○
岡三郎君 野上君の
質問に対して
お答えを申し上げまするが、先ほどの質疑は、今回の
日韓条約の可決のしかたについて
議長のとった行為、また
河野副
議長のとった行為について、いろいろと午前中
相澤君の
質問に対しても答えたわけでありまするが、私は、
質問のありました
議長職のリーダーシップの問題を中心として、いろいろと
議会運営についての考察というものについて述べて、御答弁にかえたいと思います。
私は、現在の政治というものを
考えたときに、一体、公約というものはどうなされているかということになると思うのです。これは、
重宗議長なり
河野副
議長が就任をせられたときに、就任のことばというものがこの官報に載っておるのであります。
河野謙三さんは次のように言っております。「ただいま、皆さまの特別の御支援により、不肖私が副
議長に当選いたしましたことは、まことに光栄でありまして、感激の至りでございます。」、これは、
自由民主党の副
議長ではなくして、
参議院という
国民の声にこたえる副
議長としての「光栄」という
意味であろうと思うのであります。「私は至らぬところ多くして、皆さまの御期待に沿うだけの力を発揮し得るやいなや危惧の念にたえない次第でございますが、その職務を行なうにあたりましては、日々反省の上に立って、中立公正を旨とし、誠心誠意
議長を
補佐し、
諸君の御厚情にこたえる覚悟でございます。ここに、
各位の絶大なる御支援、御指導を切にお願い申し上げる次第でございます。」、こう言い切っておるのであります。もちろん、
議長が公正な
立場に立って事を処するということになるならば、われわれは、
自由民主党出の副
議長であっても、協力することにやぶさかではないのであります。しかし、このように堂々と副
議長就任のことばの中において言い切っている
立場から言って、われわれが口をすっぱくして言っているように、今回の問題は、
日韓条約というものの
批准よりも、永遠に続く
日本の議会制民主主義の生命をかけている問題でありまして、このことについては、あくまでも、是は是、非は非として、ものごとの筋を通してもらわなければだめなのであります。私は常に思うのでありまするが、制度は制度として、最後は人にあるということを言われておりまするが、しかし、何といっても民主主義というこの制度の上に立って
議会運営がなされてもらわなくてはならない、こういうことを皆さま方に強く訴えたいのであります。しかし、現状における
議長、副
議長のリーダーシップといっても、なかなか事は簡単ではないと思います。しかし、われわれが常に言っているように、
議長、副
議長のリーダーシップを確立するということの第一歩は、やはり、平凡ではありまするが、党籍を離脱するということにあると思うのであります。これは、野上さんが言うておるとおりに、私もそのとおりだというふうに
考えます。ただ、
議長、副
議長が党籍を離脱するということだけではなくて、議会を
運営し、
議長を
補佐するこの議院
運営委員長というものも、私は、党籍を離脱し、中正公平な
立場に立って
運営をするということが必要ではないかというふうにも
考えます。さらに一歩進めて、議院
運営委員長だけではなくして、各常任
委員長、特別
委員長が、その座に着いたときから、これは一党の
委員長ではなくして、
国会役員として公正な
立場に立つという、そういう見地から、やはり党籍を離脱して、明確に
自分の職務というものを公正に行なうということが必要ではないかというふうに
考えるのであります。(
拍手)このことをわれわれが口をすくして言っても、馬耳東風でこれを聞き流すということでは、これは、多数党としての
自民党が真に
国会を民主的に公正に行なうという意思に欠けているということを、残念でありまするが、指摘せざるを得ないのであります。
さらに、
議長のリーダーシップの問題に関連いたしまして、もう一点は会期の問題であります。いまの
国会法なり憲法にのっとって、通常
国会百五十日、あるいは
臨時国会が召集されまするが、常に最終
段階におきましては、会期の問題が問題となってくるのでありまするが、これは、
アメリカの議会制度というものにならった現状において、戦後二十年、いましばらく世界の
議会運営というものに目をはせて、現存の
日本のこの
国会運営の姿について、やはり基本的にわれわれは
考えていかなければならぬ問題があるのではないか。それは、イギリスの議会の例といたしまして、イギリスは一年じゅうを会期といたしております。議題がなくなれば休会するのであります。一年じゅう開いているというと、また、滞在費がどうだこうだ、というふうに口さがなく言う人もあるでありましょうが、休会すれば、これはもらわなくていいのでありまして、そのような問題については何ら
心配することがありません。そうすれば、七十日とか六十日とか五十日という論議はなくして、その議題が終了すれば自動的に議会は休会になる、こういうシステムになるならば、時間の問題で
自民党が無理押しをし、これを強行可決するということはなくなるのであります。あくまでも、是は是、非は非として、
国民大衆に対して
お互いに言うべきところを言うという、筋道にのっとった議会政治というものの確立が、私はここから生まれてくるということを信じて疑いません。いたずらに、二十日とか三十日とか、あるいは言論を封殺するために、十分、十五分、あるいは二十分というふうな、そういう言論の制約の中からは、
国民は、正しい法律なり条約というものが生まれてこないということを指摘をしているのでありまするが、どうしてもわれわれは、
議長のリーダーシップを
考えるとともに、議会のあり方、特に会期の問題については、これは三百六十五日ここに、帝国議会以来、あるいは終戦後民主議会が生まれてからも、現存して、これがもう将来もあるわけでありまするから、
国会は常に開かれている、議題がなくなれば休会にする、休会中は一銭も
国会議員は要らないのでありまして、そういう
立場で堂々とやる、会期延長などという問題に労をわずらわすことなく、堂々とやはりやっていくということが必要ではないかというふうに私は
考えるのであります。
次に、私は、リーダーシップの問題に関して、やはり新しい
一つの問題を提起しなくてはなりません。
議長が就任をせられ、先ほど言ったような公正な
立場に立って
運営する。その中において今回の事件を問題にするときに、
議長がリーダーシップをとる機会があったのであります。現実においてもあるわけでありますが、それは、五派が
議長に対して、寺尾日韓特別
委員長のとったあの可決報告書は捏造である、ない、こういうふうに申し入れたときに、
議長は、もうすでに公報に掲載してしまったから、これは無理押ししてもやる以外にないのだということを言わずに、百年の将来を
考えたときに、議会政治として、なるほど少数多数ということではなくして、真理は真理として、事実は事実として、その調査をすべきことを午前中にも申し上げました。五派の言うておることが正しくあれば、
自民党を抑えて、このことはいま
自民党が数をたのんでやっても、将来において重大なる禍根を残すということになるので、これは自重し、もってこの問題についての処理を誤らないようにやってもらう、このことが重要であったわけであります。日韓特別
委員会の寺尾さんが病気で入院された。これは私は、どの程度の
——ほんとうの病気かどうか、先ほ
ども疑ったわけでありまするが、草葉隆圓君が代理としてやるならば、現状においても私はできると思うのであります。したがって、このときにわれわれが
考えたのは、
自民党の多数を制止するのは、
社会党、公明党、民社党、共産党、第二院クラブ、この五派が、
野党五派が足並みをそろえて、もしもこのまま突っ走るならばわれわれは議席に出たいけれ
ども出られないという形で、これを阻止するという方法以外はなかったのでありましょう。しかるに残念ながら、話は話として、
議長が専断的に
職権をもって開会するということになれば、
野党の中にも、入らなければならぬという……。このなまはんかな議会制民主主義というものがあったから、
議長は思いとどまることができなかったのかもわかりません。少なくとも、単独審議というものはやらないと
佐藤総理が言明している限り、
重宗議長も、
河野副
議長も、
野党が全部そりゃあ無理だということでこれを強く主張するならば、その方向に行ったと私は
考えておりまするが、現状においては、なかなかこれができなかった。ここに
一つの大きな問題があったというふうに
考えております。
今回の事件の中で、
河野さんは体協の会長をせられておりまするが、私に言わせるというと、あの十二月四日の特別
委員会において、「
委員長」と植木君が言ったことで、すべてが終わったという、これは、陸上競技において、「ヨーイ」と言ったら、すでにテープが切られて、もうきまったと言っているのと、何にも違わないと私は思う。「ヨーイ」と言ったら、もうすでにテープが切られて、もうすべて勝負がきまったんだと、こういうばかげたルールがあってはなりません。私は、
議長のリーダーシップというものは、あくまでも公正なる審判官の
立場に立たなくてはならぬというふうに
考えるのであります。田中君はいま何かそこで言っておりますが、議院
運営委員長は、との公正な審判官のよき補助者でなければならぬ。その補助者が
議長をそそのかし、副
議長をそそのかして突っ走らしたということを、これをたなに上げて、
自分で、ぐずぐず、先ほどから、わが党の言っていることに文句をつけているが、もしもそのような気持ちがあるなら、常々とここに出て、成規の手続をとって、堂々と、おれはこういうふうに正しくやったんだということを言うべきだと思う。
国民に対して解明すべきだと思う。それを、何にもやらないでだ。何にもやらないで、ただやじることにのみ終始しているこの態度は、私は、なげかわしいというふうに思うのであります。私は、第一のリーダーシップを発揮すべき時期というものがあったと言いましたが、いまこの時点に立って
考えるとき、よく言われておりまするが、
重宗議長あるいは
河野副
議長は、やはり
国民に対する
議長、副
議長であるから、先ほど言ったような党籍離脱はもちろんのこと、これは制度的にいって、ある時期に、
衆議院の清瀬前
議長がこの点に苦労したことがありまするが、やはり
参議院自体として、
議長職についた者、副
議長職についた者は、国鉄の終身パスを出すなんという、そんなばかげたことではなく、これはやはり、
議長職、副
議長職にある者には対立候補を出さずして議席を占めさせる。それからさらに進んで、議席を占めさせるだけではなくして、この
議長、副
議長に対しては、積極的に、スポーツにはスポーツの殿堂があるように、応接間に写真を掲げておくのでなくして、堂々とやはり議会政治における功労者としての真の
意味における表彰というものを確立すべき必要があるというふうにも
考えます。(「賛成」と呼ぶ者あり)賛成賛成といって、都合のいいとこだけ賛成せられては、われわれは迷惑をするわけであります。いずれにいたしましても、私は制度的によく
考える必要があると思います。
河野副
議長は、かつて、今回の
参議院選挙のときに、私とともに戦ったわけでありまするが、
河野さんは、このときに、
参議院の
立場をこのように言っておりました。
参議院が自主性がなく、
衆議院の意のままに動くということは、これは大臣になりたいという気持ちがあるからだ、大臣になりたければ、それは
衆議院に出ればよろしい、
参議院は、
衆議院のやったことについて、これが間違ったならば本道に返すという働きがあってこそ、初めて
参議院としての価値がある、ということを言っております。私は、まことに、心からそのとおりだということを
考えたのであります。
皆さん、少なくとも大臣病患者が多くて
参議院の自主性はございません。
参議院においては数多くの大臣が出ましたが、依然として、いわゆる伴食大臣、大臣という
名前がつけば三カ月でも二カ月でもよろしい、また、それが、食い余したといっては失礼ですが、取り残された大臣に就任するという以外にない。これでは、だれが何といっても、
参議院の地位を高めるとかなんとかということにはなりません。しかも、松野
議長にしても、
重宗議長にしても、組閣が始まるというと、のこのこと組閣本部などに出かけている。また、総理から招かれたのかもしれませんが、
自分の意中の人を大臣として
推薦してくる、このような俗臭ふんぷんたるやり方では、院の権威、
議長の権威を高めることに私はならぬのではないかということを
心配するのであります。しかし、これはいろいろと事情がありましょうからまた田中君も言っておりますが、あなたも
推薦せられたのかもわかりません。それ以上言いませんが、少なくとも
参議院の自主的な
立場を
考えたならば、やはり
参議院は、
衆議院の行なったことについて厳正公正な審判の
立場に立つということにおいて、大臣になるということはやめて、大臣になりたい者は
衆議院に出る、そうして
衆議院から回ってきたものについては、同じ党派であっても、一歩高い次元において公正なる批判をするという
立場がなくては、私は、後世
参議院は要らないということになるのじゃないかということをおそれるのであります。これは、さきに
緑風会の
良識がこの
参議院からなくなってきたことについて、かなり有識者が嘆いていることを私は耳にしております。しかし
皆さん、
緑風会から
自民党に数多くの人が入ったというこの事実、これは、
権力なり地位になびくということ以外にないと思います。
緑風会というものの
良識があったわけでありますが、これも、現在の政治の体質の中において、
緑風会では当選をしない。つまり、きれいごとでは政治ができないという、このびまんとした空気の中において政治というものが
運営されている以上、どうしても、言うことと行なうこととが違ってくるということを
考えるときに、私は、やはり制度的に
議長のリーダーシップがとれるような形への
お互いの努力を、ここに積み重ねていかなければならないということを、しみじみ思うのであります。
先ほど野上さんが、現在の
議長、副
議長は調停能力もないと言っておりますが、私は、十分調停能力はあるのではないかというふうに思うのであります。何といっても、多数を持っておるものが謙虚に進まなければ、大道というものが開けてこないことはあたりまえでございます。多数のものが謙虚にならずして、横暴を重ね、専断を重ねていって、そこで、ものが正道に戻るということはあり得ません。もちろん
野党の言うことについても十分批判があってしかるべきでありましょうが、少なくとも今回のことについて、牛歩とすりかえて問題をごまかすということは、私は許されないということを言いたいのであります。私は、先ほど野上さんが言うように、
議長がリーダーシップをとって、孤独に耐えて議会制民主主義を守るということになるならば、以上のような方向の中に
一つの光明というものが導き出されるのではないか、そういうふうに心から信じてやまないのであります。不偏不党、中正無私の
立場において、ここに
議長職、副
議長職をつとめるということにおいて、これはどの大臣になるよりも、すべてを超越して最高のものであるという感覚こそ、私は議会を尊重する
国民の声の基本的な原動力になるということを、信じて疑わないのであります。先ほどからいろいろと申し上げましたが、このように強行採決をまことにすりかえ、サギをカラスと言い、そうして、これが正当なものだと言っておりまするが、私は、
韓国のこの隠された裏面
——日韓条約を何でもかんでもがむしゃらに強行していくというこの裏面、これは安保のときにもなかったことであります。一体どうしてかということについて、先ほど
韓国における焦げつき債権の問題、
経済協力の美名のもとにおいてのプラント輸出、その他の利権の問題について一言触れましたが、私は、なお一点、巷間いわれておりまするところの、
ノリの利権の問題について触れなくてはいかぬと思うのであります。
いま東京の芝伊皿子に海苔会館というものがございます。ここには一人の事務の方がおるようでありますが、この月給が十万円といわれておりまするが、その問題は大したことではございませんが、この東京芝の伊皿子の海苔会館の中に海苔増殖振興会というものがある。この海苔増殖振興会というものが眠り口銭を分けて六十七社で取っている、こういうことをいわれておるのであります。これは、わが党の
衆議院の横路節雄君が、
委員会、本
会議で
質問をしようとすることについて、対韓
請求権の問題とあわせて、これがやみに葬り去られたということをいっておりまするが、私はこの
内容を聞いたときに驚いたのであります。これは
一つの例でありまして、
韓国において生産者漁民がわずかに一枚四十銭で売るものが、
日本の国内に入るというと一枚二十円でこれが取引されているということになります。二十円で
国民に売られている、四十銭の原価のものが二十円で売られているということ自体、まことにこれは奇々怪々のものと言わなくちゃなりません。これが四、五年前から一億枚であったものが、昨年は二億枚、本年の
昭和四十年においては二億五千万枚を
韓国から輸入することになっておって、この利権をめぐっての裏の葛藤というものは、もうすでに公然たる
一つの秘密事実になってきているということでございます。私は、このように、
国民の血税において有償無償あるいは
韓国に対する民間供与として、八億ドルをこれから
日本国民が払うわけでありまするが、八億ドルは私はまだがまんができると思うのであります。しかし、少なくともわれわれ
国会に身を置くものが、
国民の信託にこたえて、あくまでも百年の大計の上に立って、議会政治を曲がりなりにも軌道に乗せていくという気持ちがあるなら、再び三たび私は
議長、副
議長に対して
——やはり日韓特別
委員会に現在のこの状況というものを差し戻して、そこからやってもおそくはないし、われわれ
社会党も、これに対して十分協力してやってもよろしいというふうに
考えているのであります。少なくとも根本的に、この問題についての、十分なる
お互いの
責任というものを痛感していかなければ、私は、単なる
社会党に対するやじだけでは事は済まないと
考えるとともに、その最も重責にあるところの
河野副
議長、
重宗議長の、やはりこの場合においても、あくまでも議会主義というものを守るために、良心に基づく公正なる措置を、私は要求したいのであります。
以上のことを総合的に申し述べまして、
議長職のリーダーシップを中心とする今後の
議会運営のあり方について、一考察を述べて、野上君に対する答弁にかえたいと思います。(
拍手)
〔
森中守義君登壇、
拍手〕