから二年の進学コース、それを出てきたら年齢は幾つになるか、それを出てきてまた二、三年働いたらどうなるか、厚生省の今日の養成所方式というのはオールドミス養成所であります。そこに惨たんたる不幸が生まれてくる。でありますから、これが看護婦志望者が少なくなってくる一つの原因であります。これがたとえば二十四、五、二十五、六になりましても、短大を出ている、大学を出ているとなると、嫁に行きやすいし、もらいやすいが、看護婦の養成所だということになりますと、嫁にも行きにくいし、またもらいにくいのである。短大出、大学出ということであれば、そういう卒業者であるとするならばおのずから看護婦の地位も上がり、そして結婚の機会も多いのである。そこまで考えてやらないとオールドミス製造所になって、実に気の毒なことになってしまう。そういう例があまりに多いから、親たちも看護婦にはしないということになってしまうと思うのであります。私は厚生白書を拝見しながら、どうか厚生省はすみやかにそういう方針をとられるように、それを本気で推進してもらいたいというように思うのであります。  そこで、きょうは、文部省の方、おいででしょうか。——衛生高校をつくる、いまの中学を出た准看の養成所二年、これを看護婦高等学校あるいは衛生高等学校という形に変えていくについて——今日は、御承知のように高校進学率というものが非常に高くなってきておりまして、准看の養成所に来られまする娘たち、親たちと直接会って聞いてみますと、ほとんど全部が、高校へやりたいんだけれどもうちの経済が許ない、そこでやむなくここへ入ってくる、もし高等学校ということであれば喜んでやりたいがと言っている。したがって、そこにスカラシップの制度があり、あるいはまた、国からその学校に補助金が出てきておって、そうして高校に行けるということであれば、ぜひ衛生高校にやりたい。そうでないものはほとんどないのです。これは例外なしです。例外なしにそういうところへやりたい。高等学校へやりたいけれども金がないから、経済が許さないからやむなく准看の養成所にやるのだ、こう言っておるのであります。でありますから、准看養成所というものを衛生高校に変えるということは、看護婦として資質のいい、知識、人柄等高いレベルの子供たちを看護婦として養成していくという点から申しましても、あるいは今日の社会一般の教育水準の向上のレベルから申しましても、親たちや娘たちの希望から申しましても、あらゆる点で、これはやはり衛生高校に准看養成所を変えていくべきだ、こういうふうに私は思うのであります。  ところが、それをやってまいりまして一つの壁にぶつかるのであります。どこに壁があるかというと、学校教育法によって、高等学校をつくりますのにはまず敷地を六千坪必要とする、六千坪なければこれは許さないのであります。ところが、これは医師の教育でも同様であり、そこに大きな問題があるのでありますが、看護婦教育でも同様でありまして、実習というものに相当に重きを置かなければならぬ。そうなりますと、一学年をあまりに多い生徒にしたら実習ができないのであります。したがって、いまも衛生高校の定員としては、一クラス四十名をお考えになっている。それを大体のところではせいぜい二クラス、それ以上はできないのであります。それ以上やりましたら、大きな実習の問題で行き詰まっちゃう。今日衛生高校が全国に、幸いにして私の記憶するところでは十七できたかと思うのでありますけれども、これは一昨年神奈川の二俣川高校から始まって、たちまちのうちにできてきたのであります。これは社会の要求がいかにそこにあるかということを示しておりますが、たとえば私立、あるいは県立女子高校等に並立したところでは、実習の面で困っている。また、並立いたしました普通科の生徒との間にうまくいかないというような事情がいろいろある。何よりも実習で行き詰まっちゃっておる。病院関係で設立しておりますものは、その敷地、その施設に困って行き詰まっちゃっているのです。施設しようとしてもできない、こういう問題が一つの大きな壁になっております。  先ほど来お聞きのように、今日、もう日本の看護婦問題というのは重大な問題になっておるのであります。厚生省直営の小児病院でも、看護婦がないといって困っているということを、週刊朝日に書き立てられるというような事態でございます。しかもこれは日本だけではない、世界的な問題であります。でありますから、何としてでも、こういうチャンスをつかまえて前進をさせなければならぬのでありますが、いまの六千坪というような敷地、あるいは大きな運動場というものを必要とするところから、そこに一つの大きな壁にぶつかっておる。私は、せいぜい三学年としまして、一学年二クラスずつということにしてまいりましてどれだけの運動場が必要であるか、六千坪の敷地がなくちゃならぬのか、高校設置基準というものがそういうものを規定しているのだけれども、こういうような特別な技術者を養成する——これは看護婦だけではありません。将来衛生検査技師を養成するにしでもそうです。大きな病院に付属するようなものでないと、実習その他の問題でぶつかってしまうわけです。そうたくさんの人を教育できませんから、看護婦一般、ことに衛生高校のほうではそこにぶつかっているのです。私は、これは当然特例を出して、そういうものに限っては四十名ずつ三学年として、一学年二クラスずつ置いたとしても、全部で二百四十名です。二度に運動場を使うわけではありませんし、敷地その他の問題でも、そういうものに特例を見てもいいのではないか。もちろんいろいろないかがわしい准看の養成所もございます。そういうものについては、別途それはそれとして監督すべきであって、積極的に前向きに考えて、その敷地、施設等については特例を出していいのではないか。そうすればいまの准看養成所から、衛生高校に容易に転換ができる。もちろん学校教育上どうしてもこれだけはという基準は必要でありますけれども、こういうように考えるのでありますが、文部省当局はいかようにお考えになりますか。特例を当然出すべきだと思うが、いかがですか。
  33. 望月哲太郎

    ○望月説明員 ただいま長谷川先生のほうから御指摘のございましたように、高等学校設置基準におきまして、普通科、あるいは農業科、工業科、水産科、商業科、家庭科等につきましては、一応基本的な用地といたしまして、運動場として一万五千平方メートル、それから衛生看護学科に近い教育をすると思われます普通科であるとか、あるいは家庭科等につきましては、生徒一人当たりにつき七十平方メートルの用地を別途必要とするということにいたしておりますので、大体先生のおっしゃったように、六千坪程度が最低の数字ということになろうかと思います。そこで、衛生看護科につきましては、実は高等学校設置基準によりますと、ただいま申しました普通科、農業科、工業科、水産科、家庭科、商業科以外の学科を設置する高等学校等につきましては、公立高等学校につきましては都道府県の教育委員会、私立学校につきましては都道府県知事が、およそ先ほど申し上げましたような高等学校設置基準の定めておりますところの基準に準じて基準を定めるというふうな形になっておりますので、都道府県におきまして基準は別途つくり得るような形になっておりますが、実際問題といたしましては他の高等学校との均衡も考慮されますので、大体先ほど申し上げました他の学科につきまして、高等学校設置基準で定めております線と大体そう離れない線で一応の基準なりを定める指導が行なわれておると思います。ただ先生、先ほどおっしゃいましたように、いろいろ実情等も確かに十分考慮すべき点があろうかと思いますので、今後私どもといたしましても、衛生看護科につきましては十分実情等を調査いたしまして、その点につきましては慎重に検討さしていただきたいと思います。  なお、高等学校設置基準全般につきましては、これは高等学校の全般の問題でございますし、いま直ちに全面的に検討するというような段階まではまだ至っておりませんので、その点は御了承いただきたいと思います。
  34. 長谷川保

    長谷川(保)委員 これは一課長さんでは無理な私のほうの質問になってしまっておるわけでありますけれども、学校になればこれは文部省の所管になるわけでありますが、厚生省としては、当然そういう面を積極的に推進するために、文部省と積極的に交渉なさるべきである。そうして今日のこの絶好のチャンスを逃がさないように、そして看護婦というのは一度看護婦になってくれれば、相当期間働いてくれるのであります。アメリカのインフレ問題も日程にのぼってきましたから、自民党の政策によってはたしてうまくいくかどうか知りませんが、いずれにしても景気がある程度よくなって、また娘さんたちがそういう方面にいくにしても——資本主義社会である限りは、じきにまた波がくるわけでありまして、おそらく二、三年後にはそういうチャンスが回ってくるわけですから、積極的にいまからそういう対策を十分立てて、大体二、三年ごとにそういうチャンスをつかんで、看護婦の養成その他技術者の養成ができていくとすれば、問題は解決すると思うのです。ただ、そういう積極的な前向きの姿勢というのが、先ほど申しましたように残念ながら見られない、これは残念であります。いまお茶を濁しているというかっこうでありまして、当然文部省と交渉なさって、積極的にそういうような処置のできやすいようにやってもらわなければならぬと思うのであります。  そこで、厚生省としては、いま申しましたこの准看の養成所を高等学校に、あるいはいまの高看の養成所を短大なり大学にというように持っていく努力を当然なすべきであると思うし、厚生白書には一応そういうような意図がくみ取れるのでありますが、それに対する積極的な態度というものがあるのかないのか、ひとつお心がまえを聞いておきたい。
  35. 若松栄一

    ○若松政府委員 看護婦養成の問題につきまして、現在の特殊なベビーブームということばは悪いかもしれませんが、そういう時点を活用して最大の努力をしろというお話でございますが、私どももそのような観点から実はこの二、三年このチャンスを最大限度に活用しようという努力をいたしておるわけであります。そういう意味で、先ほども数字で申し上げましたけれども、看護婦、准看護婦合わせまして、三十五、六年ごろに比べまして約五割増しの人員が現在入所あるいは入学する段階になっております。また衛生高校についても、先生の御趣旨のように、いわゆる昔の徒弟制度的な養成所というような形よりは、学校教育というものによる正規の教育課程で看護婦を養成すべきであるという考えを持っておりまして、幸い職業高校の中の衛生看護学科は非常は伸びております。先ほど先生十七校とおっしゃいましたが、私の記憶では十八校になっております。それに本年度、これは文部省の関係でありますが、三十八校が新たに設置されるので、おそらく来年度においてもさらに増加することになろうかと思っております。そういう意味でも、私ども学校のことでございますので、直接的ではありませんが、都道府県の衛生部を通じてともかく県内の高校に衛生学科を大いに増設するように働きかけ、協力していくように指示し、また県のほうでも最近は非常に活発にそういう前向きの形を示しておるということを非常に喜んでおります。
  36. 長谷川保

    長谷川(保)委員 先ほど来申しておりますように、ひとつ文部省のほうに特別の御配慮をいただかなければならぬと思うのでありますが、ひとつお帰りになって局長、次官等にも特別な御尽力をお願いしたいと思います。  いま申しましたように、普通高校に併設しましたものは実習場に困ってしまう。また実際に病院の忙しい中に生徒が入ってきてそれを一々、ただでさえ足りない看護婦、婦長等がそれぞれまた教育に当たらなければならないということはたいへんなことです。医者にしてもやっかいなことです。でありますから、普通高校につくるときには、一番それで全国的に困ってしまっております。病院関係に併設したものでは、敷地その他で困ってしまいます。普通高校に併設すればそういう施設関係はきわめて簡単です。何でもありません。けれども肝心の実習場に困っておる。ことにいま言ったように、一度にたくさんの人を養成できない。二つか三つの大きな病院が協力して実習場を提供してもせいぜい一学年で養成し得るのは八十名くらいなものだと実際思っております。それ以上やったら、ろくな看護婦の実習にはならないというように考えております。ですから、その特殊性というものをお考えになっていただきたい。実際やってみまして普通高校に併設すれば実習場に困ってしまいますし、病院関係にやれば施設に困ってしまいます。病院関係でやった場合には先生に困るという人がありますが、先生には困りません。いまの時代でありますから幾らでもあります。けれども施設に困ってしまいます。六千坪という土地は町の中ではなかなか容易にあるものではありませんし、またこれを買い入れるとなったらたいへんな金が必要なんです。これはもう容易なことではありません。でありますから、文部省でもこういう実情というものをお考えになって、特別な御配慮をお願いしたい。また、それからぜひ厚生省は口で言うだけではなしに、積極的な態度でやっていただきたい。看護婦がふえましても、なるほど生徒の数はいまふえておりますけれども、同時に病院施設も相当ふえておりますから、この五、六年の間の病院の施設の拡充というものはたいへんなことです。ですから看護婦だけが、生徒だけがふえたからといって安心できるものではありません。ぜひこの点は特別に考えていただきたいと思います。文部省の方ありがとうございました。  ついででありますから看護婦制度の問題に入りたいと思いますが、今日の准看、看護婦という、こういう制度を一体このままやっていくつもりなのかどうか。御承知のように、以前は看護婦の数が多くて、准看の卒業生が少なかったために、だいぶん差別をそのまま置くような考え方が強くあったようでありますが、最近の日本看護協会等の動きを見ましても、順次准看卒業生がふえてまいりまして、そして看護婦を突き上げてまいりました。この差別をなくそうじゃないかという動きが出てきているように拝見をしております。また病院におきましても実際は同じことをやっているのです。これは昨年の暮れに出ました日本看護協会のほうのニュースを見ましても、座談会でやはり言っております。看護婦の教務主任などをしている人たちが同じ仕事をしているのだということを言っております。なるほど法律では看護婦の指揮の下に准看は働くようになっておりますけれども、これはずっと以前に私は医務局長にも聞いたと思うのでありますが、国立等におきましても、もう看護婦がそこにおればその看護婦の指揮に従うが、看護婦がおらなければ准看は独立に仕事をしていいというような考え方で実際はやっているというふうに伺っているのですが、この差別というものをいつまで残しておくのか。またこれに対してはどういうように本省としては考えているのか。どうも見ておりますと、看護婦団体等から突き上げられて厚生省はと見こう見しておる。さっぱり腹がきまらぬというようにも私どもに感ぜられるのでありますが、むしろ厚生省実情を調査をして前向きの姿勢でこれらに対しては策をきめるべきであるというように思うのであります。例の進学課程へいく希望者がわりあい多いのでありますけれども、これはやはり給与の問題とそれから病院内におきます地位の問題等があって、いきたいという人が多いのでありますけれども、私は本来この道はあるべきではないというように考えます。せっかく准看をつくり、看護婦をつくっても、准看がそこで二年遊びまして、そしてするわけでありまして、この看護婦不足のときにそういうようなことをさせるべきでないように思うのでありますが、これについて厚生省は一体どういうお考えなのか。
  37. 若松栄一

    ○若松政府委員 看護婦に二種類あることが適当であるかどうかという問題にもからんでまいりますけれども、現在の看護婦の勤務の形態におきましても、いわゆるチームナーシングというような形をとりまして、比較的高度の知識、技能を備えた看護婦のリーダー、それから一般的な看護能力を持つ看護婦、さらに看護婦の資格がなくても雑用的な仕事を担当する看護助手というようなものを組み合わせまして、効率的に人間の能力を使っていくという考え方を持っておりますので、やはり高級な看護婦と一般看護婦というようなものがあってしかるべきではないかという考えを持っております。また現実の問題といたしましても、現在看護婦の新規の入学者六千名程度につきまして准看護婦の入学者が二万三千名程度もあるというような実情からいたしましても、急激にこれを変えるということは需給関係にきわめて大きな変革をいたしますので、そういう面からもこの制度の急激な変革ということは避けるべきものでないかと思っております。准看護婦という名前がいいか悪いかは別といたしまして、現実に中学卒で看護婦の比較的短期間の教育課程によって看護婦になるという道を残しておくことが、現在の段階ではきわめて切実な要求であると私どもは理解いたしております。
  38. 長谷川保

    長谷川(保)委員 准看だけではなしに副看護婦だとかなんとかいろいろなものがたくさん出てまいりました。私は現実に、実は韓国からのキリスト教の看護婦を呼んでみて、そしてあわせて韓国の保健社会部に私の知り合いが看護婦関係の責任を持っている人がありましたので、手紙を出して、韓国の看護婦制度の実際を調べてみました。そうすると、四年制の看護婦の大学がある、それから三年制の日本と同じような高石の養成所あるいは短大がある。日本の看護婦の養成所と比すべき短大のようなものがある。それからその下に日本でいう看護高等学校、衛生高等学校がある。この三つの制度があるのですね。そしてそれを卒業した人は同じ看護婦の国家試験を受ける。それにパスした人は全部看護婦という同じ名前である。それで私のいま言いました十八名のキリスト教の看護婦の働きを見ておりますと、実にりっぱです。技術的にも人間的にも実にりっぱであって、日本の高石出の看護婦にまさっても劣らない。技術的にも実によくやっている。私は向こうのほうが合理的だと思うのですよ。同じ国家試験を受ければ同じ看護婦という資格を与えるという考え方が進んでいると思うのですよ。准看護婦という階級を置いて、そして病院の中で階級闘争が始まるというようなことでは困るのである、うまくいかないというのは困る。でありますから、いまの制度を直ちに廃止しろとは私は言いませんけれども、先ほど来申しておりますように、入学の志望者の親たち娘さんたちの意見を聞くと、全部高等学校へいきたい、ただ経済上の事情、日本の貧困のためにいけない。でありますから、この子たちに奨学金制度を全部つけてやる、高等学校へいきなさい、喜んでいきます。この准看養成所を卒業して准看になりました者が、たとえば私の経営しております施設等を見ますと、ほとんど全部が、例外なしにまた定時制にいきます。卒業後、勤務しながら定時制にいくのであります。二年の准看養成所を出て、そうして定時制でまた四年、六年間そこでやる。実に一日の勤務を終えて夜まで勉強している。そういう形になって、それがほとんど例外なしです。私はやむを得ませんから、娘さんたちのことですから間違いがあっては困りますから、スクールバスをわざわざつくって出してやっておりますけれども、これはたいへんなことです。むしろそうしないで十分に奨学金制度さえ出してやれば、つまり経済問題であります。彼らの家庭の経済問題でありますから、その問題を解決してやれば、そういうようなむだなことをしなくても、三年間でもって看護婦になれるということになり、いまのように定時制に行く、そうしてそれを出るとまた進学課程に二年行く、看護婦になりました、それではオールドミス養成所になるのはあたりまえのことであります。でありますから、そういうようなむざんなことをさせないで、奨学金制度をちゃんと十分つけてやれば、これはできるのです。でありますから、先ほど来申しておりますように、私は、民間のものに対しても奨学金制度を十分つくり、また学校に対しても補助金を出してやれ、そうすればこの問題は解決するじゃないか、このとき、このチャンスを逃がしてはだめだということを口をすくして言っているのであります。でありますから、実際にその制度で、私のところへは韓国の四年制の大学を出た看護婦も来ておれば、それから大部分はいまの高等学校出の看護婦であります。見ておってりっぱであって、ちっとも間違っておらぬ。彼らは一つの看護婦の資格で、日本だってたとえば普通の事務員を見ましても、大学出の事務員、専門学校出の事務員、高等学校出の事務員、何も別に階級があるわけじゃないのです。それぞれ能力に応じてそれぞれの地位が与えられ、そうして仲よくやっているのです。むしろ今日は、准看というものと看護婦という制度がありますために、それが病院の中の争いの原因になっているという形なのです。でありますから、いまの制度を直ちになくせよとは私は申しませんけれども、その高等学校をつくって、むしろそれに奨学金あるいは補助金等を与えて、それを主体にして日本の看護婦制度をもう一度立て直すべきではないかというように思うのです。厚生省はこの看護婦、准看の制度をそのまま続けていくつもりなのか。それに新しい、いまのような看護高校の非常な勢いでふえてまいりまする趨勢の中に、国民の希望、国民の動向というものを読み取って、積極的にそういうような対策を立てて、むしろ衛生高校出身の看護婦をもって日本の看護婦の主体をつくっていくという政策を立てるべきではないか。そうして准看というようなものでなしに、一歩進んでおります韓国の看護婦制度のように、同じ試験をして同じ看護婦——おのずから大学を出てきた者が教育的な指導的な立場に立つ。高校の者はその下にあってチームナーシングをやっていくというようなことになるかもしれませんが、同時に、高校を出た看護婦と大学を出た看護婦と、人物において、必ずしも高校を出た看護婦のほうが、こういう人間を扱う仕事においてはたしてどちらか能力があるかということは一がいにはいえない。機械を扱う仕事ではない、人間を扱う仕事でありますから、はたしてどちらがそういう能力があるかということにつきましては、必ずしも大学を出た者だけが能力があるとはいえない。おのおのの能力に従って、おのずからそういう秩序、体制ができていくというのが望ましいのであります。したがって、私はむしろ韓国のその制度にならうべきであるというように思うのだが、厚生省の考えとしては今後の政策をどう持っていくのか。直ちにいまの制度をつぶせというのではありません。つぶせというのではなくて、今後の看護婦の供給の主体性というものを高校に置くべきだ、私はこう思うのでありますが、それらについてどう考えられますか。
  39. 若松栄一

    ○若松政府委員 お話のように、私どもも看護婦の養成というものを、学校教育の中でやっていくということが最も適当であると思いますので、将来とも看護高校、衛生高校の拡充、充実をはかりまして、将来はそういういわゆる養成所課程的な考え方を脱却して、まともな教育というものを通じてやっていくという考え方を推進してまいりたいと思います。
  40. 長谷川保

    長谷川(保)委員 この際私は、看護婦制度の問題で、保健婦助産婦看護婦法の問題もちょっと触れておきたいと思うのです。保健婦、助産婦、看護婦、いわゆる保助看法というものを見て、これは看護婦だけに重荷を負わせているざる法である、ある意味では悪法だというようにも私は思うのです。それは御承知のように、保助看法の二十九条、三十条、三十一条と、いわゆる業務禁止の条文がございます。三十一条であれば「看護婦でなければ、第五条に規定する業をしてはならない。」第五条は申すまでもなく、「この法律において、「看護婦」とは、厚生大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助をなすことを業とする女子をいう。」こういうのであります。看護婦でなければこれはできない。ところが、「但し、医師法又は歯科医師法の規定に基いてなす場合は、この限りでない。」ということになっておりまして、医師法のほうは、「医師でなければ、医業をなしてはならない。」これにひっかかってくるわけであります。結局いかにも看護婦でなければこれらの業務をなしてはならぬ、これを業としてはならぬというようにあるのでありますが、事実は、たとえば一般開業医の小さい診療所へ参りますと、奥さんかあるいはお手伝いさんがお医者さんの指示に従って、ここに書いてありますような仕事を実際には全部しておる。そして給料をもらっている。あるいは派出婦なるものがあって、そして実際においてはこういうことを業務としておるということになっております。この保助看法を見ていくと、看護婦は医師の指示がなければ医療機械も使うことができない。実際においては医師法を厳格にやってまいりますと、いまの実態とはおおよそ離れたものであって、そして看護婦がたとえば静脈注射をやる。そしてその結果がショック死ならショック死が起こったということになるとたいへんなことになって、看護婦が罰せられるという実態になっている。この法律を見ると、いかにも実態と違っておって、しかもむしろ何かがあれば看護婦が罰せられるだけであって、そして実際は業務禁止の規定がありましても、全くそんなものは実態と遠い。こういうことであっていいのかどうか。この保助看法というものをもっと実態と合うように変える必要がありはせぬか。また静注を一々法律どおり、法令、規則どおり医者がやらなければならぬということもないであろう。むしろ熟練した看護婦のほうが、へたくそな医者よりもじょうずな場合が実際にはずいずんある。だから、この保助看法をもっと変える必要がありはせぬか。もっと看護婦本位のものに変えていく必要があるのではないかということをしみじみと思うのです。何だか看護婦に重荷だけ負わして、実際はざる法である。いわば表でおだてておって、実際はもう問題にならぬ。何でもだれでもできるのだというような実態になっておるというように思うのであるが、これらについて、当局はどういうふうにお考えですか。
  41. 若松栄一

    ○若松政府委員 医療というものが非常に複雑多岐にわたってまいりまして、昔は医師自体がすべての医療行為を一人で全部やるというようなことがあったかと存じますが、近年におきましては、各種の複雑な医療機械等が出てまいりますし、また、いろいろな検査あるいはいろいろな医療行為それ自体が非常に複雑になってまいりました。したがって、昔医師みずからがやっておりました、たとえば放射線の扱いにしても、放射線技師というものが生まれてそれを専任するようになり、また衛生検査技師が生まれまして、医師自体がやっておりました検査業務を分担するようになってまいっております。そういう意味で、医師の行なう診療業務の中でも、ただいま御例示になりましたように、皮下注射あるいは簡単な静脈注射というようなものにつきましては、医師の指示のもとに看護婦が行ない得る業務とするということが実情に合ったことであろうと思います。そういう意味で、この保助看法におきます診療介助というものを、どこまでの範囲を認めるかということが現実の解決の方策であろうと思います。これを、レントゲン技師が身体に対し放射線を扱うことができるというような形で、看護婦が静脈注射をすることができるとか、あるいはラジウムの装着が云々というような、一々具体的な事項を規定することはきわめて困難であり、かえって複雑になり、まぎれが多くなると思いますけれども、現実に診療の介助という内容をどう判定するか、どこまで拡大すべきかということについては、先生のおっしゃるような方向で私どもも現在考えておるわけでございます。
  42. 長谷川保

    長谷川(保)委員 いつかよく記憶しておりませんが、新潟かどこかで看護婦が静注をやってショック死かなにかが起きた。結局、看護婦の責任だということで、検事局に引っぱられたというようなことがありましてから、私の病院でも、看護婦は静注は一切やらないというふうに看護婦が主張いたしまして、やらなくなっております。実際においてそれはずいぶん危険を伴うことでありますから、医師が十分な注意をしなければなりませんけれども、同時にまた、看護婦のなし得る業務範囲というものを相当程度広めていかないと、せっかく三年も四年も勉強してきて、実際においては、法律的にいえば全く医師の付属機関であるというような形になっておる。そうじゃないといいますけれども、実際はそうだ。そういうようなことになっているという現状、いまのような事件が起こっても、もう自分たちに責任があるのはごめんだということになりますと、そうならざるを得ないということになってくるのでありまして、そういうようなことが実際に行なわれておる。やかましく、強くやっていけば、看護婦のやる範囲というものはほとんどもう小さくなって、医師の指示に従ってのほか何もできないという形になっていくのでありまして、これは全国の看護婦のためにも、もっと明確なものをつくっていく必要がある。韓国の看護婦なら看護婦に聞いてみますと、韓国では相当範囲内の、たとえば、病院に入院しております者に対する薬の投与等についても、ある制限されたものについては看護婦がやれるようになっているそうです。したがって、技術的にも看護婦というものは非常に尊敬されているという形になっているそうです。いまのような、場合によっては派出婦でも何でもやっているようなことだけやっているということでは、これはおのずから看護婦の地位というものは高まらないという形にもなってまいりまして、せっかくの長い間の勉強をしてきておるのでありますから、私はこれに対して、実際的に現実において相当な権限を与えるという道をとらなければいけないと思うのです。そうしないと、何も三年も四年も大学に行って勉強してくるなんということをしたって、結局何だということになってしまいますから、そこらの点、今後ひとつ十分考えていただいて、いまの看護婦制度、養成制度とともに、あるいは准看護婦の制度とともに、こういうよきチャンスでありますから、勇気を持って積極的に、厚生省は前向きで制度を進歩さしてもらいたい、発展さしてもらいたい。そうして、魅力ある職場として、せっかくのこのチャンスに、多くの看護婦志願者が出てくるように、この機をはずさずにひとつ考えてもらいたい、こういうように思うのです。  だいぶおそくなりましたから、残余の質問をするのをちゅうちょするのでありますけれども、簡単にもう一つ、今日医師、看護婦等に非常に困っております結核療養所の問題について、厚生省の結核に対する心がまえをひとつ聞いてみたいと思うのであります。  御承知のように、結核は明治三十三年の死因統計以来長い間、まず第一には、最初の二十年間は死因の第二位を占めておりました。次の二十年間は第三位を占め、その次に続きます十五年間は死因の第一位を占めました。最近、公私各方面の非常な努力によって、また文明国家の一つの趨勢といたしまして、ようやく老人病的な傾向が出てきた。死因といたしましては、この四十年の死因統計では第七位になってきておるということで、結核に対する力の入れ方というものが、またその重要性の認識というものが順次弱まってきているように感ずるのであります。しかし、今日死因統計の内部にまで立ち入って調べてみますならば、厚生白書にも書いてありますように、二十五歳ないし四十九歳については、なお死因の順位の二、三位を占めているというように記録されておるのであり、また死因統計の内部をいろいろ詳細に分析してみますと、たとえば、三十八年の統計でありますけれども、三十歳から三十九歳までの年齢におきましては、不慮の事故、悪性新生物に次いで第三位であります。また四十歳から四十四歳までの間におきましては死因の第四位であります。少し飛んで五十五歳から五十九歳までも第四位、四十五歳から四十九歳まで及び五十歳から五十四歳までは第五位であります。  こう見てまいりますと、実に三十歳から五十九歳までの、いわゆる働き盛りの日本人の間におきましては依然として非常な猛威をふるっているのでありまして、したがいまして、今日結核に対する重要性の認識というものに絶対に欠けるところがあってはならぬ。もしこれを手をゆるめますならば、これはたいへんなことになる。すでに、二年くらい前でありましたか、世界のあの機構におきましても、結核に休戦なしということばを宣言されておりまして、そうしてアメリカあたりの最近の実情を仄聞するのに、やはりまた盛り返してくる可能性が見えてきておるというように聞いておるのであります。私は先年ハワイに参りまして州立の公衆衛生関係のをいろいろ見てまいりました。そのときに非常に感心しましたのは、ツベルクリン反応が陽性に転じた者が一人でもありますと、その周辺に対して、厳重な結核の検査をいたしまして、そうして、だれかが結核菌を持っているに違いないというその原因を突きとめるために非常な努力をしておるのであります。今日アメリカにおいてなおかくのごとくであります。われわれもまたこれに対して少しも手をゆるめてはならぬと思うのでありますが、これらに対しまする厚生省の認識及び対策等につきまして大綱を承りたいと思うのであります。
  43. 中原龍之助

    ○中原政府委員 結核につきましてはただいま先生から御指摘がありましたとおり、死因の順位から見ますと確かに壮年以後の層につきましては三位、四位、五位を占めております。しかし、全体として見ますと、結核につきましては数そのものにつきましては、実態調査等によりましても、二十八年、三十三年、三十八年と見ますと、患者数は減少をたどってきております。しかし、先ほども申し上げましたとおり、なお壮年層以上において死亡もまた上位を占めている、それからまた、なお油断をすればもちろんいつ繰り返すとも限らないということでございますので、この際われわれといたしましてはなお一そう手をゆるめることなく、むしろ追い打ちをかけて強化していくという考え方で現在は進んできております。したがいまして、予算的に見ましても健康診断、それから予防接種、それから適正医療の普及というものをなお一そう強化しておりますし、また感染性のものにつきましては命令入所というものにつきましても従来とも変わらず一生懸命にやるつもりでやっております。
  44. 長谷川保

    長谷川(保)委員 だいぶ時間も過ぎましたから、詳しいことは次の機会に伺いますけれども、今日結核療養所に医師がないという最も大きな原因は——原因はいろいろありますけれども、最も大きな原因は、私は、結核というものがすでに医学的に見て研究し尽くされてしまって、研究的な立場から見ると全く興味がなくなってしまっているというところに大きな問題が出てきておると思う。したがって、若い医者はもう結核なんというものは見向きもしないということで、先ほど来申し上げましたような国立療養所でも医師が全くない、はなはだしいのは二百二十人の国立療養所に対して医師は院長一人で見ておるというようなひどいことになってきておる。民間の療養所のごときは実にあわれをとどめているというのが大部分であると見て私は差しつかえないと思うのであります。これらに対して厚生省の心がまえというものがやはり足りない、いまの結核の重要性の認識とそしてまたそれらに対する努力というものが足りないから、いよいよそれがそうなってくるというように思うのです。  私も長い間結核問題に関係してきたのでありますけれども、いまから四十年前、三十五年前あたりの結核というものはたいへんなことでありました。その間、国立療養所に先立って、民間の多くの人々がこの結核の悲惨さに目をつけてボランティアとしていろいろな施設をつくっていろいろな活動をしたのでありますけれども、そのころ民間の施設などは、たとえば私の知っている施設などでも、千葉県あたりあるいは神奈川県の小田原あたりでつくろうとしました施設が、周囲の迫害のためにどうしてもできない、遂には火をつけられて焼かれてしまったというような非常な迫害を受けてきたのであります。私自身が経営しておる施設でも、実に三回にわたって迫害のためにところを追われて、患者を連れて病院を引っ越しせざるを得なかったというように、惨たんたる経過をたどっておるのであります。そしてその間、もちろん十分な社会保障もありませんから、今日のような保険も何もございませんでしたから、首をくくる以外に道はないという貧しい結核患者をかかえてどんなに苦労してきたかということを、過去を振り返って思うのであります。今日それらの非常な努力をしてきました民間の結核療養所の諸君が、いまやその建物、設備等も全く古び、また入院患者等も順次激減をしてまいり、そして国立療養所自体もかくのごとくでありますから、医師を得るにも職員を得るにもきわめて困難をしておるということを思うのです。私は、もう時間がありませんから詳しくはまた次の機会に譲りますけれども、少なくとも厚生省はこういう方面に対して一段の努力をしてやる必要がある、またその責任がある。先日もある民間の結核療養所の人が来て、もう建物が腐って床が抜けるようになってきているんだ、何とかして建て直したいのだがその方法がないのだ、先生何か方法がありませんかといって、この間訴えてきた。私も長年よく知っている人で、また非常に奮闘してきた人でありますから、実に同情を禁じ得ないものがあったのでありますけれども、今日結核の重要性というものを考えると、いまなおその重要性というものは決してなくなってはおらないのだ。いま申しましたような働き盛りの者たちがその死因の二位、三位、四位というところにことごとくはまっているのだというこの重要な段階、決して今日結核は山を越えたなんていうことを簡単に考えるべきときではないということを考えるならば、これらの長い間奮闘してまいりました、そして日本の結核をともかくも死因の第一位から第七位までに押し下げるのに非常な奮闘をしました民間の療養所というものに対しまして、まず厚生省は目をあけてこれらの者に対する助けというものをやはりなすべきではないか。国立療養所の充実とともに、もう一度この民間の療養所に対して何らかの活力を与え、まだ決してなくなっておりません結核対策の使命というものを果たさせるのにふさわしい援助の道を考えてやるべきではないかということを思うのであります。具体的に申しますならば、これは訴えてきた民間の療養所の経営者のお医者さんもこう言うのです。もしその一部を一般病院に改築する資金その他の援助ができ、そうして医師たちの興味のある仕事がそこでできる、修練ができる、研修ができるというような道ができて、そして一方なお、すでに腐朽している結核療養所等の改築ができて、魅力ある職場になるならば、結核の問題をしながら——たいがい結核療養所というものは比較的都市の中心ではなくて郊外の近いところにございますから、そういう地方の医療機関の欠けているところも補いながら、両方できるのであるが、遺憾ながらそういう資金を得る場所がない、道がない、こういうように言って訴えておられたのであります。それらについて厚生当局としては、いまの結核のなお変わらざる重要性というものと考え合わせて、長い間日本の結核行政のために非常な苦闘をしてまいりましたそれらの人々の功績にも報いるという立場から、またその地方の医療施設の足らないところを引き続き新しい使命をもって満たしながら、双方を生かしていくというような道で、それらの古い結核療養所に対して特別な融資をしてやる、あるいは特別な資金の助成をしてやるというような道が考えられて当然だと思うが、これらについて厚生省当局はどうお考えになるか伺っておきたいのであります。
  45. 若松栄一

    ○若松政府委員 ただいまるるお話がありましたように、結核は今日決して手をゆるめる時期でないことは申すまでもありませんけれども、現実に入院患者が非常な勢いで減っておるということもまた事実でございまして、そのために、三十三年をピークにいたしました二十六万床が現在約二十二万床程度にまで減少いたしております。しかもなお、二十二万床のベッドの二割程度が空床であるという状態でございますので、それらの点も考慮いたしまして、新たなる増設、新設というようなことは控えておりますけれども、改築という問題については、これは必要に応じて資金を供給いたしております。また、一般の民間の医療施設でございますと、当然これは経営の面がございますので、どこまでも結核ベッドだけに固執するというわけにはまいりません。必要に応じてはやはり一般ベッドに転換していくということも必要なことであろうと思います。しかし、そういうような状態におきましても、国立の療養所というものは結核対策の最終責任を負うという形で、採算ということを度外視しても、できるだけそういう民間の施設が転換していくことを容易にし、安心してやっていける、そして国立療養所がその穴埋めを最後までやっていくという立場で実施してまいっております。そういう意味で、一般の民間の療養所等が、一部あるいは全部一般病院等に転換あるいは増改築いたす場合におきまして、特別な助成はいたしておりませんけれども、金融公庫の資金をもってこれを援助いたしているわけでございまして、四十年までに新築資金の二百十六億、増改築の資金三百三十一億が支出され、来年度はさらにその原資の拡大をはかっておるわけでございます。
  46. 長谷川保

    長谷川(保)委員 これで終わりますけれども、実際は結核療養所というものになりますと、たとえば銀行も金を貸さない、生命保険会社も金を貸さない。医療金融公庫も二の足を踏むということで、いわばこれらのものが野たれ死にというような形になっているというのが現状であります。でありますから、国立がいまのように大きな金を次次に入れて転換をはかっている。それならば、国立よりも先んじて非常な奮闘をしてきてくれた長い間の功績を持っております民間の結核療養所に対しまして、本省としましては、その功績に報いるためにも、またいま申しましたような現状認識からいたしましても、もしそういう認識があるならば、当然これらの結核療養所に対する一部転換の資金というものを、医療金融公庫等の中に特別のワクを設くべきだ。それしか道はないのです。また、医療金融公庫等が融資をするにいたしましても、自己負担分があるのでありますが、その自己負担分が、いまの結核療養所を専門に経営しているような方たちにはその余裕がありません。いま結核療養所を経営しておりまして、そして剰余金が出るなんというものでは絶対にありません。自己負担ができない。でありますから、結核の現状というものがいまなお非常な重要性を持っておるものであり、そして長い間それに奮闘してこられましたベテランの諸君を生かして使うべきである。しかし、もはや施設、建物、設備等古びて、そこに融資の道はない。生命保険会社へ行ってごらんなさい。どこだって一つも融資しません。結核療養所であれば融資しません。銀行も融資しません。そういう現実というものをごらんになって、まともに正視なさって、そして一部を一般病院等に転換し、あるいはその結核療養所を建てかえて新しい設備等を入れる融資というものを、特別なワクをつくり、またこれらの人々実情を考えて、一部自己負担というようなものがなくても融資できていけるような特別な処置をしてやるべきである。それが今日までの大きな功績を残したものに対する厚生省としての当然の任務であり責務であると思う。これは次官に特に伺いたいのでありますが、そういう特別なワクを医療金融公庫等に当然つくるべきであると思うが、そういうような御努力をひとつ省内で御相談願うことができるかどうか承って、私の質問を終わりたいと思います。
  47. 佐々木義武

    ○佐々木(義)政府委員 医療金融公庫の中に特殊なそういうワクをつくるというほうがよろしいか、あるいは実情に応じて、どのくらいの額になるかあらかじめ見当つかぬと思いますので、ケースバイケースで優先的に問題を処理するというほうがよいか、いろいろ考え方もあろうと思いますので、よく研究してみたいと思います。
  48. 長谷川保

    長谷川(保)委員 残余は留保して……。
  49. 田中正巳

    田中委員長 次会は来たる十五日午前十時より開会することとし、これにて散会いたします。    午後零時二十六分散会