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1965-03-18 第48回国会 参議院 文教委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十年三月十八日(木曜日)    午後一時十四分開会     —————————————    出席者は左のとおり。      委員長        山下 春江君      理 事                 久保 勘一君                 二木 謙吾君                 吉江 勝保君                 小林  武君      委 員                 北畠 教真君                 近藤 鶴代君                 笹森 順造君                 中野 文門君                 中上川アキ君                 野本 品吉君    国務大臣        文 部 大 臣  愛知 揆一君    政府委員        文部政務次官   押谷 富三君        文部大臣官房長  西田  剛君        文部省社会教育        局長       蒲生 芳郎君        文部省体育局長  前田 充明君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        文部省社会教育        局審議官     安達 健二君        文部省社会教育        局著作権課長   佐野文一郎君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○著作権法の一部を改正する法律案内閣提出) ○教育、文化及び学術に関する調査  (東京オリンピック記録映画に関する件)     —————————————
  2. 山下春江

    委員長山下春江君) ただいまより文教委員会を開会いたします。  著作権法の一部を改正する法律案を議題といたします。  前回に引き続き、これより質疑に入ります。御質疑のある方は順次御発言を願います。  なお、政府側より、愛知文部大臣押谷文部政務次官西田官房長蒲生社会教育局長安達社会教育局審議官が出席しております。
  3. 小林武

    小林武君 これは政府委員のほうからお答え願えればいいんですが、「著作権制度審議会審議状況と主要な問題点」、その中の第一小委員会のまるの二番目ですが、共通事項として、保護期間人格権審議を残しているというのの「人格権審議を残している。」、これは全然やっていないということですか。それだけでいいんです。全然やっていないということか、一部分残しているということか、どっちですか。
  4. 安達健二

    説明員安達健二君) 著作権制度審議会の第一小委員会のうちで、いま御指摘のございました保護期間については、小委員会としての一応の審議を終えておりますし、そして人格権につきましては二回ほど審議がございまして、きのうもその審議をやられました。
  5. 小林武

    小林武君 大体どういう事項について、人格権のほうだけでけっこうですけれども、審議の概要のようなものを。簡単でけっこうです。
  6. 安達健二

    説明員安達健二君) いわゆる著作者人格権ということにつきましては、第一番目は著作者著作物著作者であることを主張できる権利ということか、もう少し具体的に申しますと、ある本について自分が著者であるということの氏名を表示を求める権利、こういうようなことが一つ内容でございます。それから第二の点といたしましては、著作物変更を加えまして、著作者の名誉、声望を阻害しないようにすることの権利、こういうようなこと。それから人格権は、本来は著作者に属するものでございまするが、その著作者が死んだ後においてそういうものをどのようにして保護するか、こういう問題をいま現に審議をいたしておるわけでございます。
  7. 小林武

    小林武君 また後ほどそのことについて若干質問いたしますが、今度の新しく改正されようとする著作権法は、二元説をとったというようなことをこの間お話しになりましたが、そういう立場でひとつちょっとお尋ねいたしたいのですけれども、これは一元説をとったときよりかも合理的であるというか、あるいは著作者著作に対する一つ権利を擁護してやるという立場を重視するということになるのか、あるいはもっと公益性というようなものを重く見るとか、あるいは何とかという立場をとっておるのか、この二元説をとった場合に、とることが、新しく著作権の問題を考える場合に、何といいますか最も合理的であるというか、そういう考えをきめられた根拠のようなものを承りたいと思います。
  8. 安達健二

    説明員安達健二君) 前回委員会で申し上げましたように、著作権につきまして財産権を分離して、財産権について著作権として保護し、これを週通過程に置くと同時に、人格権的なものを別に著作者権利として認める、こういうのが二元説でございます。それに対しまして、著作権というのは財産権人格権とが一体をなしておるものである。財産的利用についてはそういう利用権を設定するという考え方著作権譲渡し得ないものであると、こういう考え方に立つ、これがいわゆる一元説でございます。ドイツ法のごときは一元説立場をとっておりますけれども、日本著作権法は、従来から御指摘ございましたいわゆる二元説に立って立法されておるわけでございます。実際的な問題になりますると、観念的には一元説二元説で違いはございますけれども、実質的にはそれほど大きな差があるとは考えられないわけでございます。そこで、新しく考える場合にいずれをとるべきかということになりますると、従来、日本が六十数年にわたって続けておりまする現行制度のたてまえを、いまこれを一元的なものに変えるほどの必要は特には認められない。しかりとするならば、むしろ財産権として著作権考えることによりまして、その流通を従来と同じような立場に立って保護することのほうが、著作者あるいは著作権者に対してより有益ではなかろうかと、こういう考え方で進んでおると考えるわけでございます。
  9. 小林武

    小林武君 そうすると、流通という角度から二元説をとったほうがよろしいという判断をとられた。こういうわけですけれども、一元説をとった場合には、一体流通の面は全然閉ざされてしまってどうにもならないということになるとお考えですか。
  10. 安達健二

    説明員安達健二君) その点は実際的にはそれほど差はないわけでございまして、利用権を設定するというのが一種物件、たとえば抵当権を設定すること、物件的なものとして利用権を設定するわけでございます。したがって、そのことによって直ちに流通が非常に困難になるというわけではないわけでございまして、現実ドイツ法もそういう制度をとっておるわけでございます。ただ従来、日本がそういうことでなしに、著作権自体財産権として、一種物件として、利用権としてではなく物権として構成されておりましたので、日本人の慣習、法的な慣習あるいは法感情等もそれになれてきておりますから、しいてそれを変えて一元説をとることは、かえって混乱を招くおそれもあるんじゃないか、こういうことでございます。
  11. 小林武

    小林武君 混乱を招くといいますけれども、たとえば著作権というものは、二元的な立場をとった場合には、著作権譲渡ということが行なわれた場合、財産権人格権というものが分離してしまうというようなことがあるわけでしょう。そのことはどうなんですか。私が考えればかえって問題点があるように考えるのです。財産権というものはどんどん次から次と移っていく、そういうものなんです。しかし、依然として著作者には人格権は残る。こういうようなことは実際問題としてあれじゃないですか、問題が多いんじゃないですか、同じだとおっしゃるけれども。
  12. 安達健二

    説明員安達健二君) 現行法は、著作権につきまして、財産権として考えながら、著作者人格権につきましては、いま御指摘のとおり、「著作者ノ生存中ハ著作者が現二其ノ著作権ヲ有スルト否トニ拘ラズ其同意ナクシテ著作者氏名称号変更ハ隠匿シハ其著作物ニ改憲共ノ他ノ変更」を加えるということはできない。著作者了解すればよろしい、こういうことでございまして、したがいまして、著作者一般に、本の場合でございますれば、これは明示されておるわけでございます。かりに著作者がその著作権を他に譲渡した。その場合には、その著作権者了解を得ると同時に、著作者了解を得なければその内容についての変更を加えることはできない。こういう面につきまして、一人の人が持っておれば簡単ではなかろうか、こういうことの御指摘だろうと思います。しかし、かりに一元説をとったといたしましても、その利用権を他に設定するわけでございます。そうすると、依然として本人が著作権、いわゆる一元的な著作権を持っております。物件的といいますか、財産権としては他に譲っておるわけでございますから、Aという著作者がこれを財産的な利用権をBに設定いたした場合には、Cなる人はこれを利用する場合には、やはりAとBと両方許諾を得なければならない、こういうふうになるわけでございますから、実質的には、一元説をとるも二元説をとるも、そう大きな差異はないと思います。ただ、日本の場合は、長年そういうものになれてきておるわけでありますから、これをしいていま変更する必要はなかろう、こういうことでございます。
  13. 小林武

    小林武君 そういう考え方ばかりでもないように思うのですね。著作権利用するその利用許諾ということ、一元説の場合にそれだけしか考えられない。だから、利用権の取得だけにとどまるという場合には、権利移転に関しては、これは二元説財産権を分離して自由にこれが譲渡されるということとは、取り扱いの上ではこれは非常に差があるのじゃないですか。これが全く二元説一元説も同じだとお考えになりますか。
  14. 安達健二

    説明員安達健二君) その点は、もちろん違いがあるわけでございまして、ドイツ法、現在、ドイツ国会に提出されておりますところの著作権法改正草案によりますると、いま御指摘ございました使用権は、「著作者同意ある場合にのみ譲渡することができる。」、ただし「著作者は、信義誠実に違反してその同意を拒むことはできない。」こういうような意味で、著作者立場二元説よりも一そう重視されておるということは言い得るかと思います。
  15. 小林武

    小林武君 著作権の場合、私は著作者立場というものを重視するというのがやはり根底になるのじゃないか。そのことと、また公益のためにということですね。公益性の問題とどう調和するかということは、当然また考えられなければならない。著作者の、何というか、個人の利益だけを重視しろとは毛頭考えられないけれども、いまの著作権上に起こるいろいろな問題とか、今後さらにこれをめぐって、やはり利害関係というものが相当熾烈になると思うのですよ、その対立は。たとえば、あなたたちはひしひしとそういうことを身に感じていらっしゃると思うのですけれども、今度いよいよ次の国会著作権法が新しく出てくるということになりますと、これは著作者の側というと悪いですけれども、そういう側と、これを利用する側との間に相当なやはり両者の自分を守る議論が展開されてくると思う。特に明治三十二年とは違いまして、現在の段階ですというと、著作権にからまる問題が非常に複雑になってきている。こういうことになると、私は従来のやつが絶対悪いとは申されないのですけれども、大体、国際的に見れば、やはり一元説というものが同じだから、たいして顧みなくてもいいという程度のものではなくて、やはりもっと大事にされておるという事実があるように思うのですが、そういう点で私は心配して言っているわけですが、まあこれからいろいろまだ討論もされることだし、法律ができ上がったわけではありませんから、あまり簡単にどっちでも同じですというものの言い方では……。それからまあなれているからというような観点からだけいくならば、全面的改正というものは必要なのかどうかという問題も出てくるわけです。ひらがなで書いているとか、かたかなで書いているということは問題ないことです。だから、私はそういうことについて委員会もできていることだし、当面あなたたちが責任に当たられていることですから、慎重にいろいろ御討議をしていただきたいという気持ちがあるから、その点を申し上げておるわけです。  なお、今後この二元説がいいかとか、一元説がいいかとかということについては、もう少しその立場立場に立つ学者もいらっしゃることでありましょうし、あるいは実際問題としてぶつかっていろいろまた御議論がある方もあることでございましょうから、いろいろひとつ傾聴して、まあなるたけいい案をおつくりになるように希望しておきます。  それからちょっとこれはわき道の問題ですけれども、こういう点については何かお考えになったことありますか。著作権著作物所有権との関係の問題ですね。著作権関係なく著作物所有権他人譲渡した場合、たとえば絵のようなものを所有権移転した場合に起こってくる問題ですが、その場合、著作者が、たとえばそれを複製したいとこういう場合に、所有者との関係の問題、こういう問題などは一体いままでの委員会のどこでやったかわかりませんけれども、第二小委員会でしょうか。そこらはわかりませんが、一体こういうことについて討論をして結論のようなものが出ているでしょうか。
  16. 安達健二

    説明員安達健二君) ただいま御指摘著作権所有権との調整につきまして、特に問題になりますのは美術作品の場合でございます。美術作品は、作家がつくってその所有権を他に移す場合が多いわけでございます。この場合に、原則的には著作権所有権とは別でございますので、所有権移転によって当然には著作権移転は生じない、こういう考え方が基本になるわけでございまして、その点につきましては、第二小委員会でいろいろ御審議をいただいたわけでございます。たとえば、絵を他人から譲渡して受けた場合に、その絵の複製権につきましては、やはり原著作者というものもその複製についての許諾権をも有するものと考えられるということが一点でございます。それから第二点といたしまして、そういう絵を売った場合の展示展覧権複製権というのではなくて、展覧会に出すかどうかというような場合において、著作権作用として展示展覧権のようなものを認めるべきものかどうか、こういうことにつきましては非常に問題がございます。そういう場合につきましても、まあいま一応第二小委員会でいろいろ議論されておるわけでございますが、一応の考え方といたしましては、一応、著作権として、展示展覧権というものは所有権移転の有無にかかわらず著作者が持っている、しかしながら、それはそれにつきまして譲り受け人その他善意の第三者に対しては、その展示展覧会に対抗できないものとする、こういうような考え方も示されておるわけでございまして、絵の場合は所有権移転ということが当然のことでございますので、その場合に常に著作権としての展示展覧権を要求することで、かえって絵の流通を阻害するというようなことがないようにすべきではなかろうかというようなことで、いま申し上げたような案も考えられておるわけでございます。
  17. 小林武

    小林武君 現行法はどうなんですか。これに対する規定はどういうことになっていますか。
  18. 安達健二

    説明員安達健二君) 現行法ではその点は明確にされておらないわけでございます。
  19. 小林武

    小林武君 その場合どう解釈するべきなんですか、受忍の義務があるのかないのか、現行法ですよ。
  20. 安達健二

    説明員安達健二君) 現行法上はいわゆる著作権作用としての展示展覧権は一応認められていないというように考えられています。
  21. 小林武

    小林武君 そうすると、新しいものには受忍を認めるわけですか。どうなりますか。
  22. 安達健二

    説明員安達健二君) 現行法上は……。
  23. 小林武

    小林武君 現行法でなく新しくやる場合。
  24. 安達健二

    説明員安達健二君) 新しくそういうようなものを認めるべきではなかろうか、これは著作者側から強い要望がございます。一方、展覧する側といたしましては、やはりそういうことはあまりほしくない、こういう両方の主張があるわけでございます。そういういまの調整としていま申し上げましたような案が応考えられているということでございます。
  25. 小林武

    小林武君 著作権譲渡した場合ですね。たとえばいまのあなたたちの言う二元論でいった場合、現行法でいった場合、著作権譲渡した場合に、その著作権内容である各種の権能全部が移転されたとはこれは考えられないわけですけれども、それは現行法に、「其ノ全部又ハ一部ヲ譲渡スコトヲ得」と書いてありますが、この一部または全部を譲渡することができるという、そういう規定をやったのは一体どういうためにこういう規定をしたのですか。
  26. 安達健二

    説明員安達健二君) たとえば小説の場合をとって考えてみますと、小説についての本を出す複製権でございますね。こういうものがございます。それからたとえばそれを映画化する、映画にするという映画化権許諾権というものがございます。現在におきましても、たとえば映画にするといった場合に直ちに著作権譲渡を伴わない。その場合に、もちろん映画化の場合でも著作権譲渡的にやる場合もございましょうし、そうでない場合もありますけれども、その場合はやはり依然として著作権の一部の譲渡ということがあり得るわけでございます。でございますが、現実には著作権の一部の場合も相当あるわけでございます。
  27. 小林武

    小林武君 たとえば出版権が設定されているわけですけれども、その場合その翻訳権だとか、あるいはいまお話になった映画化権だとか、興行権だとか、放送権だとかというような、そういうものが内容に含まれているということが、何か特別の契約がない限りにはそういうものが含まれたと考えるのですか、含まれないと考えるのですか、出版の場合。出版権著作者に認めた場合です。現行の場合はどうなんですか、現行法から言うと。
  28. 安達健二

    説明員安達健二君) 現在、出版権に関する規定がございますけれども、現実には出版権という物権を設定して出すという場合はほとんどなくて、実際には出版契約によって債権契約としての出版が行なわれているわけでございますが、かりにその出版権物権的なものとして設定されたといたしましても、その場合はこの法律に示されているような意味における出版権のみの設定でございまして、それによって直ちに他の著作権が移るとか、そういうこととは関係がないことだと考えております。
  29. 小林武

    小林武君 しかし、この問題についていろいろと、やはりまあ何と言いますか、契約者との間にいろいろな問題が起こっているというようなこともあるように聞いているのですが、今度の新しく著作権法をつくる場合においては、これの内容をどういうものにするかとか、著作権の一部または全部というようなことだけにとどめておくのか、あるいはこれにはこういう制限があるとかというようなことをもっと具体的にきめるような考え方はないのですか。法でこれを定めるというような考え方はありませんか。
  30. 安達健二

    説明員安達健二君) 一般著作権譲渡の場合の内容につきましては、本来は契約によって明らかにすべき問題でございまして、何をどう譲ったかということは当事者間においてはっきりきめるべき問題であろうと思うのでございます。そういうようなはっきりしたきめがない場合にはどのような解釈をするか。その解釈規定をどのように設けるかということは一つ問題点だろうと思うわけでございます。その点についてはまだ十分、こういう方針でいくとまでの結論は出てないように考えております。
  31. 小林武

    小林武君 そういう問題についての審議はどの委員会でやるわけですか。
  32. 安達健二

    説明員安達健二君) 第一小委員会と申しまして、これはいわゆる出版権のことと著作権全般にわたる、先ほど申し上げました報道機関その他全般にわたる問題につきましては、第一小委員会において審議をするということになっております。
  33. 小林武

    小林武君 ただし、いままでのところそういう問題についての審議は行なわれていないわけですね。
  34. 安達健二

    説明員安達健二君) 私、先ほど申し上げましたこと、ちょっと訂正させていただきますが、たとえば、興行権譲渡した場合に、複製権譲渡をもたらさないと、そういうようなことがいま御指摘になっていることでございます。その点につきまして、第一小委員会で一部その点についての審議が行なわれたということでありますので訂正させていただきます。
  35. 小林武

    小林武君 この点につきましては、過去においてもやっぱり現行法の「全部又ハ一部ヲ譲渡スルコトヲ得」というような、そういう程度ではやはり問題が起こりやすいと、こういうことから議員立法の中で、ある程度これを修正しようというような意図もあったというように聞いているわけですが、そういう点を考えますと、やはりいざこざの起きないような、やはりそういう法で定めたところのあらかじめ基準がなきやならぬと思うのです。そういう点ではひとつお考えになってはどうかというような感じがするわけです。なお、どういうのですか、これはよその国の立法例にはそういうものはないわけですか。そういう点について詳細に規定したというか、問題がないような……。
  36. 安達健二

    説明員安達健二君) ただいまの点につきまて第一小委員会で、著作権譲渡とは別でございますが、出版契約、先ほど申しましたように、本を出版する場合に、出版契約というものは債権契約を結んで本を出している場合がほとんどでございます。その場合に、出版契約についての現行法制はございません。現行法制は、物権としての出版権を設定することについてだけの規定でございます。現実出版契約部分が大部分であるということからかんがみまして、出版契約についての一応スタンダードのきめをして、その場合において、そういう法律に書いてあるような事項について、そういう事項契約されない場合において、そういう意味推定をするというような意味考え方も示されておるわけでございます。それから御指摘のございました著作権の全部または一部譲渡に関するところの推定規定と申しますか、ということにつきましては、たとえば現行著作権法の三十条というところに、先ほど申しましたように、興行権譲渡複製権譲渡をもたらさない、複製権譲渡興行権譲渡をもたらさない、こういうような規定をしている例もございます。こういう場合はごく少ないわけでございますけれども、いろいろ実際に即して、しかも当事者意図が害されないような範囲においてそういうものを設けることも一つの方法であるかということで、なお研究が必要かと感じておる次第でございます。
  37. 小林武

    小林武君 著作権についての譲渡性というやつは法定されているわけですけれども、これの相続権の問題については現行法はどこでこれを書いているのですか。
  38. 安達健二

    説明員安達健二君) 相続につきまして、相続することを得ということは書いてございませんが、二条におきまして、「著作権ハ其ノ全部又ハ一部ヲ譲渡スルコトヲ得」というのが原則でございますから、財産権としての著作権移転をするということが前提になっておるわけでございます。そういう考え方からいたしまして、そういう前提からいたしまして、相続に関する規定が二カ所ございます。一つは第十条でございまして、「相続人ナキ場合ニ於テ著作権ハ消滅ス」という規定と、それから「著作権相続譲渡及質入ハ其ノ登録ヲ受クルニ非サレハ之ヲ以テ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス」というような規定がございまして、こういうことからいたしまして、当然、著作権譲渡はあり得るということは現行法のたてまえであろうと思うわけでございます。
  39. 小林武

    小林武君 相続権が、いまのような相続が可能だというようなことについては明文はないけれども、相続ができるということは一応この中で、不完全だけれども、大体わかるということになっていますがね。で、相続人が不存在の場合については、これは第十条の特例というようなものによって著作権の場合は示されているわけですか。
  40. 安達健二

    説明員安達健二君) 現在は相続人存在の場合は著作権は消滅するということになっておりますが、それにつきまして、一方、民法等におきまして、相続人なき場合において利害関係人はこれについての相続人たるの地位を請求することができるような、ちょっと不正確なんでございますが、そういう民法の規定もございますので、その利害関係人という中に、たとえば職能団体というようなものも入るようにしてはどうかというような意見も示されておるわけでございます。作家がかりに死亡いたしまして相続人がわからない、しかし、それのものを消滅させるよりは、文芸家協会とかいうようなものでこれを保全するというような道も残してはどうかというような意見も従来示されておるわけでございます。
  41. 小林武

    小林武君 この相続権の問題としてどうですか、何と言いますかね、相続権の問題で法の上からいって不備だというような点がございませんか。
  42. 安達健二

    説明員安達健二君) 著作権が先ほど申し上げましたように、相続できるという明文の規定はないけれども、それを裏書きするような規定はございまして、相続が可能になっておりますので、これについての御指摘のような意味において、相続可能性というものを明文にうたうかどうかという問題と、相続人なき場合においての著作権が消滅することについて何らかの特例を設けるべきであるか、あるいは民法の原則の解釈の問題にゆだねるべきかということについての問題もございますが、そのほか一般的に相続に関する財産権的な面については特にないのではなかろうかと思うのでございます。ただ、先ほど御指摘のございました著作者人格権に関連いたしまして、著作者死後においての著作物についての著作者権利をどのように守っていくかという問題がもう一つほかにあるわけでございまして、現行法著作者の死後は、「其ノ著作物ニ改竄其ノ他ノ変更ヲ加ヘテ著作者ノ意ヲ害シ」てはならない。「害シ」ということになっておるわけです。「著作者ノ意ヲ害シ」というのは、どういうことであるか、その人が生きていればわかるけれども、死んだあと、その意をはかり知らなければならないというような点で、その点はどうかというような問題はございますが、財産権的な著作権という面では、いま私が申し上げました以外には、問題はそうなかろうかと思っております。
  43. 小林武

    小林武君 たとえば、著作権譲渡した場合、その著作権譲渡した者が死亡した。そのあとに相続人がなかった。著作者が生きているという場合、そういう場合は、いままでの現行法ではどういう扱いを受けておるのですか。
  44. 安達健二

    説明員安達健二君) 先ほど申し上げました第十八条には、「著作者ノ死後ニ著作権ノ消滅シタル後ト雖モ」ということで、この場合は、その「著作者ノ意ヲ害シ」というところで読むわけでございますし、それから……。
  45. 小林武

    小林武君 ちょっとそうではないように思うんだがね。
  46. 佐野文一郎

    説明員佐野文一郎君) 御指摘のとおりに、著作権譲渡された後において譲り受け人が死亡して相続人がないということになりますと、著作権が消えてしまうけれども、なお著作者は生き残っている、そういった場合には、やはり著作権著作者に返してやったらどうかという議論もあるわけでございます。この点については、第一小委員会議論いたしましたけれども、しかし、特にそのために相続についての原則を、著作権についてのみ変えることは適当でない。いま申し上げましたように、著作者については、一方、人格権の保障というものがもちろんあるわけでございますので、現行法のたてまえで、特に著作権についてのみ変える必要はなかろうというのが第一小委員会の従来の御意見でございます。
  47. 小林武

    小林武君 そうすると、たとえば、部分的に著作権の一部、たとえば興行権というようなものが譲渡されておったという場合に、いまと同じような事態が起こった場合に、その著作権というのは、興行権のない著作権ということになりますか。
  48. 佐野文一郎

    説明員佐野文一郎君) 御指摘のとおりでございます。ですから、部分権が譲渡された場合には、やはり著作権が不完全な形で生き残っているという場合が考えられますので、その場合には、著作権はなくなっても著作者に戻してはどうかという意見もありますが、その点については、先ほど審議官から申しましたように、著作権者が死亡した場合に、相続人なき場合においても、故人と特別な関係のあったものについては相続権を主張できるというような条文が、新たに民法に設けられてありますので、それを活用する方法というものも考えてはどうか。全体に相続に関しては、著作権の場合でも、民法の一般原則にゆだねよう、そういう方針のもとに第一小委員会でも一応了承されております。
  49. 小林武

    小林武君 そういう点については、全く固まってしまった結論というものが出ているのか、まだやはり議論して、ある程度、その問題について従来の考え方を多少変えるという余裕があるのか、これは委員会の空気としてはどうなんですか。
  50. 安達健二

    説明員安達健二君) いままで申し上げましたことは、それぞれの担当の小委員会におきまして結論されておる、その中間報告でございます。これを各小委員会報告といたしまして総会に報告をする。そこで、総会においていろいろな議論が出れば、さらに変更が加えられるであろうということはございます。それからもう一つ、ただいま私ども事務的に考えておりますことは、著作権制度審議会で決定したものを直ちに一般に発表するのでなくて、各小委員会報告を総会にしたものを一般に公表して、それについての一般の意見も聞いた上で、さらに小委員会なり、あるいは総会で検討した上で最終答申にしたい、こういうことでございますから、いま、いろいろ御指摘ございました点は、そういういろんな過程において、さらに再検討されるというように考えております。
  51. 小林武

    小林武君 そういう点は、かなりゆとりを持ってお考え願ったほうがいいのでないか、やはり著作権というものの性質上そう考えるのですが。なお、ちょっと横道に入るようですけれども、著作権の問題で、審議会できまって、そうして次の国会ですか、通常国会かに提案されるというような、何か一応のめどを持っておられると思うのですが、これについては、やはり著作権関係の専門家の方とか、ちょっと、私、見たものでは、放送局関係著作権を担当しているような、そういう放送関係の中に、どうも日本のあれはせっかち過ぎる、もっといろいろ時間をかけてやってもらいたい。手続上の問題で、やはり少し先を急ぎ過ぎるというような声があるのですが、そういう点なんかも、やはり問題が問題で、わりあいに人の口の端にのぼらないといったら悪いけれども、お互いがよく検討してやるのじゃなくて、きわめて何か専門的なものであるように思いますので、一そう、そういう配慮が必要じゃないかと思うのですが、この点については文部大臣としても、やはり御考慮をいただいたらどうかというような考えを持っているわけです。そういう希望をひとっここえ益しはさんでおきます。  それから、もう一ぺん前に戻るようですけれども、この人格権の問題で、こういうことが討論されなかったか。たとえば第二次著作権ですか、そういうものがある。そうすると、たとえば脚本を善くということになると、これは一種の原作の改作ということになったり、原作をとにかく変更しなければ脚本にならないわけですけれども、そういう場合には、いわゆる原作者の意図に沿わないところのものがどんどん出てきた場合、これは人格権の侵害ということにならないのか。で、その場合、良心的であれば、ある程度、原作者との打ち合わせとか、いろいろ原作者の意を体するということで何でもないと思いますけれども、たとえば、もうけたらいいというものであれば、映画化の場合でも興行化の場合でも、ずいぶんたくさん出るのじゃないかと思うのです。ぼくらちょっと小説を読んでおって、それがテレビなどに出るのを見ると、まるっきり変わっている。これは新派の芝居の舞台中継を見ておったら、まるっきりわからない、しばらく見ておって、ようやく内容がわかったというような、ああ、あそこが原作だなということがわかるようなものがある。この場合は、一応、原作者というのは承知したのかどうかしりませんけれども、これは一体人格権の侵害というもにならないのかどうか。特にこれはとにかく二元説をとる場合においては、最も問題点のあるところじゃないかと思うのですけれども、これらについて、たとえば審議会の委員の中には、やはりその立場の人がいらっしゃったと思うのですが、議論としてどうなんですか、されなかったわけですか。
  52. 安達健二

    説明員安達健二君) いま御指摘の点につきましては、現在、実は審議中でございまして、きのうも実はその審議がございましたのですが、それについては、二つの考え方がございます。たとえば、ある人の小説を脚本にして、そうして第二次的な著作物ができた。その場合に、その第二次的な脚本自体が原作と非常に違っているという場合はどうするか、こういうことでございます。それにつきまして、一つ考え方といたしましては、そういう第二次的な著作物をとる場合には、原作者の許諾を得てやるわけです。だから許諾を得てやる以上は、すでにその人は、新しく脚色をする人にまかしたものであるから、しかも、その脚色されたものは、脚色者の名前が出てその人の著作物になるわけであって、原作と違ってもかまわないじゃないか、こういう考え方一つあるわけでございます。それに対して、もう一つ考え方は、それにしても、いま御指摘のように、原作者の意図が全く違っている、こういう場合に、あたかも脚色されたものが原作であるかのごとき誤解を受けることはどうであろうか、こういう意味において原作者に何らかのそういうものの権利といいますか、立場を認めたらどうか、こういう二つの議論がございまして、これにつきましては両方議論が出ただけで、なお小委員会で検討するということになっているわけでございます。
  53. 小林武

    小林武君 議論が二つに分かれたということはいろいろ立場上のあれだと思うのですけれども、尊重されなければならぬのは私は著作者人格権だと思います。これは何といったって本人が命で、金というといい過ぎかもしれませんが、そういう相手方の立場を理解して、ある程度改作とか、大幅に変えることを認めたという場合もあるでしょうけれども、しかし、それにしてもやはり著作者人格権という権利は、原作に忠実であるということがとにかく第一でなければならぬということを考えますと、私はその意見の統一ということはたいへん著作権の問題を取り扱う場合には大事じゃないかというふうに考えるので、その点についてはもう少し広く各方面の意見を聞かれたらどうか。これを直接関係があるかどうか知りませんけれども、これは映画女優といいますか、そういう人から直接私聞いたんですが、何十年も前の映画をいまごろテレビあたりに出されるということは人格的にすこぶる傷つけられたような気持ちがする、これは確かに非常に成長して、俳優としての自信を持った現在、非常に未熟であった時代のやつがちょくちょく出てきたりすると、これはたえられないという気持ちは、ぼくも何だか納得できるような気がするのです。やはりその映画が上映されるについてはいろいろな手続きを経てやるわけですけれども、やはり著作者というのは一つの誇りを持っているんだし、少なくともこれからその著作したものについては、どんな批判もどんなあれも受けるというくらいの意気込みを持っているのですから、そういう意味では私は受諾したとか何とかという問題は別に、まず尊重するという観念がはっきり確立されてない場合には問題はどこまでいっても続くのじゃないかと思うのです。ことに文部省のいまの考え方二元説で、財産権人格権と区別するということになりますと、この問題は一そう今後尼を引く問題として十分配慮を必要とすることになるだろうと思うのですが、この点については十分ひとつ御検討いただきたいと思います。  なお、著作権を大事にする、著作者立場をわれわれがよく考え、あるいは著作権をわれわれは尊重するという立場をとることが何といっても著作権の第一のねらいでなければならぬと思うのですが、先ほど申し上げたように、世の中のためということ、このことを抜きにして、このことの調和なしには著作権ということは考えられませんから、そういう点ではもちろん著作権が十分配慮されなければなりません。そのように思います。思いますけれども、やはり根本はどこにあるかということを押えてやっていただきたいということを希望いたします。  きょうの著作権に対する私の質問を終わります。
  54. 安達健二

    説明員安達健二君) ちょっと前に申しましたことで、たいへん恐縮でございますが、美術作品の展示展覧につきまして、現行法上は展示展覧権は認められないということを申したんでございますが、その点は解釈の問題で、なお若干の疑義があるわけでございまして、いわゆる興行権というものがあり、興行権という中に展示展覧権は含まれているのではないかという解釈があるわけです。ただ、この場合には所有権との調整がなされておりませんものですから、その辺のところは不明確であるということでございますので、この点の訂正をさしていただきます。  それからもう一つ委員会で御質問のあったところでお答えを忘れたのでございますが、第一小委員会で、先ほどの人格権につきまして著作者立場に立つ方として丹羽文雄さんがいらっしゃるわけでございます。それからもう一つ、劇作家といいますか、脚色のほうとして菅原軍という方がいらして、両方立場が十分反映できるような形で審議が行なわれておりますことをつけ加えさせていただきます。
  55. 山下春江

    委員長山下春江君) 他に御発言がなければ、本案に対する本日の質疑はこの程度にいたします。     —————————————
  56. 山下春江

    委員長山下春江君) 教育、文化及び学術に関する調査中、東京オリンピック記録映画に関する件を議題といたします。  質疑の申し出がありますのでこれを許します。  なお、政府側より前田体育局長が出席いたしております。  小林委員。
  57. 小林武

    小林武君 文部大臣にお尋ねをいたしたいんですが、問題は五輪映画のことであります。あまりこれをこねくり回す気持ちは私は毛頭ございません。ただ、大臣のお考えがどこにあったかというようなことについてはちょっとわれわれ推察できないんです。と申しますのは、五輪映画というのをつくった場合、監督にこれは十分にまかしておやりになったと思うんですけれども、そのできた映画をいろいろ注文をつけるということは、私はこれは当然あってしかるべきだと思う。編集上の問題でもある。何か話聞くというと、ずいぶんたくさんのフイルムをとって、そうして実際編集されて最後に残ったものはほんのわずかだとすれば、やりようによっては、注文つければ、あるいは五輪映画として市川さんがやったもの以外にもたくさん撮影されたものがあるわけですから、またそれらを取り入れることによってみんなが納得するようなものができないとは私は思わない。そういう手続をとられたのかとられないのか知りませんけれども、文部大臣がこれについて文部省推薦にしないというようなことを言われたというのは、ただ混乱点だけ残して、解決点のない、あと味の悪さだけがそこに残るような処理のしかたではないか。それで私はその経過の中において、どうであったとか、こうであったとかいうことは問題でなくして、文部大臣から、一体これらを何といいますか、制作者もそれから制作を依頼したほうの側のものも、大体納得いくような最も円満な処理のしかたというものを発見できないような条件にあるのかどうか、あるいはそのほうに進んでおるのかどうかということについて説明を聞きたい。
  58. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) この問題については、一応経緯がどうであったかということは問題外というお話でもございますけれども、これはひとつざっくばらんに申し上げさしていただきたいと思います。実は私といたしましては、東京オリンピックというものが非常な感激のうちに大成功裡に終わりまして、オリンピックを実際に見たわれわれといたしましては、このままのすなおな感激といいますか、これを広く、学校関係におきましても小学校、中学校の生徒たちにもうんと積極的に見てもらって、この感激をともにしてもらいたい、こう私は考えたわけでございます。オリンピックの組織委員会としても、記録映画ということでそれぞれの専門の方が委員会を組織し、十二分にその制作について努力を払われていた、これに敬意を表すると同時に、私のいわゆるすなおな、ありのままの感激というものが再現されてともに喜びを新たにしたい、それがまた幼い人たちの共感を呼び起こすものである、こういうふうに確信をいたしたわけであります。ところで、組織委員会のほうからも、昨年の末になりまして、記録映画というものが近く完成するから、これは児童生徒の教育上にも裨益するところ甚大であると思うので、文部省にもよろしくいろいろの点で配慮を頼むということをいってまいりましたので、本年の一月に体育局長の名前で、関係の向きに、生徒児童等の団体観覧についてもできるだけの便宜をはかっていただきたいということの依頼状を出したわけでございます。そして同時に、私としては、できるならばこうした映画の観覧というものは無料でやってもらいたい。それからもう一つは、これは私の体験上でございますけれども、僻地の生徒などで実際テレビも見ることができなかった子供たちもいる。で、ある小学校の先生は、そのために、テレビの見えるところへ自分が出かけて行って、テレビを見た自分のありのままの感想や感激を、帰って児童に伝えたということも聞いておりまして、非常に私も感動を受けたわけであります。そこで、なるべくすみやかにそういうような記録映画というものは十六ミリに再生をして、そうしてこれを山間僻地、あるいは沖繩といったようなところの島々にまで送って見てもらいたいというところまで私自身としては考え、かつ希望いたしたわけでございます。ところで、できましたものを私は十日の武事会で見たのでありますけれども、率直に申しまして、私としては非常に失望いたしました。これは芸術映画というような観点からすれば価値の高いものでございましょうけれども、私はいわゆるドキュメンタリーとして、すなおに、客観的な、できるだけあの盛り上がった感激というものをそのまま伝えるような、いわゆるドキュメンタリーであることを私は一人思いに思い込んでいたことが悪かったのでありますけれども、私としては失望いたしました。そこで、ただ単なる、この一月に体育局長から依頼状を出し、そうして私の気持ちとすれば、その依頼状以上にもっと積極的な気持ちを持っておったわけでございますが、そういう気持ちであった私としては、失望もすると同時に、積極的にこれを文部省推薦というようなことは——法規上のことばではないかもしれませんけれども、私として積極的に無理をしてまで、何でももうなさいということを言う気持ちにはならないということを、そのままありのまま率直に、火曜日の閣議のあとの定例の記者会見のときに、たまたまこの話が出たものでありますから、私は偽らざるそういう気持ちを吐露したわけでございます。そういうわけでございますから、私としては、こういう映画はくだらぬものであるとか、それから、せっかく見る用意をしているものをやめなさいとか、取りやめにするとかいうような意図は毛頭ございません。同時に、一方におきましては、同時に、この映画についてはいろいろの批評も出ておりますし、組織委員会でもいわゆるドキュメンタリーのものを別につくるというような意見も相当出ているようでございますから、できるならそういったようなものをもう一つつくられたらどうだろうかと、そういうふうにだんだん運んでいるようでございますが、そういうことを私としては希望しておるわけであります。で、そうなりますと、記録映画、記録映画という字がずっと昨年末以来使われておりますが、私の理解する記録映画というものが、また別につくられるのだということも、念のために、それが決定になるならば、組織委員会が決定されれば、そういうものがまた別にできるのだということは、関係の向きにお伝えすることが、すなおなやり方だと思いましたから、そういうふうな記録映画を期待している、また期待どおりにできそうだということを関係の向きにお伝えをしようじゃないか、まあこういうことに考えておるのが現状の真相でございます。
  59. 小林武

    小林武君 まあ私の考えでは、何とか円満なものの考え方ができて、そこでこの問題については一応全体が打ち切られるような状態に早くなったほうがいいんではないかと、こう思ったから、先ほどのような質問をしたわけでありますが、やはり詳細にこの事態を検討しなければならぬというような御意向のようでありますから、若干質問をしたり、意見を申し述べたいのでありますが、体育局長がこの依頼状を出したときは、いい、いわゆる御期待に沿うような映画ができるであろうというようなことを予想して体育局長は出されたのですか。
  60. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) これは書類の上でもそうでございますが、組織委員会として、記録映画をつくりますと、そうしてそれがオリンピック憲章第四十九条によって、組織委員会が制作を義務づけられておるオリンピック記録映画、東京オリンピックというものが、現在、間もなく完成の運びであるから、これができました上は、東宝株式会社の手によって国の内外に配給、上映される。組織委員会としては、一般国民はもとより、特に小中高校生に、学生、生徒には、オリンピック運動、アマチュア精神の理解のため必見の映画であると思われますので、こういったような考え方に基づいて、ひとつ適当に協力の措置をとってもらいたい、こういうのが、組織委員会の文部大臣に対する依頼状でございましたので、それを受けて、体育局長として、たとえば各都道府県の教育委員会教育長あてに依頼状を出しましたわけであります。
  61. 小林武

    小林武君 まあ言ってみれば、中身を見ないで、組織委員会から、いい映画だから見てもらいたいということを、すなおに——これはすなお過ぎると思いますけれども、すなおにそれを受けたと、まあそういうことを責め立てる前にですね、一体、文部省の体育局としてはですね、組織委員会関係をしておるのですか、してないのですか。それは個人的な形でも、あるいは体育局の中のいろいろな立場の人ということでもけっこうですが。
  62. 前田充明

    政府委員(前田充明君) 映画につきましては、映画委員会がございまして、その委員にはいわゆる映画の専門家もございます。それからスポーツの関係の専門家、たとえば竹田JOC委員長、田畑先生、青木JOC総務主事等が入っております。それから組織委員会の事務当局としては与謝野さんが入っておりまして、いわゆる専門家と、それから競技の専門家、そういうことで大体入っておりまして、それで目的が記録映画でございますので、映画に関しては、私のほうは委員とか、何とかということにはなっておりませんのでございます。
  63. 小林武

    小林武君 実際、ちょっと理解に苦しむのですよね。オリンピックの組織委員会というものがある。私の考えだというと、これは少なくともその組織委員会の中に、直接映画のことではないにしろ、組織委員会映画をつくるということについては、全然関係がなかったとは私はいわれないと思うのですよ。そうしますと、一体、組織委員会映画をつくるのに、どういう映画をつくってもらいたいのだ、どういうことか、それは記録映画だとか、すなおだとか何だとかということを、そのままのことを言ったところで、どっちがそのままか、どこがすなおなのか、それはわからぬわけですよ。結局これは体育関係の側からいえば、あるいはこの映画、少なくとも将来の体育のいわゆるレコード、記録を伸ばすとか、あるいは技術的な進歩というものをねらった映画をつくれとか、それから民族、世界の人間が集まった青年の祭典としての、どういうあれを強調してもらいたいとか、さまざまな要請というものがあって、ばく大な金をかけているわけですから、そういう組織委員会の要請があって、それに従って映画というものは作製される。だから出てくるものが、見てびっくりというようなものが出てくるはずがないというような私は気がするんですよ。   〔委員長退席、理事久保勘一君着席〕 これは、映画制作者の手腕の問題もあり、いろいろあるでしょうけれども、私はあの市川さんという監督さんがやった場合において、そんなとてつもない結果が出てくるというようなことは考えられない。それがあるから、皆さん見ないで大体いいだろうと思って依頼状を出したんだと思うんですけれども、一体、組織委員会というのは映画に対してどんなあれを出したのか。これは、ただ映画をつくってくださいというような、そういう出し方をしたんですか。御随意に、あなたの目を通してひとつオリンピックというものを見てくださいという依頼であるならば、私は文句をつけるのはおかしいと思うんです。どういうあれを出したのか。少なくともオリンピックに関係する組織委員会なり何なりに日本のスポーツに関する専門家がいるんですよ、これらの人たちがスポーツの上で一体どういう注文を出したのか。あるいはオリンピック全体のあり方の上にどういう表現をしてもらいたいというようなことを当然これは出さなきゃならぬ。演出を考えるものは、一つの開会式、閉会式というものも演出で非常に苦労しておるということをぼくらも見て感心している。演出がある限りは映画に対していろいろなあれが出ていかなきゃならぬと思う。それがどうして監督に通じないのか、監督を通じて映画というものができそうなものなのに、どうして映画というものがそういうものによってできないのかということがふしぎでたまらないんですよ。これは一体どうなっているんですか、そこらの点は。
  64. 前田充明

    政府委員(前田充明君) 実はきょう午前中も記録映画委員会がございまして、私も陪席をさせていただいたんでございますが、シナリオがもともとあるわけでございまして、シナリオを見ての事実でございます。で、実はきょうの委員会でも、一体われわれも責任があるんじゃないかというような御意見もございましたんですが、ただスポーツのほうの側の方の御発言をお伝えいたしますと、シナリオに書いてあるのは各種目全部入っております。私も見ましたが、全部書いてあって、それをどんな場面をどんなふうにとってということまではそのシナリオに書いてない。そこで、まあ、皆さんが大体ドイツのオリンピックとか、あるいはローマのオリンピックとかというものが頭の中にあるわけなんですが、そういう立場からシナリオを見ると、大体そう問題はないんじゃないだろうかというふうにお考えになったようでございます。それで今日になってみると、あの場面が足りなかったとか、この場面が足りなかったということですが、何分間どういう場面をとるということは、これはシナリオのときには、もちろんシナリオライター御自身でも、これは芝居をやるんじゃないわけでございまして、実際のオリンピックを写すんでございますから、そこの点ははっきりしていなかったと思うんでございますが、しかし、注文をつける側のスポーツの専門の方も、シナリオに書いてある程度ではそれで大体いいんじゃないかというふうに思っておったというような議論がございました。したがって、まあ何と申しますか、突き詰めてということになるとはなはだ問題があったわけであろうと思うんですが、そこがなかなか、片一方はしろうとで、片一方は頭で描いているだけで、現実の芝居をつくるものじゃなかったものですから、そこまで説明もできなかったというようなことがあったように、きょうの委員会での話し合いの中から私は推察をいたしておるわけでございます。
  65. 小林武

    小林武君 まあ、こっちも映画のことなぞは何もわかっておらないのだから、それは変なことも言われませんけれども、シナリオがあって、そしてスポーツですから、芝居の運びよりかも、それから普通の映画のほんとうに続きにもならないようなあれを一カットずつとっていって、そしてそれをあとで組み合わせるような、映画の手法からいえば最も単純な仕組みではないかというしろうと考えを持つのですよ。スポーツですから、ちゃんとプログラムに従ってハイジャンプならハイジャンプのあれはちゃんとあるわけですね。レスリングならレスリングのあれは出ているわけですから、ぼくはシナリオに書かれたことをきわめて順序よくやっていくような仕組みになっていると思う。だから、できたものがあっというようなものが出たと、思いもかけぬものが出たというようなことがぼくは実際に理解ができない。しろうとならともかく、ぼくがそれを持っていって写したというならあっというようなものが出るかもしれないけれども、少なくともよく計画されてやられている人がやったことについてぼくはどうしても納得がいかない。だから、ちょっとぼくは邪推し過ぎるかもしれないけれども、非常に政治的に有力な人が、河野さんなら河野さんが、これはけしからぬと言ったから、みなが踊らされているという気持ちをぼくは率直に持っているんですよ。いささかそういうものに踊らされているのじゃないか、そんなはずはないという気持ちすらぼくは率直に持っているのですよ。そういう特定の人の発言によって動かされないとしたら、全くこれはほんとうにわれわれが考えられないような事態だと思うんです。私は、文部大臣が期待したようなものが見られなかったということについても、文部大臣は一体どんなものを見たかったのか、一体どんなものを文部大臣としてオリンピック映画として想定されておったのか、今度の東京オリンピックが一体どういうふうに表現されたら文部大臣として満足を得たのか、こういう点もあれですよ。一体、文部省の人を通して、あるいは陸上競技関係者にしろ、各スポーツ団体関係者にしろ、反映しなければならぬことですよ。それが一つも反映されておらないで、それで結果的にこういうものが出たということは全く納得いかない。僕はここでそれを一々あげつらってどうこういうことは言いませんけれども、しかし、この映画はけしからぬと言える人はだれもないと思う。けしからぬから見ないでいいというようなことを言うべきでないと思う。少なくともそれに不足するものがあったら、私は二本立てにして、競技という場面を強調したような記録映画をつくるということもけっこうだと思う、あるいはそれで足りなかったらもっと何か別なものをつくってもけっこうだと思う。しかし、この映画はとにかく見るに値しないとか、文部省は推薦いたしませんというようなことを言うのは、はなはだもって私はけしからぬと思っている。はなはだ前に置いて申しわけないが、愛知文部大臣ともあろうお方が、どうしてこんな乱暴な発言をなすったか、ぼくはふしぎでたまらない。愛知文部大臣は文部省の推薦というようなことをしないというようなことを、もう一ぺん考慮する余地はないですか。別な立場をとって、映画としてそれを認めてやるという広い気持ちはないですか。
  66. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 私はさっき非常に率直にありのまま私の気持ちのとおりをざっくばらんにお話しいたしたので、それにつけ加える何ものもありません。しかし、おことばの中に文句をつけるとか、あるいはいままで出した通知を取り消すとか、見てはいけないとか、そういうことは何も言っておらぬのでありまして、積極的に、たとえばあの映画の中に、たとえて言えば常識的なことでよくあることですが、あそこに、文部省推薦というような字幕を入れるとか何とかすることは私は考えたくない。なぜかならば、私としては、私のみならずいろいろの人がこれに対しては失望したということは事実だと判定してしかるべきだと思う。ですから、芸術映画としてはおそらく現在の段階でも何万、何十万人の人があれを見て、鑑賞して楽しんでいる、その事実はそれでけっこうだと思います。しかし、たしかにオリンピック憲法第五十九条でありますか、それに期待されているようなドキュメンタリーというものは、まあしろうとでたいへん何かもしれませんが、ああいうものではなかったのではないか、こういうふうに考えているだけでございます。ですから、積極的に、あれを捨ててしまえとか、あんなもの見ちゃいかぬとか、そういうことは毛頭言っておるわけじゃございません。ただ、私の気持ちとすれば、先ほど申しましたように、一月二十六日に体育局長からも依頼が出ておりますが、私の期待するようなものがどういうようなものであるかというようなお尋ねもありましたが、期待するようなものであったならば、さらにこの依頼状どころではなく、私はより積極的に、私の気持ちとすれば、うんと太鼓をたたき、あらゆる配慮を加えて、どんな人にでも、寝ている人を起こしてでも見せてあげたいというくらいの気持ちを持っていたが、そういう気持ちにはなりませんというのが私の気持ちであります。
  67. 小林武

    小林武君 まあ見るなという意味じゃないと、そういう気持ちは、そういうことはないし、また団体観覧の依頼状を出したが、それを取り消すという気持ちもない、こういうお話ですけれども、文部大臣が、やはり文部省推薦という文字を字幕の中に入れることはできないということは、これは受け取る側とすれば、文部省からこれはやはりいい映画だとは認めてもらえないということをらく印を押すことに私はなると思う。で、私はやはりそういうやり方というものをやるのには、ちょっと、実際上私は問題があるのじゃないか。十分それは試写会等をごらんになって、そしてやはりちょっと文部省として推薦できないということであるならば別だけれども、前にもうすでにそういう依頼状を出しておって、そして今度のこういうような措置をやられるということになると、私はこれは文部省としてはちょっとやり過ぎだと思うのです。だから、いろいろ期待に沿わないようなところがあったとしたら、二本立てでいくなら二本立てでいく、あるいは三本立てでいくというなら三本立てでもけっこうだけれども、いずれもやはりそれらの映画を文部省が推薦するという、そういう寛容の精神があってしかるべきです。どうして一体それを文部省が推薦しないとがんばるか私は非常にわからない。愛知文部大臣は非常に期待はずれだということを言われますけれども、ある新聞の囲み記事によると、たいへんなかなかおもしろい映画だということを言っている人もある。   〔理事久保勘一君退席、委員長着席〕 大体、文部省推薦という映画におもしろい映画はないと言って、逆に推薦されないことがいいようなことを言っている人もある。しかし、これはやじ馬気分で言っているのじゃないということは、これはどこにその記事が書かれてあったかということをごらんになればよくわかる。私はそういうせっかく成功したオリンピックというものを、いよいよ最後に締めくくりみたいなような、映画の段階になってきてから、争いをことさらに引き起こすようなやり方をやらないで、もっとやはり寛大な気持ちで、この問題を文部省なり、政府なり、全体なりが処理するほうが私はいいと、こう考えるのです。これはしかし、あなたたちのやられることですから、それ以上のことは申されませんけれども、私はそれを希望するわけであります。
  68. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) これは確かにお話のように、せっかく大成功したオリンピックのあとが、この映画のことでごたごたしたことがあとを引くようなことは私ももう全然やりたくございません。ですから、そういう意味で、なるべくすみやかに、たとえばいまも話がございましたが、ドキュメンタリーの映画をつくるとか、あるいは現在のものがいわゆる芸術家的な良心でもって相当大幅に手直しができるとかいうことを私としては期待し、かつ、その期待がなるべく早く実現されることを願っているわけであります。  それから、文部省推薦ということに非常に重点をお置きになっておるようでございますが、文部省推薦ということは、あの字幕に入れてくれとか、あるいはもっとこうやってくれとかいう御希望は実は出ていないわけであります。私としては、非常に率直に申し上げているのでありますが、このでき方によっては、より積極的に、あるいは出過ぎているかもしらぬけれども、むしろこっちがお願いしてでも文部省推薦とか、いろいろな形で、ほんとうに寝ている人を起こしてでも見ていただきたいぐらいの気持ちで私はおりました。しかし、その気持ちにはなれません、こういうふうに御理解を願いたいと思います。じゃまをする気持ちは毛頭ございません。したがって、通知を撤回する等のようなことも全然ございません。ただ、組織委員会が皆さんの御協議で、現に組織委員会の中でもごうごうたるいろいろな意見が出ている。これは河野という人が発言したかしないかにかかわらず、私は出たと思います、不幸にして。自発的にいろいろの意見が出ておりますことは、逆に新聞その他でもごらんのとおりでございます。そこで、組織委員会としても、非常にこの世論にかんがみて、どうしたらいいかということについて、連日連夜と言ってもいいくらい非常に御苦労なさっておる。そこで、いい結論が、おそらく早く出ましょうから、それによってこの問題に早く終止符がつけられることを望んでいる、こういうことでございますから、御趣旨の点、私も十分によく理解できるわけでございます。ただ、私が申しましたこと、あるいは伝えられていることの私としての真意はこうでございますということを、さらに繰り返して申し上げて御理解を仰ぎたいと思います。
  69. 小林武

    小林武君 まあ蒸し返して申し上げませんけれども、私は文部大臣に言わせれば、大臣も言い分はあるだろうと思うのです。しかしながら、手続的には、たとえば教育映画のこの審査分科会ですか、そういうものが、何か特選か何かにしろ、そういう決定をなさったという、そういう事実があったりしたものを推薦しないということになった場合に、世の中の人たち一体どんなことを考えるか。映画制作者だとか何とかはそれぞれ考えがあって、文部省推薦なんてものを好む人もあるでしょうし、興行政策上必要な人もあるかと思えば、必要でない人もある。いろいろあるから、何も映画の権威を高めるとか高めないという問題じゃないと思いますけれども、まああなたがおっしゃるように、あのオリンピックをもう一ぺん映画を通して見て楽しみたい、そして、よかったなという気持ちになりたいというような人たちは、日本の国の中にたくさんおります。特に、まのあたり見ることができなかったたくさんの人たちは、やはり見たいという期待が非常に多いと思います。そういう人たちのために、ばく大な金をかけたと思います。そういうものである限りにおいては、まあ不満のところがあったら、やはり監督も修正には何とか応じているらしいし、またさらに、こういう点というようなことがあるならば、先ほども言いましたように、ほかにもそのフィルムをとっているのですから、幾らでもやりようが私はあると思う。そうしたならば、少なくとも映画の計画を立てて、そして市川さんを監督にして、どえらいものをつくろうというこれがみんなの気持ちであった、それをまた見たいというのが国民の期待だった、そういう期待や何かをまるきりもう裏切ってしまうような、いわゆる上のほうで、もう何だか悪口の言い合いをしているというような、こういう感じを持たせるということは、これはもう政治としては下の下だと思うのです。これは体育界の問題としても、下の下だと思う。それを何とかお互いがとにかく歩み寄るというか、お互いが助け合って、何とかいいものにして、どれも、二本できたら二本、三本できたら三本ともよく見なさいというような、こういう親心というか、何というかな、親心じゃないだろうけれども、そういう気持ちがやはり私はあってもよろしい。オリンピック関係者も、政府も、みんながですよ。国会にオリンピック特別委員会というものがあったが、その特別委員会の人間も、やはり私はそのくらいの責任を持たなくちゃいけないと思っている。だから申し上げている。まあできないものをしてくれと申し上げてもしようがありませんが、私はそれが政治である、このように考えますので、何かのついでに御検討をいただくというようなことがあったら、十分にひとつ御配慮をいただきたい。私はそのことでここでけんかをする気持ちはありません。
  70. 愛知揆一

    ○国務大臣(愛知揆一君) 私は自分の気持ちを包み隠さず申し上げただけでございますが、それはひとえにこれが早く円満に処理できるということを期待しておるからでございまして、そういう線で、ただいま小林委員のお話しになりましたことと、私は結論においては全く同じでございますから、早急に円満に解決をするように、そしてオリンピックの成果というものが、何といいましょうか、あとあとまで楽しく残るようにしたい、こういう念願で、まあ私自身でこれはやることでない、間接にお願いをする立場にあるわけでございますが、そういうことでなお一そうの努力をいたしたいと思います。
  71. 小林武

    小林武君 これで打ち切ります。
  72. 山下春江

    委員長山下春江君) 他に御発言がなければ、本件に対する本日の質疑はこの程度にいたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後二時四十一分散会