○
帆足委員 先ほど同僚議員からるる
意見の開陳がありまして、私も全く同感でありますが、私ども
東京都出身の議員がこの案の概略を知りましてわずか二週間しかたっておりません。まさに晴天のへきれきとはこのことでありまして、審議いたそうにも十分な資料を持っておりませんために審議もはかどっておりません。このような次第でありますから、率直に
大臣にお目にかかりまして、また地元の良識ある代表の力の
意見も徴して一緒に参上いたしまして、
大臣には御多忙中にもか
かわらず、ただいまお述べになったような大所高所の御趣意から私どもに快く面会してくださいまして、心から感謝いたす次第でございます。また、ただいま
田村委員長が御用があって退席なさいましたが、十分ゆっくり審議しなさいという好意あるおことばをいただきまして、またこうして
委員長代理にも御苦労をかけておりますが、本建設
委員会におきまして与党野党を問わず、
委員各位が私どものためにこのような十分な機会をお与えくださいましたことを心から感謝いたす次第でござます。
実は、
東京都の
議長といたしましては、現在制度上の欠陥がありますのか、たとえば私は外務
委員、尊敬すべき長谷川同僚議員は文教
委員、御高名な評論家の
神近議員は法務
委員、重盛議員は地方行政、
中村高一議員は内閣というふうに分散しておりまして、しからばそれでも私どもの勢力の三割くらいは
建設大臣を助けて首都圏整備のために御協力しなければなりませんのに、ふしぎなことにこういう機会がありませんで、ほとんどつんぼさじきのような状況に置かれておりまして、先ほど与党の議員の方から、君たちも
東京都について、少し熱意が足らないのじゃないかというおしかりのことばを受けましたが、それも半面の真理でありまして、実は私ども、隅田川があのように濁ってふん尿が流れようとも、また夢の島からハエのじゅうたん爆撃を受けようと、玉川上水の桜並木がいつの間にか切られておろうと、あるいはお茶の水川の堀の将来がどうなろうと、ほとんどそれに発言の機会もなく、見通しすら知らないという状況でありました。これはいわゆる国会内の問題であり、また議院
運営委員会等で御相談願いたいのですが、できるならば特別
委員といたしまして随時
東京都出身の国
会議員は必要に応じて
出席いたして、資料もちょうだいし、
意見も限られた時間に述べ得るような機会を与えられる何か考慮が必要ではないかと痛感いたしておる次第でございます。
さて、今日の
東京は御承知のごとく住宅難、教育難、交通地獄、また人心の退廃、すべてこれ原因をただせば同根、四者一体でありまして、まことに皆さんとともに深憂にたえないのでございます。建設
委員の皆さまが現在
土地収用法の重要な法案の審議の途中において、特にこのような時間をお与えくださいましたのも、皆さまのふるさとのほかに、第二のふるさと首都
東京のことをお思いくださる御理解と御友情のたまものと感謝にたえぬ次第でございます。私は最初に一言思いを申し述べまして、逐次具体的に御質問申し上げたいと思うのでございます。
思えば、だれしも思うことですけれども、戦いに敗れまして、国民の大多数が、
東京都民の大多数が郊外に、また遠くに疎開いたしました、また爆撃によって大半が灰じんに帰しました、あの終戦の直後に、一人の後藤新平伯のような人が知事に選ばれて、
政府と協力してしっかりした
都市計画を立てて、われわれ年とともにこれを理解し協力したならば、いまごろは
東京の町はいにしえの奈良の都のように一条通り、二条通りと、町全体が原宿駅前の参宮通りのようになったであろうものを、いまとしてほんとうに返す返すも残念でございます。これは
大臣指摘されましたように、われわれ市民にも罪があるのでございまして、私ども自身が
都市計画、首都の
計画というものについて十分な理解がなく、自分の生活のことばかりに追われて首都を顧みる、または大にしては祖国を顧みるいとまもなかった。しかし認識が足りなかったのはわれわれ国民だけではなくて、
政府もまた認識がなかった。一体二十年何をなされておったか。たとえば夢の島といえば私はやはり昔の大森海岸を考えておりまして、いずれは子供の手を引いて海水浴へ参りたいと思っておりましたところが、夢の島はハエの巣くつ、そしてまた近ごろ隅田河口の小ハゼがばかに太っておると思いましたら、そのウジを食ってハゼが太っておると聞きました。また夏はハエのじゅうたん爆撃、冬はネズミのゲリラ戦、このようなことでまことに国民に対して相すまぬ次第と思っておるのでございまして、過ぐる選挙におきまして、
社会党は第一党になりましたけれども、決して自慢にはなりません。
社会党の票も減っておるのです。それから、責任を負っておりました与党の票はもっとたくさん減りました。
社会党も与党も野党も投票が減って、棄権が非常にふえておる。これが痛ましい
東京の姿でございますから、私は野党としていたけだかになって、自分には責任はない、ただいたずらに
政府を責める、そういうような態度できょうは御質問申し上げようと思っておるのではないのでございます。しかしおしなべて今日の
東京を見てみますと、盲腸炎
程度ならば簡単な手術でできるでしょうが、このままでは腸捻転になるか腸閉幕になるか、とにかく帝王切開をしなければならぬ。どこかに風穴をあけて、そして将来の展望を――子供たちが安心して住める
東京になさねばならぬということだけは、これはもういかなる利害関係者といえども、わが家をくずされる人といえども私は痛感しておる問題であろうと思うのでございます。
しかし、それならばどのようにして
東京の町をこの際大改造するかというならば、第一は将来への展望を明確にすること。第二には
計画性を持ち、手順正しく、段取り正しく事を行なうこと。第三には総合性を持って考えねばならぬ。第四にはその手続が民主的でなくてはならぬ。いざという場合には
土地収用法が、おそらく今国会で成立するでしょう。ごね得をしてもうけようとするようなやましき連中に対して伝家の宝刀を準備するということも私はやむを得ないと思います。しかしそうであればであるほど、それに至るまでの手続は民主的で、尽すべき情を尽くし、尽すべき理を尽くし、十分な資料を持ち、総合性、将来への展望、
計画性、そして何人も納得するスマートな段取り等々を――十分納得した上でなければ私はむずかしいだろうと思うのでございます。今日着手するこの環状線のごときは大
東京の
首都整備のまだほんの第一歩を踏み出したばかりのことでありまして、前途はなおかつ遼遠でございます。したがいまして私は総合性という見地から、きょうは大蔵省当局にも
運輸省当局にも御
出席願いました。本来ならばさらに厚生省、文部省当局にも御
出席願わなければならぬと思っておる次第でございますが、ただいま
田村委員長が、この重要な問題については
理事の皆さまの御了解を得てまたこういう機会をつくることもできるから、文部省、厚生省関係とともどもに君が議論したいというならばその機会をつくってあげよう、と申しますのはこの問題は、交通地獄で子供たちの死ぬ者数知れず、教育地獄、それから住宅難、これはもうほとんど同じでございます。また人心の退廃と申しましたけれども、住宅がないために、たとえば四百万戸のアパートのうち、聞くところによれば二百万戸は一家族が六畳の部屋に住んでいる、そして便所は共同である。こういう環境のもとにおきましては孔子といえども不良少年にならざるを得ない。かつて孟母三遷の教えというものがありましたが、三たび公団のくじに当たるのを待つにはおそらく三十年かかるでしょう。血気盛んな孟子が成長するまでにすでにもう素行不良の青年になってしまうことは孟子のおっかさんといえどもどうにもならぬ、いわんや、われわれ凡人においておや。今日人の平均年齢は七十四歳に女子は達し、男子は多少心がけが悪いので六十九歳とか聞いて、まことに遺憾ですが、しかしそれよりも痛ましいことは、六十歳以上の老人の自殺率は女子は世界一、男子は世界第三位と聞いております。まあ十万人に六十人と四十人の自殺率だそうです。この自殺もどういうことかといえば、これは世をはかなんで、子供に嫁がくる、そして新婚旅行から帰ってくる、三畳の隠居部屋すらなく、世をはかなんで、そして自殺する、その数がかくのごとき数、世界第一位。これもやはり
道路問題であり住宅問題でございます。交通難のために命を捨てる子供たちの数は、病気で死ぬ数に劣らないというような状況にある。その緑のおばさんがまたひかれて死んでしまう。さらには、近ごろのお葬式の追悼会のお手紙を見ますると、おじ夫婦仲よく御睡眠中突如としてトラックに襲われあえなくあの世に去りました、こういうことはもうしばしばでございます。したがいましてこの問題に取り組まれる専門家の皆さんの御苦労のほども十分にお察しするのでありまして、山田
局長にいたしましても他の方々にいたしましても、技術者としての御苦労のことは私はよく察知するのでございます。しかしながら従来二十年、一体
東京の
都市計画はどうなっていたか。市民だけに罪があるのでなくて、
政府の怠慢もまた同罪でございます。いままでは酒に酔っぱらったような状況で、そうしてしっかりした
都市計画も持たず、私どものおりまする杉並区などは高円寺、阿佐ケ谷、迷路の中を歩きますと、これはラクダが針の穴をくぐるよりむずかしい場所、道はくねっておりまして、
道路というよりもミズムシの穴の広がったごとき状況でございます。何としてもこれでは切開手術をいたさなければならぬときにきておるのは当然でございます。しかしそれならばどういうような抱負と経綸をもってなさるか。そしてその一環として今度の環状線がこういう形でなる、そういう説明であるならば比較的早く納得し得るのでございますけれども、私どもは
原案のままではどうも納得できません。むだな犠牲であると思いながら緑の安住の地を捨てることはできないということは、私は当然のことであろうと思うのでございます。大局から申しますならば、まず市内の、すなわち緑地帯でないところの市内の将来の整備、整とんはどうするか。高円寺あたりで一たび大火が起こったならばもうたちまちにして焼けてしまうでしょう。その焼ける機会を待って
都市計画を立てるというなら別ですけれども、それは荒唐無稽なことでございます。したがいまして、私はしろうと考え――ときとしては独断的な専門家よりも良識あるしろうとの
意見のほうが正しい場合も世間には種々あります。私は、山田
局長の
お話を聞きまして、専門家としては尊敬しておりますけれども、ときとしては敗戦のエキスパートから戦略を習うような気がいたしまして、一体――御承知のように自衛隊の幹部諸君は昔の陸軍士官学校の教師ですが、それから原爆とロケットの時代の戦略を聞きますと、三矢
計画など、まるで、鞭声粛々夜川を渡るを原爆のもとに聞いておるような思いがいたします。それと同じように
東京都の
都市計画も、何か白虎隊の物語を聞いて、それでは横で筑前びわでも伴奏せねばなるまいというふうな感じすらする一面があるということは、専門家の諸君もちょっと耳が痛いでしょうけれども、これはまた皆さんの責任ではありません。政治力の責任ですから、むしろわれわれの責任でございます。したがいまして、そういう環境のもとでこれがなされるというところに、しかもこのような膨大な
計画が、
東京のちょうど心臓部に当たりますような緑の住宅地に突如としてなされるというところに、悩みがあるのでございます。
東京の市民は日本の大脳といわれておりまして、それほどばかでもございません。聞き分けは案外いいのでございまして、理にかなうことであるならば身を犠牲にいたしましても納得するであろうと思います。しかし理にかなわないことであるならば、泣く子と地頭にはかなわぬ、長いものには巻かれろ――農村に行けばそういう場所も、文化果つる場所にあるかもしれませんけれども、
東京の杉並、また三鷹等におきましては、泣く子と地頭にはかなわぬならば、泣く子はチョコレートでもやって甘やかしてねんねこの歌を歌ってもいいけれども、地頭は許すことはならぬ。長いものには巻かれろというならば、長いものは適当な長さにはさみで刻んで整理整とんすればよろしい、こういうのが今日の民主
社会における
東京市民のおおよその
考え方でございますから、理においても、情においても、段取りにおいても筋道の通ったことをせねばならぬ。そのためにただいま良識ある
建設大臣から、この問題については慎重に審議しなさいというおことばがあったのであろうと思うのでございます。私は
東京都政は率直に言って、この前の選挙で診断を受けましたように、やっぱり大失敗の二十年の歴史であったことを謙虚に反省すべきだと思います。いままでは酔っぱらいのような状況で、よたよた、よたよた、どこに行くやらさっぱりわからぬ。急に近ごろしらふになって、そして大詔勅を渙発して、ヒトラーのごとくふるまうというようなことでは困るのでありまして、これは多少時間をかけても、やはり十分話し合って各方面の
意見を徴して、そして検討すべきことは検討し、
原案のみに固執せず
修正すべき点があったら
修正するという気持ちでこそ両方が近づき得るのでないかと思うのでございます。
さて、前置きはこのくらいにいたしまして、
一つずつ御質問したいと思いますが、何ぶんにも私どもは資料を持っておりません。資料なくして地元の皆さんはどう思うかと言えば、自分のからだについているシラミぐらいはわかりますけれども、全体として
東京はどうなるかということについて正鵠な判断ができない。正鵠な判断ができないから、君らの陳情は利己主義クラブの陳情である、こういうふうに見ることは私はやはり過酷であろうと思うのでございます。まず何よりも詳細な資料をちょうだいいたしたい。そしてわれわれ
東京の議員は、それを次会までに心をむなしくして前向きの姿勢で再検討するでありましょう。資料がなくして今日御賛同申すのでありますから、外交のことになれば私も十七年間やっておりますし、その専門のことでは人後に落ちませんけれども、建設のことになりますと、建設
委員の皆さんがちょっとお笑いになるような質問をするかもしれませんけれども、どうかお許しのほどお願いいたしたいのでございます。
さて、二十年もほっておいて、この六月の五日にきめたいとか六日にきめたいとか一週間後にきめたい、それはあまりどう欲なことであろうかと思うのでございます。もし一週間、二週間後にきめたい――それほどきめたいならば、せめて一年くらい前にプロポーズしておいて審議の機会を与えるべきだ、こう思うのでございます。私が三十年前にいまの家内と一緒になりましたときに、一週間で家内にほれられました。そして
帆足さんという人は東大出でいい人だから結婚したいと申しましたけれども、うちのおばあちゃまは、それはいけない。おかあさんが何のおまえたちのデートのじゃまをしたか。せめて半年か一年はつき合ってみなければわからない。私はこの母を尊敬しておりますが、
都市計画の問題にしてもそうでしょう。二週間のデートできめなさい。そういうのは、ちょっと大
東京の
都市計画としては無理である。その無理であることを建設
委員の
理事の皆さまが御理解くださって、こういう時間を与えてくださった、まことに感激の至りでございます。
さて、次々と一問一答で質問いたしたいのでございますが、第一には
大臣にとくと了解を得たいのでございますが、私ども十分な資料のもとに、心をむなしくして与党野党ともどもに検討いたしまして、そしてそこに理があり、合理性があります場合には、現在、
首都圏整備委員会が
大臣の最高の諮問機関でございます。またその小
委員会が設けられたことも存じておりますが、その整備
委員会と小
委員会はずいぶんの
委員の御人数だと聞いておりますから、
委員名簿を後ほどいただきたいのでございます。同時にまた本建設
委員会もこの問題に非常に関係の深い
大臣の助手であり、忠言者でありまた協力者であり助言者でございますから、建設
委員会における論議も
大臣に尊重していただきたいのでございます。最後の決定は、これは
建設大臣の御決定と聞いておりますから、私ども言いましてもただ聞きおく。封建時代の殿様のように、よう申した、聞きおく、迫ってさたあるまで待て、茶と大福もちをねぎらうであろう、というようなことでは困るのでありまして、今後慎重に私心なく審議いたしまして、これはどうも三多摩のほうの受け入れ態勢から見ましても、また練馬、世田谷、三鷹、武蔵野等の見地から見ましても、これはいろいろな角度から長所があるというようなときには、御再検討くださるにやぶさかでなかろうと思うのでございます。ただいま世間ではがんこ一徹と誤解されておりまして、実際は山山さんはやさしい心を持たれておることを私は存じておりますけれども、その山田さんですらと申すとちょっと表現がまずいのですけれども、責任者の山田さんがたとえ
原案であろうと、
修正案であろうと、合理的になることが望ましい、こういう御発言もございました。
大臣におかれましてはそういう心持ちで、私どもが御助言もし協力もしておる。すなわち
原案は、大詔が渙発されたものとは思わないで、この民主
社会ではそれが合理的であり実際的である場合には
修正の余地もあり、検討をするのにもやぶさかでない。そのように先ほどの
大臣のおことばを承りましたが、人生は短く、ただ聞きおく、お茶と大福もちをとらせろというだけでは、こういう時間を費やすことは、いかに空気が安いからと申してもむだなことでありますから、そのことをまず
大臣から一言だけ承っておいて、そしてできるだけ短い時間に大勉強いたしたい、こう思います。