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1966-03-29 第51回国会 衆議院 決算委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十一年三月二十九日(火曜日)    午前十時二十分開議  出席委員    委員長 吉川 久衛君    理事 押谷 富三君 理事 壽原 正一君    理事 田中 彰治君 理事 堀川 恭平君    理事 勝澤 芳雄君 理事 田原 春次君    理事 山田 長司君       神近 市子君    栗原 俊夫君       中村 重光君    華山 親義君       吉田 賢一君  出席政府委員         内閣法制局参事         官         (第一部長)  関  道雄君         文部政務次官  中野 文門君         文部事務官         (文化財保護委         員会事務局長) 村山 松雄君         建設事務官         (都市局長)  竹内 藤男君  委員外出席者         文部事務官         (大学学術局庶         務課長)    井内慶次郎君         会計検査院事務         官         (第一局長)  斉藤  実君         参  考  人         (京都教育委         員会委員長)  山田 忠男君         参  考  人         (京都計画局         長)      島村 忠男君         参  考  人         (京都文化観         光局長)    石堂 策郎君         参  考  人         (仁和寺宗務総         長)      森  諦円君         参  考  人         (仁和寺執行) 立部 瑞祐君         参  考  人         (京都工科大学         設立事務局長) 小西 繁一君         参  考  人         (会社役員)  気谷 彦平君         専  門  員 池田 孝道君     ————————————— 本日の会議に付した案件  国有財産増減及び現況に関する件(双ケ岡問  題)      ————◇—————
  2. 吉川久衛

    吉川委員長 これより会議を開きます。  国有財産増減及び現況に関する件について調査を行ないます。  本日、参考人として御出席を願っております方々は、委員各位のお手元に配付してあります名簿のとおりでございます。  この際、参考人各位に申し上げます。発言をなさる場合には、委員長許可を得て行なっていただきますよう、お願いいたします。  次に、委員各位に申し上げます。参考人よりの意見聴取は、委員質疑により行ないたいと存じますので、さよう御了承願います。  これより質疑に入ります。質疑の申し出がありますので、順次これを許します。押谷富三君。
  3. 押谷富三

    押谷委員 私は、双ケ岡の問題につきまして、参考人方々にいささか質問をいたしたいと思います。  まず、小西繁一君にお尋ねをするのでありますが、小西君は、いま御職業は何をしていらっしゃいますか。
  4. 小西繁一

    小西参考人 いま歯科医をやっております。
  5. 押谷富三

    押谷委員 京都工科大学設立事務局長という名前で、名簿は出ているのでありますが、京都工科大学設立事務局長をしていらっしゃるのではありませんか。
  6. 小西繁一

    小西参考人 さようであります。
  7. 押谷富三

    押谷委員 小西さんは、いまから二年ばかり前に、双ケ岡を、静岡県の佐藤虎次郎君が仁和寺から買い受けようという話が進められた当時、あなたは京都府会文教委員長をしていらっしゃって、名勝史跡保存立場から、これにきびしく反対をせられたやに聞いております。そして、その反対は、あなたのみならず、京都市民に呼びかけて、反対署名運動もいたされたやに聞いているのでありますが、そういう事実はありますか。
  8. 小西繁一

    小西参考人 当時、文教委員長をいたしておりましたことは事実であります。ところで、佐藤さんは、伺いますところによりますと、あの山をぶっこわしまして、ホテルあるいは享楽街にしようということでございましたので、私は反対をいたしました一人でございます。その節、保存という意味にお立ちをいただいたのであれば、反対をいたしておらなかったのでございます。
  9. 押谷富三

    押谷委員 文教委員長をしていらっしゃったのであるから、かりに佐藤君がこれを買ったにいたしましても、これをぶっこわしたり、あるいはその他原形をなくするようなことは、法律上許されないという事実は、御承知でありましたか。
  10. 小西繁一

    小西参考人 さようであります。
  11. 押谷富三

    押谷委員 今回、仁和寺から第三者にこれが売られたのでありますが、今回の売買について、小西さんは仲介あっせんをせられたやに聞いているのでありますが、さようなことはありますか。
  12. 小西繁一

    小西参考人 仲介あっせんはいたしておりません。お寺側と私の売買契約でございまして、私が買い受け人ということに相なっております。
  13. 押谷富三

    押谷委員 かつて二年前に、署名運動までとって双ケ岡売買に抗議、抵抗をしていらっしゃった小西さんが、二年後にはみずから買い受け人になるような立場、あるいは、他に買い受け人があれば、その買い受け人のためにあっせんをせられるような立場をとられた、その豹変はどういう理由なんですか。
  14. 小西繁一

    小西参考人 押谷議員の御意見、多少変わっておりますが、その当時の反対運動と申しますのは、周囲の方の反対運動でございまして、署名をせよとか、あるいはこれに猛烈に反対をせよというような指示はいたしておりません。当時、いま申し上げましたように文教委員長関係がございましたから、いろいろ陳情、請願を受けましたので、これを採用いたしますと同時に、私は郷土愛に燃えております関係から、ぶっこわすというのでございましたから、私はそれに同調をいたしたのみでございます。
  15. 押谷富三

    押谷委員 ぶっこわすと言ったところで、今日の制度のたてまえ上、名勝指定地をぶっこわすことのできないということは、小西さん、初めに承知しておると言われるのでありますから、したがって、だれが買おうと、名勝名勝として保存をしなければならぬのだ、名勝に指定されておる双ケ岡原形は守らなければならぬというのがたてまえでありますから、その当時、ぶっこわすから反対であるというあなたのおことばは、私には受け取れない。最初に伺ったのでは、法律のたてまえ、文化財保護のたてまえから、名勝ケ岡はぶっこわすことはできないものである、ということは御承知になっておるとおっしゃったのでありますが、その点はどうですか。
  16. 小西繁一

    小西参考人 ごもっともでございまして、それは当時、非常に流言飛語と申しますか、うわさが高くなってまいりまして、これは第三国人の手に移っていくものだ、であるからこれは必ずぶっこわされる、というような非常なうわさが飛んでまいりました。私は当時から、いまも同じでございますが、法律があります以上、そううやむやにぶっこわすようなことはないと思いましたが、周囲がやかましく言っておりました関係から、同調いたした次第でございます。
  17. 押谷富三

    押谷委員 それは、まずその程度にいたしておきます。  その買い受けられたものは、あなたがお金を、最終的にはお出しになったのですか。あるいは最終的にはどなたがお金をお出しになったかを伺いたいと思います。
  18. 小西繁一

    小西参考人 この財政面につきましては、いま参考人にお出ましをいただいております気谷彦平さんから、お答えを願いたいと思います。
  19. 押谷富三

    押谷委員 いや、あなたに……。
  20. 小西繁一

    小西参考人 それは、私が名義人でございまして、お寺さんのほうとの契約が、中間省略いたしまして第三者名義にしてもよろしい、という契約がございました関係から、そのとおりにいたしした次第でございます。
  21. 押谷富三

    押谷委員 いや、手続中間省略とか第三者名義にするとかいうことでなくて、金はあなたがお出しになったか、それとも他の人がお出しになったか、その売買金額は大体幾らであるか、その点をお伺いしたいと思います。
  22. 小西繁一

    小西参考人 それは、気谷彦平氏からお金は回ったものであります。それから売買金額は二億五千四百七十八万でございます。
  23. 押谷富三

    押谷委員 ちょっと小西君はそのままにしておいて、いま気谷さんの話が出ましたが、気谷さんは、この問題について、二億何がしかの金をお出しになったのですか。
  24. 気谷彦平

    気谷参考人 当時の金銭の授受は、小西さんがいま話されたとおり、私の手を通じて出ました。
  25. 押谷富三

    押谷委員 気谷さんが二億数千万円の金をお出しになる、なかなか少なからざる金なんですが、そういう金を出して、双ケ岡土地をお買いになった。その土地所有者名義、買い受け人名義はだれでありますか。
  26. 気谷彦平

    気谷参考人 それは三栄商事と申す会社でございます。
  27. 押谷富三

    押谷委員 三栄商事だけですか。
  28. 気谷彦平

    気谷参考人 西原と、二人であります。
  29. 押谷富三

    押谷委員 あなたが金を出して、そしてその登記は、三栄商事西原何がしという二人にした、こうおっしゃった、そうですが。
  30. 気谷彦平

    気谷参考人 三栄商事であります。
  31. 押谷富三

    押谷委員 三栄商事株式会社と、それからもう一人は……。
  32. 気谷彦平

    気谷参考人 西原……。名前はちょっと忘れました。
  33. 押谷富三

    押谷委員 いやしくも二億六千万円に近い金を出して、そうしていま尋ねても名前がはっきり思い出せないような第三者名前を変えるということは、実際は危険を感じないのですか。
  34. 気谷彦平

    気谷参考人 いま押谷先生がおっしゃられました、二億数千万円の金を授受するのに、どうして他人名義を使ったかとおっしゃいますが、それは、当時私も全部の金がないものでありまして、そのために、担保に入れるとか、そういったような法律的の操作のやり方がありますが、そういうことを省略いたしまして、ともかくも大学建設したときは全部の貸借は明らかに三栄さんに返済することにして、一時、商業ベース不足金は借りて、登記をしたものであります。
  35. 押谷富三

    押谷委員 あなたが、三栄あるいは西原の両方からか一方からかわかりませんが、この金を出してもらったということは、いまわかったのですが、この二億数千万円のうち、あなたがこの人たちから借りておった金はどれくらいですか。
  36. 気谷彦平

    気谷参考人 それは、今席で明瞭にしなければならないものでしょうか。
  37. 押谷富三

    押谷委員 必要です。
  38. 気谷彦平

    気谷参考人 そうですか。それでは申し上げます。当時の金は、大体西原から出てきた金が、現在のところの貸借は別といたしまして、当時としては約二億くらいの金であります。
  39. 押谷富三

    押谷委員 西原さんから二億……。
  40. 気谷彦平

    気谷参考人 いや違います。三栄商事からです。
  41. 押谷富三

    押谷委員 その三栄商事重役陣容は御承知ですか。重役はどなたですか、社長はどなたですか。
  42. 気谷彦平

    気谷参考人 三栄産業代表者開発勇治でありまして、そのほかの役員名簿は、当時私も会社登記簿承知しておりますが、いま明細にそれを記憶しておりませんことは残念でありますが、社長名前だけは、開発勇治であります。
  43. 押谷富三

    押谷委員 あなたは、文東建という人を知っておりますか。
  44. 気谷彦平

    気谷参考人 承知しております。
  45. 押谷富三

    押谷委員 文東建という人は、この売買に、資金関係においてはどういう役割りを果たされたか御承知ですか。
  46. 気谷彦平

    気谷参考人 開発関係につきまして、文東建との間柄に関しては存じておりません。
  47. 押谷富三

    押谷委員 この文東建というのは、神戸に在住していらっしゃる北鮮人なんです。これは御承知ですか。
  48. 気谷彦平

    気谷参考人 承知しております。
  49. 押谷富三

    押谷委員 この文東建という人が、神戸に在住していらっしゃる北鮮人でありまして、この人が——これから大事なんですが、文東建さんが、この二億六千万円のうち二億円を出したという、確実なその筋の情報を私は持っておるのです。あなたの話とだいぶ違うのです。あなたは文東建を知っていらっしゃる。知っていらっしゃるから、さらに追及するのですが、この売買代金の二億六千万円のうち二億円は、文東建さんから出ておるのではありませんか。
  50. 気谷彦平

    気谷参考人 どういう筋からの御入手された情報か知りませんが、文東建三栄産業との間柄については、私も興味を持っておりませんし、また知る必要もないものですから、今日に至るも押谷先生のおっしゃるような情報は、私はまだ手につかんではおりません。したがって、これは御答弁できないと思います。
  51. 押谷富三

    押谷委員 文東建さんは、何か写真画報か何かの社長をしていらっしゃる方と伺っておりまして、北鮮の系統に属する人でありますが、この人が北鮮大学をつくる計画があると、もっぱらうわさされておるのです。その大学予定地域が問題の双ケ岡と関連があるように、世間ではうわさされておるのです。この点についてはどうですか。
  52. 気谷彦平

    気谷参考人 私と文東建との関係押谷先生に申し上げますと、深いつき合いではありませんが、それからまた、御当人が学校建設をもくろんでおりたというようなことを現在までは耳にしておりません。ただし私には、あなたが学校建設に対して十七、八億の金が要るならば、いつでも十億くらいの金だったならば、気谷君が個人保証するならば、融通もあえてするということだけはおっしゃっておりました。
  53. 押谷富三

    押谷委員 大学経営をするならば、十億くらいの金は融通するというそのおことばの中には、この工科大学は入っておりますか。
  54. 気谷彦平

    気谷参考人 私がいま十億と申し上げたのは、私の京都工科大学建設に対して、もし金融的に必要の金があれば、工科大学でなくて、私個人に対する御援助はしていただくという言質だけでありました。
  55. 押谷富三

    押谷委員 たまたま文東建という人を気谷さんは承知していらっしゃる。これはいままで一度も出たことのない名前でありました。私がこれを知るに至ったのも、これは決して偶然ではなくて、この二億六千万円の金の出所について、相当確実な筋に情報を求めておりましたところ、その調査の結果、文東建から二億円が出ているということの情報を私が入手したのでありますから、これはあなたのほうでも言いにくいことがあろうと思うから、この程度でとどめておきます。  小西君にお尋ねをいたしますが、大学工科大学をするという予定で、あなたが事務局長をしていらっしゃる。その青写真は、ここに私があなたのほうから入手して持参をしているのですが、これに間違いありませんね。ごらんください。   〔押谷委員小西参考人図面を示す〕
  56. 小西繁一

    小西参考人 はい、間違いありません。しかし、これは原案の案でございまするので、御了承願っておきます。
  57. 押谷富三

    押谷委員 この青写真によりますと、中央に廊下をとって、両側に小部屋をずっと設けてあるというこの設計は、ホテルか病院のような設計であって、いやしくも学校であるならば、北側あるいは西側に廊下をとって、そして教室をとる、研究室をとるというのが順序だと思われますが、あなたのお出しになりましたこの設計図面からいくと、全くホテルかっこう図面だと思うが、これはどうですか。
  58. 小西繁一

    小西参考人 いま申し上げましたように、これは最初の案であり、今後大いに修正をして、いいものにしたいと考えておりますが、それは設計ホテル式になっておるというような御意見でございますが、私のほうはホテルじゃございません。学校教室あるいは実習室というようなふうに予定をいたしております。
  59. 押谷富三

    押谷委員 ここに学校が竣工した予定図写真があります。これはあなたのほうからいただいたものだと思うが、(小西参考人写真を示す)この写真を見ると、これは決して大学かっこうじゃありません。堂々たる、これは一流のホテルかっこうですが、これはどうですか。
  60. 小西繁一

    小西参考人 いま申し上げましたように、これは案の案でありまして、いま専門家並びに学者の方面の意見を聞きまして、やはり双ケ岡にふさわしいような設計をつくっておりますから、できましたら、あらためてお目にかけることにいたします。
  61. 押谷富三

    押谷委員 まことに、追及をして恐縮ですが、双ケ岡にふさわしいというならば、まず双ケ岡にふさわしい古典的な何か形があらわれそうなものですが、堂々たる白亜のホテルがここにでき上がっているのです。案の案と言えばそれまでですけれども、こういうものが出てくると問題があるのでありまして、かつて小平でありましたか、ホテル建設許可を得て、そうしてでき上がって使用認可をとると、北鮮大学にぽっと変わってしまう、そういう事実があったのです。ホテル大学、ちょっとつながりがありますから、そこで、世間でもかれこれうわさをいたします。案の案と言われればそれまでですが、こういうような簡単な案で大学許可されるというように、小西さん、事務局長としてお考えになるのですか。あるいは教授陣容とか、図書の設備とか、もちろん、工科大学でありますから、研究室その他の施設が要りますが、そういうことについての計画は少しも出ておらぬのですか。これはどうなんです。
  62. 小西繁一

    小西参考人 いま申し上げましたその外観、模型図は、押谷委員ホテルだとお考えいただくのは自由でございますが、私のほうは、ホテル亨楽室のような部屋とは毛頭思っておりません。あくまで研究室大学にふさわしいものとして、原案をつくったわけでございます。したがいまして、今後、専門家学者等意見によりまして、いま作成しておりますから、提出いたしました暁に御批判をちょうだいすればたいへんしあわせかと存じます。  なおまた、大学教授の補充につきましては、すでにできております四学部がございますので、おのおの一学部に四名ずつのプロフェッサーが要りますから、それも全部内定はいたしておりますが、発表をする時期ではございません。
  63. 押谷富三

    押谷委員 大学計画をせられるのはけっこうでありますが、特に工科大学等計画は、時局柄たいへんけっこうだと思いますが、その大学設立認可には相当大きな坪数が要る。三万坪からの坪数を必要とする場合におきまして、この双ケ岡全体を、大学計画の中に、土地として入れるという御所存ですか。
  64. 小西繁一

    小西参考人 さようでございます。  幸い敷地の問題、大学に関します用地の問題が出てまいりましたので、一言申し上げたいと思います。ちょうどお手元に、原案原案として提出いたしました書類の中には、来年度は五百四十名収容予定でございます。これが四学年でございますので、二千二百何ぼという数字になります。これに対します大学設置基準に基づきまして、ちょうど双ケ岡がそこの敷地に適合いたしております。こういう関係で、双ケ岡が一番いいと私どもは考えたわけでございます。  それとなおあわせまして、現在お尋ねはございませんが、ついでにひとつお聞き取りいただきたいと思っておりますことは、双ケ岡名勝地でございまして、現在、ごらんいただきましたとおり、ごみの捨て場の名所となっております。これをどうして保存するかというところに、私ども頭を悩ました次第でございます。第一、付近の市民が喜ぶ、あるいはまたお寺側のほうにおきましても、いろいろ事情がございましたので、お寺さんのほうにも喜んでいただく。なおまた、あの名勝地のりっぱな岡を全部ぶっこわすのではなくて、裏の谷間のようになっておりますところを、五、六百坪さわらしていただきたい、こういうことになっておりますので、学校もできる、このような数点をあげまして、私どもここに学校設置することに決定した次第でございます。
  65. 押谷富三

    押谷委員 小西さんはいま、来年度五百名ぐらいの収容を目ざして、大学設置計画しているとおっしゃったのです。なかなかけっこうなことでありますが、来年度開校するという大学であれば、これはもちろん文部省大学局やその他の当局に御相談になり、その指図、指導を得て計画を立てられるのが普通のことでありますが、小西さんの御計画大学について、文部当局と話し合いをせられたことがありますか。
  66. 小西繁一

    小西参考人 すでに大学設置基準法を、しろうとながら勉強もさせていただきましたことと同時に、私の準備委員の一名であります方が、文部省大学学術局のほうへ見えてお伺いを立てまして、いま文書作成中でございます。できますと、提出することに相なっております。
  67. 押谷富三

    押谷委員 文部省大学関係の人、いらっしゃいますか。この京都ケ岡において工科大学をつくるという大学設置準備をしている、また、文部省にも指導を仰いでいるようなお話がありました。お聞きのとおりでありますが、さような指導あるいは相談に乗られたことがありますか。
  68. 井内慶次郎

    井内説明員 私、大学学術局庶務課長でございまして、大学設置窓口の仕事を所管しております課長でございますが、本件につきましては、新聞紙上等で拝見したのみでございまして、御相談等、まだあずかっておりません。
  69. 押谷富三

    押谷委員 ついで文部当局お尋ねしますが、大学には、それぞれ設置基準に基づきまして、大学敷地校地というものが要るのだと思いますが、それがかりに三万坪要る場合において、双ケ岡の、使うことのできない三万坪を、大学用地としてかりに出された場合において、さような使うことのできない双ケ岡を、大学用地として認められますか。基準に入りますかどうかを、この際伺っておきたいと思います。
  70. 井内慶次郎

    井内説明員 大学設置に関しまして必要とされます校地の持っております意味は、二つあろうかと思います。一つは、当該学校法人資産としての意味を持っていることが一点かと存じます。こちらのほうの審査は、申請が出ますと、文部大臣から私立大学審議会のほうに諮問をいたしまして、資産関係の角度から検討いたします。もう一点は、学校教育研究の用に供します林地という観点からの審査をいたします。したがいまして、一定の坪数が形式的にあるということだけでなくて、その資産関係において良好な状態であるかどうかという観点と、その土地研究教育の用に十二分に供し得る状態であるかどうか、この二点が具体的な審査内容かと存じております。  なお、申請がございますと、文部大臣から、大学設置審議会並びに先ほど申し上げました私立大学審議会のほうに諮問をいたしまして、この審議会におきまして慎重審議を願いまして、その結果を文部大臣に御答申いただく、こういう手続になっておりますことを、申し添えておきます。
  71. 押谷富三

    押谷委員 重ねて、小西君にお尋ねいたしますが、いまお聞きのとおり、大学設置窓口をしていらっしゃる課長さんのお話では、いまだ京都工科大学についての御相談を受けていらっしゃらぬようである、また校地として三万坪を確保するというのでも、それが教育の用に供し得る使用自由な立場における三万坪でなければならぬ。双ケ岡のような、名勝指定地であって、これに手をつけられないというような場合においては、大学設置基準坪数には入らない、除外されるやに私は聞いたのですが、そういうことは、小西事務局長としては当然御研究になっていると思うが、その点はどうです。
  72. 小西繁一

    小西参考人 いま文部省のほうの庶務課長さんですか、御答弁いただいたのでございますが、私が聞いております範囲では、委員が確かに参っております。今後指導を願うことになっております。これは事実参っております。そこで、ある程度参考にすべき書類、提出すべき書類も、写真で写さしてもらって帰ったというような報告を聞いておる次第でございます。  なおまた、何ぶんにも、いま文部省の方がおっしゃり、あるいは押谷委員がおっしゃられましたが、正式な書類を提出いたしましてから、御批判をちょうだいすれば幸いかと存じます。
  73. 押谷富三

    押谷委員 正式な書類、正式な書類とおっしゃるが、正式な書類は、大学設置認可手続の段階において要する書類は、なかなかたいへんなものなのです。たいへんなもので、これは指導を受けなければできるものじゃないのです。私は文部省におったから知っているのです。それを提出したら見てくれとおっしゃるのですが、いま小西さんのお話は、文部省にすでに話をして指導を受けておると言われ、また文部当局のほうでは、さようなことは聞いたことがないと言われる。ここに大きな食い違いがあるのです。こういう食い違いは、常のことならいいですけれども、いま双ケ岡をめぐっていろいろ疑問のあるときですから、私がしいて確かめるのですが、ほんとうのところは、文部省指導を仰いでおられないのじゃありませんか、もう一ぺん聞きましょう。
  74. 小西繁一

    小西参考人 それでははっきり申し上げる。報告は聞いております。大学学術局で聞いたからという報告も聞いておりますし、ちょうどその当時東京へ参っておりまして、写真を写さなければならぬから専門家をよこせということで、急遽参りまして、それは終わったと、報告は聞いております。
  75. 押谷富三

    押谷委員 それはだれですか、文部省へ行ったのは。報告を聞いたのは、だれからどんな報告を聞いたのです。
  76. 小西繁一

    小西参考人 それでは申し上げます。愛媛大学の伊藤教授でございます。それで、憶測によって御批判をちょうだいすることは、私、心外でございます。非常に迷惑いたします関係から、私遠慮申し上げておりましたが、はっきり申し上げますが、伊藤教授でございます。
  77. 押谷富三

    押谷委員 いま小西さんのお話で、私どもの主張に憶測があって、あなた方に何か問い詰めているようなおことばでありますが、私どもは決して憶測で言っているのではありません。ここで発言する以上は、十分調査をして、この発言につきましては、責任を持って言っているのである。いままで一度も、どこでも名前も出なかった文東建君なんかの話も、私が調査をして、その人から資金が出たということをつかんできた、間違いなしとしてきたのですから、憶測でというあなたのおことばは、少々いただくことができないことばであります。憶測と言われるよりも、私どもに納得のできないいろいろな諸般の事情がありますから、この事実から、私どもは何とか国有財産関係にもからんでいるこの問題で、解明をしておかなければいかぬというのが、私どもの質問の趣旨です。ここにかりに北朝鮮大学ができたらどうなるのです、ホテルができたらどうなるのです、こう考えたときに、ここには仁和寺の、御室さんの方々もいらっしゃるが、そういうことができたら、これはたいへんだと思われるのです。そういうことができたらいかぬと思われるのです。世間は、それは憶測でしょう、風評は、それは出ているのです。その風評に裏づけをするような事実が、次から次に出てきますから、この委員会においては、これはほうっておくことができないというので、お尋ねをいたしたのであります。  まずこの程度にして、最後に一点だけ、仁和寺さんにお尋ねをいたします。仁和寺におかれて、これをお売り渡しになるときには、最初小西君が交渉に当たられたようであります。そのことはいまの話でわかったのでありますが、買い主は小西さんだとお考えになりましたか、それとも、その他の人だとお考えになりましたか。どちらさまでも、担当の方で……。
  78. 森諦円

    ○森参考人 あくまでも、最初から最後まで、小西繁一氏と考えております。
  79. 押谷富三

    押谷委員 小西さんの話とも違ってきていますよ、わかっていますね。仁和寺さんは小西さんを信用し、小西さんが買い主だと思っておる。ところが、その後に至って、この金の出所については、外国人が——朝鮮でも中国でも外国人ですが、外国人が出資の一人に加わっておるか、全部の出資をしたかという、三国人がからんでいるということについては、お聞きになったことはございませんか。
  80. 森諦円

    ○森参考人 それは、十六日ですか、いよいよ登記契約書が済みまして、そして登記所から登記保証書というものが出る。寺へ十八日の夕方参りました。その前に小西氏は、気谷氏の名義にするということを市か府の委員会で発言しておったのを新聞で見ましたので、契約書には、どこの契約書にもよくあるのですが、中間登記省略というのがあるらしいですが、小西氏を除いて気谷氏の名前にするものだと当局はかたく信じておりましたところが、その登記保証書が参りまして見たときに「三栄産業株式会社外一名」ということになっておりましたので、さっそく内局会議を開きまして、こういう名前はいま初めて見たのだ、さっそく小西氏においで願って、何者か一ぺんこの話を聞こうじゃないかというので、さっそく電話しましたら、わざわざおいでいただきまして、そして私らが小西氏に、この「三栄産業株式会社」あるいは「外一名」というのはだれですか、こう言うて聞きましたら、これは気谷氏は表に名前を出すのはきらうので、いずれ学校へ譲与するので、その間一時この人の名前にしておくのだ、この二人は気谷氏の商業、会社の製品売りさばき、そういった親子会社みたいなもので、非常に懇意なので、いろんな意味におきまして、この人の名前を一時借りただけだ、こう言うから、そのときに、この「三栄産業株式会社外一名」という中には韓国人あるいは外人というものは入っておらぬか、ということを尋ねましたら、それは入っていない、それはわれわれも致命傷だ、だからこれだけはひとつはっきりと言うてもらわなければならぬということで、立部部長は、もう司法書士がそんなにまで言うてしつこく聞かぬでもいいじゃないかというくらいまで小西氏にお話をして、そして、それはそんなことはない、気谷というのが社長で、日本人だ、西原というのも日本人で、ちゃんと身分証明書あるいはあらゆる書類登記所に出ておるので信じてくれ、こういうことでありましたので、財務部長が調印してやったので、これは要らぬことですが、気谷の気という文字も知りませんでした。そういったことで、気谷は絶対存じておりませんから、この点、神明に誓って、押谷委員に総長として申し上げます。
  81. 押谷富三

    押谷委員 契約当時の御信念はわかりましたが、その後、契約から今日までの間において、買い主の中に、あるいは会社重役の中に、三国人が加わっているということを聞いたようなことはございませんか。
  82. 森諦円

    ○森参考人 新聞などで、文という方がこの三栄産業株式会社の会長であるということを聞いたので、その後小西氏にお尋ねしたら、三年前まで会長であったが、現在は関係ないのだ、こういうことでありまして、その後も三国人の介在しておるということは、当局といたしまして存じません。
  83. 押谷富三

    押谷委員 御室さんで、いろいろこの問題について御心痛になっていらっしゃるお気持ちはよく了承いたします。これをお売りになるときの事情も、かれこれ承知をいたしております。御説明を伺ったので、財政上これを売りたいというお気持ちもわかります。しかし、この双ケ岡は、国有財産を昭和二十六年かに無償で御室に渡されたものであることも、すでに御承知のとおりだと思います。こういう経過を経てきておる双ケ岡であり、双ケ岡を国から仁和寺さんがお受けになるときには、これは宗教活動に使いますという一書が入っているのであります。これの効果とかこれの拘束力とかは別のこととして、あなたがこの土地第三者に売られる場合においては、この土地については、国のほうに、宗教活動よりほかには使わないという一書を入れているという名勝指定地である、天下の名勝地であるということを、はっきりと条件として伝えておかなければならぬと私は思うのですが、そういう念達はいたされましたか。
  84. 森諦円

    ○森参考人 宗教活動という中には、先徳あるいは弘法大師も、あるいは綜芸種智院という学校を建て、あるいは施薬院、施療院というものを建て、これが宗教活動の一翼であるということを末徒のわれわれに示されておるのであります。そういう意味におきまして、現在も双ケ岡中学もあの土地を使用いたしておりますし、また再三申し上げて恐縮でございますが、今度新たに買い受けたいという住吉山も、りっぱな宗教活動の尊厳を維持せなければならないという山でございますので、そういう意味におきまして、この誓書には、宗教活動以外には使わないということでございましたが、しかしあそこには道路もできておりますし、あるいはまた京都市内末寺の、日本一の国宝のある太秦の広隆寺、これは私の本山より末寺ですが、すでにその門のすぐ左端に、住職もわれわれも反対したのだが、大きな消防本署もできております。しかしこれは、やはり文化財を守るというのには本署も必要であろうということで、実はわれわれ認可いたしまして、あれができたのでございます。そういう広い意味におきましては、工科大学も、やはり学校であって、人材の養成であり、またああいった環境のいいところで精神教育も加味された学校ができるということになれば、これは非常にけっこうだ、こういうように思った次第でございます。  お答え申し上げます。
  85. 押谷富三

    押谷委員 それでは、政府に約束している使用についての一つの制限らしいものについては、売買のときには、お話はなかったと承ってよろしいですか。政府からもらった当時においては、宗教活動に使いますという約束をしている土地ですよ。したがって、みだりに使ってはいけませんよというような話をせられたかどうか、ということを聞いておるのです。
  86. 森諦円

    ○森参考人 宗議会あるいは顧問会において、この話が出ました。出ましたが、すでに神社、仏閣あるいは包括団体である本山が境内地を処分するということにつきましては、名勝であろうが何であろうが、要するに管長の認証を得て、地方長官になにしたら、ほとんど全部が許可されておるような形でございます。それから、すでに京都市内においても、名勝地あるいはそういう方面のものもございますので、それはよかろうということになったのです。話は出ました。
  87. 押谷富三

    押谷委員 われわれの希望からいたしますと、政府からもらったときに一つの条件がついている。それはその土地についている条件であるから、その土地をやむを得ず処分せなければならぬ必要があれば、一応、これは政府にこういう約束があるのだくらいのことは言い伝えておかれるほうが、面が立ったのではないかということを申し上げようとしたのです。これは、この程度にしておきましょう。  最後に一点。京都教育委員長もいらっしゃっているし、都市計画局長、文化観光局長もいらっしゃっているので、どなたでもけっこうですが、こういう双ケ岡が、いまお聞き及びのとおり、第三者の手に渡って、大学敷地等にこれを使おうという計画がある。これについては、名勝指定地でありますから、土をとろうにも、石をとろうにも、多少の地ならしをするにも、すべて当局許可を得なければならぬことである。許可を得ずにやったならば、それは当局は断固たる処置をせなければならぬと思うのでありますが、そういう許可の願い出があったときにはどうするか、許可なしに無断でやったときには当局はどうする決意があるか、京都府市当局の双ケ岡に対するただいまの腹がまえ、計画等を伺っておきたいと思います。
  88. 山田忠男

    山田参考人 私、京都府の教育委員長でございますが、すでにこの件に関しましては、京都市側ともたびたび十二分な打ち合わせをしておりますので、両方を総合しての態度とお考え願いたいと存じます。  この現状変更につきましては、法に示すとおりに、あくまでこれを厳重に守っていきたい。これをみだりに現状の変更をしないようにということにつきましては、特に双ケ岡の周辺に札を幾つも立てたり、あるいはパトロールを置いたり、あるいはさらに警察当局にもその点の協力を求めたり、また一般住民の世論の喚起につとめる、こういった方法をとって、現在着々進行中でございます。
  89. 押谷富三

    押谷委員 その用途について、何か申請等があった場合においては、当局はどうなさるおつもりですか。
  90. 山田忠男

    山田参考人 私どものほうでは、文部省文化財保護委員会とも十分連絡をとっておりまして、この現状を変更せしめる意思は毛頭ございません。
  91. 押谷富三

    押谷委員 終わりました。
  92. 田中彰治

    ○田中(彰)委員 関連して、ちょっと一言。  私はあまりこの事件には深入りしておらないのですが、小西さんにお聞きします。  あなた、一等初めの御答弁で、佐藤君がこれを買いたいと言ったときに、佐藤君のうしろに三国人が関係しておる。それだから周囲がこれを売ることに反対したし、あなたもこれに協力しなかった。さっき押谷委員への答弁で、そう言われましたね。ところが、いま関係している中にも、文という三国人が資金に関係しており、しかも、この大きな騒動から見ると、実権を握っているように思っているのだが、初めてのときの佐藤君のときは、三国人が関係しておるから、周囲の世論があれだし、私も大反対した。今度は三国人が資金も出し関係して、登記の中に入っているのに、それに何の反対もなさらぬというのはおかしいじゃないですか。あなた、一体この委員会を何だと思っているのですか。うまく切り抜ければいいと思っているのですか。おかしいじゃないですか。初めての佐藤君のときに、三国人が関係しておるかもしれないというのだが、何という三国人が関係したかということが書いてない、わかっておらない。それでも三国人が関係しておるといけないから、周囲反対したし、私も反対した。こう言って断わられた。これはけっこうですよ。しかし、今度の許可には、この文という三国人が資金も出しておれば、関係もしておれば、あるいはこの実権者かもしれない。それはおかしいじゃないですか。  もう一つある。大学を建てるのに、文部省に了解を得てある。こちらにおられるのは、文部省の、そういうことの受付全般の処理をされる庶務の方なんです。ところが、いま大学の先生の名前を言われて、写真もとってあるとかなんとか言われた。あなたはえらい自慢そうにおっしゃいますけれども、世の中にはこういう問題はありますよ。おれはひとつ銀行を建てたいから、君ら何とか設備が整ったら許可してくれ。いやおまえ、銀行なんかに不適当だから許可できないと言って断わる人と、どんなぐあいに基礎ができるのか、どんなぐあいに君たちが設備を持つのかわからないけれども、まあ一応書類出してみたまえと言う人がある。これはよく世の中にあることです。決算委員会でもそうなんだ。この事件はひとつ委員長坂り上げてくれぬか、取り上げてみようじゃないかと言ったって、調べてみて、取り上げないかもしれない。それはそういうものなんだ。それをあなたは、文部省から来ているその係の人の前で、係の人がそういう話を聞いたことがないと言っているのに、いやあるんだ。どこにあるんだ。いや何々教授に頼んだら、教授が使いに行ってくれた、写真もとってあるから、と言われた。それが確かなのか、この委員会に政府委員として出ている、その係の元締めをしている庶務の課長ですかの言われることが確かなのか。あなたの言うことはまるで、急所をおっぱずして、どこかいなかの市会議員なんかで、ボスがうまいことごまかしてやるような言いわけじゃないですか。もっと誠意のある言いわけをしてごらんなさい。
  93. 小西繁一

    小西参考人 いま、お尋ねなり、抗議なり、御批判をちょうだいしたように私は受け取るのでございますが、そういうものはさておきまして、率直にお答え申し上げますと、以前にも三国人が入っておる。今度も三国人が入っておる。その内容がおのおの変わっておりますから、この点は、ひとつよく分析して、御了解を賜わりたい。  なおまた、その次に文部省関係でございますが、文部省大学学術局には、いまの課長さんが一人いらっしゃるのか、全部をおやりになるのか。窓口書類出したおりに通るのであって、そのほかに、かりに知り合いの方があれば、こういうことをやりたいんだが、どうだろう。御意見は、公的であろうが私的であろうが、お伺いをいたしておりますことは事実でございます。伊藤教授と、はっきり申し上げますが、私のほうの専門家の岡孟君が行っております。確かに行っております。こういう権威のありますところの決算委員会におきましては、私は毛頭もうそは申し上げないつもりでございます。
  94. 田中彰治

    ○田中(彰)委員 それはおかしいじゃないですか。あなたのような、委員会へ出て、それで、いまの大学の設立の委員長もやるような人が、順序を知らないのですか。窓口へ行って、窓口でそれを見て調べて、上へ持っていって、許可するということがわが国の役所の実例なんです。あなたのような、ボスのようなそういうずるい人は、窓口をずっと通さない。そうして、上のほうへ行って書類か何か出したり、何か使いのような者をやりたりして、窓口から順序を踏むより、そのほうが確かだと思っていることは、間違っているじゃありませんか。どうなんです。
  95. 小西繁一

    小西参考人 まあ、そういうふうにものを……(「あんまりなめちゃいかぬ」と呼ぶ者あり)そういうふうに申し上げませんが、とりあえず、私のほうは、この書類ができましたときには、一応大学学術局へ参りまして、ごらんいただきます。そしてこれでいいとおっしゃり、あるいは訂正していただく部分は御指導をいただきまして、正式に口頭で窓口へ出向いて、持ってまいる、こういう予定でおります。
  96. 田中彰治

    ○田中(彰)委員 たとえ何でも、ちゃんと庶務課長がおって、そういうものをちゃんと検査をして、これはこれに適格するかしないか、これはどうだ、下調べをして、だんだん上のほうへ持っていって、上で許可するということがほんとうの順序なんです。ここで委員委員長が、この事件ひとつやってくれと言って、委員長も、よろしい、これは重大だからやっていいと言われても、やはり理事会というものがある。理事会では、委員長、その事件はいい事件であって、おやりになることはけっこうだけれども、その前にはこういうこともあるよ、この事件にはこういうこともあるんだということが出れば、やはり直接委員長のところへいったことが全部通るとは限らない。いわんや何十億の金で学校を建てる、しかもこれは国有地で、ほかへ使わないという条件つきの国有地だ。そういうものを建てるには、なおさら窓口のほうから順序を経て、その窓口も、女の受付や、いまの男の小さい、高校くらい出た受付がおって、それを窓口として指定するなら……。そうじゃない。受付とかそういうものは使えるかもしれないけれども、ここに相当の年限、なれたそういうものばかり専門に取り扱っている庶務課長という者がおる。それをほったらかして、どこへ持っていって何をしたか知りませんが、ある教授が来て頼んだ。だから許可になるんだ。いまもこちらの方に聞いてみれば、許可するあれはない。京都府でさえもそうなんだ。いわんや文部省に正式な手続を踏まないで、あなたのようなことが通るなら、われわれの党から中村梅吉君が文部大臣になっておるから、おい、これひとつきみ頼むやと言って、廊下で頼んで、おお書類出してみろ、骨を折ってやるよと言ったら、それであんたは許可になるといって、こっちの窓口から正式に出た書類よりそれを信じて、あなたはそれを言われるのか。また、朝鮮の問題でもそうでしょう。前はどうして断わったんだ。それは周囲反対もあった。反対のおもなる原因は三国人が入って、いろいろなことをやられては困るから断わったんだ。これはけっこうだ。今度はどうなんだ。わずかたたないうちに三国人が、文という者が入って、しかもこれが資金を出して主権者。これが実権を握っている。名前登記簿に載らなくても、株主名簿に載らなくても、ほんとうの実権者、実力者というものがあることは、これは小学校を出た人はみんな知っている。これは実権者……。それをいまあなたが、前はだめだったが、佐藤のときは……。今度も三国人が入ったからおれは反対したと言われるならいいけれども、これは認めておいて、しかも今度は住職のほうへそういうことが聞こえて、わざわざあんたを迎えにやって、どうなんだという詰問まで受けているのに、そこはあなたはうまいことを言って帰しておると思う。そしてここへ来て、委員会へ来れば、なに、うまくずうずうしくのがれればいいんだというやり方なんだ。  委員長、今度理事会で相談しますから、証人に呼び出してもらいたい。刑事局長も呼んでおいて、その前でひとつ調べていただいて、偽証があれば偽証罪で告発する。そのくらいしなければ、こういう人はわからない。これはどうです、皆さん聞かれて。初めは三国人が入ったから周囲が庁対した。しかも、三国人に入られたんでは、名盤旧跡がこわされて、間違いを起こすといかぬから断わった。それはけっこうなことだ。そうすると、今度は自分が率先してこれをまとめた。その裏面を調べたら、三国人だった。そこから金が出ておる。しかも先ほどそこの方が言われたが、私の学校でなくて、個人に、金要るなら十億くらい融通するぞ、これは口では十億くらい融通できると言えるけれども、なかなか個人に、十億の金かあんた入り用なら使いなさいなんて、融通する人はいない。もし融通する人があったら、十億の命を持って来なさい、その利息、みんな払ってやる。そんなに簡単に十億くらいの金が、いくら三国人でも動くものではない。そういうことを、この決算委員会で言って、通ると思ったら間違いなんで、お前の学校全部担保に入れろ、おれに渡せ、そんなら十億出してやるというなら話はわかる。いや、学校じゃない、私個人だ。あんたの御人相から見ても何から見ても、十億、個人に融通する人なんか、日本にはございませんわ。外国人でも、日本に来ておる外国人じゃない。そんなことくらい見分けがつかなければ、ここの委員はできません。みんな笑っておるけれども、あんたのような年寄り相手にしてもしかたがないから、黙っておるだけだ。おかしいじゃないですか。  これは、押谷さん、あんたのほうだから、ひとつもう少し証人を出して調べて、偽証罪でやって、この土地はそう自由に使えないから、大蔵省に返さなければいかぬ。
  97. 吉川久衛

    吉川委員長 勝澤芳雄君。
  98. 勝澤芳雄

    勝澤委員 山があるから山へ登るといいますが、お寺が自分の地所に持っておった。しかし何かの必要によって、お寺がこの双ケ岡を売ったというところに、この問題の発端があるわけであります。一体、お寺のほうでは、何のためにこの双ケ岡を売ったのかという点を、最初にお答え願いたいと存じます。
  99. 立部瑞祐

    ○立部参考人 実は、仁和寺の金堂の真裏に当たりますところに住吉山という山があるのでございます。これは仁和寺の御開山であります宇多天皇が、その昔住吉権現を勧請せられた、仁和寺とはまことに因縁深い土地でございますが、双ケ岡その他が、明治四年に土地令によって国に無償で取り上げられました時分に、この山も、そのとき一緒に土地させられたものであります。その後ほかの土地は境内地に編入せられましたが、ここには宇多天皇の御陵並びに三法親王のお墓があります関係から、宮内省のほうより横やりが入りまして、この分だけが、境内地に編入許可にならなかったわけであります。それで、明治三十七年以来、歴代の門跡あるいは当局が非常な熱意を持ちまして、今日までこれの払い下げに運動を続けてきたのでありますが、ようやく最近になりまして、見通しがつきかけたのであります。ところがその間いろいろうわさに聞きますと、この山をよその方が買い受けたいというような運動をしていられる、というようなことを聞きましたものですから、これは絶対に、仁和寺としては尊厳上欠くべからざる土地である、これをどうしても買い受けなければならないというようなことから、その資金面の一つとして、双ケ岡を処分するということになったわけでございます。
  100. 勝澤芳雄

    勝澤委員 そこで、双ケ岡名勝地であるということを知っておったわけでありますから、当然まず一般の人よりも、市や府、国に対して、その措置を仰ぐべきであったと私は思うのでありますが、その点はどういうふうになっておられますか。
  101. 立部瑞祐

    ○立部参考人 このことが宗議会で議決されますと、新聞その他の報道で広く発表せられました。その当時、京都府の教育委員長さんや、あるいは教育次長さん、文化財保護課長さん、それから、小西さんがちょうどその当時文教委員長をしておられたのでございますが、こういう方々が寺へおいでになりまして、それを売ることはしばらく見合わしてほしいという申し出があったのでございます。それで、ただ見合わせと言われても困るがということで、いろいろ御相談しました結果、国のほうへいって、これを買い上げてもらうように何とか方法を講じてみよう、いわばこういうような意味お話がございまして、それについて、しばらくの間、時間をかすようにということでございまして、双方協議の結果、一カ月間、それでは待たしていただきましょうということになりまして、昭和三十九年の十月十三日から十一月十三日までの期限つきで待ったわけであります。ところがその結果、国のほうでも、そういうものを買い上げるような予算はないというようなことで、国もそうした金もないから、売る分はこれを差しとめることができないのでしかたがないが、ただし名勝地であるから、これを現状変更しないように、この点は買い受け人にしっかりと申し伝えてほしい、なお一札でも取るくらいにしてほしい、こういうお話があったのでございます。
  102. 勝澤芳雄

    勝澤委員 市や府は、いまの仁和寺からの要望に基づいて、どのような努力をされて、そしてどういう経過になっているのか、御説明願いたいと思います。
  103. 山田忠男

    山田参考人 ただいま立部参考人から申されましたように、三十九年の九月の臨時宗議会で、双ケ岡を売却するという決定があった、こういった報告を私どもが聞きましたのは、九月十六日であったと存じますが、直ちに現状変更のないようにということを、まっ先にまず仁和寺、あるいはその他の関係者に周知せしめるということを第一にしまして、そして、私ども京都府の教育委員会で、文化財保護の行政という立場から、私どもの考えておりましたことは、第一には、仁和寺にこの売却を思いとどまってほしいということを考えました。どうしてもこれができない場合には、第二には、どなたにこれが所有権が渡りましても、現状変更のないように、そして特にその第一点に関しまして、言いかえますならば、仁和寺がこれを売却することを思いとどまっていただくという点に関しまして、私どもの事務局担当官その他の者を通じまして、これは文化財保護法の精神に基づいて、ある場合にはその職を越えても、言いかえますならば、ただいまの立部さんのお話にはございませんでしたが、住吉山のことばかりでなしに、そのほかにも、いずれのお寺も同じですけれども、財政的な問題をずいぶんかかえておられまして、そういう財務相談にも、役人的な衣を脱いで、ぜひ腹を割って相談し合っていただきたい、これは具体的にそこまで申しますと、話が長くなりますが、幾つもそういう例がございまして、たとえば双ケ岡の、いま整備という点は必ずしも十分にいっておりませんが、これを十分整備できるように、国ないしは府の補助、あるいは市の補助というものをとって、そうしてそれを有料公開したらどうだ、あるいは仁和寺の寺宝を公開することによって、何らかの措置をして、とにかくこの売却は思いとどまってほしい。これは特に私がよく記憶しておりますのは、立部さんのお話、一月間違っておるかと思いますが、十月十三日に売却の公示をされまして、十一月の十三日、それは金曜日でございました。公告期間が切れる日に、私は初めて正式に、教育長が病気で療養中でしたから、教育次長と文化財保護課長を連れまして、そこにおいでになっております森さんと財務部長にお会いして、必死になって、とにかくもうきょうで公示の期限が切れるのだけれども、十三日の金曜日というのは、キリスト教じゃ悪い日かもしれないけれども、真言宗じゃこれを復興の日にしてくれ、報道関係の人もたくさん来ておられましたが、その席で、私としてお願いして、その結果、それじゃ一月待とうということになって、一月の間に、さらに財務的な相談の問題、あるいは国、府というような御意見は、寺のほうから出ておりましたけれども、しかし、それは史跡名勝に関しましても、京都府下だけで、北の橋立のほうから南の笠置のほうに至るまで、幾つもございまして、いまこれをそう簡単な買い上げという方法だけでは解決しませんので、そのあと一カ月延ばした間に、和みずから静岡まで参りまして、当時の買い受けの予定者であった佐藤虎次郎さんにも合いまして、佐藤さんに、ぜひ思いとどまっていただくように、私からも申しましたし、それから立化財保護課長その他は、仁和寺の末寺その他の関係、四国、九州その他の方々にも、宗教的な意味ということから、ぜひこの仁和寺を確保してほしいというふうなことを伝えてまいりまして、最後にはついにその公示期間が切れまして、今度は私ども印刷物をこしらえまして、近所の住民の方々に数万の印刷物を配って、これは日本の宝である、そのためぜひ皆さんの力でもってこれを守ってほしい、公示期間が切れると同時に、これの現状変更は絶対許さないつもりであるということを、繰り返し、あらゆる方面に向かってPRいたしました。そうしてその後も同じようなことを——ただ、寺側の売却を思いとどまらせることだけはできなかったのは、御承知のとおりでございます。それ以外に関しては、現在もその意思は全然変わっておりませんし、さらに当初から京都市長を通じて、これは市のほうはきょうもおいでになっておりますように、計画局とか建設局とか観光局とかいうふうな立場で、私どものほうは教育委員会という立場ですが、しかし基本的には完全に一致した体制でもって、現在まで続いてまいりましたし、今後もこういう立場で守っていきたいというふうに考えております。
  104. 勝澤芳雄

    勝澤委員 仁和寺のほうにお尋ねいたしたいのですが、住吉山を買いたいということで御努力をされたというのでありますが、その経過は何かございますか。
  105. 立部瑞祐

    ○立部参考人 住吉山の払い下げにつきましては、まず最初に、昭和三十九年三月五日に大阪営林局に参ったのでございます。その前に、営林署に一、二回参りましたが、日にちははっきり記憶しておりません。その後、四月十七日に再度大阪営林局に参りまして、時の局長さんでございました東辻さん、総務部長の森さん、そのほか各部長さんにお会いいたしまして、いろいろお願いを申し上げたわけであります。その後、三十九年四月二十四日に京都の営林署にお伺いいたしまして、種々御指導を、どういうふうな書式にしたらよろしいかということをお尋ねしたのでありますが、それに先立ちまして、できることならば、住吉山と双ケ岡の一部とを交換していただけないでしょうか、ということをお尋ねしたのでございますが、営林署のほうとしては、いわゆる山林の経営ができなければいけない、営林事業ができなければ困るので、双ケ岡は山林ではない、名勝地だから、そういうものとは交換は困る、こういうようなお話だったのであります。それで、それではどういうような書式をつくったらよいかということをいろいろ御指導いただいて、三十九年五月二十三日に、京都営林署を通じまして、大阪営林局長さんあてに願書を提出したのであります。その後、三十九年七月七日に、大阪営林局長並びに総務部長以下各部長さん、京都の営林署長や課長さん方が、現地視察においでくださったのであります。その後、再三京都営林署にお伺いいたしまして、これの促進なりいろいろ陳情に及んでいるわけでございます。
  106. 勝澤芳雄

    勝澤委員 先ごろ現地を見せていただきましたが、遠くのほうからばかり見まして、実は山がどうなっているかというのは見てこなかったわけであります。とにかく、遠くから見ると、確かにながめはいいわけです。いろいろの報道を見てみますと、火事があるとか、あるいはアベックの巣だとか、中はどうも荒れ果てているということが伝えられているわけですが、山の現況はどうなっておりますか。
  107. 立部瑞祐

    ○立部参考人 山は、先般おいでいただきました持分に、ちょうど寺のほうがたまたま会議をしておりましたために、私たち御案内できなかったことを非常に残念に思うのでございますが、ずいぶんひどく荒れておりまして、東側の方面では、まことにここで申し上げにくいくらいでございますが、ふん尿の処理場になっておりますし、ごみ捨て場に、一部はなっております。夏時分などは、よくネコや犬やヘビなどの死骸が捨てられておるというような状態で、全く、そこを通りましたら、もう臭気ふんぷんとして、くそバエと寺で呼んでおりますが、ワーンとうなりを生じて飛び立つような状態で、帰ってさましたら、とても食欲は起こらないような場所もあるわけでございます。そのほか、ずいぶん各地方が不法侵奪にあいまして、これはそのつどいろいろ交渉して返しましてもらったりしておりますが、どうにもその管理ができないで、とられたままになっておるところも相当ございますし、また一部は、墓地などもずいぶんとられまして、今度行ってみますと、いつの間にか知らない間に新しい墓標が立っておる。俗名何の何がし、行年何歳と書いありますけれども、その墓の所有主が、住所も姓名も書いてありませんものですから、どこの方の所有の墓であるかわからない。まさかかりてに墓標をひっこ抜いてしまうということもできませんし、そういうような泣き寝入り的な状態に今日なっておりますし、年々月々パトロールなどもしておりますけれども、実際のところは管理に非常に手をやいておったわけでございます。その最もひどいのは、アベックが再々参っておりまして、そのために、たばこの火などから火災を起こしておる。これは右京の消防署からたびたびおしかりを受けまして、私のほうも、私自体も何回もパトロールに加わって回ったのでございますが、寺のほうでも交代して、毎日のように、春と秋との火災のシーズンになりますと、巡回さしておりますが、ちょうど巡回から帰って、二、三時間の後に火の手が上がるというような状態で、たいへん困っております。また近所の方々からは始終、たびたび痴漢があらわれて、婦人が襲われたとかいうような報道も聞いておりまして、そのつどまた一そのつどとはまいりませんが、私が聞きまして、ひどい場合には、所轄の太秦の警察に連絡をしたことも何回かあるわけでございます。そういうような状態で、なお全くジャングルと申しましょうか、密林のようにはえほうだいのようになっておりますために、中を回るのもなかなか容易ではない。これを現状変更をしてはならないとおっしゃいますけれども、ただ何一つ、一木一草も動かしてはならないというふうに世間でもとられますけれども、実際にあの山に入っていただき、あの岡を現地で見ていただきましたら、このままではいけない、もっといい意味における現状変更が必要ではないかということが、皆さん方にもおわかり願えるのではないか、かように存じておるのでございます。
  108. 勝澤芳雄

    勝澤委員 市や府は、いまの現状について御承知なんですか。あるいは、どういうことを市や府はおやりになってきたのですか。
  109. 山田忠男

    山田参考人 ただいま立部さんからおっしゃっていただいたような双ケ岡の現状については、私も相当程度承知をいたしておりまして、ただお話の中に矛盾があるように承っておりましたけれども、たとえば、入ることができないほどのジャングルでありながら、むやみにアベックだけ入るとか、どうこういう、その辺の見方の相違がありますが、史跡名勝に限りませんけれども、こういった文化財の管理という面では、私どももできるだけ十分な指導をするようにはしております。この場合、双ケ岡の整備に関しては、先ほども申し上げましたように、これは昭和十六年でございますか、当時の法律で、みだりに風致を云々というようなことがたくさんありまして、当然整備ということはできるはずなんで、そういった整備をして、これをきれいにした上で、公開したらどうかというふうな案も出したくらいでございまして、そういうふうなものに、整備その他に関しての必要な相談というふうのことを、担当課を通じて幾らでもやっていただくように、ということを、特にこの件が出てから、お話をしております。それ以前、三十九年の九月以前の状況に関しましては、一々のこういった問題を、委員会として干渉してはおりませんけれども、常々そういった史跡名勝その他の整備というふうのことは、周到な計画をもって、京都教育委員会では、注意をしておるはずでございます。
  110. 勝澤芳雄

    勝澤委員 文化財というもの、あるいは名勝地というものを、国なり市とか府とかいう公共団体が持っておれば、それは当然だと思いますけれども、一個人、一民間人の人が持っておるところに、この問題が発生しておるのです。それについて、国なり府なり市が十分な対策をし措置をしたならば、こういう事態は起こらなかっただろう。そういう対策については、精神的なことだけであって、経済的な裏づけがなかったというところに問題があるわけであります。お寺も売ったのがいい悪い——それは悪いにきまっております。しかし売らなければならぬ実情から売ったわけであります。売ろうとしたわけであります。売ろうとする前に、市や府や国について、何とかしてくれということを言ったわけであります。それが何もできないということになれば、結局一般に売らざるを得なかった。しかし片方では、買う人は、名勝地である。これは現状変更ができないということを承知し、そして買ったというところに問題があるわけであります。  そこで、私は小西さんにお尋ねしたいのですが、名勝地であるというのを承知しながら買った。一体あなたはいまいわれておる大学をおつくりになる、こう言われておりますが、ほんとうに大学をおつくりになるのですか、どうですか。もう一度、私は確認をしたいと思います。
  111. 小西繁一

    小西参考人 名勝地であるということはよく存じております。したがいまして、法律で示されておりますとおり、やはり現状変更する場合には、それぞれ主務官庁の認可を経なければさわれないということもよく存じております。そういう意味から考えまして、いつも申し上げますように、私有地の約千百十五坪と、その裏に五、六百坪あるへっこんだところで、景観を害しない程度で、わずかの坪数だけは現状変更をさせていただけるものだ、そういうふうに確信を持って、大学設立にあたったわけであります。大学のほうはそういうことでございますので、府なり市なり、あるいはそれぞれ所管庁にお願いをいたしまして、わずかの場所の変更をお許しをいただくように、これから努力を続けてまいりたい、そして大学は完成させていきたい、かように思っております。
  112. 勝澤芳雄

    勝澤委員 大学をつくるときにまず問題になるのは、土地の所有者の許可が要るわけであります。土地の所有権は、実はあなたにはないわけなんです。正式に登記されているのは三栄産業、あるいは西原さんという方であります。あなたが学校をお建てになるときに、その土地を使用することは、それは確実な保証があるのですか。あるいは学校を建てるについて、あなたは正式に許可をされているのですか。
  113. 小西繁一

    小西参考人 ごもっともでございまして、私も不安がございましたので、間違いのないようにと思いまして、誓約書をちょうだいいたしております。その誓約書をちょっとごらんに入れたらけっこうでございますが、これをより以上効力あらしめようと思って、専門家に御相談申し上げたのでございますが、このくらいの程度でいいというので、この念書をちょうだいしております。
  114. 勝澤芳雄

    勝澤委員 そこで、次にお尋ねいたしますが、この双ケ岡というのをいろいろ調べてまいりますと、双ケ岡学校なり、あるいは山陰線の高架なり、現状変更された例があるようであります。まず双ケ岡学校の現状変更の経過——時間がありませんから、簡単でいいですから、御説明願いたいと思うのです。
  115. 石堂策郎

    ○石堂参考人 私、所管でございませんので、詳しく存じませんが、資料を持っておりますので、お答え申し上げます。
  116. 勝澤芳雄

    勝澤委員 所管はどこですか。
  117. 石堂策郎

    ○石堂参考人 教育委員会でございます。
  118. 勝澤芳雄

    勝澤委員 あなたは……。
  119. 石堂策郎

    ○石堂参考人 文化観光局長でございます。
  120. 勝澤芳雄

    勝澤委員 府のほうの担当じゃないですか。府も関連しているでしょう。
  121. 石堂策郎

    ○石堂参考人 一応知っておりますので……。
  122. 勝澤芳雄

    勝澤委員 じゃあ、責任ある答弁、できますね。
  123. 石堂策郎

    ○石堂参考人 いまの坪数は申し上げられます。五十一坪でございます。  昭和二十四年に中学校の新設を計画いたしまして、学校敷地といたしまして買収いたしました。その後、仁和寺から学校敷地との境界につきまして確定の申し出がございました。境界明示をいたしました結果、借地の坪数が明白になりました。五十一坪の差がございましたので、五十一坪買った、こういうことを承っております。
  124. 勝澤芳雄

    勝澤委員 そうすると、五十一坪というのは、名勝地を五十一坪削った、こういう解釈でいいのですか。
  125. 石堂策郎

    ○石堂参考人 そのようでございます。
  126. 勝澤芳雄

    勝澤委員 山陰線の高架の分はどうなっておりますか。これは府の教育委員会でおわかりになるでしょう。文化財で、名勝地じゃないですか。あなたのほうでかかわりがあるでしょう。
  127. 山田忠男

    山田参考人 私ども承知いたしておりますのでは、山陰線の高架に関してのことは、この名勝にかかっておる地籍にはございません。
  128. 勝澤芳雄

    勝澤委員 私、現地を見てきた。あれは名勝地だということじゃないですか。名勝地じゃないのですか。委員長、どうですか。府のほうはどうでしょうか。
  129. 山田忠男

    山田参考人 失礼いたしました。ただいまのは私のたいへんな間違いでございまして、一反二畝十歩というのが、ただいまのお話に該当する部分でございます。これは所有者が京都市になっておりまして、道路のために削ったので、これに関しましては、私はこまかい交渉の経緯を知りませんので、同席しております京都市の計画局長のほうから、お聞き取り願いたいと存じます。
  130. 勝澤芳雄

    勝澤委員 それでは計画局長、ちょっと答弁願いたいのですが、いま山陰線の高架をやっておりますね。あそこに双ケ岡名勝地域があるわけですね。その地域をある程度こわさなければ、道路が使えないわけですね。この経過はどういうふうになっておりますか。
  131. 島村忠男

    ○島村参考人 山陰線との立体化の問題につきまして、当初の街路計画が変更されまして、高架化が入ってまいりました。そのために、新たに約六百九坪の土地を、御承知の場所で、仁和寺さんから買収いたしまして、これはカットしなければなりませんが、これによって高架化に伴う側道事業をやるという計画になっておりまして、これはすでに都市計画審議会でも決定済みのものでございます。ただ、佐藤問題と申しますか、以来いろいろ双ケ岡をめぐる問題が起こってまいりまして、現在のところ、これは文化財保護課のほうとは話し合いはいたしておりますけれども、目下双方で、いかなる方法で今後この問題を考えるかと協議中でございまして、まだ結論は出ておりません。
  132. 勝澤芳雄

    勝澤委員 結局、問題の発端は、私はこの間行ってみていろいろ聞いてみますと、京都市や京都府の文化財の取り扱いがまちまちだということです。双ケ岡の中学校について一部名勝地をつぶした。いま山陰線の高架がもう橋ができている。片っぽうの取り入れ道路ができていない。だから仁和寺から名勝地を買って、そうしてそこに道路をつくらにゃならぬ。いまあなたのお話を聞いておっても、文化財保護委員会はほおかぶりしていくのか、あるいは正式に出していくのかわかりませんけれども、しかし、あそこまで工事が進んでおったら、今日まで許可になっておらなければおかしいじゃないですか。許可になっておらぬとすれば、一体あれだけの高架の事業に何億の工事費がかかったでしょう。それだけの経済効果はどうなるのですか。跨線橋ができたけれども、取り入れ道路ができない、こういう状態にある。これは私だけが見てきたわけです。私、新聞を見たら、あそこが問題になっている。佐藤問題とかなんとか言っておりますけれども、双ケ岡自体が、なしくずしに少しずつ市によってくずされているわけです。そこは名勝地であるけれども、売る人があったから買ったのだ。買った人がいい、悪いという問題もありますけれども、やはり売った人があり、買った人がある。買った人と市と府が、市や府が目的に従った維持管理ができるように話し合いをしなければならぬにかかわらず、お金がいままではなかったのでしょうけれども、このごろできたのでしょう。看板をぶっ立てたり、パトロールを使ったり、いままでやらなければならぬことを、いまになってやっている。そこに政策の矛盾がある。初めから一貫した方針がとられていないわけです。あれは、むろん文化財保護委員会にかけるわけですね。
  133. 島村忠男

    ○島村参考人 すでに三十二年ごろと記憶いたしますけれども、平面での街路計画、このときに、先般御視察いただきましたように、一部カットしてあるわけであります。そのときは、もちろん文化財保護課の許可を得て、やったわけでございます。
  134. 勝澤芳雄

    勝澤委員 文化財保護課じゃない。保護委員会でしょう。
  135. 島村忠男

    ○島村参考人 失礼いたしました。さようでございます。  今回も同じく許可を得なければできないわけでございますから、その話し合いは、だいぶ前から進めているわけでございます。決して独断で、これをかってに市のほうで切るというわけではなくて、そもそもあの市の今回の高架につきましても、でき得べくんばこれは避けたかったわけでございますけれども、現道路の計画の問題とすり合わせを考えますと、やむを得ず今回重ねて名勝を切らしていただくということになったわけでございまして、決してこれは市が、先ほど仰せられましたけれども、破壊しようとか、無計画にやろうとかいうものではなかったわけでございます。立体交差という問題があとで出てまいったために、これはやむを得ずということでございまして、もちろんここに今後、文化財保護委員会との話し合いで、カットいたしましたあとをどのように復旧するかという問題は大いにございます。十分慎重を期してまいりたいと思っております。
  136. 勝澤芳雄

    勝澤委員 私は、市や府が、同じ名勝地でも、自分がやるならいいけれども、民間の人がやるならいけない、ここに問題があると思うのですよ。市や府の目的があるでしょう。しかし民間の人がやる場合においても、ある程度やはり市や府が了解できるならば、話し合いをすべきだと思うのですよ。何でもかんでもいけないと突っぱねておったならば、これは問題の解決にならぬわけです。もう所有者が移っているわけです。所有者が移るであろうということは予測しておったわけでありますから、先ほど、売られるのはやむを得ないであろうと裏づけをされました。ですから、名勝地の所有者が移るということを予測しておったわけであります。  それでは、もう一つ、私、この間見せていただきました西山口の風致地区のパークウエーがありますが、あれは名勝地ですか。あれはどういうわけで、どういうところで、どういう計画になってこれができたのですか。
  137. 山田忠男

    山田参考人 ただいまの御指摘のは、西山口ドライブウエーと言われているものだと存じますが、これは昭和三十五年の夏からこの申請がございまして、これはただいまのお話にありましたように、私どものほうの史跡名勝であるところの、嵐山にかかっての大きなドライブウエーでありましたために、現場の実地調査をして、第一に向こうの計画を大幅に変えてもらいまして、ルートの変更というふうなことをして、だから現在できましたところのドライブウエーは、名勝にかかっているところはほとんどないはずでございます。つまり、言いかえますと、京都市内からの嵐山方面の景観を害さないようにという点で、十分にその点の指導をして、特に鳥居本からハイウエーの上がり口のところ、実はそのところのルートを大幅に変更さしたということが第一と、それから、そのほかにさらに、ごらん願ったと思いますが、展望台がございます。その展望台の位置もこちらが変更させまして、これは史跡名勝からはずしたところに持っていってもらってありますし、あるいはまた、一部分、大覚寺のかいわいからですと、あのドライブウエーの始まりの辺が見えるところがございまして、それに対しては、植樹をしてこれをカバーするようにというふうなことが約束ができておりまして、そういうふうな経緯で、三十五年の夏からこの申請が出て、一部分だけが名勝にかかっている。これも、しかし本質的な名勝の障害にはならないという判断で、これが行なわれたものでございます。
  138. 勝澤芳雄

    勝澤委員 これは、西山のパークウエー株式会社重役のメンバーというものは、どういうメンバーですか。
  139. 山田忠男

    山田参考人 私、これについて詳しいことを存じませんが、最初の測量の申請は、川本直水という方だったと……。
  140. 勝澤芳雄

    勝澤委員 それはどういう方ですか。
  141. 山田忠男

    山田参考人 京都で観光事業をやっておられる、タクシーその他の会社をやっておられた方だと存じ上げております。
  142. 勝澤芳雄

    勝澤委員 私は偶然このパークウエーを見せていただきました。これも名勝地だ、そうして、そばにおった係の人に聞いてみたら、何の土地だかわからぬということで、よく調べてみたら、国有林野、民有林野が入り乱れておるわけです。それで名勝地にかかっている。ここもいまあなたが言いましたとおり、一応申請が出されて、いろいろ相談をしながらやられた、これは当然なことだと思うのです。だから、いま出ている問題についても、やはり市や府というものがもう少し前向きの形でやらないと、私はとんでもないことになると思うのですよ。なったらたいへんだ。  それから、先ほど出てまいりました嵐山の現状はいまどうなっておりますか。相当いろいろな個所が変更されている、ということを私は聞いておりますが、どうでしょうか。
  143. 山田忠男

    山田参考人 私の承知しております範囲では、先ほどのドライブウエー以外に、大きな変更というものはございません。
  144. 勝澤芳雄

    勝澤委員 いま、住宅が建ったり、ホテルが建ったりしているというじゃありませんか。その点どうですか。
  145. 島村忠男

    ○島村参考人 お尋ねの件は、おそらく嵐山の川沿いの平地部の問題だと承りましたが、これは二年ほど前に、ホテルも一件許可されましたのがあります。これは風致地区の問題でございましたけれどもございます。ただしこれは二階建てということで、きびしい制限を加えて、しかも壁面線をかなり後退させて、許可しております。その他、若干建てかえ的なものが、最近二、三出ておることは承知いたしております。それ以上に大きな現状変更は、目下のところ起こっておりません。
  146. 勝澤芳雄

    勝澤委員 広隆寺へ消防署が建ったり、天満宮に警察が建ったりというのは、どういうことなんですか。
  147. 島村忠男

    ○島村参考人 警察署の建ちました件は、これは風致地区の問題がございますけれども、やはり治安維持といいますか、社会的な機能を警察にも果たしてもらうためには、ということで、これは許可された件がございます。
  148. 勝澤芳雄

    勝澤委員 そこで、私はやはり市や府に、これが問題になっているのは、とにかくお寺の寺領であった。宗教活動以外に使って悪いという誓書が入っておった。しかしその誓書の効力の問題につきまして、私も実は疑問を持っております。それは当時の、この社寺の境内地の処分の状態を見てみますと、いろいろの経過がありまして、今日それがどうなっておるか。お寺で約三万件、お宮で六万件くらいが、全国で払い下げがされておるわけです。それがお寺やお宮でどういうふうになっているかという点の実情については、大蔵省でも把握をしていないようでありますけれども、相当、とにかく仁和寺と同じような状態が各所にあらわれてきている。いや、もう払い下げたときからそういうことが起きておったという、実は書面もあるわけでありますから、そういう状態なんです。そこで、お寺が、よきにつけあしきにつけ、とにかく売った。それを買う人もあった。名勝地で、私も、よく買ったと疑問に思います。思いますけれども、買って、個人のものになった。いま出ているのは、いや学校を建てたい、その学校は、いや学校基準に合わないじゃないか、いや学校ホテルになるのじゃないか、いやレストランになるのじゃないか、いやそれは変なものになるのじゃないか、こう言われております。しかしそう言われておったとしても、いまあなたが、西山口の問題やあるいは嵐山の問題で起こったと同じように、やはりその段階ではいろいろの相談をされて、そうして名勝保存にふさわしい状態の中で、その問題を解決されているわけであります。いまの話の中でも、たとえば公開をして、中を整備して、有料で、お寺の収入をふやしたらどうだという一つの案もあった。ですから、現場を見れば、いまそのままでほうっておくということは、やはり好ましくないというのが、私もあなたもそうだろうと思う。ですからそれを何らかの形で、市や府で、市で考えた、府で考えた、公開して遊園地にするとか公園にするとか、あるいは片方学校をつくりたいとするならば、学校としては一体どの程度までできるのか、できないのか、こういう利用法があるのではないか、そういうことを進めることにによって、私は、維持管理が十分なされて、そうして市や府の目的に従った方向に問題というものが解決をしていくと思うのです。それを、いまの段階を見ますと、どこもかしこも角突き合わせておって、市は、おれは悪いことをしていない、府は悪いことをしていない、悪いのはお寺が悪いのだ、買ったやつが悪いのだ、けしからぬ、三国人じゃないか。これでは私はこの文化財、名勝地というものが保存されることは不可能だと思うのです。やはり積極的に保存され、積極的に維持管理されて、それをほんとうに名勝地にふさわしいものにするためには、もう少しその点をお考えになって、やはり買った人たちに向かっても、追いやるのでなくして、話し合いをしながら、市や府の意図に沿った方向で、あるいは文化財というものを保護する立場で、あるいは皆さんがいままでやってきた行政と比較をしながら、この問題というものは解決をしていかなければならぬと私は思う。私はそれが市や府の任務であると思う。また名勝地を今日個人に持たしているという現状は、私は国の責任だと思うのです。それについての手当をしない。それが今日ようやく古都保存法ができました。古都保存法ができましたけれども、いま鎌倉の状態を見てみますと、やはり古都保存法の問題点というのはたくさん出てきているわけであります。しかし結論的に言うならば、国は金がない、県は金がない、あるいは市は金がないから、結局個人に持たして、個人の善意を信用していく以外にないわけであります。あの本圀寺ですか、あそこの重要文化財を見て、私は驚きました。これはお寺の責任だというばかりで、これは市や府が一体何を今日までしてきておるのか、あるいは国が何もしてきておらずに、個人に対して責任を転嫁して、けしからぬ、けしからぬ、これは私はひど過ぎると思うのです。ですから、そういうものについてのしっかりした行政を、この双ケ岡の問題を契機に、名勝地のあり方、重要文化財のあり方というものについて、やはり一つ一つ考えていく方向というものを示さない限り、また同じことが何回も繰り返してくると思う。これは府としてどうでしょうか。
  149. 山田忠男

    山田参考人 ただいまの御指摘、特に私ども京都府であろうが、あるいは京都市であろうが、その他が一致して守っていかなければならないというふうな考え方は完全に同感でございまして、この双ケ岡問題に関連して、従前からありました未指定の文化財に関する補助というふうなことは、わずか数百万でございますけれども、私どもといたしましては、従前からも続けてはおりますが、それ以外に、京都府独自で、未指定のものに対して、別の保護基金の財団をこしらえることができまして、これが昨年から発足するようになりました。  もう一つは、ただいま御指摘の中心になっておりますところの京都府並びに京都市、これは私考えますと、府と市というよりは、むしろあるいは消防の立場あるいは開発の立場、こういった立場方々の御意見を調整する機会を定期的に持つようにいたしまして、そして特に基本的な考え方は、京都市の文化担当の助役とそれから、私どもとが会って、その上で一々の問題を扱っていく。先ほどございましたが、私、山陰線どうこうという言い方がわからなくて、たいへん失礼しましたけれども、あの問題に関しましても、つまり開発と文化財の保存という関係で、これは私どもかねがね申し上げておりまして、世論にも訴えておる。私どもは人ばかりを責めておるのではなくて、私どもも一緒に苦しんで、これを守っていこうという立場で、少なくとも京都府の教育委員会ではやっておるつもりでございます。現に双ケ岡の場合でも、私ども出しましたパンフレットをごらん願いますと、そのことが書いてあるはずでございます。私どもも一緒に、委員長みずから先頭に立って、そういうふうなことをしまして、開発と保存というものを共存せしめるように調和したい。ただ問題は、双ケ岡の場合はすでに御指摘もたくさんございましたように、私どもこういった席で申し上げにくいのですが、これが現在のようになった形が、あの名勝保存するのに適当かということになりますと、これは京都市の道路だとか、あるいは小学校が、民有地の測定上の誤差からわずかに食い込んだというものとは全然違う。しかも京都府下に一千万坪をこす名勝がございまして、その三分の一が大体民有地になっておりますけれども、こういうふうなことのやり方を誤りますと、累を一ぺんにほかに及ぼすおそれがあるものですから、私どもは必死になって、双ケ岡を何とか現状維持して守りたいという決意を固めておる次第で、ただいまお聞き願ったような京都市のほうの道路だとか、小学校、それから現在承っておりますような学校計画と並行して考えることは、現在のところ私にはできませんので、そういった意味で、双ケ岡の現状を変更する意思は毛頭ない、ということを申し上げたいと思います。
  150. 山田長司

    山田(長)委員 関連。ただいま教育委員会の委員、長さんからお話を伺って、疑問に思いますことは、この間現地へ行ってみまして、山に入ってはならないという立て札が道ばたに立っておったのですが、その立て札をいつごろ立てたのかということを地元の人に聞いてみたところが、数日前に立てたのだ、こういう話だったわけです。京都府がほんとうに現状を維持し、あれを保護するという立場で本気になっておられるならば、あの立て札なども、数日前に立てたというのでは、どうも本気になってあの山を文化財保護の場所として愛する意思がどうも感じ取れないのです。おそらくわれわれが行くということがわかって、立てたのじゃないかという印象を持って、私は帰ってきたのですけれども、その点はいかがですか。
  151. 山田忠男

    山田参考人 あの場合、御視察願ったときの立て札に関しましては、これはたまたまそういうふうな期日の関係になったかと存じますが、言いかえますと、双ケ岡のあの現状に関しての防衛態勢を、京都教育委員会の方針を確認し合うという会議が出発したのが、二月二十五日だったかと存じておりますが、ここに来ておられるような方々が、私どものほうの教育長以下と事務局同士で防衛態勢を固めて、その第一波として、ああいったような立て札を立てるようになったものですから、それで、たまたまそういうことになりまして、それじゃそういう立て札が、至るところどういうふうになっているかということになると、これは所有者あるいはまた管理者、そういったような問題で、私どもも必ずしも十分な指導の自信は持っておりませんが、できるだけそういったふうなことに、立て札その他で注意を喚起することにつとめてはおるのですけれども、こういうふうなものがどれだけ整備されておるかということになると、ただいま私では詳しいことを申し上げる資料ばございません。
  152. 山田長司

    山田(長)委員 地元民の話を伺いますと、寺でも黙認しておったようですけれども、食糧難のおりから、あの山じゅう至るところ、サツマを植えて耕作されたという話ですが、それがいいか悪いか私は伺うわけじゃありませんけれども、かなり長い間放任されておったという印象を、地元民から受けたのですけれども、それで急にここへ立て札を立てるに至ったのも、これはおそらく、皆さんがおいでになるから立てたのじゃありませんでしょうか、ということを住民が言っていました。私はこの住民の素朴なことばを伺って、実際保護管理に当たっている京都府においても、あるいは京都の都市計画の衝に当たっておられる人たちも、京都にはたくさんの名勝があるものですから、双ケ岡などはそう問題にしないでいたのではないかということを、あの立て札の中から、印象を受けておるわけですけれども、これは実際のころ、京都府自身も、そんなに力を入れてこの山を保護すという情熱はなかったのじゃないかと思いますけれども、その点はいかがですか。
  153. 山田忠男

    山田参考人 私どもの、少なくとも京都府の教育委員会の態度の啓蒙という面では不十分な点があったと思いますが、それはしかし、あらゆる機会を通じまして、双ケ岡だけではなくて、文化財のための文化映画とか、啓蒙関係の事業は、私どもの毎年の予算のうちでは相当大きなパートを占めておりまして、京都市、京都府下ばかりでなくて、他の府県に対してでも、映画、印刷物その他をもって、できるだけのことをしております。立て札の問題は、ちょっと私よく存じませんが、そういったことは、特に京都市の観光局のほうでも、ずいぶん協力していただいていると思います。ただ、それにしても、これが十分であるかということには、私も反省が必要だと思っております。問題の双ケ岡に関しましては、——あまりそういうことを言っては失礼かもしれませんが、これはそもそも払い下げを受けられる当時も、いろんな問題があったから、ずいぶんおくれたように聞き及んでおるのです。当時の宗務総長、現在高山寺の住職小川義章老師が、いまもそれを心配しておられますが、そのあげくが、特にああいう誓約書、誓書、そういうふうなものになっております。ですから、私どもは、ああいうふうの文化財は、宗教的雰囲気のもとに初めて保存が全うし得るのではないか、もちろん開発とか、関連する部門が全然出てこないとは思いませんけれども、そういった点で特に注目をして、たまたま第一回の協議会——具体的に所有者が変わりまして、たしか二十四日か何かに届けが出てまいりまして、二月二十五日に、京都市の関係と、そういう第一回協議会をやったために、そういう新しい立て札をごらんに入れることになったのでございます。
  154. 山田長司

    山田(長)委員 関連ですから、もう一点だけ伺って、あとでいろいろ伺うことにいたしますが、私たちが非常に気にして、あそこに参りましたのも、三国人の所有にあの山が移ってしまったということで、もし、非合法のことをやりかねない三国人が、かりにあの山を適宜に、四方八方、行く前に手順をしておいて、何百人という人に、この地域、この地域というふうにして地域別に分けて、入られてしまって、それで、いろいろ誓書は入れているというものの、学校ではなくて、その山を分割して、適当な所有権の移転でもされてしまったならば、一ぺんにあの山の形も変わるだろうし、それから思わざる事件が発生するのではないか、こういう印象を持ったものですから、私たちも聞き及んだ範囲において、これはたいへんなことになったと思って出かけていったわけです。前後のこうした事態というもの、三国人の登記上における所有権の移転というような問題についても、教育委員会の方々にとっては、これはたいへんなことになるというので、文部省に出かけて陳情ぐらい、あなた方はしておるのかと思ったら、実はそういうこともなかったようですけれども、それほど情熱を打ち込んでいらっしゃったのではないのじゃないですか、ほんとうのことを言うと。どうなんですか。
  155. 山田忠男

    山田参考人 私ども教育委員会、特に担当部課におきましての、この問題に関しての活動の評価は、これはいろいろ異なるかと思いますが、少なくとも私が非常勤の委員の一人として、委員長として判断しておるところでは、双ケ岡に関しましては、まず一応十分にはやってくれておると思っております。それから、文部省文化財保護関係とも、常時連絡はとっておりますし、現地に行って、ここにおいでになる仁和寺方々ともしょっちゅう接触をし、本圀寺の場合には、これが接触しにくいような状況が宗門の中にありましたために、多少の問題もありましたが、特に仁和寺の場合には、十分にそういったこともしながら、しかも末寺まで回っているということで、事実、文化財保護課の課員の数が非常に不十分であって、仕事が大き過ぎるということも、私ども承知しておりますが、少なくとも双ケ岡の問題に関しましては、よく委員会の意を受けて活躍したものと、私どもは考えております。
  156. 勝澤芳雄

    勝澤委員 ちょっと締めくくりだけ。教育委員会の委員長さん、お寺で一筆で持っていたときはいいと思うのです。しかしいま売り渡されて、二人の人が持っている。それを今度は幾つに売ろうとしても、それはかってなんですね。売ることについては可能なんです。百人に売ろうが、二百人に売ろうが、一千人に売ろうが、可能なんです。買った人が自分の地所に行くのも当然なんです。私はいろいろなことを想定してみると、いままでの持ち主は仁和寺であったから、仁和寺さんとお話をしていればよかった。今度は持ち主が変わった。変わって、その持ち主が現在意図しておるところは何か、意図しているところは、いま表面的に正式に出されているのは、工科大学です。これ以外は何も出ていないわけですね。あと、こういうことを考えているだろう、ああいうことを考えているだろうといわれます。そういうことを一切がっさい、とにかく防ぐ立場から考えても、これを保護する立場から考えても、あなたがいままで仁和寺お話したと同じように、買った人とお話し合いをして、そうして文化財保護委員会として、名勝保存する立場から、やはりその話というものを調和させる努力をしていかなかったならば、かたくなな名勝保存名勝保存だけで、一体将来どうなるか。あなたが委員長をやっておられるときはいいですよ。だから私は言っているのです。所有者との話し合い、所有者との問題というものをしっかりしておいて、とにかく意図に沿った方向において、名勝地というものを、そういういろいろなことにされないようにするためにはどうしたらよいか、ということを考えなければいかぬと思うのです。その点にお考えを置いてこの問題を処理しないと、現実に問題が発生したときに、私はたいへんなことになると思うのです。あのままで全然手つかずで、そのままいつまでも置ければいいわけです。それを、いまの条件の中で、意図している方向に双ケ岡というのを手をつけずに置ける方法がないだろうかどうだろうか。私はあると思うのです。その方法はあると思うのです。それはやはり話し合っていく以外に方法がないわけであります。私は、二億六千万という金をかけてあの山を買った人というのは、一体何を考えているのだろう、いまもよくわかりません。わかりませんけれども、一応言われていることは、工科大学だということしか言われてないわけでありますから、それだったならば、一体その大学が可能であるのかないのか、あるいは文部省などといろいろ問題がありましょう、ありましょうけれども、それを発展して、名勝保存するためにはどうしたらいいか、ということをいま考えていかなければならぬときに来ていると思うのです。特にそのことを申し上げておきます。もしお答えがあれば、お聞かせ願いたい。
  157. 山田忠男

    山田参考人 ただいまお指摘がありましたが、現在所有者が変わっておりまして、その新しい所有者に対しまして、文化財保護法の趣旨、それから双ケ岡の意義ということは、すでに周知させておりますし、ここにもおいでになっておりますが小西さん、気谷さんとは、担当課の者が話し合っておるはずでございます。それからさらに、将来のあらゆる場合のことを考えまして、分割してこれがまた売られるということもあるものですか一ら、善意の第三者ということを信じまして、そういった方面に関しての私どもの趣意を徹底する方法を考え、ある一部分実行しつつございます。その程度で、現場における既成事実が起きないようにということを、一番いま心労しながら進めております。
  158. 勝澤芳雄

    勝澤委員 起こそうと思えば起きるでしょう、私のものですから。だから、私は言っているのです。現実に移転ができるわけですね。現に売ろうと思えば、買う人があれば売れるわけです。買う人があったから、売れたわけですから。いままで所有者と、名勝地保存のために協力してきてもらったわけですね。ですから、やはりそういう関係を知っておかなければいけないですよ、と私は言っておるわけです。だめですよ。手をつけられませんよ。そこで、二億六千万円の金をかけて一体何をするだろう、あなたも疑問、私も疑問をいまも持っています。しかし二億六千万円で山を買って、まさかただながめておるわけじゃないでしょうから、金もうけを何かしようと考えたでしょう。考えたでしょうけれども、その意図は、公共のために名勝地というものを保存する立場から、調和をさして、そして確実に保証されなければいけませんよ、私はこう言っているのです。
  159. 山田忠男

    山田参考人 御趣旨のことは、私ども承知いたしておりまして、これは双ケ岡に限りませんけれども、一般に所有者、管理者その他と十分に話し合って、文化財保護の徹底をしていきたいと存じております。
  160. 吉川久衛

    吉川委員長 田原春次君。
  161. 田原春次

    ○田原委員 文化財保護委員会の村山事務局長お尋ねいたします。  きょう午前中のいろいろな問答から見て、保護委員会としては、双ケ岡の所有権の移転、大学をつくることに、賛成ですか反対ですか。
  162. 村山松雄

    ○村山政府委員 文化財保護法に基づきます指定文化財の所有権の移転は、法律上規制されておりません。したがいまして、法律上は差しつかえないわけであります。問題は、現状変更、しかも望ましからざる現状変更が起こるかどうかということでありますが、法律上の問題といたしましては、これは現状変更の申請があって可否を判断する問題でありまして、事前に望ましからざる現状変更が行なわれるおそれがあるのではないかという段階では、一般論といたしましては、そういうおそれがあるような現状変更は認めない、ということ以外のお答えはできません。
  163. 田原春次

    ○田原委員 現状変更を認めないとして、それの強制力はありますか。
  164. 村山松雄

    ○村山政府委員 無許可で現状変更をした場合には、罰則がございまして、所有者の場合には、二年以下の懲役もしくは一万円以下の罰金、それから第三者の場合でありますと、五年以下の懲役もしくは三万円以下の罰金という罰則がございまして、強制力があると考えております。
  165. 田原春次

    ○田原委員 あとで関連がありますから、お寺さんにお尋ねいたしますが、土地を売られたお金はどういうふうにされておりますか。その金をもって、今度は住吉山を買うわけですが、住吉山を政府が払い下げるものと思いますかどうか。双ケ岡を、誓約書を入れてまでもやったのに、かってに売ったとすれば、また、住吉山をあなた方が買っても、後日売るのじゃないかと思えば、なかなか許可にならぬと思う。それから、住吉山は、仁和寺さんが買わなくても、現状のままで保存されるならそれでいいのですから、したがいまして、二億何千万円の用途、使途が、住吉山を買うための金であったならば、住吉山を買えぬとなれば、これは浮いてくるのじゃないかと思うのですが、その点をちょっと明らかにしておいてください、あとで関連がありますから。
  166. 立部瑞祐

    ○立部参考人 住吉山が現状のままで、いつまでも国有で置いていただけるということであるならば、これはしいて仁和寺のものにする必要はないと思うのでありますが、先年新聞紙上に発表されたところによりますと、国有地の飛び地で狭いものは処分されるやのようなことが新聞に報道されておりましたし、また事実、あの山を払い下げを受けようとしておられる方があるという情報を得たのであります。そのために、仁和寺としましては、先刻も申し上げましたごとく、六十数年来運動し続けてきた、いわば執念の地であり、尊厳保持上絶対と言うていい、必要欠くべからざる土地でございますために、これは万難を排して、ぜひ仁和寺の所有にしておきたい。これは絶対に将来手放すというような考えは、仁和寺に住いをする者であるならば、おそらく起こすことはないであろうと確信いたします。  それから、代金といたしましては、ただいま住吉山の払い下げは、実は営林局のほうにお伺いしましたところ、代替地を必要とするというようなことでございましたが、これはしろうととしまして、代替地を購入するということはなかなか容易なことではない。できることならば何とかして国のほうなり関係方々にお願いをいたしまして、お金で払い下げを願いたい、かように考えておるわけでございますが、それの残りの金は、ただいま信託銀行に預金をいたしまして、仁和寺護持財団の名目でこれを預金いたしまして、それから生じてきます果実をもって、仁和寺が——先般おいでくださいまして大体おわかりであったと思いますが、ただいま非常に荒れ果てております。へいなども昨年の台風でずいぶんいたみまして、これを復旧しましたが、それはもう全く想像以上に、へいの修理などというものは高くつくのでございますし、防災施設としましても、ただいま文部省のほうへ、京都教育庁の文化財保護課を通じまして、お願いをしてありますけれども、これに対しても全くいまのところ——あれだけの国宝や重要文化財を擁しておりながら、避雷針一本だにないというような現状でございますし、そういうようなものに果実を充てて、将来仁和寺を昔の旧御室御所とし、また筆頭門跡寺院としてふさわしい寺に復旧したい、かように存じておるわけでございます。
  167. 田原春次

    ○田原委員 京都府、それから京都市の、それぞれお考えを聞かしてもらいたいのですが、皆さんは双ケ岡大学ができることに反対であります。この反対を押し切って建てた場合、どういうふうな処置に出ますか。どういう計画がありますか、これを明らかにしてもらいたい。
  168. 山田忠男

    山田参考人 私どもは、要するに、文化財保護法に基づいて、そういうふうな作業があれば、直ちにそれを中止させて、現状に復帰をさせるつもりでおります。
  169. 田原春次

    ○田原委員 市はどうですか。
  170. 島村忠男

    ○島村参考人 市のほうは、風致行政だけでございまして、文化財保護行政は府庁でございますけれども、現在のところ、文化財保護法のほうがいろいろ強い対抗手段を備えておると思われます。それで、これは府庁のほうともタイアップいたしまして、ただいま教育委員長から申し上げましたような方法で、もし不法に現状変更をするような動きがあれば、直ちに保護委員会のほうで告発をしていただく、というような体制をとっておるわけでございます。
  171. 田原春次

    ○田原委員 小西さんにお尋ねいたしますが、京都工科大学をつくる気持ちになったのはどういうわけですか。工業地帯としては、大阪があり、あるいは尼崎等の兵庫県がありますが、どうして特に仁和寺の付近の双ケ岡を、工科大学敷地として選ばなければならなかったかということ、こういうことをお尋ねしたいと思います。
  172. 小西繁一

    小西参考人 先ほどちょっと申し上げたのでございますが、どういたしましても、双ケ岡をいまの時点より一そう価値のあるようにしていきたい。それにはやはり学校が一番いい、こう考えた次第でございます。それでございますので、景勝を害しない程度の一部、五、六百坪だけお許しいただいて、どっちかと申しますと公園的なものにして、市民にも喜んでいただく、また一方は、いま申し上げましたように、お寺のほうも喜んでいただき、そしてまた私らのほうも学校建設をさしていただく、こういうような予定で発足いたしたわけでございます。それで、先刻ちょっと申し上げたのでございますが、収容人員に対しまして、あのくらいの面積があればたいへんいいというところから、諸般を勘案いたしまして、建設をいたしたいと思った次第であります。何ゆえにあそこへ工科大学をつくるか、工科であれば大阪のほうがよかろう、こういうことでございますが、いま申し上げました理由に基づきまして、学校建設に踏み切った次第でございます。工科は、御承知のように、まずここに問題は先生でございますが、大阪あるいは地方へ参りますと、先生がないのでございます。京都でございますと、比較的おいでいただけます先生がたくさんおります。そのようなことで、京都に工科をつくりたい。特に工科は、御承知のように、希望される青年は善良な方が多うございます。そのような意味と、工科のほうは、他科目と違いまして、頭脳が、頭の働かしが三倍くらいもかかってくると私ども考えておりますが、そういうことでございますので、この緑園の中で、環境のいい場所で工科を教えたい、そしてまた幸いに付近に仁和寺さんがございますので、宗教的な教育もここでするのにはたいへん便利でございます。このほか、先刻申しましたように、評価といたしましても安い、交通が便利だ、このようなところから、工科を選んだ次第でございます。
  173. 田原春次

    ○田原委員 お話によりますと、双ケ岡の中で五、六百坪だけ家を建てるというのですが、工科大学というのは実習場が要るのでありまして、たとえば鉄道土木でもやれば、中にレールを敷いて機関車を走らせなければならぬ。あるいは応用化学等やれば、煙突があってくさい煙を出さなければならぬ。そういう設備も何もつくらずに、遊園地だけを二万坪やって、校舎は五百坪だけでがまんするということは、普通の常識では考えられぬと思うのです。  したがいまして、ここからは私の質問並びに案として申し上げるのですが、いま聞きますと、仁和寺は二億数千万円をまだ処分しておらぬようであります。貯金しておるようであります。それから京都府、京都市は、あくまで現状維持をして、これを学校をつくったり、どういう形においても変更を認めぬ、無理にやってくれば実力でも排除すると言う。それから買ったほうは、買って名前が変わっておるのだから、教授陣もおるから、あくまで工科大学をやると言うのですが、三方まるっきり話の一致点がありません。問題は京都府と京都市で二億数千万円出して——その金は古都保存法なり、文化財保護委員会なり、地元負担なり何なり、財源を出して、買い戻す、京都府と京都市であの山を買い戻す、そしてお寺にも損はないようにする。それから同時に京都工科大学は、たとえば舞鶴でもいいし、綾部でもいいし、京都市内でなければならぬということはないのでありますから……。いま話を聞きますと、京都大学の先生が行きやすいところがたくさんあると思います。交換分合といいますが、土地あっせんをして、そこへ大学に行ってもらう、仁和寺はそのままにする、というような構想が、私はちょっと頭に浮かんだのですが、そうされるのがいいと思うのです。学校も一つふえるし、仁和寺としては損はない。それから住吉山はほかに払い下げぬように条件をつける、お寺はうしろでながめていればいいのですから、別にあなたたち金を出して買わなくたって、所有権の移動がなければいいのですから……。そういうような大岡さばきというか、三方一両損みたいな方法で解決の方法はないかと思うのですが、これに対して答弁のできる方、やってもらいたい。三者やってもらいたい。ほかに、交換分合で、京都府内に工科大学敷地あっせんする御意思はないか、市及び府からお答え願いたい。
  174. 山田忠男

    山田参考人 私も、教育委員会の立場から、学校ができるということは、大学であれ、何であれ、大いに賛成でございますが、ただ委員会の立場としまして、直接あっせんの労がとれるかどうか、問題があると思います。大いに、学校ができることは歓迎するものでございます。
  175. 田原春次

    ○田原委員 歓迎するなんという、そんなことを聞いているのではない。この問題の解決策を聞いている。先ほどの答弁では、現状変更したら、あくまで力をもって排除するというのでしょう。それなら、あとはお寺と買い主のほうでかってにけんかするというのでは解決にならぬ。進んで、ここは絶対にいかぬから、学校はほかにさがしてあげます——場合によっては、市有地、府有地でもあれば、積極的にさがしてやるという熱意がなければならぬと思うのですが、熱意がありますか、市のほうから御弁答願います。
  176. 島村忠男

    ○島村参考人 非常に大きな問題でございますが、市のほうでただいま考えておりますのは、最悪の場合、事態に陥りましたときに、この保全のために、古都保存法の規定によって、最後まで確保するという道をただいま検討いたしております。その他、ただいまお話のございましたような三方損的な、これも確かに一つの傾聴すべき御意見かと心得ますけれども、市が市として、私どもで別に敷地あっせんをするというようなところまで、まだ現在考えているわけではございません。ただ、今後あるいはそういうことを考慮しなければならぬことがあるかとも思いますが、これは帰りまして、市長とも十分相談してみたいと思います。
  177. 田原春次

    ○田原委員 それでは、小西さんにお尋ねいたしますが、双ケ岡でなければ工科大学はつくらぬというのか、せっかく二億数千万円出したから、まだあと、学校建てるまでは十億はかかると思うのですが、月謝の収入では利子も取れないと思います。せっかくの商社、それから三栄商事等の第三国人等が関係したものが、無利子で固定して、消費だけの学校をおやりになるのは、あまりにりっぱな話で、ちょっとわれわれ納得できない。したがいまして、京都市内で通当な場所、もしくは京都府内の府有地の適当な場所に、寄宿舎つきの学校が一つふえることは、これはたれもこの問題の解決策としては反対しないと思うのですが、そういう場合に、あくまでどんな力の対抗があっても、予定どおり双ケ岡でやるのか、あるいは適当な土地があれば、学校をつくること自体が目的なんだから、そうするのか、このことについてお答え願いたい。
  178. 小西繁一

    小西参考人 いま御指摘いただきました、五、六百坪では狭い、ごもっともでございます。あの前に、先刻御説明申し上げましたように、民有地が千百十五坪、実測千六百ございます。それを合わせまして、私らの原案原案でございますと、六千四十坪の校舎があればいいわけでございまして、これはまだ多いくらいでございますが、そういたしますと、これは私どもば四階建てを計画いたしたのでございますが、風致地区であり、このような環境でございますので、三階にいたします。そうして下へ一階だけ入れてまいります。そういたしますと、実坪がどのくらい要るかと申しますと、千五百余りでございます。それで民有地を使用するのと、いま申し上げました五、六百坪で十分足りる。でございますので、ほかは、こわすとか、分譲して売るとか、そのようなことは毛頭考えておりませんので、何回も申し上げるようでございますが、五、六百坪はお許しをいただきたい。これから府と市へお願いをいたしまして、書類ができたときには、あらためてお願いに行ってお許しをちょうだいいたす、いまこのような考えでおります。  それから、財政面につきましては、気谷さんのほうから御説明をいたします。
  179. 気谷彦平

    気谷参考人 先刻各委員さんからいろいろ新しい知恵を承ることができまして、私もまことに感謝しておるわけであります。大体この双ケ岡大学建設の目的に焦点を当てたというのは、大学を建てるときには、基本金というものの温存がまず大学設立の第一条件でもあるはずなのであります。そこで、私が仁和寺さんから土地を買う話のある途中におきまして、将来理事長になり専務理事になっていただく方々のお知恵を拝借いたしますと、二億五、六千万円で、この京都名勝が、あの土地が確保できて、学校のものになったということで、あれが基本金に立っていけば、学校としてはもっとも新しいケースの基本金ができる。そうしたたれもが納得できる基本金ができ、学校ができるのだ。そのほうが非常におまえいいことだということは、皆さん関係の方からすすめられたところで、その点は……。
  180. 田原春次

    ○田原委員 重ねてお尋ねいたしますが、京都市、文化財保護委員会等は、双ケ岡の現状維持であって、いかなる形でも校舎の建築は許さぬ、こう言っておる。そこにどうしても校舎をつくると言われますと、暴力で、無許可でかってにつくるわけですか。小西さんに聞きましょう。
  181. 小西繁一

    小西参考人 法があって、法で社会生活をさしていただいておりますので、決して、暴力をもってあの双ケ岡をぶっこわし、あるいは人に転売するというようなことはいたしません。おのおの所管省の認可を得まして、お許しを得まして、変更をさしていただくつもりでおりますので、暴力的なことは一切いたしませんことを、いまお誓い申し上げます。
  182. 田原春次

    ○田原委員 ここであなたが聞かれるように、大学学術局庶務課長も、許可する意思はない、それから、京都府も京都市も、大学許可しない、あの双ケ岡をその校舎として使わせないと言っているのですから、それを許可をとるということは不可能ではないですか。何年かかってもとれないのではないですか。
  183. 気谷彦平

    気谷参考人 この問題が、こういうふうな大きい社会問題になるとは思いませんものでしたから、これは、仁和寺さんからも、小西さんからも、スムーズに運ばれるようなお話でありましたから、私は受けて立ったものであります。ところが、言うならば、こういう社会問題になりましたものですから、私らの立場といたしましては、何か山師的にあのやろうやっているのではないかというような誤解を受けては、まことに私の子供がかわいそうですから、かえ地ではありませんけれども、第一年度の校舎を建てる土地を、いろいろの手を回して、十分くらいのところの場所で、二千坪余りの民有地も、最近予約いたしました。何としてでも大学建設に邁進したいのであることを、こういったような点からも、御賢察願いたいと思います。
  184. 田原春次

    ○田原委員 それでは、山から十分くらいのところに二千坪あれば、いまの小西さんの言うところの計算からいけば、そこに四階建てを建てれば、校舎としてできるわけですね。私は現場を見ましたが、民有地千七百坪というのは、みぞに沿うた細長い土地でありまして、数字からいえば、合わせて新しく五百坪あればできるというけれども、むしろ山は府か市に売るか何かして、その二千坪のところに、りっぱな校舎を、六階でも八階でも建てたらどうですか。
  185. 気谷彦平

    気谷参考人 建築物だけで学校はできないのであります。付属の運動場も要りますし、いろいろの施設も要るわけであります。そういう関係上から、まず運動場のない学校というものはないのですね。どちらを——いま民有地を当てにしたところを建設するか、双ケ岡には、私有地には絶対建設を、府、市当局にお願いして、お許しを願うというケースでもっていかぬというと、結局は山をくずさないといっても、運動場もないような現在の山の地形ですから、結局大学建設するというほんとうの真実を皆さんにごらんになっていただくために、民有地を予約しているような状態でございます。
  186. 田原春次

    ○田原委員 おそらく、最初は山のほうは手を触れずに、五百坪、それに民有地でもって建てる。その後運動場のために山の木を切る、その後寄宿舎を建てる、ということで、いまの双ケ岡の二つの山は、その学校のために使用するならば、現状と全然違うものになると思うのです。したがいまして、御答弁は私は満足いたしません。私は、あくまで解決策を他に考えて、学校もつくり、お寺も損をせず、府、市の風致問題も片づくようなことで解決策を求めていきたいと思いますが、時間の関係で、そういうことについて検討なり勧告する必要があるということを申し上げて、私の質問を終わります。
  187. 吉川久衛

  188. 山田長司

    山田(長)委員 最初に、仁和寺の住職の人に御答弁願いたいと思うのです。  寺から大蔵大臣あて、「寺の宗教活動を行なうに必要なものとして今般国から譲与を受けたものでありますから」というような書き出しで、「若し他の用途に供した場合譲与の処分を取消されても異議は申立ません」という誓約書が入っておるのを御存じだと思う。この寺から大蔵大臣に出しておる書類についてはどうお考えだったか、最初にこの点を伺います。
  189. 立部瑞祐

    ○立部参考人 この無償譲与につきましては、いまさら私が申し上げるまでもないのでありますけれども、そもそも昔から寺の土地であったものを、明治四年に上地令によって、無償で、いわば国に取り上げられたようなものであると私は解しておるのであります。それが明治二十四年に、境内地として無償貸し付けになっておったものが、第二次世界大戦に破れまして、貸しておったものをもとの所有主に無償で返還してやるというような意味で、下さったものであるというふうに、その当時は、私は考えておったのであります。それが無償返還という名前であったら、おそらく皆さま方の解釈も非常に違っただろうと思いますけれども、無償譲与ということでございますし、その当時、実は私の自坊も九千余坪、約一万坪近いものを無償譲与いただきましたが、私の自坊は福岡県でございますが、譲与が済んでから後、県の係官がお見えになりまして、これは強制的に入れさせるというわけにいかないけれども、こういうような意味の誓約書を入れてくれというようなことで、関係者を集められまして、いわば誓約書をみな入れさせられたのであります。私たちはどうも法律家ではございませんので、へたなことをを申上げて、ここでとっちめられやしないかという恐怖心を持っておりますけれども、正直なところを申し上げますと、これは一部は儀礼的と申しましょうか、そういうような意味で、私たちは入れさせられたというふうにも考えておりましたが、その後全国の無償譲与を受けた寺々やお宮に対しましても、先刻もここで話が出ましたように、現に消防署を建てたり、あるいは病院を建てたり、第三者に売ってしまって、その売った金で本堂を建て、寺を再興したというような実例がたくさんあるわけでございますので、そうすると宗教活動というのが、ただお堂を建てる、おがむ道場だけが宗教活動であるというのは、これは最も第一義的な考えでございますけれども、もっと広義にこれを解釈しますならば、悲田院あるいは施薬院というようなものを昔の大徳は建てておられますし、ことに弘法大師は教育には非常な熱意を持たれまして、いろは四十余文字をつくられたり、綜芸種智院を建てられたことは歴史に明らかなことであります。そういう意味において、広義に解釈したときに、学校を建てるということもあながち全然他人事ではないのではないか。  それから、くどいようですが、住吉山というものは、仁和寺の尊厳保持である。先般先生方は山門の中からごらんいただきましたので、どういう感じをお受けくださったか存じませんけれども、実際あの山門に立った時分に、仁和寺としてはどうしてもあの土地は、宗教上、尊厳保持の上で必要である、このように考えておりますわけでございます。それで、全く宗教活動と無縁なものにこれを使ったというふうには解釈しておりません。
  190. 山田長司

    山田(長)委員 国に取り上げられて、それで、その後、戦後その土地をもらったというふうにお考えのようですが、そのもらったときの誓約書には、それは法律的字句の解釈いかんは別として、理解は別として、とにかく寺からは、「若し他の用途に供した場合譲与の処分を取消されても異議は申立ませんことを誓約致します。」というこの書類が入ってしまっておるわけですね。この書類が入ってしまっているということは、これは何としても、国ではこれを取り戻すことのできる内容を持っておるわけです。これはいまここであなたが法律的解釈を云々いたしますけれども、とにかくこれは、あなた方の立場から見ると、ぺてんにでもかかったような印象すらお持ちになっておられるような印象ですが、そういうものをお考えになっているんじゃないかと思われますけれども、とにかく国に取り上げられて、あとまたこういう誓約書を入れて、お寺のものにしているわけですけれども、とにかくそれを前もって知らなかったでは済まないことになるわけです。そこで、宗教の尊厳上から裏の住吉山が必要だということは、寺の庭から見まして、まことにそういう印象を私も持って帰りました。同時に、どうしてこれをいままで寺のものにしていなかったのだろう、という疑義を持って帰りました。  そこで、こういうふうに財産を処理しなければならないような事態に寺が置かれますのは、あなたの寺には檀徒はどのくらいいるのですか。檀家の数ですね。
  191. 立部瑞祐

    ○立部参考人 檀家は一軒もございません。
  192. 山田長司

    山田(長)委員 あれだけりっぱな寺で、檀家をお持ちにならないというのは、それでは寺の収入源はどういうところにあるのですか。
  193. 立部瑞祐

    ○立部参考人 寺の収入といたしましては、ただいまでは拝観料を——一般に御殿を開放いたしまして、拝観料をいただいております。それが最も大きな財源となっております。  なお、余談でございますけれども、全国に八百余カ所の末寺がございますけれども、これは宗団、いわゆる真言宗御室派というものの総本山が仁和寺でございまして、包括団体と被包括の関係になっておりまして、そのほうから応分の宗費として、いわば税金のようなものを賦課して取っておりますけれども、これは仁和寺の経常費には全然使えないのでございます。全く宗団活動のために使っておる宗費でございまして、仁和寺としましては、収入はほとんどほかにはございません。ただいま境内地にあります松の木が、これはまことに嘆かわしいことでございますけれども、台風でひっくり返ったとか、マツクイムシで枯れたり、そういうものを処分して、それでわずかに収入があるということがおも立ったものでございます。これは収入があればあるほど、反面において、寺の風致なり財産は減らされておるという悲しい状態でございます。
  194. 山田長司

    山田(長)委員 国宝的な寺に対する国の補助というようなものですが、そういうものは、いまのお話ですと、全然ないようでございますけれども京都府あるいは京都市は、これに対していかなる保存上における処置が講ぜられておるものですか。
  195. 山田忠男

    山田参考人 仁和寺の場合、仁和寺が所有しておりますところの指定物件の処理、保存に必要なものを京都府を通じて文部省申請して、現在も出ておりますようなもの、あるいは京都府独自の立場で、これは仁和寺に限りません、一般的な文化財全部同じでございますけれども、夫指定のものは、京都府でできるものはできるだけ京都府でめんどうを見ようというふうにして、それ以外に、いま貸し付け金というふうなことをし、さらに差し出がましい場合には、財務相談的なことまでもするというふうにして、その保存に協力しております。
  196. 山田長司

    山田(長)委員 どうも寺の収入がないので、おそらく大蔵省当局と約束していた誓約書を破るような事態に立ち至ってしまったものと思うのです。宗教上、住吉山をもし確保することによって保持されたとしても、やはりその寺の方々も、これは食わずに生活できるものではありません。最近のように物価が高くなってきて、たいへんな事態になってきていると思うのですが、そのときこの山の確保をして、そして尊厳が保ったからといって、これによる収入がどんなふうにかあるものとお考えになっておられるのですか。
  197. 立部瑞祐

    ○立部参考人 住吉山を払い下げしていただきましても、これから直接生じてくる果実とか利潤というようなものは、絶対にないものと存じております。  なお、寺としましては、私が財務部長に就任いたしましたのは昭和三十七年の六月二十日でございました。その三十七年の予算で、いわゆる拝観料が年間九十万円と組んであったのでございますが、今年度におきまして千二百万円を計上するに至ったのでございます。その間、実際に私どもとしましては、でき得る限り最大の努力を払ってきたつもりでございます。先刻、山田委員長さんからもお話がありましたが、実は双ケ岡を処分するのを見合わせ、そして仁和寺にはたくさん宝物があるのだから、その宝物を国に買い上げてもらったらどうかというような、まことにありがたいお話がございましたが、双ケ岡は、いま問題になっているものでありますから、それを売ることは非常に悪いけれども、それ以外の重要文化財を何点か国に買い上げてもらえば、それは住吉山を払い下げを受けてそのほかに、とりあえず仁和寺がいま財源に困っておるその金くらいはできるじゃないかというようなふうに、私ども受け取れたのでございます。その後いろいろ内輪で協議をいたしましたが、まあこれはこういう場合に、私非常に申し上げにくい苦しい立場でございますけれども、双ケ岡を国からただいただいておって、その他のものを売ってしまえというふうにとられやしないかと思いますけれども、実際のところ、双ケ岡の管理に非常にてこずっておる。ところが、これは公的には、私たちは口をすっぱくして、今日までどなたにでも申し上げたのでございます。小西さんにしましても、佐藤さんにしましても、それ以外に何十人という買い手が見えましたが、その第一番に、私たち申し上げましたことは、あの双ケ岡名勝指定地でございます。むろん国の文化財保護委員会から現状変更の許可がない限りにおいては、一くわだって打ち込むことはできませんよ、現状変更を後日受けるのに、寺のほうが協力してくれ、あるいは寺が協力しなかったから現状変更ができないで困っておるというようなことをおっしゃいましても、私たちはその責任は一切持ちません、現状変更ができないかもわからない、とにかく許可なくしては絶対現状変更はできないところの名勝地であるということを承知の上で、あなた方は買いたいとおっしゃるならば、その上で話に乗りましょう、こういうことは、私はどなたにでも、おいでになった方の一人残らずに、口をすっぱくして申し上げたことでございます。実は以前に、こちらの文化財保護委員会の宮地事務局長さんのもとへ参りました時分にも、寺に一片の良識があるならば、あなたらペテンにかけるようなことをしないで、あれは名勝地であるということを言うて聞かしたらどうだ、こういうことを局長さんから承ったことがございました。そのことは府の荒尾課長さんにでもお尋ねください。私は、人をペテンにかけて、これを金にさえすればいいというような考え方でやっておることではございません。そのことは、どなたがおいでになりましても、第一番に、冒頭において申し上げておることでございますということを、その当時申し上げたことでございます。
  198. 山田長司

    山田(長)委員 たいへんりっぱなお考えで、この山の処理にあたって、処したようでございますが、しかしもし相対で話をして、寺から買った人が次に転売し、次に転売します場合には、寺の意思というものは通じなくなってしまうのです。これは法律上から言いましても、そういうことは寺の意思を尊重しておっても、第三者の場合、善意の第三者でございますから、これは全然せっかくの意思がなくなってしまうので、われわれとしても心配しているわけなんでございます。そこで、いまのお話を伺いますと、これは小西さんにしましても、あるいはそのほか気谷さんにいたしましても、そういうお話をお聞きになっておられるわけですね。
  199. 気谷彦平

    気谷参考人 森総長それから立部部長からも、その点はよく承っております。承知しております。
  200. 山田長司

    山田(長)委員 そうしますと、あの小川の橋を渡ってすぐ左に、われわれが見たときに、あそこの千何坪かは個人のものであると言われましたが、工業の大学などは、あのくらいな面積に校舎は建つものではないのです。これは寄宿舎でも建てるとしたならば、あるいは建ち得る可能性がありますれけれども、実際工業の大学となりますと、そのくらいな面積のものでは建つ筋ではないのです。私たちはそういう疑問を持っているわけです。そこで、さらに買った人が、三栄にしましても、この念書を見せていただきますと、工業の大学建設用地として提供いたしますということは、これは買った人が承知しているようです。しかしいま言うように、少ない面積のところへ建物を建てるということになりますと、あの風致をこわさざるを得ない状態になるのですが、その場合、この設立委員の中には専門家がいないわけでもないと思われますけれども、あそこだけのところに校舎が建つとお思いであったのですか、どうなんですか。
  201. 小西繁一

    小西参考人 先刻から何回も申し上げておりますように、実坪が千五百五十くらいあるわけでございますので、四階建てにいたしますと、六千四十坪ということになります。それで四課目で、実験室、実習室研究室——この従来にない研究室をふやしておるわけでございます。このようなことであれば十分だと考えております。しかし運動場等につきましては不備でございますから、ほかのほうで、運動場は現在交渉をいたしておる次第でございます。
  202. 山田長司

    山田(長)委員 これは、あの近所に居住する人たちと、私はこの間話をしてみますと、たいへんあの近所の人たちは、これだけのところへとても学校は建つものじゃないと、しろうと判断で言っておられたのです。それからもう一つ、戦争中は、寺の情で、この山へサツマイモを植えて、サツマイモをとることができて、たいへん食糧難のときに助かった。寺も困って手放さなければならぬようなことになってしまったが、何とかならないものでしょうかということで、われわれに陳情しました。寺の窮状等も察するにあまりあると思いますけれども、私たちが行ったときに、ちょうどキジが飛び立ってきて、そのキジが目の前に飛びおりて、松の根元のほうに飛んでいきました。京都の町に遠からざるところに、かくのごとき場所があるかと思って、実はほんとうにうらやましく感じたのですが、これが一たび、何千人の生徒を集めるという目的で建物が建てられるのかわかりませんけれども、庭はとうていあの面積ではできません。庭は、おそらく工業大学をあそこに建てるとするならば、ほど遠いところになるのだろうという印象を持ちました。そこで同時に、私は気にいたしましたのは、こういう形で次々と転売されていった暁には、寺が感じているような現状維持という形ではなくて、おそらくこれは何十カ所、何百カ所に分散されて、しかも買い主が第三国人であるとするならば、これは適当な処置をされてしまうのではないかという印象を持ち、それでこういう名所旧跡、しかも徒然草の名文が生まれたという、こういう由緒あるところは、一朝にして昔のおもかげをなくしてしまうだろうという危惧を持ちました。だが、これは買われてしまって、寺はもう手放してしまっているのですから、次々と転売されてしまったときには、寺が最初に話した意図というものが当然、次々に引き継がれていけばまた別になりますけれども、引き継がれていったとしても、これはそれ自体を無視されることも、われわれとしては危惧を持つわけです。  そこでこの誓約書を見ましても、学校になるならば提供するということが三栄の取締役社長と、それからもう一人西原さんという所有者の人から、念書として入れてあるようでありますけれども、この念書が大学の設立委員のあなた方に入れてあっても、これは会社人たちですから、これはいつまでもこの会社の所有のものになっているとは限らないわけですよ。ここに、第三者に次々に移ったときに、この念書が入れてあっても、必ずしもその学校敷地として使用されるものであるかどうかということについては、全く私たち心配しているわけです。そこで、このことについて、私はまだ賛成しているわけじゃないのですよ。ですが、このことについて、これは寺は放してしまった。土地第三国人のものになってしまった。しかもこれが次々に転売されないという保証はどこにもないわけです。ですから、私の考えでは、これはいまのうちに早く、目的に反している状態なんですから、京都府なり京都市なりが力を入れて、金をつくって、これは教育委員長につくれと言っても無理なことですけれども、私の希望を申し上げるならば、金をこしらえて、そうして学校土地については、どこかかえ地を見つけて、しかも大阪や神戸であったのでは先生を招くということは困難であるということで、京都の地を選んでいるようでありますから、かえ地を見つけてやる努力を、教育委員会なりあるいはそのほかの機関なりで、学校をつくるということについての努力はしてやる、さらにそれで金をくふうして、そして原形にとどめておく努力をすべきだという印象を持つのですけれども、この点については、これは教育委員長に金をつくれということじゃないのですから、私の希望について、教育委員長のお考えを、この際伺っておきたいのです。
  203. 山田忠男

    山田参考人 私個人の意見は申し上げられますけれども、ただ、それより、いまの御意思のあるところはよく承って、委員会として考えてみたいと存じます。私個人といたしましては、もちろん、そういったふうな面で解決できれば、これに越すものはございませんが、ただ問題は、先ほどもちょっと触れましたように、まだ数百万坪の民有地で、史跡名勝になっているところがございまして、これが双ケ岡の処置を、ある意味では注目して待っているものですから、それに対しての影響ということを始終考えながら、そういった方向で、検討させていただきたいと存じます。
  204. 吉川久衛

    吉川委員長 吉田賢一君。
  205. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 だんだん時間が経過しましたので、できるだけ、私も要約してお尋ねしますから、お答えの皆さんも、ひとつ簡単明瞭に御答弁をお願いいたします。  第一点といたしまして、山田参考人に伺いたいのです。京都府の教育委員会の委員長、非常に重要な立場におられるように拝聴いたしておりましたが、あなたらの御理解、御認識では、一体、仏教における宗教活動とは何か、端的にひとつおっしゃっていただきたい。
  206. 山田忠男

    山田参考人 私ども教育委員会で考えております宗教活動というのは、宗教法人としてお考えになります、宗教法人の目的に沿ったあらゆる活動を含むものだと考えております。
  207. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 少しその点、具体的に例をあげていただけませんか。
  208. 山田忠男

    山田参考人 一般信者を対象としての宗教活動と、信者以外の者に対しての宗教活動と、こういうふうに分けて、私は考えております。
  209. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 信者に対する宗教活動はよく理解しやすいのですが、信者以外の者に対する宗教活動となれば、富士山を対象として動くのも宗教活動になるのか。あるいは道で善事を行なう小さなことも宗教活動になるのか。一体何が宗教活動か。対象は、人間の行なう一切の生活生存上の行為を対象とするのか、自然社会現象も対象とするのか、ということにも範囲が広がってくるわけですが、ひとつ限定して、常識的におっしゃってもらえませんか。
  210. 山田忠男

    山田参考人 ちょっと御質問の要点を私が十分理解できないのかもしれませんが、私が申しましたのは、たとえば京都市内外にはたくさん修学旅行というふうなものが参りますので、そういったふうなものを通じて、宗教の尊厳、宗教に対する教育を行なうということも、重要な宗教活動だと考えておる、こういうふうな意味で申し上げた次第でございます。
  211. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そのようなことで、いろいろと明確な御答弁をいただくことがあるいは無理かもわかりません。  そこで、いまの例の誓書の問題に触れるのですが、以下、私のお尋ねすることは、大体ほかの委員の触れられた点と重複するきらいがあるのですが、やや角度を変えまして、もしくは私が足りないと思いましたような点について、主として伺ってみたい。  仁和寺が大蔵大臣に提出いたしました誓書、昭和二十七年十一月二十五日付でございますが、この誓書の法律上の性質の問題であります。幸い、きょうは法制局の関第一部長が見えておりますので、伺いたいのでありますが、この誓書なるものは、読んで字のごときことであるかもわかりませんけれども、しかし、少なくとも客観的に宗教活動でないというような認識をなし得るような活動がありました場合、それが利権の用途に供せられましたような場合、そういうようなときには、当然この誓書の趣旨に反するというようにも解するのですが、これは、昭和二十二年の、例の社寺等無償貸付国有財産処分に関する法律を制定するときの衆議院の附帯決議もあるようでありまして、その附帯決議の趣旨を尊重するということが、ここにも書かれておるようであります。さて、法律上の効力はどうなんであろうか、道義的な書類にすぎないのであろうか、その点はどういうふうにお考えですか。
  212. 関道雄

    ○関政府委員 誓書は私も拝見いたしましたが、この趣旨は、まず宗教活動以外の用に供しないという意思を表明し、第二段において、他の用途に供した場合は、譲与の処分を取り消されても異議は申し立てないという、二つの事項が含まれておるわけでございます。ところで、この誓書の法律的な効力を判断いたしますについては、そもそも、この譲与がいかなる性質のものであったかということから入っていかなければならないと存じます。  そこで、先ほど来問題になっております昭和二十二年の法律第五十三号という法律における措置の性質が何であるかという問題でありますが、これは皆さま、もうよく御存じのとおり、まず、社寺土地その他の措置によりまして、明治の初年におきまして、従来いろいろな形で社寺が保有しておりました土地を、一たん国有に移したわけでありまして、それからその後に至って、一定の境内地その他につきまして、無償でこれを使用さしておったという形になって、この昭和二十二年に立ち至ったわけでございますが、この問題は、新憲法の施行を控えまして、いままでのやり方に非常に憲法上の問題が生じてまいったわけでございます。その第一は、一つには、国有財産を社寺に使用さしているという、その形だけを見ますと、これは憲法八十九条の規定上問題を生ずるわけでございます。次に、それを宗教活動のために国が特に使用さしているのだという面に着目をいたしますと、憲法二十条一項からも問題を生ずるわけでございます。他面、それでは無償の貸与という措置をやめてしまえばどうかということになりますと、これは実は、明治以来の政府のとっておりました長年の措置、及びその措置をとるに至りました由来というものとあわせ考えますと、これは社寺の財産権を侵害することになるおそれがあるという考え方が出てまいったわけでございます。この二つの調和をいかにするかということになりまして、憲法の施行を約三週間の後に控えまして成立しましたこの法律によりまして、まず無償で貸与しておるもののうち、社寺等の宗教活動を行なうのに必要なもの、そういう財産の範囲を限りまして、そういう範囲の財産は、これを無償で譲与する、あるいはその社寺が元来保有しておりましたものにつきまして、多少明確なる立証のつきにくいようなものにつきましては、第三条において、半額で随意契約をもって売り払うという措置を購ずることにしたわけであります。  そういうこの法律の由来を考えますと、ここの法律に基づきますところの譲与あるいは半額の売り払いというものは、結局昭和三十三年十二月の最高裁の判決でも示されておりますように、一種の、元来社寺の持っておりました財産を、法律的な観点から、可能なる限度において返還をするという形の性質のものであるというふうに考えざるを得ないわけでございます。そういたしますと、その場合に、国として、その譲与なり半額の売り払いにつきまして、条件を付したりするようなことは、この法律の趣旨として許されないことになるのではないか、こう考えるわけでございます。  このような前提に立ちまして、いまの誓約書を考えますと、それは結局、この法律において、社寺が社寺として存立をするのに必要な、元来持っておった財産を返すについては、そのような財産として、みだりにこれを処分してしまったりなんかするということは必ずしも適当でないという面もあることに着目をいたしまして、社寺の側として、その譲与を受けた趣旨に沿ってこれを管理運営する、という約束をしたということでございまして、必ずしも譲与とか売り払いとかの契約の内容をなすというものではないのではないか。したがって、それは、どちらかといえば、かなり道徳的なる意味を持つものにとどまるのではないか、こういうふうに考えるわけでございます。
  213. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 最高裁の昭和三十三年十二月の判決の趣旨は、いまお説のような、道徳的な意味ということをうかがい得る字句は全然ございません。もちろん社寺等に返還する処置を講じておる、こういう字がございます。さらに第一項の末段におきましては、すなわち経過的手段としての立法にほかならない。だから政教分離の憲法八十九条に違反するものではない、こういうのがいまの点に対する結論であります。だからさっきおっしゃった道徳的な性格を持ったということは、これはこの趣旨には入っておるまいと思います。特にこれは最高裁の大法廷におきましての判決でございます。  そこで、問題は一転いたしまして、立法の際の衆議院における附帯決議を読んでみますと、附帯決議は種々経過がございますけれども、要するにこの法律の趣旨、精神を十分尊重して、そして文部、大蔵、農林それぞれと緊密な連携のもとに、この法律を運用せねばならぬ、こういう趣旨が記載されてございます。特に法第一条の末段には「社寺等の宗教活動を行うのに必要なもの」こういうことに限定をいたしております。こういうことから考えてみますと、やはり帰着するところは、宗教活動いかんということにあるのであろうと思います。  それからもう一つは、法律が明らかでないために問題が生ずるのでありますけれども、具体的な宗教活動でないものが起こったときには、たとえば宗教活動でないようなものに現状を変更してしまいましたならば、文化財というものは、原状回復は不可能というものが多いのであります。たとえば自然にしろ、あるいは人間のつくった構造物にしろ、世界各国に文化財がございますし、歴史上のものはございますけれども、一たん変更してしまって、それをもとに戻すということは、これは手品です。ですから、やはりある具体現象が起こる前の、客観的にその危険があるというときの措置は、相当慎重にとっていかなければなるまいというのが、この法律の精神であろう、私どもこう解しておるのです。  そこで、いまの問題に具体的に入る前に、宗教活動とは何ぞやということで、私が勢頭お尋ねしましたのはそこへくるのです。これは壁頭には「当寺の宗教活動を行うのに必要なもの」としまして、譲与を受けました、こういう趣旨の誓書が入っておりますのですから、だから宗教活動を行なうに危険があるというような事情があるならば、これは外部的にも何らかの措置をとらなければならぬということが一つと、それからまた同時に、この誓書自体の趣旨を積極的に生かして活用するのでなければ意味がないと思う。たとえば、さっきお寺さんの御説明を聞いておりますと、何でもかんでも宗教活動になる。こんなことにしましたら、料理屋も宗教活動になるかもわからぬ。宿泊所、ホテル、全部です。レクリエーションしかりです。公園よろしい。どれもこれも人間の生存上必要なことで、精神修養、宗教的な何かを得る機会になりますから、あるいは大いに歌って大いに踊ってというようなことも必要かもわかりませんが、そういうことになりましたら、この範囲たるやわれわれの常識でなにすることはできません。したがいまして、この場合、「宗教活動」云云の法律の趣旨を解釈いたしまして誤りなからしむるためには、ある客観的に危険性があるというようなことまでいきませんと、私は意味がないのじゃないだろうか、こういうふうに実は思うのであります。でありまするので、いまの結論的に、この誓書なるものの法律上の効力が、宗教活動というものは——これを受けるほうの大蔵大臣、受けるほうの側におきまして、宗教活動を行なわないおそれがありというようなときには、何らかの措置がとられるのじゃないだろうか、こういうことも考えるのです。でありまするので、その点につきまして、法律上この誓書をどう理解したらいいのだろうか、こういうことの御判断を求めたいのですが、それはどうでしょう。
  214. 関道雄

    ○関政府委員 初めに、先ほど私が御答弁申し上げた中で、あるいは私の説明がまずくて、間違った印象をお与えしたような点があったかと思いますが、私は、最高裁の判決で、この誓書そのものが道徳的な効力しか持たないものだというふうにいっている、と申し上げたわけではございません。  それから、宗教活動については、その宗教を行なう当事者の主観的意思にかかわらず、おのずから客観的な範囲があるだろうということも、お説のとおりに存じます。ただ、私が先ほど来申し上げたかった点は、この法律の第一条にあります「宗教活動を行うのに必要なものは、」ということが書いてありまするのは、譲与をするに際しましての財産の範囲というものを考えて書いてあるのでございまして、その具体的な内容は、勅令において明確にしてあるわけでございます。そこで、この「宗教活動を行うのに必要なもの」ということは、財産の譲与を受けた後においても、宗教活動のために使っていなければならないという条件を付したものというふうには、私は理解しておらないわけでございます。しかしながら、この誓書はもちろんただ無意味に出されたわけでもなし、またこの譲与をするにつきまして、それがその社寺の宗教活動のために役立つものとして、国は期待をして譲与したということも事実でございます。その意味において、法律外の問題として、いろいろその趣旨の実現せられるように、具体的にいろいろの措置をとられるということは、もちろんこれは法律外の問題として考えられることである、というふうに考えております。
  215. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 ちょっと私はいまのところ、聞き取れないのでありまするが、そういたしますと、結論的に、この誓書なるものは、たとえばその目的の土地が公園に使われるというような場合、あるいは学校の広い意味敷地に充てられる、校庭などに充てられる、グラウンドに充てられるというような場合には、これは宗教活動にあらすとして、譲渡処分の取り消しがなし得るという見解が成り立つのでしょうか。
  216. 関道雄

    ○関政府委員 私が先ほど来、誓書について、法律的な効果はないのではないかというふうに申し上げておりますのは、まさにいま先生の御指摘の点でございまして、かりに宗教活動以外のものにそれが使われたといたしましても、この譲与の措置そのものは取り消すことができないものである、というふうに私は考えております。
  217. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そうしますと、末段の、その他の用途に供しました場合、譲与処分を取り消されましても異議申し立てませんということは、やはりこれは道義的な拘束力しかないものというふうになってしまうのでしょうか。としますると、この法の第一条の宗教活動に必要のためにという趣旨が、全然生きてこないことになるわけでありまするが、これはそういう見解として承っておくよりしかたがありませんが、私は、そこは非常に片寄った解釈ということになるのではないであろうか。もちろん、あなたが最終的に有権的に解釈なさるお立場ではございませんけれども、裁判所が決定するのかもわかりませんが、やはり社会の常識は、宗教活動なるものがそんなに広いものとは思いませんですから、宗教活動という狭いわれわれの常識の範囲のもの以外にその土地が用いられるような場合は、誓書の趣旨に反する、宗教活動を行なうに必要な行為ではない、というふうに解するのです。そうしますと、法制局第一部長としてのあなたの御意見は、いまの場合、学校敷地になろうと、グラウンドになろうと、公園になろうと、取り消しの処分は不可能である、こういう結論として理解したらいいのですか。
  218. 関道雄

    ○関政府委員 そのとおりに考えております。
  219. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 それなら、文部省の村山事務局長に聞きますが、文化財保護委員会は、重要文化財あるいはこの種の名勝、史跡等の保護のために、実に重大なほとんど独立の権限を持った委員会でありますが、一体、いまの関部長の言うような説明に従っていきますと、広く何に使われても、誓書は生きてこないということになる。したがって、本件の場合は、国有の名勝を民間の社寺が無償譲与を受けて、それを管理するということについて、委員会は、文化財保護法によって、相当法律上の責任があると思うのですが、その管理目的も達せられないようなことになると私は思うのですけれども、これはいかがでしょう。
  220. 村山松雄

    ○村山政府委員 文化財保護法によりますと、指定された文化財の管理の責任は、第一次的には所有者が持つことになっております。それから行政的に、都道府県の教育委員会並びに国の文化財保護委員会が、これを指導ないしは援助するというたてまえになっております。なお、所有者がない場合、あるいは所在がわからない場合、あるいは、おりましても所有者に管理せしめるのが適当でない場合には、公共団体を管理団体ということにしまして管理させることも、法律上できることになっております。
  221. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 一体、伺ってみたいのですが、そうすると、あなたらのお立場から見まして、文化財の現状変更というのは何なんです。
  222. 村山松雄

    ○村山政府委員 要するに、指定のときに、指定の現状があるわけであります。たとえば双ケ岡の例でありますれば、眺望をほしいままにする地点、というようなことが指定の条件になっております。したがって、付随的な条件といたしまして、みだりに竹木を採取しないこととか、あるいは岩石を採取しないこととか、あるいは地形を変更しないこととか、というような条件がつけられております。そういうことにつきまして変更を加えることが、現状変更であります。なお一部に、文化財保護法に基づく現状変更は、一木一石たりとも除去してはいかぬというぐあいに解される向きがありますが、法律によりますと、まず維持の措置は差しつかえないことになっております。たとえば土地でありますれば、雑草がはえておるような場合に、その雑草を除去するとか、木でありますれば、枝がむやみに伸びておるような場合には、植木の手入れ上必要な刈り込みなどをやるというようなことは差しつかえないわけであります。それからさらに、保存に影響を及ぼす行為につきましても、影響が軽微なものは差しつかえないことになっております。たとえば広い地域の名勝ですと、指定地域内に住民が居住して知るというような場合がございます。そうしますと、住んでいる人が生活上必要な変更を加えるというようなことは、態様に応じて、保存に悪影響がないと認められる場合には、許可をいたしております。具体的な例をあげますと、たとえば民家でありますれば、これを改築する、それからさらに進んで、若干増築をするというようなことも、住民の生活上必要な場合がございます。そういう場合の文化財保護法に基づく現状変更の申請は、都道府県の教育委員会を経由することになっておりますので、教育委員会にお願いいたしまして、保存に悪影響があるかどうか調べてもらいます。場合によりましては、現状変更の計画それ自体につきまして、調整を加えます。たとえば、住宅の建築であれば、高さですとか、あるいは屋根の形状、色ですとか、あるいは壁の状況、たとえばペンキ塗りのけばけばしいような色彩の構造のものは好ましくないけれども、落ちついた色で、かわらぶきで著しく高くないようなものであれば差しつかえないとか、そういう指導をしまして、差しつかえないと判断する場合には、教育委員会の意見を尊重いたしまして、許可する場合がございます。そういうぐあいにやってまいっておるのが、文化財保護行政の現状変更に関する態様の概要でございます。
  223. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 第二点は、三国人の問題ですが、この問題は、これは今日の状態においては、登記上、われわれ常識的に考えまして、どう処理されるかわからぬ、どう処分されるかわからぬという蓋然性が看取し得るのでございます。このような問題もあるためですか、本年の二月二十二日に、京都市会の文教観光委員会におきまして決議をいたしております。これによりますと「名勝“双ケ岡”は、工科大学建設という美名のもとに、なしくずしに破壊される恐れが多分にある。」そういう判断をいたしております。したがいまして、この「名勝“双ケ岡”の保全のため、理事者に対しその監視・監督を督励すると共に、市民と一体となって双ケ岡保全に全力を傾注するものである。」ということを決議しておりますが、市の当局は——計画局長と文化観光局長がお見えになっておりますが、あなた直接の当事者ではなかったけれども、重要なあなたに関係のある決議でおりまするが、どういうふうにこの前段の、なしくずしに破壊されるおそれ多分にあり、というのを御判断になっておるのでありましょうか。少なくともこれは、今日は、第三者の所有というものが、登記上名白になっておりますので、このような事実は何をおさしになるのであろうか。
  224. 石堂策郎

    ○石堂参考人 京都市会で、なしくずしのおそれがあるということをお考えになったのは、多数の人に転売をされたり、ブルドーザーで、実力行使による整地をするのではないか、そういう点を、京都市会では御心配になったわけでございます。
  225. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 多数の人に転売されるおそれありということは、大体、根拠、状況は何によって判断されておりますか。
  226. 石堂策郎

    ○石堂参考人 特別の確たる状況があったわけではございません。そういうこともあり得るのではないかという、御心配をされたわけでございます。
  227. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 しかし何らの根拠なくして、他人の所有しておるものを、なしくずしに破壊されるおそれありと判断されることはあり得ないと思うのです。何らか相当材料があって、しかもこれは京都市民全体の意思表示ですから、全市民の意思表示といたしまして、厳重に監視するのに全力をあげなければならぬということは、相当根拠がなければならぬ。何の根拠もなくして、こういう判断はできないと思うのです。何らかよりどころがあるべきだと思うのですが……。
  228. 石堂策郎

    ○石堂参考人 これは、他の風致地区などで、往往にして、まだ許可を得ないのに、宅地造成をするというふうなことがあったことをさして、御心配になったわけでございます。この点ではございません。他の地点でそういう事実があった、ということでございます。
  229. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 これ自身は、本件の双ケ岡の問題ではあるのでしょう。その内容がそうなんですからね。そうすると、それは、他の地区にあったので、これもそうあってはならぬというだけですか。そんなに弱いものに、こんな強い決議をするのですか。
  230. 石堂策郎

    ○石堂参考人 京都市会は、たいへんこの点につきましては御心配になって、将来までを予測して、御心配になったと、われわれは理解いたしております。
  231. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 第三国人の介在しておりますということは、非常に重大なことでございまして、多くの例が世間にあるわけであります。極端に言うならば、転売して外国へ帰ってしまったならば、あとは、言うならば、あとの始末は日本人がせなければならぬということになるのでありまするが、この点につきましては、特に所有権の分散するということと、それから、いろいろと利用されるということ、現状変更はもちろんのこと、複雑な利用状況になるということ等々、いろいろと将来考えられるのです。こういう将来性の問題になるのですが、現況まだそのようにはなっておらぬ。おらぬけれども、このような重大なものの扱いは、将来のことを見通しまして、そのようになる危険がありというときには、相当の手を打つべきだ。これが文化財保護のほんとうの精神でないかと思うのでありまするが、その点につきまして、教育委員長のお考えはどうでございましょう。
  232. 山田忠男

    山田参考人 いま私どものほうは、第三国人云云というふうのことよりも、所有権が移転するときの状況、つまりどういうふうなために、どういうことをなさるというふうのことを中心に考えて、処理いたしておりまして、いきなり、第三国人云々というふうのことを中心には考えておりません。
  233. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 やはりこれは、三国人の関係は、これまた見る人によって違うことと思います。それから、資金関係も同様であろうと思います。計画の具体性も問題と思います。要するに、あらゆる要素が、これは文化財保護の趣旨に背反する方向に、だんだん行くのではないかというのが、現状に対する多くの人の不安の原因であろうと思うのであります。  これは、相当論議されましたので、このくらいで、国会が判断するよりほか手がないのでありますが、私は最後に伺っておきますことは、この種の重要文化財が、京都のみならず、全国にずいぶん散在しておりまして、法律もまたずいぶん組んでありまして、理解、運用の状態も問題が多過ぎます。そこで、この種の文化財の保護の対策いかんということが、結局問題でないかと思うのでございまするが、この点は、たとえば名勝にいたしましても、文化財保護法によりましても、三十五条でありましたか、政府は管理等についての補助金を支出すべき義務があるような規定さえございまするが、個人の保護管理にまかしておいて、所有権が優先するんだという思想、観念、したがって、経済約に処分し得ることは、これは法律のぎりぎりまでやってもいいのだということ、道徳的にそれを規制し得ないということ、そのような場におきまして、文化財を完全に保護するということは、私は不可能だと見ております。だから、結論的に言うならば、やはりこの具体的な双ケ岡問題は、双ケ岡問題としまして解決しなければならぬ。同時にこれを契機に、もっと掘り下げまして、文化財をいかに保護することが必要か、適切な方法対策いかんということになると私は思うのでございます。そう思うのでありますが、これにつきましては、やはり国の力をもって保護するというところに一歩前進する必要があるのではないだろうか。もちろん、ここに、地方公共団体あわせてこれの衝に当たらねばなりませんけれども、要するに、個人の所有権を振り回すことによって完ぺきを期することはとても不可能です。そういうことでありまするので、この点、これを契機に一歩前進して、保護対策を立てるという必要があるのではないかと思うのでありますが、これは政府の方、見えておりますか——では、政務次官にひとつ伺いまして、政府がその抜本的な対策を立てるというくらいまでいかなければ、これは保護管理の完ぺきを期することは不可能であるというふうに、私は観測するのでありますが、どういうものでありましょうか。そしてまた、これに対する御用意を持って進んでいっていただけば、なお望ましいと思うのですが……。
  234. 中野文門

    ○中野政府委員 お答えをいたします。  ただいまのお話でございますが、国が、有形無形の文化財あるいは天然記念物、名勝等を指定をいたしまして、結果において、指定のしっばなしではないと思いますけれども、指定されました天然記念物あるいは名勝、有形無形の文化財等が、ほんとうに国の重要文化財あるいは名勝、天然記念物として、長くこれが維持、管理、保存をされることにつきましては、まだまだ現在の行政では手ぬるい点が多々あることを、私ども認めるものでございまして、せっかくただいまのおことばもございますので、われわれといたしましては、なお進んで、結果的に指定のしっぱなしというようなことにならないように、十分検討して、皆さま方のお知恵をかりながら、善処いたしたい、かように存ずる次第でございます。
  235. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 終わります。
  236. 吉川久衛

    吉川委員長 これにて、本日の参考人に関する議事は終了いたしました。  参考人各位には、御多用中のところ、長時間にわたり、調査に御協力くださいまして、ありがとうございました。本日は、これにて散会いたします。   午後一時五十七分散会