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公述人(川合弘一君) 私の御
意見を申し上げるのは総論と各論に分かれておりますので、この点よろしくお願いいたします。
まず総論を申し上げます。現在の健康保険
財政赤字の原因は、いろいろ言われておりますが、究極するところ、場当たり
行政の結果にあるものであるということを結論的に申し上げます。今日の医療問題が混迷いたしておりますのは、何も最近に始まったことではございません。この原因は、
相当健康保険ができまして以来そのようなことになってきたということを御承知願いたいおけでございます。で、なぜかと申しますならば、少し
財政に余裕ができますと、昔は入れておりませんでしたところの家族までも保険に入れるといったような手を打ってみる、赤字が出てまいりますと無理な締め方をする、絶えずこう薬ばりのやり方でやってきた、こういったところにそもそもの赤字の原因があるというのが私の
意見でございます。特に、医療保険をながめます際に、労使の
立場だけでながめられ、労務対策の被用者健保としてしか考えないところの百年前のドイツの古い考え方から一歩も前進いたしておりません。だから、既得権だとか、
企業ぐるみのエゴイズムを捨て切れない、全
国民的な視野に立って考えようといたすことは少しもされておらない。口には
社会保障、福祉国家
建設、
国民皆保険を唱えておられましても、全
国民的なしあわせのためにといった気持ちがないというのが私の結論でございます。だから、いつまでたちましても保険制度のもとにおきまするところの医療問題が混乱するばかりであるのは当然でございます。こういったところに今日におきますところの赤字の原因があると思います。
それでは、各論について申し上げます。まず第一に、今日におきますところの
政府管掌健康保険をはじめといたします各種保険制度が赤字を出し
財政危機におちいっています直接の原因は、これまた
行政の失敗にほかならない。その二、三の点について私はここで指摘いたします。
その
一つは、
日本におきますところの賃金の特色といたしまして、何々手当とかあるいはボーナスとか臨時に支給されます給与が外国に比べまして異例に高率でございます。それが最も
経済成長に対応して大きく伸びております。それなのに保険料は、それらの特別手当とか臨時給与を除いた毎月きまって支給される給与を基礎といたしまして
計算いたしますところの標準報酬方式を採用いたしております。しかも、現在五万二千円で頭打ちといたしておるわけでございます。そのために、
経済成長に対応しない仕組みになっておるわけでございます。だから、保険
財政は
経済成長に追いつけないで、すぐ破綻するのがあたりまえでございます。保険料算定のもとになりますところの標準報酬は、実際の給与の約七〇プロ以下といわれております。また、厚生省の調べましたデータによりましても、賃金のベースアップの六〇プロの伸びしか示さないということは、社会保険審議会でも
当局から説明されたところでございます。
次に、
昭和三十五年に、被保険者代表や一部の公益
委員——私らでございます——が反対いたしましたのに、無理やりに保険料を千分の六十五から千分の六十三に引き下げました。この際は、労働者代表、私ら公益
委員が、必ずこういったものは医療内容の向上に充てるべきである、給付水準の引き上げに充てるべきであると言ったのでございます。それなのに、引き下げを行なった上で、給付期間の延長、継続給付の資格を取りますところの期間を有利にするといったようなことをやりましたために、これは赤字ができるのは当然でございます。そこで、私らがこれを
昭和三十五年以来千分の六十五から六十三に下げました千分の二というものをかりに置いておったらどうなるかという
計算をいたします。
昭和四十
年度までに
政府管掌健康保険は、もし引き下げを行なっておらなければ、私の
計算では二百九十六億円という金が余っているわけでございます。この点は、どうぞ御記憶願いたいと思います。これは
昭和三十五年のできごとでございます。そして、われわれが反対し、労働組合も反対いたしましたことを御記憶願いたいと思うわけでございます。
次に、私ら
日本医師会がたびたび警告いたしましたことは、このまま健康保険組合をつくりまして、被保険者、すなわち
政府管掌健康保険から給料のいい元気な達者な人たちを引き抜いてまいりますと、必ずその穴ができますよということを注意いたしました。健保組合の乱設を戒めたわけでございますが、それでも耳をかさず、どんどんつくってまいりました。そのために、
昭和三十二
年度新設分から
昭和三十九
年度新設分までについてさっと
計算いたします——ざっとじゃなく、正確に
計算いたしております。それは、その健康保険組合から出ております資料を一々追求いたしました、これを
計算いたしました。そういたしますと、大体
昭和四十
年度までにどうなるか——
昭和三十九年までの新設分でございますが、どうなるかと調べてまいりますと、これまた約四百九十億円以上の損害を
政府管掌健康保険に与えておったということがわかったわけでございます。この両者だけを合わせましても、優に七百八十六億円余になります。本
年度は、健保すなわち政管健保の赤字——先ほ
どもお話がございましたが、六百五十九億円で大騒ぎしておるわけでございます。七百八十六億円を、こういったよけいなこと——と言っては悪いですが、私に言わせれば、よけいなこと、
行政が正しくやっておれば、本
年度は百数十億の黒字が出て、左うちわであるわけです。この点はどうぞ御記憶にとどめていただきたいわけでございます。もし乱立いたしておりますところの各種医療保険を一本にいたしますならば、これは先ほど安恒
公述人から、
日本医師会の主張というものが国保並みにするというような御発言に聞こえる向きがありましたならば、われわれがここで申し上げたいのは、一本にするためには、少なくとも現在の健康保険並みの給付に国保も引き上げるわけでございます。引き上げて統合いたしましても、少なくとも一千億以上の黒字になることは私ら
計算終わっております。ところが、いまの乱立のままで置いておくと、個々の医療保険は赤字になるのは当然でございます。よく一人世帯では食えなくても二人世帯なら何とかやっていけるというたとえがございます。何と申しましても、大
規模経営は有利でございます。保険には大数有利の原則があるということも聞いております。さいふを
一つにいたしまして
所得再分配を十分に行ないますならば、うまくいくのが当然でございます。このような論理が、一部のエゴイズムと思われるところの理由で、乱立のままで放置されることによりまして、このようなあたりまえの論理が打ち消されておるわけでございます。もっと全
国民的
立場で考え直すべきときがきておるのではないか、これが第一でございます。
次に、今日多くの人々が医療費の
増加を赤字の原因だと誤解されておるのですが、医療費
増加を犯人扱いされておるような向きがございますが、これはとんでもない誤りでございます。医療費の
増加は、
国民皆保険実施に伴う被保険者数の
増加によるものでございまして、それに伴う受診件数の大幅な、すなわちお医者さんにかかる人たちが非常にふえてきたということによりますところのもので、これがすなわち各政党、
政府がお掲げになりましたところの
国民皆保険政策がりっぱにその目的が達成されておるという証拠でございます。まさに
国民のしあわせ、福祉が向上したわけでございまして、医療費増高万歳と言ってもらいたいくらいでございます。
私が開業をいたしました当時、お医者さんになりまして、スラム街で私は開業いたしました。その当時、夜呼びに参ります——参りますと、見たことのない患者、どうしたのだと言ったら、死んでおります。ただお医者さんを呼ばぬことには死亡診断書に書いてもらえない、要するに火葬場送りができない、だから呼んだというものが実態でございました。事実でございます。わずか十六、七年前でございます。このように、
日本におきましては、終戦後貧しい人々は、医者を呼ぶときは死ぬ前か死んでから、このような哀れな状態がございましたが——私は健康保険の悪いところばかり申し上げません——ところが、今日は非常にそのような悲劇がなくなってきたということを私は申し上げたい。また、医療費の増は薬が原因だとよく言われます。医学、医術の進歩に伴うところの新しい薬の開発が医薬品原価の
増加をもたらすのは当然でございます。平均余命の延長すなわち長生きしてまいる、悪疫の撲滅すなわち悪い伝染病がなくなってくるなど、すべて
国民のしあわせに還元されていると思います。
もう少しこの点につきまして具体的に申し上げますならば、昔は自然治癒を待つというのが私ら内科医の名医たるゆえんだという教えが昔の本にはございました。しかしながら、今日は、学問の進歩によりまして、医療の構造改革が非常に行なわれてまいりました。いろいろ高度の、エレクトロニクスを使いますところの診断方法とか、臨床検査の励行で、非常に病原が突きとめられたり、積極的にこちらからアクチブに進んで病気を退治するという医療が行なわれておるわけでございます。したがいまして、人類にとりましては、非常に乳幼児の死亡も減り、老人も長生きしていただくといったように、非常にしあわせになった。この点は、私は特に強調いたしたいと思うわけでございます。たとえば、昔は死に病と言われました肺炎も、抗生物質——ペニシリン、オーレオマイシン、クロロマイセチン、いろいろございます——などのおかげで、死に病と言われました肺炎は、入院しなくてもなおるようになってきました。場合によりますと、外来でぴしゃぴしゃっとなおってまいります。チフスも、昔はかかりますとまず三カ月ぐらい寝込んでたいへんなんです。これは私も経験ございますが、私がみておる患者でも、これはチフスになったらもう死ぬんじゃないかとたいてい心配したものでございます。現在は新薬のおかげで、一日ないし二日で何とか峠を越すというようなありがたい世の中を迎えております。コレラなんか、もうかかったらだめだ、これがもうけろっとなおるというようなことは、抗生物質のおかげでもあるわけでございます。また最近は、昔はばかにつける薬はないと言いましたが、気違いにつける薬ができました。人間の精神状態をコントロールできるところの世の中になっているわけでございます。昔は大手術をしたバセドー、——ここがはれるわけです。これは血が非常に出ますのでたいへんなことです。私らは、別府に名人がおりまして、私が大学当時に、この手術は非常にむずかしい手術だということで、私も見たことがございます。ところが、そんなのを最近、これくらい小さいカプセルを五ミリキュリー、七ミリキュリー、これをぽっと飲みますと、これはすばっとなおってしまう。ぼくはそれを非常に得意にいたしておりますけれ
ども、おかげで、宣伝しては悪いですけれ
ども、わずか七ミリキュリーのI131カプセル三個で済むのです。ほんまにすっとしてしまって、びっくりしてしまう。こんなのが現在の世の中でございまして、あげれば、宣伝をいたしますれば数限りございません。とにかく人間にとってこんなしあわせなことはないと、私医師の端くれとして考えておるわけでございます。いますぐガンもなおるようになります。今日の医療費の
増加など、このように人間の命に貢献していることを思いますならば、命が助かるのですから、まことに安い費用だと私は言いたいのでございます。老齢人口の
増加は、お年寄りがふえていくということは、これはもういまの定説になっております。これは生命延長の結果で、まことに喜ぶべきことでございます。しかし、老人ほど疾病にかかりやすいのは、これはあたりまえでございます。病気になる割合が多い。また、年寄りの病気というのは、非常に医療費の、銭のかかるものなんです。だから、年寄りがどんどんどんどんふえてくれれば、これは大いにけっこうなことですから、先生方長生きしてもらうことはけっこうなことなんです。しかしながら、ちょこちょことからだが痛む、そういうことで医療費がよけいかかるのは、私は全体として喜ぶべきことであるので、また当然であると思います。で、工業化——最近インダストリアリゼーションというようなむずかしいことばで言いますが、工業化に伴いまして公害が非常に起こってまいっております。たとえば、大気が非常に汚染する、亜硫酸ガスがぽっぽっと
自動車から出される、そのために、御承知のように、四日市あたりでは、すなわちぜんそく、公害ぜんそくというのが出るのです。また、酸素が減ってまいりますと、これは高血圧が非常にふえるわけであります。これは学問的にもはっきり証明されております。空気中の酸素が減ってまいりますと、高血圧がどんどんふえて、心臓の非常に悪くなってくる人が多くなる。だから、治療としましては、酸素テントと申しまして、酸素の中に一日二時間くらい入れておけばぐあいがいいというような治療が最近できてきた。要するに、これはだれの罪でもない、工業化が進んで空気がよごれる、
国民にとっては非常に迷惑千万である。しかしながら、非常に目に見えないところのことによって、われわれはからだをいためているわけでございます。
自動車の運転手がよく胃がすぐ悪くなります。これは、ああいう混雑した道を走っておっていらいらしておる、これは必ず胃かいようになってしまう、これは脳からの作用なんです。胃かいようが多いというのは、
自動車の運転手にとっては
ほんとうに非常に気の毒な宿命でございます。その他あれやこれや、もう医療費問題もさようでございますが、複雑な世の中の騒ぎのために、メカニズムが入り乱れてまいりますと、人間はストレスのために
ほんとうに神経がすり減らされる、これが近代人の特色でございます。したがって、非常に新しい病気が出てきた。騒音、ザッと
自動車が通る、汽車が走る、ジェット機が飛ぶ、それから非常に川がくさい、そういったような点、非常に人間の神経はいらいらさせられます。自律神経や新陳代謝機能など狂わしております。最近、新陳代謝の病気で薬を使い過ぎるとえらいおこられますけれ
ども、片一方で、ガンガンジャーッとやって、くさいにおいを出しておいて、新陳代謝おかしくなれば、新陳代謝の薬を飲むのはあたりまえなんです。そういったことをひとつ御承知願いたいと思います。
それから農業改革と申しまして、御承知のように、昔私ら子供のときには、そういったことはなかったけれ
ども、最近は農薬が発達したわけでございます。そういたしますと、洗うことその他のこと等もやっておりますけれ
ども、野菜、くだものを通じてのこういったものが、間接的に、知らず知らずのうちに肝臓を痛めてきておる。肝臓疾患の
増加ということは、厚生省にもデータが出ております。ガソリンの中に、特に印刷工場等では、手を洗うためのガソリン——業者のガソリンも入っておるそうでございますが、一種の鉛化合物、鉛が入っております。そうしますと、中毒しますと、精神状態がおかしくなる。それから食料品の中には、いろいろきれいな色がついております。これは厚生省では十分取り締まってはおりますけれ
ども、とにかく、食料品添加物の中には、ガンとか肝臓とかいうことと密接不可分のものが、近代的なかん詰めが進んでまいるということによって、いろいろなことが起こってくるわけでございます。人造繊維の乳児に対する害、あげれば数限りがございません。これは世界的に指摘されておるところのものでございます。
このほか、病気の形は動いております。今日、結核、肋膜炎が非常に少なくなってまいりましたが、しかし、それらの病原菌を殺すところの薬のもとであるカビが、逆に人間のからだに取りついて、カンジダといったものを起こすおそろしい病気もございます。昔はペニシリンというものが十万単位で私らきいたといったものでございますが、現在では五十万、百万単位でもなおらないといった場合も、今日あるわけでございます。このように疾病の姿、構造が世の中の動きとともにどんどん動いてまいっております。世の中の進歩とともに生まれる新しい病気に対しまして、新しい薬が出てまいるのは、これは当然でございます。これはすべてりっぱな学術的根拠のあるものでございますので、よろしくお願いいたしたいと思います。
このように老齢人口の
増加、工業化に伴いますところの公害など、社会環境の変化は、疾病
増加、疾病構造の変化を必然的にもたらすわけでございます。これに対しまして、近代的な医学医術による積極的な治療が行なわれるのも、これは
国民のしあわせ向上のために当然のことでございます。そのために医療費が増高をするのは、私は必要やむを得ないものだと考えております。医療費は決して物の動きに並行して動くものではございません。疾病の動き、疾病構造の変化に応じて動くものでございます。このような医療費の増高を物の価格のみによってはかろうとしたり、抑制したりしようとしたりすることは誤りであると私は申したいのでございます。医療費の増高、特に医薬品費の増大は、
日本における医療保険のみの現象ではございません。健康保険以外の診療においても、その
傾向が顕著でございます。また、諸外国におきましても、むしろ
日本を上回る
状況でございまして、世界的趨勢と言わねばなりません。
ただ、医療費
増加の中で考えねばならない点は、入院料の問題だと考えております。入院料には、めし代、寝具代、部屋代等、生活費
相当部分が入っております。医療費に占める生活費
相当部分の割合は、大体甲表にとりまして四六%、乙表で三〇%、そのうち、給食代は一〇・一四%、入院料の医療費の伸びに対する寄与率は、ここ六、七年の間、最高四四・五%で、大体一〇%を下回ったことがなく、
相当大きい割合を占めております。アメリカでは、人口千に対し、一般病床二・五ないし五・五、精神病床五、慢性疾患病床二でございます。これは
日本でも十分考慮されなければならない問題で、ございます。アメリカでは、今日、従来の病院
計画を捨てまして、地域社会との関連を重視する
計画を打ち出してきております。これはアメリカの
経済の繁栄をもっていたしましても、入院医療費をささえ切れないことを物語っているわけでございまして、今後のわれわれの
一つの問題点を提起いたしているわけでございます。医療費の増高を言う前に打つべき手を
行政、政治等で忘れられておるのではなかろうか。この世の中とともに移り変わりますところの疾病構造及び発病に対する対策を怠っておりながら、これに対し必死になって
国民の生命を守っているところの医療費の増高を犯人扱いし、これを責めるのは間違いだと思います。
このような疾病対策は、地域社会単位に立てなければだめであると存じます。
日本では、この考え方はまだあまりございません。出てきた病気だけ、それの医療費だけ追いかけているというのが現状でございまして、世界の医療体制は著しく進歩いたしまして、
行政の学問として発展いたしておりますが、
日本では、伝染病予防をはじめとし、明治、大正の残存状態であると思わざるを得ません。これが
予算面にもそのままあらわれていると思うわけでございます。このような状態に放置されておりますところの医療制度、保険制度は、百年前のドイツ方式による労働対策のままで、近代化されておりません。このような医療制度と保険制度の間にはさまれましたところの医療保険は、まるでばらばらのごみ箱化されております。そのごみ箱がてんでんばらばらに大きくなってきた。これが今日の
日本の悲劇ではなかろうか。科学的な基礎に基づいて解決策を打ち出さない限り、結果だけ、現象面だけ見て継ぎはぎするような対策はいけません。したがいまして、これを批判しているだけでは、問題は解決しないと思うわけでございます。
それではどうすればいいかということにつきましては、地方分権の精神を十分に生かされまして、
国民健康保険を根幹とはいたしますが、給付は
国民健康保険並みにせよというのではございません。はるかにレベルアップした高水準のもので、いま一度、地域社会を中心とした医療保険制度に一度すっきり立て直す必要があるのではなかろうか。その場限りの赤字
行政だけに追い回されないで、混乱で何が何だかわからないようなことは、一応この際やめて、新しい再出発ができるようにすべきである。医療保険制度も、既得権益とか
企業ぐるみのエゴイズムといったようなことは捨てまして、
国民全体の
立場で考え直す。これに対して、私らの医療体制のほうも、地域社会におけるどのような疾病構造の変化に対応いたしましてもやっていけるような、すなわち、医療制度調査会の
答申に示すところのことを実践していく必要があるのではなかろうか。こういったことに対して、
政府はいまだ手をつけようといたしません。こういった点は特に注意せねばならないと思うわけでございます。
次に、今回出されようといたしておりますところの薬剤費一部
負担、及び歯科の補綴一回につき二百円の自己
負担につきましては、私らは、医師独自の
立場で、労働者諸君とは別の角度から反対いたしておるわけでございますので、十分御理解願いたいわけでございます。
その最も大きな理由は、病気が非常に多い低
所得階層が、これでは薬も飲めないということになれば、これは
国民の生命を、貧富によって差別待遇するということになりますので、医師として、とうていその良心が許されません。これは、医学医術の進歩が
国民の福祉に直結することが望ましいとする私ら医師の願いが、ますます不可能になるからでございます。
第二の理由といたしましては、もし薬剤費一部
負担ということが行なわれますと、事務が非常に繁雑になります。現在でも、毎月の終わりと初めには、
相当事務の繁雑のために悩まされておりますが、これから、患者さんが参られますと、使った薬を一々全部
計算し、処方内容を
計算して、そのうちから五割、そうして二千円にいつなるかとひやひやしていなければならない。これは、私らでやってみますと、一日の作業が、患者一人の薬の内容を、一番あたりまえの内容でやってみましても、六十秒はかかります。したがって、毎日の事務や請求の事務は、約三倍になるだろう。これでは、医師の本来の
仕事であるところの医療はおろそかになり、事務ばかりやっていなくてはならない。こういうことから、医療に対して責任が持てないという悩みが出てくるわけでございます。
次に、自由
経済社会におきますところの医療制度は、自由主義を基調といたしまして、福祉国家
建設の中で、できる限り医学的な創造力と人間尊重の精神が発揮されるように配慮されなければならないというのが、私らの考え方でございます。そのためには、まず自由
経済社会にふさわしい技術評価の国際水準への発展を必須条件といたします。このためには、医療制度調査会
答申に示されておりますところの医療の近代化、
国民医療の体質改善及び医師の専門職、すなわち、プロフェッションとしての社会的地位の確立が必要でございます。
その第一歩として、私ら再診料設定を要求いたしておるわけでございまして、その果たす役割りは非常に大でございます。現在の薬剤に依存した診療報酬のあり方は、あらゆるチャンスをとらえ、医師の技術評価に切りかえていくべきだということが、われわれの強い主張でございます。その一環として、再診料十点設定を誠心誠意要求してまいりました。現在もその要求はごうも引き下げてはおりません。中央医療協議会において、開会冒頭、御田厚生大臣は、再診料の問題は文字どおり今回の緊急是正に引き続くものとして解決していきたいと、先般の中医協の冒頭におきまして、はっきりと文書をもって確約いたしております。また、
昭和三十九年四月の中央医療協議会の有沢
答申の根幹でありますところの公益
委員の
意見として、一、薬価基準の適正化はすみやかに、できるならば緊急是正と同時に改定する。二、薬価改定によって、現在診療報酬から生じた余裕は技術料部分に振りかえる。三、薬価改定及び振りかえの技術的方法につきましては、本協議会に専門部会を設けて検討する。以上三点につきまして、
答申の
意見としておるわけでございます。これから見ましても、中医協の
答申尊重を云々する限り、少なくとも、このことは十分に尊重されなければならないと存じております。
薬価基準引き下げは、今日、診療報酬とは切り離して考えることのできない重要な問題でございます。薬価基準の引き下げにつきまして、とやかく言われておりますけれ
ども、現在のような低医療費のもとでは、薬価基準を技術料に振りかえしないで、たとえ一・五%でも引き下げられるようなことがございますならば、これは実質的には診療報酬の引き下げになることは言うまでもございません。再診料十点をかねてより私らは要求しておるにもかかかわらず、九・五%しか引き上げられなかった。これだけではどうしてもやっていけない。現在、薬価基準と実質価格との差額で医療機関がようやくやりくり算段していることの実態は確かでございます。これはそのままで十分であると言っているのではございません。まだまだ診療報酬を大幅に引き上げてもらわなければやれないことはもちろんでございます。また、国家公務員のベースアップ、一般
企業の労働者のベースアップ、そういったものが行なわれてまいりますならば、医療従業員の待遇改善もしなければなりません。そのような現実を無視して、実質的な診療報酬引き上げになりますところの薬価基準を医師の技術料に振りかえないで、たとえ一・五%でも引き下げが行なわれますならば、勢い医療従業員三十万のほうに、それだけのしわ寄せをせざるを得ない。で、夜間看護婦の問題などについて、いろいろ御心配を賜わっております。私らも悩んでおります。御承知のとおりでございます。それにようやく九・五%かろうじて上げていただきました。医業をささえるもので医学の進歩に対応する医療の改善は不可能でございます。かろうじて医業をささえることができる。しかも、これ、すべてその従業員の賃上げに回した
あとでございます。そこで、一・五%を実質引き下げよということになりますと、医療従業員三十万の待遇をそれだけ下げよということになります。そのようなことを労働団体の幹部が自民党首脳部及び
政府に要求され、了解事項になったということは、三十万の医療従業員のことをどう考えておられるのであろうかということを、私
どもとしてはまことに理解いたしかねているわけでございます。
薬価基準一・五%を医師の技術料に振り向けないで、そのまま下げますならば、
国民の
負担は百五十億円軽くなる。だから、これは赤字対策に充てなさい——それなら、一億の
国民の側から見ましたら、一人当たり百五十円でございますけれ
ども、三十万の医療従業員のほうから見ましたならば、一人当たり五万円の損失になるわけでございます。一億の
国民が
負担ができないとおっしゃるものを、わずか三十万の医療従業員の肩に、犠牲となって
負担せよというのは、それはあまりにも殺生じゃないか。むちゃだということを申し上げたい。とにかく、診療報酬の値上げを要求している際に、逆に実質的な値下げをすれば、労働組合の場合、どうなるか。片方で賃上げをやっているのに、片方は賃下げだ、こうなったらどうなるか。こういう点は十分に慎重に考えてもらいたいわけでございます。
薬価基準引き下げに対するこのような保険者の皆さまの考え方は、医療支配のみならず、将来薬価まで支配しようというのではないかと勘ぐらざるを得ないのでございます。保険者が一方的に薬価の決定権を持とうとすることは、いまの
日本の国家体制の話とは私は思えません。身の毛のよだつような気が私自身はいたすわけでございます。一方では賃上げ、一方では医療従事者の犠牲をしいる低医療政策をさらに推進しようとするのにほかならないと私は思わざるを得ません。
医療費を安くするために、製薬
資本を締めつけるということを平気で言われる向きがございます。製薬
事業は自由
企業でございます。自由社会における価格決定につきましては、私は専門家でございませんから、とやかく触れません。ただ、われわれ医学の専門家としての医師といたしましては、最も心配いたしております点は何かと申しますならば、安かろう悪かろうということは忘れないでほしい。十分注意しない価格のダウンというものは、結果的に品質の低下になります。世界的な視野で考えた場合、新しい薬の開発がわが
日本中におきましては非常におくれてまいることを忘れないでほしい。いまの
行政や政治は、とかく
金額や量ばかりいわれまして、品質の低下を忘れるということは、医療の場合と同様、薬の場合にも同じような失敗を繰り返さないでほしい。
もし、あまり値段を締めつけますと、必ず純度の低い製品が出てまいります。医療品の中に含まれておりますところの不純物は、また不純物ほど、これは何回か飲んでおりますと、抗原抗体反応という、最近の自家免疫という理論がございます。証明もされております。たとえば、ここに純粋の薬液と、それから不純物の製品と二つある。これを皮内反応をいたしますと、不純なものは、皮膚がまっかになる。同じ製品でも、そうでないものは何の反応もない。これが積もり積もりますと、結局、その不純物が抗原の作用をなしまして、世にいうショック事件を起こすわけです。いま騒がれておりますところのアンプル禍を私は事新しく取り上げたくないのでございますが、私ら医師の
立場、医師会の
立場として、その
一つのよい例があれだということを申し上げたい。
質を忘れた医療というものは、いかに
国民の生命に危険なものであるか。医療は、薬品をただ
経済的な物の値段だけの
立場だけで、質のことを忘れておりますと、学問を否定した姿で
判断されてまいりますと、
国民の生命に重大な影響を与えることを忘れないでほしい。厚生省にいたしましても、安ければよいということで奔走されておるようでありますけれ
ども、薬を締めつけたらどうなるか。このことを私はここにおいて警告いたしたいわけでございます。
次に、社会保険審議会は改組せられるべきであります。社会保険審議会は支払い団体、すなわち労使が話し合いされる性格のものでございます。私はこれを否定しようとは思いませんが、百年前のドイツ方式の労務対策としての被用者健康保険としてしか考えない
立場に立っておられます。現在は
国民皆保険の世の中でございます。全
国民的
立場で考えられねばなりません。社会保険審議会には、国保その他多くの
国民の代表は入ってはおりません。したがって、社会保険審議会は、
社会保障、
国民皆保険の今日、時代にマッチした性格のものに改組せらるべきであると思います。