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鈴木強君 私は、ただいま
議題となりました「本院は、副
議長河野謙三君を信任しない。」の
決議案に対し、
発議者・岡
三郎、
北村暢、
松永忠二、
森中守義、私・
鈴木強の五名を代表して、提案理由を説明いたします。
まず、
決議案文を朗読いたします。
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河野謙三君は、明治三十四年五月、神奈川県小田原市成田に生まれ、当年とって六十三歳、早稲田大学専門部商科を卒業後、日産化学工業株式会社に入社、その後、日本肥料株式会社理事、肥料配給公団理事、平塚商工
会議所会頭等を経て、
昭和二十四年衆議院議員に当選、現在は、日本陸上競技連盟会長、神奈川県陸上競技協会会長、湘南倉庫運送株式会社社長、新興海陸運輸株式会社社長等の要職につかれております。参議院議員には、
昭和二十八年四月の選挙で、無所属として神奈川県地方区より立候補、十六万四千三百二十四票を獲得されて当選、当選後の
昭和二十八年五月十八日、加賀山之雄、
梶原茂嘉、上林忠次、岸良一、土田国
太郎、豊田雅孝、前田久吉、
森田義衛、北勝
太郎、
廣瀬久忠、
小林武治、
三木與吉郎の各氏とともに、緑風会に所属されたのであります。
その後、
昭和三十三年十二月十七日に至り、緑風会を脱会、自由民主党に入党され、翌三十四年六月の選挙には、自由民主党公認として神奈川県地方区より立候補、三十六万四千百二十票を、また、本年七月の選挙には五十一万九千二十七票をそれぞれ獲得されて、三たび参議院議員として当選されておるのであります。そして本年の七月三十日、第十代参議院副
議長の栄誉ある重責に任ぜられ、今日に至っております。
申すまでもなく、副
議長の任務は、国会法第十九条、同二十一条に明定されているとおり、
議長に事故があるとき又は
議長が欠けたときは、副
議長が、
議長の職務を行うことになっており、副
議長の職務は、厳正中立の立場に立って議院の秩序を保持し、
議事を整理し、議院の事務を監督することであります。
河野副
議長は、経歴を見てもわかるように、有名なスポーツマンでもあります。およそスポーツマンは、すべからくフェアプレーをモットーとし、質実剛健、正々堂々事に処するという、崇高な精神の持ち主であらねばなりません。私は、河野君が副
議長に選出されたときに、自由民主党の党籍を離脱されなかったことに対し、大きな不満を持った一人ではありますが、率直に言って河野君の今日までの、政界、実業界における豊富な御経験と、高き御人格と、加うるにスポーツマンとして日ごろ鍛えられた手腕を発揮されて、国権の最高機関たる本院の副
議長として、その任務を必ずや果たしてくれるものと、ひそかに信じ、期待しておったのであります。しかるに、河野副
議長が、今回の日韓
条約等関係法案の審議にあたってとられた態度は、私の抱いていた期待を完全に裏切ってしまったのであります。こうして、いまここに、就任後、日なお浅き河野副
議長に不信任案を提出しなければならないことは、まことに遺憾のきわみであります。
日韓
条約等関係諸法案は、御承知のとおり、十一月十二日衆議院において、自民党は、憲法、国会法、衆議院規則、慣例等のすべてを全く無視して、議会史上かつてない、むちゃくちゃな強行手段を用いて、強引に可決したと称して、参議院に送付してまいったのであります。社会党は、衆議院では、日韓条約のうち、その基本をなす竹島の領土権、李ラインの撤廃、管轄権等、両国の意見が一致していない問題点をはじめ、
請求権問題、特に関係国内法三案についてはほとんど審議がなされていないことを指摘して、参議院は、これらの点については慎重審議を行ない、疑問の点を国民の前に明らかにすることこそ、参議院に課せられた大きな使命だと心得、そのためには、特別
委員会の設置は好ましくなく、条約、
協定、交換公文は外務
委員会へ、その他の国内三法案は大蔵、法務、農林水産の各
委員会に、それぞれ分割付託すべきであることを強く要求したのであります。しかし、自由民主党は、
議長は、われわれの要求をはねのけて、傲慢にも職権をもって、十一月十三日、十五日の二回にわたり、本
会議の開会を強行し、
日韓条約等特別委員会の設置と特別
委員の任命を行なったのでありますが、その際、河野副
議長は、一方的に
議長と自民党に追随して、何ら具体的に問題解決への努力をなさず、与えられた任務を遂行しなかったことは、職務怠慢もはなはだしいと言わなければなりません。これが不信任の第一の理由であります。
不信任の第二の理由は、日韓特別
委員会の審議と関係法案の扱いについて、河野副
議長は、重宗
議長とともに、野党各会派の要望にこたえて、衆議院段階におけるやり方はまずかったと自分も思うので、参議院ではその二の舞いはしない、慎重審議を尽くしたいとの約束をしながら、実際には、特別
委員会の審議にあたっては、適切妥当な助言も指導も行なわざるのみか、逆に十二月四日、参議院日韓特別
委員会において自民党が行なった、衆議院特別
委員会を上回る、でっち上げの、不当な強行
採決を無条件に認め、性こりもなく、六日の本
会議開会を職権によって公報に掲載したのであります。当日は、野党あげての
反対にあって開会を断念したものの、翌七日には、われわれの納得できるだけの最後の努力も、決断もせず、ただ自民党の圧力に屈し、何ら天に恥ずることなく、ずうずうしくも、短い本国会の会期中に、三たびにわたる本
会議の職権開会を強行したことは、断じて許すことはできません。われわれは、特に問題にしなければならないことは、日韓特別
委員会の
採決が、かつてない不当なものであったことと、このような不当な
委員会
採決に基づく
委員長の可決報告書に対して、何らの実情調査も行なわず、これを、うのみにして本
会議に持ち込んだことであります。この間の事情を、五日付の各新聞紙は、「与党さえまごつく」、「参院日韓委の
採決内容」、「寺尾
委員長一時
質疑打ち切りだけだという」、「シドロモドロの強行
採決」、「寺尾
委員長前言をひるがえす」等の大きい見出しをつけて、解説を行なっています。先ほど
占部委員も
討論の中で述べておられましたが、私も、多少重複するかもしれませんが、ここにその一説を御紹介してみたいと思います。すなわち、
「参院の日韓特別委は大混乱のなかで、日韓条約承認案件および関係国内法三案を衆院と同様「電光石火」で強行
採決した。というよりも「
採決されたことになった」といった方が正しいかもしれない。これまでも幾度か強行
採決がくり返され、そのつど、有効・無効論がたたかわされてきたが、法的には多少の記録もとどめ、どうやら
採決の体をなしていることが多かった。ところが、こんどの場合ばかりは、寺尾
委員長自身、
委員会室から退場した直後、「
採決は
質疑打切りまでだった」と明言、「案件全部の
採決を終わった」とする自民党執行部と大きなくい違いを示し、あわてて意思統一のあと前言をひるがえし、「案件の
採決も終わった」ことになったのだから、前代未聞の混乱ぶりで、国会不信の感をさらに深めるものといえよう。しかも、記者会見では、「
発言者の
動議は全然聞こえなかったが、しめし合わせてあったとおりだったと思う」とか、「三度の
採決を二回ですませた」など、シドロモドロの答弁。これでは衆院での強行
採決にあきれていた国民も自民党の強弁する有効論には全く首をかしげざるをえないだろう。事実、速記録では「
委員長」とあるだけだし、野党
委員の怒号で、
動議の内容がどんなものだったか、また
委員長の
発言がどうだったか、だれにも聞こえなかった。それでも寺尾
委員長が正規の手続を経て
議長あてに可決報告書を提出し、重宗
議長がこれを有効と認めたので、野党がいくら無効を唱えてもいまさら事態を元へはひき戻せない。それにしても、与党側は、かつて例のない手ぎわの悪さを露呈したものだが、これは与党内の意思疎通を欠いたことに原因があったようだ。日韓特別委の
採決の方法をめぐって、参院自民党執行部は、衆院の二の舞いを避けるため奇襲策をとらずに、まず
質疑打切りの段階でとどめ、このあとで
討論-
採決に持ちこむ態度を貫いてきた。なぜなら、衆院同様の強行
採決をやると、国会は衆参を通じて再び混乱に陥り、ますます国会への不信を高めるとの大局的判断があったからだ。だから、社会党が
討論にはいらず実力で
委員会審議をストップさせるような場合には、衛視を入れて排除するよりは、
委員会における
採決を断念して、本
会議での中間報告を求める挙に出た。少なくとも、四日の正午すぎまでは、こうした考えは変わっていなかった。」「強行
採決にかかる五分ほど前に、社会党の
亀田、
藤田両理事のダメ押しに答えて、寺尾
委員長は「絶対
討論を省略するようなことはしない」と約束したともいう。」――こう述べているのであります。そして、当時の真相を明らかにいたしているのでございます。
衆議院の、不法にして無謀な強行
採決に続いて、参議院においても、
議長職権によってこの本
会議を強行開会し、数ですべてを決しようとしていますが、これは、審議の中から真実を見出そうとしないやり方で、議会制
民主主義を破壊する暴挙であり、国会の権威を地に落とすものであります。このような結果を招来した責任は、重宗
議長とともに、河野副
議長にあると断ぜざるを得ないのであります。
河野副
議長は、三日の午前十一時半、社会党より申し入れた、「四日じゅうにも
委員会強行
採決、六日本
会議上程」の新聞、ラジオ、テレビ等の報道が盛んに行なわれているが、特別
委員会の審議は不十分である、社会党は四十四項目についての質問がまだ残っている、慎重審議を尽くすよう特別
委員長に善処方取り計らわれたい、との要望についても、何らの措置をしていないことは、不誠意きわまる悪質な態度であります。
昭和三十九年六月、当時、暴力行為等処罰法改正案の
採決にあたり、自民党が、
質疑打ち切り、
討論を省略、直ちに
採決する
動議を出して、同法案を強行可決して、もめたことがあります。このとき、重宗
議長があっせんに入り、
議長としては、
討論省略は全会一致の場合を除いて行なうべきでないと裁定して、やっとおさまったこともあります。
このような先例もあるのですから、正副
議長はこの際、その権威にかけても、日韓特別
委員会の不当にして無謀な
採決は認めず、
委員会に差し戻し、
横川委員の
質疑を続行させるべきことが、残された唯一の
議長としてとるべき道であると確信して、六日、野党五派は、次の申し入れを
議長に行なったのであります。
申入書
一、四日午後の日韓特別
委員会において、条約はじめ国内法三案を含めて一括可決されたとする議決報告書が、寺尾
委員長から
議長宛提出されていると聞くが、これは、明らかに事実をまげて、ねつ造した文書である。
一、従って、
議長は日韓特別
委員会の再開、
質疑の続行を
委員長に勧告すべきである。
右申入れる。
昭和四十年十二月七日
日本社会党
公 明 党
民主社会党
日本共産党
第二院クラブ
このまことにもっともな申し入れに対しまして、正副
議長は何らの回答もなさず、逆に八日午前一時に至り最終的な調停案を示してまいったのであります。
調停案の内容は、
「去る四日の
日韓条約等特別委員会における混乱はまことに遺憾である。
議長としては、今後かかることは再び起こらないよう祈念し、現在の憂うべき事態収拾のため、ここに各会派の協力により、別紙のとおり本
会議の
議事を進めたい。
日韓条約と関連三法案は、一括して
委員長報告を聴取するが、その後の
議事の進め方は次のとおりとする。
一、まず日韓条約を審議し、
質疑の後、明九日じゅうに議了する。
一、ついで引き続き関連三法案の審議を行なう。」、
こういうもので、あくまでも四日の日韓特別
委員会での無法な強行
採決を認めた上に立ってのものであり、これでは問題の解決には役立たず、われわれのとうてい容認できるものではありません。この正副
議長のとった態度は、野党各派の申し入れの趣旨を無視したもので、正副
議長が自己に与えられた職責を果たさず、相変わらず自民党の圧力に屈して、議会制
民主主義を踏みにじったものであり、われわれは心から憤激するとともに、断じて許すことのできないところであります。
また、昨八日の延会された本
会議の開会に際して、河野副
議長は、午前十一時過ぎ、ひそかに
議長室に行くと称して副
議長室を抜け出し、第六控室の自民党政調会室に入り込み、本鈴が鳴ると、ここからあたふたと本会
議場に入場、この
議長席に着席し、あとから入ってまいりました重宗
議長と交代されているのであります。このような行動をとることは、あらかじめ
議長としめし合わせておったかもしれません。しかし、あまりにも卑屈なやり方ではなかったでしょうか。国民のひんしゅくを買う、こんなばかげたことをやられては、国権の最高機関たる参議院副
議長の肩書が泣いています。ここまで来れば、すべてはおしまいで、もはや
河野謙三君には副
議長としての資格はなくなったと断ぜざるを得ません。(
拍手)
私はここに厳粛に、副
議長河野謙三君の退陣を強く要求いたします。同時に、正副
議長が党籍を離脱しなかったことと、副
議長を野党第一党の社会党に譲らなかったことも、今日のこのような国会不在の憂うべき事態を招来した大きな原因の一つではないかと確信いたします。したがって、一日も早く正副
議長は党籍を離脱することとし、副
議長は社会党に明け渡すようにすることをあわせて要求し、議員皆さんが本
決議案に満場一致御賛同くださらんことを切にお願い申し上げ、提案理由の説明を終わります。(
拍手)