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山中(吾)
委員 五級から一級までいろいろございます。しかし責めているわけでも何でもないのですから。認識を深めていただきたいと思っているのです。
僻地の一級といいましても、
住宅という点については同じなんです。お調べ願ったらわかる。
住宅についてはどうにもならない。一級、五級という
関係においても、
住宅の困っている点においては変わりはないのです。
あとでよく調べてください。バスがついてから少し便利になったとか、あるいは電灯がついたとか、郵便局ができたりとかいうことの場合に、
住宅がそれなら少し余裕が出るかといったら絶対出ない。
住宅については、一級も五級も同じなんです。その点はよく認識をしてもらいたいと思うのです。
そこで、
主計官おいでになったので、先ほど私は文部
大臣に
要望しておったのですが、
僻地の
学校施設で、現在普通
教室というものはあるが、理科実験室か
音楽室か、いろいろの
特別教室をひっくるめてでもいいから、
一つの
特別教室だけはなければどうにもならないという状況を訴えておったのです。理振法、産振法というものがあって、
教材やあるいは図書ができても納める部屋がないので、
校長室の隣に入れるしかない。そこに
一つの
特別教室があれば、そこにオルガンも置く、
教材も置くということで、一応そういう運営がすぐできる。だから
特別教室というものを必ず置くということを前提として六・三制の建築
補助対象に
考えてもらいたい。これが
一つだったのです。
それから第二には、
僻地の
分校の
先生というのは、大体
分校のあるところは、二里、
三里の間に
食料品店がないのです。そこで一週間分くらいのものを町に行って買って、貯蔵して食っておるわけです。だから
学校の
備品というかっこうで
冷蔵庫というふうなものを置いてやるというようなことが、また、その
僻地に行く
教師について一番の
要望なわけです。そういうようなものを国の責任において視聴覚
教育のテレビとか、ああいうものを含んで
学校の
設備、
施設の
補助対象の中に繰り入れるような考慮を払うべきだという
意見を述べておいたのです。それは十分あなたのほうも検討して、具体的な条件の中で、
文部省との話し合いの場合には理解のある態度をもって当たっていただきたい、これを切望しておきます。
それから次に
僻地の
幼児教育の問題についてでありますが、この点について、これは
大臣にぜひお聞き願いたいのですが、
僻地の学力の向上をどうしたらいいかということを聞くと、異口同音に、学力の向上については、
教育以前の問題を解決しなければどうにもならない、これは体験者のすべての声なんです。それは小
学校に来る以前の条件を整えなければだめだ。家族としか接していない
子供、そういう
子供で、小
学校に入ってきたときには、一般の、普通の
児童より一年ないし半年は知能的にも何かおくれておる。したがって、
僻地の場合については、厚生省はある程度最近
補助を出して、
僻地保育所というものをやっておりますけれども、
学校の付設として幼児
教室を置いて満五歳あるいは四歳というものを収容して、そこで就学以前の
教育をして、初めて
僻地の学力の向上というのが可能である、これは異口同音なわけです。この点について、ぜひ御検討願いたいのは、
文部省に幼稚園
教育振興計画がある。このときも大体都市的な
考えなんですよ。感覚は都市的である。
僻地に対する
幼児教育については御考慮になってないわけです。
それと関連をして申しますと、
中村文部大臣はかぎっ子について非常に関心を深めて家庭
児童懇談会とかいうものを
考えられた。私は敬意を表します。共かせぎの留守宅に
子供が帰ってくる。それについて人間形成からひずみが出るということはそのとおり、青少年の不良化問題もそのとおりであります。農山村にかぎっ子がおるというととをお忘れになっておるのではないか。農山村には、大体、現在の出かせぎの状況の中でおとうさんがいない、またおかあさんが全部野ら仕事を引き受けているのでうちにいないのです。これは
僻地のかぎっ子なんです。しかも家庭に帰れば
子供を農場に連れていく母親
——いくしか方法がないから、そうでなければ放任なんです。したがってこれは
学校が背負ってやるほか手がないのです。
学校が背負ってやらなければいかぬ。そこで幼児
教室を置いて、それで保母であろうが、養護
教員であろうが、一名をそこにプラスして、そうして
僻地教育の定員というものをそういう立場から
考えながら、その村の環境の欠点をある
意味で
学校が背負う限りは、定員を増加して、ほんとうの
意味の学力を向上せしめるという措置をとるべきである、これは全部どの
先生も同じような
要望を書いております。
一つ例を読んでみますと、ある
先生はこういうふうに言っております。出かせぎ者が多く、農作業は主婦にゆだねられ、多忙のあまり入学前の幼児のしつけはおぼつかない状況であります。入学した一年は、一般のしつけに多くの時間をとられることは言うまでもない、そういった
意味では一年生の
学級査定はよくなってきているが、人数に
関係なく一年生はあくまで単式化することをお願いしたい。都会地のかぎっ子の問題が取り上げられておりますけれども、
僻地においてもそうしたケースがあることを見のがさないでしていただきたい。これはおそらく
中村文部大臣が都市のかぎっ子を出したから
僻地の
先生がこう言っておると思うのです。さらに例として、野らの作業に出たおとな、当然家は留守であり、
子供たちは
学校から帰っても迎えてくれる人がいないのである。特に農繁期には夜おそく帰るので、
子供たちは夕食をとらず床にすき腹をかかえ込んで寝てしまいます。野らから帰った親が起こして夕食をとらせようとするときは、
子供らは熟睡の中にあり、起きようとしない、こういったことがごくあたりまえに零細農家では行なわれておるのである。そういう
意味においてこの
幼児教育というものをやらないで、
文部省が一方的に学力テストを持ってこられても腹の立つだけだと言っておる。
幼児教育というものはいろいろな前提条件があるのです。
そこで
僻地の場合については、そういう
意味においてできれば四才、五才を
学校で引き受けてやるということで幼児
教室を置いたらどうか、このまま家庭におる限りにおいては何のしつけも、人間の性格、基礎形成などもできない状況にあるということが
現実なので、そういう方向から、都市の
幼児教育計画と同時に、両極端の
僻地の
子供も
考えるべきだと思うのですが、いかがですか。
大臣はかぎっ子の
意見を持っておられるから、農山村のかぎっ子の
お話をお聞きしたい。