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1965-08-30 第49回国会 参議院 決算委員会国有財産に関する小委員会 閉会後第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年八月三十日(月曜日)    午後一時四十八分開会     —————————————    委員異動  八月二十五日     辞任         補欠選任      矢山 有作君     久保  等君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         相澤 重明君     副委員長        谷口 慶吉君     委 員                 山崎  斉君                 久保  等君                 二宮 文造君    事務局側        常任委員会専門        員        池田 修蔵君    説明員        大蔵政務次官   竹中 恒夫君        大蔵省国有財産        局長       松永  勇君        大蔵省国有財産        局第二課長    立川 宗正君        文化財保護委員        会事務局記念物        課長       柳川 覚治君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○旧陸軍経理学校跡国有地に関する件 ○旧虎の門公園地に関する件     —————————————
  2. 相澤重明

    委員長相澤重明君) ただいまから決算委員会国有財産に関する小委員会を開会いたします。  小委員異動について報告いたします。  去る八月二十五日、矢山有作君が小委員を辞任され、その補欠として久保等君が選任されました。     —————————————
  3. 相澤重明

    委員長相澤重明君) 質疑に入る前に政府関係者委員長から要望いたしておきます。  小委員会で各委員からそれぞれ資料要求がありますが、できるだけ資料を早く整えて出すように。本日手元に資料が提出されまして、まことに感謝いたしております。おくれているものについては、なるべく早く整理をして提出するように要望いたしておきます。     —————————————
  4. 相澤重明

    委員長相澤重明君) まず、旧陸軍経理学校跡国有地に関する件を議題といたし、調査を行ないます。  質疑のある方は順次御発言願います。
  5. 久保等

    久保等君 大蔵省にお伺いしますが、同胞援護会牛込支会に対して、ただいまの案件が問題になっておりますが、昭和二十一年ごろから貸し付けたというような経過になっておるようですが、今日まで約二十年間ばかり経過をいたしておりますが、だいぶ紆余曲折もあるように伺いますが、契約関係が一体どういう推移をたどって今日に及んでおるのか、この経過についてできるだけ簡潔にひとつ御説明を願いたいと思うのです。
  6. 松永勇

    説明員松永勇君) お答え申し上げます。  二十一年の一月二十二日に、この土地について一時使用承認をいたしております。それから二十二年になりまして、東京都へ転貸承認申請が参りました。二十二年に条件づきで転貸承認をいたしております。その後二十六年に、二十五年分の国有財産貸し付け奨約を締結いたしております。二十六年に一時国有財面返還要求した時期がございますが、その後二十六年分についての貸し付け契約をいたしました。二十九年までそのように契約が更新されてまいっております。三十一年になりまして三十年分と、それから三十二年に三十一年度分の契約をいたしております。三十一年度末の契約をもって、一応その後の手続更新はいたされていない、こういう現状に至っております。  手続的には大体そういうことでございますが、本件の一時貸し付け、一時使用承認ということになりました経緯につきましては、当時終戦後の状況で、防空ごう生活なんかをなさっている方が非常に多うございました状態のもとで、同胞援護会がそういうものの——同胞援護会としての組織がいろいろ変遷がございまして、東京支部というところまでは、前回委員会でも申し上げましたように、法人格を持っておったが、その下に各区ごとにございましたやつは法人格を持たない組織で、こういう状況下における社会福祉の仕事をいろいろ手伝っておったようでございますが、その一つとして、牛込支会というものが、この建物を使って、当時の戦災者、引き揚げ者、そういう方々の住宅に活用したいという申し出があり、当時の状況下で、大蔵省といたしましても、適当であるというふうに判断いたしまして、一時使用ということをいたし、自来契約関係は、先ほど申し上げましたように、一時とだえたりするような点がございましたが、三十一年度までは正規貸し付けをしている。自後、その転貸問題が問題になってまいりまして、契約更新手続がストップされて現状に至っておるという状態でございます。
  7. 久保等

    久保等君 契約相手方はどういう名称になっておるのですか、正式の名前を教えてください。
  8. 松永勇

    説明員松永勇君) 前回委員会にも申し上げましたように、同胞援護会東京支部牛込支会代表者中野四郎氏ということになっております。
  9. 久保等

    久保等君 その同胞援護会牛込支会というものが解散したのはいつですか。
  10. 松永勇

    説明員松永勇君) 東京支部解散いたしております。たしか二十六年ごろだったと思いますが、この牛込支会というのは法人格のない団体として続いておりました。牛込支会ができました当時、そういうものは、牛込支会のほかにも、四谷支会とか、各区単位に、当初は区の区長以下職員がその団体の役員をいたしておりました。そういう関係で、各区ごとにございましたほかの支会はそれぞれ解散したようでございますが、この牛込支会は現在まで解散していない団体でございます。
  11. 久保等

    久保等君 その法人格のあるものは、解散をしたのは二十六年の何月何日ですか。
  12. 松永勇

    説明員松永勇君) ちょっと日にちは正確にはわかりませんが、これは二十六年に社会福祉法人法が制定になりましたので、その際に東京支部解散して社会福祉法人ということに切りかわっております。
  13. 久保等

    久保等君 それから、同時に牛込支会そのもの解散をしたというか、消滅をしたというか、そういうことがあるように私は承知をしておるのですが、そういうことは開いていませんか。
  14. 松永勇

    説明員松永勇君) 聞いておりません。
  15. 久保等

    久保等君 それでは、大蔵省としておそらく承知をしておられると思う問題で、あの住宅になっております建物昭和三十四年の十二月に一部焼失をして、十世帯ばかり入っておったのですが、その立ちのき問題をめぐって何か係争問題になって、裁判問題にまでなったのです。そのときに、牛込支会入居者との間に裁判問題になって、最後——実は当初は和解で片づけたいということで話し合いをしておったようですが、話がつかずに訴訟問題になっておる。その訴状を見ますと、この原告である支会代表中野四郎氏、その請求原因として申し述べておる中に、昭和二十五年に解散したものだというふうにうたわれておるのです。こういった訴状なりそういうものも、大蔵省はやはり関知せられておるのじゃないですか。
  16. 松永勇

    説明員松永勇君) 二十五年に解散したということは、私たち先ほど申しましたように承知いたしておりません。  それから訴訟関係につきましては、その入居者との間のトラブルがあったことは承知いたしておりますけれども、当時そういう訴訟関係当事者同士でおやりになったようでございます。国の関係としましては、建物国有でございます。それが焼けたということに伴う損害賠償請求をいたしまして、それは代表者軒四郎氏から徴収いたしておるようでございます。
  17. 久保等

    久保等君 こういう文書が出ておることはもちろん御承知だと思うのですが、昭和三十五年の三月九日付で関東財務局長稻田耕作氏から同胞援護会東京支部新宿牛込支会会長中野四郎殿として「火災による焼失建物返還について」という文書を出しておられる。このことに問題は関連するわけですが、訴訟問題になって、当初は和解で片づけようと思っておったのが、片づかなくて訴訟になった、こういう経緯があることは御承知ですか。
  18. 松永勇

    説明員松永勇君) そういう書類がございますかどうか、後ほど取り調べて御報告いたします。
  19. 久保等

    久保等君 ここに写しがあるのですが、要するにそういう東京牛込支会中野四郎氏に対して火災による焼失建物返還をしてくれという通牒が出され、国のほうとしてこの照失家屋返還を求めたことによって、中野四郎氏としては、その入っておる入居者に対して、立ちのいてくれないか、建物政府のほうに返さなければならないからということになって、何か話がいろいろやりとりされたが、解決がつかないで訴訟問題になった、そういうふうな経過になっておるように書類関係等を見てみると推測されるのです。したがって、いま私が読み上げました文書は、これは事実関東財務局長の名において出されておるはずです。
  20. 松永勇

    説明員松永勇君) 先ほど文書を見なければちょっとよくわからないと思いますが、当時建物が焼けた、建物が焼けたものの損害賠償請求する前提といたしまして、建物を原状復旧して返還せい——これは焼けておりますから当然できない。そこで損害賠償請求ということになるわけでございますが、そういうことを理由にして入居者立ちのき請求代表者中野四郎氏がなさったかどうか、それはよくわかりませんが、ちょうどその当時、これは二十六年だと思いますが、一時国がこの建物全体を返してもらいたいというようなことを言った時代がございます。そういう時代に、あるいは全体の入居者立ちのいてくれというようなことにまで発展して話がいったのか、その焼失した建物部分だけについてそういう話になったのか、その辺の事情はちょっとつまびらかにいたしませんが、背景としては、当時そういう事情があったようでございます。
  21. 久保等

    久保等君 財産局長は現場を見たことはあるのですか、ないのですか。
  22. 松永勇

    説明員松永勇君) 実はまだ見ておりません。
  23. 久保等

    久保等君 だからいまの御答弁も、これは私の質問しておるのは、昭和三十四年十二月ころに火災にかかって、その後の問題なんです。ところが、いま局長の言う話は、昭和二十六年云々という話なんです。これは全然時点が違うのです。それで返せ云々の問題は、これはここに訴状写しがあるから、私も原本を見ておるわけじゃないけれども、少なくともこの写しだけを見ますと、ただいま申し上げたように、三十四年の十二月の火災による問題からだんだんと発展していって訴訟になった事件なんです。それで、その訴状の中に、話が若干飛躍しておるのだけれども、これは少なくも同胞援護会牛込支会会長原告になって訴訟を起こしておるわけです。要するに、十世帯ばかり入っておったうち七世帯ばかりが本人も承諾して出ることになったが、三世帯が出ないで裁判問題に持ち込んでいって、とにかく出ろということで問題を実は発展させていった案件です。その出ろという根拠は、大蔵省がとにかく返せと言っているので返さなければならないからおまえたち出ていってくれぬかという話の経緯のようです。これは当聖者のほうから……。だから、そういった真相についてお尋ねしておるので、その事態から、その点を確かめたいと思ってお尋ねしているのですが、その訴状の中の請求原因という項の中で実は言っている。ちょっと念のため読み上げます。「請求原因、一、昭和二十一年三月十二日、恩賜財団同胞援護会東京支部新宿牛込支会は、原告支会長として、理事九名、監事一名を置き、法人にあらざる権利能力なき財団として、他の同胞援護会と密接な関連のもとに各種援護の実践に当たり都民の福祉を増進することを目的として、その目的達成のため、(イ)要援護者各種援護(ロ)各種相談(ハ)他の同胞援護会委任事項(ニ)簡易住宅施設等事業を行なう規定のもとに発足をしたが、一応目的を達成したので、昭和二十五年解散したものである。」こういうように訴状請求原因の中で言っておるのです。ここで言っているのは、決して東京支部のことを言っているのでなくて、あくまで牛込支会の問題を言っているのです。原告支会長ということを言っているのですね。原告というのは、代表中野四郎になっている。新宿牛込支会支会長中野四郎こと原告小町四郎、こういう訴状になっているのです。したがって、この文書からいきますと、支会そのもの昭和二十五年に解散したものであるというふうに言っているのですから、一番これは信憑性があるのじゃないかと思いますが、そのこと自体はたして御承知なのかどうか。これはよほど昔の活ですが、しかし非常に問題は重要な問題だと思います。大蔵省財産貸し付けておる相手方がどうなっているかということについては財産局で当然御承知のはずだと思うのでお尋ねしておるのですが、この間の経緯なり実情というものに対して一体おわかりになっているのですか。
  24. 松永勇

    説明員松永勇君) 私はこの支会解散したことは、先ほど申し上げましたように、実は承知しておりません。その訴状の中で解散したという文言がどういう趣旨で使われたのか、私それをつまびらかにしないわけでございますが、こういう席でいかがかと思いますけれども、推測させていただきますれば、当時二十六年に社会福祉事業法が制定されまして、その際に、従来牛込支会というのは法人格はないが、戦前から戦後に通じて、同胞援護会、そういうものの下請と申しますか、一体となって事業をやっておった。それが戦後だんだん整理をされまして、東京支部までは法人格を持ってやっておった。それから委託の事業もやっておった。そういう関係が、だんだん戦後の法に従って整備をされた。で、一面社会福祉法人というものがつくられていく過程で、上にあった同胞援護会との密着度というものがだんだん薄れてきた。そういう形で、最後はそういうものと切り離された形になってきたわけですけれども、それを解散ということばで実態的な姿を表現したのか、あるいはそうでないのか、その辺はつまびらかに私にはよくわかりませんが、そういう趣旨解散ということばを使ったのかというふうに、いま先生の御説明を聞いて推測している次第でございます。
  25. 久保等

    久保等君 私がただいま読み上げた文書内容は、これは非常に明確になっているのです。この支会そのもの性格というものが、法人にあらざる権利能力なき財団だということをはっきり言っておるのです。それが昭和二十五年に解散したものであると言っておるのですから、ここでは東京支部の問題を取り上げられる性格のものではもちろんないし、文書の面からいうと、その点はっきりしていると思う。あるいはこの文書が、その東京支部解散と同時に牛込支会というものも解散したのだというように言っておるのかもしれないのですが、しかし文書内容としてうたっておるのは、はっきりと法人にあらざる権利能力なき財団なんだ、そのものが二十五年に解散したのだと言っておるのです。なお、いま言われた社会福祉法人云々の問題は、昭和二十六年のたしか何月かに法律が通っておるのですから、二十五年ということになると、そこでも食い違ってくる。したがって、二十五年に、これは本人の言っておる訴状に明記してあることなんですから、これは事実問題ですからね。ここで別に議論のある問題でもないのですから、よく調べてもらいたいと思う。どうも私も、いままで委員会で取り上げられた解散された時期なんかの問題についても、何かどうも言っておられる答弁がはっきりしない——二十五年と言ったり二十六年と言ったりしているので、議論があるから、調べてみたら、こういう訴状の中で何かうたっておる個所があったものですから、まずそこのところをはっきりせぬことには、相手主体そのものがどうなっておるか、いつできていつどうなったかちっともわからない。これは人に物を貸すわけですから、貸し借りする場合に、相手の実体というものは財産局としては最も重大な問題だと思う。いまさら過去のことをとやかく言っても始まらないのですから、手抜かりであったとかなんとかいうことについて言っても始まらないですから。しかし、このことははっきりさせなければならぬ重要なポイントだと思う。だから確たる答弁を求めたいのですが、いま言われるように、ちょっとこの場所での即答を得ることは困難のようですけれども、その点をひとつ調べて御答弁願いたいと思います。しかも、この訴状そのものが、先ほどから申し上げるように、単に大蔵省とは何の関係もないたな子と家主との間の問題でなくて、もともと大蔵省から返してくれと言われたからとにかく返してくれというような話になって訴訟問題になっているのですから、その返してくれということは、私が先ほど申し上げた書類で出ておるのです。私当時どういう関東財務局長がおったか知りませんが、とにかくこの文書によると、関東財務局長稻田耕作氏から同胞援護会牛込支会会長中野四郎殿という形で文書が出ているのです。したがって、訴状そのものについても、大蔵省としては全然無関係だというわけじゃないはずなんです。当時のことですから、いろいろ担当者がかわっておりますから、そういう点で松永局長にやかましく言っても、ここではわかりかねると思うのですが、その関係について、事実関係ですから、ひとつよく調べて、ここで答弁できなければ、ひとつ明確にしてもらいたい。
  26. 松永勇

    説明員松永勇君) 後ほど取り調べてお答えいたします。
  27. 相澤重明

    委員長相澤重明君) 局長説明員もおるだろうから、そういう事実関係のことはないのか。
  28. 松永勇

    説明員松永勇君) 後ほど、事情によく通じた担当者を呼んでおりますので、取り調べて報告いたします。
  29. 久保等

    久保等君 それでは、その問題は保留しておきたいと思うのです。実はこの問題がはっきりせぬことには、問題の展開のしかたが非常にむずかしくなってくるのですが、あくまでも契約の対象にしている相手方というものは、この同胞援護会牛込支会中野四郎ということで、その団体に対して貸し付けた、こういうことになっておるわけですか。
  30. 松永勇

    説明員松永勇君) 団体——この人格なき団体でございまするので、私のほうの考え方とすれば、団体貸し付けておる、その団体代表者としての中野四郎氏ということで具体的にはいたしております。
  31. 久保等

    久保等君 じゃ、念のためにお尋ねしますが、個人中野四郎氏に貸し付けたのではないのだというふうに理解していいのですか。
  32. 松永勇

    説明員松永勇君) そのとおりでございます。
  33. 久保等

    久保等君 その点一つはっきりしたのですから、話を次に進めますが、いままでこの同胞援護会支会に対して、返してくれぬかと、国のほうに返還してくれぬかという要求をされたことは、文書か何かはっきりそういった形でされたことはありますか。先ほど何か二十六年ごろに返してくれぬかというようなことを言われた経緯もあるということですが、それがどの程度の形で返還してくれぬかと言われたのか、その経緯をひとつはっきり御説明願いたいと思うのですが。
  34. 立川宗正

    説明員立川宗正君) 先ほど局長が申しましたように、二十六年の六月二十一日付の文書によりまして、これは当初二十二年のときに東京都に一時転貸を認めたわけでございますが、これはただし、条件といいますか、あくまでも暫定期間ということで認めておったわけでございます。しかし、それが二十二年から二十六年まで依然として東京都に引き続き貸しておるといったような実態は、当初の一時転貸を認めた趣旨と違うではないだろうか、こういうことで、二十六年に、そういう転貸という不自然な状態を解消するように、国は国有財産返還要求いたしております。    〔委員長退席、副委員長着席
  35. 久保等

    久保等君 そうすると、二十六年の六月二十九日でしたか、いまの……。
  36. 立川宗正

    説明員立川宗正君) 二十一日でございます。
  37. 久保等

    久保等君 二十一日に一度文書返還要求をしたことがある。それ以外にはありませんか。
  38. 立川宗正

    説明員立川宗正君) これ以外につきましては、先ほど久保先生がおっしゃいました三十五年のときに一応その申し出をしておる事実はございます。
  39. 久保等

    久保等君 それ以外はありませんね。
  40. 松永勇

    説明員松永勇君) 三十五年のときは、東京都に対して転貸しておりますので、その転貸を取り消すと、そうして貸し付け目的に従って直接使用するということを求めております。建物を返せという請求は、先ほども申し述べました二十六年の返還請求以外はないようでございます。   〔副委員長退席委員長着席
  41. 立川宗正

    説明員立川宗正君) 漏らしましてたいへん失礼いたしました。その間に、三十年三月二十八日付で、もう一度、やはりその転貸を解消する措置を求めております。
  42. 久保等

    久保等君 それから、先ほど局長のほうから答弁のあった、東京都に対して出された文書、それは何ですか、借りるなら直接国から借りるような手続をとれということですか、中身は。
  43. 松永勇

    説明員松永勇君) いや、これは貸し付けといいますか、貸し付けの当面の相手方である牛込支会に対して転貸形態になっておるからそれを取りやめろという避雷で、東京都に対する請求ではございません。
  44. 久保等

    久保等君 それは一二十五年のいつですか。
  45. 松永勇

    説明員松永勇君) 三十五年の五月十一日でございます。
  46. 久保等

    久保等君 それから、先ほど私が申し上げた三十五年の三月九日付で関東財務局長から出された文書は、「火災による煙失建物返還について」ということで、焼けた建物を返せという、こういう書類になっておるの、ですが、焼けた建物だけ返せと言ってみたところで、このときには土地の問題には全然触れておらなかったようですが、先ほど、それで損得賠償なんか請求したとか言われておったのですが、その損害賠償請求して、幾ら取ったのか。その金額等、ひとつ御説明願いたいと思うのです。
  47. 立川宗正

    説明員立川宗正君) 損害額といたしましては、二十七万二千五百円の補償を取っております。
  48. 久保等

    久保等君 それはいつごろ払い込まれたですか。
  49. 立川宗正

    説明員立川宗正君) 時日ははっきりいたしておりませんけれども、すぐに入ったというふうに記憶いたしております。
  50. 久保等

    久保等君 それは、じゃ、またあとで調べて、その時日関係ひとつお知らせ願いたいと思うのです。  先ほどの御説明で、昭和三十一年度分まで契約せられて、その後はそのまま放任された形になっておるというのですが、これは今日まで十年間ずっとほったらかしになっておるのですか。その考え方はどういうところにあったのか。当時あったのか、それからまた現在あるのか、考え方をひとつお聞きしたいと思うのです。
  51. 松永勇

    説明員松永勇君) 本件につきましては、国有財産東京都に転貸しておる。で、東京都はこれを公営住宅として使用しておる。こういう関係通常の国の扱いといたしますと、東京都へ貸した部分むしろ国から直接東京都へ貸すと、転貸というような形をとらないというのをまあ通常としておるわけでございます。そういう関係転貸という形で行なわれておるのは、国有財産の管理としてどうかということが、会計検査院のほうからいろいろ御質問がありまして、私どもとしましても、こういう形は適当でない、しかも、東京都が使っておるのが公営住宅というような形でございますので、これは一時、国としてはそれを二十二年に承認したのではございますけれども、その後の経過から見まして、どうもそういう形態を続けていくのは適当でないのではないか。すなわち、直接需要するときに都に対して貸し付けるという姿のほうがすっきりしているという考え方でございまして、この考え方に直す方向で、相手方である牛込支会と、いろいろ相談いたしておりました。また一面、この牛込支会が、先ほど触れましたように、人格のない団体であるという点から、そういう点から考えまして、何らかすっきりした姿にしたいというのが私ども考え方で、種々検討いたしておりましたけれども相手方としては、社会福祉法人としての人格を取得したいのだということで、東京都に対して申請をしておる、そういう事態が相当長く続いておる、そういう失態を見まして、これをまた一時、正規契約にした時代もございました。しかし、三十二年度以降につきましては、何かこの段階ですっきりしたいということで、私のほうとしても検討をし、相手方とも交渉をする、こういうことが続けられておった状態でございました。そういう関係で、契約手続はその後更新されていないのでございますが、まあ三十二年以降本日まで、こういう長い期間にわたってそのままになったということは、国有財産の管理としては適当で、なかったというふうに反省いたしております。
  52. 久保等

    久保等君 この住宅地は、単に東京都の住宅だけじゃなくて、その支会が直接軍の建物貸し付けているところがあるのです。だから、なるほど、東京関係の問題もあるけれども、直接支会とのやりとりをやっている問題もあるわけですよ。だから、その問題については、どういうことで今日まで三十二年度以降放置しているのか、いまのような関連もあるから、全部ひっくるめて考えるのだということで、十年間ほっておいた形ですか。
  53. 松永勇

    説明員松永勇君) 当時の考え方が、正確には、いまになってはなかなかわからないのでございますけれども、当時の手続から申しますれば、直接その居住者に貸し付けておる、すなわち、東京都の転貸ということを通じてでなしに、直接貸し付けておるということは、これは終戦以来この団体に対して貸し付けておった考え方がそのまま生きておるということで、このほうは問題はない。むしろ、東京都に転貸しておる姿がおかしいのだというふうに判断しておった時代が相当あったようでございます。しかしながら、現段階においては、そういう姿であすこに老朽化された旧軍の建物を間仕切りして住宅にしておるという状態がこのまま続いていいのかという点は、相当問題であろう。あの高価な土地の活用として、また、住宅対策がこれだけ問題になっている際に、あのままの状態では適当でないじゃないかと、すなわち、その地区全体を何らかの形によって、たとえば改良住宅地区に指定するとかというような方法によって、よりいい環境の住宅をここに建設することが望ましいのではないかというふうに、最近ではそういうふうに考え方が変わって願いっております。
  54. 久保等

    久保等君 この牛込支会で借りている部分、すなわち、その建物は全部旧軍時代建物です。したがって国有財産ですが、この旧軍時代建物が、だれに、どういう形で貸し付けられているか、まあそういったようなことについての実態はわかっていますか。
  55. 松永勇

    説明員松永勇君) 現在は、先ほど申しましたように、東京都に貸している部分と、それから、この支会が直接相手に貸しているものと、二つに分かれております。東京都のほうは、公営住宅としてこれはわかりますけれども、それから中野四郎氏が代表者となっておるほうで貸しておりますのは、大体従来から三十世帯ぐらいのものが入っておりますが、現在では大体二十八世帯の方々が入っておられるようでございます。この方々は戦災者、引き揚げ者、その他——一般の方でございますが、そういう方々に現在はなっております。
  56. 久保等

    久保等君 各世帯別、月別に、家賃を一体幾ら取っているか、そういうようなことはわかりますね。調べれば当然わかるはずだと思うのです。それから、あるいは敷金等も取っておると思われるのですが、こういったようなことについて、昭和二十一年以降貸し付けてからの世帯別、月別のそういったものを今日まで合計して幾らになるか、内訳ももちろん、したがって書いてもらわなければならないのですが、そういったことを資料として出してもらえますか。
  57. 相澤重明

    委員長相澤重明君) 私のほうから一言。いまの質問に対して局長答弁する場合に、わかっておるところは答弁してもらって、それで資料を提出してもらいたい、そのほうが親切だと思うのです。
  58. 松永勇

    説明員松永勇君) 私のほうでは、この前、二宮先生から、この実態を明らかにするようにという御質問がございました。それに基づきまして、関東財務局をして調査をいたさせました。それによりますと、これは非常に古いところはなかなかわからないのでございます。三十七年から三十九年までの合計で、中野先生のほうに入っております収入の総合計は二百六十三万八千円ぐらいになっております。この収入は——失礼しました。ちょっと収入全体の中の内訳を割ってみますと、東京都から入る、すなわち、東京都に転貸いたしておりますので、東京都から入りますものが百五十二が五千円ぐらい。残り百十一万三千円はかりがいわゆる直後貸し付けのものから入っている、三カ年で入っている収入でございます。ついでに申し上げますと、この収入からこの支会が国に支払っている代金、これは二百三十五万三千円になっております。したがいまして、差し引き二十八万六千円はかりのものが差額がございます。この差額からどういうものが支出されているかという支出項目を調べてみますと、まず家屋の修繕、それから集金人への謝金と申しますか、この集金人への謝金は月額三千円という謝金でございます。それから火災保険料、そういうものがこの中から支払われておるという状況でございます。  次に、家賃——個々の家賃でございますが、これにつきましては、ごく最近のもの——この家賃は聞くところによると、終戦以来二回ほどしかまだ家賃の引き上げはされていないようでございます。最近の家賃では、最低のものは五百円、最高のものが二千三百円、平均的に見ますと約千円ということで、先ほど申しました二十八世帯ばかりのものが入っておりますから、合わせて一カ月の家賃収入というものは約二万九千円くらいで、年間の家賃収入は三十、五万八千円くらいになろうかと思います。  それから、先ほどの御質問にありました権利金というようなお話でございましたが、これにつきましては、入居された際に寄託賛助金という形で一万五千円ないし二万円を受け取っているような場合もございます。それは退去の際には、この金額はそっくり返還するということをいたしております。大体私たちが調べた範囲におきましては、特に高いというような感じはいたしておりません。この収入というものも非常に低いと申しますか、したがいまして、この支会が一私人のために国有財産を利用しているようには認められないという判断でございます。
  59. 久保等

    久保等君 いや、局長のいま言う最後のほうの安いとか高いとかいう問題は、これはきわめて主観的な問題でしてね。実態が少なくも明らかにならぬで、ただ、いまの総体的な金額しか、しかも、わずか二、三年度分だけで結論を下すことは、私は早計だと思う。  それから従来の委員会の速記録を見ても、何かいかにももっともらしいような答弁をしているんですけれども、だから、私どもは、内容を検討してみればはっきりしてくることなんだけれども、一体だれがいつから入って、いつ立ちのいて、また、新しく入ってきたか、そういった入居先の移動状況なり、それから家賃の月に入ってきた経過なり、そういったものは調べればわかるんですか、わからないんですか。
  60. 松永勇

    説明員松永勇君) 移動状況につきましては、わかる部分もございますが、正確にはわからないものもございます。その中には、相当長い間に出たり入ったりされている。また、私のほうといたしましても、聞き取りと申しますか、たとえば現在入っている方に、いつごろお入りになりましたかというような聞き取りの調査でございまして、正確にはわからないと思いますけれども、古い方は二十二年以来ずっとおりますというような方もございますが、新しいところでは三十五年あるいはそれ以後にも入られたというような方の出入りが相当あるようでございます。
  61. 久保等

    久保等君 だから、これは数字的な問題で検討してみないと、高いとは思いませんとかなんとか言ってみても、それはここで何とも私どもは判断できないんです。それで、いま言われるいつごろからなら比較的詳細にわかるんですか。もう、いまのように、ただ現在入っている人に聞く以外に方法がないということだったら、いままでの経過のことはほとんどわからぬですね。大蔵省の関東財務局としては、そういった実態調査は全然やったことはないんですね。
  62. 松永勇

    説明員松永勇君) いままでやったことはございませんで、これは二宮先生の御質問を契機に実態を調査するつもりで、現在入っている方々の実態を調査したわけでございます。以前のものについては、ちょっと調査が困難であろうと思っております。
  63. 久保等

    久保等君 去年五月二十八日に参議院の大蔵委員会でやはりこの問題が問題になって質疑がかわされているのです。その当時の財産局長答弁だと、昭和二十二年から昭和三十八年分についての東京都が牛込支会に支払った使用料、これは総額四百六十一万円、そうして牛込支会代表者中野四郎氏が国に支払った使用料、これは総計して五百六十二万一千円、そういったような答弁をしているのです。だから、その問題だけをとらえてみても、結局百万円だけ中野四郎氏が持ち出したような形になっている。しかし、それはもちろん、牛込支会として直接に現在入っている人たちに貸し付けた金は入っていないのです。ちょっと頭の中で荒っぽい計算をしてみても、二十年間に及んで百万円ということになると、年に直すとわずか五万円程度ですが、そうすると、東京都に貸しておる以外の部分についてだけ考えてみても、国に対して支払ったのは、一年に五万円というのですから、月に直せばこれまた何千円ですね。こういうちょっと簡単なそろばんをはじいてみても、一年間にわずか五万円程度の金しか支払っていない。一年間にですよ。これは先ほどお話があった三十世帯から二十八世帯になったとかいうお話ですが、この分について国に支払った分はわずかに一年間に五万円ですよ。そういうような計算をしていきますと、これは相当残余の金が出てくるわけですよ。だからそれが別に高い家賃を取っておったとは思われないとか、そう不当はなかったとかという説明は、数字的な根拠でもあれば別なんですけれども、少なくともいまの経過の中で説明せられている程度の数字をもってしても、やはりちょっと納得ができない面があるわけです。だから、結論的な意見は別として、従来の経過について、いまの局長のお答えだと、三十七年から三十九年分、三カ年だけの話なんですが、すでに昨年の江守局長答弁によると、昭和二十二年から昭和三十八年までの間の一応収支関係を、これも大ざっぱな話ですが、総額だけは委員会答弁されているのです。だから、それと突き合わせて、さらに先ほど来私がお尋ねしている件について、もうちょっと具体的にお調べ願って答弁できればひとつ答弁してもらいたいと思います。そうしないと、去年の委員会で聞いた話は、約十年あまりの分について答弁を聞いているが、今度はたった三年分だということでは、どうも数字を比較しようにも比較しようがないですから、できれば月別、それから世帯別の、家賃の上がってきた状況なんかわかればひとつ調べてもらいたいし、それから特にいま言った大ざっぱな話じゃなくて、少なくとも年度別ぐらいに幾らになるか、もうちょっと内訳をできるだけこまかくしてもらったものを資料として出してもらいたい。ここでお聞きしてすぐそれに対してとやかく、数字的な問題ですから、申し上げることは妥当でないと思いますから、調べて詳細に御説明を願いたいと思いますが、どうですか。
  64. 相澤重明

    委員長相澤重明君) 委員長からちょっと。久保君、いまのあなたの質問と局長答弁では、これはもう事実は明らかにならぬです。ですから、あなたのいまの資料要求は提出させることにして、それから特に松永局長、これは三十二年以降国有財産というものは調査をさせることで、これはきまっておるわけですから、その当時から担当の調査官はだれだったのか、そういう点を次回に、いまの久保委員の質問の資料に添えてお願いしたい。これは国有財産調査というものを、なくなった池田さんが大蔵大臣のときに、私が決算委員会でこれはやっておったことなんですから、そんなことがいまごろできないなんていうことは許すことはできない。だれが担当しておったか、そういうことをあわせて報告してください。そんなことでは、とても国有財産というものを真剣に調査していることにはならぬ。したがって、いまの久保委員の質問の資料とあわせて当時の担当者の氏名、それを報告してください。
  65. 松永勇

    説明員松永勇君) ちょっといまの委員長のおことばにお伺いしたいのでございますが、実は三十二年の調査というのは、国有財産の実態調査、国有財産がどういうふうにあるか、実態がどうなっているかという、いわゆる所在不明財産とかというようなものについて調査してまいっているところでございます。いま問題になっておりますのは、本件につきましては、相手方に貸して、いわゆる分会に貸しておって、その分会が一般の方方に貸している、それの把握状況と申しますか、どういう人が出入りしたか、あるいは家賃がどうであったかという調査、これは三十二年以来調査をいたしているものとは違いまして、従来、国有財産相手方のそういう状況を的確に把握するというところまではなかなか至ってない。むしろそうじゃなくて、私たちが持っている国有財産自体の実態が不明であった。坪数その他、国有財産台帳に載っても現在そのものがなかったり、あるいは記載どおりの坪数がないという実態のほうを調査いたしておりましたので、本件の調査に携わっていた人間がだれであるかということは、そういう調査は、先ほど言った実態調査とちょっと違う面があるので、その点をひとつお含みおき願いたいと思います。
  66. 相澤重明

    委員長相澤重明君) 委員長から言っておくが、そういうことを言っても、それはただ言いのがれにすぎない。当委員会、参議院の決算委員会国有財産の実態を調査しろということを言ったのは、いま局長も前段に言ったように、国有財産があるところが実は道路になってしまってなかったり、家があるはずのものが家がなかったり、こういうことで実態というものが把握されてないから、これを三カ年計画で三十二年から実施せよということなんです。それで実態を調査させた。その実態を調査させるには、たとえば貸し付けた場合には、だれに貸し付けてあるのか、また、どういう性格のものであるか、金額はどういう額であるか、そういうことは当然実態調査の中で明らかになる。そういうことを国有財産全体のものを調査すると同時に、その対象者もこれは各財務局で明らかにされているわけです。それがたまたま三カ年ではできなかったから、それをさらに延長して実態調査をさせたわけです。私がこの委員会にまる九年もおって、そういうことを専門に進めてきたが、いまごろになってそんなことを、相手がだれであるかわからぬということではとても許すわけにいかない。それは実態調査というものの性格は前段に申し上げたとおりだが、調べてみれば相手がだれであるか、相手がどういう性格のものであるか、また、国有財産をどう処分しているかということがわからなければいけない。これは各財務局がそのとおり調査しているのです。それを本省に報告している。こういうことなのだから、いま言われた月別とか収入というものは、久保委員の質問について資料を提出して、少なくとも関東財務局は、当時相手がだれであったか、どういうふうなものであったかということくらいはわかっている。そういうことを、当時の担当者の名前はわかっているわけですから、それをあわせて報告してください。よろしいですね。
  67. 松永勇

    説明員松永勇君) だいぶ昔のことでございますので、実は先ほど申し上げましたように、現在の入っている人について調べましたのですが、なお、過去のもりにつきましてもわかる限りできるだけ努力して、御要望に沿いたいと思っております。
  68. 久保等

    久保等君 東京都の現在借りている分、それについて東京都のほうから、ひとつ正式に東京都へ貸してくれぬか、できれば直接、というような申請なり要望なりは、いままでありませんでしたか。
  69. 松永勇

    説明員松永勇君) 東京都側から、直接これを貸してくれということを文書によって申請されたことはございません。ございませんが、当時、東京都がむしろ牛込支会に対して転貸を認めてくれということを申し出て、いまのような転貸の姿になったいきさつがございますので、そういう関係文書としては正式の要求は出てないのでございますけれども、まあ口頭と申しますか、いろいろこの問題が転貸事態を話し合っている段階では、東京都の希望としては直接貸してもらいたいという希望があるいは関係者、係官の間にはそういう話が出たかもしれない、あるいは出たであろうと推定されるような状況下にあったというふうに聞いております。
  70. 久保等

    久保等君 それで、問題はその大蔵省の態度の問題なんだけれども先ほどもお伺いしましたように、昭和三十二年度以降についてはそのままになっているのですが、このことを何か手続未済とか何とかというようなことで言っておられるのだけれども、もともと賃貸関係において契約が切れてしまったということになれば、もう賃貸関係というものは成立していないのじゃないですか、どうでしょう、その問題については。
  71. 松永勇

    説明員松永勇君) これは前回、二宮先生の御質問にもお答えしたところでございますが、形式的に申しますれば、契約関係はないということでございます。ただ、私たちのほうといたしましては、現在それではあそこに牛込支会の人、あるいはそれが第三者に直接貸ししております、こういうことはいわゆる不法占拠であるという問題になるわけでございますが、私たちはその点は不法占拠とは違う。契約関係はなるほどここで形式的にはなくなっておりますが、しかし、現在おられる方が不法占拠でおられるのじゃないのだと、それは実態的な関係としては、形式的な契約はないが、実態的にはその事態を容認して今日まできておる。だからこそ現在までその使用料として国が徴収している。ただ、こういう事態に放置しておくということは適当でないということは先ほども申し述べたとおりでございまして、これを何らかの形において正規の形に直さなければならない。それにあたりましては、現在の土地柄と、その地区の施設の状況から見まして、これを何というか、より前向きに住宅対策の面で考えてみなければならないという考え方で現在検討いたしておるところであります。
  72. 久保等

    久保等君 ですから、現在の実態というものに対しての理解のしかたですが、牛込支会と国との間における賃貸関係、こういったものは消滅して現在はない。そうなれば、この二者間における賃貸関係というものは解消して現在は不在だということは事実だと思うのですが、どうですか。牛込支会と国との関係です。
  73. 松永勇

    説明員松永勇君) 先ほど答弁いたしましたように、形式的にはない。
  74. 久保等

    久保等君 実態的には。
  75. 松永勇

    説明員松永勇君) 実態的には、そこのところを私たちはいわゆる手続未済ということばを使っておりますが、実態的な関係としては何もないという状態ではないのではないか。だからこそ現在おられる方も不法占拠ではないというふうに考えております。
  76. 久保等

    久保等君 いや、だからそこのところを混同して、牛込支会と現在の入居されている方々と何か混同して議論をされているように考えられるわけです。入っておられる方々は、これは確かに合法的に入っているので、契約関係で入ったのです。そこのところの何と申しますか、中間の牛込支会そのものが途中でなくなったとか、あるいはまた支会そのものはあるのだとかというようなさっきのお話、このことはもう少し事態を明確にして、先ほど申し上げた問題について局長のほうから答弁を願って、その問題はその問題として明確にしたいので、それはそれとして、入っておられる方々は合法的に入っているのだから、そんな人を不法占拠とか何とかというのはとんでもない。これこそ成規の手続で明らかに賃貸関係を結んで入っておられるのだから、この対象になった牛込支会というものは、最初から何かもやもやしておって、現在はあるのかないのか、これも先ほどの問題が解決しないとわからないのだけれども、とにかくそういう状態になっている。したがって、問題としては、私は少なくとも直接入居者との関係においては、何とか一日も早くすっきりしなければならないし、それから同時に、できればこれはやっぱり東京都に貸し付ける、一本にして。二口に分かれているものを一本にして東京都に貸し付けるということによって、東京都と入居者との間でさらに今後の問題もあるのです。現在は非常にお粗末なきたない建物になっております。これは行ってみられると、あそこにおられる方々の立場からいったって、こういう状態で一日も放置されたのでは困るわけです。一ぺん局長も遠くはないのですし、一時間もあれば行ってこれるのだから、直接行って見ればよくわかります。ああいう状態でよく戦後二十年間、まあ終戦直後の数年間は別として、昭和三十一年か二年ごろ以降では、ほうっておいたというのは全く国の怠慢だと思います。しかも、お隣には大蔵省の何か税務関係の総合研修所かなんかあるのですね。りっぱな本建築の建物が建っております。その隣には、またそのための宿舎なんかが建っております。大蔵省のりっぱな建物がそばに建って、全くスラム街のようなものです。そういうことで、いま言ったような状態契約関係まで結んでほうってある。これは全く言語道断ですよ。一ぺん行ってごらんになったらびっくりしますよ。だから、それを、途中にあるのだかないのだかわからないような、牛込支会はどうとかこうとかいってごちゃごちゃしていることは、これは全く議論の余地のない問題だと思います。ですから、そういう立場からいえば、これは東京都に早く積極的に話し合いをされて貸し付ける、東京都はそれによって東京都の立場からの住宅対策という形で片づけていって、現在入っておられる方々に対しても、それこそ安心して住めるような状態に持っていかなければならぬし、それからもう一つは、何といったって総体で二千四百坪もあるのですから、その二千四百坪に最近建っているような鉄筋コンクリートのアパート式のものでも建てれば、これは少なくとも百数十戸最小限度建ちます。現在入っておるのを全部合わしても百世帯になるかならないかでしょう。少なくともその倍ぐらいのものは、文化的なとまでいえないにしても、とにかく近代的な建物の中で住める、住宅というものは確保できると思います。したがって、これだけ国会で問題になっておりながら、当の財産局長が現場も知らない。私はできれば、だから関東財務局長にきょうの委員会に出てもらいたいと思ったのですが、財務局長でなくたって財産局長で十分答弁できるというお話だったから、そういう点について財務局自体がどういうふうに理解しておられるか、これはお宅のほうの内部事情ですから、現場に対してどうこう私どもが言うのじゃなくて、大蔵省という立場からいえば、ああいう状態で今日まで放置しておったということは、これはきわめて怠慢であると思います。中に入っている人がどういう立場であっても、むしろそういう社会的は地位のある人であればあるほど、これはやはりきちっと明確にしてけじめをつけてちゃんとしなければいかぬ。ですから、そういう立場からお伺いしておるのですが、現在分かれて二口になっておるのを一括して東京都に払い下げる、こういう方向に私は持っていかざるを得ないと思う。これはむしろ大蔵省なんか、隣に建っている税務総合研修所かなんかの関係で、ああいったところを事と次第によったら使おうという計画でもあるのですか。大蔵関係で現在ある旧軍用地について使用云々という問題は全然ないのか、あるいはそういうこともないではないのか、その点をひとつお尋ねしたいと思います。
  77. 松永勇

    説明員松永勇君) 先ほど久保先生が述べられましたとおり、私たちも非常に同感でございます。と申しますのは、終戦以来、ずっとこういう経緯をたどってこの財産が今のような現状に使われている、こういう契約手続がとだえているというような状態、こういう点につきましては、先ほども触れましたように、私たちとして事務の処理に必ずしも十分でなかったという点は十分反省いたしております。現時点で、こういう状態のもとで、いかにしたらこれをよりよき対策を立て得るかということを種々検討いたしまして、実はこの牛込支会に現在まあ実質上貸している、その貸し付けを返していただく、全地域約二千四百坪の全地域を返していただいて、そうしてこの地域を東京都の改良住宅地区に指定していただく、それで東京都として改良住宅をここに建設する。そうしてこの地域に住んでおる方々の全員を収容する。そうしてこの地区をああいう状態でない、よりよい住みよい住宅地区にこれを衣がえするということが、国として現時点においてとるべき措置ではなかろうかということを考えまして、現在の相手方である牛込支会関係者の方々と協議いたしましたところ、私たちのそういう気持ちを全面的に受けいれられまして、国に返還するということを了解されております。したがいまして、目下私のほうといたしましては、東京都に対して、この地区を改良住宅地区として処理していただくような下相談——これは予算その他、この地区の居住者の方々の扱いの問題もございましょう。そういう点を現在東京都と打ち合わしておる途中でございます。
  78. 久保等

    久保等君 返還することについては、牛込支会も了解したというのですが、それはいつですか。
  79. 松永勇

    説明員松永勇君) つい最近と申しますか、約十日か、その前くらいになろうかと思います。
  80. 久保等

    久保等君 私はいま局長が言われた方向で完全に、名実ともに解決がこれされて当然しかるべきことだし、今日までのむしろ非常な長い間にわたり不明朗というよりは、私はきわめて不当不法の問題が必ずしもないとは苦い切れないのじゃないかと思うのです。そういう問題もありますが、先ほど来お尋ねしているように、事実関係のこまかいことについては、また資料を出していただかなければわからぬようでありますから、そういう問題については触れません。しかし、少なくともいま申し上げ、また局長から御答弁いただいたように、住宅対策という問題で、できるだけこの二千四百坪にのぼる、しかも地域的にいって、東京の都心に位するいい場所ですから、これが有効に早急に、しかも東京都が中心になって、住宅対策という立場からこの土地を利用していただくというふうな方向で解決をするように、さらにひとつ局長に御努力願いたいと思う。したがって、先ほど私がお尋ねして明確な御答弁がなかったのですが、現在入っておられる方々に対しての住居問題については、もちろん責任を持って住宅が確保できるように、国としてもひとつやってもらいたい。東京都にそういうお考えでおられるということが明確になったのですから、その点は非常にけっこうだと思います。  なお、先ほど申し上げた牛込支会というものが現在あるのかないのか、そういったことについては、先ほど申し上げたように、ひとつお調べになって御答弁を、またここ二、三日中に委員会が開かれることですから、そこでひとつお答え願いたいと思います。きょうは東京都の関係者にも来てもらう予定でございましたが、どうしても出てこられないというお話でございまするから、また二、三日中に出てこられる委員会の席上で私またお尋ねすることにし、さらに先ほど来お尋ねをして明確な御答弁がいただけなかった問題については、ひとつその際またお答え願いたいと思います。だからきょうは私の質問は、この程度で打ち切りたいと思います。
  81. 相澤重明

    委員長相澤重明君) ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕   〔委員長退席、副委員長着席
  82. 谷口慶吉

    ○副委員長(谷口慶吉君) 速記をつけて。
  83. 二宮文造

    ○二宮文造君 いまの質問に関連して、最後に一言局長にお伺いしておきますが、五月以来問題にしてまいりました現在の経理学校のあとの問題につきましては、大体方針が、いま局長さんから話がされまして明確になってまいりました。したがって、八月の六日に、私が調査をしていただきたい、こういうようにお願いしておったことが、大体きょうの答弁に出てまいったわけですが、その中で特に気になることは、改良住宅地区に指定をしてもらう、その場合に東京都に払い下げる、そうして改良住宅地区に指定して、現在入っている方もそれに収容する、漏れなく収容するというふうに了解をしたんですが、ただその場合に問題になりますのは、家賃の問題です。住宅環境がよくなるからといって、家賃が現在より高くなるのでは、現在入居されている方が、たいへんお気の毒です。そういう意味で、前回私はその居住者が現在より高くならないように、しかも間違いなく当該地の新たな都営住宅に収容される、こういうふうな方針があるのかどうか、こういうことをお尋ねしておきます。それはもちろん都の問題でありますし、国としてはいまタッチできることは、行政指導の中でそのことも含めて現在の居住者の方の利便をはかる、これはあくまでも条件でなければならぬと思うのですが、その点、局長からいかがでしょう。
  84. 松永勇

    説明員松永勇君) 私たちが改良住宅地区に指定してそういうことをやりたいということも、もちろん環境のいい住宅ということと、あわせてこの方々の入る場合の低廉な家賃ということを考慮いたしまして、こういう考え方を持ったわけでございまして、どの程度の家賃になるかということは、実は私正確なことは承知しておりませんけれども東京都から聞きますところによると、改良住宅地区に指定された地区に居住している方々には、三カ年は特別に安い家賃で入居できるこういう方式を採用しているということを聞いております。  それからなおここにつくりますのは、これは東京都がなさることでございますが、大体国としましては従来第二種公営住宅というものを、すなわち国の補助率の高い公営住宅を建設し、その敷地につきましても、国としては非常に安い価格で東京都に売り渡すという方法も、法律上できることになっております。したがいまして、全体として比較的安い家賃ということを念願として処理いたしております。その上に、従来おられる方は、特にある期間を限っては、現在の家賃で大体横すべりではいれるような道が開かれているということを、東京都から聞いております。
  85. 二宮文造

    ○二宮文造君 そのある期間というのでは、現在の居住者の方がたいへん不安だと思うのです。したがって、これはもう今後の問題になりますが、都に対する払い下げの打ち合わせのとき、あるいはまた計画書を協議するとき、あるいはまた予算関係の問題につきましても御協議があると思いますが、そのときに従来の経緯から見て、新たに法の措置が必要であれば、あるいは条例の措置が必要であれば、そういうことも含めてこの現在の居住者の希望を全面的にかなえられるように——でなければせっかく国のほうがあっせんをされましても、現在の居住条件が大幅に変わるようなことになりますと、いま住んでいらっしゃる方が不安になりまして、問題が生ずるようなこともあるのではないかと思います。したがって、そういう心配もありますので、その点を含めて処置を願いたい、これを要望しておきます。
  86. 谷口慶吉

    ○副委員長(谷口慶吉君) ほかに発言がなければ、本件に関する調査は、本日のところこの程度にとどめます。     —————————————
  87. 谷口慶吉

    ○副委員長(谷口慶吉君) 次に、旧虎の門公園地に関する件を議題といたし、調査を行ないます。質疑のある方は、順次御発言願います。
  88. 二宮文造

    ○二宮文造君 虎の門公園のあと地につきまして、前回一番しまいに大蔵省にお願いしておきました江戸城の石垣あとのあの文化財の土地の指定の問題、これを最初にお伺いをしておきたいと思うのですが、文化財保護委員会の方をわずらわしておりますので、この敷地問題が東京都から国に引き継がれ、いわゆる史跡として引き継がれるに至った経緯について明らかにしていただきたいと思います。
  89. 柳川覚治

    説明員(柳川覚治君) 江戸城外堀あとの指定につきましては、江戸城そのものが近世の城郭として、また近世における都市づくりの代表的なものといたしまして、特に外堀につきましては、江戸城と城下町を囲んだ防御施設というような性格もございますので、早くよりこの指定について文化財保護委員会では検討してまいったわけでございますが、何ぶん指定地が元江戸城そのものが皇室財産にかかっておりますというような経緯もあり、また、所有地が各省関係にまたがっておるというような状態でございまして、この指定がおくれておりましたが、三十一年三月二十六日付で国の指定が決定いたしております。指定に際しましては、さきに東京都教育委員会によりまして、二十八年六月十九日都の史跡に指定されておりました地域がございます。その地域をそのまま国のほうも踏襲いたしまして、四十八坪の地域を指定しておるわけでございます。指定にあたりましては、指定名称を江戸城外堀あとといたしまして、外堀の遺濠が現在残っておる地域全体につきまして、一連のものとして同時に指定を行なっております。  こまかく申しますと、一つには、牛込の見附から市ケ谷を経まして赤坂見附に至るまでの堀と土手、石垣、これを一カ所として指定してございます。それから二つには、文部省構内——現在は国立の教育会館になっておるのでございますが、その構内の石垣、それとこれに連なっておりますただいま御指摘の旧虎の門公園の石垣、その三つの部分を同時に指定をいたしてまいりました。この旧虎の門公園内のものにつきましては、告示にあたりましては、千代田区霞ケ関三丁目四番地内、実測四十八坪「旧虎の門公園内」と、告示にあたってはいたしております。この四十八坪の面積につきまして、石垣の隅石そのものを中心といたしまして、その周辺を四十八坪のこま形の地形をとらえましてそれを指定いたしまして、末長く文化財として保存していくというような考え方で行なっております。このこま形の地形四十八坪そのものが、すでに東京都の教育委員会によって都の指定になりました際の地形でありまして、この地区は、隅石そのものの境界ぎりぎりに指定をいたしますと、隅石そのものの保存に支障を来たすおそれもあり、また隅石の南面の前面のほうは、元の堀あとでございましたので、その堀あとも保存するという趣旨から余裕を持った地域を指定として考えておるわけでございます。それで保存にあたりましては、隅石の周辺のところを古鏡形と申しますか、昔の鏡の形の円形に堀りまして、その部分に植樹等をいたしまして修形していく、さらにその周辺を歩道等もとるというような形から、このような四十八坪の指定がなされた経緯でございます。  さらに、その後三十九年七月十四日に大蔵省普通財産から文部省所有地に引き継がれておるわけでございますが、引き継ぎにあたりまして、指定地そのものを文化財用地として引き継ぐということから地番の整理がなされまして、現在のような霞ケ関三丁目四番地七の二でございますか、そういう地番の整理がなされたというような経緯がございます。
  90. 二宮文造

    ○二宮文造君 文化財は非常に重要なものであると、私ども伺っておるのですが、たとえばその地域の指定とか、あるいは変更とかいうことについては、どういう手続を要するのですか。
  91. 柳川覚治

    説明員(柳川覚治君) 指定された文化財の指定地につきまして、原状の変更あるいは保存に影響を及ぼす行為、そういうことにつきましては、文化財保護委員会の許可を受けるということで、本来許可行為にしておるわけでございます。
  92. 二宮文造

    ○二宮文造君 伺いますと、二十六年ですか、東京都の指定は。
  93. 柳川覚治

    説明員(柳川覚治君) 二十八年です。
  94. 二宮文造

    ○二宮文造君 二十八年ですか、二十八年に東京都が指定して告示をした場合に、それは単に四十八坪という坪数を告示したにすぎないわけですね。東京都教育委員会でも地形については説明もありませんし、また現地においてもそういう表示はない。あるいはまた土地の公図におきましても、そういう表示はなかった。ならば二十六年から三十一年国の指定があって今日まで、昨年の二月に公図が変更されるまで、どういうふうな形でこの地域が保護され管理されてきたか、その点を明らかにしていただきたいと思います。
  95. 柳川覚治

    説明員(柳川覚治君) 東京都の史跡の指定にあたりましては、名称が江戸城外堀あと、所在千代田区霞ケ関、所有者国有という状態の告示内容になっております。この限りでは御指摘のとおり、その地域がきわめて不明確であるということでございますが、国のほうの指定にあたりましては、先ほど申し上げましたとおり、旧虎の門公園内ということを表示しまして、実測四十八坪という指定をしておりますが、なお告示にあたりまして、きわめて複雑な地域につきましては、図をもって表示するという告示の方式をとってございますが、赤坂見附等の堀、土手、石垣につきましては、複雑な内容がございましたので、図をもって表示いたしましたが、ここの虎の門公園内の石垣につきましては、あえて図をもって表示しておらないというような状態でございますが、私どものほうでは、そういう指定の原簿をそれぞれのところに備えまして、今後支障のないように取り進めておるわけでございます。  なお、国が国の国有財産等を処分されるにあたりまして、指定地につきましては、文部大臣のほうに協議があるような形になってございますが、この地番変更につきましては、すでにそれ以前に三十八年九月二十六日付で普通財産の所管がえにつきまして、文化財保護委員会の事務局長から関東財務局長に内協議の手続をしておるわけでございます。その結果、普通財産の所管がえを受けるにあたりまして、所要な地番表示の整理ということから、このような地番の書きかえという毛のがなされたように聞いております。
  96. 二宮文造

    ○二宮文造君 そうしますと、いまの説明では、三十一年に国が指定されてから三十八年に内手続というのですか、それをとるまでは、この当該地における地形は、少なくともはっきりした面においては表示されてなかったわけですね。
  97. 柳川覚治

    説明員(柳川覚治君) 告示の文面では、旧虎の門公園内四十八坪という表示だけでございます。それから事実上は、あの地域につきましては、指定地と指定地外には、コンクリートによる打ち込みがございまして、さらにその周辺をもとの会社がさくでもって境界をつくっておるという事業上の形がございます。
  98. 二宮文造

    ○二宮文造君 そうしますと、少なくとも昭和三十一年ですか、国が指定したのは。三十一年から三十九年の二月に分筆をするまでは、このこま形の形というのを証するものは何もないんですか。地形がこま形であるということを証明するような書類はないんですか。
  99. 柳川覚治

    説明員(柳川覚治君) 私どもの手元には、その形のものを書類として保存しておるわけでございますが、公文書その他においてこま形の表示をした経緯はないわけでございます。ただ、さかのぼりまして東京都が指定にあたりまして、関東財務局長あてに指定の保存につきまして配慮方の願いを出しております。その書類に添付されましたものが、現在のこま形の四十八坪というものを文書で提示しておるという経緯でございます。
  100. 二宮文造

    ○二宮文造君 いまの書類をあとで資料として出していただきたいと思います。文化財のことにつきましては、その資料か出てまいりましてから、もう二度お伺いしたいと思います。  さらに大蔵省にお伺いしたいのですが、前回も前々回も国に抵当権を設定した建物が無断で取りこわされた、いや無断ではないということが相当に議論になりました。その段階におきましては、局長はあくまでも建物についても抵当権が設定されておるという前提に立って答弁のようでございました。ここで確認をしておきたいんですが、売買契約書に明示されましたとおりのあの別表の建物に対して、国が抵当権を設定しておりましたかどうか、明らかにしていただきたい。
  101. 松永勇

    説明員松永勇君) 取り調べましたところ、抵当権は設定されておりませんでした。
  102. 二宮文造

    ○二宮文造君 私は不審でならないと思うのです。まあ新任早々で、あまり時件の内容に詳しくは御存じない、落ち度であるというふうに言い切ってしまえばそれだけでありますが、少なくとも売買契約書には、延納代金の担保とし抵当権を設定すると、明文をもってきめているわけです。にもかかわらずその抵当権を設定しない、しないでいて十一月にエンバイヤ興業から取りこわしたいという申し入れがあると、それに許可を与えている。非常に作為的なものを感ずるんですが、この点はいかがですか。
  103. 松永勇

    説明員松永勇君) 先ほどお答えしましたように、契約書には、建物を抵当に付するということにしておりながら、登記面ではその実行がなされてなかったということでございます。これについて申し上げますと、三十八年の十月一日に売買契約をして、そして三十八年十月十日嘱託登記の請求が財務局に対してあったわけでございます。財務局はこの嘱託登記によって、すなわち売買したものの登記を向こうへ移す、所有権を移す、同時に抵当権を設定するという登記、これを法務局に対して登記を請求をするわけでございますが、実はここに相当長期間を要しておったわけでございます。その登記の設定が終わりましたのは、三十九年二月の十四日でございます。嘱託登記をして、その登記を完了するまでに十月から翌年の二月までかかっておるわけでございますが、その間に、先ほど二宮先生の御指摘にあったように、あの建物を撤去したいという申請が出て、その承認を与えていたわけでございます。したがいまして、実際の登記が完了する時期にはそのものはもうない、現実には撤去されておるということで、この登記が登記面にあらわれてないわけでございます。登記が十月から二月までかかっていた間にそういう事態になりまして、契約書面では、登記を設定するようになっておったにかかわらず、登記面ではそれが実行されてなかったという事態になりました。この点については、手続上もっと登記の点を促進すべきであったというふうに、現在では反省いたしております。
  104. 二宮文造

    ○二宮文造君 ちょっと局長答弁は誤りです、だろうと思います。と申しますのは、ここに私ども写した写真がございますが、登記に至る、登記の二月の十四日現在に建物はなかったという答弁でありましたけれども、四月の九日に撮影した現在におきましては、建物はまだ残っております。屋根がはげておりますが、建物は歴然と残っております。  さらにもう一点明らかにしておきたいことは、この建物につきまして、国との売買契約がなされるすなわち十月一日以前に、財産上の重大な事故がありました。すなわち和解がありましたのが七月の二十何日だと思いますが、七月の四日の契約と称して、和解成立以前にこの建物に小佐野賢泊氏が所有権移転の仮登記、売買予約の仮登記をしております。こういう事実がこの建物にあったということを、大蔵省は御承知の上で売買契約を結ばれたかどうか、答弁いただきたい。
  105. 松永勇

    説明員松永勇君) 売買予約があったということは、この和解が成立いたしましたのは七月の二十日でございます。その和解の当時は、こういう事実は実は知らなかったということでございます。
  106. 二宮文造

    ○二宮文造君 いつ知りましたか。
  107. 松永勇

    説明員松永勇君) これは、実は私自身が知ったというのは、私着任が最近でございますので、意味がないと思います。実は当時の担当者にもこれを聞きましたけれども、知ったというのは、この登記簿謄本を取り寄せましてその事実を確認したということで、売買予約があったということは、おそらく関係者は知らなかったのじゃないかというふうに推定されます。
  108. 二宮文造

    ○二宮文造君 登記簿をとったのはいつですか。
  109. 松永勇

    説明員松永勇君) つい最近四、五日前でございます。
  110. 二宮文造

    ○二宮文造君 一体、これは伺えば伺うほど手続の上であやまちがある一方です。なぜかと言いますと、この建物は売買契約ではちゃんと抵当権を設定する、こういうふうに明示をしている建物です。したがって、その建物にどういうふうな条件がついているかということは、当然担当の係官としては、調査の上で売買契約書を締結すべきであると思うんです。にもかかわらずそれも見ない。私ども民間における通常の売買でも、取引をされる以前において、やはりその謄本なり保証書なりによりまして、その建物ないしは土地に重要な変化がないかどうかということを確認してから売買がなされるわけですが、一体どういう気持ちでこの建物が、建物の謄本も調べないで、抵当権を設定するような売買契約書を結ばれたか、その間の事情を御存じであれば答えていただきたい。
  111. 松永勇

    説明員松永勇君) 当時の詳しい事情は、私は炎はよく存じないのでありますが、私、この問題をその後いろいろ検討いたしております際に、実はこの建物を国の売買契約の抵当権に付加するということの措置をとりましたのは、本省においてこの審査をする際にそれをつけております。と申しますのは、通常国有財産を売り払った場合には、売り払った価格の半分を頭金として即金で取る、残りの価格の担保を取るという場合に、おおむねそこにある売った不動産自体を担保に取れば、担保力とすればおおむね十分であるという事例が多うございます。通常はそういう取り方をしておったわけでございます。本件についても、関東財務局からこの書類があがったときにはそういう考え方で、売った不動産を担保に取ればよろしいという、契約条項として本省に上申があがってきたわけでございます。そこで、本省としてこれを審査する際に、通常国有地を売る場合には、上にある建物というものは、国有財産として一括して売る、国有財産であるかあるいはさら地であるかということが通常でございます。ところが、本件につきましては、相手方が建てた不動産がございます。その不動産をこのまま置いたままで、下の土地を担保に徴するということになりますれば、もし、この不動産が第三者に転売されて、国に対して借地権を主張できるような第三者があらわれたという場合には、この国の土地というものの担保価値が非常に落ちるわけでございます。この点につきましては、前々回の委員会でもちょっと申し上げましたように、そういうおそれがあるという心配があって、本省においてその建物も一緒に担保に供さすべきであるというように、上申の書類を変更して承認を与えたという経緯がございます。そういうことでこの建物を担保に供させたということと承知いたしております。
  112. 二宮文造

    ○二宮文造君 そうであれば、かえってあぶないじゃありませんか。登記簿をよく見て、そういう所有権が移転するような、そうして地上権を、権利のないものが地上権を獲得するような条件があるかどうかということを、ちゃんとお調べになるのが当然だと思う。にもかかわらず、七月二十四日にもうちゃんと登記されております。このままいつでも所有権移転はできるわけです。そういう事態を黙認したということについては、どうお考えになりますか。
  113. 松永勇

    説明員松永勇君) この点につきましては、当然そういう契約条項の変更に伴って、相手方建物の所有権がだれの名義人になっているかというふうな点を、十分調査して検討すべきであったと思うわけでございますが、そういう点、粗漏があったということは申しわけなく思っております。
  114. 二宮文造

    ○二宮文造君 その粗漏はニューエンパイヤ側にあるんですか、大蔵省側にあるんですか。
  115. 松永勇

    説明員松永勇君) 私たち国有財産の売り払いに当たっている当事者として、その注意義務かあろうと思います。
  116. 二宮文造

    ○二宮文造君 ニューエンパイヤには責任はありませんか。
  117. 松永勇

    説明員松永勇君) ニューエンパイヤにも、これを法律上の義務というところまで、どこまで見るかということも、私も法律関係よくわかりませんが、こういうような情勢にあったということは、実は知らなかったというのが、私たちの実情でございますので、そういう点も、道義的には当時こういう状態にあったということを知らしてくれてもしかるべきじゃないかというふうに考えております。
  118. 二宮文造

    ○二宮文造君 売買契約の第一条の信義と誠実とはどうですか。それと関連してどうお考えになりますか。
  119. 松永勇

    説明員松永勇君) 契約書に信義誠実の原則というのをうたっております。この信義誠実というのは、非常にむずかしい規定のようでございますが、信義誠実の原則を形式的に論ずれば、信義誠実の原則から相手方が責めらるべき性質のものであるという解釈もとり得るのではないかというふうにも考えられますが、何ぶんにも契約書第一条の信義誠実の原則の解釈は相当.なかなか法律的にはむずかしいようでございます。私として確実にこれに違反するとか云々ということは、まだよくわからないような状況でございます。
  120. 二宮文造

    ○二宮文造君 さらに当時ニューエンパイヤモーター株式会社の株主なり、あるいは経営の主体がどういうふうに動いているかということを調査されて、私は調査は当然だと思うのです。十何億の売買の相手先ですから信用調査なり、あるいは会社の内容なり、株主の構成なり、そういう点を御調査になるのは当然だろうと思うのですが、そういう努力をされましたかどうか、お伺いしたい。
  121. 松永勇

    説明員松永勇君) 当時の担当者について事情を聞いてみますと、このニューエンパイヤの株について、資本的な第三者があらわれてくるらしいというような状況下にあるということであったようでございますが、具体的に当時そういう調査を確実にやったかというと、その辺は大体そういうことらしいということで、本件の処理をしたという状況でございます。
  122. 二宮文造

    ○二宮文造君 非常にあいまいだと思うんです。重要な事項については知らなかった。さらにお伺いすると、らしい、そういうことで十何億の国有財産が払い下げられたのではかなわない。当時すでにニューエンパイヤモーター株式会社は、もう次の状態に変わるべき段階にあったわけです。その現実の証拠が、ここに所有権移転の仮登記にあらわれているわけです。しかも何度も言うようでございますが、局長はその時点をとらえて経営の発展的段階である、こういうふうに答弁をされるわけですが、契約以前にそういう事態があった、らしいものがあった、にもかかわらずそういう不安定な相手に、それを相手先として売買契約を締結するということは、非常に遺憾であると思うんですが、いまから振り返ってみていかがですか。
  123. 松永勇

    説明員松永勇君) 本件につきまして、当時こういう事情でこういう契約をしたわけでございますが、現段階で、結果的にいろいろなことがわかった現段階で振り返ってみて、そういう事情があったならば、契約をしたことが妥当であったかどうかということが問題であろうかと思いますが、しかしこの点につきましては、当時の情勢と申しますか、いろいろな予見というものがいろいろに複雑化されておった状況、と申しますのは、十年にわたる長い係争の結果、国会において和解を勧告され、そして相手方としての処理としては、国としても十年にわたってこれをどう処理していいかということで、実は何らの方法もないという状況下に置かれておったわけで、そういう状態のもとで何らかここにこの長い紛争の未解決問題に終止符を打ちたいという情勢下にあった特殊なケースとして、そのもとでこういう処理が進んだわけでございます。現在の時点でもう一度振り返ってみて、その当時こういう状態であって契約をすることが妥当かどうかということは、いろいろその状況下でないと、正確な判断が困難であろうと思いますが、一般論的に申しますれば、なかなかこういうことに和解に応じたのがよかったかということは、確かに問題として残ったというふうに感ぜられます。
  124. 二宮文造

    ○二宮文造君 さらにちょっと飛ばしますが、前回局長答弁で、もしも、これが他に転売をされたというような形が出ると、明らかに契約違反である、こういうふうなお話がございました。その事実問題として私が指摘しましたのは、十二月一日の丸紅の所有権移転の仮登記並びに建築申請、これを私、事実問題として実際上の売買ではないか、こういう指摘をしました。それに対して局長は、いや、これは単なる金融上の操作である、消費貸借である、したがってその消費貸借の条件に基づいて現在支払い中であるというふうな答弁をされましたが、そのとおりと承知してよろしいですか。
  125. 松永勇

    説明員松永勇君) 私たちがその後も調査いたした限りにおきまして、これは売買ではないというふうに考えております。なおこの十億の貸借につきましては、二億ずつ五ヵ月で支払うという計画のようになっておりますが、第一回目の支払いは、七月に期限が到来して支払ったということを確認いたしております。八月分についてはまだ支払ったということは確認いたしておりません。
  126. 二宮文造

    ○二宮文造君 私は前回その消費貸借の契約書を資料として御提出を願いたい、こうお願いしたのですが、まだ手元に届き任せんが、これはどうでしょうか。
  127. 松永勇

    説明員松永勇君) あとで提出いたしたいと思います。
  128. 二宮文造

    ○二宮文造君 その消費貸借の契約書の契約の年月日はいつになっておりますか。
  129. 立川宗正

    説明員立川宗正君) 三十九年の十二月一日と記憶いたしております。
  130. 二宮文造

    ○二宮文造君 その三十九年十二月一日の契約に基づいて第一回の期限到来が七月ですか。
  131. 立川宗正

    説明員立川宗正君) さようでございます。
  132. 二宮文造

    ○二宮文造君 それと、もう一点明らかになりませんことは、丸紅が十二月の六日、千代田区役所に建築申請をする、それが十二月の九日に都に申請をされている。この時点に対し、大蔵省の見解がはっきり出てこないのですが、これをどうとらえますか。他人の土地にかってに建築申請を出す、そういうことが常識で考えられるかどうか、この点いかがですか。
  133. 松永勇

    説明員松永勇君) 実は、私たちはこういう建築申請が丸紅から出たということは知らなかったわけでございますが、この間につきまして、当事者からいろいろな事情を調べましたところ、当初、朝日土地は、自分でこの国の土地を購入して、それに建築申請を自分で出しております。東京都に対して建築許可の申請を出しておりました。その許可があったわけでございます。その後、朝日土地はここに何というか、ビルを建設するのに、そのビルに入るおもな入り主と申しますか、そういうものを入れて、それによって貸しビル業というものを行なおうとしたわけでございますが、その貸しビル業として入ってもらう相手方として一番大口のものとして、丸紅に白羽の矢を立てまして、丸紅といろいろ交渉をしておったようでございます。丸紅としても、現在各所に営業部門が分かれているやつをここに統合する、本社部門を統合するという考えのもとに、相当これには積極的であったようでございます。それで、その設計その他につきましても、当初朝日土地がつくった設計では使いがってが悪いということで、自分の好きなような設計にしたいという申し入れがあって、まあ大家主と申しますか——大家主でなくて大たな子でございますが、大たな子としての丸紅の意向をやはり相当いれなければいけないということで、丸紅のいろいろな設計というものを認めるというか、取り入れるというか、そういう考えで朝日土地はおったようでございます。しかも、ちょうどこの建築基準法が新しい建築基準法によって、いわゆる容積制限ということになりますのが、三十九年の一月というその時期からそれが新法に変わる。その新法に変わりますと、建てられる坪数が相当減ってくるというので、当時非常に急いだようでございます。その過程において、丸紅が設計したその設計書をもって、丸紅が直接東京都に建築申請をしたということになったようであります。一面、丸紅としてはそこに進出するという、すなわち大たな子になってこのビルの中に入るということについて、本社内部でいろいろ論議があって、まあ入るというのと入らないというのと、両論が並行して進んでいっておった段階で、そこで建築のいまのそれもそういうことで出した。ところが、ついに東京都では三十九年の一月の二十日までにその許可がなかったということ女結局この建築申請は取り下げざるを得なかったということで、後日これは取り下げられております。したがいまして、あの土地につきましては、現在丸紅の建築申請というものはない。それから朝日土地の建築申請も、すでに許可になってから着工が期間がかかっておりますので、すでにその建築の届け出も無効となっておるという現状になっております。
  134. 二宮文造

    ○二宮文造君 いまのは答弁にならないと思う。朝日土地が建てるのであれば、なぜ朝日土地として申請しなかったか。大たな子として丸紅が入ることは、そういう話があったのかもしれません。またつくられたのかもしれません。しかし大たな子として入る丸紅が、他人の土地に自分の名義で建築申請をする。これには何らかのそう脅えるだけのものがなければできないはずです。その事実を私は言うのです。丸紅の希望をいれてその設計に基づいて朝日土地興業が申請をするなら、まあいまの場合として問題はないかもしれませんが、丸紅として申請をするという背後に、それを主張するだけの契約の裏づけがなければできないはずです。大蔵省としては、丸紅の名義で建築の申請をしたということについて、いささかも奇異を感じておりませんか。
  135. 松永勇

    説明員松永勇君) それはいまの状況を取り調べた結果、そういうことがわかったと申しますか、そういう状態なので、その時点においては、先ほど申しましたように、私たちは丸紅が建築の申請をするというようなことは全然知りませんでした。もし知っておれば、当然朝日土地申請するのが普通でありますから、おかしいというふうに思ったことだろうと思います。もう一つ建築基準法による申請というものは、これは東京都側の問題でございますけれども、所有者でなければ建築申請はできないということではないために、建築申請というものが比較的楽にと申しますか、所有者以外の者からも建築申請がなされておるのが現状のようでございます。しかし、これは、それだからこれがいいんだということまでは、正当化することはなかなか困難だと思いますけれども、しかしこの建築申請をしたことがすなわち所有権は移転になっている、したがって契約の違反になるというところまできめつけることは、なかなか問題があろうかと思っております。
  136. 二宮文造

    ○二宮文造君 大蔵省として丸紅が進出してくることを全然知らなかった。また消費貸借が契約されたことも全然知らなかった。さらに所有権移転の仮登記がなされたことも全然知らなかった。さらにたびたび言うようですけれども、この売買には条件がついております。所有権を移転してはならない。その売買の条件と、その条件に重大な変更を加えるようなことを大蔵省が全然知らなかった。それとの関係について私は釈然としない。大蔵省としてはただ事務的にお考えだろうと思いますが、しかし事務的に考えてみたところで、本日もたびたび指摘しましたように、重大な誤りがあります。この重要な問題について、特に丸紅に関する限り、重要な問題について大蔵省が全然知らなかったということと、それから売買契約書にいろいろ取りきめがある。その取りきめとの関連において大蔵省は矛盾を感じませんか。その点どうですか。
  137. 松永勇

    説明員松永勇君) 私、この問題を担当いたしましてから、いろいろあとづけをずっといたしておりまして、この契約を締結する段階、それからその後の進行過程の段階においては、いろいろまだ事情がわかっていないことが、いろいろその後になってわかってきたというような点はだいぶあります。そういう点で国有財産の処理として、これが完全無欠に処理されたというふうには私考えておりません。いろんな点であとでわかった点が、こういうことがあったというような点で、いろいろ考えさせられる問題があるわけでございますが、しかしその一つ一つにつきまして検討いたしてみまして、それが本件契約解除の理由になり得るかどうかという点を一つ一つ検討いたしましたところ、なかなかこの点はむずかしい、法務省とも種々検討いたしたわけでございますけれども契約解除という点については、なかなかむずかしい点があるというふうに考えております。この事務を担当された方々としても、その進行過程の段階では、なかなか事情がわからなかった点が、あとになって事情がわかってきたというような点が相当あるので、こういう国有財産の処理に携わっている私たちとしましては、私たちの能力の限りこれに努力しなければならないのでございますけれども、そういう点で、なお不十分な点があったというふうに反省いたしております。
  138. 二宮文造

    ○二宮文造君 問題は、現在さら地になっておりますし、過去の経緯もとらえて、あそこに丸紅が再び建物を建てるかもわかりませんし、いま一番心配なのは、消費貸借の契約が組まれていて、それが、おそらく私の聞いた範囲内では、ことしじゅうに十億円を完済する、こういう契約になっておると私は聞いておりますが、もしもこの返済が契約のとおりになされなければ、この物件は抵当流れになって、丸紅の所有になります。大蔵省はその場合、その過程をしかたがないとして受けとめますか。この点いかがですか。
  139. 松永勇

    説明員松永勇君) この点につきましては、法務省とも法律的な見解をいろいろただしております。私たちとしましては、それは契約書違反ということになるというふうに考えられるのではないか。もしそういうことになれば、これを理由にいかなる措置をとるかということは、たとえば契約解除をするか、それともそれにかわる何らかの求償措置をとるかというような点も、あわせてその段階では検討しなければならないというように思います。
  140. 二宮文造

    ○二宮文造君 もう一点、かりの話ですが、朝日土地興業が資金難とかなんとかで、これをさらに丸紅以外の第三者に抵当権を設定して、そちらのほうに抵当流れになってしまうという場合についても同じように解釈してよろしいですか。
  141. 松永勇

    説明員松永勇君) 法律論的には同様になろうかと思っております。
  142. 二宮文造

    ○二宮文造君 そうしますと、いまの局長答弁によりますと、現在の時点で、現在地のまま朝日土地興業が所有し、五年間のその時の経過まで所有する段階においては、どうしようもない。ただしそれが朝日土地興業から第三者に移るという場合においては、契約違反の疑いが出てくる、こう答弁されたものと了解してよろしいですか。
  143. 松永勇

    説明員松永勇君) 私としてはそのように考えております。なお、法律論的にそういう点がもし誤りであるということになれば、これは考えなければならないと思いますが、私たちが研究した状況では、やはり契約違反の条項にひっかかってくるというふうに考えております。
  144. 二宮文造

    ○二宮文造君 さらに次の機会にもう一度お伺いしたいと思いますが、時間も経過してまいりましたので、またペンディングのまま残す関係になりますが、いま一度、局長に調査を願いたいことは、契約に至るまでに、このニューエンパイヤモーター株式会社に資本的には非常に疑義があった。要すれば国と契約でき得る力がなかった、そういう事実があることを御調査願いたい。といいますことは、明らかにニューエンパイヤモーターは転売を意図してこの契約をかわした。大蔵省がその事実を知っていたかいないかにかかわらず、少なくとも契約相手方であるニューエンパイヤモーターは、自分で所有する意図はなかった、こういう事実が歴然としてまいります。それは資本構成並びに当時のこの会社の経営状態を御調査願えばすぐにわかってまいります。したがって、私は本件の払い下げに関する売買契約は、契約の初期においてすでに誤りである、契約違反の疑いがある、そういう疑点をまだ払拭するわけにはいかぬわけです。いかに商法上適法であるとか何とかこう答弁をされても、そういう市前にそういう事態がある分についてはしょうがない。したがって、大蔵省としても三〇%の準借地権の控除ということは誤りである、明らかに国損である、こういう点についてさらに詳細御調査を願いたい。まあ取り上げてまいりますと、この問題は随所に契約違反の事実がありますことを指摘いたしまして、問題を次に残したいと思いますが、なお政務次官もたびたびこの席に御列席になっているわけですが、前々回以来政務次官の御調査になった感想といいますか、今後の政務次官のお考えといいますか、そういうものを伺って締めくくりにしておきたいと思います。
  145. 竹中恒夫

    説明員(竹中恒夫君) 結論的に私から意見を申し上げるのは、まだ少し早いように存じますが、今日までの審議過程におきまして私が承知いたしました範囲内におきましては、はなはだ遺憾な点が多々ございまして、十二分にこの事後処理については、慎重な態度で臨みたいとこう感じております。
  146. 谷口慶吉

    ○副委員長(谷口慶吉君) 他に御発言がなければ、本件に関する調査は、本日のところこの程度にとどめておきます。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時四分散会