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1965-04-22 第48回国会 参議院 文教委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年四月二十二日(木曜日)   午前十一時四十三分開会     —————————————   委員の異動  四月十五日     辞任         補欠選任      近藤 鶴代君     井野 碩哉君  四月十六日     辞任         補欠選任      井野 碩哉君     近藤 鶴代君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         山下 春江君     理事                 久保 勘一君                 二木 謙吾君                 小林  武君     委 員                 木村篤太郎君                 近藤 鶴代君                 笹森 順造君                 中野 文門君                 中上川アキ君                 野本 品吉君    国務大臣        文 部 大 臣  愛知 揆一君    政府委員        文部政務次官   押谷 富三君        文部大臣官房長  西田  剛君        文部省大学学術        局長       杉江  清君        文部省調査局長  天城  勲君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        文部省初等中等        教育局初等教育        課長       西村 勝巳君        文部省大学学術        局学生課長    笠木 三郎君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○連合審査会に関する件 ○日本育英会法の一部を改正する法律案内閣提  出) ○教育文化及び学術に関する調査道徳教育に  関する件)     —————————————
  2. 山下春江

    委員長山下春江君) ただいまより文教委員会開会いたします。  連合審査会に関する件についておはかりをいたします。  産炭地域における公立の小学校及び中学校学級編制及び教職員設置に関する特別措置等に関する法律案について、石炭対策特別委員会からの連合審査会開会の申し入れを受諾することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 山下春江

    委員長山下春江君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  なお、連合審査会の日時につきましては、これを委員長に御一任を願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 山下春江

    委員長山下春江君) 御異議ないものと認め、さよう取り計らいます。
  5. 山下春江

    委員長山下春江君) 日本育英会法の一部を改正する法律案議題とし、前回に引き続きこれより質疑に入ります。  御質疑のある方は順次御発言を願います。  なお、政府側より、愛知文部大臣押谷文部政務次官西田官房長杉江大学学術局長が出席いたしております。
  6. 小林武

    小林武君 これは局長でけっこうですが、昭和二十八年と昭和三十六年に育英会法改正があって、返還免除教職員に関する範囲が拡大されたわけでありますが・その際・この二十八年から・遡及してこの教員養成大学その他について免除措置がなされたわけですけれども、その免除から漏れたといいますか、漏れたもの、その漏れたものの数はどのくらいかわかりますか。
  7. 杉江清

    政府委員杉江清君) 免除措置遡及いたしましたのは、義務教育に従事するものに育英制度を適用するというときに遡及したわけであります。これは全部を遡及しておるわけでして、漏れるということは実際上あり得ないことと思います。  それから大学院奨学生についてもこれは遡及しております。これはもう全部に遡及しているわけであります。これらの遡及措置をとりましたのは、従来、給費制度がありましたものを貸費に切りかえたものについて・これは当然免除措置が当初から予定されておったというような事情を考えまして遡及したわけでございます。ところで、その他については、これは遡及措置を講じておらないわけでありまして、これは、いろいろ制度のたてまえ、公平の観念等から遡及いたしておりません。
  8. 小林武

    小林武君 ちょっといまのところで明らかでなかったのですが、まあ教員養成大学については、国立教員養成課程に在学中の者についてはそうなったでしょうが、そうでない一般大学の者で、昭和二十八年以降であれば当然この返還免除の特典を得られるものが得られなかった、そういうものはあるわけですね。この数は大体つかめませんか、どのくらいあるものか。
  9. 杉江清

    政府委員杉江清君) 御質問のようなそういうものはございます。それについては課長からちょっとo
  10. 笠木三郎

    説明員笠木三郎君) ただいまのお尋ねのとおり、義務教育教員養成学部卒業者以外の一般大学学部を出ました者につきましては遡及をいたしておりません。これは先ほど局長から申しましたように・本来・その当時の返還免除につきましては、旧制教員養成学校における給費のいわば肩がわりというふうな形がございましたので、そのいわば期待権を持っておる者につきましては、育英会のほうで貸与金に切りかわりましたときに、返還免除に切りかえさしたわけでございますが、その他の一般大学学部卒業者につきましてはその措置をとらなかったわけでございます。これは先ほど申しましたような趣旨に沿っての措置であったわけでございます。なお、そのとき一般大学学部を出まして義務教育教員になりました者の数はちょっと明確でございません。ただ予想されますのは・きわめて少数であったろうということでございます。
  11. 小林武

    小林武君 いや、あなたのそういう措置遡及してやらなかったということについては、これはいいのですよ、法律にそう書いてあるのですから、それはいい。大体、そういうものの数というのが大体ないのか。それはいまここにお持ちにならなかったら・あとでけっこうですけれども・これは相当数あるでしょう。それが、なぜそういうことを聞くかというと・たくさんあれば・その中から、教員の中にも延滞者数というので出ているのじゃないか。聞くところによると、相当、何と言いますか・支払い命令を受けている者もいる、さらには、次の段階で、仮執行処分がどうとか、強制執行がどうとかいうことも起こるのではないかと心配しているわけですけれども、何しろ教員ですから、そういうことを心配しているので、その数が大体どのくらいあるかということを知りたいのです。おわかりにならなければいいです。  それから、昭和二十八年の法改正、三十六年の法改正、これによって漏れている者、返還免除から漏れた者というのはどのくらいいるものですか。たとえば、それは一般大学その他で漏れている者というのはどのくらいありますか。
  12. 笠木三郎

    説明員笠木三郎君) 正確な数字につきましては、私いま持ち合わせございませんけれども、筋といたしまして、いわゆる漏れた者といたしましては、当時、現に在職しておりました者は法律の適用は受けておりませんので、たとえその当時に、たとえば同等学校教員でありました者につきましても、すでに在職している者は対象外になっておるわけでございます。そういう筋はございますけれども、具体的な数字につきましては、いまちょっと申し上げかねるわけでございます。
  13. 小林武

    小林武君 私は先ほどから申し上げているように、延滞者数がどのくらいあるかということも心配でありますし、あるいはこの支払い命令を受けている者が教員の中から出るというようなこともあまり好ましくない、その原因を尋ねてみれば、やはり教員を同じにやりながら平等な扱いを受けてないという面も相当強く見てやらなければならないと思いますので、正確な数字をひとつあとでお調べになって出していただきたいと思います。  そこで、文部大臣にちょっとお尋ねいたしますが、こういう昭和二十八年以前のいわゆる教員養成大学以外のいわゆる返還免除に漏れている者とか、それから二十八年、三十六年に法改正が行なわれても、なおかつこの返還免除から漏れている者があるわけでありますが、これにはもちろんやはり一つの制限された規定もあるわけでありますから、全部ということはできないでしょうけれども、こういうものに対して、文部大臣としては、やはりかなり考慮するというようなことができないものかどうか、ちょっとお尋ねしたいのです。
  14. 愛知揆一

    国務大臣愛知揆一君) いろいろの返還免除についての御希望といいますか、陳情なども受けておるようでございますので、制度として認めてしかるべきものが将来研究の結果出てまいりますれば、免除の幅を広げるということは考慮してしかるべきものかと考えております。
  15. 小林武

    小林武君 それからこれも局長にお伺いしたいわけですけれども、大学二年以上の終了者で一年以内に採用されて、しかも二年以上勤務しておった、助教諭という身分で勤務しているために返還免除対象にされていないという者が、これはあまり多くの数ではないようですけれども、あるやに聞いておるわけです。その中には、全く、何といいますか、教員免許状としてはりっぱに有資格者でありながら、採用のいろいろな事情によって、助教諭という職種で勤務しておる、そのことのために免除されないというようなものがあるということは、これは非常に均衡のとれない話だと思うのですが、そういうことをお聞きになったことがございませんか。また、そういうものがあれば、これは免除から漏れていることが適当でないと思うのですが、どうでしょうか。
  16. 杉江清

    政府委員杉江清君) いわゆる普通免許状を持っておって、なおかつ助教諭として任命されておるということは、本来たてまえとしては望ましくないことと思います。ただ、実際問題として、いろいろな人事都合等によってそういうものがあるわけであります。ただ、その数はそう多くないと思います。ところで、普通免許状を持ちながら助教諭の職についておる、そうして、それがいわゆる免除職猶予期間、いわゆる二年を過ぎてもなおかつその助教諭のままでいるという場合には、いろいろな不都合が生じてくるのでありますけれども、しかし、そういうことは一般的にはほとんどあり得ないことだと考えますけれども、しかし、現実にごくわずかであろうと思いますけれども、ないとは申せない。文部省としてはそういう扱いをしないようにという指導をいたしてきております。普通免許状を持ちながら助教諭の職につかせること自体が望ましくない、しかし、人事都合助教諭につかれた場合においても、それを長くそのままにしておくということは望ましくない、こういう指導はいたしてきておりますが、現実に、それにもかかわらず、ごくわずかあるかもしれないと、私どもは考えておりますが、その詳細な数字はつかんでおりません。これは県に個々に聞かなければわかりませんがごくわずかはあり得るかと考えます。
  17. 小林武

    小林武君 これも、いま局長のお話のように、ぼくはあまりたくさんの数じゃないと思うのです。しかし、そういうものが実在するということについては、私はずいぶん以前からこのことを耳にしているのでありますが、これはやはり県の何といいますか、いろいろな予算の関係なのか、あるいは何なのかわかりませんけれども、そういう何か事情があるらしいのです。  そこで、文部大臣にもお願いしたいわけでありますが、そういうようなものについては、やはり本来ならば助教諭にしておくということはどうもちょっとおかしいのですけれども、どうしてもこの助教諭にしておかなければならぬような事情があったり、その県でそういうことをどうしても固執するということであるならば、それらのものについては、やはりある程度考慮していただかなければならぬと私は考えるのですけれども、大臣としてはこれはいかがなものでしょうか。
  18. 愛知揆一

    国務大臣愛知揆一君) 私はこういうふうに理解しているのでありますが、助教諭免除職に加えるということは、助教諭というものの臨時免許状と申しますか、それを持つ助教諭というのでございますから、これを免除職に加えるということについては、私は消極的な考えを持っております。ただ、普通免許状を持っている人が二年以上助教諭としてとどまっているものがあるかどうかについて、ただいま局長から申しましたように、実態をつかんでおりませんので、これは人事上の問題でもあろうかと思いますが、まず実情を把握をすることが、私は差し向き必要なことではないかと思いますので、二年以上助教諭であるというようなことは本来あるべき姿でございませんから、それを是正いたしたい、二年以内に助教諭から教諭に昇格といいますか、なった場合には免除対象になるわけでございますから、まず、二年以上とどまらないように、教諭に全部するようにいたしたいと、こう考えております。
  19. 小林武

    小林武君 しかし、現実にあった場合には、私はこれはどうにもなりませんし、文部大臣としても、ある程度県のいろいろな取り扱い指導はされても、なかなか全部解消するというようなことは容易でない場合もあるのですが、私としては、やはりこの取り扱いについては考慮していただきたいと思うのです。助教諭であるからといって同じ条件を持っておる者が返還免除から免れるということは、ちょっと私は納得ができないわけであります。それと同じようなことが、たとえばこれは高等学校実習助手なんかの場合にもあるのですね。ちゃんと免状を持っておる、しかし、定員その他の関係で採用されておらない。正式に教諭としては採用されておらないということで、これもやはり資格を持ち、しかも勤務年数もちゃんと満たすだけの二年以上を持っていながら返還免除を与えられていない。こういう事実はこれもやはり相当ある。こういうものについてひとつ文部省でも手を打っていただきたいと思うのです。これはもうこのごろできた問題ではなく、かなり長い間これは問題点として指摘されてきたところなんでありますが、こういう点についてはどうでございましょうか。
  20. 愛知揆一

    国務大臣愛知揆一君) 最初に申し上げましたように、なお研究すべき問題は相当あろうかと思いますので、そういう点はただいま申しましたように、実態を掌握しながら、ごもっともの御意見につきましては善処するようにいたしたいと思います。
  21. 小林武

    小林武君 この点はこのくらいにいたしまして、一つだけあとお伺いいたしますが、養護教諭養成機関によって扱いが別だということは、これについては前回には吉江委員、あるいは久保委員からも質問があったわけでありますが、この点については、私はもう早急に、国立のものだけに限定することなく、文部大臣の指定しましたものについては全部やはりこれに該当させるようにしていただきたいと思うのですが、この点についてはどうでございましょうか。
  22. 愛知揆一

    国務大臣愛知揆一君) この点についてはただいま検討中でございますが、前向きに処理をいたしたいと考えております。
  23. 小林武

    小林武君 質問を終わります。
  24. 山下春江

    委員長山下春江君) 他に御発言もなければ、質疑は尽きたものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  25. 山下春江

    委員長山下春江君) 御異議ないと認めます。  二木委員から委員長の手元に修正案が提出されておりますので、この際、本修正案議題といたします。  二木委員より修正案趣旨説明を願います。二木委員
  26. 二木謙吾

    二木謙吾君 私はこの際、本法律案に対しまして、修正案を提出いたしたいと存じます。  まず、修正案の案文を朗読いたします。  日本育英会法の一部を改正する法律案の一部を次のように修正する。  附則第一項中「昭和四十年四月一日」を「公布の日」に改める。  附則第二項中「国立工業教員養成所」を「国立養護教諭養成所及び国立工業教員養成所」に改める。  以上でございます。  本修正案は、本法律案の四月一日施行が不可能となりましたので、これを公布の日とするために必要な修正を加えようとするものであります。  何とぞ御賛成をお願い申し上げます。
  27. 山下春江

    委員長山下春江君) これより原案及び修正案について討論に入りたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  28. 山下春江

    委員長山下春江君) 御異議ないと認め、これより討論に入ります。御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べを願います。別に御意見もないようですから、討論は終局したものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  29. 山下春江

    委員長山下春江君) 御異議ないものと認めます。  それでは、これより日本育英会法の一部を改正する法律案について採決に入ります。  まず、二木委員提出修正案を問題に供します。二木委員提出修正案賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手
  30. 山下春江

    委員長山下春江君) 全会一致と認めます。よって二木委員提出修正案は可決されました。  次に、ただいま可決されました修正部分を除いた原案全部を問題に供します。修正部分を除いた原案賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手
  31. 山下春江

    委員長山下春江君) 全会一致と認めます。よって、修正部分を除いた原案全会一致をもって可決されました。  以上の結果、本案は全会一致をもって修正議決すべきものと決定いたしました。  なお、本院規則第七十二條により議長に提出すべき報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  32. 山下春江

    委員長山下春江君) 御異議ないものと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  33. 山下春江

    委員長山下春江君) 教育文化及び学術に関する調査中、道徳教育に関する件を議題とし、前回に引き続きこれより質疑に入ります。  御質疑のある方は順次御発言を願います。  政府側からは天城調査局長が出席いたしております。
  34. 小林武

    小林武君 天城局長にお尋ねいたしますが、前回人間像というのを学術用語であるかどうかという、こういう質問をしたわけです。私は学術用語ではないように考えます。そうなりますと、文部省としては、期待すべきこの人間像の問題で広く国民意見を求められておることでもあるししますから、人間像とは一体文部省としてはどういうものであるかということをお示しにならないというと、これは十分な国民の声を反映するという文部大臣の要望が十分成功しないわけでありますから、その点の説明をしていただきたいと思います。ただ、文部大臣からその際答弁のありましたことは、鋳型ではありませんということだけは聞いております。その以外のことは伺っておりませんので、その点についてあなたから御説明をお願いいたします。
  35. 天城勲

    政府委員天城勲君) 私もあらためて人間像の定義というか、意味を御説明申し上げる資格はないかと思うのでございますけれども、ただ、中教審の現在の仕事の所管をいたしております関係から、現在、後期中等教育の拡充という問題について大臣から諮問をいたしております。その中に人間像ということばが使われておりますので、これを諮問いたしましたときの考え方と申しますかを簡単に申し上げたいと思っております。  確かに小林先生おっしゃるとおり、学問的な用語でもないと私は思っておりますし、また、教育学上どういうふうに概念するかというふうなこともよくわかりませんが、簡単に言えば、非常に常識的なことばだと思っております。ただ、当時の考え方といたしまして、これからの進み行く社会と申しますか、発展していく社会における日本人の姿を見た場合に、単に道徳的な面とか、あるいは倫理的な面からだけ見るのではなくて、これからの社会は経済も発展してまいりますし、同時に社会も高度化してまいりますと、そこに生きていく人間の姿というものはいろいろな能力も要求されましょうし、資質も要求されましょうし、あるいは肉体的にも健康でなければならぬ、いろいろな条件が広く入ってくると考えられるわけでございます。そうなりますと、従来一般に使われておりましたような、ただ望ましい姿だとか、あるいは理念とかということばよりも、人間像と言ったほうがこれらの要素をより包括的に含んだ意味が出てくるのじゃないかというような意味人間像ということばを使ったわけでございまして、先ほど申し上げましたように、学問上とか、哲学上とか、その意味を特に持ってこのことばを使ったわけではございません。
  36. 小林武

    小林武君 いまの局長の御答弁を聞いて、わかったようでもあるし、わからないようでもあるわけなんですが、鋳型でないというようなことを、大臣はこれは何かあらゆる機会に述べられておるのですね。鋳型でないということはどういうことかと私もいろいろ推測をしてみたのですけれども、同じようなタイプの人間をタコ焼きでも焼くようにつくることではないというような意味だろうと私は思うのですが、しかし、そのあなたのおっしゃることを聞いていると、能力だとか、資質だとか、あるいは肉体の問題とか、あるいはその他のいろいろな条件というようなことがかくかくのものでなければならないということになれば、これは結局、鋳型でないという考え方とあなたのおっしゃる考え方の間にはどれだけの差があるのかということなんですね。私は戦前に非常に強く感じておりましたことは、特に修身という授業をやってみて常に感じておりましたことは、何をつくるのかということを非常に疑問に感じながらやっておったのです。あまり疑問を当時持つというと、これはおそるべき結果になりますから、あまり疑問のあるような顔はできないのですけれども、疑問を持っておった。というのは、これはもう教育勅語の初めのほうからずっと全部教科書に項目別になっております。忠だとか、孝だとか、あるいは公益、世務であるとか、あるいは徳器とか何とかということをずっと書いておって、最終的にはそれをまとめて、よい日本人をつくるんだというようなところに大体総括されておる。私はそういう行き方はやはり一つの型をつくるものじゃないかとその当時思った。そうすると、一体個性ということはどういうことになるか。人間の持っているいろいろな持ち味というか、ごく常識的なことばで言えば、そういうものが一体どういうことになるのかということに非常に疑問を感じておったのです。これは疑問の一つなんですがね。いまやはり同じ疑問を、あのあなたが文部省から出されたこの期待される人間像が出たときにまた感じたのです。鋳型でないということは鋳型だということと同じことじゃないか。鋳型であるから鋳型でないと言っているのじゃないかということを強く感じたのです。まあそう思っているのですが、あなたのおっしゃる、いわゆる日本人の姿と像と、そこの関係はどういうことになるのかよくわかりませんけれども、姿にしても、見たら姿がわかるのだから、やはり型であり、もっとがっちり言えば鋳型でありということになりゃせぬか。私は意地悪く聞くのではなくて、どうも日本人というやつはいけないというような気持ちがしているのですよ。わりあいにあいまいなことを文部省のほうから一体答申を求めた、そうしたら、文部大臣ことばでもって言うと、日本の一流の偉い人たちが集まったと言うのだが、その集まった人たちがいずれも、吟味したのかしないのか知らぬけれども、ああ、人間像、けっこうというようなことで答申をされた。今度はそれを見たら、小中学校だとかの校長会が集まって、たいへんにけっこうなところもあるが、けっこうでないところもあるというようなことを、簡単にだいぶそれに対して意見発表をやっている。それらの方が一体ほんとうに吟味して日本人人間像というようなものを考えたのか、人間像というものは何なのかということを検討した上にやったのか、文部省が言ったから、ひとつそれにこたえなければいかぬという態度でないか。それでは日本の将来が心配だという感じが私はするわけです。そういう立場から言って、どうも局長さんの答弁ではちょっと納得がいかぬのですよ。姿だとかね。
  37. 天城勲

    政府委員天城勲君) 二、三補足させていただきたいと思いますが、まあ大臣がたびたび鋳型でないということを申し上げておる理由は、これはたいへん、へ理屈のようで申しわけございませんが、鋳型というのは、鋳型をつくってはめ込んで同じものをたくさんつくるという意味で、鋳型というふうにおっしゃったのだろうと思いまして、そういう意味鋳型ではないという意味で申し上げているのだろうと私ども解釈しております。で、問題の初めでございますけれども、御案内のように中教審に諮問申し上げております問題は、後期中等教育の拡充という問題でございます。すべての青少年を対象として、後期中等教育の拡充整備をはかるということが問題でございまして、この段階の青少年は、高等学校へ在学している者もあれば、すでに社会に出て勤労に従事している青年もあるわけでございますが、これらの青少年がやはり何らかの形で教育の機会に恵まれ、教育を受けるということが非常に望ましい、そういうことになってきておりますので、その問題を諮問しているわけでございます。ただ、どうしても制度論になりますので、それでは高等学校をどうするかとか、あるいは同等学校以外の教育機関をどうするかとかいう制度論に入る前に、いわゆるこの後期中等教育段階の年齢層の青少年の教育を考えるには、特にすべての者に対して、こういうことを前提とした場合にはなぜそういう教育を拡大する必要があるかという理念をひとつ検討する必要があるだろう。その理念を考えていきますと、すでに社会人である青少年でありますし、大部分は社会にすぐ働きに出て活躍する青少年でありますれば、どうしても発展していく国家社会における日本人間像というのをやはり念頭に置かないと出てこないだろうという考え方から、それとの関連においてこの人間像という基本問題が出てきたわけでございます。中教審にお願いしておりますのは、究極的には後期中等教育を拡充するにあたっての十五歳、十七、八歳までの青少年の教育理念ということを、学校教育とか、それぞれの機関の目的とかいうものじゃなくて、広く御検討ありたいということでお願いしているわけでございます。したがいまして、中教審の委員会でも、これはこういう問題になるとどうしても基本的な問題からやはり入っていかなきゃいけないということで、非常に広い御議論があったわけでございまして、議論の過程は一々申し上げられませんけれども、委員の方々の中には、そういう問題を考えるには、そもそも人間は何かということから考えなければいけないという御議論をたてられた方もおられます。ことに時代性、現代あるいは今後の発展する社会ということに無点をおいて考えなければならないという御意見もございましたし、あるいは青少年という年齢層に特に焦点をおいて考えるべきだという議論もいろいろございまして、いろいろな角度からこの問題が取り上げられたわけでございます。しかし問題は非常に重大であるし、また、小林委員もおっしゃいましたように、これは一つ鋳型をつくるという意味では毛頭ないので、皆さんが青少年の教育理念、あるいは日本人人間像についていろいろ考えていただく機会でもあるし、そのよすがにもなるということに重点をおいていこうということで、実は中教審といたしましてもまだ最終の結論に至ってない。特別委員会の、しかも中間の形のままでも皆さんの御意見を聞こうじゃないかということで発表されたわけでございまして、私たちも初めからそうでございますが、中教審におきましても、鋳型をつくろうとか、先ほど私が申し上げましたような意味での鋳型をつくろうという考えは毛頭ないわけでございます。人間像ということばだけからいくといろいろあるかもしれませんが、こういう背景と審議過程を経て今日の中間草案が出ているわけでございます、幸いにいたしまして、いろいろなところから御意見が出ておりまして、これはもちろん賛成論も反対論も積極的な御批判もたくさんいただいておりまして、その点では皆さんの御意見を伺ったのは非常によかったのじゃないかと考えております。
  38. 小林武

    小林武君 率直に言って、いまの御意見では私は何もわからなかったと申し上げたほうが一番正直だと思いますが、あなたのおっしゃることをだんだん聞いているというと、人間像に対する問題をみんなの前に出したら賛否いろいろな議論があるけれども、たいへんいい議論を提供したように、こう言われましたけれども、私はそう思わないのです。先ほども言いましたように、実にどうもまあ浅薄なものの考え方しかできない人たちが多いんじゃないかということを心配しているのです。率直に言って、あなたが人間像というようなものを十分私に納得させるだけの説明がまだなされていない。しかし、受け取るほうは、人間像というものはもう十分に説明し尽くされている。内容も何も全部把握したようなものの考え方でいろいろな結論を出している。特にそれが教育関係者の中にたくさん出ているということですよ。これは私は大きな将来あやまちを日本教育の中に持ち込むものではないかということを心配しているのです。だから、お尋ねをもっとしなければならぬのですが、結局あなたがおっしゃることはどういうことなのか。日本人の姿ということであるならば、日本人の姿として、こうこうこういうものでなければならぬということになると、一つの標準ができる。姿としての標準があるわけです。そうすると、それは鋳型でないにしろ、一つの型でありますから、その型に合わせるように教育するということでありましょう。私はあなたのところから出た文部広報を見ても、この中に示された期待される人間像というものの全文を見ると、その中にとにかく盛られている内容は、全部とにかく条件を具備しなければ期待される人間にはならない。これを要求しているのでしょう。まだこれはとにかくいろいろ議論を願うものでございますと、あなたおっしゃるけれども、事実はそういう行き方ではなくて、実際上進行しているのは、文部省意見に一体どう協力したらいいかとか、その御趣旨に従ってとにかくやったらいいだろうというようなところに話が進んでいっている。そうだとしたら、文部省はやはりもっと責任ある私は答弁をしてもらわぬと困ると思うのです。その姿というのはどういうことなのか、一つの型なのか、何なのかということをはっきりしてもらいたい、なお、これについては私はあとでまた皆さんにお伺いをしなきゃならぬと思っておりますが、その点まずとにかくどうですか。とにかく一つの型でしょう、これは人間像というのは。一つの姿を持った形でしょう。そのことだけは間違いないのじゃありませんか。
  39. 天城勲

    政府委員天城勲君) 型、像ということですから、形がどこまでかわかりませんが、とにかくそういう単なる抽象的な理念、倫理という面だけでなくて、先ほど申したような要素というものを盛り込んだものということで申し上げたわけでございますが、何かその結果一つの完全な、どうもうまく表現できませんが、頭から足先までそういうものででき上がった人間の形ができるというふうには私たちも考えておりませんけれども、ここで取り上げます、そういう像を目標にして、いろいろな方々の御意見が、現在中教審の方でも出ておりますのですから、極端に言いますと、頭の先から足の先まで完全な理念を具現した人間像をつくるということは、あるいは文章にしても書くということは、きわめてむずかしいことではないかと私も思っております。中教審の委員の方々も、そういうことは皆さん議論の過程で出ております。現在の中間草案に対しましても、その点は足りないとか、こういうものを補えという議論は絶えず外からもございますし、これは極端に言えばきりがないことになるわけでございまして、結局、これが唯一の姿であって、これが鋳型だというような考え方委員の方々もどなたも持っておられませんし、私たちもそういうものがつくられるということは必ずしも期待しているわけではございません。なお、現在中間草案という形で出ておりまして、広く御意見を、賛否両論いただいておるわけでございますので、これらの御意見を十分入れて、中教審の特別委員会でもまた審議を続けられることだと思いますので、いま結論的に私のほうで何だということを申し上げる段階でないこともひとつ御了解願いたいと思います。
  40. 小林武

    小林武君 私はその人間像というものの、何といいますか、一つの、かくかくの型というようなことを、あなたのほうで言い切る段階でないということにつきましては、これは承知してもいるのですよ、手続上そうなっていますから。中間発表ですから、これはもちろんあなたのおっしゃることをそのままきわめて率直にお受けいたしますが、しかし、それはともかくといたしまして、最後には結局いろいろ討論をされた末には一つの形はできる、像ができるんでしょう。あなたいまいろいろな人が意見を述べられるようなことを言っておりますけれども、そのいろいろな方のいろいろな意見というようなものがまとまって一つの成案ができたのでしょう。これはもうとにかくまとまりとしての一つの像というものがここに出たと言わなければならない。あなたもおっしゃっているように、その像があって、それを目標にしていったらどうだろうかと問いをかけているわけですから、各界あるいは国民全体に対して問いをかけているわけですから、だから私は人間像というのは一つの型ではないか。りっぱなこれは、私をもって言わせますと、鋳型だと思う。教育鋳型ですよ。ことばは悪いかもしれない、そういう形の人間をつくろうというのですから、型をつくったからには同じようなものができることは、多量にできることはその大きな目的になるわけでしょう。そうなりませんか、どうですか。
  41. 天城勲

    政府委員天城勲君) 最初に申し上げましたように、後期中等教育の拡充ということで御諮問いたしているわけでございまして、最終的には、私も委員会の審議中ですから結論を私が予見するわけにまいりませんけれども、御答申いただくものとしては後期中等教育の拡充という問題について焦点が合わされて御答申があるものと期待しているわけでございます。先ほど申しましたように、この問題を考えるためにいろいろな角度からの議論があって、基本的な人間というものもやはり考えていかなければいけない、時代性ということも十分考えなきゃいけない、年齢層も考えなくちゃいけないという御議論がございまして、現在その中間の形で、とにかく天下の御意見を聞こうという形になっているわけでございます。中間草案をごらんになりましても、序論と本論に分かれております。序論というのがある意味では時代性というものに重点を置いた御意見の焦点がそこにある問題、本論のほうがいわばもう一つ基本的な人間そのものに触れた点かと思います。  なお、特別委員会においても、最終的には後期中等教育の拡充という問題、その前提の理念ということについて問題を最後に整理すべきだという御意見もございますので、最後の形はどうなるかということはいまわかりませんが、繰り返して申し上げておりますように、これは大臣もその他もしばしば御発言があったと思いますが、鋳型をつくるという意味で御諮問申し上げたのではございませんし、また答申があっても、そういう形でこれを使うというような意図は初めからございませんことを申し上げます。
  42. 小林武

    小林武君 これね、後期中等教育の問題から出てきたとおっしゃいますけれども、これ後期中等教育として期待される人間像があって、それでは今度は後期中等教育以外の大学のところへいったらまた人間像が違ってきて、その前段の段階の初等教育ではどうだということをそういうふうにおっしゃるのは、これはやはり人間をあまりにも人形扱いしたような話だと思うのです。当然これは一貫した人間像の問題ですよ。これはもう小学校から死ぬまでの間の日本人人間像をあなたはさしているものでないとおっしゃるなら、これはとんでもない間違いだと私は思うのです。それから時代のこととか、いろいろな配慮をしなければならぬと言いますけれども、いろいろな条件とか、資質とか、能力とかいろいろな点についていろいろな議論が出たということはそれはけっこうです。それらのものができ上がればこれは一つの型ができるんじゃないですか。私は何ぼ権力を、力をもってしたところで、顔つきの変わっているところや、持って生まれた能力とかいろいろなものを変更することはできないですよ。整形外科がどれくらい進歩したか、するか知らないけれども、同じからだつきを持った、同じ顔つきをした人間なんてできるものじゃない、そんなことは。するべきものでもないと思う。あなたの結局内容としているのは何かということ、この期待される人間像の内容に盛られたこういうものが同一であるかどうか、こういう内容を日本国民が一体どのくらい目標に向かって、どのくらい似通った人間ができるかということでしょう。ねらいがそうでなかったら、そんなことを発表するわけはないと思うのです。だから、私はこの人間像ということについてもしも答申を求めるというのであれば、人間像とはどういうものかということについてあなたたちが検討しないわけはないと思うのですよ。これは文部大臣はそのときに思いつきで言ったか知らないけれども、文部省の皆さんが、優秀な文部省の皆さんがとにかく集まって、人間像ということを考えた場合にそんなぐらいのことを想定しないでやったらおかしい。その点は昔の軍隊のほうがずっとすっきりしておった。からだつきでも、とにかく服にからだを合わせろとこう言う。帽子に頭を合わせろとこう言う。もちろんその頭の内容の問題になるというと、こいつはもうこれでいけというようなことをちゃんと一分一毛も違わないようなそういう強要をしたものです。それに大体似通ったようなことを戦前の教育においてはやられた。教育勅語と、それと最も望ましいのはいわゆる軍人に賜わりたる勅諭を並用して、そして日本国民を養成しなければいかぬというようなことをわれわれ要求されてきた。この点は徹底している。そういうことと一体どこに遠いがあるのか、今度の期待される人間像は。どこに違いがあるかということをあなた方が発表する責任がありますよ、これは。それをいまのようななまくら答弁みたような話では私はこれは理解できない。鋳型でありませんなんて、これは何かことわり書きを前に言っているけれども、それじゃ何を要求しているのか、型じゃなかったら。型じゃありませんか。人間の型ですよ。まあこれについてひとつここであなた時間をとってもしょうがありませんから、もう少しわかるように説明してください。文書をもって説明してくださってもけっこうです。わかるようにしてもらいたい。人間像とは何か。少なくとも納得のいくように、常識を持っている人間なら大体理解できるような形でひとつはっきりしてもらいたいと思うのです。  もう一つ、これはあなたの所管ではないと私は思います、文部省というものは所管がはっきりしているから。たとえば、こういう期待される人間像という問題と道徳教育という問題とは切り離して考えることはできないと思う。重要な一つの要素だと私は思う。その中でたくさんとにかく内容がありますけれども、今度は人間のこの模範的人間というのをずいぶん上げている。これは一体どういうことなんですか。伊藤博文がけっこうな人間だというのは、伊藤博文と同じ人間になれということですか。伊藤博文がたいへん遊び好きなのはまねしては困るから別なところをまねせいということなのか。そういうことについても人間取り扱いについてどうなのか。私は非常に戦前疑問を持ったのはそれなんです。いわゆる例話の中に取り扱われる人間というものは生きた人間じゃないですよ。その人間の限られた一部分だけをとれと、こういうことなんです。そうでしょう。だれだって完全な人間ないのですから。二宮尊徳一人持ってきて、生まれたときから死ぬときのことまで考えたら、二宮尊徳だってわれわれがあっというようなことだってやっている、われわれがいまやったら直ちに問題になるようなことだってある。しかし、そのことによって二宮尊徳という人間の価値は私は変わらないと思う。人間らしいところにいいところがあると、私は逆にまたそう思っている。しかし、教えるときはそうじゃない。二宮尊徳の一部分、ほんの限られた期間の中のこの業績というもの、だからこれを全部集めてきたら、まるで妙な神さまみたいな人間というか、ここに教育としてあらわし出すことのできないような人間の像ができちゃう。私はそういう疑問を持っておったのだが、一体、文部省として今度取り上げられた、少なくとも今度出された資料だけでもけっこうですよ、あのたくさんの人間について期待される人間教育するためにどういうことを一体やろうというのか、ひとつここではっきりしてもらいたい。
  43. 西村勝巳

    説明員(西村勝巳君) 最初に、期待される人間像との関係でございますけれども、今度の道徳指導資料で上げました人物につきましては、これは期待される人間像のまだ中間草案の段階でございますので関係はございません。学習指導要領の目標、内容に定められているその内容を効果的に実現するために、教員にできるだけ豊富な教材を提供する、そういう意味で示したものでございます。そこで、御質問人間というものをどのようにとらえるかということでございますが、人間全体そのものを全部とらえるということは、これはおっしゃるとおりできないことだと思います。そのうちおよそ道徳的ないし倫理的価値、その面から見て非常に学ぶべき点、よい点、そういう点があるわけでございます。そういう部面をとらえまして、そこに強調された人間というものが浮かび上がってまいる、そういう部面について学んでいく、すなわち特定の人間の具体的な行動を通じて、さらに普遍的な理念、ないし人間の踏むべき規範というものがあるわけでございますけれども一そういうものを学ぶ。その具体的な手助けにするのがいま掲げられた人物ということでございます。
  44. 小林武

    小林武君 あなた気軽におっしゃったけれども、一人の人間の、何か時間的にいってもきわめて限られた時間、ある時点ですよ。その中での、非常に感心なことをやったとか、あなた倫理的とおっしゃったが、倫理的にたいへんりっぱなことをやった。しかし、同じその時点の中で、きわめて倫理的でない——あなたのことばでいえば倫理的でない、ぼくは人間的だから、必ずしも否定しないけれども、倫理的でない行動をやった。倫理的なやつと倫理的でないやつというのを量的に比較することはできるかどうか知りませんが、たとえば、事件数にしてみれば、事柄のあれでやってみれば倫理的でないほうが多い、きわめて人間的な、なまぐさい人間的な要素を持っているというような場合には、一体その限られた部分の、あれを人間教育として、その点だけを強調してやるということがりっぱなことですか、その点の判断。私は、あなたが教育をやったのかどうか知らぬけれども、教育という一つの仕事を通してやった場合に一体いいのかどうか。
  45. 西村勝巳

    説明員(西村勝巳君) もちろん人間すべてが常に同一の時点で倫理的な行動をしている、そういうものではないと思います。しかしながら、およそまた、その人間の生活で倫理的なものに関係ないこと、そういうような部面、何らかの形において、やはり倫理的なものに関係していること、そうしておよそ、非常に理念は人間的なものであると思います。片や理想を追い、片や現実人間はそれとやはり距離のあったそういう姿である。それが人間現実の姿であろうと思いますけれども、しかしながら、そういうやや高い、通常は達しがたいそういう理念に向かって努力するということも、また人間の姿だろう。またあるべき姿だろうというふうに思います。そこでわれわれは、そういった理念を必ずしも先生が生徒に向かって一方的にものを言うということでなしに、道徳の時間をつくるときにおきましても、師弟同行といいまして、先生も生徒もともにそれを目がけて倫理的な行動をするようにお互いにやりましょうというような形においてこの指導要領の内容はできておると思います。でありますから、そのような理念を実現している。しかしながら、必ずしも反面において、そうでないというような人間の面も見られますけれども、そういうやはり努力をしている姿というものを子供に知らせるということにつきましては、たいへん意義がある。このように考えております。
  46. 小林武

    小林武君 答えにならぬですよ、あなたの答弁は。一つの観念的な、人間はこうありたいとか、あるいは宗教的な問題で伝説的な、たとえば釈迦とかキリストとかいうような、われわれが現実にとらえて自由に批判することのできないような存在、そういうものに対して、われわれが一つの理想と考える面をそういう人はたくさん持っているわけでありますから、そういうものに対してわれわれが、とにかく弱い人間として、あなた言うような師弟同行か、そういう立場で、とにかくお互いは弱いけれども、もっと高いところに到達するように努力しなければならぬということについては私も肯定する。しかし、あなたが言っているのはそういうことじゃないのです。たとえば、一人の人間の中に部分的にきわめて何かいいことがある、いいことが行なわれたのだけれども、厳密に批判するといいことかどうかわかりません。同じ時点でどういうことをやっているかどうかわからないのですから。そういう面できわめて商い理念であるとか何とかということを言うことがどうなのかということなんです。それをどう教師は教えるかという問題なんです。まあ死んでしまった人ならばわりあいに気楽に言えるけれども、生きている人にはどうもたいへんなことだと思う。生きている人はどういう人をあげましたか、現在生きている人間は。
  47. 西村勝巳

    説明員(西村勝巳君) たとえば織田幹雄のような人がおります。それから中等の関係でもあげているわけでございますけれども、これはまあ新聞発表のときに、たとえば河西昌枝さんの手記というようなものが載っておりまして、あの中にまあ大松先生というようなことばがございます。でありますから、正式に生きている人というのは非常に少ないわけでございまして、客観的に価値の定まっているという人が中心でございます。まあああいう部面を非常にとらえておりますけれども、これは人物として掲げたのじゃなしに、河西さんの手記ということで、そういう意味でいろいろな著書、論文を書かれた人の中でありますと、現に生きている人というのはたくさんございます。しかしながら、まあ教材として、人物ということであげますのは、必ずしも、まあ大松博文氏、河西昌枝さんというようなのは人物として掲げたものじゃない、ただ、まあ書かれた人であるということでございます。ただ報道ではそうでないように書かれておりますけれども。でありますから、生きた人でとしてここに人物そのものを扱っているということであげたのでは、正確に調べておりませんが、織田幹雄さんだけがあがっているように思います。
  48. 小林武

    小林武君 やっぱり生きている方というとなま身なんですよね。なま身なんですよ。これはまあ百年とか何年とかたつと、これは国家に枢要な位置を占めておったとか何とかいうこともひとつ別にして、自由に批判もできるし、いろいろな角度から業績も評価できる。ある意味においてはけなすこともできるわけですよ。生きている人間というのは容易じゃないのですよね、これは。何をやるかわからぬ。これは人間棺を覆うて初めて評価できるというのは、これはそのとおりだと思うのですよ。死ぬまで何をやるかわからぬということですよ。ぼくら若いころに、北海道では有島さんのずいぶん額がかかっておったのですよ。有島さんの額を有島さんが亡くなったときにみなはずされた。私は有島さんのなぜ額をはずされるか、そのときに非常に疑問に思った。まあそのときの先生はそれなりに何か説明してくれましたけれどもね。しかし、私は有島さんのえらいところというのは、その死んだとか何とかということでは、そういう部面をいっているのじゃない。有島さんの非常に尊敬に値するところは別なことにあったんですよね。それでも何かちょっとそういう死んだというような事情の中でそういう事態が起こる。そういうあやふやなものを一体これを模範にすべしというような、そういう時代は過ぎちゃった、それはもう戦前でたくさんなんだ。そういうあやまちを、あなたは期待される人間像とは関係ないというのは役人答弁ですよ、それは。まだ成案になっていませんからなんというのは役人答弁です。教育答弁でないのです、それは。あなたがそう言っているうちに、さっきも言っているように、教育者の中では、こいつをとにかくけっこうだなんということをいってきめている一校を経営する者が集まって。そういうものは浸透しているのですよ。人間像なんということをまるで一生懸命に話し合っている事情も無関係ですか。どうして無関係ですか。無関係だと言って考えるのは、それはきわめて机の上の単なる言いのがれ的なものの言い方です、手続き的にはですよ。そういう言い方しないでもらいたい。問題にするのは、やっぱりいま取り上げている問題と期待される人間像とのかかわり合いで考えていく、あるいはあなたの出した資料と道徳教育の資料のかかわり合いで考えていく、あなた幾ら説明したって私が納得するような説明できないでしょう。説得するようなことはできないでしょう。たとえば、それがいま生きている人——生きている人について私はいろいろなこと言うことは。これはやめましょう。その人たちに対してぼくは逆に気の毒に思っている。そういうことをやられることは気の毒な話だ、被害者だと思う、ぼくは。名前をあげられて、おれも大したものだなんと思うような人ならよほどどうかしている人だ。これは被害者だ、死んだ人でもどうか。死んだ人でいろいろなことを言うなら、かなり批判もできるような立場におかれてしまっているにしても私は適当かどうかということになると、これはもう私はいまのような文部省の発想で道徳を考えるということになると重大問題だと思う。依然として戦前のものの考えから一歩も出ないような一体脳みその仕組みになっている。もっと人間的な把握をして、悪いところは悪いところ、いいところはいいところでやる。それは人物評論をやるように手きびしうやるならこれは別だ。しかし、教育の場ではなかなかそれはやれないし、対象のいかんによってはできないのです。特に道徳教育という立場においてはできない。そんなことはもうあなたもよく知っていられると思うのです。だから、私はこの点については大いに考慮してもらいたいと思っております。まあきょうはこれ以上やってもしょうがありませんから、後刻またこれについてはとっくり私のほうからも伺いたいと思いますし、あなたのほうでもひとつ準備をしていただきたいと思います。ほんとうに自信を持って、一体、例話の中に人間を取り上げるということの確信を持ってやってもらいたいと思います。たとえば、出されたものの中に、明治の功臣がいたら、その人が道徳的などれほど高い理念を持っているか、日本人として、二十一世紀に生きる人間として、その人をまねておったら間違いないというような一体確信がどこから生まれてきたか、その人の裏、表、あらゆる角度からひとつ検討してやってもらいたいと思います。もし、いまのような発想でやる場合ですよ、私は人間同士はお互いに弱いものだから、弱いところを補い合って、みんながひとつの目標に向かって努力するということについては私はそれを否定するものではない。そうあるべきものだ。しかし、その根底には、みんなが欠陥を持った人間であるという理解に立たないとならないと思います。道徳教育というものを、それを踏みはずしたらたいへんだと思う。この目標に向かって、おまえら行けと言われるということはだれが言えるか、あなたのおっしゃる先生、それから文部省の役人もみんなが到達するということのために、非常な努力が要るのだというような謙虚な気持ちでみんながやらなければならぬ。子を思う立場から、ひとつあなたにその説明を十分できるように、今度は一人々々の人間について十分検討しておいてもらいたい。答弁要旨をひとつつくっておいてもらって、私は詳細に一つ一つ承ります。どういう私生活だとか、どういうあれだったかということを十分ひとつ検討しておいていただきたいと思います。質問を終わります。
  49. 山下春江

    委員長山下春江君) ほかに御発言がなければ、本件に対する本日の質疑はこの程度にいたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後零時五十五分散会      —————・—————