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1965-03-18 第48回国会 参議院 予算委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年三月十八日(木曜日)    午前十時十九分開会     —————————————    委員の異動  三月十八日     辞任        補欠選任      川野 三暁君     木暮武太夫君      浅井  亨君     鬼木 勝利君      曾祢  益君     田畑 金光君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         平島 敏夫君     理 事                 大谷藤之助君                 迫水 久常君                 日高 広為君                 村山 道雄君                 中村 順造君     委 員                 植垣弥一郎君                 植竹 春彦君                 江藤  智君                 太田 正孝君                 鹿島 俊雄君                 久保 勘一君                 草葉 隆圓君                 古池 信三君                 郡  祐一君                 白井  勇君                 田中 啓一君                 竹中 恒夫君                 丸茂 重貞君                 山崎  斉君                 吉江 勝保君                 加瀬  完君                 木村禧八郎君                 鈴木  強君                 鈴木  壽君                 瀬谷 英行君                 羽生 三七君                 鬼木 勝利君                 田畑 金光君                 高山 恒雄君                 佐藤 尚武君                 市川 房枝君    政府委員        大蔵省主計局次        長        中尾 博之君        大蔵省主計局次        長        鳩山威一郎君    事務局側        常任委員会専門        員        正木 千冬君    公述人        角丸証券株式会        社常務取締役   中村 孝俊君        商工組合中央金        庫調査部長    小林 恒夫君        大阪市立大学教        授        近藤 文二君        武蔵大学教授   小澤 辰男君        朝日新聞論説副        主幹       江幡  清君        日本生活協同組        合連合会副会長  十二村吉辰君        大学院学生    林  丈樹君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○昭和四十年度一般会計予算内閣提出衆議院  送付) ○昭和四十年度特別会計予算内閣提出衆議院  送付) ○昭和四十年度政府関係機関予算内閣提出、衆  議院送付)     —————————————
  2. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  まず、委員の変更について報告いたします。  本日、浅井亨君、川野三暁君、曾祢益君が辞任され、鬼木勝利君、木暮武太夫君、田畑金光君が選任されました。
  3. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) 昨日に引き続きまして、昭和四十年度総予算の問題について、公述人の方から御意見を拝聴いたします。  本日、午前は三人の公述人の方に御意見を伺うことになっております。これから順次伺いたいと存じますが、その前に、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中にもかかわらず、当委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。当委員会は、昭和四十年度総予算につきまして、連日、慎重な審査を続けておりますが、昨日に引き続き、本日の公聴会においても、忌憚のない御意見を拝聴することができますならば、今後の審査に資するところがきわめて多いと存ずるのでございます。これより、便宜公報掲載の順序に従いまして、お一人二十五分程度で御意見を開陳願いまして、三人の公述の終わりましたそのあとで、委員から質疑がありました場合は、お答えをお願いいたしたいと存じます。  それでは、まず、中村孝俊公述人にお願いいたします。
  4. 中村孝俊

    公述人中村孝俊君) 私、角丸証券におります中村孝俊でございます。  経済一般ということでございますが、範囲が非常に広く、ばく然としておるようなので、問題をなるべくしぼりまして、高度成長の中でいろいろ生まれました問題、いわゆるひずみといわれております問題、それを主として、物の経済と、それからお金の経済、それの間のアンバランスといったような問題につきまして申し上げてみたいと思います。  初めに、現在の経済景気循環という観点から見た場合に、どういう位置にあるかという問題でございますが、戦後が終わったといわれました昭和三十年を境にいたしまして、昭和三十年の後半から、技術革新に基づきまして、設備投資を中心とした景気がずっと続いてまいりまして、これが、昭和三十六年をピークにいたしまして、現在やや停滞高度成長の末期に入ってきている、こういうふうに見られるのでありますが、その中で、その大きな波動の中で、小さな波動が、いままでは大体四年に一回の割合で繰り返してまいりました。たとえば、昭和三十年の後半から三十二年を山として三十三年に至る四年間、それから三十四年から三十六年のピークをはさみまして三十七年に至る四年、こういうふうに、四年を周期にいたしまして、小さな波を繰り返してまいりましたが、三十七年を境にいたしまして、景気の小さな波が、どうもここ当分の間、二年を周期とした波に入ってきているように感ぜられるのであります。従来の四年の間は、大体二年半の上昇と、それから一年半の後退並びに停滞。ところが、三十八年以後になりますと、一年の上昇、それから一年余りの停滞、というふうに、上昇の期間が短く、しかも力強さがなくなり、そして後退並びに停滞の時期が長引く、こういうような形になっているのが現状だと思います。  こういうふうになってまいりましたのにつきましては、従来は、三十六年ごろまでは、いわゆる投資投資を呼ぶというようなぐあいに投資投資の間に相互需要がつくり出される、国内のマーケットにおいて需要がつくり出されるということで、その中で生まれたいろいろな問題、ひずみというような問題が自然に解決されていたように思われます。これが、高度成長伸び率が鈍化してまいりますと、いままで陰に隠れていた問題がだんだんに表に出てきた、こういうのが現状ではないかと思います。  そこで、現在では、よく言われておりますように、総需要に対して供給力が超過する供給超過経済になってきていると思うのでありますが、その背後にありますのは、三十六年までに行なわれました膨大な設備投資生産力化して、これが供給圧力になってきている。こういう点から、販売競争が激しくなり、また、ややもすれば不況現象が目につく、こういう形になってきているように思います。  そこで、現在の不況現象の中で一番目につきますのは、これから申し上げますが、いわゆる企業間信用が非常に膨張し、しかも景気の好転したときにも解消しないで硬直化して、しかもこれが企業企業との間の緊張を非常に激化している、こういうのが現在の特徴ではないかというふうに思われます。  そこで、こういう経済動き背後事態を簡単に見てまいりますと、その一つは、いわゆる利益なき拡大といいますか、物的な面で見ますと、非常に経済拡大しておりますが、資本動きから見ますと、どうも経済拡大する割合にはもうからない。これがまず第一の特徴だと思います。これは、日銀あるいは大蔵省のいろいろの資料で見ましても、総資本に対する営業利益割合、それから金利負担が非常に大きいのでありますが、金融費用を除いた純益、これの総資本に対する割合、こういうもので見てまいりまして、営業利益で見てまいりますと、景気のいいときと悪いときの利益率が最近特に下がったというふうには見られません。ただ、金融費用を除いた純益で見てまいりますと、三十三年のときよりも現在のほうがやや低い。低いということだけではなくて、三十八年の景気の好転の時期にも利益があまりあがらない、こういうのが現在の特徴だと思います。これを払い込み資本に対する割合、これで見ますと、昭和三十六年ごろと昭和三十七、八年と比べますと、半分ぐらいに利益率が下がっている。これは、企業収益伸び以上に資本が膨張したということで、企業営業活動そのものをあらわすわけではありませんが、資本金に対する利益は、一番多かったときに比べて半分ぐらいに下がっている。こういうふうに、純益で見まして、利益伸び悩みになってきた、経済拡大しているにもかかわらず利益がふえない、むしろ伸び悩みだ、まして資本金に比べると非常に少ない、こういう状態であります。  これがどういう内容を持っているかといいますと、売り上げに対する利益割合、それから資本回転率というふうに分けてみますと、売り上げに対する利益も下がっておりますが、それ以上に資本回転率が非常に悪くなっている。この回転率の中で特に悪くなっているのは、売り上げ債権回転率、これを見ますと、三十五年、一番よかったときですが、三十五年の上期の資本回転率が〇・八四でありましたのが、三十七年の下期には〇・六九、固定資産回転率は一・八八から一・五〇。固定資産回転率も下がっておりますが、それ以上に、当座資産回転率売り上げ債権回転率、これが四・〇七から二・四三、三十八年の上期には、さらに二・三二。大体半分近くまで売り上げ債権回転率が鈍ってきている。これは、相当無理な販売をして売り上げを伸ばしている、売り上げは立っているけれども、なかなか回収できないというところに、いまの供給過剰の現象が集約的にあらわれている。固定資産回転率もなるほど悪い、設備投資が有効に働いていない、こういう問題がありますが、その設備投資が、しかも借り入れ金で行なわれていたということから、金融費用が非常にかさむ、償却費がかさむ、いわゆる資本費用が非常にかさんでいる。そして人件費値上がり増産という形で吸収しておりますが、増産という形で吸収しなければならないところから、売り上げをどうしてもふやさなければならない。売り上げをふやしているけれども回収ができないという形で、資本回転率が落ちている。これがいわゆる企業間信用の問題の根源になっていると思うのであります。  で、企業間信用というものは、いまいろいろ推定のもとに発表されております数字では、この三月に二十兆円になろうと、銀行借り入れ金をはるかに上回る企業間信用——信用と言うと非常に聞こえがいいのですが、信用はむしろ失なわれているという状態ではないかと思いますが、この三月末には二十兆円になろう、ここにいろいろ問題が起こってきているのではないか。この間も山陽特殊製鋼のような例が出ましたが、あれは、いろいろ経営に非常に問題がございますが、こういう中で見ますと、一つ例外現象ではなくて、むしろ典型的な現象というふうに見ていいんではないかというふうに思うわけであります。いまの供給過剰という現象が、売り上げ債権回転率の鈍化、言いかえれば、企業間信用企業相互の間の信用が、むしろ維持しがたいような非常な緊張状態に入ってきて、ここに典型的にあらわれていると思うのです。よく、マクロでは拡大だ、ミクロでは不況だというふうに、ばらばらに言われておりますが、このマクロミクロと、どういうふうなつながりで理解するかということは、この企業間信用の非常な膨張、硬直化緊張状態、ここに、マクロミクロとつながる管があるのではないかというふうに考えるわけであります。  こういう状態で考えますと、このような高度成長、これがどういうふうな方式でささえられてきたかということを、どうしても問題にしないわけにはならないわけです。それは、よく言われておりますように、企業の側からいえばオーバー・ボローイング、金融機関の側からいえばオーバー・ローンという形に出ているわけです。  それをもう少しふえんして申し上げますと、いま申し上げましたように、企業側では自己資本比率が非常に悪くなっておる。その悪くなっておりますのは、一つには、設備投資借り入れ金で行なわれたということに基づいておりますが、先ほどから申し上げましたように、それ以上に、借り入れ金で建設しました設備をフルに動かすために、売り上げを非常にふやしている。その売り上げをふやす資金を、銀行借り入れ金借り入れ金だけでは足りない、その借り入れた資金をもとにして、またさらに、昭和三十六年までの高度成長期にたくわえた内部留保を基礎にして、企業企業に対して信用を与える、信用を膨張させるという形で売り上げを伸ばしてきた。資本構成の悪化というのは、必ずしも設備投資借り入れ金でやっただけ、それだけの理由ではなくて、その結果として生産を非常にふやす、そのためにまた売り上げを非常にふやさなければならなかった。ここから、この資金を主として、また借り入れ金に仰いでいるということから、固定資本構成が非常に悪くなってきている。これが、高度成長の時期におきましては、売り上げ伸び収益がふえ、それに伴いまして資金回転がつき、借り入れ金返済もでき、また社債の発行ができ、また増資ができて、短期借り入れ金長期資金に転換できたという形で、資本構成が悪くても、上昇期においては、さほど問題が表へ出てきていなかった。これが、伸びが低下してまいりますと、こういうようなやり方がすべて表へ出てまいりまして、借り入れ金がなかなか返済できない。それから、短期借り入れ金でつないだものを、社債に振りかえる、あるいは増資に振りかえる、安定資金に振りかえる、こういったことができなくなってきた。企業流動性が非常に低下した、こういう形で出てきているわけです。  銀行のほうから申し上げますと、預金の集まった以上に信用を膨張さしているわけですから、外部負債は非常にふえている。昭和三十六年、七年以後、二八%——実質預金に対して外部負債日銀からの借り入れ金並びコールマネー、これを合わせたものが外部負債ですが、これが二八%をこえる、実質預金に対して三割近い外部資金に依存せざるを得なかった、こういうぐあいになってきておりましたが、これも高度成長の時期においては、銀行は金を貸しておいても、企業のほうから自然に返済が行なわれ、また社債が発行されて、あるいは増資が行なわれて、借り入れ金が非常に自然に返済されるということで、銀行の側から見ても、高度成長の時期には、外部負債が多いこともあまり問題にならなかった、日銀借り入れができるというところで銀行支払い準備が維持されていた、こういうことでありますが、これも、高度成長頭打ちになってまいりますと、このような資金回収資本の転換が円滑にいかなくなってきた。ここでやはり問題が出てきた。それから、こういうふうにして銀行外部負債が非常に増加し、最も金利の安かるべきコール市場の資金が、いろいろの金利の中で特に長期金利に比べても、コールものの金利が一番高い、こういう金利体系アンバランスというような状態が生まれてしまった。ここで、金融市場において金利のメカニズムを通して資金調整、調節されるというような機能も麻痺してしまった、こういうことであります。  また、これを財政のほうから見ましても、高度成長の時期においては、自然増収というものが毎年毎年ふえてきた。これで自然に事後的に財政あとから黒字になるという形で、いわゆる健全財政が維持されてきたわけですが、高度成長頭打ちになってまいりまして、自然増収が少なくなってきたということで、財源難という問題が出てまいりまして、これについて、まあいろいろの処理方式がとられたわけですが、こういう点から見ましても、従来のような自然増収をすぐ次の予算財源にして積極財政をとる、そうしてまた企業のほうの収益が上がり、一般の所得がふえて、そうして自然増収が行なわれて事後的にバランスする、こういうふうなやり方も、どうもいけなくなってきたのではないか、こういうふうに思われるわけであります。  こういうふうに見てまいりますと、現在の日本経済において一番大事なことは、経済のあらゆる面において、あるいは政策において、体質改善ということが中心的な課題にならなければならないのではないかというふうに考えます。いままでは企業のオーバーボローイング、銀行のオーバーローン、それから財政も、一般財政は事後的に黒字でありましたけれども、政府関係機関政府保証債地方財政、こういう方面での赤字は依然としてあったわけで、それが日銀信用造出に転換されて、その面からもインフレが徐々に進行ぜざるを得なかった、こういうわけですが、高度成長の中では、これらがあまり表に出てこないで済んでおった。しかし、経済背後には、インフレ的な要素が進行して、これが消費者物価値上がり、あるいは逆に国際収支安定性が欠ける、こういう面に問題がしわ寄せされていたというふうに考えるわけです。  こういうふうに見てまいりますと、現在特に重要なことは、経済体質改善ということに徹すべきであるというふうに思われます。これもやはり幾つかに分けてみますと、企業についていえば、企業資本充実ということでありますし、これは最近、経済界においても利潤概念に徹底するという形で出てきているわけですが、最近の企業動きを見ますと、鉄鋼を見ましても、あるいは重電機を見ましても、大企業方面におきましては、設備投資内部資金重点に考える、そうして従来のようにシェアを広げるための投資を行なえば自然に利益があがるということではなくて、設備投資を決定する要因として、企業収益性というものが大きな要因になろうとしている、そうして設備資金内部資金重点に考えるという考えに徐々に変わりつつあるように思われます。鉄鋼なども、大手の六社をとってみましても、一年間に九百億ぐらいの償却ができるようになってまいりました。そうしますと、一千億程度設備投資であれば大体償却ができる。少なくとも七割から八割ぐらいの償却資金投資を行なうということになれば、千三百億程度設備投資ができるという時期に入ってきております。金融方面におきましても、最近選別融資というようなことがいわれてまいりまして、金融機関自己責任制といいますか、こういうような方面への動きが幾らか見え始めるようになっております。こういうような企業のほうにおいて新しい事態に対する態勢の芽ばえが少し出てきているように思います。こういう事態を踏まえまして、政府、それから金融当局、これがよほど腹を据えまして政策指導をそういう方面に徹底させる、体質改善を徹底させるということが、この際特に必要ではないかというふうに思われるわけであります。  こういうふうに見てまいりますと、たとえば中期経済計画というようなものも、その計画そのものにこだわることなく、むしろ、そういう計画を実施し得るための前提条件をつくる、そうして、その企業自己責任制を徹底し得るように、そういう方面政策を誘導する、そういう条件をつくるということのほうにまず当面の政策重点が置かるべきではないか。  それからまた、今年はいろいろな徴候から見ましても、依然として停滞的な要素が多分にあります。金融の緩和に伴って夏以後多少景気の回復が見られると思いますが、従来とはかなり違う状態だ、こういう時期においては、金融正常化を徹底し、金利自由化を進める、そうして公社債市場を育成する、こういう資本政策を改善する、こういう点に徹底すべき、ちょうどいい時期に遭遇しているんではないか。これができて初めて何年か後に、公債を発行するための条件ができるのではないか。公債日銀引き受けではなくて、公募の形で発行し得るような条件をつくるということが、現在の政策として特に重要なことではないかというふうに思うわけであります。  ちょうど時間になりましたので、終わります。(拍手)
  5. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) ありがとうございました。     —————————————
  6. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) 次に、小林恒夫公述人にお願いいたします。
  7. 小林恒夫

    公述人小林恒夫君) 私、商工組合中央金庫調査部長小林恒夫でございます。  本日、このような重要な席におきまして、私ごとき者がその所見を述べさせていただきます機会を得ましたことは、この上もない光栄と存ずる次第でございます。しかし、何分にもまだ未熟な者でございますゆえ、お役に立ち得るようなことを申し述べることができますかどうか、はなはだ危惧するところでございますが、何とぞよろしくお願い申し上げたいと存じます。  さて、私に与えられました課題は、中小企業の見地からの問題ということでございます。  まず初めに、わが国の中小企業が現在どのような問題に直面しておるかといった点を一応確認しておきたいと存じます。御承知のとおり、三十八年十二月の預金準備率引き上げに始まりました景気調整策は、去る一月九日の公定歩合一厘引き下げによりまして、解除の段階に入りましたが、ほぼ一年にわたった景気調整策は、従来のそれに比べますと、きわめて特異な現象産業界に生み出しております。それは拡大均衡下における不況現象というようなことばで言いあらわされておりますが、高水準の生産活動が持続しながらも、一方では、企業収益が低下し、いわゆる増収減益の基調を示しておりますとともに、一部の業種では需給の不均衡が生ずるといったぐあいに、各種の不況現象が表面化してまいっております。こうした全体の動きの中で、中小企業におきまして倒産や不渡りの発生が著しく増大いたしてまいっております。東京商工興信所の調べによりますと、負債金額一千万以上の企業倒産は、昨年一年間で四千二百十二件、負債総額で四千百八十一億円にも達しております。これは三十八年のそれと比べまして、それぞれ二・四倍、二・七倍の規模のものでございます。同時に、東京発動機日本特殊鋼あるいはサンウェーブ工業をはじめといたしまして、三十九年中に十二の上場会社をも破綻に追いやるというような、きわめて深刻なものでございました。今回の調整期における不況現象は、従来の調整期におけるものとは違いまして、国内経済活動は底固く、需要動向も比較的堅調でありながら、こうした不況現象が生み出されたのでありまして、そこには、単なる循環局面の問題とは趣を異にするような様相がうかがえるのでございます。  もちろん、景気調整策による影響も確かにございましたし、それによって中小企業経営がきびしく圧迫されたことも事実でありました。昨年一年間の中小企業向け融資の実績を見ますと、貸し出し増加額全国銀行では三十八年の四三%減となっております。さらに相互銀行信用金庫の不振を反映いたしまして、民間の中小企業専門金融機関貸し出し増加額も、三十八年の二七%減となっており、三十六、七年の調整期におけるような補完的な役割りを十分果たすことができなかったのであります。このために、政府系金融機関追加財政投融資によりまして、積極的に中小企業金融難に対処したのでございますけれども、中小企業向け貸し出し増加額は、全体として見ますと、なお三十八年の二八%減となっております。そのために、中小企業は深刻な資金難におちいりました。一方、企業間信用の面におきましても圧迫を受けまして、急速に資金繰りの悪化度合いを深めていったのでございます。このような循環的要因不況を生み出したという面も、むろん見解とすわけにはまいりませんけれども、金融引き締め以前の三十八年後半から倒産がすでに増加しつつあったということを考えますと、その背後には、もっと根の深い構造的要因が伏在しておりまして、それが循環的要因とからみ合って作用していたと見なければならぬと思うのであります。したがいまして、昨今の不況現象は短時日には解消しがたい、こういう性格を多分に帯びておると見られるのであります。その意味で、金融が緩和の方向に向かった現在におきましても、なお不渡り倒産が高水準で推移しておるという事態に対しましては、とりわけ深い関心を抱かざるを得ないと存ずるのでございます。今月の初めには、特殊鋼大手の山陽特殊製鋼が行き詰まり、関連中小企業に多大な不安をつのらせるといったこともありました。中小企業は依然として苦しい事態に直面しておるのであります。  この苦況を特色づけております構造的要因のいろいろな様相をここで若干具体的にながめておきたいと思いますが、不況現象に構造的要因が働いておるというような意味には、いろいろ人によってニュアンスが違うようでございますけれども、それは結局のところ、国民経済の長期的な発展に大きな影響を及ぼすような部面に変化が生じておる、その作用が経済活動の面に強く及んでおるというように考えられます。経済の長期的な発展を左右するもの、それはすなわち、生産に従事する人と物、つまり、労働力と物的資本、それに需要の三つの側面から考察することができるかと存じます。これまでの急速な重化学工業化による高度成長の過程で、各面に重要な構造的な変化が誘発されておるのであります。  こうした動きを主として中小企業の視角からとらえてみますと、まず第一に、労働の面では、わが国は基調的に労働力過剰経済から労働力不足の経済へ移行しつつありまして、このもとで、中小企業における若年労働者を中心とする雇用難がひときわ深刻になっております。そこでは、さらに労働者の企業内定着性の低下、賃金上昇などの問題がありまして、従来、豊富低廉な労働力に依存してまいりました中小企業経営の成り立つ余地を著しく狭めておる結果となっておるのであります。  第二に、資本の面から見ますと、戦後目ざましく進展しました技術革新が、原材料部門から加工部門あるいは消費財部門へと広く波及いたしまして、展開の中心場面を変えてきておるわけであります。このことは、経済の発展に新しい性格を与えるものと思われます。中小企業の立場から見ました場合、各種の新しい製品が大量廉価に生み出されて、これに加えまして、従来中小企業固有の製品と見られておりましたものまでが、量産方式によってつくり得るものに変わってきている点が注目されるのでございます。このために、大企業のシェアが拡大しまして、同業種の中小企業の市場が圧迫されるというような問題が生じております。  第三に、需要面、特に消費需要の面にも質的な変化が進行しております。すなわち、所得水準が全般的に高まる過程で、生活の高度化あるいは欧風化が進みまして、日本風のものにかわって欧風のものが嗜好され、電気製品を中心とする耐久消費財に多額の支出が向けられるというようなふうになってきております。このように消費者が生活の高度化、欧風化を通じまして買い向かうところの多くのものは、どちらかと申しますと、大企業の量産方式に乗りやすい規格化された商品でありまして、したがって、伝統的な中小企業製品の需要が逆に次第に減退するといったような傾向が見られるのでございます。  これらは、いずれもわが国経済の内部に生じました構造的な変化でございますが、わが国経済を取り巻く海外環境にも、後進国の進出、開放体制に伴う外国製品あるいは外国資本の進出問題がありまして、中小企業の市場条件を一段ときびしいものにしておるのでございます。一方、こうした基本的な変化は、互いに作用し合って、さらに複雑な幾つかの変化を派生させてきております。すなわち、消費財部門における量産方式の普及と、それによって大量につくり出されまする規格品に嗜好が向けられるというような需要面の変化が起きておるわけでありますが、これは流通段階における変革を引き起こすということに通じております。従来の商業に近代的な姿への脱皮を要請するということに、結果的になっております。また、労働力の不足は、人件費上昇を惹起しまして、大企業収益性を圧迫しておりますが、これは経営を多角化し、成長の見込まれるような分野へ向かおうとする大企業の行動を助長しておるようにも見受けられるのでございます。ここ数年、大企業が清涼飲料、石油ストーブ、魔法びん、あるいは、ちり紙などの、従来中小企業の分野と目されておるような分野に進出してまいりまして、中小企業を窮地に立たせるといったような事例が数多く出てまいっております。この問題と、先ほど申し上げました技術革新需要面の変化から理解される問題であると思うのでございますが、また最近、大企業が下請発注を行ないます場合に、効率のよい企業に集中発注するとか、あるいは選別発注するというような動きが出てまいっております。また、代金の支払いにつきましても、重要下請を優遇するといったような事例が見られます。このため、生産性の低い下請企業は、おのずから脱落していくということを余儀なくされておるのでございますが、こうした形をとって展開されてまいりますいわゆる下請系列の再編成も、開放体制を迎え、国際競争力強化の要請が強まったということのほかに、やはり収益性低下の問題が根底にからんでおるのではないかと、かように考えられるのでございます。ともあれ、中小企業は、いまやこうした多くのきびしい構造問題に直面しておりまして、いやおうなしに合理化を迫られておるのでございます。このようなときにあたりまして、特に中小企業の自覚と努力がまず要請されるのでございますけれども、いろいろな面で不利な立場に置かれております中小企業が、このような大きな構造変化に独自に対応することは、なかなか容易なことではないと思うのでございます。この意味で、長期的かつ総合的な中小企業の構造対策が現在特に必要とされる、かように考えるのでございます。  このような観点から今後の中小企業対策のあり方ともいうべきものを考えてみますと、それはまず中小企業の近代化、合理化を徹底的に推し進め、高度化をはかっていきますと同時に、構造変化に対応できないで衰退を余儀なくされるものにつきましても十分な施策を講じて摩擦を少なくすることが、最も基本的な課題であると思います。その場合、特に次の配慮が望まれるのでございますが、その第一は、以上に申し上げました構造変化が個々の中小企業に何よりも巨視的な観点に立っての近代経営感覚と体質の改善を求めております点にかんがみまして、それを助成するような指導行政を強力に推進する必要があるということでございます。第二に、中小企業が構造変化に即応して成長発展し得るためには、この個々の中小企業の自主的努力を結集して、みずから積極的にこの苦難の道を切り開いていかなければならないのでありまして、そのために組織化の推進が施策の重要な一環とされなければならぬと、かように感ずるのでございます。こうして、さらに今後進展していくでありましょう構造問題の重圧に中小企業が事前に対応できるような素地を築いていくことが、今後の政策課題として特に要請される点ではないかと存ずるのでございます。最後に、中小企業問題を抜本的に解決するにあたりましては、もちろんきめのこまかな施策を行なうことも必要でございましょうが、それと同時に資金の潤沢な供給が必要であるということを申し上げたいと存じます。  さて、以上のような中小企業が現在置かれた状況から四十年度予算案の規模についてながめてみますと、一般会計の中小企業対策費は、三省所管分を含めまして二百十七億九千三百万円、これは三十九年度当初予算に比べて三一・六%の伸び率と相なっております。一方、政府系金融機関への財政投融資は二千四十五億円と、初めて二千億円の大台に乗せました。三十九年度当初に比べまして二六・五%の伸び率と相なっております。これらはいずれも、国全体の一般会計の伸び一二・四%、財政投融資の伸び二〇・九%を大幅に上回っておりまして、中小企業の合理化、近代化を積極的に推進していこうとする配慮がなされておると思うのでございます。しかし、一般会計全体に占める中小企業対策費の比重はわずか〇・五九%にすぎません。絶対額では中小企業者をとうてい満足させることができないのではないかと、かように案ぜられるのでございます。もちろん、金額から見ましても明らかなように、中小企業予算の主力は財投にございまして、もともと一般会計の中小企業に与える影響力は限られたものではないかと存ずるのでございますが、中小企業全体への政策となれば、金融、税制面での配慮が圧倒的なウエートを占めているということになるかと思います。それにいたしましても、三百二十万以上を数える中小企業関係の予算が、一般会計の一%にも達しないのでは、いかにも少ないというように感ぜられるのでございます。  ところで、四十年度予算の焦点が、中小企業の近代化を表面に打ち出した三十九年度のいわゆる革新的近代化予算に続きまして、中小企業基本法路線の二年目に当たりますゆえに、その近代化施策が予算面にどのように反映されているかということにあると思うのであります。かような見地から四十年度予算一般会計における中小企業対策費について検討してみますと、そこにきわ立った特徴としてあげられることは、中小企業高度化資金の大幅な増額でございます。これと並行いたしまして、小規模・零細層に対する配慮がかなり積極的に打ち出されているということでございます。前者は、商工業を通じてその集団化、協業化を促進し、事業規模の拡大をはかろうとするもので、約四十四億円から約六十七億円にと五〇%以上の大幅増額となっており、また後者におきましては、特に出資及び補助七千万円を予定した小規模企業共済事業団の創設があげられます。国民経済の発展は中小企業に多くの変化をもたらし、中小企業分野においていわゆる両極分化の現象が指摘されているのでございますが、今回の予算案におきましては、そうした傾向を認めながら、これに沿った政策意図が看取されるのであります。言いかえますれば、単なる一律的な近代化ではなく、発展成長すべきものにつきましては、さらに育成することによりましてより重点的な近代化を推進し、一方停滞的な傾向にあるかあるいは一挙に近代化が困難と思われる小零細規模の企業層に関しましては、単なる経済合理性のみでなく、事業転換等を含んだ対策をできるだけ円滑に遂行すべき段階に至っているのだと、こういうような判断に基づいて出されているものと思われるのであります。したがいまして、三十九年度予算と比較した場合、全体の近代化の方向に沿いながら、これより生じてまいっている問題に積極的に対処しようとする姿勢は、一応看取することができるのであります。  まず、近代化促進費の増加につきましては、中でも高度化資金の大幅な増額と貸し付け単価の引き上げ、償還期間の延長などの貸し付け条件の改善が、かなり考慮されております。また、設備近代化資金につきましては、個々の中小企業者の体質改善の積極的推進をはかろうとしていますが、これに対し高度化資金は、集団化、協業化による企業規模の拡大相互の連携強化を軸といたしまして、中小企業構造の高度化を推進せしめようとしております。今回の予算案におきまして、近代化資金より高度化資金のウエートが高くなっておりますことは、構造対策を進めるための高度化資金拡充という方針を明らかにしたものと思われまして、適切なものと考えられるのでございます。すなわち、最近における労働需給の逼迫、急速に進展する技術革新需要の構造変化、開放経済への移行に伴う各種の条件の基本的変化に適応するためには、中小企業の集団化、協業化の促進によりまして体質の改善、合理化を行なうという方針は、現段階における中小企業政策を明確にしたものでありまして、同時に都市における公害防止あるいは地域経済開発の効果等もあわせて期待し得るものと思われるのでございます。  この点、工場集団化資金につきまして、従来は一つの団地の組成には二十企業以上の参加が必須条件でありましたのを、四十年度からは、後進地域における集団化の促進、過密地域からの移転の推進をはかるために、指定地域につきましては十企業以上でも認めるよう集団化基準の緩和がはかられましたのは、三十六年にこの制度が発足しましてから五年目を迎えまして、実情に適した改善を行ない、もって実質的な集団化の積極的な前進を企図したものとして、評価したいと思うのでございます。  なお、国民経済全体の見地からは、流通機構の近代化の問題として、また中小企業自体にとってはそれぞれの態様に応じた合理化の問題としまして、卸商業の団地化、小売り業の店舗共同化、商店街の近代化の施策について予算措置が講ぜられており、特に卸商業団地をはじめとしましてかなりの増額が見られるのでありますが、製造業に対する施策と比較いたしました場合に、流通部門に関しましては基本的、総合的な対策がやや立ちおくれておるように感ぜられるのでございます。  また、設備近代化資金につきましては、今回その対象として加工食料品製造業、サービス業関係品目につきまして追加指定が行なわれるようでございますが、これは消費者物価安定に資するものとして時宜にかなった措置と考えられるのでございます。  次に、今回の予算案中、中小企業関係分で一つ特徴とも言える小規模企業対策費について触れてみたいと存じます。小零細規模の中小企業は、前に申し述べましたように、わが国経済の急速な変貌の中にありまして傾向的には衰退の方向にあるものが多いのでございます。また、その数がきわめて多いということからみ合いまして、中小企業近代化政策を推進する上に大きな問題とされてきたのでありますが、本予算案におきましては、従来の経営改善普及事業の補強予算のほかに、新たに小規模企業共済事業団を創設し、相互扶助の精神に基づいて、小零細事業者がきびしい経済環境の中で直面しなければならない転廃業の問題も含めた諸問題に対処し、事業あるいは生活上の安定をできるだけ可能ならしめることをねらうとともに、他方金融面につきましても、小零細規模なるがゆえの金融上の不利、すなわち物的、人的担保の欠除あるいは不十分さをカバーするために、特別小口保険制度の新設が予定されておるようでございます。その考え方としまして、経済の進展に伴う中小企業の階層分化等が叫ばれてきております現在、当然の施策と言えるかと思いますが、小規模企業共済事業団が対象とする製造業の従業員二十人以下、商業、サービス業の五人以下の企業は、わが国全事業所数の八〇%以上にも達しておりまして、それだけにまたさまざまな問題をかかえておるわけでありますが、四十年度における出資及び補助合わせて七千万円の予算規模はあまりにも少額に過ぎまして、これをもって所期の効果をあげることはなかなかむずかしいのではなかろうかと存ずるのでございます。今後これを契機といたしまして、小規模企業対策の一そう適切なる運営と拡充をはかりますとともに、強力な予算措置をとられますことが必要であるかと存ずるのでございます。  また、下請中小企業関係といたしましては、下請取引のあっせん機関としまして下請企業振興協会の新設が予定されておるようでございますが、もしその運営が適切に行なわれますならば、この種機関の活動によりまして、下請取引の機会確保、条件改善あるいは季節的、地域的格差の解消などに役立つものであろうかと思われますが、残念ながら補助金の予算規模はあまりにも少額に過ぎると考えられます。なおまた、下請代金支払遅延等防止法についての違反関係の取り締まり強化をはかるため、調査、検査費の充実に若干の予算が計上されておりまするが、これもまた同様に金額過小と考えられるのでございます。  下請企業中小企業の中でも一つの大きな類型でございまして、国民経済の構造変化に密接な関連を有しておりますので、専門生産体制——社会的分業体制の確立と同時に、合理的な系列関係の整備と取引条件の改善が急務かと考えられるのであります。したがいまして、これにつきましては、中小企業政策審議会の下請小委員会の答申等を十分御配慮いただきまして、そして基本的、総合的な対策の樹立及び推進をはかっていくことが必要ではなかろうかと存ずるのでございます。  最後に、税制について一言申し上げたいと存じます。中小企業向け税制といたしましては、法人税率の軽減、事業税の事業主控除の引き上げその他によりまして、中小企業の自己資金の充実に貢献することが大きいとは思われますが、本予算案の中小企業対策費策定の中に見られます中小企業の積極的な高度化政策に対応したもう一段の重点的軽減措置を検討すべきではなかろうかと、かように考える次第でございます。  以上総括いたしますと、中小企業の角度から見た四十年度予算案は、近代化及び体質改善を推進すべき組織化の基盤の上に高度化資金中小企業政策実現の主柱の一つにしたという点におきまして、今後の施策の方向の明確化があると考えます一方、小規模企業共済制度の創設につきましても、停滞傾向にある小零細企業層の問題を事業転換等の方法によりまして可能な限り前向きに解決していこうという点で、経済の構造的条件変化に積極的に対応しようとする政策意思の反映があるかと思われるのであります。しかしながら、一般的に申し上げますと、どのように政策目標が明確化されたといたしましても、その裏づけとなる個々の予算額が少額でありましては、その効果を減殺するばかりでなくて、場合によりましてはむしろ効果をほとんど期待し得ないというようなこともあり得るかと考えるのでございます。同時にまた、いわゆるきめのこまかい多岐多様にわたる予算配分も必要ではありましょうけれども、重要な中心的施策につきましては、さらにより重点的な金額の投入が必要であろうかと思うのであります。  四十年度予算案を見ましても、下請企業対策、小零細企業層の関係での項目につきましては、特にこの点を痛感する次第でございます。  結論的に申しますと、わが国経済のきわめて重要な構成部分であり、社会、経済上も重要な役割りをになわされ、しかも構造的条件変化のもとに多くの問題をかかえております中小企業に対する予算額がいまだ一般会計予算額のわずか一%にも満たないという事実、すなわち絶対額の過少ということがやはり最大の問題ではなかろうか、かように感ずるのでございます。  時間もだいぶ過ぎたようでございまして、まことに申しわけございませんでした。以上をもちまして私の公述を終わらせていただくことにいたします。たいへんありがとうございました。(拍手)
  8. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) ありがとうございました。     —————————————
  9. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) 次に、近藤文二公述人にお願いいたします。
  10. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) 社会保障の問題を中心に私の率直な考えを述べさしていただきたいと思います。  説明書によりますと、社会保障関係費は、三十九年度当初予算に比べまして約二〇%の増加となっておりますので、これは旧軍人を中心といたします恩給関係費あるいは防衛関係費に比べまして、これらの費用がそれぞれ約一〇%の増加でありまするから、数字の上では、確かに社会保障に重点を置かれたということが言えないではございません。  しかし、中身を拝見いたしますと、いろいろな問題が山積しておるようでございます。たとえば生活扶助基準の引き上げ率が一二%、福祉年金額の引き上げが月額二百円、これでは今後なお見込まれる物価騰貴あるいは公共料金の値上げ等の点から考えまして、被保護世帯の生活内容の向上をはかったとは言えないと思うのでございます。特に生活保護関係では、医療扶助の費用が二〇%以上増加になっておりますが、これは結局医療費の値上げの影響、それが見込まれた結果であるようでございまして、質的な改善とは考えられないのでございます。さらに、社会保険の費用も、当初予算に比べますと二八%の増加となっておりますが、これはすでに実施されつつありますところの国民健康保険の家族給付率の引き上げ、さらには医療給付費の伸びあるいは診療報酬の改定といったようなことが前提になっての引き上げでございますので、特にこの方面に力を入れられたとは考えられないのでございます。  ことに政府管掌健康保険の問題になりますと、とれまでの五億円が三十億円に増加しているだけでございまして、今回の医療費の上昇につきましては、そのあと始末を被保険者、雇い主の保険料、さらには患者の一部負担でまかなおうというのでございますから、何としても常識はずれではないかというような感じを受けます。政府管掌健康保険の四十年度のいわゆる赤字額として推計されるものは六百五十九億円ということでございますが、この赤字の対策といたしましては、薬価基準の改定というようなことによりまして、相当大幅の圧縮がはかられるのではないかと思うのでございますが、また、ある程度被保険者の負担ということもやむを得ないと考えますけれども、この赤字をせめて三分の一程度は、これは当然国で負担すべきものではないかと私は考える次第でございます。  ここでちょっとわき道に入りますけれども、医療保障ということばにつきまして、一言私の見解を述べさしていただきたいと思います。一般には、社会保障というものには、所得保障と医療保障がある。所得保障は経済的な保障であるが、医療保障は単なる経済的な保障ではない、すなわち医療費の保障ではないと言われております。確かに医療そのものの保障ということを理想的に考えますならば、医療費の保障でそれをとどめるべきものではないと私も考えるのでございますけれども、しかし医療保障をそのように考えまして、言ってみれば健康そのものを保障するのだというふうな考え方をとりますと、社会保障という概念からいたしまして、いささか問題があまりにも幅広くなり過ぎるのではないかと思います。たとえて申しますと、国民に教育そのものを提供するという意味において教育保障ということばが使われるとするならば、ちょうどそれに当たる医療保障ということになるのでありまして、社会保障という立場から申しますと、教育の場合でも、教育に関連する費用を国が保障するということになりますと、社会保障のワクの中に入るのでありますが、一切の教育についての保障ということになりますと、もはやそれは社会保障とは言えないのではないかと思います。最近アメリカでは、社会福祉ということばが非常に幅広く用いられておりまして、イギリスの社会サービセスと従来いわれてきたものと、ほぼ同じような内容のものが社会福祉と呼ばれておるようでございます。たとえば、一九六一年度のアメリカの政府並びに州、市長村等が公的な制度として行なっております社会福祉のための支出額というものを見てみますと、事務費を含めまして国民総生産の一一・六%に及んでおるといわれるのでございますが、その中身は、社会保険、公的扶助、これをわれわれは社会保障と考えるのでございますが、それに加うるに、医療及び公衆衛生、その他の社会福祉事業、退役軍人の年金、そして教育及び公的住宅の費用等がこの中に含まれているのでございます。アメリカでは御承知のように、いってみれば厚生省と文部省が一つの省になっております。こういうような考え方こそ、本気に人づくりということをお考えになるならば考えてみなければならない行き方だと思うのでございますが、このように考えてまいりますと、わが国で言われております社会保障ということば、これはどうもアメリカ流に言えば、広い意味の社会福祉ということになるのではないかと思います。  ところで、アメリカでは、もう一つ社会福祉ということばにつきまして、これを非常に狭く解釈いたしまして、社会福祉主事などの方がおやりになるような、いわゆるケース・ワーカーを中心といたしますところの、経済的というよりは、むしろ経済外的な仕事を意味するときに使う場合もございます。そして社会保障というのはあくまでも経済的ないわば所得の保障であって、その経済的な保障を生かすために人的な指導その他によりますところの社会福祉事業というものが必要となるのだ、この二つをうまく結びつけていかなければ、国民の福祉というものの向上ははかれないのだ、こういうようないわば考え方があるわけでございます。  このことは同時に医療につきましても言えることでございまして、厳密に言えば、公衆衛生ということばについては、いろいろな意味があるかと思うのでございますが、予防を含めまして、あるいはアフター・ケアを含めまして、単なる経済的な扱いでない扱い方を含めた医療なり公衆衛生というものと結びつけて医療保障というものを考える、この考え方では医療保障は医療費保障ということにならざるを得ないと私は思うのでございます。こういうような中身を少し調べて、その上で医療保障の問題を扱いませんと、予算面におきましても、いろいろな複雑な事情が生じてくるのではないかと思います。私がこのようなことを申しますのは、ほかでもございません、憲法第二十五条を実はどう読むかということとの関連で申し上げておるのでございまして、世の中には、憲法第二十五条の第一項の健康で文化的な最低限度の生活の保障という点、これが社会保障だとお考えのようでございますけれども、しかし、その第二項を拝見いたしますと、「社会保障」ということばに並べて、「社会福祉」、「公衆衛生」ということばが出ておるのでございます。したがって、憲法二十五条のたてまえを考えてみますと、社会保障は経済保障であって、その両翼に、人的な経済外的な、いろいろなむずかしい問題を含めておる社会福祉事業だとか、医療及び公衆衛生というものがあるんだと解釈をしなければならないのではないかと思います。ところが、予算書に出ております社会福祉関係費というものは、必ずしもそういうような考え方には立っていないようでございまして、先ほどから申しあげましたような意味の社会福祉事業とか、公衆衛生関係の費用がその中に取り入れられております。そうかと思いますと、また逆に、いま申し上げましたような見解から言えば、社会保障と考えられますところのたとえば学校給食費、教科書の無償配布、あるいは保護を必要とするような子供さんたちの援助といったようなものが、教育振興助成費の中に含まれておるのでございます。また公衆衛生と切っても切れない関係にありますところの上水道、下水道、し尿処理、公害防止といったようなものが環境衛生対策費として、別のところに並べられておるのであります。さらにまた、これも社会保障と切っても切れない関係にあると思われますたとえば第二種住宅の費用なんかも、住宅対策費として別の項目にあるわけでございます。したがいまして、わが国の予算において、社会保障関係費というものがどの程度であるかということの他の費目との比較は、予算書の上に出ておりますような形だけでは、私はできないと思います。しかし、それを一々整理いたしまして、狭い意味の社会保障と、それを取り巻く社会保障関係の費用とを、どのように計上するかということは、これは私なんかのとうていなし得ないことでございまして、今後先生方の手によって、十分な分析をぜひお願いしたいと思うわけでございます。  で、このように考えてまいりますと、社会保障は経済的保障であるけれども、それをほんとうに効果あらしめるためには、その背後において働くところの人的な要素というものを重視しなければならない。たとえば社会福祉主事の仕事とか、病院、診療所の先生方の仕事といったようなものをよく考えてみる必要があるのではないか、このように思うのでございますが、しかし、さしあたりの私の考えとしては、予算書における社会保障関係費を中心に、もう少し述べさせていただくこととしたいと思います。  先ほど申し上げました生活保護費のアップ率にいたしましても、承るところによりますと、厚生省は最初一六%というものをお出しになったということでございます。しかし、この生活保護費の前提になります最低生活費の科学的な基準というものは、まだわが国では十分検討されていないようでございます。ぜひともこれは今後やっていただかなければならない問題であると思いますとともに、ミーソズテストでもって生活保護をやるというやり方は、ある意味においては時代おくれではないかと思います。最低生活費を分析いたしますときに、ミーソズテストの基礎になっておりますようなカロリー計算その他いろんなこまかい分析をやるということは、これは必要なことでございますけれども、さて実際に生活をやるときに、この金はこういうものにしか使ってはならないというようなことが一体言えるのかどうか、ある程度の基準で計算されたところのお金を、生活保護というたてまえから、生活扶助費として渡すわけでございますが、その具体的な使い方は、これをもらった人の自由だというふうに考えていきますと、ミーソズテストのやり方は、むしろインカムテストの所得を前提にして、これこれまでの所得しかないというからには、その所得を補うという方向に将来は持っていかなければならないのではないかと思います。同時にそうなってまいりますと、こまかいお金を渡すときに、とやかく注文をつけるよりは、そういう方々がりっぱな人間として生活をやっていかれるための指導をする社会福祉主事の仕事というものは、非常に重要な仕事となるのではないかと思います。産業界でいわゆるモラルの向上と申しますか、勤労意欲を高めることについてのいろんな労務管理の技術が取り入れられておりますけれども、私はこういった生活保護の仕事に携わられる方の勤労意欲と申しますか、熱意と申しますか、それをもっと盛り上げるにはどうしたらよいかということを考える必要があるのではないかと思います。そういう点におきまして、そういうお仕事をなさっておられます方方の待遇が、今回の予算においては少しよくなったというわけでございますけれども、これは地方公務員の給与よりも従来低かったものを大体地方公務員の給与並みに上げたといった程度のものではないかと私は考えておりますし、社会福祉主事という方の地位が、一体どのように国が認めているかという点においても問題がございます。二年とか三年とか社会福祉主事の仕事をやられたら、昇進のためにほかの仕事のほうに移られるという方があるというこういうやり方では、生活保護というものを、りっぱな社会保障としてやっていくことは不可能に近いのではないかと思います。  さらに社会福祉の費用につきましても、母子保護法の新設に伴って二十億円ほど引き上げをしておられます。そして新しく低所得階層の妊産婦や乳幼児に対して、牛乳の支給などをやろうというようなお考えのようでございますが、しかしこれにつきましては、予算上の措置としては、交付税という形で従来保健所の仕事であったものを市町村に移そうとしておられます。市町村の保健婦さんが一体どういう実情にあるのか、こういう方々と、国民健康保険の保健婦さんとのあり方といったものをいろいろ検討していきますと、この保健所の仕事を市町村に移管するということはいいのか悪いのか、なお検討を要する問題があるかと思うのでございます。さらに五億を十億に交付税をふやすということでございますが、この新しい母子保健法に伴う予算から数字をはじいてみますと、年間産まれる子供は百六十五万人、その子供さんを産まれる母親が同じく百六十五万人として、計算しますと、一人当たり三百円ということになるのであります。これを無差別平等にそういった方面に出すということが、はたして効果的であるかどうかというような点においても考えてみる必要がありはしないかと思います。  また、心身障害児対策費として五億五千万円を六億九千万円に引き上げられたのでございますけれども、この十八歳未満の治療や訓練を必要とする身体障害児が一体どれくらいあるのか、正確な数字はわからないと言われておりますけれども、民間では十二万人あるんだと、特にその中で、手足等の肢体の自由のきかない人たちが約八万人もおるんだ、にもかかわらず施設は三カ所、ベットは三百、先ほどの予算を一人当たりの月額にしましても七百円、この程度で身体障害児の対策が一体あると言えるのかどうか。こういう点について民間ではいろんな運動がいま盛り上がっておるのでございますけれども、政府としてはもっと本気に考えていただく必要があるのではないかと思います。  しかし、今回の予算で、何と申しましても一番大きな問題になるのは、医療保険をめぐる問題であるかと思うのでございます。これは昨日他の方々から詳しい御報告、質疑応答があったようでございますから、私はあまり触れさせていただかないことにいたしますけれども、私が最も問題にいたしますのは、国民健康保険の将来の問題ではないかと思います。三十九年度に比べて二百六十五億円という増額になっておるのでございます。これは医療費の値上げとか、あるいは家族の給付率の引き上げとか、という問題を前提として考えました場合に、決して十分なお金ではございません。四十年度の国保の医療費二千八百九十七億七千四百万円といわれておりますものの負担の割合は、国庫負担が一千九十五億五千九百万円、保険料負担が六百七十三億一千八百円、患者負担が一千百二十八億九千七百万円ということでありますので、割合として見ますと、保険料で負担する分が二三%、患者負担が三九%、これに対して、国は三八%を負担しておることになりますから、それだけ見ますと、確かに相当な負担を国民健康保険に対しては国がやっているということになります。しかし、いろいろな問題があるといたしましても、たとえば、この仕事をされる地方の人々の事務費が一人当たり百五十円から二百円に引き上げられたといたしましても、実際は二百八十八円ぐらい要るということでございますから、三十六億円はこれで不足するわけであります。この分は地方で持つか、あるいは保険料その他で負担するということにならざるを得ないのでございますが、事務費全額負担の原則という点からいいますと、これは少し問題があるんじゃないか。その他医療費値上げのはね返りが四十四億円もあるというのを、保険料でまかなおうとしておられるのも問題ではないかと思うのでありますが、特に私、気になりますのは、いわゆる大都市の国民健康保険の取り扱いでございまして、大都市の国民健康保険の被保険者の世帯には非常に低所得者が多いということでございます。で、政府はその点をお考えになりまして、すでに九万円以下の世帯については、減額の措置を保険料に対して行なっておられるのでございます。私は、一体この九万円以下の世帯というのが現在するのかどうかということにも、教字の上だけでは疑問を持たざるを得ないのであります。ところが、統計の上で申しますと、この九万円以下の世帯と、それから所得がわからないから九万円以下と一応推定されておるものとを合わせまして、北九州では、その被保険者の四七・六%、神戸では三八・九%、大阪では三六・八%、東京では三三・四%といったような状態で、軒並みに非常に多いのでございます。これは三十八年度末の数字でございます。世帯数にしてこれを見ましても、北九州の五三・五%、神戸の五〇・八%、大阪の四七・五%、東京の四三・四%、京都の四二・三%、名古屋の四二・三%、横浜の四〇・四%、こんなに多いのでございます。さらに、この上に九万円以上でも、家族の数が多いために減額の措置を受けておられる方もなおあるわけでございますから、大都市においては、約半ば近い人がこういった低所得者であるという数字が出てくるわけであります。特に、その中で北九州の例では、四〇%以上の方が所得不明なのであります。この所得不明というのは、よそから移転して来られましたために、前年度の所得を対象に取る保険料がはっきりわからないから、ともかく一番低いところの均等割りだけを取るのだということで扱われているものであります。  そこで、一つの例を具体的に申しますと、大阪市のごときは、一人当たり平均保険料を、ずっと三十六年以来上げられなかったために千二百九十円でずっと押えられておるわけであります。ところが、千二百九十円の保険料でいきますと、均等割りは五百八十一円です。五百八十一円の十分の六を減額いたしますと、月にいたしまして、一人世帯の場合は、二十円の保険料ということになるのであります。ところが、こういう人たちの保険料徴収を毎月やるとすると、月三十円要る。徴収費のほうが高いというような保険料を取っておられるところに、おかしいといえないかどうか、こういう疑問を持つわけでありますが、実はその低所得者につきましては、実際にそれしか所得がないのかどうかという点に非常に疑問があるのであります。国民健康保険だけで所得調査をやるわけにいきませんので、市町村民税等の基礎となる所得を前提にするわけなんですが、一般の租税ではもう取れないような低所得者の所得というものをあまりやかましくお調べにならない。それをそのまま使って国保の保険料を取っておるところに、私はやはり一つ問題があると思う。だから、減額措置もまことにけっこうでございますけれども、そういった保険料の基礎になる所得の把握につきましては、やはり別の考慮をぜひしていただかなければならないと思います。  それからもう一つ、社会保険で大きな問題は、厚生年金保険法の改正問題であります。私は、今回の政府提案の改正案には、原則として賛成しているものでございますけれども、この改正をめぐっての一つの問題点は、すでに年金をもらっておられる方が、今度の改正によりまして、ほぼ倍額近い年金額にベースアップされるわけであります。その整理資源について、国は従来の例に伴って一割五分の負担をするだけなんです。これも一つの理屈はあるかと思うのでございますが、過去の保険料がそれとつり合わないにもかかわらず、年金額を上げるというような、こういう場合の年金額の引き上げの原資こそ、国が全額負担するというのがたてまえではないかと思います。そうでございませんと、これは将来の方の保険料に影響を非常に及ぼすことになるわけでございます。  それからもう一つ、厚生年金保険について問題点となるのは、積み立て金の運用問題でございます。この積み立て金が今度資金運用部資金に繰り入れられまして、昨年度の二千百八十億円が今度は三千二百六十億となります。これは、これから毎年ふえていくと思いますが、財政投融資計画と、厚生年金保険あるいは国民年金の積み立て金の関係にはいろいろな問題があるかと思います。なるほど予算書を拝見いたしますと、これは社会保障と関係の非常に深いところの住宅とか、生活環境整備事業とか、いろいろなところに使われておりまして、今回の政府一つの方針とされておられる社会開発というものにずっと関連があるようなことになっておるのでございますが、しかし、今度のやり方をずっと拝見いたしますと、昨日の公述人の先生もおっしゃっておったことではないかと思いますが、どうも政府は、直接にそういうことの仕事をやられる公団や事業団に投資するのではなしに、利子補給のやり方でやっていこう——この利子補給というのは、将来政府に対して非常に大きな負担を、雪だるま式にふやしていく問題ではないかと思うのでありますが、こういうやり方ではたしていいのかどうかという点が非常に私疑問であります。と申しますのは、本来この社会保障を確実に保障するためにやっていかなければならないところの、先ほど申しました公衆衛生とか、あるいは社会福祉事業なんかに対する費用というものは、これはそういう貸し付け金というような形でやるべきものではなくて、本来国がそこに費用を投ずべきものではないかというふうに考えるのでございます。医療保障の問題にいたしましても、医療費の保障は、保険という形で社会保障の場でやりますけれども、それに対して、いろいろなものを提供されるところの病院とか、診療所というものにつきましての必要な費用、これは将来はやはり国の費用でもって設備を充実されなければ、医学医術の発展に対して、とても追っていくことのできないことになるのじゃないか。まあそういうふうに考えるものでございますから、この厚生年金あるいは国民年金の積み立て金をもとにいたしまして、そこからそういうものを貸すというやり方がはたしていいのかどうか。同時に、そういう積み立て金はできるだけ膨張しないように、いわゆる完全積み立て金方式でなくて修正積み立て金方式でやるというのが、世界の傾向でございますから、将来は少なくともそういうことをも考えていただかなければならないというふうに思う次第でございます。  このほか、いろいろ申し上げたいことがありますけれども、一つだけ申し上げておきたいことは、社会保障についての責任なり、費用の持ち方を、国と地方自治体とでどう持ち合うか。さらに、社会保障のささえになるところの、いま申しました社会福祉事業の設備だとか、医療、公衆衛生の設備だとかの費用は、一体国と地方とどういうふうに分担するのかということが、非常に大きな問題ではないかと思うのです。  それからもう一つ、今回の予算で、私のようなことを申しますと、幾らでも費用が要るじゃないかとおっしゃるかしりませんけれども、その点からいえば、私は、財源の捻出という点については、問題の配当所得の分離課税のごときは、これは取りやめて、その費用がかりに八百二十五億円もあるならば、むしろ社会保障なり、それに関連のほうに持っていくのが筋じゃないか。これについては、一昨日でございましたか、朝日新聞の「今日の問題」で、シャウプ氏その他アメリカの学者が、非常に日本の今回の措置を嘆いておるという批判が出ておるのでございますが、検討する余地が十分にあるのではないかと思うのです。  以上、簡単でございますが、私の意見を述べさしていただきました。どうもありがとうございました。(拍手)
  11. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) ありがとうございました。     —————————————
  12. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) それでは、ただいまの公述の方々の御意見に対しまして、御質疑のおありの方は、順次御発言願います。  なお、御質疑の方にお願いいたしますが、時間の関係もありますので、簡単明瞭に御質問をお願いし、また、お一人の質問時間は、なるべく短くおとり願いたいと存じます。
  13. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 中小企業のことでお聞きしたいと思いますが、革命的近代化を約束されたはずの昨年度において、中小企業が記録的な倒産件数を示したわけでありますが、この原因は、政策面でいうならば、何が一番大きな比重を占めているというふうにお考えになるか。国会におきまして、いろいろ予算委員会、本会議等において、サンウェーブであるとか、山陽特殊鋼であるとか、これらの倒産が問題になりましたが、いままでの大蔵大臣の答弁でいうと、どちらかというと、これは企業そのものの経営方針に問題がある、山陽特殊鋼等においては、非常にワンマン的な社長の経営がこういつたような倒産をもたらしたのだという例をあげております。政府政策面における問題よりも、企業そのものに問題があったというふうな御答弁が、今日までありましたけれども、これは政府側の答弁でありまして、立場を変えてごらんになった場合に、どのように、どういうことが一番その原因の中で大きい比重を占めているかという点について、端的にお伺いしたいと思います。  それから、お話の中でも、中小企業の分野に大企業が浸透をして、そのために中小企業が圧迫を受けているということをおっしゃっておられましたが、こういう現象は、自由主義経済の体制のもとでは避けられない現象ではないかというふうにも考えられますが、大企業にもまたやむを得ない事情があって、こうなったのかどうか。あるいはまた、企業の分野の規制というようなことが、政策の面で検討を必要とするというふうにお考えになるのかどうか。中小企業の近代化と体質改善融資といったような面で、この問題は、今年度の予算に示されたような範囲内で何とかやりくりがしていけるものであるのかどうか。  以上の点についてお伺いしたいと思います。
  14. 小林恒夫

    公述人小林恒夫君) ただいまの御質問の第一点でございますが、倒産される企業倒産する企業自体の自己のそれだけの責任であるのか、あるいは、何らか政府の施策によってそれが防止でき得るものなのかどうかという御質問のように承りました。この点につきまして、もちろん倒産するには倒産する企業自体の経営上の責任は当然あると存じます。しかし、先ほども申し上げましたように、日本経済自体が大きく構造変化をいたしております。したがいまして、大企業あるいは中堅企業のクラスの問題はあるいは別かもしれませんけれども、中小企業におきましては、この構造辺化に対応するということが、独自では非常にむずかしいということがいえるかと存じます。もちろん中小企業倒産も、中小企業経営者自体の今後の経済の見通し、変化ということは、当然自己の経営責任として検討し、それに対応していくだけの対応策を講じなければならぬと思いますけれども、しかし、中小企業自体が、それを十分にこなしてそれに対応するということは、非常にむずかしい問題ではなかろうかと思います。たとえば小零細企業をとってみますと、経営者自体が店で働いておる、その上に自己の経理も処理をしなければならない、と同時に、大きく変化していく経済の諸相をまた勉強しなければならぬというようなことは、事実上無理かと存じます。したがいまして、さような面に対する政府その他の機関におきまして、今後の経済の見通し、あるいは構造の変化等については、十分に周知、あるいはPRするということが必要であろうかと思います。と同時に、それ相応の対策も講じていかなければならぬかと思います。まあさような見地から見ますと、より基本的な構造問題としての、特に中小企業の高度化というような点につきまして、今度の予算におきましてもその点を明確化していったということは、十分うなずける点かと思いますが、なお、今後ともより一そうのかような面における施策を充実させていくことが必要であろうかと存じます。  次に、第二点の問題でございますが、大企業中小企業に対する分野進出の問題でございます。これは、先ほど申し上げましたように、一部の業種におきましては非常に深刻な問題と相なっておりますが、自由主義経済のもとにおいては、これは本質的にはやむを得ざるものであると、かように思われます。当然大企業といえども、自己の経営を維持するためには、必要なる分野に手を打っていくということは、当然の処置であろうかと存じます。しかし、ここで問題になりますことは、大企業が自己の資本力にものを言わせて、弱小なる小零細企業の分野にまで無理押しにしていくということは、社会政策的な観点から見まして、いわば非常に大きな問題を起こす可能性があるわけでございます。大企業は時代の要請に応じてどんどん変化し、それに対応する処置をとってまいりますけれども、小零細企業はそれになかなか乗っていけないというような弱い面がございます。その間に乗じて大企業が技術の開発をし、どんどん中小企業の分野に進出していくということになりますれば、当然ここに社会問題が発生する可能性が強いということになります。したがって、原則的には大企業中小企業の分野に入っていくことはやむを得ないけれども、しかし、同時に、この社会問題を引き起こさない、させないという意味におきましては、中小企業と大企業との関連におきまして、そこに何らかの調整が行なわれなければならぬと思います。したがいまして、分野調整につきまして、緊急避難的にこれを調整していこうというようなことがきめられておるようでございますことは、まことにけっこうだと思います。しかし、その緊急避難的な処置を講ぜられております間に、中小企業はみずからの力によってそれを今後の問題に対応できるような対策をその間に打ち立てていくということが必要ではなかろうか、かように存ぜられます。  十分なお答えになりましたかどうか、非常に疑問でございますけれども、私の考えを申し述べました。
  15. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 近藤先生に二、三お伺いいたしたい。ただいまたいへん適切、該博な御公述をちょうだいいたしました。非常に私ども参考になったわけであります。お聞きいたしたいことが三点ばかりございまするが、時間の関係上簡潔にお尋ねいたしまするので、また結論的な、簡潔な御答弁をいただきまして、御教示賜りたいと思うわけでございます。  まず第一に、社会保障全般についての御公述をいただいたわけでございますが、その中で、私は主として医療保険を中心にしてお尋ねいたしたいのですが、医療保険に対しまする国庫負担の限界と申しまするか、程度ということにつきまして、ただいまの御公述でおおむね私がお尋ねいたしたいことが述べられたわけでございます。ただ、先年、先生方のほうからお出しいただきました社会保障制度審議会の答申の中に、社会保険に対しまする国庫負担は社会保障制度全般を見て、あるいは社会保険制度全般を見た上で、それぞれの緊急度を考えて行なうべきである。その緊急度につきましての御説明も詳細に答申されておりまするが、その考え方をわれわれもそのとおりちょうだいいたしまして、本年度におきましても、あるいは従来からの国家予算の組み立ての上におきまして、緊急度を勘案してやってまいったわけでございます。すなわち、職域保険と地域保険とのそれぞれの性格の相違点等を勘案いたしまして、緊急度合いを考えてやってまいったわけでございまするが、今日御承知のように、非常に財政破綻を来たすような危機に医療保険全般がきておるわけであります。先ほど健保助走と申しまするか、政府所管の予算案の中で、国庫負担が僅々三十億円程度であって、全く常識はずれな金額である、こういうふうに仰せになられた。私も一面同感であるわけでございまするが、しかも、その際、おっしゃったことは、少なくとも赤字に対しては三分の一くらいのものは国が負担すべきであるという、その緊急度合いに対しまする限界を、赤字に対してお示しになったわけなんですが、赤字対策としての国庫負担の限界と同時に、私は赤字でない場合、今後正常な姿で医療保険を遂行する場合におきましても、国庫の負担は三分の一程度というものが妥当であるかどうかという点について、学問的な立場から、ひとつ先生の御意見を拝聴いたしたいと思うわけでございます。
  16. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) ただいま非常にむずかしい御質問を受けたのでございますが、国庫負担の考え方は、私個人では、やはり低所得者に対する国庫負担の原理というものが一つあるわけでございます。それから社会的な責任、本人に責任が全然ないというような、例をもっていえば失業保険、こういったものにつきましては、低所得者とまた違った意味の国庫負担というものが必要だと思うのでございます。しかし、御質問の医療保険につきましては、私としては赤字対策としての国庫負担の割合というような先ほど話し方になったのでございますが、本来の国庫負担というものはどうあるべきかということになってまいりますと、まず、事務費は医療保険については原則として国が負担する。それから給付費の場合にも、その低所得者層を中心に考えるという意味で、国民健康保険のごときは本人の負担分というものがございますから、この給付率をどうするかという問題がひっかかってくるのでございますが、現在のような状態では、四割近い国庫負担が出ておりますので、これをさらにふやしていくというのは少しどうかという感じを持っておりますし、私が率直に申しますと、大都市の健康保険というものは、最初から農村における国民健康保険と違うのだから、ああいう形ではやれないというのが私の意見であったので、低所得者層がその地帯の半分を占めるというようなときに、保険ということがそれ自体無理なんですから、そういうような場合には、むしろ新しい形の医療扶助に切りかえる、私自身最近考えておりますのは、職域と地域というふうに分ける分け方、これは被用者と自営業者というような分け方になっておりますが、はっきりした職域と地域というふうに分けますと、農村は地域すなわち職域というようなかっこうになる。問題は大都市なんです。大都市の場合は、日本医師会の先生方は全部地域でとおっしゃいますけれども、農村の場合は一応地域が職域になりますが、大都市の場合にはいろいろな保険料の把握とか、その他健康管理の点からいえば、むしろ私は職域でいったほうが実際には地域と同じような効果を発揮するのじゃないか、多少ちょっと日本医師会の先生方と意見が違うのですが、いずれそういう形で整理した上で国庫負担の問題を取り上げませんと、いまのままではちょっと結論が出てこないのじゃないか、こういうような感じを持っておりますから、何%ぐらいが国庫負担の限界かとおっしゃいますと、これはちょっと私名回答ができないかと思いますので、この辺で竹中さんにちょっとお許しを願えればと思います。
  17. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 低所得者を対象とする国保に対しましては、すでに御承知のように、本年も千二百億円からの国庫が負担をしているわけであります。十二分に緊急度合いを考慮して配慮いたしていることになっておりますから、私お聞きしたいのは、一般の、特に日雇いあるいは政管の保険というものの財政破綻を考えました場合に、その意味においての国庫負担の限度というものを知りたかったわけであります。お説のように、社会保障全体を考えました場合のバランスというのは、なかなかこの程度が妥当だということのお答えはしにくいということは私もわかりまするし、大方のお気持は拝察いたしましたので、この問題はこの程度で、次の御質問を申し上げたいと思いますが、それは従来から医療保険というものが、私は疑問を持っていることは、医療というものが保険的な方法でまかない得るかどうか、ほんとうに人命尊重の見地からして、保険的な方法で医療というものが、人間関係の非常に重大なものが、一つの規格なり制約のもとに行なうということに対して疑点を持っているわけなんですが、それはさておきまして、そういうことから結果的に出てまいりましたのが、御承知のとおりきわめてアンバランス条件下に現在医療保険というものは行なわれているわけであります。四十年度の予算を見ましてもそのとおりでございまするが、大体保険料は、政管健保勘定におきまして二千六百二十七億円であって、給付が二千八百四十三億円、保険料よりも約二百二十億円もオーバーしたところの給付が行なわれておるようなアンバランスでございます。これは三十九年度も同様であります。これは一人当たりの被保険者の状況を見ますというと、これまた四十年度の予測によりますると、一万九千四百三十九円という保険料に対しまして、給付が二万三千五百十五円、三十九年度は一万七千二百七十八円の保険料平均に対しまして、給付平均が一万九千四円、三十九年度は千七百二十六円、四十年度は四千円という保険料に見合った以上の給付をしておる。こういうようなアンバランスな保険経済をあらかじめ予測して予算化しなければならないようなこういう行き方で、はたして国民の健康が守れるか、あるいは人命尊重をしておるのだ、皆保険をしておるのだということを言い得るかどうかということについて非常に私は疑点を持っておるのであります。  そこで、そうしたことに対しまして、抜本的に医療に対しましては何かほかにいい方法がなかろうかということを私はかねがね苦慮いたしておるわけでありますが、何かそういう点についてお考えがありましたならばお漏らし願いたいし、これまた大問題であって、とてもこういう席上で簡単に答えたのでは誤解を招くということでございまするならば、その点はしいてお答えを求めないわけでございまするが、そういう意味合いから申しまして、少なくともいまの制度を是認した前提においてでも、今後これを運営するのには、そういうことを考えあわせて、どういう点に留意すればいいかというようなことについてのお気づきの点がございましたならば、御教示を願いたいと思うわけであります。
  18. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) 非常にこれまたむずかしい問題でございますが、先ほど私公述いたしました中でも少し触れたのでございますが、私自身は、社会保障は経済保障であるから、医療の場合は医療費の保障である。だからこそ保険という形がとれるのだという考え方を一つ持っておるわけであります。したがいまして、国が毎年このぐらいの医療費が要るから、その医療費をどういうふうにしてまかなうかという場合に、保険料の計算をしてやる。しかし、その計算どおりにいかないようなことが起こりましたときの責任は、やはり大半政府のほうでもって国庫負担という形をとられることがどうしても必要になってくるのじゃないかというふうに考えるわけでございますけれども、いまおっしゃった以上の内容とからみあわせますと、医療保険で医療費の保障をしただけでは意味がないということも確かに一つの理由なんであります。その場合に、今日の保険料が払われております先をしさいに検討いたしますと、たとえばとうていそういうものが保険料でまかなえないと思われるような病院なら病院の事設費、それの減価償却とか、あるいはそれに対する利子の支払い、こういつたようなものでも保険料でまかなうのがたてまえになっておる。これは私ちょっと問題があると思います。今後の医療制度のように非常に技術的に高度のものを必要とする設備は、従来のように保険料でまかなわれるべき筋合いではないので、ちょうど教育の場合と同じように、教育の費用は、義務教育は国が保障するわけですが、それ以上の教育の場合は本人が授業料は持ちますけれども、私学がいま問題になっておりますと同じように、その設備費とかいったようなものは、これは国がやはり福祉国家ということを考えるならば、国自体が負担すべきである。いまの医療公庫のようなやり方一つの過渡的なやり方だと思いますが、開業医の先生や病院を含めまして、設備費というものは国が出して、そして国有で、経営は先生方にまかす、国有民営と申しますか、そういうような方向にこの医療制度のほうを切りかえていかないと、保険のほうだけいじくったのではこれはとても保険料でまかなえないという問題が当然起こってくる。健康保険の場合でもやはり低所得者の問題としては、私は最低賃金制度というものがないということは確かに一つの大きな問題があると思います。保険料を払えるような生活水準にしておいてから保険料を取るのでなければ保険料は取れっこない。両方のほうから改めていきませんといけないので、それをただ医療保障医療保障とおっしゃるものですから混乱してしまうので、医療制度のほうと、医療保険のほうとはっきり区別して考えたほうが、ものの整理がつきやすいのじゃないかというのが私の考え方でございます。この辺でよろしゅうございますか。
  19. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 最後にもう一点、これまた非常にむずかしい問題なんですが、答申によりますと、現在の医療保険のあり方を非常に御心配になられて、総合調整をする、それが非常にいいというような御答申をいただいておりますが、その内容をしさいに検討をいたしたわけでございますが、その方法といたしまして、まず第一に、組合なら組合、あるいは地域なら地域にそれぞれの同種類のものが寄って、そうして基金をしてお互いに助け合う、こういうようなことでいわゆる良識と申しますか、摩擦を避けた前進的な考え方が盛られておるように私は理解いたしておるわけであります。ところが、それを裏から考えて見ますと、何か強いものだけが集まって一つのグループをつくり、弱い者は弱い者だけでグループをつくるということになりますので、その弱い者と強い者を将来十カ年なら十カ年の間にまず一本にするのだというお考えのようですが、この十カ年間に弱い者の破綻を来たす憂いがございます。これに対してはどういうような施策をわれわれが持たなければならないのかという点について、非常な不安なり疑点を持っておるわけでありますが、なおその上に、どうしても団体利己的な立場から率直に申し上げますと、強い団体は既得権を主張するということが当然考えられるわけであります。社会保障ということは、業態の広い全域を対象とした場合に、そういうことは成り立たないのだということも言い得るのでありますが、実際問題としてはどうしても既得権の主張ということが起こってくると思います。  それからなお一つ問題になりますのは、給与の格差、所得の格差というものがこのグループ、グループで非常に違うわけであります。組合関係のほうの給与所得が三十八年で見ましても、政管と七、八千円以上の格差がある。まして先ほど御指摘の国保としましては、ほとんど問題にならない。こういうようなグループを別に分けておいて、これを一本にするにつきましては、非常に大きな問題が出てまいりますので、この御答申をわれわれが政治家の立場において実際に国政に反映して実施に移そうという場合には、なかなか容易に踏み切れない点がございます。そうした点について何か御注意なり、そういうことに切りかえる場合における御意見がございましたならば、拝聴いたしたいと思います。
  20. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) 確かにただいま御指摘のように、社会保障制度審議会の答申では、非常に前進的になっております。しかし、今日の医療保険あるいは国民健康保険の実態等から考えますと、ああいうような、なまやさしい方法でいけるのかということを私個人としては痛感する次第でございまして、私個人の意見は、健康保険組合で申しますと、いわゆる単独組合と申しますか、大企業健康保険組合だけが出てくるのですが、私は下請を含めまして大企業の組合もだんだんと職域的な組合に変えていく、そうして現在政府管掌の健康保険は事務量等から、五人未満の零細事業所の従業員なんかとても扱えないというのでおくれているわけなんですが、全部事務組合式にしまして、そうして事業主までこの組合に入れる。これは今度労災保険法の改正は一歩そのほうに前進して、百人未満の場合の事業主は団体加入という形で事業主も一応労働者とみなすという方向が出てくるのでございますが、そういうように零細企業の場合は事業主の方も一緒に入れなければ、健康保険というものはおそらく政管の場合では強制してもむずかしいと思いますので、これを全部組合方式にむしろ切りかえまして、そして弱いものも強いものも一緒の組合に入れてしまう、職域的にですね。こういう方向を考えてみたらどうか。ちょうど日本医師会が地域に統合していこうとおっしゃるのと逆の方向になりますのですが、いずれにしましても、現在のようなばらばらの形では、これは非常にむずかしいと思うのです。ただ、しかし、この健康保険の外国の例を見ましても、歴史というものを無視して、そしてイギリスのようなやり方をしようとすれば、これはよほど政府なり国会の先生方が腹をおきめにならなければ、なかなかできないことでありますし、そういうことをやろうと思えば、医療制度というものに対しても、またいろいろな問題が出てくるわけです。それで、日本医師会の先生方が、保険については統合論をおっしゃっておりますが、医療制度については大体いまのところでは、私の拝察では、日本医師会、病院等が一歩前進しているわけですが、何か新しい考え方で医療というものの本質にうまく合ったような医療制度のあり方をお考えになって、それと保険を結びつけていきませんと、極端に言えば、もう保険はやめてしまって、そして全部税金でやったらいいと。これはイギリスの社会主義者と見ていいベバンの考え方でございますが、そういう考え方もございますけれども、ちょっと日本の場合、そこまでいくのはたいへんだと思いますので、私自身としては、いま申し上げましたように、健康保険組合というものの性格を変えていく形で、いわゆる給与の格差というものの問題を除いていく。これは中小企業対策としても、下請企業が一番問題になるのですが、そういう中小企業が、特に零細なのは健康保険も厚生年金保険も入っていないという問題があって、これは国民健康保険にみないっておるわけです。こういう人たちの扱い方をどうするかというような具体的な問題を考えながら、総合調整の問題を考えていかなければなりませんが、前回の社会保障制度審議会の答申以後の情勢変化によって、あるいはやはりいろいろともっと検討を要するような問題があるのじゃないかと私自身は考えております。
  21. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) 以上で公述人に対する質疑を終わります。  公述人の各位におかれましては、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  午後一時再開することにいたし、これにて休憩いたします。    午後零時二十二分休憩      —————・—————    午後一時二十三分開会
  22. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) これより予算委員会公聴会を再開いたします。  午後は四人の公述人の方々に御出席をいただいております。  御意見を拝聴する前に、公述人の皆さまに一言ごあいさつを申し上げます。本日は御多用の中にもかかわらず、本委員会のために御出席いただきましてまことにありがとうございます。委員一同にかわりまして厚く御礼を申し上げます。公述時間は、まことに恐縮でございますが、お一人二十五分程度にお願いいたしたいと思います。また、小澤公述人、江幡公述人のお二人の方から順次御意見をお述べいただき、そのあと委員よりの質問を行ないまして、次に、十二村、林公述人から御意見をお述べ願うことにいたしますので、さよう御了承願いたいと思います。  それでは最初に小沢辰男公述人にお願いいたします。
  23. 小澤辰男

    公述人(小澤辰男君) 御紹介いただきました小澤でございます。  私に与えられました課題は、四十年度の地方財政計画を中心にして意見を述べるようにと、こういうことであります。御存じのように、去る二月二十日、三兆六千百二十一億円、前年度比一五・八%の伸び率を示します四十年度の地方財政計画が発表されました。この一五・八%の伸びと申しますのは、三十九年度の地方財政計画伸びの一九・二%より低くなっております。明らかに景気の鈍化、それに応ずる税収の停滞を表現するものであるわけであります。国の四十年度予算の規模と大体同じでありますけれども、国の予算伸びの一二・四%よりかは大きい、これは何を意味するかということでありますけれども、やはり財政がどうしても硬直的に膨張せざるを得ない、そうしてまた、国の道路五カ年計画、港湾整備五カ年計画をはじめ、多くの長期計画の中央負担分を引き受けざるを得ないからであると思われます。  そこで、この予算に基づいて、ただいま地方の予算編成が行なわれておるわけでありますが、この実情は、はなはだ深刻なものがあります。たとえば百億円の赤字を抱えているといわれる大阪市では、人件費を三十億円ばかり減らすというような四苦八苦の努力に対しまして、局並びに部長たち六十人くらいが、昨年度のベースアップ分を返上することを中馬市長さんに申し出たというような報道がございます。  それから最近、四十年度予算編成のうち都道府県分が大体まとまったようでありますけれども、これを見ますと、大体不況下の税収の鈍化のため、国の四十年度地方財政計画伸び率一五・一%を下回る府県が二十四都府県にのぼっている、それから歳出面では、既定経費がたいへん増加するために新規事業の抑制が目立っている、特に新産都を抱えた岡山県では、県の単独事業費が二六・九%も減少している、それにお定まりの人件費の圧力がたいへん大きくなって、何らかの対策を必要としている。たとえば人件費の歳出に占める割合は、京都府が五九・九%、山形県が四九・一%、千葉県が四八・七%、山口県では人件費の総額が税収入額を上回っておる、こういうような事態になっているというわけであります。  それからもう一つは、公共料金の引き上げということが軒並みに問題になっております。さすがの自治省も公共料金の引き上げには慎重であるようにという見解を発表しているようでありますけれども、東京都でも今年度の予算が六千六百三十六億円という大型予算でありますけれども、水道料や下水道料や動物園の入園料などをはじめ、国保料金の引き上げを含みまして十九件の値上げ案を都議会に上程しております。合計、年間ではこの分が二百十九億円の増加になるといわれております。このように、いま地方はたいへん予算編成に四苦八苦しているわけでありますけれども、次に、この赤字の問題がやはり重要であると思われますので、しばらく検討してみたいと思います。  大体三十八年度の自治省の決算報告によりますと、大体普通会計の赤字は実質赤字で二百七十三億円、特別会計の国民健康保険特別会計は百三十二億円の赤字、それから地方公営企業会計では・法適用企業の赤字が三百七十六億円、それから非適用企業の赤字が百三十一億円。それから別に普通会計から特別会計への繰り出し金が五百八十億円増加しているということになっております。特に前の三つを合わせますと、赤字の合計は九百十二億円ということになります。三十九年度の実質赤字を、このような形で計算しますと、千億円を突破することは間違いないでありましょう。このようなわけでありまして、繰り出し金というようなものを、考え方によれば赤字というふうにも考えられると思いますが、そういたしますと、三十八年度で、すでに千億円をこえること四百億円というようなことになるわけであります。そしてこの赤字団体を見ますと、大体三十七年度を転機としまして実質赤字がふえてきておりまして、大都市ではほとんど大部分の四団体、それから都道府県では実質赤字団体は四というようなことでありますけれども、これをもし黒字がどんどん減っているというような意味も含めた、いわゆる実質単年度収支というようなものをとりますと、三十六年度で、すでに実質単年度収支が都道府県では十五、それから三十七年が二十九、三十八年度が三十一ということでありますから、これは大体軒並みに赤字であります。したがって、この赤字団体数というようなことから見ますると、三十八年度を問わず、高度成長のいわば安定成長への転化、率直に言えば景気の鈍化ないしいわゆる中小企業はつぶれるというような意味での不況の深化という時期への転化のとき以後を考えますると、大都市の赤字と、それから二十九年のデフレ政策のときに一挙に爆発しました六百四十九億円の赤字に比べますると、これはいわば高度成長の中での財政膨張、しかも税収が鈍化したという中での投資的経費の赤字というような内容をかなり強く持つていると思われるわけであります。特にそれが昭和三十年の財政再建法が施行されましてから、赤字団体は再建に入ったわけでありまするけれども、それと同時に、一方では高度成長が続いておりましたので、その産業基盤の強化のための投資的経費がかなり著しくふえた。昭和三十五年の所得倍増計画によりますところの十六兆円の公共投資は、国家財政財政投融資、地方財政を合わせまして三十六年以降一貫して一兆円ないし一兆七千億円というような大きな規模で現在続いておりまして、中期経済計画でも、実績からいえば低いですが、やはり所得倍増計画の簡単な倍増の七・二%の伸び率よりは高い八・一%というようなやはり高度経済成長政策を続けるという条件のもとにおきましては、やはりこの道路、港湾を中心とするところの生産基盤を強化する経費がふえざるを得ない関係に置かれておると思います。  しかし、最近、実は赤字のこういう原因は、これは人件費にあるのであって、むしろ、この人件費を合理化することが大切である、こういうふうにいわれておるわけであります。それの実情を少しく見てみる必要があるかと思いますが、実はこの三十七年度地方財政決算は、むしろ現在の財政構造、地方財政構造を規定するいわば諸条件を比較的はっきり示しておると思われますので、三十七年度の決算をとってみますると、まず歳入では、この地方財政計画額が二兆二千八百五十一億円でありましたが、県市町村の重複分を除きました純計決算では、二兆九千八百二十九億円ということになりまして、財源伸びは六千九百七十八億円になってございますが、この増加分の中で見てみますと、地方税の伸び分はわずか一八%しがなかった。むしろそれ以外に、いままでためておいた財源とか、使用料及び手数料がふえ、国庫支出金がふえた。それから地方交付税がふえたというようなところに大きな財源の増加の理由があったと思いますが、歳出のほうが非常に特徴的なことを示しておりまして、人件費地方財政計画では割合が三六・九%でありましたが、決算になりますと三四・五%でこれは落ちております。そして逆に投資的経費のほうはどういうことになっておりますかと申しますと、割合は三四・八%の財政計画割合から、純計決算で三七%の割合で、これはふえております。そしてこの投資的経費のふえた分は、実は増加額六千二十三億円のうちの四割五分を占めておると、こういう実情になっております。ただし、いわゆる地方財政計画というものは、国家公務員の給料に準じて給与費が計算されてございますから、これを決算でいうと千五百二十九億円まあふえておる、だから、この千五百二十九億円は、もし国家公務員の給料に準じて計算され、そしてそれがまあそのとおりになったとしますれば、この額は不要だと、こういうようなことにもなりますが、最近自治省の調査した資料によりますと、やはり大都市とか一部府県の給与はかなり高いようだと、ただし、町村とか、中小都市というようなところでは著しく高いというようなことはないと思われるというふうなことを言っておりますけれども、確かにこのような意味で人件費がいわば比較的大きいということはいえると思いますが、三十七年度決算を今度は伸びで見てみますると、三十年度を一〇〇としまして三十七年度決算は財政規模が大体三倍になっております。それから三十年を基準としまして投資的経費が大体四倍になってございます。それから人件費が大体二倍、これが都道府県あたりは大体この倍率になってございますから、三十八年度の決算へきますと、人件費が相変わらずふえて、二千億円もいわば地方財政計画を上回っておる。そして投資的経費の割合が確かに落ちてきた。したがって、三十八年度では人件費割合、一〇〇に対しまする割合が三十八年度の決算で三六・二%ということになりまして、いわゆる人件費、それから公債費、それから扶助費、これは生活保護費を主としておりますが、この三つを合わせますると、三十七年度まではたとえば三十一年度の四九・七%という割合からずっと落ちまして、三十七年度で最低で四二・八%であります。ところが、三十八年度は景気の鈍化、したがって、税収の伸びの減収を反映いたしまして四五・二%というようになり、そのことは一方で投資的経費の割合を減らした。投資的経費の歳出総額に占める割合を見ますると、三十七年度が三七%と割合が一番大きくて、三十八年度には三五・〇%というふうに落ちているわけであります。  このように、大体決算の状況の示すところによりますと、確かに三十八年度決算では人件費がいよいよ重圧の要因になったように見えておるわけであります。しかし、その基礎には、もし中期経済計画のとおりやるといたしますると、この政府事業投資まで含めますと、三十九年度から四十三年度までで十七兆円というような大きな公共投資をやることになっておりまするから、いわゆる地方財政のほうでそれを引き受ける投資的経費というものは今後といえどもふえざるを得ないたてまえになっておるわけであります。そうしますと、どうしても人件費のほうを何らか合理化しないとどうにも困るという一つのいわば財政構造上の問題があらわれておるかと思うわけであります。これを問題の四十年度の地方財政計画について見ますると、地方財政計画でありますから、大体計画というところに力点が置かれておるわけでありますけれども、給与関係費が一兆三千七十二億円である。それに対して地方税が一兆四千九百四十八億円である。いわば給与関係費と地方税とのこの割合を相当問題にするわけであります。特に給与関係費のほうはふえた分が一六・五%ふえておる。地方税のほうは一五・八%しかふえていない。そうして歳出歳入の総額の増加分は一五・一%であるということから給与費がたいへん地方財政を圧迫しているというようにいわれておるわけであります。しかし、特にこの公債費が千三百三十五億円、それに対しまして地方債収入が千六百三十億円、こういうことになりますと公債費の圧力も大きくなり、しかもこの財源の中では地方債の割合が五%になりまして、いままでの大体四%、一〇〇に対する四%の割合よりかふえるということは起債収入にたいへん依存しているということになります。で、地方交付税のほうもこれはやはり財源難を反映いたしまして一二・三%の伸びでしかないと、しかも地方交付税につきましては昨年のベース・アップの財源として先借りしているというような問題もあるわけで、こういたしてみますと一般財源が非常に鈍化し、そうして地方債収入依存の態勢が強まってきていると、しかも地方債計画を見ましても、この地方債計画のほうでは一般会計債はこの国のいわば財源措置の肩がわりとして実質上国の赤字公債ともいうべき住民税の臨時補てん債もありますし、それから問題の新産業都市の起債分四十億円というようなものが一般会計債に計上される、そのかわりこの地方公営企業債や準公営企業債がふえていると、こういう財政構造をとりますから、この点から見ても借金依存の財政ができつつあるように思います。特にこの歳入につきまして、地方税減税の問題を取り上げてみますると、ことしは減税でなくて増税でありまして、ただ三十九年度の地方税改正の影響が四十年度であらわれるということで、その減収分を含めますと百八十四億円ばかりの初年度の減税だということになっておるわけでありまするけれども、道路財源の充実を中心とする自動車税の五割アップということを含めまして財源が非常に窮屈であるということで、むしろ増税の方向で、いわば改正が行なわれたと、で、しかもこの国庫補助金の問題を通じまして、去年の十月に、自治省は税制調査会の基礎問題小委員会に、地方歳入に占める地方税の割合を三十七年度の決算では三四%というようなことでありますけれども、これを五〇%くらいに引き上げる。財政計画でも地方税は歳入の中に占める割合が四割くらいでありますが、それを少なくとも半分ぐらいに引き上げるということを目途としまして、現在の国税を地方税に移すという意味での二千八百億円のいわば移譲案を出したのであります。これはまさにいまやこの国と地方の税源配分、したがって、その裏をなす事務配分というようなことを考えなければ、現在の地方財政の赤字はいわば昭和二十九年までの赤字と違いまして非常に構造的になっているので解決はむずかしいのではないか、しかもおととしの十二月、補助金等合理化審議会の答申もありますことですから、何とかこの辺でこの国税を地方税に移し、同時に事務配分を適正にすることによって現在の中央地方を通ずるむだな費用を排除することはできないものかというようなことが非常に議論になったと記憶するわけであります。  なお、当面する問題ということにつきましては、何といっても大都市問題の赤字が非常にクローズアップされてきて、横浜市では昨年暮れでありますが、大都市地方財政の当面する問題という調査報告を出しまして、やはり大都市というのは高度成長あと始末としての、いわゆる佐藤内閣もいわれておりますような社会開発というような経費が非常にふえる。町の中の道路をよくする、住宅、学校をふやす、そしてまた公害対策を行なわなければならないというような経費が一方でふえる。同時に高度経済成長政策を続ける限りはやはり大都市の周辺に工場が集まってくる。そのための工業用水だとか、そのための土地造成とか港湾の建設を行なわざるを得ない。大都市は言ってみれば高度成長あと始末と同時に先行投資条件をつくり上げなければならないということでたいへん赤字がふえてきた。この問題を解決するためにはやはり大都市の財政需要に適するようなやはり大都市税制というようなものを考えないといけないのじゃないかというような案を出しております。今度の地方税制改正でも幾ぶんか、たとえば石油ガス税の創設のように幾ぶんかその対策を講じておるのでありますけれども、これもいま当面の大問題であります。それからもう一つは、地方公営企業の問題でありますけれども、地方公営企業の赤字の問題につきましては、水道料金の値上げということで現在たいへん問題になっているわけでありますけれども、東京のように短期に集中的に建設をやらなければならないというようなときには、一般の理論でいうところの料金で建設費をまかなうというふうなことはなかなか困難ではないかというふうなことを含めまして、何らか時限立法で特別対策をいわば国が行なうというようなことが考えられないものだろうかというような気がいたすわけであります。それから新産都につきましては、四十年度から発足するにあたりまして、新産都四兆三千億円、工業整備特別地域二兆円というような膨大な建設事業をやる計画になっておるわけでありますが、その対策は道府県につきましては、これは起債の四十億円を見る、あとは利子補給八千百万円というようなことで発足する。市町村につきましては、これは清算払いで二割五分を限度として国庫補助の引き上げをやるというようなことでありますけれども、どう考えましてもこれでは将来やはり起債がふえてその借金返しも考え、しかも新たな膨大な事業をやろうとすると、これではどうしても少ないのではないか。もし新産都という仕事は地方がやりたいといったんだから地方にもっぱら責任があるんだというふうに言うとすれば、実は高度経済成長政策の矛盾の一つの手直しという意味も新産都の問題は持っておるわけでありますから、私ももう少し、たとえば工場の分散というようなことを考えるのでしたら、対策を実質的にやらないとこれは実際上やれないんじゃないかというような危惧を抱くわけであります。こうしまして、どうやら四十年度の地方財政計画はたいへん人件費の増大をはじめ硬直化し、そうして財源伸びが非常に鈍化してきた、全体として借金に依存するというようなことになってきた。そしてこの問題を何とかいい方向へ持っていくためには、やはりこの際、国地方を通ずるところの事務配分を前提にしたところの財政改革、あるいは地方自治体を国も信用していただいて、そして自治体で仕事ができるように機関委任事務とか中央各省のひもつきの仕事をやめるというようなことにしますと、かなり整備が行なわれるのではないか。国庫補助金なんかもできるだけ減らして、たとえば地方交付税のほうに織り込んでいくというようなこともこの際考えるというようなことでないと、どうもいま出ている赤字はだんだん深刻になって、今後景気がそう上向くとも思われませんから、むしろ四十一、四十二年度のほうでもっと赤字が深刻になるのではないかと思います。いよいよ中央地方をめぐる財政改革といいましょうか、そういうようなことが必要になってくるのじゃないかと思います。  大体時間がまいりましたので、私の公述をこれで終わります。(拍手)
  24. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) ありがとうございました。     —————————————
  25. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) 次に、江幡清公述人にお願いいたします。
  26. 江幡清

    公述人(江幡清君) 私の課題は雇用問題ということであります。四十年度予算に関連いたしましてどういう雇用政策をとるか、そういうふうなことだろうと思いますが、しかし、ここでは具体的に一つ一つの問題、たとえば失対事業とか失業保険あるいは職業訓練、そういうふうな問題について申し上げますよりも、現在の雇用の情勢というものをどう判断するか、そういう点について申し上げまして責任を果たしたいと思っております。  この三、四年人手が足りない、そういうことが非常に強く出てまいったのでありますが、しかし、これは絶対に人手が足りないというのではなくて、従来の生産構造なり、あるいは産業構造の中で人手が足りないというふうな意味である。つまり日本の重化学工業が進むにつれましていろいろ生産構造が変わってまいりましたが、それに伴いますところの摩擦的な現象である、こういうふうに私どもは思うわけであります。でありますから、一方におきまして二百万人をこえる不完全就業者がいる、あるいは潜在失業者がいる、完全失業者は減りましたけれども、なおかつ四十万人いる。中高年令層は若年層と違って非常に就職が困難である。そういうふうな状況が一方にありながら、他方において新規学卒、中学、高校卒業生、それから三十、二十五歳ぐらいまでの若年労働者が非常に足りない、そういうふうな現象を示しておるわけでありまして、したがって、西欧諸国でいうところの完全雇用そういう状態とは非常に違うのだということを申し上げたいと思うのであります。でありまするから、現在雇用政策を展開するにつきましても、この生産構造も当然変化してくると思いますけれども、変化に伴うところの摩擦というものをいかにうまく巧みにきめのこまかい政策でやっていくか、そういうことがおそらく問題になるだろうと思います。いま一つ考えねばならないことは、人手不足という中に、問題は労働問題というだけではなくて、産業の問題、第二次産業あるいは第一次の農業関係と非常に大きな関連を持っているわけであります。この数年間農業から年間四十万人近い人が第二次工業、第三次産業のほうに流れております。あるいはまた第二種兼業という形で、いろんな方向に働いておる。それはそのとおりでありまして、半面、農村においては人手が足らない。長男は残っておりますけれども、二男、三男は大都市に出る。あるいは工場に働く。場合によっては、一家の主人すら近くの工場なり、あるいは東京、大阪その他の大都市へ冬の間だけ、農閑期だけ出かせぎに出る。そういうことがございまして、農業は非常に人手が不足でありますけれども、しかし、これらを考えてみますと、もしアメリカとか、あるいはヨーロッパの農業を考えますれば、もっと少ない人手で、もっと高い生産性をあげることができるわけであります。また、現在の農業改善事業にいたしましても、そういう方向を目ざしておるわけでありますが、現実には農村では人手が足らない。そうして農業が荒廃する。そういうこともあるわけであります。たとえば、日本は昔から農業食糧だけは日本の国で自給できるというふうに考えておったのでありますが、それからまた、この数年、化学肥料の発達によって相当大きな食糧生産をあげておりますけれども、半面において、外国からの食糧輸入は非常にふえておるわけです。三十三、四年ごろには、たぶん年間四億から五億ドルの輸入にすぎなかったと思うのでありますが、昨年は十五億ドルくらいの食糧を外国から輸入しております。三十九年はおそらく十八億ドルか九億ドルになるのであろうと思う。十八億ドルという食糧品の輸入は、日本の輸入の約三割を占める非常に大きな額であります。一方において、輸出振興、輸出増進ということが、重化学工業下で進んでおりますけれども、半面において、食糧品の輸入が非常にふえておる。こういうふうな現象というものを、日本の全体の国民経済の中でどう思うか、そういうふうな問題もあろうかと思います。それでは一体、農業に人が足りないから農業のほうにまた人を戻してそうして集約農業でやったほうがいいかというと、そういうふうな結論は出ない。結局、農村からはもう少し人間を工業なり、あるいは第三次方面にもう少し持ってこなければならないような状況になるんだろうと思います。ですから、かりに雇用問題ということを考えてみましても、これは各産業間の、つまり工業、農業、商業間のいろんな配置のバランスの問題になってくるわけであります。だから、雇用問題を単に雇用という観点からだけ考えておったのでは、これは政策は成り立たない。ほかの産業——工業なり農業なりと深い密接な関連を持って、そうして農業政策なり、あるいは工業政策と深い関連を持って雇用政策を立てなければならない、そういうふうに思うわけであります。最近労働省が積極的な雇用政策といたしまして、そういうことを標榜いたしまして、地域別の労働力需給計画を立てております。これは非常に意欲的な計画であろうと思うのでありますが、むろん青写真でございまして、それからまた、計画と言うよりは、いわば一種の予測、見通しと言うべきものでありますが、こういう問題についても、現に進んでおるところの新産業都市の問題あるいは地域開発の問題、そういうものと密接に関連をして立てなければ意味がないのであります。労働省の計画は、通産省その他で進められておる新産都市とある程度合わしたようでありますが、新産都市が、先ほどもお話がありましたように、非常に行き詰まっておる。その半面において、労働省の地域別労働力計画は独走しておる懸念がございます。つまり、新産都市と労働力計画というものが相伴わない。しかも、各府県においてはどうかと申しますと、ああいうふうな計画が出てまいりましてから、新産都市もそうでありますが、それぞれ自分の府県に労働力を置いておいて、そしてよその県には出さない、そういう方向になってくるわけです。これは、各府県当局といたしますれば当然でございまして、たとえば、岩手県なら岩手県という県が、自分のところで中学、高校まで県費で負担して、そして県費で負担してつくり上げた有能な労働力青年を、これをどんどんほかの県に出してしまう。したがって、県といたしますれば、県費をかけたけれども、これは自分の県に帰ってこない。当然自分の県にも工業を興こすなり、あるいはその他の産業というものを振興してやっていかなければ、県としての責任が持てないのであります。そういうふうなこともございまして、最近は各府県で、府県アウタルキーといいますか、それぞれ自分の県に労働力をとめて、よそに出さないような計画動きもございます。私はこれもやむを得ない、もっともな理由はないとは申しませんけれども、しかし、全体の雇用政策から見ますると、やはり府県単位の労働力計画というものはもう成り立たないと思います。もっと広く広域的に国の産業計画と合わせて考えていかなければむずかしいのではないか。逆に申しますと、最近よく話題になることで、たとえば、失業保険の受給につきましても、青森県は、四億五千万円の保険料を払って、三十億円くらいもらっておる。秋田県は、三億五千万円保険料を払って二十二億円の保険金をもらっておる。北海道は、四十億円の保険料を払って百四十億円の失業保険金をもらっておる。いわば、保険金の収入というものが、それぞれの県にとりましては、第四次産業的な大きな収入となっておるのでありますが、しかし、これも、日本全体の雇用という観点から申しますれば、当然のことでございまして、別にその各県だけを批判するに当たらない。そういうふうに、いま雇用政策というものは、府県単位ではなくて、かなり広い範囲にわたって一貫して展開されなければならないだろう、そういうふうな感じを持つわけであります。それが当面の問題でありますが、さらに、将来にわたってこういうふうな人手不足が続くのだろうかどうかということであります。私は自信を持ったお答えをすることはできないのでありますが、それほど日本の雇用情勢が将来にわたって楽観的であると言う勇気は持っておりません。なるほど、現在の人手不足というものが、中学卒業生については四倍とか、高校卒は二倍とか、そういうふうにいろいろございますけれども、しかし、半面においては、先ほど申し上げましたように、中高年あるいは身体障害者その他において相当就職困難な面が多いことも無視できない。それから、今後考えてまいりますと、はたして中期経済計画なりあるいはその他の計画のように、日本生産性が伸びて、そして、それによって雇用がふえるかどうか。この辺にも若干の疑問がございます。たとえば、一つの例といたしまして、南北問題というものがあります。つまり、南方の後進国が先進工業国に対しまして、第一次産品の輸出、あるいは加工品その他の産品について先進国は優先的に輸入するように、その他いろんな問題が起こっているわけでありますが、おそらく日本が今後アジアにおいて外交問題、政治問題、経済問題を考える際に、大きく出てくるのはこの南北問題であろうと思うのです。そして、農業関係においてはむろんでございますけれども、日本の相当大きな輸出品であった雑品関係、あるいは簡単な加工品関係においても、おそらく日本のそういう産業、企業というものは、将来南方国によって取ってかわられる方向にあると思う。日本は、東南アジアとの関連を考えます場合に、向こうからは品物を買わずにこちらだけを出すわけにはいかない。あるいはまた、向こうの産業というものを育て上げることがやはり日本一つの大きな使命となりますでしょう。その場合に、日本はやはり在来の産業において若干の犠牲というものを覚悟しなければならないのではないか。あるいはまた、今後の開放体制に伴いまして、零細企業方面においては相当淘汰されるものも出てくるわけであります。最近、中堅企業とかその他の中小企業において若干倒産がふえておりますが、こういうふうな傾向というものは、倒産という形をとるにせよとらざるにせよ、今後はやはりふえると思う。それは日本経済が高度化していくに伴う必然的な方向ではなかろうか。なるほど、日本の大企業中小企業の二重構造はだんだん解消の方向にあります。しかし、二重構造の下のほうにある超零細企業というものは、おそらく労働力不足という面もございますけれども、半面、産業の高度化に伴って整理、統合、閉鎖の方向にあるのではなかろうか。二重構造の上のほうの企業は、これはどんどん上昇して中堅企業になります。あるいはまた、中小の企業でも優秀な独自の分野を持っておる産業は、これは伸びる。しかし、それだけのすぐれた技術を持たないところの零細企業というもの、これはやはり統合の方向にあるだろうと思う。別に機械工業だとか、金属工業だとか、そういうふうな成長産業であるからといって伸びるわけではない。たとえ成長産業に属する企業でありましても、技術的に経営的に劣悪な企業あるいは競争力の弱い企業というものは、これは統合の方向にある。また、そういうふうな方向を進めていくごとが、中小企業近代化促進法にもありますけれども、おそらく今後の産業構造高度化に伴うところの必然の方向だろうと思う。もしそうだといたしますならば、そちらのほうから出てくる労働力というものをどういうふうにほかに配置転換するか。むろん、国といたしましては、失業者が出るからこれを事後救済すればいいというふうな方向で今後の雇用政策を考えることはできないと思います。やはり事前に完全雇用的な方策を持って流動化させることが国の方針でなければならない。これは非常にむずかしいことであろうと思いますけれども、そういう問題があるわけです。ですから、先ほど私は、現在の人手不足は生産構造の変化に伴うところの摩擦的な現象であると申し上げたのでありますが、それだけ、一方においてはきめのこまかい政策をとりながら、他方においてはその変化に対応しながら有効な労働配置を行ない得るような政策をとらねばならないというふうに思うわけであります。雇用情勢の前途については、私は楽観的ではございません。そういうことを考えて四十年度の予算というものがあるわけでありますが、そういう場合に一番大きな方途は、一つはやっぱり職業訓練であろうと思います。つまり技術、技能者が足らない、これを有効な方面に就職できるようにするための技能訓練、これは今後日本の雇用政策の中で非常に大きな位置を持ってまいります。  第二は、やはり農業と近代工業との関係でありますが、農業から出てくるところの労働力というものをどうやって有効に工業方面に配置するか、現在なぜ農業から人間が出てこないか、あるいは出てきても非常に季節、日雇い的なものであるかと申しますと、結局、第二種兼業の零細農家でありましても、やはり自分の土地を捨ててそうしてほかの工業に転換するには非常に勇気が要る、あぶなくて転換はできないということです。なぜあぶないかというと、いまの日本の工業にいたしまても、あるいは商業にいたしましても、少なくも中小をとってみますと非常に不安定でございまして、いつつぶれるかもわからない。つぶれた場合に一体どうなか。昔から持っておる田畑を持っておれば別でありますが、それを放して転換した場合に、一体どうやって余生を暮らすか、この問題があるわけであります。住宅も同様であります。そういうことを考えますと、やはりもう少し大きな老齢年金というものを考えるなり、何かあるいはまた最低賃金というものを考えるなり、あるいはさらに現在の社外工、臨時工、そういうふうな不安定な雇用形態というものを廃止するなり、そういうふうな方向への安定雇用的な対策というものが必要になってくると思う。それがやはりない限り、農業からの流出といたしましても相当むずかしい。半面、農業においては近代化が進まないということになるわけであります。そういうことを考えてまいりますと、日本の雇用問題というものは、人手不足であるから足りないところをどこからか引っぱってきてそうしてそこへ当てはめればいいというふうに、非常に簡単に行くものではない。通産省あるいは農林省それぞれ独自の産業政策、農業政策を進めておるわけでありますが、やはりそういうものと労働省の雇用政策というものは、これが対応して動いていくようにならないと、これからの雇用問題の解決は非常にむずかしいようになると思います。  なお、そのほかにいろいろ申し上げねばならないこともあるかと思いますけれども、一応時間が参っておるようでございますので、これで私の公述を終わります。(拍手)
  27. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) ありがとうございました。     —————————————
  28. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) ただいまの公述人の方々の御意見に対しまして御質疑のおありの方は、順次御発言を願います。
  29. 鈴木強

    鈴木強君 江幡公述人にお尋ねいたしますが、いまの日本の人手不足ですね、これをどう当面乗り切っていくかということなんでございますが、日本も年齢が非常に延びてまいりまして、女子七十二歳、男子でも六十八歳にもなっております。したがいまして、いまのような企業内においても定年制が五十五とかあるいは五十八とか、こういうふうな定年制をとっているようですれけども、   〔委員長退席、理事村山道雄君着席〕 これは私はもう少し考えて、高年齢層といいますか、高齢者対策としての適材適所な方法をやっていったら、そう人手が足らないということにならぬと思うのです。御承知のとおり、ヨーロッパあたり回ってみますと、理髪屋に行ってみると、七十歳くらいのおじいさんが、免許も何もないのですけれども。やっているわけです。ドライバーもそうです。それからドアマンというようなのもみなそうですが、日本の場合は、年をとってくると能率も下がるし、給料は高いし、できるだけやめさして若手を雇って、一人で二人分雇うという考え方があると思うのです。雇うほうには。そういう考え方を私は少し変えてもらって、大いに老年層を活用するような方法を考えたらどうかと思うのです。農業からの問題で養老年金のこともありましたけれども、向こうに行きますと、たとえば六十七歳になったらスウェーデンで五十一万円の年金がつくというような、そういうものがありましても、なおかつ働いておるのです。働くことに喜びを感じておるわけですね。私は、人間の心理というものもあるわけでありますから、この高年齢層をもう少し活用することが必要でないかと思いますが、その点についての江幡さんのお考えと、もう一つは、農業から工業への転換の場合に技術訓練なり職業訓練というものが必要になってくる、こうおっしゃいましたが、それは私も同感です。  もう一つお聞きしたいのは、日本の場合、各産業の合理化が進んでおりまして、そのために人が要らなくなって他の職種に配置転換する、こういう場合に、どうかすると、企業なりの努力はしておりますけれども、国全体としての合理化による余剰人員に対する職業訓練、再訓練、技術訓練というものが欠けているように思うのですけれども、あなたの御研究なさっていらっしゃるところではどういうふうにお考えでございましょうか、この二点だけお尋ねいたします。
  30. 江幡清

    公述人(江幡清君) 中高年齢層の就職の問題と、身体障害者の就職の問題は、私は非常に関心を持って考えているのでありますが、なかなかうまくいかないわけです。特に中高年の場合は、将来を考えましてもその楽観的ではございません。たとえば、現在各企業倒産がございますけれども、若い人はどんどんよそにはけますけれども、中年層というものはなかなかよそへはけない。特にホワイトカラーがそうです。それから将来にわたって見ましても、かりに日本生産力というものが予期されたほどに伸びない、伸びる場合でも外国との競争関係で相当合理化をしなければなりませんから、やはり若い比較的賃金の安いところに重点を置いて、一方において設備近代化投資を進める方向にいくわけです。そうすると、中高年というものは、雇うどころか、排除される傾向も出ないではない。ただ、日本企業は終身雇用をとっておりますから、無理をして定年までは首にしないということでいまつながっていると思いますが、ほんとうに海外競争が熾烈になってまいりますと、中高年層の雇用が最近少しよくなってきたということで楽観してはいけない問題があると思うのです。  そこで、お尋ねの定年の問題でございますが、要するに、定年制ということは、これはもうあらためてお話しするまでもないわけでありますけれども、若い学卒を安い給料で雇って、それをどんどん定期昇給させて、ある老年まで達するとそこでやめてもらう、そういう形できておるわけです。ところが、そのやめた人がどこに参るかと申しますと、むろんやめては生活できませんから、結局、その下請企業なり、あるいは関連産業なり、それから自分で仕事をするなり、そういう形でよすわけです。ですから、五十五歳でやめた人が一体何をしているかということを追跡してみますと、定年退職者のうち、五十五から六十歳でありますと、約八割くらいがやはりほかの企業に雇われております。それから六十から六十五くらいまでの間で、やはり四割くらいが自営もしくは就職しております。ですから、定年で五十五歳でほうり出されましても、結局ほかへ雇われるか、あるいは自分で仕事をするか、そういう形で生活をしているわけです。それでなければ食えない。ところが、自分で仕事をする機会というものがだんだん減ってまいりまして、昔でありますと、たとえば工場に三十年つとめておりまして、そこで退職金を幾らかもらって、そうしてそれを元手に旋盤を二台か三台置いて、若い工員を使って、そうして親企業に品物を納める、そういうこともできたのでありますが、最近の技術革新とか、あるいは全体に物価高、それに伴う退職金の相対的な低下というものから、自分で仕事を始めることはむずかしくなったわけです。しかたがないから、近くで見ておりますと、うちを増築して、畳一枚千五百円ぐらいで部屋代をかせぐとか、アパートをつくるとか、何かそういうふうな形の定年退職設計がふえております。  それができない場合は、まあ縁故をたどってどこかにつとめる。だから、これを半面から申しますと、定年制ということは、つまり大企業が五十五歳までの比較的優秀な労働力を自分のところで使って、あと中小企業に押しつけるというふうな社会的な形を持っておるわけです。そこで、労働力という点から申しますと、私はやっぱり定年制ということは、どうも大企業の社会的責任という点から申しますとおかしいものだと思う。少なくも国としてあるいは社会的な慣習として六十歳までは働いているのがこれが現実なんです。日本の。そういう現実が一方にありながら、五十五歳で首にするということは、どうも社会的な使命を果たしておるものとは思われない。といって、それでは会社の経営のほうにいきますと、じゃいまの五十五歳の定年というものを延長できるかというと、先ほども申し上げましたように、中高年層というものはだんだん余ってきておる。少なくも、従来の年功序列による賃金を払って中高年層を雇っておったのでは、これは非常にマイナスになるわけです。そういうことがございまして、定年制の延長には、私どもが承知している限りでは、理論としてはなるほど定年制の延長はしたい、六十歳ぐらいまでやりたいと思うけれども、現実になかなかそれにはむずかしい問題がある、これがおそらく企業の実態だろうと思います。ですから、定年制を結局延長する場合には、やはり日本現状からすれば、いろいろなそれに伴うところの企業制度その他の必要な対策というものが並行して進められなければなかなか一挙に延長というのは困難であろうと思います。しかし、段階的に延長していくのが、これはやっぱり各企業とも考えておるように思います。で、お尋ねのように、若年労働力がとれないから中高年層の定年を延長する、そこまでの段階には、中小企業は別にいたしまして、大企業では至っていない、そこに一つの問題があるわけであります。  それから再訓練の問題でありますけれども、私、先ほど農業のほうだけ申したのですが、これは非常に必要なことだろうと思います。現在、再訓練は各企業及び国と両方でやっておるわけでありますけれども、これはもっと精力的にやる必要があるのではなかろうか。これだけ人手が足らないとか、あるいは逆に人手が余っておるといいながら、百数十万の技能者が足りないとか、つまり一方において潜在的な失業者あるいは不完全就業者がおりますのは、社会、経済が要求する技術、技能、そういうものにマッチする技能というものがないということから起こるわけですから、これは当然やらねばならないと思います。そういう点で、これは国の施策はむろんでありますけれども、同時に各企業においても、それからまた私は労働組合のほうにおいても、もっと精力的に職業訓練の問題に取り組んでいただいたほうがよろしいと思うのです。アメリカの組合を見ておりましても、まあ組合の形態、成り立ちが違うからでありますが、結局組合自体が職業転換のための訓練を行なうことによっていわば一種のユニオン・ショップ的なコントロールの役割りを果たしておるわけです。そういうことを考えますと、日本は事情が違いますけれども、もっともっと職業訓練というものの必要が大きいと思います。
  31. 加瀬完

    ○加瀬完君 小澤先生に伺いたいのでございますが、一点は、いま問題になっております水道料金の問題でございますが、政府も社会開発ということを取り上げて、わけて上下水道の整備などということをうたっているわけでございますから、水道設備の拡充などの財源というものは、これは利用者に負担をさすべき筋合いのものではありませんで、当然政府財源の方法というものを考慮するのが筋ではないかと思うのでございますが、この点の御見解を承りたいと思います。  それから第二点は、先生御指摘のように、最近、人件費の膨張というものが非常に地方財政を圧迫しているわけでございますが、この人件費の膨張も、この前の二十九年度前後の赤字とは性質を異にいたしまして、地方では、人件費が一応国の基準以上に無制限に膨張をしてそのために赤字になっているということではございませんで、むしろ、国の委任事務あるいは国のもろもろの事務の延長というものが地方にかぶさってきてそのために人員を必要として人件費がかさむ、あるいは、高度成長の基盤強化のためにいろいろの仕事がかぶさってきて人員が膨張して人件費がかさむ、こういう傾向が強いのではないかと思うわけでございます。また、一面、社会開発なりあるいは行政水準の向上ということで人員を要するという点もあるわけでございますから、当然、こうなってまいりますれば、人件費を裏打ちするところの財源というものもこれもまた国のほうで相当考慮する筋合いのものではないか。国の地方に対する財源が枯渇をしてまいりますと、いつでもそれを人件費の膨張による点に転嫁をいたしまして、人件費を削ってアンバランス調整しようという傾向が強いわけでございますが、こういうことを繰り返しておりますれば、地方の行政水準というものはいつまでたっても上がらないわけでございます。今度の人件費の問題も、交付税にいたしましても、国庫支出金にいたしましても、もっと政府のほうで財源を考える筋合いは一体成り立たないのかと、こう私は疑問を持っているわけでございますが、その二点についてお教えをいただきます。
  32. 小澤辰男

    公述人(小澤辰男君) 第一点の水道料金の問題でございますが、さっき申し上げた中で、特にいま東京につきまして水道料金六四%、下水道五四%というようなかなり大きな値上げ案が出されておりますので、それに関連しまして、いわば高度成長の結果として産業と人口が大都市周辺あるいは大都市の中に集中するという現状のもとで、いわば飛躍的に水道建設事業を拡充しなければならないというようなときには、一般理論でいうところの料金で長期にわたって建設事業費も大体まかなわれるようなたてまえをつくるということは非常に困難ではなかろうか。短期集中的な水道需要に対しては、時限立法でもつくって国が財政援助をするということはどうであろうかと、そういうふうに申し上げたわけでございますけれども、それともう一つは、たとえば公営企業の中でも工業用水道には地盤沈下を防ぎ製品の原価を下げるという意味で大体二割五分、下水道には七%ほどの国庫補助が現在あるかと思う次第でございますけれども、国民経済的に見ますれば、水道のほうがより一そう国民の命をいわば大事にするという見地から見ますると、やはり少なくとも制度上同じような意味においていわば公平に国庫補助金を考えるということも一つ考えられていいのではないか。それから、いわば普通会計から公営企業会計への繰り入れに関しまして、何らか、たとえば出資金というような制度でもう少し制度化するというようなことも考えていいんではなかろうか。もし地方行政というものが公共行政であるとしますれば、いわば多くの人々の問題を扱う水道行政につきましては、かなり税金からの援助ということは必要になるのではないか。特に高度成長のひずみ是正ということでいよいよ社会開発が取り上げられているという場合には、やはりこの制度的な仕組みについてもう一ぺんメスを入れたほうがいいのではなかろうかというようなたぶん御意見だろうと思うのでございますが、私もそのようにしたらたいへんいいのではないかと思っております。  それから第二点の人件費の問題に関してでございますけれども、ちょっとはずれるかもしれませんが、三十九年度の自治省の推計によりますと、国庫補助金に伴うところの言ってみれば超過負担が大体八百六十三億円ある。これは厳密に超過負担とは言えないかもしれませんが、大体そういう推計が出てございます。このうちでたとえば補助職員の単価が低いためにやむを得ず地方が負担しなければならないというようなものが百四十億円というような数字が出てございます。このように、国の補助職員一つとりましても、地方の人件費が高いからということではなくて、一般人件費問題に関しましてはなかなか一義的に論じられませんで、たとえば地方の職員と一口に言いますけれども、いわゆる一般職員というのは二〇%、大体七十五万人くらいかと私記憶しておりますが、そんなものでありまして、あとは義務教育の教職員、それから高等学校の先生、それから警察官というようなものでありまして、人件費と申しましても、これはどうしても事業費の性格が多い。それから現在どうしても地方の職員は、ある程度給与をよくしませんと寺実際上有能な人材が得られない。それから国家公務員ならある程度言ってみればほかの職への移動もきくというようなことがありましょうけれども、地方職員はその地域で暮らすわけでありますから、ある程度老後も含めた相当な生活をでき得る条件でありませんとまずいのではないかということがあると思うわけであります。そして、職員費につきましては、地方交付税の基準財政需要額のほうの計算というようなものを今年度につきましてはまだ私詳しく拝見しておりませんけれども、やはりかなりこれの計上額が低いのではないかというふうに感じられますので、人件費につきましては、御質問の国のほうの事務の押しつけに伴うところの人件費負担、この問題はまた別にかなり大きなものがあると思いますが、これの数字につきましては十分な資料を持っておりませんけれども、やはり事務費負担というようなことから考えましても、ある程度人件費の地方における持ち出しというようなこともからんでおりましょうし、これなどももう少しここで実態調査をそのような意味でやったほうがいいのではないかというふうに考えます。人件費の具体的な数字につきましてまだあまり詳しい資料を持っておりませんので、御質問に対しまして十分な答えにならないかと思いますが、大体そのようにお答え申し上げたいと思います。
  33. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 小澤先生に一点お伺いしたいのですが、それは今後の地方財政計画の基本に関する問題ですが、先ほども御公述の中にあったのですが、国と地方との事務の再配分が基本になければならぬと思いますが、税制調査会が答申しましたわが国の基本税制のあり方の中で地方税について触れておりますが、やはり将来は地方税収入の五〇%ぐらいは地方自治体に収入を確保させる、そういうような答申があるわけですね。現在は大体三四%ぐらいと思いますが、五〇%ぐらいは確保する。それについて前に税制調査会の小委員会ですかで自治省がそういう提案をしたことがあるようでありますが、小澤先生も何かに書いておられたように、たばこ消費税とかあるいは所得税累進税率の一番低率の八%ですかを地方に移譲するとか、あるいはたばこ消費税とかあるいは法人の所得割りを地方に、そういう点と、もう一つは私は交付税につきまして、これはひところとたいへん情勢が変わってきておりますので、この交付税について根本的にやはり考え直す必要があるのじゃないかと思うわけです。と申しますのは、地方税制が平衡交付金から交付税制度に変わりましたが、その後自然増収がずっとあったものですから、三税の二八・九%、今度は二九・五%になりますが、あの一定の税率でやっておったわけですよ。ところが、今後、国税もそうですが、地方税もかなりいままでのようなたくさんな自然増収が期待困難になると思うのですね。そこで、やはり交付税もここで交付税のやり方を何か再検討をもう一度する必要があるのではないかというような気もするのですが、原則としては、前の平衡交付金の精神、原則がいいのじゃないかと思うのですが、こういう点について、将来の地方財政計画についての基本の問題についてもう一度伺いたいと思います。  それから江幡先生に伺いたいのですが、所得政策と雇用問題ですね。最近、経済企画庁長官は、所得政策というものを盛んに言い出し、また、生産性本部でも郷司浩平さんなんかが中心になって盛んに言い出してきております。いまの現状で所得政策をやりますと、いまの江幡先生のお話によりますと、雇用問題のほうがそれより先であって、その雇用問題を解決しないで所得政策を先行すると、むしろ逆に雇用問題のほうが何か障害があるような気がしたのですが、労働力の流動性とかいろいろな点について、この点をちょっと……。  それから時間短縮の問題ですね。これは欧米あたりではどうなっておるか。非常に生産性が上がっておりますし、高度化しておるんですね。時間短縮の問題がやはり雇用の緩和の一つのあれになると思うのですが、しかし、実際問題としてずいぶんむずかしい問題もあるのじゃないかと思いますが、なぜそれが日本なんかこれだけ労働不足がことに若年層で問題になっていて、時間短縮の問題は経営者のほうだってこれは必要になってきているのじゃないかという気もするんですよ。労働組合でずいぶん時間短縮の戦いをやりますけれども、しかし、きわめて成果があがっておらぬ。  この二つの点について御意見をお伺いいたしたい。
  34. 小澤辰男

    公述人(小澤辰男君) 木村先生の御質問の点、第一点の地方財政計画の根本的な考え方につきまして、特に税制調査会の長期税制答申の中における地方歳入の中に占める地方税を五〇%にするということを目途としていわば財政計画をもう一回根本的に立て直す必要があるのではないか。これにつきましては、私も先ほどの公述の中で、大体そのような方向にすることがやはり地方自治というものを維持するならばどうしても必要になるのではなかろうかということを申し上げましたので、全く木村先生のおっしゃるとおりだと思います。  それから交付税についての考え方でありますけれども、交付税につきましては、御存じのように、二十九年に国税三税の一定割合ということに変わり、その後の実際の基準財政需要額の計算のしかたは、残念ながら高度経済成長政策に伴う公共投資の充実ということにどうしても引きずられますので、額が固定されておりますから、比較的投資的経費のほうを重く見るということになりまして、勢いやはり投資的経費のほうへ回されてしまう。そしてその投資的経費というのは、残念ながら、おくれた後進地域のほうに回るというわけにいきませんので、事の性質上、高度経済成長政策が続くということは、どうしても先進地域へ財政需要が集中するということになりますので、交付税の配分機能が比較的弱まってしまっておる。したがって、たとえば先進地域である程度国庫補助金で仕事ができるようなところ、それから地方債でやってもある程度借金が返せるようなところ、そういうところは、そちらのたとえば財源を比較的重く見て、交付税の本来の機能をもう少し強く発揮させる。四十年度あたりからは幾ぶんか少し後進地域のほうへこの財源配分がいくように努力するというようなことがなされておるようであります。  まず第一点のほうの税収入を五〇%にするということにつきましては、どうしてもまあ増税になってはいけませんので、国税を地方税に移すという昨年十月の自治省の二千八百億円移譲案というものを行なうために、国庫補助金の整理ということが伴わざるを得ない。事実、たとえば義務教育費の国庫負担金は、一度地方財政平衡交付金に繰り込まれたことがあったのでありますが、どうも教育費のほうの費用が維持できないので、結局これは国庫負担金のほうへ持っていったというような経緯もございますので、そういう意味から申しましても、やはりこの際ここで相当中央、地方を通ずる財政改革というようなものを考えないとうまくないのではないかというような感じがいたします。
  35. 江幡清

    公述人(江幡清君) 所得政策でありますが、これは申し上げるまでもなくインカムズ・ポリシーでありまして、単に賃金だけではなくて、会社の利益、利潤、そういうものを含めて言っておるわけであります。   〔理事村山道雄君退席、委員長着席〕 そこで、経済企画庁長官やあるいは生産性本部の最近決議しました所得政策がインカムズを含むものかどうかはっきりいたしませんけれども、おそらくはやはりインカムズの中の一つとしての賃金のほうに重点がおかれておるんじゃなかろうかと思います。そうなりますと、問題は賃金の騰貴が、上昇が全体の物価を上げ、さらにインフレーション的な方向にもっていくんじゃなかろうか、これがやはり所得政策が必要であるかどうかという判断になると思うのでありますが、その場合、一つ条件として、賃金が物価を押し上げるためには、やはり全体完全雇用であって、労働組合の団体交渉力が非常に強い。したがって、生産性をもってはそれをカバーできない。そういうふうなことが労使間だけについて見ますと言えると思います。ところが、日本はいま完全雇用かと申しますと、まだそこまで参っておりません。御承知のように、二重構造は非常に残っておりますし、それからまた、中小企業のほうには労働組合もないところが多いわけであります。賃金交渉力というものはそう大きなものではございません。でありますから、賃金だけについて見る限り、そちらのほうから所得政策を実施しなければならないというにはまだ段階が早いわけです。  それと、いま一つ申し上げますと、従来の日本の賃金、特に三十六年から年間一〇%以上上がっておるわけでありますが、それまでは六、七%でありますが、大体において、これまでは生産性の上昇をもって吸収されたように思います。それと非常に皮肉なことを申しますと、大体において日本の従来の賃金上昇というものは、政府が毎年経済を見通して見込んでおった額をそう上回るものではない。アメリカの場合に、よく御承知の前のヘラー委員会でありますか、大統領諮問委員会で三・五%ですか、そういうふうな賃上げのガイドポスト的なものを出しておりますけれども、日本においても、いわば政府経済計画、あるいはその他労働委員会のあっせん、そういう形を通じてある程度の所得政策的なものが私は行なわれておるように思います。逆説的な言い方でありますけれども。  それからいま一点の労働時間短縮でございますが、確かに経営者のほうは熱心でない面があろうかと思います。特に、日本の場合は非常にオーバー・タイムというものが長い。オーバー・タイムという形でそのときの仕事の繁閑に応じて変動し得る労働力を持ちたいということがございまして、オーバー・タイムが長いわけであります。したがって、オーバー・タイムをまず減らしてから既定の労働時間短縮というようなことを言っておるようでありますが、この問題には二つの側面があるわけです。一つは、やはり開放体制になりまして海外との競争が相当激しくなってまいります。で、そのため海外からは労働時間を先進国並みに短縮の方向にもっていくべきである。そういう強い圧力があるわけであります。ですから、よく電気、機械関係あるいはカメラ関係、そういうところで週休制をふやすとか、あるいは労働時間を短くするとか、そういうことが行なわれておりますが、これは実は労組の圧力といいますよりは、むしろ海外の商社、あるいは産業、あるいは一般の労働者、そういう方向からの圧力で、あまり長い労働時間をやって、長い労働時間でつくった品物では売れない。そういうふうな圧力から時間短縮が行なわれておるわけであります。で、この問題は、今後もやはり強くなってくると思います。同時に、労働組合のほうからもやはりそういう問題が出てくる。それといま一つ、これは私の余談でありますけれども、一つだけ考えておいてよろしいと思いますのは、非常に日本人は長い時間を働くわけです。しかし、考えてみますと、人間の一生というものは非常に長いのでございまして、そんなにどしどし働いてそして早く消耗してしまって、早い定年をとって、そして早く死んでしまう、そういうことよりは、むしろゆっくり働いて、そして長く働く、そういうふうな生活環境がこれからはだんだん強くなってくると思うのです。いわゆるヨーロッパ的な生活観でありますが、そういうことも労働組合の方は考えるべきでございましょうし、それと時間短縮の一番大きな問題は、なるほど時間を短縮することはわかっておるのでありますが、実際にどういうふうなやり方で短縮するか、つまり短縮の技術的な側面といいますか、こういう問題が非常にむずかしいわけです。そのためにお互いに短縮の方向は一致しておっても、どういう方法で短縮するかということが労使間の非常に大きな争点になっておるように思います。だけど、今後はいずれにいたしましても時間短縮の方向に、生活態度からいたしましても、あるいは海外との競争関係からいたしましても持っていかなければならないことは間違いないと思います。     —————————————
  36. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) 次に、十二村吉辰公述人にお願いいたします。
  37. 十二村吉辰

    公述人(十二村吉辰君) 私は学問も常識も人並み以下の炭鉱の鉱夫でございますので、したがいまして、今回御指名をいただきました国民生活並びに物価問題というむずかしい問題を、諸先生方に適切な解明をできる能力はいささかも持っておりませんが、五百三十万人の組織を持っておる生活協同組合の責任者として、物価問題、生活を守る仕事を今日まで続けてまいりました過程で、骨身にこたえた、なお、こうしていただきたいという問題点を数多く持っておりますので、ヨシのずいから天井をのぞくような立場から御説明を申し上げたいと思います。  まず第一に、本年度予算案が、かつて池田前総理が、高度経済成長政策は、多少の物価値上がりはするであろうが、所得は倍増するのだという印象が、われわれ消費者の所得が倍増するような印象を与えておきながら、いつの間にかその所得倍増はあらぬ方向に蓄積されたのでないかと思います。そういうわれわれは苦い、政府に対する一つの失望感をいだきながら、昨夜、池田総理の衣鉢を受け継がれた、人づくりからなお社会開発を基調にされておる佐藤総理のゆうべのNHKの国民と語る、この座談会において、皆さんはぜひとも議会政治に信頼をしていただきたい、こう申した。そして議会と国民との結びつきをより人間的に深くすることによって、皆さんの期待をだんだんとこれを蓄積しながらおこたえするとおっしゃっておりながら、今日お集まりの議員の先生が自民党かあるいは保守党の方が、ぼくはこの辺が境い目でないかと思いますが、たった二人しかお見えになっておらぬ。これがほんとうに議会と国民が一体になって、主権在民のほんとうの議会政治として私どもが理解していいのか、あるいはこれに疑念を持っていいのか、いささか本日、公述人として迷う次第でございます。  そういう前提におきまして、本年度予算案が真にわれわれの期待におこたえしていただけるかどうか、私は国民生活と物価の問題の一端だけを申し述べてみたいと思います。  まず第一に、値上がりの根本的な原因は、これは学者におまかせしたいと思いますが、当面の問題を私は指摘してみたいと思います。たとえば、本予算案の中において昨年度の予算と比較をしてみますと、住宅対策費は約二四%増になっておりますが、われわれ生活協同組合の調査によりますと、実際の戸数の増加はわずか七・六%にすぎません。この七・六%の増加は、少なくとも土地の値上がりでなかろうかと思います。決して賃金が——いわゆるコスト・インフレで、企業家の方がおっしゃられるように、賃金が上がったコスト・インフレではなくて、むしろインフレの方向は他にあるのではなかろうかと思います。この七・六%を八%と見ましても、あとの一六%というものは、単なる念望としてわれわれに精神的な期待感を与えるだけであって、実態は住宅としてこれが増加されていかない。これは少なくともこの住宅地値上がりの原因がどこにあるかは、諸先生が一番御理解が深いのではないかと思います。値上がりの原因をどう排除するかが、これが私どもが期待する政治であり、権威ある行政でございます。この原因、物価が値上がりしておる原因に何ら手を打たれておらないということは、端的に、卑近な例で恐縮でございますが、地主に税金を賦課するときは時価の何分の一かで評価して、そうして他方において公営住宅地として土地を買うときに、地方自治体においては、この土地を税金査定の価格よりも何倍か高い価格をもって住宅の予算が計上される。言いかえると、政府はわざわざ地価を安くしてそうして査定しておきながら、政府みずからがお買いになるときはこれを高く買うということが、少なくとも単に土地の値上がりだけであるならば、私は今日公述の必要はなかったと思いますが、これが氷山の一角であって、このような方向が高度経済成長政策の国民の期待の陰において、政治と行政がこの形においてなされたとするならば、国民は一体、昨夜、佐藤総理がおっしゃられた議会政治の信頼をどこに求めたらいいのか、私はいささかこの点に迷うものでございます。このように物価が——たとえば公共料金の問題にしてもそうでございます。一体、われわれは源泉課税をもって支払い、あまり新鮮でない汚染された空気を吸って、私どもは住民税を払っております。少なくとも空気を吸ってというのは極言かもしれませんが、一定の空間を利用することによって住民税を払うということは、一定の居住権を持たない人は住民税を払っておらないので、私の申し上げることは詭弁ではないと存じます。このような重い税金の重圧に苦しみながらも、いつかは私どもの衣食住の人間生存の最低の保障は、政治によってつくられ、行政によって育てられて、そうしてあたたかい、われわれは少なくともこのさみしい住宅状態から解放されるのではなかろうかと期待をかけまして、今日までわれわれは旱天の慈雨のごとく待っている国民の一人でございます。  一体、政府は、住宅をもっととにかく多くふやすといいながら、次々に公営、あるいは公共の公社、ないし事業団、今度また仄聞するところによれば、住宅供給公社がつくられるやに伺っておりますが、この住宅供給公社が地価値上がりの公社にならなければ幸いだと、われわれは期待しております。これは一体日本の国土が、所有することによってとうといのではなくて、利用することによって、私は経済価値が確保されるのではなかろうかと思いますが、いつのまにか土地が商品学の範囲の中で論議されているやにわれわれはべっ見するものでございます。これを裏づけるように、ネコの額ほどの農耕地しか持っておらない東京都練馬区の農協が、日本一の貯金高を保有しているということは、あざやかにこの問題を実証しておるのではなかろうかと思います。こういったように、私どもが申し上げたいことは、本予算案がいかなる決意を持って実行されるかに大きな期待をかけておりますのでございまして、決して私ども炭鉱夫ふぜいが、この間口の広い奥行きの深い予算案に対して、このようになしていただきたい、このようになるんだろうという推定によって御意見を申し上げておるのではございません。過去の行政の経過、政治の結果に対して私どもは申し上げておるのでございます。  さらに、国民生活にとって非常に重要な保険三法は改悪され、さらに最もわれわれが現在苦悩しておるのは、道路のこの交通問題でございますが、この問題に対してもう少く真剣な手が打たれるならば、一体、土地がないといって、そうして四畳半の陋屋の中で一家六人がざこ寝をして、そうして母親の乳ぶさによってみどり子が圧死している。これは人が人間を殺しているのじゃなくて、住宅不足がとうとい母性愛を私は犠牲にしているのではなかろうかと思います。これは諸先生方が愛すべき選挙民であったことを深く私は銘記していただきたいと思います。他方、一千万円もするようなキャデラックが道路にゆうゆうとのさばっておる、この中に運転手が住居がなくて眠っておるならば、私は今回このようなお話を申し上げる意図は毛頭ございませんが、一体この問題をどうすべきなのか。人間尊重の精神、基盤が国民的ヒューマニズムの所産に立たないとするならば、一体、池田前総理が公約され、それを継承されました佐藤総理の人間尊重は、少なくとも私どもの見る限りにおいては、ドンキホーテが風車に向かって挑戦し、ハムレットの立場に国民があるという、そういう悲劇と喜劇が日本の現実ではなかろうかと、私はあえて今日公述人として指摘することを許していただきたいと存じます。  そこで、私はこの対策についていささかの所見を述べさしていただきたいと思います。まず第一に、この間、問題になりましたアンプル入りのかぜ薬の問題でございます。このかぜ薬が臨床学的に人体にどのように影響を及ぼすであろうということは、国際的な医学の水準に達した日本の医学が十二分にタッチできると私どもは理解しております。それが生体実験によって初めて販売禁止がなされております。このような事実が、国民を守り、さらに物価を安定さして、国民生活をだんだんと逐次漸増的にこれを確立するという政府意見とは、まさに逆行しておる。たとえば一昨年衆議院において問題になった中性洗剤、この本は少なくとも権威ある学者によって五千部出版されている。人体に及ぼすであろう毒害というものは二つの学説があるやに聞いております。そのことはしろうとの私がこれに対してとやかくの批判をする知識もございませんので省略いたしますが、少なくとも東京都立の衛生試験所の権威ある学者によってこれが発行されております。これがまた漸次スローモーに生体実験の方向に、われわれはモルモットのかわりにされておらなければしあわせだと思っています。少なくとも、この保護官庁として、厚生省がわれわれの血税によって——そのためにこそわれわれはどんな重圧にもあるいは高税にも歯を食いしばってがんばっておる。それが毎日新聞の二月下旬の発表によりますと、厚生省の薬事課におつとめになっておられる方の先輩の方が、君たちはもっと真剣になって、医療行政の権威を、君たちの若さによって何とか権威ある方向にやってくれという、そういう一つのテコ入れがあったことが毎日新聞に出ております。  こういう点からいって、私は政府の施策、行政は、すべて事前対策に重きを置かずに——置いておるのかもしれませんけれども、われわれしろうとですから理解はできませんが、事後対策であって、真に国民の保健衛生、かおり高き生活、これを育成強化するという基本的な姿勢とは、およそかけ離れた立場においてなされておるのでないかと思います。こういう点はぜひとも今後は、日本のすぐれた科学をもって十二分に見きわめていただきたいことが一つ。  次に、物価の問題は、いろいろの原因はあろうかと思いますが、われわれは専門的な学問がないことは前示したとおりでございますのでよくわかりませんが、少なくとも管理通貨政策は——どうしても私どもは貯金すると、昨年一万円貯金をした、そうして物を買おうとしたが、もうちょっとためてから買おうとしたならば、一割ないし二割、九千円ないし八千円に貨幣価値が下がってくる。言いかえると、極言すると、われわれは毎年毎年何%かのにせ札によって、そうしてわれわれの家計が苦しめられておる。これは学者の先生にお伺いしたほうがよろしいだろうと思いますが、私は、ヨシのずいから天井をのぞく思いつきから、耳学問から判断する。第一次欧州大戦から第二次大戦の間に、いつの間にか兌換券の金本位性は単なる通貨管理政策になっております。したがいまして、日銀の毎年毎年のこの貸し出し残が、国会においてきわめて真剣に論議されておるやに聞いております。これを裏づけるように、高度経済成長政策をおとりになった昭和三十五年が、日銀の貸し出しが五千億円をピークとして、それ以前は三千億円台でございましたが、三十六年からは一兆円をこえております。われわれ生協の経済学からいっては、これは焦げつきです。一体これがもしも裏づけするところの金なり何かがあったならば、少なくとも日銀の紙幣発行はもう少し真剣にこれはお取り上げになったと思います。もし金本位制がとれないとするならば、国家権力の強力な管理が必要だと思いますが、国家権力は、先ほど住宅の問題で申し上げたとおり、われわれはとうていこれに対して期待はかけられないのが現状です。そうしますと、われわれは常に乏しい菜っぱやあるいはパンと四つに取っ組んでおる立場から申し上げるならば、経済憲法を強化していただくほかないではなかろうかと思います。  たとえば、渡辺公取委員長は、ナイロン系売価はまさにカルテル価格の見本みたいであるということを指摘されております。一体これは何を裏づけしておるのか。運輸業者がお金がたまったら、デパートの流通部門にこれが進出して、さらにこの資本蓄積が結果において、貯金をして蓄積しておくと、いつの間にか貨幣価値が下がるので、余儀なくまた他の食品工業に投資する。一九三二年に、日本ではわずか百二十万トンの薄鉄板の需要に対して、ストリップミルの機械を五台入れております。一体、フルに操業するならば五百万トンの薄鉄板が生産されるにもかかわらず、百二十万トンのこの薄鉄板の需要た高めるために、浪費ムードへ転化されまして、昨年度の日本の宣伝費の給額は三千九百億円でございます。これは本年度予算に引き比べますと一〇%以上の宣伝費が使われておる。耐久消費財は鉄板でなくちゃならぬといったふうに、次々にこの開拓の方向へ浪費ムードと宣伝費をもって、そうして一路われわれの乏しい家計をさらに苦しめてきておる。こういう点からいって、ぜひとも企業の独占形態——重電メーカーは弱電メーカーをやってならぬといったような経済憲法によって、ある程度のコントロールをしていただきたいと思います。これは当面の暫定対策としてぜひとも御検討を願いたい一つでございます。  次に、公共企業。さらに、この料金が非常にわれわれは納得できないのでございます。たとえば都内の赤電話が、使用のたびにあそこで管理されておる方が三割、市外にかけると五割、東京都内の最も高率な赤電話は、ただ一個で三万円から五万円の利益があるそうです。間口六尺、奥行き三尺あったならば、私は五台赤電話が置けるのではなかろうかと思います。最低線の三万円のところに線を引いたとして、三、五、十五万円の利益がある。そうしてここにおいでになるお嬢さんかあるいは管理者は、さしてわれわれ公衆に対してさほどのサービスをなされておらないと思います。この電話設備が、買い取りでもなければ何でもなくて、これは委託業務である。この委託業務は、ある建物の軒下を借りて企業が成り立つ。貸した企業がもしもこれが商業者であるならば、何百万円かの投資をして倒産、破産の方向に追い詰められており、片や赤電話一台で十二分に経営が成り立っておるところに、公共企業が真に公共性を発揮しておるのかどうか。民間企業と私どもの生活の実態、この三つを比較検討していただくならば、われわれのどうしても解けない疑問の一つでございます。  それで、対策として申し上げたいことは、非営利団体である農協、漁協、生活協同組合の経済力を、これを一体化するために根拠法をつくっていただきたいと思います。協同組合基本法を制定しまして、これを母法にしまして、特別法を生産信用、消費、金融としまして、流通秩序をこの非営利団体である生協、農協、漁協、あるいは農林中金、労働金庫のこの金を一体化しまして、これが流通部門に対して政府の施策である物価政策にどのような経済効果をもたらすかどうか、これが一点。さらに、公共企業が真に地価の問題、いわゆる住宅に密接な関係のある、物価の中において重要な位置づけを占める地価その他について、公共企業体のこの流通段階に対する経済効果と、それから純粋に利潤追求を本意とされておるこの営業体と、この三つが真にどのような経済効果を果たすかをひとつ御検討願って、そして今後の流通部門における——消費者が単に国会やあるいはそれぞれの審議会に私どもが陳情、嘆願するだけではなくて、経済行為ができるようなそういう政策も御検討願いたいと思います。  次に、一番最後に、ないそでは振れないというならば、衣、食、住の三原則は、少なくとも日本の国土の中にあるものをこれをひとつ御研究願いたいと思います。日本にあるものは山、そして石炭、石灰岩、そして空気、そして台風による水、少なくともビニロン繊維は短繊維のために長繊維のナイロンに抵抗できないのです。私は、少なくとも現代の科学をもってするならば、ビニロンだけが長繊維にならないという、どこかに問題があるのでなかろうかと思います。これは石炭の硫安をつくる液化途中から出たこの廃液をもってビニールを長繊維の方向に開拓することによって、吸湿性があり保温性がありますから、これはおしめにもなり毛布の代用にもなりますので、これをひとつ御検討願いたい。  そして次に食の問題。日本は脊梁山脈によって九割は占められております。この九割の脊梁山脈は少なくとも裸山で、緑したたる植林政策はぼつぼつでございます。これを食の生活に対して、米麦依存度より乳製品、パン食の方向へ年次計画をもって逐次これを積み上げていく、そうしますと、少なくとも傾斜十度まで牧草をつくって、ここに牛と綿羊、ヤギを追い上げて、そして低地農業から高原農業の方向へ、さらにビートをつくって、このビートをもって、百五十万トンの年間砂糖の消費を逐次ビートから、あるいは太平洋の黒潮圏内にキビをつくることによって、逐次日本の砂糖政策国内生産の方向に切りかえ、そしてこのビートのかすは濃厚飼料として乳牛やあれに使う。これによって逐次日本の米麦依存からパン食の方向へ開拓していただく。  次に住の問題でございます。五十年たたないと役に立たたないような木材に依存することは、もはや歴史の次元からいっていささかパイオニアの精神が足りないのでなかろうかと思いますので、硫酸アンモニアをつくる廃液から出はタールをもって、一方はドリゾールをつくって半耐震耐火の建築材にする。一カ月か二カ月にできると思います。そして一方のタールは、北海道から九州までのアスファルトを石油ピッチから石炭ピッチに切りかえていただく。そして奥地林道を開発して、少なくとも神武以来の木材を当面の住宅施策に回していただく。そのためには治山治水、風致尊厳の最小限度の線を維持するに足る政策をとっていただいて、あとは草を植えていただく。これによってもはや——私ども炭鉱の坑夫、生協の一役員の言っていることは、まさにヨシのずいからの思い上がりの考えとは思いますが、私どもはこれほど現状打破に真剣になっておることの一端としてお聞き取りを願いたいと思います。  さらに、最後のお願いとして申し上げたいことは、国民的ヒューマニズムの観点に立った人間尊重の政治が佐藤総理によって行なわれるならば、ただ一つだけは本日の公聴会の記念としてお願いしたい。学校の狭き門は、授業料やあるいはその他の問題もございましょうが、目的校にもしも落第したら困るという親子の心配のあげく、三つ四つの学校に受験料を払う。この受験料が学校の試験を受けなくとも一〇〇%いただかれてしまうということは、一体日本の今後の若き中核体をつくる学校において、人つくりの最も神聖であるべきこの学園の玄関口において、いやすことのできない傷を受けた学生のこの傷が、いついえるでしょうか。国鉄あるいはその他の公共企業体において、予約した切符をもし使用しなかった場合は、事務手数料の実費を取って、そして残りはわれわれに戻してくれます。なぜ経済的能力もない、親のすねをかじっておる学生に、こんな裏切り行為を行なわれているのか。純真であるべき学生が、真に次代の国家を背負っていく人つくりの精神基盤がつくられるかどうか、この点だけは一つだけ公聴会の記念としてぜひともなくしていただくことをお願いしまして、私の公述は終わりたいと思います。(拍手)
  38. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) どうもありがとうございました。     —————————————
  39. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) 次に、林文樹公述人にお願いいたします。
  40. 林丈樹

    公述人(林丈樹君) 私は東北大学大学院学生の林文樹です。参議院予算委員会公聴会公述人の一人として私が選ばれ、この席において昭和四十年度予算について意見を述べることができますことはたいへんうれしく思います。と同時に、私に意見を述べる機会を与えてくださいました方々に深く感謝いたします。  本論に入ります前に、今回の参議院予算委員会公聴会公述人一般公募について一言希望を述べさせていただきます。私は、今回の公述人一般公募を三月五日の朝刊で知りました。ところが、申し込みの締め切りは六日後の十一日でありました。私は郵送に要する日数を速達で二日と見、四日で応募文をまとめなければなりませんでした。したがって、私は資料も手元にあるだけで書くことしかできませんでした。私は公述人の決定を十三日の夕刊で知りました。私は仙台に住んでいます。予算委員会からの資料は翌日の十四日に受け取り、公述人決定の通知は翌十五日に受け取ったのであります。ここでもまた私は時間のないことに悩まされたのであります。したがって、私は、本日の公聴会資料を十分用意することができませんでした。そこで、私のお願いでございますが、公聴会を開く一カ月ぐらい前に公聴会を開く旨を国民に知らせ、公述人を早く決定し、公述人が十分に勉強できるようにしてくださることをお願いします。  さて、私は、この席において、特殊教育の振興及び低所得家庭児童生徒の大幅な就学援助を訴えたいと思います。私は、文教についていまだ十分な識見と経験を持ち合わせておりませんが、教育行政を学ぶものとして、精神的、肉体的及び経済的なハンディキャップのゆえに教育を受ける機会を与えられていない学齢児童生徒にかわり、私は、昭和四十年度予算について意見を述べたいと思います。  私は、精神的、肉体的及び経済的にハンディキャップを負っている児童生徒及び親が、この予算を見てきっと落胆したであろうと思います。なぜなら、特殊教育予算及び低所得家庭児童生徒の就学援助費があまりにも低額だからであります。  まず、私は、特殊教育予算から考察していきたいと思います。  政府は、昭和四十年度文教予算のうち、特殊教育の振興費として、昭和三十九年度より約一・二億円増の六億円、そして公立養護学校の充実をはかるために、養護学校教育費国庫負担金として昭和三十九年度より約二・五億円増の一〇・三億円、合わせて特殊教育予算はわずか一六・三億円しか計上されていないのであります。一体こんな少額な予算で何ができるというのでありましょうか。わが国は、明治五年に学制が発布されて以来、教育の振興は多くの先駆者によってなされ、三十年後の明治三十五年には義務教育の就学率の男女平均は九〇%をこえ、大正十年には義務教育の就学率の男女平均は九九・七%と普及し、義務教育は高いピッチで成長してきたのであります。そして昭和三十九年度におきましては、義務教育の就学率が九九・九%と高い水準を示すまでになったのであります。しかしながら、この義務教育の就学率を評価するにあたり、注意しなければならない点が二つあります。その一つは、経済的理由により就学困難な児童生徒の教育であります。もう一つは、心身に障害のある児童生徒の教育についてであります。前者、すなわち、経済的理由により就学困難な児童は、ごく最近まで就学の猶予または免除がなされていたのであります。したがって、彼らは教育を受ける機会を閉ざされ、野放しにされていたのであります。ある子供は一人前として働き、家計を助け、ある子供は暗い道を歩くことを余儀なくされたのであります。彼らの教育の機会を奪っていた法が改正され、経済的理由により就学困難な児童に対しても、就学義務がなされるようになりましたのは、昭和十六年の国民学校令においてでありますから、それまでの義務教育の就学率九九%という数字は、学齢児童の一部の児童の就学率にしかすぎず、正当な就学率と言えるかどうかは疑問なんであります。ところが、明治五年の学制発布から九十三年を経過した昭和四十年の今日においても、いまだ義務教育の就学率にも入れられず、教育を受ける機会を与えられていない児童生徒がいるのであります。彼らとは心身に障害のある児童生徒であります。彼らは生まれる前、あるいは生後何らかの原因で心身にハンディキャップを負うようになったのであります。心身に障害のある児童生徒の教育は現在どのような状態にあるのでしょうか。昭和三十九年文部省が発表した教育白書「わが国の教育水準」を参考にして、 特殊教育該当児童生徒数、特殊教育への就学者数及び就学率を、(一)、盲及び強度の弱視、(二)、ろう及び強度の難聴、(三)、精神薄弱、(四)、肢体不自由、(五)、病弱及び身体虚弱と、障害別に見ていきたいと思います。皆さんのお手元に配付されております資料をごらんになりながら聞いていただきたいと思います。  昭和三十八年度における(一)、盲及び強度の弱視の該当者数は一万二千人、そのうち、特殊教育への就学者数は五千人で、就学率は四五・一%であります。(二)、ろう及び強度の難聴の該当者数は二万三千人、そのうち、特殊教育への就学者数は一万五千人で、就学率は六七・〇%であります。(三)、精神薄弱の該当者数は七十三万七千人、そのうち、特殊教育への就学者数は五万四千人で、就学率は七・三%であります。(四)、肢体不自由の該当者数は五万九千人、そのうち、特殊教育への就学者数は七千人で、就学率は一二・五%であります。(五)、病弱、身体虚弱の該当者数は二十三万四千人、そのうち、特殊教育への就学者数は五千人で、就学率は二・五%であります。したがって、全体において特殊教育該当児童生徒のうち、特殊教育に就学している者は一〇%にも満たないのであります。そして、なお百万人に近い児童生徒がいまもって教育を受ける機会を与えられていないのであります。盲ろう教育は、すでに都道府県に盲学校、ろう学校の設置義務が実施され、就学義務がなされているので、就学率も比較的高いのでありますが、十分な施設設備の整った学校で、よき教師によって個性豊かな文化の創造を目ざす教育を受けているかどうかは疑問なんであります。  次に、精神薄弱、肢体不自由及び病弱、身体虚弱児童生徒の教育について見ますと、彼らが学ぶところの養護学校は、いまだ都道府県に設置義務が課されておらず、特殊学級の数も十分でないため、彼らの多くはいまもって学校に行けず、友とも教師とも接することができず、暗い谷間でひっそりとさびしい生活を送っているのであります。彼らは心身にハンディキャップを負っております。しかしながら、両親の愛により生を受け、みんなに祝福されてこの世に生まれてきたことには変わりありません。そうして、たとい心身に障害があろうと、明かるい平和な国家及び社会の形成者の一人として成長しようとする心はみんなと同じであろうと思います。わが国の憲法第二十六条第一項におきまして「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」とうたつております。ゆえに、心身にハンディキャップを負っている子も、みんなひとしくその能力と障害に応じた教育を受け、ハンディキャップを補足し、能力を伸ばすことができるよう教育される権利を持っていると思います。彼らは幼く、かつ、ハンディキャップを負っているのであります。したがって、おとなである私たちは、彼らが十分に施設設備の整った学校で、よき教師によって能力に応じた教育を受けることができるように手を差し伸べなければならぬと思います。心身にハンディキャップを負う児童生徒のために、親、教師、隣人は日夜努力を重ねております。彼らの教育をさらに充実するように、国は手を打つべきであると思います。すなわち、国は、精神薄弱、肢体不自由及び病弱、身体虚弱児童生徒のための教育がなされるよう、都道府県に養護学校、市町村に特殊学級の設置義務を課し、予算を組むべきであると思います。それは精神的、肉体的にハンディキャップを負っている児童生徒のみならず、多くの青少年に二十一世紀のビジョンを持たせる原動力となると確信いたします。  次に、経済的にハンディキャップを負っている児童生徒の教育について述べたいと思います。  人間は、古今東西を問わず、裸で生まれてきます。ところが、子供の生まれた家の経済事情により、小学校、中学校の義務教育さえ満足に受けることができない児童生徒が何と数多くいることでしょう。教育白書「わが国の教育水準」によりますと、昭和三十八年度において小学校、中学校の長期欠席者、すなわち、年間授業日数二百十日の二三%に当たる五十日以上を断続または継続して欠席した者は約十二万人、全児童生徒の〇・七%を占めているそうです。義務教育の就学率九九・九%と高い水準にありながら、内部にはこのような長期欠席者がいるのであります。その欠席の理由は病気によるものが多く、次いで経済的な事情によるものであるということであります。具体的に昭和三十九年度「文部統計速報」により、小学校、中学校の長期欠席児童生徒数を見ていきたいと思います。昭和三十八年度間の小学校の長期欠席児童数は五万四千人であります。これは全児童の〇・五二%に当たります。したがって、二百人に  一人が長欠児童であります。長期欠席の理由は、長期欠席児童のうち、六七・八%、すなわち、三万七千人が病気によるものです。長期欠席児童の七・四%、すなわち、四千人が経済的事情によるもの、長期欠席児童の二四・八%、すなわち、一万三千人はその他の理由によるものであります。  一方、中学校の昭和三十八年度間の長期欠席生徒数は六万六千人であります。これは全生徒の〇・九五%に当たります。したがって、生徒百人に一人の割合で長期欠席者がいることになります。長期欠席の理由は、長期欠席生徒のうち、四〇・三%、すなわち、二万七千人が病気によるもの、長期欠席生徒の一六・七%、すなわち、一万一千人は経済的事情によるもの、長期欠席生徒の四三・〇%、すなわち、二万八千人はその他の理由によるものであります。以上、小学校、中学校の長期欠席者数を加えますと、長期欠席者十二万人のうち、(一)、病気によるものは六万四千人です。(二)、経済的事情によるものは一万五千人、(三)、その他の理由によるものは四万一千人であります。病気により長期欠席している児童生徒数が全体の半分以上を占めています。彼らのうちには、最近の物価の値上げ、あるいは医療費等の値上げなどで十分に治療を受けることができず、長く床に伏している児童生徒が数多くいることでしょう。経済的事情による長期欠席者が中学校に特に多いことは注目に値すると思います。中学生は体力的にはおとなに近いと言えます。ゆえに、家計を助けるために学校を休み、一人前として働いている生徒もいることでしょう。そして彼らの中には、昼間はほとんど学校に行かず働き、夜は学校等に行って勉強している夜間中学生さえいるのであります。しかしながら、しょせん体力的にはおとなに近くとも、精神的にはまだまだ子供であります。それで家が貧しく、かつ、十分な就学援助費も得られないので、感受性の強い彼らは親に、学校に、そうして社会に反抗して学校を休み、暗い道に足を入れるあやまちを起こしてしまう子供もいるのです。彼ら経済的理由により就学困難な児童生徒の就学援助の手段として、政府は、生活保護法上の要保護家庭及びこれに準ずる家庭の児童生徒に対する教育援助費として、昭和四十年度予算に、昭和三十九年度より二・六億円増の四十億円しか計上していないのであります。文部省初等中等教育局財務課による「昭和四十年度要保護及び準要保護児童生徒対策費補助金予算一覧」を見ますと、まず第一に気づきますことは、昭和四十年度においても、依然として要保護児童生徒の対象率三%、準要保護児童生徒を七%として見積もっていることであります。この対象率は昭和三十八年度より変わっていないのであります。現在の物価の高騰と経済の二重構造を見るとき、旧態依然として経済的理由により就学困難な児童生徒をほったらかして、機械的に就学援助の対象率を引き続いて何年間も使用することは疑問とするところであります。  第二に気づきますことは、要保護及び準要保護児童生徒の就学援助の単価があまりにも安いことであります。たとえば修学旅行費の援助費は、小学生が千二百十円、中学生が二千九百二十円であります。こんな少額な経費で修学旅行をしなさいと当局は言うのであります。また、寄宿舎居住費を見ると、一日の食費が百三十二円という少額なものなのであります。そして要保護及び準要保護児童生徒医療費補助金を見ると、小中学生の要保護児童生徒には六百十三円、準要保護児童生徒に対して三百六円程度しか見込んでいないのであります。また、特殊教育の要保護児童生徒に対しては六百七十五円、準要保護児童生徒に対しては三百三十七円しか見込んでいないのであります。ここで私は、先ほどの長期欠席児童生徒の約半分以上の六万四千人が病気によるものであることと、彼らに対する医療費補助金が少額なことと深い関係があるように思えるのであります。私は、経済的理由により就学困難な児童生徒が家庭の経済的事情に左右されることなく、安心して伸び伸びと学習し、その個性と能力を伸ばすことができるように大幅な就学援助を望むのであります。そのために、まず第一に、要保護及び準要保護児童生徒の対象率を機械的に継承することなく、血の通ったあたたかい施策を講じていただきたいと思います。  第二に、教科書、学用品、通学、学校給食、医療、修学旅行、学校安全会、寄宿舎居住費等の就学援助費補助金を大幅に増額していただきたいと思うのであります。  第三に、就学援助費が児童生徒にすぐ役立つように事務をスピードアップしていただきたいと思います。就学援助は決して児童生徒にとって恥ではないと思います。すべての子供は、親の社会的地位、経済事情のいかんにかかわらず、すべて同一の出発点に立って人生目的を追求する平等の権利を持っていると思います。そして国は子供の教育を受ける権利の裏づけをする義務があると思います。要保護及び準要保護児童生徒の就学援助はその義務の一つであると思います。行く行くは、憲法第二十六条第二項に「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」とうたわれているごとく、子供の教育を受ける権利を保障し、その権利を実効的なものにするため、義務教育は無償になると思います。ゆえに、少なくとも今日低所得家庭児童生徒の義務教育を無償にするくらいの就学援助をすべきだと思います。そう思うとき、昭和四十年度文教予算は何とお粗末なことでしょうか。要保護及び準要保護児童生徒援助費四十億円は、彼らにとってはスズメの涙ほどの金額でしかなく、二十一世紀の世界に生きる青少年の育成には何の役にも立たないといっても過言ではないと思います。心身にハンディキャップを負っている児童生徒は、その特性と能力に応じた教育を受けることができるようにし、経済的にハンディキャップを負っている児童生徒に対しては、彼らが家庭の経済事情に左右されることなく学習し、その能力を伸ばすことができるように、国は施策を講ずべきであると思います。したがって、昭和四十年度予算には、精神的、肉体的及び経済的にハンディキャップを負っている児童生徒の希望を成就し得るだけの一算が組まれていないので、私は本予算に賛成することはできないのであります。  以上です。(拍手)
  41. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) ありがとうございました。     —————————————
  42. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) それでは、両公述人に対しまして御質疑のおありの方は、順次御発言願います。
  43. 田中啓一

    ○田中啓一君 午後のお二人の公述人のお話を聞きまして、いずれも非常に感激をいたしたわけでございます。  一点ずつお伺いをいたしたいと思うわけであります。  生活協同組合の副会長さんは……。
  44. 十二村吉辰

    公述人(十二村吉辰君) 十二村です。
  45. 田中啓一

    ○田中啓一君 非常に、日本にございます資源の真剣な利用に際して、きわめて卓見をお持ちであるように伺ったわけでございますが、そのうち、特に国土の利用計画について、他の公述人でありますところの京都大学の桑原先生からも非常に鞭撻を受けたのでございますが、もう少し、いろいろございましょうが、国土の利用ということ、日本の土地の利用ということにつきましてお伺いいたしたい。かように考えます。  また、林さん非常に特殊教育の重要性を強調いたされまして、私も、いろいろなこれまでの関係から痛心をいたしておりましたことでございまして、実際、学校教育ではありませんが、そういう精神薄弱な人に働いてもらって、農業でございますが、一生懸命やっておる、非常に特殊な人の話を聞きまして、おもにそれは家畜の飼養でございます。酪農のようなことをやっているわけでございます。教育兼生産と、こういうことをやっておる話を聞きまして、感激をしておるようなやさきであったわけでございます。教育でございますから、何とかこれが、この人たちが、将来それなりに能力の開発を受ければ何らかに従っていけるというようなめどを、つまり生活のめどをつけてやらぬと、実は本人たちが受ける意欲が出てきませんと私は思うわけであります。何らかこれらのことに関しましてお考えがございましたらお伺いをいたしたい。  いずれも非常に感激をして聞きましたので、たくさんお聞きしたいのでありますけれども、一人でそう時間を独占しても恐縮でございますから、以上二点、一つずつお答えをしていただければしあわせでございます。
  46. 十二村吉辰

    公述人(十二村吉辰君) いま田中先生から、説明をと言われますと、私は自信がございませんので……実は昭和三十年に、社会党の江田三郎先生に、草地栽培を陳情申し上げましたところ、当時、河野農林大臣が御採用になりまして、全国から八人の草地栽培の公述人が、本席かどうか知りませんが、公述されたはずであります。私の発想は、むしろ食生活の問題に、何らか現状打破から生まれたことと、もう一点は、むしろさいぜんも申し上げたように、私は炭鉱の坑夫でございますので、石炭政策がもはや歴史の次元に合わないのでないだろうか、動力ベースとして燃やす石炭に重点を置くことよりは、学者の御意見によりますと、これを、重工業、軽工業の原材料としては、これを分類しますと、経済ベースに乗るものと、乗らないものとをひっくるめて、五百ないし六百といわれております。その中に、さいぜん申し上げたビニールの研究が一つございますが、これによって、むしろ方向転換をしていただきたい。そのためには、現在の石炭経営者の利潤追求の独占意欲に、何らか政治的な緩和政策、中和政策をとっていただかなければできないと思いますが、これは私ども一市民のなし得ないことではございますが、少なくともさいぜん申し上げたように、石灰岩と石炭があるということは、以上の面で研究をすれば、開拓される。むしろ住宅の面のほうが大事でなかろうかと思いますので、奥地林道を開発して、暫定的な住宅対策の原材料を供給しながら、一カ月ないし二カ月によって——ドリゾールがいまや工業化されております。ところが、建築材として工業化の方向をとっていないことが、これが政治的に可能性があるのかどらかの問題が、解決されるならば、一カ月か、二カ月間で石炭が、これが空中の遊離窒素を吸収させることにおいて、ここで十二分な採算ベースには乗りませんが、残る資源の活用によって、石炭ピッチに切りかえるなり、あるいは住宅資源に回すなりすることにおいてですね、これは年次計画でなければ不可能だと思いますが、現在のように高度の、科学水準の高い現在において、なし得るのじゃないだろうかと、要は石炭経営者が、あくまでも自分のものであるという、この概念を捨てていただいて、日本の一億国民の経済開発に、大きな役割を果たすであろうということにおいて、外国の石油資源と十二分に太刀打ちできるというところまで国家保証がなされることにおいて、これは可能でないだろうか。  食生活の問題におきましては、草が、食べられる草を植える。スイスでは、十五度の傾斜まで、これはもう乳牛を追い上げているので、日本でも決して不可能でないと思います。十度ぐらいのあれまで九〇%とするなら。さて、この草地栽培の、高原栽培の所有権を国が利用するか、農民が利用するかにおいて、私はむしろこれこそ日本の現在の農作物が、たとえばホーレンソウ一ぱ三円ないし五円のものが四十円ぐらいになるということは、むしろ流通段階と、きわめて農業の形態を維持しておらない全くネコのひたいのような野菜栽培家と、また人手のない親子夫婦の野菜屋に依存しているところに、このような高価格をもたらしているので、この原因からいって、農地は、少なくとも日本の利用できる十度以内あるいは五度の傾斜地に一村ごとの共同経営形態をとらせて、そして現在の一千億円にのぼる食管特別会計を逐次なしくずしの方向でこちらに振り向けていただくならば、現在の農民は、もはや中農以下は農民意識は持っておりません。むしろ長男、次男を一人工場労働者に送ったほうが楽です。一町のともかくも水田耕作農民の手取りがわずか三十万以下でないかと思います。一昨年の米価値上がりが一四%であったにもかかわらず、農民の手元に入手された金額は逆算してわずか四%、この一〇%を高度経済成長政策の夢に期待をかけた肥料、農薬、農機具の経営者の方が借金して設備拡張して、ふとんかぶって眠っておる生産設備の維持のために、余儀なく肥料の値上がりを招致して、一〇%はむしろ流通段階と生産のとにかくもコストインフレの方向にとられている。そういう結果からいって、ぜひとも草地栽培は農民の手において行なって、石炭政策は少なくともいきなり国家権力が集中するところの、石炭経営が、もう国営が困難であるならば、真に公共性を貫いた公団なり、何か供給公社なりにしていただいて、そしてこの石炭開発、二つを結びつけていただくことによって、次の問題は自動的に解決がなされるのではないか、このように考えております。
  47. 林丈樹

    公述人(林丈樹君) ただいまの質問でございますが、彼らが生活のめどがつくことができる職業はいろいろありましょうけれども、どのようなものがあるかというような質問だと思いますけれども、私はまだ十分職業教育とか実業教育を研究しておりませんので、具体的に答えることはできませんけれども、私なりに考えますには、彼らに対する私たちの心がまえがまず大切じゃないかと思うわけです。お前はできないとか、お前はばかだと言うことより、たとえ彼らが歩みがおそくても、彼らのできる何ものかの力とか能力をさがし、そしてみんなで彼らに適する職業をさがすことが、まず私たちに課されている義務じゃないかと思います。それで、彼らにこそ三歳児等の、まず心身欠陥とか、そういうものの早期発見とそれから早期治療、そうして教育機関とか職業訓練所において、彼らが十分に保障されて、勉強なりあるいは職業訓練ができるように準備されることが大切じゃないかと思います。私のいま申しましたことは答えにならないかと思いますけれども、概念的にはそういうふうに考えております。
  48. 瀬谷英行

    ○瀬谷英行君 十二村公述人にお伺いいたします。  たいへん豊かなアイデアを示していただきまして、勉強になりましたが、お話から推察すると、たいへん失礼ですけれども、北海道のほうの御出身ではないかというふうに思いましたので、そこでちょっとお伺いしますが、きょうは、石炭産業等については、これはもう燃料資源として使うというのは時代おくれであるから、むしろこれは他の衣料であるとか、その他の資源として活用するという新しい道を発見をするという方向をとるのがいいのじゃないか、このようにお聞きしました。それから、さっきちょっと私もよくわからなかったのですけれども、木材資源等については、もう五十年もたたなければ役に立たないものをあてにしておってはだめだから、こうすればいいという、そのいろいろなお話がありましたが、そこのところ、私あまり聞きなれないようなことで、私自身が知らない話の内容でしたものですから、建築資材として木材にかわるべきものとしてはどんな——私も参考にしたいと思いますが、もう一度そこのところ、こういうふうにすればということを教えていただきたいと思います。  それから、ことしは北海道は冷害でもって、たいへん作柄がすべて悪かったと思いますが、ことしのような——ことしといって、去年からことしにかけてですな、冷害の年においても、ビート栽培といったようなものはどの程度の影響で済んだものか。今後の、たいへん寒いところにおける作物として、将来、将来性ということを考えてみた場合にどういうふうに見られるのか。これは向こうのほうの土地柄で、現実にいろいろなこと体験をされておられると思いますので、その点についてもあわせてもう一度お聞かせ願いたいと思います。
  49. 十二村吉辰

    公述人(十二村吉辰君) 石炭の建築資材の件でございますが、奥地林道を開発して、乱伐すれば治山治水に重大な支障をきたしますので、しかし、一方、神武以来この木材が日本の建築材として利用されておらないのが非常に残念なので、奥地林道を開発していただきたい。しかし、もうこの必要欠くべからざる地域には、保安植林なり何なりをもっと積極的にやっていただくことによって、この防害対策はできるのではないだろうか。言いかえると、むしろスカイ・ラインが、もし日本が観光のブームから脱落したならば、あんな頂についている道路は、木材搬出には活用できないのではないかと思うので、もしつくるとしてもむしろ沢につくって、そうして長い間、二千五百年か、日本の歴史はよくわかりませんが、何にしても何百年も腐ってははえ、腐ってははえている貴重な木材を、もっと住宅資源に活用していただきたいという私の発想でございます。  そうして、石炭の問題でございますが、現在、一般ビルや何かの床板に張られているのは、あれはドリゾールでございます。あれのもっと分厚いものを、石灰岩と石炭のタールをもって、そうして化学的にいわゆる製造工程に乗っているわけです。ただ、あの厚みからいって、使用目的が建築材として、つくられておらないので、現在まだ市場に出ておりませんが、これは識者のお話によれば、十二分に建築材として可能な耐圧性を持っておるそうです。ですから石炭をいきなりそういったような原材料の方向へ一〇〇%向けていただきたいというわれわれの考えではなくて、これによって、あるいは日本の石油系の企業に一ぺんにやったら大きな打撃を与えるでしょうから、本年度は二〇%の石油ピッチを舗道に敷くことはやめて、石炭に切りかえろといったように、逐次、他の保護企業あるいは積極的に文化部門に金をつぎ込んだ企業が倒れない形は、年次計画でなければ望めないのではないかと思いますので、石炭の動力源の方向では、もはや原子力発電のほうが火力発電よりもむしろキロワット当たり安い現状ですから、自由化の今日、自由貿易の中で、日本の石炭が動力に期待するところに追いまくられるのではないだろうか、そういう懸念がございますから、これもひとつ御検討願いたい。  次に、ビートのあれでございますが、これは昨年の冷害ということ、私どもの聞いた、また調べた範囲内においては、かつて何十年来の非常に天候異変であったそうでございます。本来ならば、北海道に私は長い間生活しましたが、七月、八月はまさに大陸的気候でございまして、あのような雨が降ったことは私は一回も経験してございません。これは、高原ビート栽培の方向で技術的に可能かどうかは自信はございませんが、昨年を除いては少なくとも十年くらいのやはり耕作は可能でございましたし、また現在もつくられておりますので、むしろ日本全土の脊梁山脈に、私はビートをつくるのが目的ではなくて、ビートから砂糖分を抽出した残りが、牛やあるいは綿羊の濃厚飼料として利用できるので、併用して草地栽培の中に加味していただくことによって、本州では十二分にこの点は耕作技術の面でこれは可能でなかろうかという判断に立っております。
  50. 平島敏夫

    委員長平島敏夫君) 以上で両公述人に対する質疑は終わりました。  公述人の各位におかれましては、御多用のところまことにありがとうございました。厚くお礼申し上げます。  以上をもって昭和四十年度総予算についての公聴会を終了いたしました。  明十九日午前十時委員会を開催いたします。なお、九時五十分に理事打ち合わせ会を開会いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時十二分散会