○
佐藤尚武君 続いて、
ロシア語、
中国語の問題について、これは
大臣にお尋ね申し上げたいと思うのでありますが、実は、
日本の
外交官の中で、
ロシア語、
中国語を話しすることのできる人というものは、ごく数が少ないと感じております。現に、
ロシアとの
関係につきまして申しまするならば、私の承知しておりまする限り、
帝政時代の
ロシア当時から現在の
ソビエトの
時代にわたりましての長い間に、
ロシア語のわかる人、話せる人、また
新聞を読める
大使というものは、わずか私は二人あったきりだと思うのでございます。一体そういうふうでいいのか、ということを常に
考えさせられるのでありますが、土地の
新聞も読めないというようなことで、ただ単に
ロシア語の
通訳を使って、そうして
ものごとを弁じるというようなことであっていいのか、ということを非常に疑問視するものであります。現在の
ロシアの
外務大臣は、あるいは
外国語の
たんのうな人ではなかろうかと思うのでありまして、これは私、面識がございませんから承知しておりませんけれども、概して申しまするならば、
ソビエトの
時代になりましてからは、
外務大臣なり外務次官なり、
外国語のわかる人というのは非常に少ないように思っております。昔は、ケチェリンなどという
外務大臣がおった
時代がございましたが、この人などは、英、仏、独の三カ国語を十分にあやつることのできる人でありました。しかし、それは例外でありまして、その他の
外務大臣で、そうして私は、
ロシア語以外に話すことのできる人に会ったことはなかったのでございます。そうなりますというと、やっぱし
日本の
大使が相当
ロシア語を身につけてて、そうしてこれらの
相手国の
外務大臣ないしは次官の
人たちと応待することができるようなことを
考えなければならない。一々
通訳をつけておったのでは、なかなか
ものごとがてきぱき運ばないという
うらみがございます。
ロシア語はそういうことでありますが、
中国語に至りましては、なおさらでありまして、私、
日本の
大使−
戦前戦後におきましての
日本の
大使として
中国語の話せる
大使があったことを承知いたしません。やれ、
日本は
中国のことは一番よく知っておるのだとか、あるいは歴史的、
地理的関係でもって
日本は世界じゅうどこの国よりも
中国をよく知っておる、
中国人の性格などもよく知っておるのだ、というふうに口では言いまするけれども、さてしからば、実際
相手の
中国人をとらえて直接
通訳を介しないで話のできる
大使があったかと言いまするならば、私は皆無であったと思うのであります。一体、こういうふうで何の
中国関係の
外交があがるものでしょうか。私は非常に不満に思うのであります。やはり、
大使がみずからその国の
ことばを話し、そうして自由に
談笑をして、
談笑の間に話を進めていくというようなことであってこそ、初めて
外交の実があがるのじゃなかろうかと私は思うのでございます。
私
自身の
経験といたしまして、非常にふしぎな場面に会ったことがございます。それは、
ハルビンの
総領事をしておりました
時代に、ボルシェビキの反乱が持ち上がりまして、そうしてそれまでには、
ハルビンではほとんど
領事団の
会議というものは開かれなかったのでありますけれども、世の中が乱れてまいりまして、
外国人の
生命財産を保護しなければならぬという
関係からして、
領事団の会合がしばしば催されることになり、私がただ一人の
総領事でありました
関係で、その
領事団の団長になっておったのであります。そして
中国官憲としばしば交渉をしなければならぬ場面がございました。さてその際に、私が一緒に来てもらいましたのはイギリスの領事であったのでございまして、この領事はシナ出身の人でございます。でありまするからして、シナ語は相当達者に話もできまするし、また書いたものも読めた人であったのでございます。私はシナ語の
通訳は持っておりました、しかし、悲しいかな、そのシナ語たるや、シナ語に限られておって、
英語がわからない人でありましたし、また、
日本のシナ通といわれる
人たち、
外務省のシナ語の
通訳をつとめてくれておる
人たちは、例外は一、二あるかもしれませんけれども、多くは
外国語の素養のない人でございます。でありまするから、いまの
領事団の会合におきましても、私はその
通訳を連れていくわけにいかないのでありまして、
外交団としてはどうしても
英語にたよらなければならないのでございます。そこで、私が向こうと話をし、談判をしまするにつきましても、私の
通訳をつとめてくれたのは、あにはからんイギリスの領事であったのでございまして、
日本の
通訳は全く用を足し得なかった、こういう実例がございます。この実例は、私は、単に
ハルビンに限らず、いまの
中国の各地におきまして、多くの場合同じ場面が展開されているのではなかろうかと思うのであります。こういうようなわけでありまして、やっぱりその館長
自身が
中国語をあやつらないことには、たいへんそこに欠陥が生ずるということを、身をもって痛感したようなことがございました。でありまするから、私は繰り返して
大臣にお尋ねするようでありまするが、いまはすべて官制が変わりまして、
外務省の官吏
たちは事務官ということになっており、等級が分かれるのは俸給の
関係でもって上下の区別があるかのように思っておりますが、しかし、昔で申しまするならば
通訳生であるとか
通訳官であるとかという階級の
人たちは、シナ語ならシナ語一点ばりでやってきたのでありまして、
外国語の素養がないというのが、現在でもそうではなかろうかと思うのでございます。もしそうだとしまするというと、私が体験しましたようなそこに不便が、今日においてもなおあることだろうと想像されまして、これではいけない、やはり館長
自身が
ロシア語なりシナ語なりをあやつることができるところまで
語学の勉強をしなければならない、また、させなければならないというふうに感ずるのでございます。そういう点につきまして、
外務大臣はどういうふうにお
考えになりますか、概括論としてお
考えをひとつお願いしたいと思います。