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政府委員(
檜垣徳太郎君) 狸穴の
土地の問題をめぐります経緯につきましては、
前回も簡単に御
説明申し上げたのですが、御
承知のように、中央競馬会、だんだん事業の量が大きくなってまいりまして、三十四、五年ごろから本部の移転を考えなきゃいけない。事務所の拡充をやる必要が痛感されるようになっておりましたところ、当時、現在の芝田村町にあります競馬会の本部の敷地を物産
ビルの拡充敷地として譲渡をしてもらいたい、その譲渡をする場合に、建物の建築費との一種の交換を考えてもらいたいというような申し出がありまして、中央競馬会としてはちょうど移転ないし拡充の必要のある時期でございましたので、適当な
土地を求めておったのでございますが、
お話に出ました旧東大天文台あとの狸穴の用地が約千八百坪程度の建物を考える場合には、適当な場所であるということで、
大蔵省の
管理財産になっておりましたので、中央競馬会はその
土地の払い下げを申し出たのでございますが、当時、その辺は私もよく存じませんが、
大蔵省としては公務員宿舎の敷地を物色中であるので、たまたま中央競馬会が持っておりました玉川の用賀町の
土地との交換ならば正当な評価のもとに応じるということで、玉川の用賀町の
土地との交換が成立をいたしたわけでございます。ところが、その後競馬会としてその
土地の上での建物の設計等の前提となる調査を進めてみますと、あすこは地理原点に当たっておりますために、建物制限が非常に厳重である。高い建物等が許されない
土地であるということが判明をいたしまして、その制約の中で本部をつくろうとすると、非常に無理な建て方をしなければならないということがわかったのでございます。ところが、たまたま現在の本部敷地を全部譲ってくれないかと言っておりました物産
ビルが、物産
ビルと本部敷地の間の
道路が建築法規のもとで、従来接続して架橋式の建物を許さないということであったものが、接続して架橋式の建物を許すということになったから、敷地は約六百五十坪ばかりの
土地があるわけでございますが、全部といっておったのが、三百坪前後でよろしいということになりましたために、競馬会しては
考え方を改めまして、三百八坪の
土地は物産
ビルに譲渡する、そうして残りの三百五十坪の現在地点に新しい
ビルをつくることのほうが、はるかに容量の大きな建物になる。かつ、使い勝手もいい建物になるということで、しかも、それに、新築をいたします建物の代価に
相当する
土地を提供することによって交換をしようということにいたしますと、田村町三百八坪の
土地と狸穴の
土地と、さらに八王子に別途に競馬会が保有しておりました
土地をあわせまして、等価の交換を概算的にやろうという話が進んだわけでございます。私どもも競馬会の不動産の
処分につきましては、
許可をする立場にありますので、その点について、競馬会の特殊な何といいますか、
予算上の問題も考えますと、不動産の建築は交換方式によることが最も簡便に行なわれるという利便もありますし、狸穴の
土地がかつて
国有財産であったし、また、競馬会も
政府の出資にかかる一種の
政府機関でございますから、その
土地の譲渡後、社会的に非難をされるような使用の
目的に供されることは好ましくないということで、できるだけ公益性なり公共性のある利用者に譲渡されることが望ましいというふうに考えておったのでございますが、この話が競馬会と農林省の間で問題になっておりました際に、日本飼料工場会、これは
中小企業協同組合でございますが、これがみずからのオフィスあるいは構成員の利用できるような建物がほしい。その敷地として狸穴の
土地が交換によって物産
ビルに譲渡されるのであれば、そのあとの利用者として工場会に譲ってもらいたいという話がありましたので、私どもとしては、工場会はただいま申し上げましたように
中小企業協同組合、全国
団体でございますから、一私的な企業に譲渡されますよりは望ましいということで、その点を契約上も明確にするようにという指導をいたしました結果、確かに
お話のように、たいへん入り組んだ話でございますが、できるだけ競馬会の持っております
土地、しかも、かつて
国有財産であった
土地の譲渡、最終的な利用の適正というものを期したいという
考え方で実は指導をいたしたわけでございます。
経過を申し上げますと以上であります。