○吉田(賢)
委員 実は、昨年の九月、例の二十三号等の台風のときに、
大臣も兵庫県に御出張になって、神戸まで一緒だったのですが、私はあの日、実はあの足で
開拓農へ呼ばれていったようないきさつもあるのであります。自来、私は、非常に
開拓農のあり方、
実情につきまして、興味を持ちまして——実は近畿地方は全体でも二千戸ほどしかありません、ほとんど関東並びに東北、北海道でございます。したがいまして、地域的利害といたしましては、ごく微小な存在です。しかし微小な存在なるがゆえに、社会的行動力はございません。その力の微々たることは、何の反響も呼びません。しかし現実にはほうっておけない、こういうふうに思うのであります。審議会の答申なるものを私は読んでみました。見ましたが、やはり
大臣、一応あと始末的な、離農対策を四十万やるということはわかりますけれ
ども、実のところ、たとえば満州から
開拓民が引き揚げてきた、あるいは子供が高等学校へ行く年齢だというような者は、四十万円もらいまして、そうして町へ行きましても、ほんとうをいえば、現状は町へ捨て去られるのと同じようなことでございます。格別に手に技能もございませんから。したがいまして、これはやむを得ざる消極的な手で、私はやはり第二類に属する、これはいろいろな施策の対象になっております。おっしゃる五〇%、これをを中核といたしまして、さらに第三次の営農振興の
計画をお立てになる必要があるのじゃないかということを切実に
考えるのです。たとえば社会資本の投資の問題にしましても、その辺に、道路にしても、あるいは小学校の通学のそれにいたしましても、あるいは用水にしましても、何にいたしましても、やはり不利な劣悪な条件はあまり
改善されておりません。また各府県やその辺の自治体にしましても、その他の公共団体にしても、それほど、山の上や不便なところに資本を持っていく余裕はいまございません。したがいまして、私はやはりこのような手の届かないところにある、隠れたような下積みになっておる百姓をお救いになるということが、ほんとうの日本の農政じゃないかと思います。こんなことは釈迦に説法ですけれ
ども、ドイツあたりのあんな経済のすばらしい発展をした国でも、
農業問題の解決はできない。言うならば、世界的に
農業問題の解決はむずかしいことのように私も思います。
坂田大臣はその道の通の通ですから、特にしろうと
大臣じゃないから、よけい申し上げたい、もう一ぺん、やはり農政のうんと振興するよう機運を盛り上げなければいかぬのじゃないかと思うのです。農基法ができまして、基本的な方針は立っておる、路線は一応きまったように思いますけれ
ども、なおこんな落ちこぼれがございます。力が弱いのです。それがたとえば近畿に千名も寄って、デモでもやるか、そんなことはできやしません。そんな金もなければ、ひまもありません。そういうことを
考えますと、やはり
開拓営農の今後の施策につきましては、もう一ぺんお
考え願うべきじゃないだろうか。そして、たとえばいま相当の借金がございます。公庫の負債もたくさんございます。いろいろな負債を持っておるものもありますが、負債の今後はたいへんな問題です。営農はもちろんですが、ましてや後継者問題なんといったら、これはゼロ回答になる危険があります。先般あそこに大会がありまして、私行ってみましたが、何ヘクタールという大きな
土地を持つというのは、
農地法でくくられておりますし、何の魅力もございません。ですから、この辺は多くは申しませんけれ
ども、願わくは、やはり三次
計画、同様のものでなくてもよろしゅうございます。あと始末じゃなしに、積極的にもう一度、どうしたらいいかということについて、徹底した対策を立てるということが、私は農政のほんとうのあり方だと思うのです。町ならば切り捨てて、中小企業なら、そこらで適当にしなさいということで、ばたばた済んでいく問題がございますけれ
ども、百姓はそうじゃないです。
土地と天候、そんなものに支配されたそれですから、やはりあと始末ということじゃなしに、進んで最終的な、言うならば有終の美といいますか、ちゃんとした結末をつけるということが、私は審議会ができた趣旨だと思うのです。三十二年に法律ができましたのも、それだと思うのです。また外地やあっちこっちから帰省者がそういうところに行きましたのも、ほんとうはそこにそういう期待があったと思いますので、この点はさらにもう一度お
考えいただきまして、そしてあなたの手でひとつ次の立案をせられんことを御希望申し上げておきたいのです。ひとつ御意見を伺いたいと思います。