○
公述人(
高野雄一君) 私は、
日韓条約に関してお呼び出しを受けまして、ほぼ三つの点に分けながら
意見を申し述べさせていただきたいと思います。
一つは、
日韓条約全体の問題、それから、その中で私が特に問題が
一つ集中して含まれていると思われる
基本条約の問題、それから第三に、この
日韓条約、特に
基本条約の置かれている背景、その
基本条約をそれとともに考えなければならない背景というものをあわせて考えなくちゃならない。そういう点で、この
条約の審議ということが、必ずしもその点に関して私の目から見て十分ではなかったように思われますので、その点に関して
意見を申し述べさせていただきたいと思います。
日韓条約——
基本条約並びに四つの
協定あるいは交換公文がついておりますが、これらは
漁業あるいは
韓国人の
法的地位、そういう問題についてある程度その実態の背景をなす一般的な
条約とか、国際法とか、あるいは海洋法
条約とか、あるいは一般に国際法上外国人の
地位といわれるものとしてあるわけでございますが、
日韓の
漁業条約あるいは
法的地位その他こういう
協定で、
日本としてはそういう一般
協定あるいは一般国際法よりはある程度譲っているところがあるということは、これは否定できないと思いますし、なおその間にあって、両方においてその解釈が不明確なところなどが多々残っているように思います。ただ、この
条約の
性格を考えますと、その点
二つ考えられると思います。
一つは、植民地として長く支配していた国家が、そこから解放されて独立した国家と結ぶ
条約である。確かにこれは戦勝国と戦敗国との間の
条約ではないが、とにかく植民地支配をしていた国家が、解放されて独立を獲得した国家と結ぶ
条約である。それが世界で植民地が解放されていくという大きな大勢の中で、
日本としてもその植民地支配から独立する国家に対して、国家としても、それから税を納める
国民としても、ある程度譲らなくてはならない、譲ってもしかるべきだという
考え方は十分成り立つと思うのでございます。その点は、この
条約のもう
一つの基本的な
性格、分裂国家との間に結ばれた
条約であるかどうかにかかわらず、とにかく
日本としてはかつて外地、植民地として支配したところを、それを世界の大勢に従って独立させる。それにあたって相当程度に譲るところもあったということは、その点においては根拠も考えられると思います。
ただ、もう
一つの点、いま申しました、これは何と申しても現実の問題として分裂国家である、元来は
朝鮮として
日本は解放し、独立を認めるたてまえであったのが、そのとおりにはいかないで、現実に存在するのはきびしくそれが
二つに分かれている。その分裂した
一つの国家としての
韓国というものが相手になって結ぶ
条約である。そうしてそれは、南北の
朝鮮にしましても、その南
北朝鮮を含むところの世界の力の対立にしましても、とにかく力で対決している、そういう状態に置かれている国家、軍事的に対立する
二つの世界、その中核が米ソであるか米中であるか、その動きはありますが、アジアにおいてその先端に立つ形になっている国家であり、その一方の国家との間の
条約であるという
性格を持つこともこれは否定できないと思います。その際、そしてこの
条約がそういう国家との間に、分裂した国家との間に、実務的な必要を満たすために結ぶ
条約、それを南
朝鮮と結ぶ、あるいはそれを南並びに北と結ぶというような場合と違いまして、その
韓国との間に政治的に基本的に結合
関係を持つ、そういう
条約の
性格を片方で持って、第二の
性格はそうだということが否定できないと思います。したがって、この
条約、いろいろな
協定にある問題も、国際法を背景として植民地から独立する国家ということにして、それが肯定される場合においても、他方においてそこからいろいろ出てくる問題は、この
条約はそういう分裂国家との間に結ばれているということから、
法的地位の問題にしても、あるいは
漁業とか
請求権の問題にしても、単なる独立した国家ともとの国家が結ぶ以外の要素を持った問題がそこに伏在している。それがある
意味で集中的に含まれているのが今度の
条約の中では
基本条約だということが言えると思います。そうして、これによってともかく
日本としては世界の政治的、軍事的な対立
関係に一歩深く問題を持つという一面も、これは正直に見て否定できないだろうと思うのであります。それで、それだけにこの
条約について、それが
日韓両国の間に、隣国との間に非常な特殊な
関係があり、そうして非常な接触があり、そうしてまた紛争も起きやすい。その国との
関係において
国交を
正常化し、
友好関係を樹立するという
意味は確かに持っておりますが、しかしそのような
性格の
条約であるということは今日の現実のもとで否定できないだけに、そこでこの
条約をどういうふうに対処するかということについて、
日本としては、
政府としても、あるいは与党、野党としても、この際、
日本の政治、外交の基本的なあり方、あるいは世界平和、人類福祉に対してどのように自覚し、責任をとるかということをあらためてはっきりさせ、しっかりしたものをつかまないと、このような
条約を結ぶということから、将来不可避的に何か危険なものに
日本もあるいは世界もそのほうに進んでいくことになるおそれがないとは言い切れないということを、このような
条約の
性格から一方においてはやはり伴っていると思うのであります。
この
条約がそういう状況のもとで非常な苦心の末結ばれた
条約であるということは、これはその
条約としては、隣国との間に
国交を
正常化し、それから
友好関係を樹立するという点とともに評価しなくてはなりませんが、いまのような
問題点がこの
条約にはまつわっているということが否定できない。それに対して、その点を少し突っ込んで考えながら、私
どもとしてまあ考え得るべき点を少し突っ込んでみたいと思います。
それで第二に、
基本条約に問題を集中しまして、
基本条約に集中された問題の
一つは管轄権の問題であろうかと思いますが、もう
一つは、それが
国連の
原則に基づいて平和と安全、あるいは
国連の
原則を指針として
両国は
協力するということになっておる点、これが第二だと思います。たとえば、かつて結んだ
条約が無効になるというようなこともだいぶ問題になったようでありますが、それはこの
条約のむしろもう
一つの
性格、植民地支配国と植民地から独立した国との間に結ばれた
条約であるということに関連して生ずる問題だと思いますが、より基本的に分裂国家との間に政治的な結合
関係を実現するという点においては、いまの管轄権の問題と、これから主としてその点を少し立ち入ってみようと思います。
国連の
原則によって
日韓両国は
協力するという点が
二つの問題だと思います。ところで、その
国連の
原則によって
協力するということは、これは最近の二国間の地域的な
協定に多く見られるのであります。必ずしも自由
主義国家の間だけの問題ではない。ですから、その
意味においては、もとよりこれが軍事的なものは全然ないわけであります。ただそれが関連している点において、この
条約を考えるにあたって、どうしても
日本として、あるいは
日本人として考えておかなければならない、そうして覚悟しなければならない点があると思いますので、その点を少し触れてみたいと思います。と申しますのは、そのような政治的結合
関係における
日本並びに
韓国がそれぞれ
国連との間にどういう
関係に置かれているか。それは
韓国との
関係に関して申しますと、御承知のごとく、南北に分裂した。それがともかくも
国連の
決議を背景として
韓国のほうが
国連の
承認を受けた形になった。ところが、そのあと
朝鮮戦争が起こり、そこに
国連軍が派遣されて戦った。そうしてその侵略をとにかく撃退した。その後にしかし、必ずしも十分目的を達したというわけではなくて、
国連軍は
朝鮮において休戦
関係に入った。この休戦
関係というのは、
国連において
承認された。しかし、一方
韓国はこの休戦を
承認しないと、そして北方にいるのは反乱軍であるという
立場を堅持している。同時に、その年に
日本の
安保条約と同じような
条約を
アメリカとの間に結んだ。そうして北鮮との政治的、軍事的な対立を続けている。そうしてまた最近においては、ベトナムの
戦争が激化する中で、ベトナムに軍隊を派遣する。それについて、
国会の審議にもありましたが、
国連軍の了解を得ているとかなんとかいうような、そういうこともあるようであります。そういうような形で一方の
韓国が
国連というものと
関係している。
日本の
国連との
関係と申しますと、これはサンフランシスコ
条約で独立を得た後に、サンフランシスコ
条約と同時に日米
安保条約が結ばれ、サンフランシスコの
条約が自由
主義連合国とだけの
条約であったのでありますが、その後日ソ間には
共同宣言ができましたが、中共との問題が今日なお未
解決の問題として大きく残されている。同時に、サンフランシスコ
条約と同時に結ばれた
安保条約、これはもとのと新しいのとありますが、その特徴として、これはすべてのこういう安全保障の
条約に共通ではありませんが、
日本の場合の
安保条約は、外国軍の基地を認め、その駐留を認めるという形で、そういう
条約はほかにもありますが、そうでない昔の日英同盟
条約のようなのもあるのでありますが、ともかくもこれは外国軍の基地駐留を認める。その外国軍が十余年、あるいは戦後から数えれば二十年
日本に駐留し、基地を持っているわけでありますが、そこにその
条約の
一つの特徴があり、またそこから問題が出てくる面も無視できない。それから、この
条約には、御承知のように、
吉田・
アチソン交換公文というのがありまして、先ほど
朝鮮で戦い、その後休戦したという
朝鮮国連軍に軍事基地を通じて
日本は
協力するということを約して、そしてそれが今日も生きているわけであります。
それから第二に、この
条約については、これはほかのこの種の
条約には見られないものでありますけれ
ども、
日本の安全と同時に、極東の平和に関して
米軍は
日本の基地を使用して
行動——もちろん戦闘
行動も含むわけでありますが、
行動することができるというのが含まれている。これは旧
条約にもあり、新
条約にもそのままあります。新
条約では、それに協議
条項が交換公文で付せられた。こういう
性格、内容を持った、特徴を持った
安保条約があり、それを通じて
日本は
国連、
国連軍——
朝鮮で戦った
国連軍と現在なお
関係を持っている。なお、その間
日本としては、そういう
関係において、新
条約でも憲法の
範囲内で
協力するということを言っておりますが、その新
安保条約の中では、その憲法そのものについて九条などをめぐって
考え方はいろいろあるようでありますが、ともかく警察予備隊、あるいは保安隊、自衛隊というふうに、その運用というか、解釈が動いてきた。そういう状況のもとで、
日韓両国が先ほどのように政治的に結合し、そして
国連原前によって
協力する。これはやはり、ほかの
条約に
国連原則によって
協力するというのと、その背景との
関係において違うものを考えておかなきゃならない。
日韓特有の、あるいはアジア特有の問題というものを考えておかなきゃならないと思います。
第三に、そこで、いまの中に出てまいりました日米
安保条約の中にある極東の平和
条項並びに
朝鮮国連軍というものについてもう少しその点を分析してみたいと思います。御承知のように、旧
条約の第一条あるいは新
安保条約の第六条に、
日本並びに極東の平和と安全を維持するために、
米軍は
日本の基地を使用し得る。そのために、もちろん戦闘
行動を含む必要な
行動をとれる
日本はそれに軍事基地を提供して、軍事基地による
協力をする
義務を負うているわけであります。元来、基地という問題、外国軍が長くいますと、ある程度それになれてしまいますけれ
ども、実は国際法から申しますと、これはなかなかいざという場合には問題があるわけでございまして、従来の国際法で言えば、その基地を持ってる国が第三国と戦いが生じたというような場合には、その基地を貸している国が、自分も第三国と宣戦布告して戦うという政治決定をするならば別でありますけれ
ども、自分がその
戦争には参加しないという場合には、その基地をその国が使用できないようにしておく
義務が国際法上ある。あるいは基地を撤退してもらうとか、基地があってもいいが、それを使用できないようにその力の
範囲内でする
義務があるというのが、国際法の基本的な従来の
原則でありますが、この点は、
国連の秩序ができてからは、必ずしも従来のような
戦争と中立という
考え方と違いますが、しかし、国際連合ができた後に基本的にどういう点が変わったかといえば、これは世界の、あるいは極東のでもよろしいと思いますが、平和と安全を維持するために加盟国として
行動をとる場合には、これはいわゆる集団保障とか警察
行動などと言われますけれ
ども、ともかくもこれは
国連の意思、
国連の
決議、
安保理事会ないしは
総会の意思に基づいて集団的処置として
行動をとるんである。そして、
国連の
決議を必ずしもまたないで、加盟国自体としては、武力攻撃に脅かされたという場合に、個別的あるいは集団的な自衛の
行動、これは
国連の
決議をまたずともできるんだ、そういう体制になる。先ほどのような、今度自分は軍隊を海外には出さないんであるけれ
ども、しかし戦闘
行動を含む第三国の
行動について、軍事基地による
軍事協力をするという場合に、今度は宣戦布告するかどうかの決定は必ずしも必要ないけれ
ども、しかし
国連の
決議をまたずに、基地
協力にせよ、そのような
軍事協力をするということは、これはその国として、基地を持ってる
日本として、個別的ないし集団的自衛という状態に置かれているときに、その軍事的
行動、軍事基地
協力ということが
国連憲章上適法化される、そういうことに基本的になってるということを考え、この
日本の
安保条約にだけある極東平和
条項について考えておかなくてはならないと思うんです。その点については確かに、新
安保条約の交換公文で協議
条項というものがつくられまして、両方は、特に戦闘
行動に使う場合には、事前に協議をする。ただ、これは確かに一歩前進、改善であります。が、ただその本体は変わってない。旧
安保条約と新
安保条約で、極東の平和のために
米軍は戦闘
行動を含むところの
行動をとる非常に強い権能を持っている。
日本はそれに対応して軍事基地
協力という形での
軍事協力をする
義務を負うている。これもずいぶんひどい
義務だと思います。したがって、その点について
事前協議ということがついたことは前進でありますけれ
ども、しかし
国連憲章上は、この
事前協議ということが、交換公文で手続的なものとして、これが実際にどこまで働かせ得るかという、そういう技術的な問題に多分に依存し、基本的にその極東平和
条項というのがいまのような状況で残っておる。これは先ほどの点からもわかりますように、
国連の
決議をまたなくては、たとえば自衛の場合でなくて、世界の、あるいは極東の平和と安全のために何か警察的な
意味に
行動しようというときは、いかに日米の協議が円満に整っても、これは
国連憲章上、
国連尊重の
立場から言うならば、日米の協議が整っても、これはそれに基づく
安保条約上の
行動はできないわけであります。これは
国連憲章百三条という
原則がありますが、そういうわけにはいかない。ですから、ここはやはり問題は、その協議ということだけでは片づかない。やはりその基本になるこの日米
安保条約特有の極東平和
条項ということについて、しっかりした運用なり扱いというものを
日本の政治、外交の上に考えていかなきゃならないというふうに考えます。まあそれが
日本の
国連との関連につながる問題でありますから、その点が
一つであります。
それからもう
一つ、第二に
朝鮮国連軍の問題でありますが、これは一九五〇年、その当時、世界の対立がこの
朝鮮戦争でピークに達し、その当時できた、
米軍を主体とする——そのできたときにも、
ソ連とかの棄権というような特殊
事態が入って
安保理事会の
決議が成立しました。で、その
国連軍が、ともかくも
朝鮮で侵略を撃退することに成功し、しかし、三年後に休戦を結んで、それが
国連でも
承認されたし、この
朝鮮国連軍というものは、その当時は世界がまっ
二つに分かれたような状態で、
国連の活動も東と西というふうに固定的に分かれた。その実態は、結果としては
アメリカ軍を中心とする同盟軍のような形になり、そしてその後、スエズとか、コンゴとか、キプロスとか、
国連に、必ずしも東西の勢力だけに固定的に分かれない多数の国家が出てきて、政治も多局化する。それで、米ソとか米中という対決じゃなくて、
国連の中に流動性、柔軟性が生じてくる。そこで、前の
国連軍とは違うような
意味で、ある
意味でより
国連的な警察軍とか平和軍が動かせるようになったという、当時の状況の
国連軍とはだいぶ
性格が違うわけであります。
ところで、その
国連軍が休戦を結んだ後には、その後においても
朝鮮国連軍がなおあるというたてまえに立っているのでありますが、しかし、これは
考え方としましては、休戦が成立した後には、
国連としてはそれは曲がりなりにも軍事
行動が行なわれたわけですが、
国連としてのいわゆる憲章第七章の
行動というものはそのときをもって終わって、それからあとはまた一九五〇年以前の平和的
解決の課題として、
朝鮮問題が
国連にかかっていると見なければならないと思うのであります。けれ
ども、そういう戦う
国連、
米軍を中心として戦った
国連軍がなお生きているというたてまえを引き続き認めるというたてまえに立っているわけでありますが、これはその十数年前の実態が、割れた世界を、相当問題となる
決議を中心に同盟軍的な要素で戦い、ともかくもその役割りを果たしたのでありますが、まあ休戦後においては、
国連としては平和的な国際調停的な活動をしなきゃならないときに、
朝鮮問題に関しては、
国連というものが、そのような
国連軍というものとして存在することによって、非常に対立した力と結びついた形で存在する。
国連というものが、そういう
性格の
国連軍を離れて、その後の相当柔軟性を持った
国連として、平和的活動に、あるいはその平和の確立に進む、そういう機能を十分にアジアでは、
朝鮮では発揮できない状態になっているというふうに見られるのであります。そして問題は、その後ベトナムという問題が起こり、これについても
国連は出る幕を押えられているようなかっこうになっている。それが、先ほど申しました、片方において
安保条約の特有な極東
条項というのがありまして、極東の平和のために一応その
米軍は戦闘
行動を組んでいつでも出られる。一方において
朝鮮の
国連軍との
決議はなお生きているんだ。これが生きているということに、これからの
日韓両国の
国連に基づく外交をやる場合に、
国連がほんとうにこの
国連主義、平和
主義というもので極東において、
朝鮮において活動する点について障害になる
可能性も持っている、十分な
国連の力を発掘できないおそれを持っているという点に関連しまして、
安保条約がその極東の平和、あるいは極東ということですから、
朝鮮だけならば、あるいはその
決議が生きているということに従えば、いざという場合、
朝鮮で問題が起これば、
日本が軍事基地
協力をするということは考えられる。しかし、極東と言っている。あるいはそうするとそれはベトナムも含むのではないか、そういう点について明確なあれがないわけであります。現実のベトナム
戦争、
朝鮮軍の派遣その他から、そういうことがはっきりどこでけじめがつくかということは、どうもまだ
国会のあれを聞いてもはっきりしていないように思う。
そこで、結びといたしまして、九条を中心とする憲法の運用解釈、第二に、日米
安保条約第六条の極東
条項というものに関しての運用解釈、それから
朝鮮問題に関して
国連の活動、そういうことについて
日本の政治並びに
日本の外交としてどのように平和
主義を貫き、あるいは真の
国連主義を貫くかということについて、ひとつここで具体的なプログラムを含み、
一つの背骨を貫いたことが
国会、
政府、与党、野党を通じて相当明確にされることによって、先ほどの隣国との間に
国交を
正常化し、それから
友好関係を樹立するという
条約がその名目どおりに生きてくるととが可能だと思いますけれ
ども、そういうことがあいまいである、あるいはその行き方が必ずしもそういう
立場に立っていない、やはり力を築いていけばいずれはこっちの主張に相手が屈服していくというようなもしあれが残っているとすれば、この
条約の基盤にあるところの、ただいま申しましたような
問題点が、非常に危険なほうに
日韓の
協力というものを巻き込んでいくという
可能性が考えられる。そうしますと、やはりそういう点をひとつ
政府あるいは与党、野党を通じてしっかりしたものを出していただきたいということが、自民党的、あるいは社会党その他を支持される
国民以外に、そういう点について自分はわからない、少し不安だと考えているけれ
どもどうもわからないという
国民に向かって、主としてそういう
国民に向かって、ひとつその点をなお一歩しっかりとはっきりさせていただきたい。そういうふうになればこの
日韓条約が生きてくるのじゃないか、しかしそうでなければ、この
日韓条約というものが相当やはり警戒していかなきゃならない要素を含む、そういうふうに考えなくてはならないのではないか、そういうふうに私は考えております。(拍手)