○小松
委員 二つある、あなたはデフレとインフレと両方あるというようなことを最初から言って、二つの論理をミックスさせながら——ところが二つの論理というものは、主体的にほめたときにはなかなか苦心しているように見えますけれ
ども、すぱっと割って、
不況対策をここにやるのだという、そういうときにはジレンマにおちいって、もたもたして、何をしておるのだ、こういうような印象を受けるものなんです。あなたのいまの——これは
あとから出てくる予算編成のなんでも、あっちへ言うてみたり、こっちへ言うてみたり、毎日の新聞が変わっていると同じように、心の中で二つのものがはっきり決断できぬで、あっちこっちしておる。こういう印象を受ける。だから、ぴしゃっとした動向なり信念なり、一つの理論なり筋なりというものがぴしっと定まっていないということにもまた通ずるわけです。
そこで私は安定成長の問題になりますが、池田さんは確かにいわゆる日銀のオーバーローンというものを、金融というものを使って民間の設備投資に拍車をかけた、プレッシャーをかけてどんどん高度成長してきました。ところが、今度
佐藤政権になりましたら、それとはだいぶん変わって、金融でなく財政を使って公共投資、あるいは社会開発とも言うかもしれません、公共投資のほうに、民間設備投資でなくて公共投資のほうに拍車をかけていくような歩みが出てまいりました。私は、これはもうはっきり池田さんは金融でどんどん流してきた。だから、いま不況だとか言っておりますけれ
ども、企業では減価償却はもはや
相当蓄積ができました。だから、企業はいろいろ、どうだこうだと言っていますけれ
ども、社内保留はまだまだでしょうけれ
ども、減価債却費はもはや会社の中にはたっぷりたまってきました。電力会社など、
総理と懇意な東京電力あたりはもう飽和
状態です。(「どこに投資しようかと思っておる」と呼ぶ者あり)どこに投資をしようかと思って弱っておるといっておるが、そのとうりなんだ。企業として減価償却はある程度までたまってきた。そうなると、今後民間会社はどんどん減価償却というものの蓄積がたまってまいります。そうしたら、池田さんの時代のように、銀行から金を借りて設備投資をするよりも、
自分の手持ちの金で、減価償却と社内保留と、それに増資を少し加えて、それで設備投資をする程度に進んでまいります。そうして銀行の金は、オーバーローンは漸次解消していきます。今後の
佐藤政権はもう財政が足ればいいのだ、財政に金が集中して流れてくるという時代をつくるのではないかと私は見ておる。これが、民間設備投資も、また銀行に金融をどしどし申し込むようであったならば、
佐藤政権もやがては池田政権のように、金融オーバーの時代になるかもしれぬが、いまのところ見るとそうとも限らぬ。これはやはり
相当財政に向って大きな負担がかかってくるのじゃないか、特に
佐藤政権は社会開発という公共投資的な要素を加えてまいりますと——いや、それでもいいのです。成長するのだからかまいはしません。けれ
ども、私はここに一つの問題がある。安定成長とは財政を使って公共投資に力を入れるのが安定成長で、高度成長の池田さんは、金融を使って民間設備投資で太らかしていったというコースに出るのだから、これは私なりの
考え方でございますが、やはりそうした一つの歩みが見られるわけでございます。そうなると、高度成長政策ともいうし、いや、言いかえて安定成長だというけれ
ども、安定成長もこれはどこにいきつくかわからぬですなと、こう思い出した。安定というに
ことばの中にもさっきも言ったようなムードを持っております。まことに安定というけれ
ども、池田さんだって、最初から超々高度なんて言いやしなかった。池田さんでもやはり安定と思っておったけれ
ども、超々高度になった。だから、安定成長というてほったらかしにしておくと、とんでもないことになるのじゃないか、こういうふうな気もしてならないわけです。ここに私は高度成長政策と安定成長政策の相違を見守っていきたいと思っております。こいねがわくは調和と安定でいくことを期待しますけれ
ども。
そこで、公債発行とは、ぴしゃっと借金をしてでも財政に金を突っ込んで、ちょうど企業家がオーバーボローイングでも何でも、とにかく投資していけといったあのかつて何年か前と同じように、公債発行であろうが何であろうが、借金してでもとにかく公共投資だ公共投資だという形になっていきそうにもあるわけであります。
そこで、
福田大臣にお伺いしますが、景気は底入れであるというようなことをたびたび言っておられるのです。景気は底入れだ、はなはだしいのは、日銀と一緒になって、日銀と大蔵省で景気は底入れだと何回も言っておる。こういうことをなぜおっしゃるのでございますか。景気は底入れだと言いながら、底入れじゃないことをやっておるのです。こういう、何というか裏表を使い分けたようなことをなぜおっしゃるのですか。そう見ると、いかにも
政治というものは裏があり、いいかけんなことを言う。そのときそのときのその場のがれのことを言っておるのじゃないかという印象を受けるわけなんです。その辺について
福田大臣の御
答弁をお願いします。