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小林武君 生
悦住理事長と私と二人の間の話し合いであれば、大体いまのところずっといくと、これは信用をして理解し合えるというところにいくでしょう、二人の
関係では。私もそういうふうになればたいへんけっこうだと思うんですけれ
ども、何しろ相手は、あそこに事実三百何十名という者がとにかくこれはたむろしておる、これが入る入らないでごたごたしておるというようなことになりますというと、これはここで理解したといっても、具体的な問題にぶつかって
解決能力のないような話し合いでは、これはぼくはきわめて不親切なやり方で、事が起きてしまってから、これはもう少しやっぱり突っ込んで親身になって
考えてやるべきであったというようなことでは、私は相済まないと思うのですよ。こういうことは往々にして、いままででもあると思うのです。相手がやはり青年であり少年であるという場合には、ことさらやはりおとなの場合には大きな
配慮をしなきゃならぬ。特に
立場とすれば、
教育関係者がそういうことを
議論しておるわけでありますから、これは一そう
責任の重大さを
考えなきゃならぬと思うんです。そういう意味で、私はそこらを一いまのような御
趣旨であれば私も理解できると申し上げたのは、そういうことをあの若者
たちにやっぱり説得し、また若者
たちの
意見もいれて、こういう君らの不安があるのは今度はこうだということになると、ぼくらがだいぶ前に会ったときの
学生の諸君の態度と今日の態度は非常に変わって、かなりそういうものについて納得のいけるようなところまで来ているように、私は一応信用するほうですから、そういう気持ちを持っておる。それならばやはり、規則はこうだからあとは見ておれというようなことだけではなかなか青年を納得させられない、一歩踏み込んでいって彼らの気持ちにぶつかってやるということがやはり必要でないかと、こう
考えますので、そういう点をある
程度踏み切ってお
考えになることができないものなのかということが
一つあるわけです、率直に言って。それと、私も統一館規則の中には――こないだも
学生の諸君に言ったんだが、君、この規則が全部問題にならないなんというようなことを
考えるのはおかしい、これがどれもこれもみな気にくわないというようなことを言うのはおかしい、これはいいことも書いてあるし、また当然やらなきゃならぬことも書いてある、それを君
たちが全部認めないなんというような言い方をするんじゃちょっとそれはおかしいぞと、こう言った。そのことも私はこの
文教委員会で言ったわけです。それから、こないだあなたのほうの寮に入られる
学生の諸君が十人近くぼくのところにいらっしゃって、そのときもぼくはそのことを話したんですが、それで、君らはけんかするなというような話をした。
学生同士の間でそういうことはやめろ、とにかくここはお互いに仲よくいけるような道を
考えろということを言ったら、ぼくらの
考えとあなたの
考えと同じだというようなことを
学生の諸君は言った。だから私は、そういうことを
考えていますから、何でもあなたのほうが悪いとも思っておりません。ただ、いまあなたもおっしゃったけれ
ども、あれを見て、
学生の自主的なあれをよくこの中に取り入れているという感じは私は率直に言ってしない。これは先ほどあなたが、何か規則ずくめでちょっとあれするというような、それに近いような表現がございましたけれ
ども、私もそれは
学生の諸君がちょっとひっかかるんじゃないか。そしてお互いに疑いを持っている場合にはなおさらひっかかるんじゃないか。だから、そういうことのかみくだいた解釈が必要じゃないかということと、もう
一つ、やっぱり選考
委員なんかについてももっと考慮する必要があるのじゃないか、これは大学
学術局長に聞きたいのだが、これに関する答申があったときに、選考なんかについては
学生がやってもよろしいという項目があった、
学生がやるというやり方があるし、それから
学校がやってもよろしい、いろいろな
方法を二つか三つ出しているはずだ。だから、
学生がやるという
方法だって認めてもいいと思うけれ
ども、それはいまの
段階で
学生だけがやるといったってまとまらない。しかし、その選考
委員の中に学識経験者もけっこうですけれ
ども、もう少し若い者の
発言のできるような、
意見をその中に入れるような
配慮が一体できないものなのかどうか。ぼくはそういうことは、おとながぐるっとひとつ大きくなってのみ込んでやっていいのじゃないかと思うのですよ。そういう具体的なことをある
程度、これはまあたとえ
文部省がどういう指導をしたにしろ、答申があって、答申の解釈をどうしようが、
学徒援護会という団体の
性格からいって、私は
理事長さんの権限でそういうようなことをやることもけっこうだし、あるいは役員会を開いてそういうことをやってもけっこうだ、やられるべきだと思うのですよ。それが私は、ちょっとやはりそういう点のことをあげつらえば多少ある、
学生の言い分にも問題がある、なるほどと思うところがある。いいところばかりではない。ひっかかるのもよくわかる、こういうことになるわけでありますが、もう
一つそこらは、
理事長さんとしてここでふんばってもらいたいと私は思うのです。
学生の諸君もたいへんぼくは変わった
考え方になってきているじゃないか。それを入れないというようなやり方をして、あそこへ三百二十名あれしても、さあ取りこわしになった、あの若いエネルギーがそういうことによって反撥を感じた場合にはどんなことになるかというようなことは、これはよその国の例で、少し事件の違ったことを言っておかしいですけれ
ども、それは韓国にしろベトナムにしろ、どこだって若い者というのは、われわれがびっくりぎょうてんするようなことをやり出すこともある、そういうことを
考えますと、私はこれは事業そのものの信用の問題にもなることだと思うので、この点は一体どうなのか、ひとつ私はお
考えの余地がないものかどうかを
お尋ねしたいのです。衆知を集めているということも私は認めますけれ
ども、この点についてはもっと考慮の余地がある。なお、答申の中にもそういうことが非常に自由な
考え方の答申もある、どれということにこだわっておらないような気もするのです。どうかそういう点について、いまあそこに三百二十名の
学生の諸君がいる。いまその中に新館に入ってもいいというような気持ちになっている、そして、率直に言って
皆さんのそれに対する、管理に対するあなた
たちの
責任も認めるというところまで歩み寄っている、そういう
段階に、あらためてこういう問題を具体的にあの
人たちと話してみる気持ちがあるのかどうか、そこらをちょっと
お話をいただきたいのです。