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多賀谷委員 この
CO患者の問題につきましては、先般社会党の
佐々木委員長が、
通炭、
労働、
厚生大臣と懇談をしていただいたわけです。その際に、これについては
努力を今後ともやっていきたいという
お話でありましたので、それを期待をし、さらに詳細については別の機会に
質問をいたしたい、かように思います。しかし、
災害が起こりまして、忘れた人々の中に入って、そうして非常に苦しんでおる。いま三池の話がありましたけれ
ども、
入院二百九十川、
通院三百六十という
数字の
方々が、全く社会から取り、残されておるという
状態を、おそらく国民もあまり知らないのじゃないか、こういうように思います。これらの人々についての問題、ことに、社会党が出しております
一酸化炭素中毒症に関する特別
措置法等についても、今後御意見を承りたいと思います。
そこで、
通産大臣のほうから先ほど
所信表明で、
石炭鉱業調査団から二度にわたって
答申をいただいたけれ
ども、その
答申は、
昭和四十二
年度から自立安定するものと見込まれておったけれ
ども、その後
予想外の
労働者の離山、
計画を上回る
合理化整備費用の増大、
資材費の値上がり、
ビルドの相対的おくれ等によって深刻な
事態に直面するに至りました、そうして、昨年はさらに
調査団を派遣して云々と言っておる。そうして、私はこのような
見地に立って
石炭鉱業安定化のため抜本的な
対策を策定し実現していく決意です、こういうように
所信表明がありました。そこで、抜本的な
対策というものを、どういう方向で、どういう構想でお持ちになっておるのか、これをお聞かせ願いたいと思うのです。そうして、これは二度にわたって
答申がなされたけれ
ども、依然として危機は解消しないどころか深刻になりつつある。これは私はみな認めるところであろうと思うのです。そこで、一体どういう構想で
大臣は抜本的
対策を策定しようとされておるのか。
率直に言いますと、
政府の
施策というのは常に後手後手になっておる。その認識が、新しい、推移をしておる将来にわたっての認識がない。常に、過去のその
事態に対する手当てに終わっておる。私は非常に残念だと思うのです。われわれは、少なくとも、
昭和三十
年度に
石炭鉱業合理化法が出ましたときに、これではとてもだめだと思った。
石炭鉱業合理化法は、今後いい
炭鉱を残して悪い
炭鉱をつぶすために買い上げ
方式というのをつくった。あれが
昭和三十年にできた。
昭和三十年という時点は、ちょうど
昭和二十八年、九年くらいから非常な深刻な
石炭不況の
状態になった。ことに、九州におきましても、筑豊ではなくてむしろ西部地区、佐賀とか長崎という、北松炭田であるとかあるいは佐賀炭田、こういうところに起こりまして、特に中小に最初起こった。これはむしろ販売網の確立がなかったわけですね。朝鮮ブームで高いところに高いところにと売っていったものですから、不況になったらぱたっと販売網を切られたという
関係で、ばたばたと倒れた。商社を中心として倒れ、それが中小に波及した。そのときに私は、むしろ販売網の確立が必要だということを当時叫んだ。ところが、それには目を伏せて、そうして、要するに、悪い
炭鉱をつぶしていい
炭鉱でいくのだ、こういう
方式をとられた。それだけで終わった。それがずっと続いているわけです。
私たちはその際に次のことを提案をしたわけです。
第一には、
石炭企業というのは、これは経営者の
努力もさることながら、自然
条件というのに非常に左右される、だから、自然
条件にこれほど左右される
企業というのはないのだから、ある一定の
努力をしてもなお赤字だ、しかしその
炭鉱を残さなければならぬということであるならば、やはり価格プール的なものが、ある程度価格の弾力性というものが必要ではないか。
その次に、第二には、将来において、暖房用の小売りは別として、ほとんど電力に集中され、鉄鋼に集中されるのだから、やはり、
石炭の販売というのは、この大口需要については一手でおやりになったらどうですか、こういうことを当時主張をした。そうして
石炭鉱業の
石炭販売公社でもつくってやったらどうか、こういう話をしたところが、これはかつての配炭公団の二の舞いだ、こういう非難を受けた。ところが、配炭公団というのは、これは率直に言って当時の
政府と経営者がサボったのです。とにかく粗悪炭ばかりが山のように貯炭になった。そういうばかなことはないのですよ。粗悪炭ばかりが出るわけはないのです。
三木さんはむしろ当時社会党連立政権におられて
推進されたほうですから、あなたを私非難をするわけではないけれでも、自由党を中心としての、要するに当時配炭公団をなくした側の意見というのは、こんなに非能率じゃないかと言う。それは、将来もとに返るのだという見込みがあれば、だれでもいい
石炭出しませんよ。悪い
石炭ばかり掘ったわけです。ですから、悪い
石炭ばかりが貯炭になったわけですね。二百万トンかの貯炭になったわけです。配炭公団失敗だ、こう言っておるけれ
ども、それは、悪い
石炭ばかり出せば、だれでも失敗しますよ。ですから、いわば当時の配炭公団をなくしようという
政府と経営者が一体となってこれをつぶした、こう言わざるを得ない。ですから、ドイツだって、私
企業ですけれ
ども、御存じのように、現在その販売
会社でやっておるわけです。ですから、これはやはりどうしても当時考えなければならない問題であると私たちは指摘した。
その次に私たちが指摘しましたのは、開発というのは、もう当面私
企業でできないだろう、電力については、
現実に
電源開発株式
会社をつくって、九電力と並列して開発された、石油の場合も、石油資源開発株式
会社をつくって、
現実に帝国石油その他の鉱区の譲渡を受けておやりになった、
現実に私
企業と並列して開発をやっている、
石炭の場合だけなぜできないか、
石炭の場合むしろやるベきではないか、なるほど鉱区の所有権者がおるでしょうから、その鉱区は現物出資をしてもらって、
石炭開発株式
会社でおやりになっていいじゃないですか、こういう話をしたわけです。ですけれ
ども、これは公社とか公団とかをつくらないで株式
会社でけっこうです、それは電発がやっており石油資源がやっておるとおりでもいいじゃないかという当時話をして、その柱をつくったけれ
ども、それもおやりにならない。
その次に、終山をする場合、残暑のある鉱区、それを買い上げる場合、いわゆる残量炭量を中心として計算をされておるけれ
ども、あれは誤りではないかということ。とにかく、つぶす
炭鉱に幾ら鉱量があっても意味がないのだ、価値がないのだが、そのつぶす
炭鉱の鉱量を中心にして、トン当たり千二百円を中心にして、その具体的な作業をおやりになっておるわけです。これは、大資本家はいいけれ
ども、多くの鉱区を持っておる人はいいけれ
ども、終山処理として意味がない、終山処理としてやるならば、一体未
払い金がどのくらいあるか、
労働者の退職金が幾ら要るのか、
鉱害の量がどのくらいなんだ、あるいは中小
企業等の未
払い金がどのくらいであるというような要素を加味して終山処理をやられたほうがいいじゃないか、当時、われわれはこういう提案をしたわけです。
われわれの側から言えば、残念ながら、私がいま申しました全部が当たっておるわけですね。当時それをなぜしなかったかと思うのです。
現実に販売
会社も、電力用炭販売株式
会社というのができておるでしょう。ですから、
現実に電力だけは一手販売になっておるでしょう。それから、価格の問題も、一律に価格を引き上げられたけれ
ども、それでもうまくいかぬというので、
現実に、杵島炭礦とか、明治
炭鉱とか、あるいは高松
炭鉱とか、貝島
炭鉱というような問題が起こっておるでしょう。さらにまた、開発も全然思うようにいってないですよ。最近は、開発した
炭鉱ほど経理が悪い。成功しないからですね。全部が成功すればそういうことはないけれ
ども、開発をした
炭鉱、たとえば名前を言っちゃ悪いけれ
ども、住友
炭鉱がやった昭嘉というのは、二十億を費やしたけれ
ども全然ものにならないです。明治鉱業だって、庶路
炭鉱をやったけれ
ども、二十億以上を費やしたけれ
ども、全然ものにならない。そうすると、開発をやったけれ
ども、開発して失敗したことによって、もともとの
企業まで体質を悪くするわけです。こういう
状態ならだれも開発しませんよ。イージーゴーイングな
状態でいきますよ。ですから、それほど危険があるから、開発だけは
政府でおやりになったらどうか、その
あとの経営は鉱区の所有権者にやらせるかどうかは別として、これほどリスクの多いものを私
企業にゆだねられるのは無理じゃないか、こう言った。これをやらないから、
現実は全然開発がおくれておる。それから、終山処理の問題も、いま起こっている問題は、千二百円で買い上げておるけれ
ども、大体六千円から五千円です。トン当たり六千円から五千円なければ終山処理はできないですよ。ですから、どんどん非能率の
炭鉱をつぶした
炭鉱ほど、これまた逆に言うと借金がふえておる形になっている。ですから、
企業全体としては経理はよくないですよ。
炭鉱はどんどんつぶして能率をあげたけれ
ども、残った
炭鉱でかぶるだけの余裕が出てきてない。
ですから、これらを勘案してみると、
政府の
政策というのは、常に、前を向かないで、そのときを何とか糊塗しよう糊塗しようという
対策しか出てきてない。ですから、
対策に飛躍的な前進がないですよ。そうすると、
事態はますます深刻化しておる。テンポは早いですよ。ですから、残念ながら、先生方に
答申をいただいたけれ
ども、私
企業のわがままも一緒に手伝って、成功していない。あるいは
政府の援助も十分でなかった。ですから、この際一体どういう
方式で考えられようとするのか、これをお聞かせ願いたいと思う。